気がつけば一年経っていました(白目)
ふと思い立って、セントリア高校学生服を引っ張り出して着てみた。
姿見の前に立つと、ちょっとしたミステリアスさもあって、転校生とか謎の第三勢力とか、あるいは追加キャラっぽく見えてくる。
そう。例えば、こんな感じの……
「最高司祭様、お時間よろしいでしょ────」
「月光に冴える一輪の花、キ○アムーンライト!」
しゃららん、と決めポーズを取る横で、アリスが扉を開けたままポカンと固まっていた。
時間が凍りつく。
やがて、スチャッとポージングを解き、そこにあった荘厳なソファーに座り、脚を組んだ。
「あら、アリスちゃん。何の用かしら?」
「……猊下、流石に、今の流れを無視するのはちょっと……その」
「…………む、むぅぅぅ〜!!」
アリスちゃんのバーカバーカ!
ユージオ・シンセシス・サーティツー。
その名前は、最高司祭アドミニストレータによってシンセサイズの秘儀を施された事で本物となった。
その後、正式に上位騎士に叙任された時は大いに驚いたものだ。シンセサイズされた際に強化されたという心意の力も今は無く、身に纏う鎧は重たく感じていた。
「……僕が、本当に良いのでしょうか」
「良いに決まってるでしょう。私に立ち向かって勝てる時点で、お前はこの世界でも頂点に近い剣士なのだから」
その実感はユージオにない。ひたすらに、ただ自分の想いを徹す為に戦ったのだ。相手は神にさえ匹敵する最高の術師で、強さなんてものを気にしていてもどうしようもなかった。
「なら、一つ勝負でもどうかしら」
「なっ……そ、それは、つまり、最高司祭様と……?」
「……あら、私とやりたいの?」
「め、滅相もありません!」
とっさに、最高司祭様と応対している時のキリトの口調が出てしまった。
ユージオはあまり、高い身分にある人物と畏まって話したことがない。元々が農民の一家の出で知識も教養も無いので、そういうものは大抵キリトがやってくれていたのだ。
とはいえ、学院では貴族の子女と話す事もあり、不本意ながらライオスとウンベールという目の上の瘤との交流は多かった為、ある程度の受け答えには申し分無い、はずだ。
しかし、相手は現人神と呼んで差し支えない最高位の権威者であり、その身に秘めたる力は、あの決戦にてユージオも知るところ。貴族の子女などという存在とは文字通り格が違う。不躾な事を言えば、即刻お皿化は免れない。
必死に言葉を考えて冷や汗を流していると、不意にアドミニストレータの刺す様な雰囲気が柔らかくなった。
「そんなにガチガチにならなくていいわよ。元より、私が相手する予定じゃなかったし」
「で、では、勝負というのは……」
「簡単に言ったら、ベルクーリとの真剣勝負。初撃決着形式の模擬戦ね。神聖術使用可、武装完全支配術も特に制限しないわ。たとえ真っ二つにされても一瞬で回復させてあげるから、死ぬ覚悟で頑張ることね」
「は……はい」
それは確かに、アドミニストレータと戦うよりかは遥かに楽ではあるのかもしれない。
だがしかし、最強の整合騎士であるベルクーリと戦うとなると、それはそれで肝が冷える。
キリトと互角に打ち合うアリスでさえ、模擬戦でベルクーリに勝った回数は片手で数える程しか無いという。一人で戦うというのだから、殊更に自信が無かった。
「もう、あの時私に見せた気迫はどこいっちゃったの? ベルクーリなんてちゃちゃっと下してみなさいよ」
「が、頑張ります……」
とても口にしては言えないが、あまりに無責任ではないか。ユージオがベルクーリを下すと、本気で思っていそうな口振りだから、なおのこと質が悪い。これでいざベルクーリと戦い、もしも勝てなかった時を思うとユージオは身震いした。
『お前って、そんなものだったのね。……もういいわ』
などと言われた日には、自分の処遇がどうなるか分かったものではない。胃が痛くなるが、やってみせなくてはならない。
──力を貸してくれ、キリト。僕の英雄
その結果。
ユージオの青薔薇の剣は、凍り付いたベルクーリの胸に一太刀を入れた。
アリスが慌ててベルクーリに駆け寄るも、その傷はまるで無かったかのように綺麗になっており、容態も芳しい。アドミニストレータの言っていた通り、一瞬にして癒やされたようだ。
「……まさか、猊下の予想が正しいとはなぁ」
「はぁっはぁ…………」
(勝った、のか?)
アインクラッド流の真髄、その全てを叩きつけた一戦だった。
武装完全支配術で優位な環境を作り上げつつ、囮の氷の剣を用いてフェイント、そして隠していた剣で一太刀を浴びせた。咄嗟の思い付きだったが、ここまでうまくいくとは思わなかった。
この戦いにおいては、相手の手札を注意深く観察し、時穿剣の《武装完全支配術》によって放たれる残留する斬撃……未来を斬るというそれを如何に躱し、こちらの攻撃を当てるかが最優先だった。
これが初撃決着でなければ、自分ごとベルクーリを氷に凍結し、《記憶解放術》によって天命量の差で押し切る作戦を立てていた。
下手をすれば自分の命すら無くなりかねない危険な博打であるから、本当に初撃決着で良かったと内心ホッとしている。
「……しかし、最初の手加減が無ければ、僕は一瞬で負けていました」
「おいおい、初見だってのに、初撃にもならない程度に掠っただけで済ませたお前さんの勘と技倆は凄まじいぜ? そっからちと説明しただけでここまで追い込むとは……流石、猊下を打倒したというだけはある」
「いえ、しかし実戦ではこういう事には……」
騎士長、それもルーリッドでも有名な英雄ベルクーリと同一人物と思われる彼に勝利した、という事実は、ユージオには受け止め難かった。
これは仮初めの勝利なのだと、なおも言い募ると、ベルクーリの傍で片膝を立てていたアリスが立ち上がり、柳眉を逆立てて、強い口調でユージオの言葉を制した。
「……それ以上の謙遜は、正当なる立ち合いの下に敗北した小父様への侮辱になります」
「おいおい、そりゃ言い過ぎだ嬢ちゃん……だがまあ、自分の実力がどの程度かは、客観視できたほうがいい」
「申し訳、ありません……」
「怒っちゃいねぇよ。寧ろ、勝ったって事実は誇ってくれや。そいつは必ず、力になってくれる」
そこまで言われてしまっては、いかに納得のいっていないユージオも根負けするしかない。
何せ、勝ったという事実はそこにあるのだ。しかもこの裁定をしたのは最高司祭であり、それはこの人界において何よりも正しき指標となる。
「……私の経験から言わせてもらいますが、小父様の剣技は、一度見切ったからと言って通用する程甘くはありません。よって、この勝利は貴方自身の力でもぎ取ったものです。小父様の言う通り、誇りに思って下さい」
これでも得心がいきませんか? と眉を下げて困った風に小首を傾げられる。
世話好きな所は変わらないなあ、と、記憶の中にある幼馴染みの少女と重ねながら、ユージオも諦めたように微笑み返す。
だが、そんな安堵の時間も束の間に、話は思わぬ方向へと転がっていく。
「しっかし、遂に負けちまったなぁ……正式な立ち合いの下で俺が負けちまったとなると、騎士長の座は明け渡さにゃならん」
突然、その剛毅な体を大仰に、妙に芝居がかった動きで惜しがりだした騎士長に、ユージオとアリスが目を丸くする。
「……はい?」
「オレに勝ったお前さんは、今日から騎士長って事だな」
ベルクーリは、実に良い笑顔をしていた。残念そうな素振りなど微塵もない。荷が下りたとばかりに肩を回してさえいる。
だが、そこに実際的な効力は存在するのだろうか。
ユージオは、既にこの世界のありとあらゆる法を自らの意志で背く事ができる。
整合騎士は元々禁忌目録に縛られない存在ではあるが、教会においての上位存在である最高司祭といった面々には逆らう事ができない。
それすら、ユージオの前には無意味だ。
だからといって、理由や信念を持たず法に逆らおうとは、ユージオも少したりとも思ってはいなかった。そういう決まりであれば、諾々と従う準備はある。
本音としては、そんなものは絶対にやりたくないのだが。
アリスも、そんなユージオの意を汲んでか……いや、異なる意図であることは明白であるが、騎士長の横暴に反駁した。
「お、小父様! それは単なる口約束に過ぎないのでは────」
「っと、そういう規則で間違いなかったですかね、猊下」
望外の援軍であったが、そこはやはり、整合騎士長ベルクーリ・シンセシス・ワン。機先を制して、傍で眺めていた最高司祭を巻き込んだ。
その時点で、ユージオは内心で降参を宣言した。
これが、今もなお眠りこけている
ユージオの絶望をよそに、最高司祭は指先で髪を弄ぶのをやめて、やれやれと肩を竦めた。
「間違いも何も、お前が私に制定させたのでしょう。内容くらい憶えておきなさいよ。『騎士団則第三条第一項──最高司祭、元老長又は上位整合騎士の監督する立合において、決闘者が決闘者自身より上位の整合騎士に勝利した場合、上位の整合騎士が保有する位を一年以内に譲受する義務を有する』。要するに、ユージオはどんなに長くても一年後には、騎士長になる義務を背負ったのよ」
一年の猶予。この事はある種の驚きでもって受け止められた。それすなわち……
──それを、先に教えて欲しかったなあ
という、その一言に尽きてしまう。
長年騎士長を務め上げてきた豪傑、ベルクーリからその座を引き継ぐのだ。一回決闘に勝ったからといって、他の整合騎士に認めてもらえるとは全く思っていない。
もし、自分がこのまま騎士長になったのであれば。人望も無く、経験も浅い騎士に何ができようか。騎士達を統制する事はかなわず、指揮系統は混乱し、暗黒界軍の大多数の軍勢に呑み込まれる結末があるだけ。
騎士達が真に信じ恃む相手はベルクーリであって、騎士長ではないからだ。
「俺とて、任された仕事を放って押し付ける様な真似はせんさ。当座はオレが預かって、戦後の後始末を終えたら、騎士長になって欲しいと思ってる」
ユージオとしても、引き継ぎの時期はそのあたりが妥当だという考えだ。
だが、それでも解せない。
適任は他にもいるはずだと、そう思うのだ。
「……そうまでして、整合騎士になって日の浅い僕を、騎士長に?」
「おう。お前さんは、間違いなくあの猊下をも制するに足る力を持っている。それだけで、オレぁもう頭も上がんねぇぜ」
どうして自分であるかという疑問への、満足のいく答えは得られなかった。
ただ、英雄でもあったベルクーリがここまで言うのだ。
自分に何か、特別なものを感じているというのなら、やってみなければ分からない。
ただの木こりが、剣士となれたように。
「力の限りを尽くすと、お約束します」
「何もそこまで固くなる事はねぇさ。ただ……そうだな。お前さんにそう言われて、ホッとしたよ。頼むぜ、次期騎士長」
「……はい!」
騎士礼をとると、多大なる責任感を胸に抱いた。
「……キリトと共に滅ぶか、それともキリトと共に世界を駆け巡るか。ユージオがどちらを選ぶのかは見ものね」
「クィネラ様も人が悪いですね。あちら側へ行かせるどころか、人界に縛り付けるとは」
「分かってないわね……キリユジの眺め方ってものがあるでしょ?」
「……畜生の自覚はありますか?」
「ふ、ふぐぅ……!」
だってしょうがないじゃん……!!
○ ✕ △ □
それから月日は巡り、7月。
ユージオは、《暁星の望楼》にあるテーブルを四人で囲みながら、その唐突過ぎる話に疑問を呈した。
「ルーリッドへ? それは北方への任務、ということですか」
「うーん……任務より、まだ帰省って言った方が正確ね」
「帰省!? 最高司祭さま、本当なの!?」
最高司祭の言葉の意味が、ユージオには解らなかった。
帰省、というのは実家に帰る事というのは解る。
しかし、大戦も迫るこの頃になって帰省というのは、順序を間違えているのではないか。
「どうして、この時期に?」
「それは、私の発言が発端です……」
そう切り出した騎士アリスは、経緯を説明した。
経緯といっても大層なものではなく、騎士アリスが、大戦に行く前にアリスの家族を一目見たいと、最高司祭に申し出た事がキッカケだった。
それを、最高司祭は「それならキリトとユージオ、あともう一人のアリスちゃんを連れて四ヶ月くらいルーリッド村で暮らしなさい」という形にして認めたのだという。
いきさつを聞いても、ユージオはさっぱりと理解できなかった。
最高司祭の考えにしては、あまりに合理性を欠いている。ユージオ達が、明らかにしていない目的があるという結論に至るのは自然な流れだった。
「……ルーリッドで、何か起こるの?」
術師アリスが真剣な様子で尋ねれば、最高司祭はあっさりと「ええ」と肯定を口にした。
「開戦までの四ヶ月の間に、恐らくルーリッド村はダークテリトリーの襲撃を受けるわ」
故郷への襲撃。
ただ淡々と事実を告げられただけに、それをすんなりと受け止めるには、あまりに事が大きすぎた。
そもそも、北にある洞窟は整合騎士が監視しているのだから、村を襲撃できるほどの大群が入り込むとは考えにくい。そんな事は有り得ないのではないか。
思考する内に幾ばくかの冷静さを取り戻していると、酷く狼狽したアリスが勢いのまま立ち上がって、最高司祭に詰め寄った。
「ルーリッドが、襲撃……? う、嘘……どうして、そんな」
「理由は定かではないわ。この神聖術は万能じゃないし、予測が外れた事もある。でも可能性が示された以上、放置するわけにもいかないの。……そういう訳で、丁度良い面子が揃ってたから、帰省も兼ねて、暫く様子を見てきてほしいってわけ」
可能性。なんと危うい言葉なのだろう。これならば、確実と言われた方がまだ良かった。いつ来るかも、そもそも来るのかさえ分からない敵に神経を擦り減らされては、帰省どころではない。
「人界に侵入したかどうかは、元老院を使って逐一確認させるわ。反応があれば、カーディナルの使い魔を通して報せるから、それまではルーリッド村でのんびりしていいわよ」
あっけらかんと言ってのける最高司祭に、騎士アリスが気まずそうに目を逸らした。
「その、使い魔を付けてくださるのは有り難いのですが、最高司祭様の話を聞いてしまった後で、気楽になれというのは……」
「でも、事前に聞かされずに襲われる方が嫌じゃない? それで救えなかった人が居たら、私も寝覚めが悪いし」
これが返す言葉無き正論であるのは、論を俟たないであろう。
「まあ、暮らしてる内に緊張も解けるでしょ。私からの連絡が来たら、その時に気を張り詰めればいいの」
「…………ずっと思ってたんだけど、最高司祭様って、結構無茶振り言うわよね」
「だって、最高司祭だもの。この世で一番偉いのは私なのよ?」
「横暴だぁ……」
その流れのまま、緊急の茶会は解散と相成った。
○ ✕ △ □
「……あれが、ルーリッド」
「うわぁ、懐かしい〜!!」
隣の雨縁に乗るアリスが景色に見入る中、自分に与えられた飛竜、
四ヶ月。それがルーリッドに滞在しなくてはならない期間だ。しかもその間、最大戦力の一角であるアリスまでもが央都に不在となる。
問題は山積みだ。防衛の為とは言え、自分達だけこんな事をして良いのだろうかと、央都に残る面々を思い出し、申し訳無さと不安を感じていた。
だが、直前には騎士長ベルクーリにまで背中を押されている。
『お前さんらだけに任せっきりにしたつもりは無いぜ? お前さんらを北方に配属すりゃあ、元々いた整合騎士が戻って来るからな。大した問題にゃならんさ。気にせず行って来い、次期団長サマ』
いや、一番この事を申し訳なく思っているのは、アリスらの方だろう。
自分が、毅然と構えていなければ。
却って彼女達を不安にさせてしまう事は、あってはならない。
「ユージオ、何だか元気無さそうね」
「そ、そうかな……まあ、こんなに長く飛竜に乗るのは初めてだからかな」
「私は慣れてるわ。縄で吊るされたまま運ばれたりしたら、ユージオも疲れ知らずになれるわよ?」
「うぐ……そ、それはちょっと……ね」
さらりと自分の心の傷を抉られる。
本人がどうとも思っていないのも、ユージオの気分を落ち込ませる事に拍車を掛けた。
(僕が……皆を守らないと)
ルーリッド近郊の森に飛竜を下ろすと、車椅子を組み立ててキリトを乗せて、短くは無い道程を歩いた。
その道中、見知った顔を何度も見かけ、声を掛けられた。
ルーリッドの開拓地はそこそこの広さがあるとはいえ、村という規模である以上、知らない人は居ない。
「おお、ユージオじゃあないか。また大きくなったなあ……」
「お久しぶりです、バルコーさん」
農夫であるバルコーは、ユージオが子供の頃世話になった一人だ。
広い麦畑を持っており、時期が来ると麦踏みと称して広い農園をユージオ達に貸し出し、ついでに同年代の息子と遊ばせていた。
懐かしい記憶に思いを馳せつつも、ユージオは体を退け、後ろにいた三人に視線を向ける。
バルコーは順々に顔を見ていく。
車椅子に乗ったキリトだが、数ヶ月いた話だけ聞いていて面識は無いので──ラースの記憶処理によって昔の記憶忘れているだけだが──怪訝な顔をするだけだったが、並んだ二人の金髪の少女を見比べて、有り得ないものを見た顔をした。
「……お、おいおい、もしかしてお前さん、アリスか!?」
「あら、ちゃんと覚えてくれたのね、麦扱きバルコーさん!」
「俺はいつも麦を収穫してる訳じゃ……って、その前に教えてくれ。そっちの……アリスと瓜二つの姉ちゃんは誰なんだ?」
騎士アリスが息を呑んだ音が、ユージオの耳にもよく聞こえた。
元々はアリス・ツーベルクから派生した存在とは言え、彼女自身に村長やサディナさんとの繋がりは無い。
アリス・ツーベルクの事を指して言っているのならば、二人というのは適切ではないだろう。
「私は……」
「この子はアリス。アリス・シンセシス・サーティ。姉って言ってもいいくらい私とほとんど同じね。最高司祭様が、私をもう一人作った? みたいなものだし」
「ほほぉ、最高司祭様の御業か! そりゃおったまげたなあ……」
「待って下さい! それでは、少し語弊があります」
特に、騎士アリスは、元のアリスに強い罪悪感のようなものを感じているのが見て取れる。
今はこうして分かれたが、しばらく身体を奪っていたのと同義だったのだ。そんな己がアリスと同じであるというのは、あまりに烏滸がましいのだと。
ユージオはその心情は汲み取りつつも、ひとまずは納得してもらうよう諭した。
「アリス。そこは多分、説明しても難しいよ。アリスとしては別人なのかもしれないけど、最高司祭様によって、アリスが二人に分かれたのは事実なんだから」
「ま、俺じゃよく分からんがな。これから宜しく頼むぜ、アリスの姉ちゃん」
「……はい」
アリスはなんとも不満げな顔を浮かべているが、こればかりは説明が非常に難しい。大抵の民は、最高司祭の思し召しなのだと言えば納得してくれるので、詳しく説明するだけ無駄だというのもあるが。
だから、帰郷に際しての大した問題というものは、一つしかない。
「さぁて、あと最後に聞いておきたいんだが……アリス、お前は罪を赦されたって事でいいのか?」
アリスの禁忌目録違反。
これがどうなったかの説明も無しに生活をするのは困難を極める。
だから、手っ取り早い方法をアドミニストレータは用意した。
少女アリスが鞄から取り出した、二枚の文書。
最後の署名を、〝最高司祭アドミニストレータ〟で締めくくられたそれは、端的に『アリス・ツーベルクの罪が清算された証をここに記す』とあり、天職を正式な修道女とするという内容も一緒にされた、アリスの身分を確約する書類だった。
「こいつはすげぇ、最高司祭様自らお書きになった字じゃねえか……庶民の俺じゃお目にもかかれねぇ代物だ。いやぁ、良いもん見せてもらったぜ!」
「もう、私の事より最高司祭様の方が気になっちゃってるじゃない。私、ちゃんと罪もなくなって、見習いじゃない修道女になったんだからね!」
「おおっと、悪い悪い。おめでとさん、アリス」
それから、ユージオとキリト、騎士アリスを見やりながら、バルコーはニカッと爽やかに笑った。
「ルーリッドに戻ってくれて嬉しいぞ。……おかえり」
ルーリッドは、小高い丘の上にある村だ。村外縁部の道を歩いていると、自然と村への来訪者に気付くこともある。
それが、衛士なら、なおさらよく見えるのだ。
ユージオ達がいざ丘を上がろうとすると、門に併設された小屋を飛び出して、一人の青年が走ってくる。
衛士長ジンク。ユージオにとっては昔馴染みの、何かと突っ掛かられる事の多かったその少年は、少しばかり精悍になった顔付きを思い切り顰めながら、息を切らして下りてきた。
「はっ、はぁっ……! てめぇ……ユージオか……!」
「やあ、ジンク。もう三年ぶりだね」
「この野郎……剣士になるとか言っておいて、おめおめと逃げ帰ってきたな」
そう勘違いするのも無理はないと思うが、ユージオはなんと説明すればいいのか戸惑った。
こっちには、統一大会で誰々が優勝したとか、そういう央都の新聞が流れてきていないのは、元々村に住んでいたユージオだから良く知っている。剣士どころか、もう整合騎士になっているとはつゆにも思っているまい。
整合騎士についてはあまり言い触らしたいものでもないのだが、茫然自失のまま動かなくなったキリトの事を説明するには、相応の戦いがあった事を言わなくてはならないだろう。
外套を脱ごうと留め具に手を掛けたユージオの手に、アリスの手が乗せられる。
ユージオの前まで出て来ると、両手を腰に当てて、少し前のめりになって顔を突き合わせた。
「全く、貴方っていつもそんな口しか叩け無いのね。幼いときから何も進歩が無いじゃないの」
「お、お前……!?」
先程まで顔を赤くして、蔑むような目をしてきたジンクが、途端に幽鬼とでも遭遇したかの如く顔を真っ青に反転させた。
「ひっ……!?」
そしてその背後に佇む、眼の前の幼馴染と同じ色をした蒼穹の眼に視線が合う。
二対の蒼き眼に見詰められると、ジンクはとうとう、ふらりと足の支えを崩して尻餅をついた。
あまりに情けない様子に、真っ向から反抗してやろうかと気勢を張っていたアリスも肩を竦める。
倒れたジンクの前で膝を折って、視線を合わせると、ぶっきらぼうに要件だけを伝えた。
「アリス・ツーベルクが帰ってきたって、お父様に伝えてちょうだい。あと、最高司祭様からの書状もあるって」
「な、なっ……ち、ちょっと待っていろ! 勝手に村に入ったら許さんからな!」
手足をじたばたとさせて、低い姿勢のまま体を投げ出すように走り出していった。
いくら禁忌目録違反で捕まったとはいえ、まるで恐ろしい魔物のような扱いを受けたアリスの目尻がピクピクと震えた。放置すれば、後でジンクは一発でも貰いそうだ。
「……やはり、私が居るようでは、村人達に余計な混乱を招きそうですが」
「それくらいいいのよ。それに、アリスが二人いるって、村のみんなが驚く顔が見てみたいわ!」
「それだと、みんな腰抜かしちゃうと思うなあ」
しかし、二人のアリスの存在は、ここに滞在する上で秘匿のしようがない。ツーベルク夫妻に告げるだけでは済まされないだろう。
ルーリッドの門の前で暫く待ち惚けを食らっていると、髭を揃え短く髪を刈り上げた壮年の男性が、ジンクや他の衛士を伴って現れた。
ユージオとキリトに少し目を合わせた後、背丈の違う二人のアリスの姿を見つけ、僅かに眉を揺らす。
視線を戻し、先頭に立つユージオに問い掛ける。
「……ユージオと、迷い子たるキリトに相違無いな」
「はい。お久しぶりです、ガスフト村長」
「……その彼は、どうした」
その話題を切り出されるかは五分五分だと思っていたが、追及は免れなかったようだ。だが、いずれは話す事になる。
周りに居るのは、村長と衛士のみ。今なら、順序が早まっても多少問題は無いだろう。
「僕とキリトは、天職を貰った後、四帝国統一神前大会で優勝し、整合騎士として叙任され、それぞれユージオ・シンセシス・サーティツー、キリト・シンセシス・サーティスリーとなりました。キリトは整合騎士の任務中に治療が困難な怪我をしたため、この様な状態になっています」
ざわ、と複数の身動ぎや息遣いが聞こえてきたのは、当然の反応だった。
田舎の村の出身が整合騎士など、異例も異例だ。
誰もが夢見て、破れる夢……それが整合騎士なのだから。
だが、ここまで大事となってしまったからには、明かすしかなかった。
「ユージオが、整合騎士だと……? お前が、誇り高き公理教会の整合騎士になんて、そんな」
「ジンク、やめるんだ」
他の衛士がジンクを諌めたが、視線はユージオに集まっていた。
絶対的な権力たる公理教会の整合騎士の名を騙れる人間は、存在しない。何故なら、それこそが禁忌目録違反なのだからだ。
つまり整合騎士を名乗った時点で、それは間違いでも何でもない本物であると、彼らはそう考えるしか無いのだ。ジンクはただ単に現実を受け止めきれていないだけに過ぎない。
例外として、封印を破り禁忌目録に縛られなくなったユージオではあるが、騎士として叙任されたのは事実。
外套を外せば、騎士の証たる公理教会の象徴が刻まれた鎧が現れた。
それを見れば、誰がどう見ても騎士そのものにしか見えない。
衛士達に混ざってジンクも、この時ばかりはまじまじと、教会の騎士鎧を憧れの眼差しで眺めていた。。
「……失礼致しました、整合騎士殿」
「今は普通に接して下さい、村長。戦時であれば、その様に振る舞っていただけると有難いですが……」
「………………分かった」
む、と口を閉ざしたガスフトは、一瞬迷った素振りを見せると、長い溜めの末に頷いた。
ガスフト村長とも、アリスの繋がりで長い付き合いだったが故に、整合騎士という身分で距離を置かれるのは辛いものがある。
それに、これくらいで距離を置かれてしまっては仕方ないのだから。
「今日の本題は、他でもありません。……この二人をルーリッドまで連れてくる為に、僕はここに来ました」
背後にちらと目配せをすると、彼女らの顔は強張った。
片や、顔も名前も知らない本物の親との対面であり、片や罪人として捕らわれ、七年ぶりの帰郷。
安心する暇など微塵もない。ただ、固唾を呑んで裁定を待つのみなのだから。
「……説明を、してくれないか」
「はい。最高司祭様より文書を頂いてきました。そちらを見ていただければ」
「っ……見せてくれ」
ガスフトが丹念に目を通す様を、無言で見守る。
一時、眉間を揉みほぐすような仕草をしながらも、文書を丸く畳んで、片膝と拳を地面に突く。
「このガスフト・ツーベルク。最高司祭様のお言葉、確かに拝命いたしました。この天命に代えても、必ず使命を果たしましょう」
「……僕からは以上です。お互いに積もる話もありますが、ここで立ち話も何でしょう。取り敢えず、村の中に入りませんか」
ユージオの促しに、ひとまず応えると、一行は村の広場へと向かっていった。
ほどなくして、村長の呼び掛けで村民が集められた。
緊急集会との触れに、緊張と不安が高まっていく。
「皆の衆、聞け!! 央都より、整合騎士殿が参られた。この御三方だ」
整合騎士。またあの日の再来かと、顔を強張らせた村民たちに、彼らの姿は鮮烈に映った。
「ええと……ユージオです。今年、こちらのキリトと二人で整合騎士として、シンセシスの名を拝命しました。……久方ぶりですが、いつも通りに接してください」
「アリス・シンセシス・サーティです。……その、よろしくお願いします」
驚くのも無理はない。ルーリッドなどという小さい村から、迷い子含め整合騎士が三人も現れたのだ。
しかし疑問もあった。
なぜ大罪を犯したアリスが、整合騎士となっているのか。
「どういう事だ」
「教会から説明は無いのかね」
こうなる事は予想の範疇。
疑問が膨らみきる前に、ガスフトは畳み掛けるように弁舌を広げた。
「そして、一人のルーリッドの民が、禁忌目録の大罪を雪ぎ、この地に戻ることを最高司祭様より赦された。……我が娘、アリス・ツーベルクだ」
ユージオの側に控えていたローブの人物の顔が露になると、ざわめきは更に広がりを見せた。
「みんな久しぶりね。意外と変わってなさそうで安心したわ」
壇上に、アリスが二人。
まるで双子かのように、瓜二つの見た目をしているのだ。村民たちは全く理解が及ばなかった。
「……整合騎士のアリス殿は、我が娘から最高司祭が生み出されたという。だが、同じ様に接してほしいと、最高司祭様より仰せつかっている。どうか、受け入れてはもらえないか」
「うーむ、よく分からんのだが、別人なのか?」
「ああ、そういう認識で構わない」
すると、村民は「なんだ別人か」と何の疑いもなく認めてしまった。
最高司祭、という名前がある為であることは、ユージオにも簡単に察することができた。
上位者の言う事を盲目的に理解するのが当たり前で、自分も一年前まではその立場にあったのだ。だから、その力がどれ程のものか、身を以て知っている。
その特性を最もよく理解しているのが、最高司祭なのだ。
ここまでの流れを全て予期していたに違いない。
「まだ伝え切れていない者にも後ほど説明を行う為、村民間で呼び掛けをしておいてほしい。では、今日はこれにて……解散!」
紆余曲折はあったが、ひとまずルーリッドに受け入れられる事となった。
○ ✕ △ □
「……ユージオ、よね」
ツーベルク家に招かれて、一時間ほどか。
セルカが、教会の勤めを終えて戻ってきた。
集会の時、その場に来れなかったようだが、情報は伝わっているのが言外にも伝わってきた。
その沈痛な表情が、一体誰の事を考えているかすらも。
「……キリトは、どうしたの? 何があったの?」
把手を握る手が、僅かに強まる。
ユージオの背で隠れていた車椅子を、セルカの前まで転がした。
「……う、そ……どうして、こんな」
片腕は無く、目は虚ろ。
セルカは咄嗟に口を押さえ、目を潤ませた。
「戦いが、あったんだ。整合騎士が三人いても勝てないような、強大な相手と戦って……それで」
「嘘よ! キリトはあんなに強いのに! 闇の軍勢にだって負けないくらい、強くて、格好良くて……」
車椅子の前で膝を屈して、キリトの胸に涙を押し付ける。
姉が帰ってきたことよりも、キリトの事を気に掛けてくれる。
複雑な気持ちではあったが、この村にとってベクタの迷子でしかなかったキリトを話題にする者はほとんど居なかった。
キリトの事を慮ってくれたのは、セルカただ一人だけ。
それでも、セルカが悲しんでくれる事に、キリトの親友としてこれ以上無い喜びと、同時に悔しさと申し訳無さが心を埋め尽くした。
「僕が、不甲斐なかったんだ……」
非は無いと、アドミニストレータも言っていた。あれは外の者による攻撃で、遅かれ早かれ訪れていた運命なのだと。
だが、あの戦いで最後に頼ってしまった。最後の最後に、彼に委ねてしまった。
それが、何よりも自分の非力さを痛感させられて、悔しかったのだ。
「────それは、決して貴方だけの責任ではありません」
振り向くと、修道服姿のアリスが、邸宅から出てきた所だった。
「私もあの戦いで、最高司祭様とキリトの熾烈な斬り結びをただ傍観するだけで……私は何一つ成せませんでした。頼ってばかりだったというのなら、同罪です」
アリスは目を伏せる。時にキリトさえを上回る剣力を発揮する彼女でさえ、ソードゴーレムや最高司祭には太刀打ちできなかった。
そんな二人に比べて、ユージオは剣を持ち始めて四年も経っていない。
だからこそ、剣人一体という無謀な賭けに出ようと思えたが、あのまま一人で最高司祭に立ち向かっていれば、きっと勝敗は分からなかった。
「違う、そんな事はない! 僕は一時でも、誘惑に負けたんだ! アリスは秘儀を受けながら、自力で封印を破ったじゃないか……だから僕もキリトも、最高司祭様に歯向かって戦えた。君はとっくに、戦う事以上に大事な事を、成し遂げている」
ユージオは強く反駁した。キリトやアリスと比べて、自分は何かできたのだろうか。覚悟が決まるのが誰よりも遅く、あまつさえ親友に刃を向けた。ユージオにとって誇れる事は何もなかった。
互いに沈黙の渦に落ちていく。
本当は、優劣、功罪なんて測れるものじゃないのだろう。
そうとは分かっていても、自責の念が胸につっかえてしまう。
そんな二人を見てか、セルカは泣き腫らした目を拭いながら、二人を両手で抱え込んだ。
「ユージオと姉さまが、どんなに苦しい思いをしたのかなんて、私には想像もつかないわ……でも、でもね……! ずっと、私、約束通りに三人が帰ってこなかったらって思って、怖くてっ……!」
ハッと息が詰まる。
全員が死なずに済んだのは、分の悪い賭けに勝ったから為であり、何かを踏み違えていれば、少なくともユージオ自身は助かっていなかった予感があった。
出立の前、セルカに「三人で帰ってくる」と約束したというのに、それを守れなかったかもしれなかったのだ。
「……みんな居なくなっちゃったら、もう、私はっ」
「────セルカ」
結果論でしかないとは思っている。キリトをこの様な重体にしておきながら、自分達だけ無事だった事に、並々ならない後悔も渦巻いている。
アリスも、ユージオも、これで良かったなどと言い張る事は許さないし、許されないとも思う。
それでも、今は言いたかった。
「僕達は、ここにいるから……」
「どれほど時間が掛かろうとも、キリトは必ず治します。公理教会の名に賭けて、必ず。だから……」
心配は要らないし、怖れることもない。
言い聞かせるようにセルカを抱き締め返すと、その嗚咽は段々強くなっていく。
「えぅ……っ! よ゛かっだ、よお……!!」
「ごめん。ごめんよ、セルカ……」
ぽんぽんと背中を叩いていると、開いている扉からひょっこり覗き込んでくる顔が一つ。
青空のようなエプロンに似合う天真爛漫な笑顔は無く、どこか淋しげな表情をしている。
「……セルカ」
「グスッ……どうしたの、姉さま……」
「あっ、いえ、私ではなくて、ですね……」
えっ、とセルカの嗚咽が止まって、真っ赤になった顔で二人の胸元を離れる。
そこには、姉が居た。
怜悧な面立ちも淑やかさも微塵もなく、代わりに明朗快活という言葉の似合う、とてもよく見慣れた顔が。
「……ひ、久しぶり。大きくなったのね」
「姉さまが、二人……?」
「あれ、シスターアザリヤから聞かされていなかったのかい?」
その十秒後、ツーベルク邸の前で、素っ頓狂な叫びが響き渡った。
「生き別れの双子の姉……う、うーん……?」
「はは、やはり戸惑っているな、セルカ」
二人の姿を頭の中で思い浮かべてみているのか、セルカは唸りながら首を右に左に傾げる。
それもそのはずだ。当に見た目は瓜二つであるが、本来の姉であるアリス・ツーベルクの方は、お転婆気質が抜けきっておらず、どこか幼い印象も見受けられる。
対してアリス・シンセシス・サーティは、本当に同一人物だったのかと疑うほどに自分にも厳しい人物で、凛とした佇まいがこれ以上に無いほど相応しい女性になっている。こちらが姉と言われた方が信じられるというものだ。
「ふふっ! だって、私達の娘が増えたってことでしょう? これ程喜ばしい事はないわね〜!」
「そうそう。お母様の言う通り、深い事は考えなければ大丈夫よ!」
「大丈夫じゃないわよ! 姉さまはいつまで経っても適当なんだから!」
そんな中、おずおずと上がる手が一つ。
一家団欒の中で、肩身を狭そうにしていた騎士アリスは、一様に首を傾げるツーベルク一家に提案を持ち出した。
「あの……私が居ると、話がややこしくなるだけでしょう。私だけでも、別の場所に移る方が良いと思うのですが」
「「「「それはダメ(だ)!」」」」
「そ、そうですか?」
当然というべきか、全会一致で否決された。
アリスには慣れない暮らしを強いられるだろうが、帰る家に、出迎えてくれる家族がいる事は支えになってくれる。
家族というものの大切さを、いつか理解してくれるはず───
『お願いだから、騒がないでちょうだい。ユージオは大人しくしてればいいの』
記憶が僅かに疼く。
遠い昔に、母親に向けられた視線。
今でも、自分の家族に会おうという気は起きなかった。
『お母さんはお兄ちゃん達の事で忙しいのよ。我慢して』
意志も弱く、あまり手の掛からない子供だったからだろう。兄達の事で、ユージオは二の次として放置されていた。父も母も、それを気に留める事無く、むしろ好都合にも思っていた気もする。
そんな一人ぼっちの気弱な男の子に、声を掛けてくれたのがキリトであり、アリスであった。
血の繋がりはあっても、心の底から家族とは思えない。それは今でもそうだ。だから、今更敢えて関わろうとも思わない。
でも、自分を大切に思ってくれる誰かがいるのなら。
そんな人が近くにいてくれる方が、良いに決まっていた。
「アリス。僕も、君は皆と暮らした方が良いと思うよ」
「ですが、それでは」
「私が迎え入れると言っているのだ、遠慮するな」
「そうよ。私にとっても、貴女は家族だと胸を張って言えるもの!」
「…………そこまで、言うのならば」
納得していない風ではあったが、アリスはガスフト達の熱意に根負けした。
「なら、早速お祝いの準備をしましょう! お母さん、張り切ってアップルパイを焼こうと思ってるのよ」
「なら、私もお母様を手伝うわ!」
「えっ、姉さまがやったら焦げるじゃない!」
「…………大丈夫よセルカ! 最高司祭様に教わったから!」
「怖いよ! ちょっとアリス姉さま! 姉さまを止めてください!」
「わ、私も焼き菓子はあまり得意ではないのですが……」
「こらこら。喧嘩してないで、早く生地を練ってちょうだいね」
四人が忙しなく台所を駆け回る様を見ていると、ユージオは途端に胸が熱くなった。
「キリト、見ているかい……」
今も、車椅子で沈黙を保ったままのキリトに呼び掛ける。
未だ意志のない瞳で茫洋と虚空を眺めていて、言葉にすらならない呻きが上がるだけだが、それでも、キリトの心は確かに眠っていると信じている。
「早く起きておくれよ、キリト。もう、僕は待ち切れないんだ」
────また三人……いや、これからは四人で、あの畦道を駆け巡りたい
叶うならと思っていたその願いを、今度こそ叶える為に。
○ ✕ △ □
「キリトは私が責任を持って世話をします」
「そ、そうかい?」
明くる日の朝に、騎士アリスはそんな事を言い出した。
「ユージオは、確か村の郊外に小屋を建てるのでしたよね」
「うん。ずっと村長の家に泊めてもらうのも申し訳無いし、両親も、多分僕の事を歓迎してくれないだろうから」
その小屋の為の建材が必要なので、今からガリッタ老人を訪れてようとしている所だった。
何せ、ユージオは木こりとはいえ、ギガスシダーしか刻んだ経験が無い。まずは丸太がどのように作られるかから知っていく必要があった。
「その間にキリトの世話をするのは大変でしょう。ここなら衣食住も用意できますし、セルカ達も居ますから」
「分かったよ。キリトの事、任せてもいいかな」
「ええ。是非、私に任せて下さい」
キリトを預けると、アリスはどこかホッとしていたようにも見えた。
アリスがキリトを見るその眼に、単に共闘した仲間という以上の感情がある事は、側に居たユージオが一番良く分かっていた。
複雑な気分ではあったが、公理教会に縛られ続けたアリスの幸せの為にも、何よりも優先されるべき事だ。
(起きたら、絶対驚くだろうなぁ)
何度も通い続けた道を眺め歩きながら、二人の幸せそうな姿を想像し、くすりと笑う。アリスにいきなり泣きつかれたりしたら、キリトとて、戸惑いのあまり硬直するに違いない。
盛られた土を台形に固めた道を歩き森に入っていくと、すぐにガリッタ老人の小屋に辿り着いた。
「……あっ、ガリッタじい!」
「……むぅ? おお、ユージオではないか。久しいな」
「三年ぶりだね。元気そうでよかったよ」
「なに、歳を取れば、人などそう変わらん。対して、お前さんは成長しておるようだ……」
「まあね。僕も今年で二十歳になるし」
「早いものよ。ギガスシダーが伐り倒されて、もう三年経ったとは思わなんだ」
ユージオですら、この三年が経つ時間の早さは、アリスが教会に連れ去られてからキリトに出会うまでの六年が何十倍にも長く感じられる程に濃密で、楽しくて、辛くて、悲しかった。
事情を説明すれば、快く道具を貸し出し、丸太の作り方から家の建て方まで、懇切丁寧に教えてくれた。ガリッタ老人から教わるのは、《刻み手》としての斧の振り方を教わっていた以来であり、ユージオには郷愁を強く感じさせた。
「樹皮はいっぺんに剥こうとしてはならん。場所をずらしながら、少しずつ剥いでいくのだ」
「はい」
「しかし、お前さんが木樵とは……これもまた、《刻み手》の因果かもしれないのう」
「でも、僕はもう《剣士》ですから」
「ほう? 確か《整合騎士》では無かったか?」
うぐ、と声が漏れた。ルーリッドから二キロル離れているとはいえ、たかが二キロルだ。情報は回ってきていたらしき。
「ガリッタじいも、知ってたんだ」
「ああ。アリスを取り戻した事も聞いておる。……よくやったな」
「……いえ。僕は、僕にできることをしたまでですから」
「素直に受け取らんか。セルカも、儂に大喜びして伝えに来たというのに」
ガリッタじいの情報の出所はセルカだったらしい。どおりで、回るのが早いと思った訳だ。
彼女ほど、アリスを想ってくれている人はいない。元々、僕達三人と仲の良かったガリッタじいに伝えようと思うのも、不思議ではなかった。
「だが、あの迷子の青年の事は……」
「キリトの事なら大丈夫だよ。きっと、またここに呼んでみせるから」
何もできず、ただ漠然と大丈夫としか言えない。今すぐ、自分にどうこうする事はできないのだ。
自分の無力さをまたしても痛感させられながら、ガリッタ老人に次の作業の教えを請うた。
一方、ツーベルク邸にて。
騎士アリスはむっと眉を曲げていた。同じく仁王立ちする少女を
「キリトは私と一緒に客間で休ませます。貴女の方には、自分の部屋があるのでしょう」
「む〜……アリスだけズルいわ。私だって、キリトのお世話したいのに」
「もう、二人共喧嘩しないの! キリトが困ってるわよ!」
これでは、どちらが姉かさえも分からない始末だ。だが、騎士アリスは一向に譲る気は無かった。
「ユージオから託されたのです。何も出来なかった私に、尚もこうして信じてくれたのです。せめてその信頼に報いなくては、私は、私が整合騎士たる理由すら見失ってしまいます……」
アリスの根底を縛り付ける無力感。それは、騎士アリスだけでなく、アリス・ツーベルクもよく知るところであった。
全てを諦めて、教会に連れ去られたあの時の感覚を、騎士アリスにまで味わって欲しくはない。
「そうね。……うん。キリトの事は、任せたわ」
「すみません。これが、今の私がやるべき事なのです」
仕方ないのだと、そう自分に言い聞かせて。
「ふー、ふー……キリト、はい、あーん」
食事の時も、
「キリト、腕を上げてくれる? そう、そのままで……よくできたわね。偉いわ」
着替えの時も、
「こ、これはあくまで身体を洗っているだけよ……そう、洗っているだけ……キリトも起きている訳じゃないし、大丈夫……よね?」
「いや駄目でしょ!!」
「あ、アリス!? こ、これには訳がありまして……」
湯浴みの時も、
「アリス、もう朝の5時半よ! 起きなさ────えっ」
「ふぁ……あぁ……キリト、もう朝の時間よ。早く起きないと……」
寝る時ですら、片時も離れようとしない様を見せつけられても、アリスは耐えていた。
というか、さっきのは完全に騎士アリスがキリトに抱き着いていた。まるで抱き枕みたいに。しかも髪の毛に顔を埋める始末だ。
距離感がおかしいのだ。母サディナは微笑ましそうに見ているものの、父ガスフトは、年頃の自分の娘が、何処の馬の骨とも知れない迷い子の男とベッタリしているのをまざまざと見せられて、いつも複雑そうな顔をしている。
その通りだと言わざるを得ない。
とはいえ、アリスはキリトが好きなのかというとそう言うわけでは無いのだが、なんだかこう、憤懣遣る方無いというか、端的に言うと、めっっっっちゃムカつくのである。
四六時中介護もといイチャイチャを見せられて、自分のような年頃の女の子は耐えられないだろう……
「ねぇねぇ、アリス姉さま! 今日は私が車椅子押していっていい?」
「ええ。でも、剣が重いから足許に注意して行くのよ」
「はーい!」
むしろ、そこに割って入っていくのがセルカだった。
妹の逞しさに、アリスは置いていかれた気分になった。
そんなアリスの不機嫌を、騎士アリスも何となく察してはいる。
キリトと一つ屋根の下で暮らしながらも、騎士アリスはキリトに抱いている想いに、ハッキリと名前を付けてはいない。
だが、それがアリス・ツーベルクの想いと同種のものである事は理解しているつもりだった。
「…………アリス」
「なによ」
むすーっと、不満を溜め込んだほっぺたを見て、アリスは仄かに笑う。
「貴女も、キリトに散歩をさせてあげてください」
「……い、いいの?」
「何も、独り占めをするつもりは無いのです」
「嘘ね!」
「う、嘘じゃありません!」
「本当に?」
「う、うぐ……」
アリスに、その揺るぎない青空の瞳でじぃっと見つめられると、騎士アリスは肩を落とし、息をはぁっと吐いた。
「……下心は、ありました」
「ふーん……じゃあキリトの事、好きなの?」
「〜〜っ! す、好きだとか、そういう問題では……!」
「じゃあ私がキリトを貰うわ。村にいた頃からずっと好きだったもの」
「そ、それは駄目です!」
「どうして駄目なのかしら」
「……だ、駄目と言ったら駄目なのです」
自分がどんどん愚かしい存在に身を窶していくのを、しかし騎士アリスは止められなかった。
引け目もある。負い目もある。だというのに、なぜこうも意固地になれるのか。
騎士アリスは、この恩人にして後輩を、大切に思っている。ユージオが任務で不在の時は自分が世話をしていたし、あの一戦以来、アリスはキリトに抱えきれない程の想いを溜め込んできたのだ。
アリス・ツーベルクにさえも、キリトを奪われるのは嫌なのだ。
「…………そっかぁ」
駄々を捏ねる騎士アリスの姿を見て、アリス・ツーベルクもまた、渦巻く感情に揺られていた。
騎士アリスは決して偽物などではない。まだこの世界に産まれ落ちて五年くらいの、一人の少女なのだ。
そんな彼女が吐き出した本物の言葉を、どうして否定できようか。
彼女が本気に想い、慕う相手が居る。あの堅物さからは考えもできないほど、アリスは進歩を見せている。
整合騎士とて一人の人間だ。本物とか偽物とか、そんなものは端から存在しない。
「キリトが起きたら、ちゃんと伝えるのよ。貴方が好きです、ってね」
「……ええ」
だから、お互いがお互いを認め合わなくては。
拒絶するだけでは、前には進めない。
「なら、貴女も。その気持ちをしっかりと、キリトに伝える事です。二人から迫られたら、キリトに逃げ場などありませんよ」
「ふふっ、あなたそんな悪戯っ子だったのね!」
正反対だと思っていた彼女の在り方が、自分と重なり合った。
それなら、彼女の考えにも、きっと共感できるはずだ。
「何せ、私は貴女の双子の姉ですから」
「そうそう! ……って、私の方がお姉さんよ!」
二人に青筋が浮かび上がる。
「しかし、実年齢では私が上ではありませんか」
「人界に来たのが五年前だから、まだアリスは五歳くらいでしょ!」
「む……セルカは、私の方がお姉さんらしいと言ってくれましたよ」
それを言われると弱かった。事実、セルカは騎士アリスにべったりなのである。年齢差も縮まってか、アリス・ツーベルクとセルカは何かと衝突が絶えず、姉としての振る舞いに欠いていたと言わざるを得ない。
その点、騎士アリスは幾つもの修羅場を潜り抜け、精神的に成熟している。どちらが姉らしいかは言うまでもなかった。
「ぐ、ぐぬぬ……今に見てなさい。私は立派な修道女になってみせるんだから!」
「ふふっ、精進することですね」
結局、二人でキリトを散歩へと連れだした。交代交代で車椅子を押し、時折言い合いながらも。
姉妹のように並んで歩くその姿に、ふらりとルーリッドに戻っていたユージオは密かに涙した。
ああ、生きてきて良かった……と。
この小説は、元々ユージオ生存ifが欲しかった書きなぐったものでした。でも原作者からの生存if供給にリコリスと増えてきたので、当初の目的から完全に逸脱しました。気が付けば他作品の影響で、アドミンもどきとオリキャラのラブコメになりましたし……()
続きがまた一年後になりませんようにと短冊に書いたので、多分きっとすぐ出ます(フラグ)