エルドリエ・シンセシス・サーティワンにとって、師アリスは絶対の存在だ。
それは、これからも揺るぐことはない。決闘に負けたあの日から、アリスこそ自分に全てを授けてくれる師であると、疑うこともない。
「エルドリエ、少し良いでしょうか」
「はっ、我が師アリス様。なんなりと」
「え、エルドリエ……そのように畏まられては、話しにくいです。立ってくれませんか」
「なんと有難き言葉……! このエルドリエ、我が師のお心遣いに感服致しましたっ」
「……お世辞は不要ですから、早く立ちなさい」
「はっ」
師から言葉を貰い、至上の歓びにあるエルドリエには、師の呆れ顔は見えていなかった。
師と仰ぐのならば、相応に師の意図を汲んで欲しいものである。
弟子を取った事に後悔しないまでも、流れで仕方なかった、と言うのは今更言い訳になるまい。
それでも面倒を任されているのは自分であるので、一ヶ月指導を続けてきていた。
しかし、アリスとて任務がある。
肩の荷が下りたような感覚に罪悪感を覚えつつ、今朝方受けた命を伝え聞かせる。
「エルドリエ。そなたは今後、フェノメア殿より神聖術の指導を受けてもらいます」
「フェノメア殿、と言いますと」
「ええ……フェノメア・シンセシス・スリー。私が先生と呼んでいるお方です」
エルドリエに衝撃が走る。
まるで、暗黒界に住まう巨人族の体当たりを食らったような──未だ戦ったこともないが──強烈さであった。
師の先生、とは一体何なのか。
師が敬意を払う存在とは、どれほどのものなのか。
エルドリエは戦慄する。アリスが敬意を払っている相手にはもう一人、騎士長ベルクーリがいる。小父様と呼び慕っている所は何度も見ていて、その実力は自分では及ぶべくもない。
それに並ぶと言っているようなものだ。
エルドリエは自分の浅学さを恥じた。そのような人物の名を、今まで知ろうともせずにいたのだ。
「私の知る限りでは、神聖術の腕にかけては五指に……いえ、フェノメア殿の上となると、それこそ元老長か最高司祭様くらいでしょう」
それが、エルドリエのトドメの一撃となった。
またしても頭を垂れるので、アリスは面倒事の予感がした。
「師よ……我が非を罰して下さいますよう、何卒」
「いきなり何を言い出すのです、そなたは」
脈絡もなく罰させようとする弟子は一体何なのだろうか。
こめかみを抑えながら、アリスは心の中でフェノメアに謝罪した。
そして、どうか宜しく頼みます、と頭を下げたのだった。
エルドリエが席に着いたのは、授業から十分前ほどの頃だった。
心のざわめきは一向に収まらない。師が先生と呼ぶ人物なのだから、というのも大いに関係しているが、それとは別に、恐るべき話を耳にしていた。
それは、カセドラルに長く勤める食堂の強面な料理人からであった。
『アァン? フェノメアじゃと? おい坊主、まさか一ヶ月もいてフェノメアの小僧の事も知らんのか。彼奴はこの公理教会の枢機卿、要はあのクリスチャンの次にデカい顔ができるってこった。ま、クソガキだが悪人じゃねぇ。そこは安心せい、若造』
夕飯時にそんな事を聞かされたので、エルドリエはその夜、一睡もできなかった。
公理教会で、最高司祭と元老長に次ぐ三番目の権力者ともなれば、そもそも師の先生である以前に絶対者なのだ。無礼を働いた瞬間打ち首もあり得る。
一体どれほど厳かな人物が来るのか、体中の筋肉という筋肉を強張らせて待ち構えていた。
「おっはよ〜! 今日からキミの先生になった、フェノメア・シンセシス・スリーでっ────」
だから、こうも前触れなく、想像を裏切る挨拶と共に入ってきた彼女に、情けない顔を見せてしまった。
師の弟子としてあるまじき、不甲斐ない失態。
もはやこれまでか、と思った時、フェノメアが頭を押さえながら倒れた。
歯噛みする暇もなく、エルドリエは急ぎ不調な彼女に駆け寄った。
倒れた体を抱えると、ローブ越しでなくては気付けない程、繊細で柔い体つきであった。
しかし、アリスという前例もあるので、エルドリエもさして驚きはしなかった。
ただ、不覚にも心地良さを感じて、フェノメアが本で自分を殴る所で、慌てて手を離した。
ずきり。
頭を針で刺されたような、瞬間的な痛みにエルドリエは襲われる。
何が、と思ったが、それよりもフェノメアの事が先決だった。
当の彼女の体調は芳しくなさそうだったが、本人は大丈夫だと念押ししてくるので、エルドリエは言われるがまま、授業を受けることにした。
「それじゃ早速授業……の前に、ちょいと呼び方確認。エルドリエ君って、ボクをフェノメア様って呼ぶけど、全然呼び捨てで良いよ〜。ボクなんて取るに足らない人間だし」
「いえ、そういう訳にはいきますまい。たかが新米の見習い騎士如きが、貴女様に敬称を付けないなど」
「う〜、授業がやりづらいんだよ〜。なんとかならないかな?」
「……では、フェノメア殿と」
「もっと親近感欲しい……」
格下、もしくは敬意を払うに値しないと見た相手にしか口調を変えないエルドリエは、思い切り拒絶反応を起こしていた。
教会の三番目のお偉方である。本人からそう言われても、畏れ多くて無理である。
まして師の先生にタメ口を利くなど、師への冒涜である。
なんとしても、この口調だけは譲れなかった。
「……め、メアちゃん先生って呼んでよ。さっきも言ったけどスルーされたし」
「それだけはどうかご寛恕を、枢機卿閣下」
「やめてぇ〜! それで呼ぶのだけはやめてぇ〜!」
何故かフェノメアの傷を抉るだけになった。
流石にエルドリエも、これには訳がわからなくなった。
教卓の上でジタバタする少女に、こんなものが誇りある教会の枢機卿なのかと、かなり疑わしく思った。
しかし、不思議とエルドリエに嫌な感じはなかった。
似た雰囲気を持つイーディスと出会った時は、臆面もなく嫌いだと言えるくらい生理的に受け付けなかったというのに、目の前の少女を見ると、失った何かがカチリと嵌るような、晴れやかな気持ちになれた。
「はーもー、何でも良いから枢機卿閣下だけはやめてね。あれ言われると堅苦し過ぎて背中がムズムズするんだ。ボクの数多くの弱点の一つだから気をつけること。オーケー?」
「……おーけー、とは?」
「よろしいですか、って意味。オーケーと言われたらオーケーか断りの言葉で返すんだ〜。アドミン……最高司祭様がよく使うから覚えておいて損は無いよ。んでもってオーケー?」
「お、オーケー」
腕で丸を表現したり、手脚を伸ばして変な姿を取ってくるので、エルドリエは反応に窮しながら、取り敢えずそう繰り返した。
「おぉ~いいね〜! その調子でリピートアフターミー! メアちゃん先生! ヘイ!」
「お戯れを、枢機卿閣下」
「──ぎゃああああ全くオーケーされてないいい!!」
召喚されて一ヶ月。
エルドリエは、初めて心の底から大笑いした。
「……ほう、そのような事が。そこまでフェノメア殿と親しくなっているとは、私も予想していませんでした」
「いえ、先生とは親しいという程では……少し放っておけないだけでして」
「見え透いた嘘はつくものではないですよ。そなたが笑うところなど、これまで見たこともないのですから」
「それは師と言えども心外ですな。私とて、騎士以前に人の子でありますれば。面白いと思えば笑いますとも」
イスタバリエス東帝国の上空。
二匹の飛竜、雨縁と滝刳に乗って、アリスとエルドリエは、互いの先生の話を交えながら、会話に花を咲かせていた。
「しかし、私どもの先生は随分と変わっておられる。あんなにも距離感が近いと……その、女性として如何なものかと」
「どうでしょうね。我々は召喚されて間もない騎士ですから、子供に接するのとそう変わらないのかもしれません」
少なくとも、召喚されてから百年は経っているのを考えると、十年も人界にいない自分達は雛のような存在であるに違いない。
可愛がりたくなるのも、恐らくは仕方のない事なのだ。
そこまで考えて、ふとアリスは思う。
普段より誰とも距離感の近い彼女のことだ。純朴なエルドリエと過剰に触れ合い、その気にさせてしまっているのではないか。
かつて、ある
「……もしやエルドリエ。そなた、フェノメア殿に懸想を」
「何を言い出すのです、我が師よ! 我が心は常に御身に、他人に心惹かれるなど有り得ませぬ!」
「それはそれで嫌なのですが……」
ともかく、その気がなさそうである事にアリスは安心した。
ただ、エルドリエにとって、彼女に思うところが無いのかと言われれば、また違うのである。
「先生と話していると、不思議と心が落ち着く事はありますな。なんと申し上げるべきなのか……そう、例えるなら、私に欠けた何かを埋めてくれるような。そんな安らぎを感じる事があります」
「……そなたもそう思っていたのですね。フェノメア殿は包容力のある方ですから、密かに母性を求めているのかもしれません」
「母性……」
ずきり。
その痛みの一瞬、温かな声が聞こえた気がした。
誰か、懐かしい声が……
「……エルドリエ? どうかしましたか?」
「い、いえ。何でもありませぬ……」
この私が、母性を求めているのか。
エルドリエは何も言い返せないまま、任務に当たった。
それから、時は流れ、人界暦381年7月24日。
エルドリエは一人前の騎士として精進し、積極的に任務に赴いていた。
ここの所は、来る暗黒界との戦いに備え、エルドリエも兵士達の戦闘教練に従事していた。
それ故に、カセドラルに滞在しており、多くの整合騎士と顔を合わせる。
特に顔を合わせやすいのは……
「エールく〜ん! 今日も元気にしてる〜?」
フェノメアだ。両手に大量の書類を抱えて、エルドリエの下に小走りでやってきた。
彼女は枢機卿という職務上、カセドラルでの事務作業が多い。
地方も飛び回るが、大抵はカセドラルとの往復になるので、ここに滞在していると高確率で出会えるのだ。
「ええ、先生。これしきの指導で疲れる程、生半可な鍛え方ではなかったものでして」
「へへぇ〜? 頼りになるじゃんかー! 羨ましい限りだよ〜。……ボクももっと頑張らなくちゃなあ」
ちょっと疲れ気味で猫背にはなっているが、何ら変わりない先生の姿を見かけると、気の抜けない日々も和らぐ気がした。
アリスが北帝国へ長期遠征をしてしまったのもあり、エルドリエはこっそり、フェノメアの話す事が楽しみとなっていた。
「そう言えば、北帝国に行ってきたついでにアリスちゃんと会ってきたよ〜」
「おお、なんと……師のご様子は」
「あー……超元気だったよ〜! うん! 家を建てて、そこを拠点に北の洞窟を守ってくれてるみたいだったし」
「機会があれば訪れてみたいものですが……」
「い、いや〜。お互い忙しいし、まだやめといた方がいいよ、絶対」
「いえ、流石に今会いに行く訳には……状況も差し迫っておりますし、午後の任務も残っておりますので』
「うんうん! 是非そうしておいてね! ……キリト君とユージオ君と居るのバレたらマズそうだし」
「……?」
何か後ろめたい事を隠しているようにも見えたが、先生に限ってそんな事は無いだろう。
エルドリエはそう思って違和感を切り捨てると、会話を切り上げた。
誰もが分かっている事だが、ここ最近は忙しいのだ。
こうして少しゆっくりしていられるのが関の山だった。
「それでは、また会いましょう」
「うん! またね~!」
そう言ってすれ違った、その直後。
ばさり、と紙が舞い、重い音が響いた。
「は……?」
振り返ると、投げ出された書類の束に重なって、フェノメアがうつ伏せに倒れていた。
目を疑った。そんな馬鹿なと、焦って視界が揺れ動く。
だが、フェノメアは微動だにしなかった。まるで、突然死んでしまったかのように……
「……せ、先生……先生!!」
どっと押し寄せる恐怖。
敵の間者に毒でも仕込まれたのか、いやそんな事は今どうでもいいのだ。早く、早く治療を施さなくては。
全身を嫌な冷たさが通り抜けたが、構うことなくフェノメアを抱き上げた。
息はしていても、完全に意識がない。エルドリエが打てる手段は一つしか無かった。
「システムコール……ジェネレート・ルミナス・エレメント……」
治癒術をかけ続けつつ、向かうは百階、最高司祭の居室。
整合騎士の治療ならば、彼女において他に相応しい人物はいない。
最高速で階段を駆け抜けて、《霊光の大回廊》へ。
タイミング良く降りてきた昇降盤に乗った。
「お待たせしました。何階を────」
「八十階だ! 今すぐに!」
昇降係は、彼が抱えている人物を見て大きく目を開いた。
一体何が、と思う前に、昇降係の口が動く。
「システムコール、ジェネレート・エアリアル・エレメント」
十個の素因を生成。
エルドリエに視線をやると、この仕事を任されてから百年、一度も言った事の無い注意喚起を促した。
「急な加速にご注意下さい……バースト・エレメント」
直後、まるで飛竜が加速した時のような衝撃と重さがエルドリエに押し寄せてきた。
ますます上がっていく階数に、エルドリエは驚きの目で昇降係を見た。
「君は……」
「緊急事態と判断し、昇降盤を通常の二倍の速度で運行しております」
エルドリエにとっては、普段、話もしない使用人だ。
さっき激高してしまった事を申し訳なく思っていたが、まさか、こんな対応をしてもらえるとは思いもしなかった。
昇降係にとっても、これは全く職務外の対応だ。
ただ、彼女はそうしたいと思った。昇降盤を動かす事だけが彼女の役割であるから、その範疇で、手助けをしたかった。
彼女が、この昇降洞での仕事に未来への希望をくれたのだから。
「……ありがとう」
扉が開く。
自分などから礼を言われる筋合いなど無いだろうが、エルドリエはそう告げた。
「……フェノメア様を、よろしくお願いします」
振り返らず、エルドリエは走った。
元老長室に立ち寄る暇は無かった。最上階へ繋がる裏道を通って、がむしゃらに百階へ上がっていった。
寝台の前で脚が崩れ落ちると、天幕を押し退け、アドミニストレータが欠伸をしながら現れた。
「ん〜……なぁに」
「最高司祭、様……!!」
「ん────えっ」
息を切らすエルドリエと、その腕に大事そうに抱えられたフェノメアを見ると、否応なしに目が覚める。
「どうか、先生を……!」
「分かったわ。もう手を離していいわよ」
アドミニストレータが寝台から降りて、フェノメアの前で膝を折り、S字を描いて、フェノメアのステイシアの窓を開いた。
「天命の上限値が極端に低い……パラメータの方は」
システムコール、と唱え始めれば、アドミニストレータを取り囲むように無数の窓が出現する。
それを一つ一つ流し見ていると、明らかに異常な値を示す項目が二つ。
他の窓を追いやると、つぶさに記録を確認する。
「疲労値の過剰な蓄積、おおよそ一ヶ月分は不眠不休だったのね。闇素術で自分に催眠でも掛けてたのかしら……ちょっと待って、健康値−80!? ほとんど水だけで……社畜ってレベルじゃないでしょ、こんなの」
エルドリエは絶句した。
一ヶ月も不眠不休で、最低限水を飲んでいただけなど、どんな下層階級にも優る苛酷さだ。
そうまでして教会のためにと動いてくれていたというのに、労いの言葉一つすら掛けてやれなかった自分が愚かしい。
「エルドリエ。ここまでこの子を運んでくれた事に感謝するわ。放置されていたら、そのまま衰弱死していたでしょう。それを助けたのは貴方よ」
「……は」
エルドリエの心情を察したアドミニストレータがそう声を掛けてやるも、顔は深く沈み込んだまま、浮かなかった。
消沈しきったエルドリエは放置することにし、フェノメアを寝台に乗せる。
「システムコール、リセット・ヴァリアブルズ……」
つらつらと淀みなく紡がれる神聖術。
その全てが、エルドリエには聞き覚えのない単語だったが、すっかり青褪めていたフェノメアの顔色が戻っていくのをみて、心から安堵を覚えた。
「こんなところね。まだ諸々の調整をするから、また明日ここへ来てちょうだい」
「……承知しました」
最高司祭様がそう仰ったからには、先生は問題無いのだろう。
ホッと息を吐き、一礼の後、居室から立ち去った。
その翌日には、元気になったフェノメアに抱き着かれるなどのハプニングなどもありながら、月日が経った。
大戦を間近に控えた、十一の月の六日。
エルドリエが設営されたテントから出ると、丁度目の前を、金髪の女性が通り過ぎた。
エルドリエは即座に右手を胸に、剣の柄頭に左手を置いて騎士礼をした。
「おお、アリス様……! 本日もご機嫌麗しゅう────」
「……あのね、エルドリエ。言っておくけど、私は貴方の師匠の方じゃないわよ」
そう言われ、まじまじとアリスを見詰める。
声音は同じ。瞳の色も、黄金の如き御髪も変わらない。
だが、むっと頬を膨らませ、腰に手を当てる仕草は、師のそれとは異なる。
エルドリエは結論に至り、慌てて頭を下げる。
「はっ……! こ、これは失礼したアリス・ツーベルク殿。てっきり、今日の我が師は修道女の装いであらせれるのかと」
「そんな訳ないじゃないの! あなたって、常々思ってたけど結構バカよね」
「ば、バカ……この私が、バカ……?」
師と同じ可憐なる声で罵倒を受けたエルドリエは、一瞬にして倒れ伏した。
……このアリス・ツーベルクとエルドリエの出会いは、それはもう凄惨なものであった。
語れば長くなるので割愛するが、エルドリエが師の見た目と声をした少女に盛大に拒絶され、カセドラルの廊下で四つん這いになってさめざめと泣いたという。
後で報告を聞いたアドミンは思わず天を仰いだ。事態をややこしくしたのは自分なので、自業自得ではある。
「……して、我が師は何処に」
「えっと、アリスならファナティオ様の所で話していたけど」
「そうか……感謝する、アリス殿」
そう言って、エルドリエはすっ飛んでいった。
アリスはその後ろ姿を見ながら、密かに思う。
──エルドリエの師匠、私じゃなくて良かった
アリスには悪いと思うけども、あの面倒臭さを相手にする必要が無い事に心底安心した。
そう思われているとはつゆ知らず、エルドリエは本物の師の下を訪れた。
エルドリエも久々に顔を合わせた副騎士長は、象徴的な鷹の兜を外し、普段晒さない美貌を惜しげもなく露わにしていた。
なんでも、とある新人達と手合わせした時に発破を掛けられ、吹っ切れたそうだった。
数ヶ月経つが、未だにその新米整合騎士と顔を合わせたことがない。
一体どのような者なのかと気に懸かりつつ、三人で作戦本部へと赴いた。
「……となると、こっちはやりやすいがな。良いのか、アスナの嬢ちゃんは」
「構いません。正面衝突は、こちらとしても避けたい事態ですから」
「ふむ。ではアスナには、この位置で戦況を俯瞰すると良いじゃろうな。何かあれば、わしの使い魔を経由して報せよう」
「ありがとうございます、カーディナルさん」
「まあ、そう構えなくてもいいわよ。敵の第一波なんて、私の広範囲術式で一掃しちゃうし」
中では、ベルクーリ、カーディナル、アドミニストレータ、そしてその隣に一人、神話に描かれた創世の女神の装束に身を包んだ、見知らぬ女性が話し込んでいるようだった。
居るのですか……と、顔がひん曲がりそうになるのに耐えるアリスに対し、事情を知らないエルドリエ、そしてファナティオが訝しげに目を向けた。
「最高司祭様、彼女は……」
「そう言えば、まだ皆に公表してなかったわね。こちら、本物の創世神サマよ」
「……あの、自然に嘘つかないで下さい。二人が信じかけてます」
というか、膝を折っていた。
整合騎士である以上、最高司祭からそうと言われたらそうなのであるから、この反応はごく自然のことである。
アドミニストレータはくすりと笑った。こういう場面を見て面白がるのは、どこぞの元老長譲りか。
本来アスナに味方しないアリスまでもが、空気読んで下さい……と呆れ顔になっていたので、しれっとついた嘘をさも冗談のように片付けた。
「とまあ、アスナちゃんよ。天界から来た子だから、仲良くしてあげてね」
「「はっ」」
彼女の部下達の変わり身の速さにも驚かされるが、それ以上に、彼らを意のままにしているアドミニストレータも十分に恐ろしい。
先日の集まりから分かっていたように、ただの悪戯好きな人であるのが、唯一幸いか。
「そんじゃあ、三人にも明日の布陣を伝えておく。……エルドリエ、お前さんは左翼前方で、クレイと組んでもらう」
エルドリエの眉がピクリと動く。
組む、となる以上その人物も整合騎士なのだろうが、エルドリエは一度としてその名を聞いたことが無かった。
「……ふむ。クレイなる御仁は、寡聞にして存じ上げませんが」
「あー……あいつは滅多にカセドラルに帰らないんだったか。まあ会えば分かるさ。ファナティオは中央前方で先陣を切ってもらう。頼めるな?」
「はっ、閣下」
エルドリエの脳裏に、いつかの師の言葉が反芻する。
フェノメアの時と同じ様に、そのクレイとやらも実は相当な地位にある人物なのかもしれないと思うと、身震いすら覚える。
「それから、嬢ちゃんは」
「────私と一緒に、空で術式の準備ね」
ベルクーリの言葉を遮ると、アドミニストレータはそう微笑みかける。
アリスもアリスで、背筋を冷たい感覚が襲った。
大規模殲滅術式を放つという大役を任されている上、それを神聖術の第一人者が隣で見ているのだ。いくら気の知れた上司とはいえ、緊張も一入というものである。
「よ、よろしくお願いします……」
「なぁに〜、その反応。私とアリスちゃんの仲じゃないの。今更固くならなくていいじゃない」
「いえ、そうでは……」
(我が師よ……!)
エルドリエは、同じ境遇の師に同情した。
この得も言われぬ外的圧力に、早速胃がキリキリしていた所だったのだ。
師と弟子の謎の連帯感が生まれつつある中、大門周辺地図に置かれた複数の駒とにらめっこを続けていたアスナが、ふとベルクーリに尋ねた。
「他に騎士の人はいらっしゃらないのですか?」
「それなんだがな……カセドラルや央都の管理を四人、果ての山脈の警備に四人を当てると、確か、えー……何人だったか? 悪ぃな、数えるんなら得意だが、計算は苦手なもんでな」
肩を竦めるベルクーリに、やれやれとカーディナルが溜息ながらに答えた。
「戦争に動員できる整合騎士は、合計で二十人じゃよ」
「二十人……それと五千の軍で勝てる見込みはありますか?」
「ふむ。想定では、騎士は最低十三人で勝てると見越していたが」
「……想定、ね」
エルドリエ達は知る由もないが、アドミニストレータとカーディナルの言う想定とは、原作小説のことだ。
人数などは読み込んでいなかったので記憶は朧気だが、描写されていた整合騎士は、ベルクーリ、ファナティオ、デュソルバート、シェータ、四旋剣の四人、レンリ、リネル、フィゼル、アリス、エルドリエの十三人だ。
付け加えるなら、最後方の予備軍としてイーディスが居るくらいである。
「暗黒騎士団は事前に引き抜いたから良いとして、暗黒術師団は……これも良いわね。どうせ私とアリスちゃんでリソース使い切っちゃうでしょうし」
「うむ。じゃが、暗黒術師には不確定要素のギルド長、ディーの存在がある。シャーロットの報告が正しければ、武装完全支配術をも身に付けておるようじゃしな。はてさて、困ったものじゃ……そうじゃろう、クィネラ?」
「う、ごめん……」
がく、と俯きがちに謝った。
アドミニストレータ本人からすれば、原因は自分にあるのでバツが悪い事この上ないので、こういう反応になる。
が、ここは部下達の面前である。それを忘れていたアドミニストレータの顔がぴしりと固まった。
せっかく積み上げてきた最高司祭としてのイメージに綻びが生まれかねない。
いや、この際イメージなどどうでも良いのかもしれないが、欠片に残るクィネラとしてのプライドがそれを許せなかった。
「……とでも言うと思った? 残念ね、私、下げたくない頭は下げられな────っぎゃ!?」
カーディナルの攻撃。
アドミンの天命に200ダメージ。アドミンはうずくまった。
最高司祭の危機にファナティオやエルドリエが構えかけたが、最高司祭の隣で生暖かい目を向けているだけのベルクーリを見て、佇まいを正した。アリスに至っては和やかそうに見ているだけだった。明確な裏切り行為である。
我関せず焉とする裏切り者どもをキィッと睨むと、主犯であろうベルクーリの脛をゲシゲシと蹴り飛ばした。
「このっ」
「ぬおっ……!?」
もとより、高優先度の武器を軽々と扱うアドミニストレータだ。その蹴りともなれば、ベルクーリと言えど顔を顰めずにはいられない。
徐ろに脚をさすって諫言した。
「猊下……俺みたいな老骨に、この仕打ちは少々酷くありませんかね……?」
「……側にいたのだから、ちょっとは私を心配してくれてもいいでしょう」
ぷい、とそっぽを向いた。
ご機嫌が急降下していっているのは間違いない。
困ったと頭を搔き、はてさてどうやって宥めたものかと、打開策を練る。
「あー……俺が悪かった、悪かったですって……」
不敬を承知でアドミンの頭をぽんぽんと撫でてみると、ふっくらしていた頬がしぼんでいった。
え、チョロい……と言いかけた口をどうにか封じ込めたアスナは、目の前で繰り広げられたカオスな惨状に、一体どう反応すればいいのか分からなかった。
真剣そのものだった場が、一息に日常の風景に置き換わって、自然に受け入れられている。
それは異質であるはずのに、ぴったりと馴染んでいる。
「……不思議ですね」
「お主にはそう見えるのじゃな」
「ええ。……この世界の命運を決める戦いですから、尚更に」
SAO時代、生死を決めるフロアボスとの戦いでプレイヤーを纏め上げてきた経験から言わせれば、この空気は異質そのものなのだ。
だが、カーディナルに言わせれば、単純な答えだった。
「わしらが、この戦いに負けるとでも?」
ふん、と不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、言おうとも。わしらはこの戦いに勝つ。そう言えるだけの戦力を持っている」
「……それが、揺るぎない自信に繋がっていると?」
「少なくとも、此奴とわしは絶対の自信を持っているじゃろうな」
この義理の姉妹が共有するその記憶……前世という指標により、全てが揃ったこの状況がいかに盤石なものであるかを良く理解していた。
「あら、たまには嬉しい事を言ってくれるじゃない」
「紛う事なき事実じゃからな」
「……まったく、人を煽てるのが上手いんだから」
その二人の余裕こそが、この不思議な空気感の根源。
それが周囲にも伝播し、整合騎士達の士気を高めていた。
ファナティオが前に出ると、アスナの不安を押し流すように、力強い言葉を授けた。
「最高司祭様が〝勝てる〟と仰るのです。であるのならば、この戦いに敗北など無い。我々が、決してそうはさせない」
この心意気と、そうと言わせしめる最高司祭アドミニストレータには、アスナも脱帽するしかない。
実際には、アドミニストレータのカリスマ性には《敬神モジュール》も大いに関わっているであろうが……それを抜きにしても、人を率いる力がある。
ある種のカリスマを持っていた団長ヒースクリフ──もとい茅場晶彦を傍で見てきて、それをよく感じた。
ただ、
敵にもスーパーアカウント持ちが居ると知った時はどうなるかと思ったが、それに匹敵する人物が何人も味方してくれている
────この戦い、きっと勝てる
そうすれば、敵もオーシャン・タートルから脱出を試みるだろう。
後は比嘉さんや重村先生が、キリト君を助けてくれる。そうしたら二人でアンダーワールドを出ればいい。
それで、全て丸く収められる。
アスナは希望を胸に、刻々と迫るその時を待ち続ける。
……その後ろで、妖しげな二つの双眸が輝いているとは知らずに。
キリアスをアンダーワールドから絶対に出したくないウーマン二人。アスナさんの獅子身中の虫はすぐそこに……
あと威厳のないポンコツアドミンって最早かわいいだけでは(唐突