アドミン「なんとでもなるはずだ!」(本編には関係ありません)
sideクリスチャン
俺は物心ついた時から、自分が気味悪がられている事を悟った。
と言うのも、どうやら、自分はとある貴族の妾腹の子であり、望まれた子ではなかったのだ。
自分の母親という側室の妾は、息子そっちのけで父親だという貴族にベッタリとし、俺は幼少をただ一人のお世話係と共に過ごしてきた。
お世話係、というには彼女の存在はとても大きかった。彼女こそ、ただ純粋に愛情を注ぎ育ててくれる、俺の母親なのだと思った。
屋敷の殆どの人間から腫れ物扱いされてきた俺だが、暮らしぶりは至って平穏だった。文字通り、腫れ物なので、誰も相手にしようと思わない。それ故に、十分な暮らしが出来た。
だがその平穏は、正当な貴族の継承権を持つ嫡男の事故死によりたちまち崩れ去った。
貴族と正室の妻は、男に恵まれず、長男、長女、次女、三女、そして次男という家族構成になっていたのだ。そこから長男たる嫡男坊が消えると、その貴族を世襲する次男となるが、次男はまだ生まれて間もなく、貴族の父親は病に侵されていた。
そこで、側室の子であった俺に白羽の矢が立ったのだ。
あれよあれよという間に、急に母親面をしてくる妾の女に担ぎあげられ、血縁上の父親である貴族も、俺が貴族位を貰うことを渋々ながら了承していた。
それに反発したのは、正室の妻だった。俺が跡継ぎになる事を認めようとしなかったのだ。
側室と正室でお家騒動が勃発すると、正室は奸計を企て、俺を陥れようとあれこれ画策し、果てには寝込みを襲ってきた事もある。
神の定めたという禁忌目録さえ恐れぬ行動だった。だが、この紛争状態は思わぬ事態によって収束した。
その思わぬ事態とは、俺が家を飛び出した、という事だ。
普段であれば、俺は家を飛び出そうだなんて思わなかった。
お世話係……俺にとっての本当の母さんがいたからだ。母さんを置いていくことは出来なかった。
だが、正室の奴らは……母さんを手に掛けたのだ。正室の騎士が、錯乱状態になって荒ぶり、そのまま母さんを刺し殺した。
その時は正気を失った。怒りと悲しみでグチャグチャになって、剣を片手に正室の者共を斬り捨てた。
母さんから教えてもらった、敵を倒す事に特化した剣の技だった。母さんが言うには、ある一定の構えを取る事で、剣の技を出せるようになるらしい。
どうして知っているのか、それはついぞ知ることは出来なかったが……
剣の技は一般的なものではなかったので、面白いほど護衛が倒れていく。正室の妻を囲う護衛の兵の体を両断し、その血で塗れていた正室の妻に剣を突きつけた。
命乞いをしていたようだが、俺には羽虫が耳の近くで飛んでいるような鬱陶しさを感じて、呆気なく殺した。
そうやって殺し尽くした後に残ったのは、虚無感だった。禁忌を犯してまで殺したというのに、自己満足さえままならない。
俺は家を出た。どうせ、禁忌を犯した罪で追われる身なのだ。死に場所でも探そうかと、宛もなくぶらついた。
カセドラルを通り、北へ、北へ……
やがて開拓村に辿り着いて、そこで少しの間を過ごした。なんでも、英雄ベルクーリとやらが切り拓いた土地らしい。だが、当の英雄は開拓がある程度進むと、忽然と姿をくらましたらしい。
特に興味もなく聞いて、村を出ると、北にある洞窟へと向かった。
人界には、四方向にさらに外の世界、暗黒界へ繋がる場所があるのだという。
禁忌目録で、そこへ入る事は禁じられていたが、既に禁忌を犯してしまった俺には、どうでもいい事だ。
暫く、ひんやりする寒さの洞窟が続くと、突然開けた場所に繋がった。
そして、竜が一体、ここが寝床だと言わんばかりに丸まって寝ている。その後ろに金銀財宝が山のように積まれ、俺が知る竜の姿に最も近かった。
もし挑むとしたら、こんなボロ切れみたいな剣ではなく、竜の傍に落ちているあの氷のような剣を使いたい所だ。
だが、俺が求めるのは目の前の竜ではない。暗黒界──ダークテリトリーの住人達だ。
暗黒界には、とても強い魔物が棲んでいると母さんから聞いていたので、敵を求めて、暗黒界の土を踏んだ。
……だが、思ったように強い者は現れなかった。
暗黒界にいた緑の者共は知能が低く、総じて弱い。一人で村を壊滅出来るくらい、弱い。
豚のような人の種族は、人語を解する知能を持っていて、力もそれなりに強いものの、まるで技術がない。ただ単調に大きい剣を振りかぶっているだけだった。徒党を組まれると厄介だが、逆に言えばそれだけだった。
その内、剣の天命が尽きた。丈夫な剣も無くなり、徒手で蹴散らすが、未だに死に場所は見つからなかった。
そんな時、彼女は現れた。
4、5歳は年上だろうか。銀に近い薄紫の髪を持った、人界でも類稀な美貌を持つその少女は空を飛んでいて、恐らくは果ての山脈を術を使って越えてきたのだ。
地上にいた俺の存在に気付くと、降りて来て、突然剣を渡された。
即ち、戦えと。
その少女との戦いはこれまでに無いほど白熱した。剣の技抜きなら、きっと彼女の方が才能があるかもしれないし、神聖術まで使われては勝算は無かったに違いない。
だが、俺は技を構え、少女の剣を吹き飛ばした。
『疾空斬』という、急激に距離を詰めて振り下ろすこの技は、独特な構え方をする。距離を詰められて驚いた少女の首筋に、そのまま剣の切っ先を当てた。
すると、彼女はクスッと笑って両手を挙げた。
「参ったわ……ふふ、あなた、強いのね」
「……まあ、それなりには」
「初めまして。私は公理教会の神子、クィネラよ」
ピクっと、体が跳ねた気がした。今目の前にいる人物が、貴族を凌ぐ権力を持つ公理教会の最高権力者なのだと言われたからだろう。
「つまり、俺は禁忌を犯した罪で連行されるという事ですか」
「ふぅん、その歳でずいぶんと達観してるのね。禁忌を犯した者の中で、そんなあっさりとした反応はあなたが初めて。気に入ったわ。カセドラルの下で執事として働きなさい」
「は、はぁ……」
無論、俺は戸惑った。
公理教会は、禁忌に背いた者を赦さない。中央教会に連行されれば、待つのは死刑。二度と帰ることは出来ない。
そのはずなのに、目の前の最高権力者は神のお膝元で働けと宣っていた。
しかし、なんと言おうと、俺には従うという選択肢しか残されていないのは明白だったので、大人しく頷くと、転移の神聖術であっという間に央都に着いてしまった。
何をやらされるのやらと思えば、給仕に黒い執事用の服を着させられて、カセドラルの最上層に連れてこられて……
あっという間過ぎて理解が追いつかなったが、目の前にはクィネラ様がいた。
「まだ小さいけど、様になってるじゃない」
「……どうも」
敬語をまともに話したことがなくて、最小限の受け応えしかできない。
とりあえずペコりと頭を下げると、クィネラ様は「えー……」と、不満げに声を漏らしていた。
「あのねぇ〜、従者って言っても、ずーっと堅苦しかったら私まで肩が凝るのよ。敬語はいいけど、そんなビシッ! ってのはダメ。肩の力を抜いてリラックスなさい」
「……りらっくす?」
「あ……そうね、気を抜くとか、緩くするとかそんな意味の神聖語よ。じゃあ深呼吸して……そう、吸って〜、吐いて〜。肩の力抜いて、そのままの調子でこっちにいらっしゃい」
「……失礼します」
クィネラ様は、中央の寝台に腰掛けると、隣に座るよう指示してきたので、一礼して腰掛けた。
「……あ、そうそう。さっきも言ったけれど、あなたは私の従者。これから老衰で死ぬまで、身の回りのお世話とか、ちょっと仕事の負担とかさせるから、よろしくね?」
……いや、クィネラ様。なんでそれを今日会ったばかりの俺にさせるんですか。
心の中で、そう突っ込まずには居られなかった。
◯ ✖️ △ ◆
ここの所、三年近くクィネラ様の執事として公理教会で働いているが、クィネラ様を見ると謎が尽きない。
クィネラ様は完璧超人ではない。極たまにだが、うっかりをするのだ。
確認したのは、頭にぴょんぴょん跳ねた寝癖をつけて、可愛らしい寝間着のままセントラル下層の教会関係者のいる場所に降りようとした事、日記を書いている途中で涎を垂らしながら眠っていた事、四大貴族合同の式典の日に寝坊して重役出勤した事……
睡眠関連でやらかす所なんかは人間そのもので、神の神子という思い描いていた像が修復不可能なまでに壊された。
天にあるように手の届かない存在が、普通にいるような女の子みたいだった。不思議と親近感を覚えて、敬語ながらも気安い会話が出来るようになってきた気がする。
「ねぇクリスチャン、私凄く暇なんだけれど。何か遊びはないの?」
「……遊びではありませんが、鍛錬をなさっては?」
「……鍛錬? 何の?」
「クィネラ様の神聖術は極みにございますが、片手剣や両手剣、細剣、カタナ、体術といった近接においての戦い方では、経験も少ないでしょう。手慰みに如何かと」
そう提案すると、クィネラ様は顎に手を当てて少し思案した。
「……そうね。それは、また今度にするわ」
じゃあ、ババ抜きでもどうかしらと、クィネラ様が考案されたという、トランプという紙の札を使うゲームで俺を遊びに誘ってきた。
「……ご相伴に与ります」
考えるまでもなくそう言葉が出ていた。
こうやって、従者と遊ぶのだから、つくづくクィネラ様は謎めかしい。
◯ ✖️ △ ◆
俺がセントラルで働き始めて15年。
俺はもう、27歳になっていた。
相変わらず、クィネラ様は変わらない。ちょっとうっかり癖のある、可愛らしい人のままだった。
クィネラ様が言うには、天命の自然減少を凍結したことで年を取らなくなってしまったらしい。
そうやって、次第に時間を感じなくなったからか、カセドラルにこんな情報が舞い込んできた。
──神の神子を産んだ聖母フィアが、崩御なされた。
それを耳にしたクィネラ様は、カセドラルを飛び出して実家に帰り、その日のうちに、フラフラとした足取りで最上階に丸一日篭られた。
続いてその二年後には、セントリア領主、クィネラ様のお父上が亡くなったという報せが、カセドラル中に広まった。
無論、それを耳にしたクィネラ様は飛び出した。今度は、俺を同伴しながら。
セントリアの邸宅まで向かい、個室の寝台に横たわる、しっかりとした身体付きの老人がいた。クィネラ様の父上、バルトア様だ。
「……お、父様……」
近くに駆け寄り、膝を付いて、父親の手を両手で包み込むように握り締めた。
既に冷たくなっているであろうその手を、額にコツンとぶつける。そしてそのまま、僅かに鼻をすする音が響きながら動かなくなった。
バルトア様を囲んでいた使用人達が一斉に部屋から立ち去り始めているのを見ていると、一人の女中が俺に一礼して、懐からスっと白い封筒を手渡してきた。
「ご当主様より、クリスチャン様へ玉翰を預かっております。ご査収下さい」
「ありがとうございます。後に拝見させて頂きます」
軽く一礼すると、深く一礼を返されて、女中は部屋を後にした。
手紙は、俺も部屋を出てから読むか……
「……待ってっ」
ピクっと、扉を引いた手が跳ねる。
顔を向ければ、クィネラ様は、涙をツーと、とめどなく流した姿をさらしながらも、俺から視線さえも外そうとせずに、目で訴えてくる。
「……宜しいのですか」
コクリと、俯きがちになって、小さく頷いた。
その時のクィネラ様の姿は、あまりに苦しそうで……俺は、彼女の前で膝をついて、目線を合わせた。
ほかやっていることは、さながら幼子を慰める時のようだが、今のクィネラ様の精神状態はそれに近い。心が弱り、一時的に精神の逆行を引き起こしている。クィネラ様の場合はそれが特に起きやすく、二年前も、数日の間は、あの凛とした雰囲気を保てていなかったくらいだ。
不老のために自分の歳を意識することはなく、それに応じた心の在り方になっていく必要のない彼女にとっての唯一の心の変化だから……と勝手に推測しているが、果たしてどこまで合っているのやら。
「……何かあるのならば、私にどうぞ。いくらでも吐き出して下さい。ここには、私とクィネラ様と、お父上しかいないのですから」
彼女の目が見開かれ、涙に濡れた瞳が揺らめいたと同時に、あちこちに視線を泳がせる。
やがてその目を伏せれば、もごもごと口を開いた。
「……これから独り言ちる事は、全部横に流しなさい。聞いてたら、砂糖の壺に変えちゃうから」
ふわりと、沈丁花の匂いが鼻いっぱいに広がり、気付けば、クィネラの頭が胸元にあって。
前から寄りかかるみたいにして、握り拳を二つ、力なく胸板に叩き付けた。
「私、わたしね……っ! 歳なんか取らないくせに、全然、親不孝でっ……あんまり、会いに行けなくて……! 今年は、一回も会ってなくて……お父様も、一人で寂しい思いをされていたのに……大好きなチーズケーキも、焼いてあげられなかったの……っ!」
独り言というのは、自分の後悔を吐露したかったが為の方便で……
堪えるようにすすり泣いていたのに、声を上げて、何もかも吐き出すように慟哭していた。
ただ、何も知らない子供のように……何かを喪うことに悲嘆する彼女の背中を、俺はさすってやり、そっと慰めた。
もう何十年も生きているのに、言葉を発せられないくらい激しく泣くクィネラ様の姿を目の当たりにした俺の実感は、なんというべきか……腹にストンと落ちたような、ある種の安心感だった。
一時間くらいか……クィネラ様が泣き疲れて、すやすやと眠り始めていた。
すると、バルトア様が淡い光に包まれ、身体が神聖力の粒子となって窓の外に散っていく。
それはまるで、最後の最後まで娘を見届けていたように映った。
こうして二人残された部屋の中で、俺はやはり、と思った。
クィネラ様は、どうしようもなく、一人の女の子なのだ。
◯ ✖️ △ ◆
だが、彼女がある日、大規模な神聖術の行使によって倒れた後、こう名乗ったのだ。
「公理教会最高司祭、アドミニストレータである」
特に何かが大きく変わったという様子はない。ただ、一つ変化したのは……容赦がなくなったというか、手段を選ばなくなったとでも言うのだろう。
最も権力を持っていた大貴族四人を皇帝という座に着かせると、神聖術を遥かに超えた術で、セントリアごと人界を巨大な白亜の壁で四つに区分したのだ。
それぞれ、ノーランガルス北帝国、イスタバリエス東帝国、サザークロイス南帝国、ウェスダラス西帝国と名付け、それぞれの帝国に、達成が不可能に近い特別な天職を用意して、現地民を縛り付けるのだという。
これにより情報統制も、臣民の管理も格段にやりやすくなったが、あまりにも民のことを考えていない独り善がりな改革だった。
一体、クィネラ様はどういう考えなのか。
だと思ったら、途端に剣技の修練を始めた。随分と突飛な話だ。
前に剣を交えた時と、些かの衰えもない軽やかで美麗な剣術。俺は力で押すのも嫌いではないが、基本的に力を受け流し数手先を読みながら戦う剣士なので、同じ型を使うクィネラ様とは、勝負の趨勢がどのようになるか分かったものでは無い。
すると、彼女は剣を肩に置くような構えを取った。間違いなく、『疾空斬』だ。
一つの踏み込みで突進すると、そのまま虚空を斬り裂いて……一回転しながら頭からすっ転んだ。
まあ、体が引っ張られる感触というのはなかなか慣れるものでは無い。俺も『疾空斬』の修得には一ヶ月は掛かったものだ。
「──ぷぎゃっ!?」
「ブフッ……!」
い、いや、ぷきゃって……
あまりに可愛い悲鳴で、思わず口の中の空気を噴き出して、笑ってしまった。
しかし、これは失態である。
現に、クィネラ様がこちらの気配に気が付いていた。
「!? く、クリスチャン!? い、今の……見たわね?」
「……はい」
「〜〜〜っ!?」
渋々答えれば、みるみるうちに顔が赤く染まり、剣を床に突き刺して、その柄の上に両手を置いて顔を塞いだ。哀れ、クィネラ様……
また一つ醜態を重ねたクィネラ様を憐憫の目で見ていると、ピクリと、クィネラ様の震えが止まって、ゆらりと立ち上がった。
まさか、殴られでもするのだろうかと思っていると、何を思ったのか、窓の前に立った。
一体何を……と近付いた瞬間、
──バリンッ!!
腕でガラスを割って、セントラルから飛び降りた。
「クィネラ様ッ!!」
咄嗟の行動だったが、その時は自分でも驚くほどの速さでクィネラ様の手を取り、どうにか身投げを阻止出来た。
しかし、俺もカセドラルから飛び出したので、今はどうにか窓の縁に片手を掛けているという状態だ。
……神聖術はまともに使えないが、一か八かやるしかない。
決死の覚悟で口を開こうとすると、クィネラを掴む手が大きく揺れた。見れば、クィネラ様が目をあちこちに向けて慌てふためていた。
「……っ!? まっず! システム・コール、ジェネレート・エアリアル・エレメント!」
俺とクィネラ様が風素の風に包まれ、フワリと浮かび上がった。まさか具体的な性質を付与せずに術を行使するとは……
ともかく、クィネラ様が無事で何よりだ……まさか、羞恥心で身を投げられるとは思わなかったが。
一息つくと、クィネラ様は自身のベッドに座り、俺にこちらに来るよう手招きをしてきた。
「……クィネラ様?」
「クリスチャン、少し話をするわ」
疑問を浮かべていると、先程とは比べ物にならないほど冷然とした表情のクィネラ様は、滔々と事情を話した。
アドミニストレータと名乗ったのは、この世界にいたとある神を自身に取り入れて、あらゆる力を行使出来るようになったからだと。
人界を四つに分断している白亜の壁や、切り倒せない木といった無理難題は、その力によるものだと。
しかし、どうやら神を取り入れてアドミニストレータとなった際、神の片割れの存在が人格として形成されてしまったらしい。
まだハッキリと自覚しているわけではないらしいが、少なくとも、自分に害をなす存在であることと、クィネラ様自身に何らかの精神的揺らぎが生じた際に表面化することは確実のようだ。
その為、今後はそうなった時に備え俺が常に傍に控えることと、人格が変わったら、どうか守って欲しいとお願いされてしまった。
……全力で守ろう。この命に替えても。
ある曇天の日。
カセドラルにとある情報が舞い込んだ。北帝国司祭統括にして、クィネラ様の下で神聖術を学ばれた高弟が亡くなられたそうだ。
珍しく女性の司祭であったそうで、クィネラ様も当時は可愛がっていたそうだが、この報せをクィネラ様が聞けば、彼女の中のもう一人の人格が表に出てきてしまう。
それを危惧したが、時に既に遅く、クィネラ様が階下の三十一階に下りられたと元老の一人が答えてくれた。
そこは修道士が神聖術を学ぶ階だ。カセドラル内にもその高弟の話は広がっているだろう。
どうしてこんな日に限って……と、クィネラ様の自由さに呆れつつ、風素術を用いて階段を下り、三十一階から順に捜索し……やっとの事でクィネラ様を発見した。
「クィネラ様!」
「え?」
良かった、まだ無事だ……
しかし、悠長に話している場合ではない、早く百階までお連れしなければ。
「事情を話している暇はありません。さあ、早く!」
何も分かっておられないようなので、失礼します、と一言断ってから横抱きにすると、足の裏を使い、風素術で加速する。
「……ねぇ、いきなりどうしたの?」
「それは……」
いや、何か言うだけでも駄目だ。
誰か、クィネラ様に親しい人が亡くなったと、そこだけ言ったとしても、必ず心を痛められる。
俺は……俺は。
頭の中で永久に巡り続けて、答えが出ない。
どれが正解なのか。どれが最善なのか。
クィネラ様の執事として、どうあるべきなのか。
そして、俺は、胸元に抱きかかえられている、大事な主君に目が行った。
目が行く、というのは正しくないかもしれない。
迷って、不意に縋ってしまったのだ。
だから、彼女は優しい微笑みを湛えて、手を差し伸べるように、その右手を俺の頬にあてがった。
「言ってみなさい、クリスチャン。たとえ私が心を乱したとしても、お前が助けてくれるのでしょう?」
迷宮にでも迷い込んでしまった俺の思考に、クィネラ様は、そう道を示してくれた。
ああ、これだからいけない……いつも、甘いのだ、クィネラ様は。
姿は、俺よりも年若い少女でありながら、姉のように、または母親のように……俺の傍で、歩む道を明るく照らし続けている。
「……分かりました。お答えしましょう」
そこから最上階まで一瞬で駆け上がると、クィネラ様を降ろす。
ふぅ、と息を吐く。
これから待つのは、俺の命さえ脅かされる戦い。
気持ちを整理出来るまで、クィネラ様の身体を、影の人格にやらせはしない。
そして、俺は上級司祭から耳にした話を、そっくりそのままクィネラ様に聞かせた。
クィネラ様が神聖術をお教えになった、第一期生の弟子の一人、平民の出であったレア司祭統括が老衰で亡くなったこと。享年79歳であったこと。
それらをお聞きになったクィネラ様は、苦しい表情ながらも、目の端に涙を零して……刹那。
「システム・コール! ジェネレート・サーマル・エレメント!」
巨大な熱素の槍が六本、彼女の背後に現れた。
彼女の銀瞳にあった涙は蒸発し、強い敵愾心の色を露わにしながら、腕を掲げている。
──来たか!
と、同時に、腰に提げた剣を、鞘から鋭い音と共に引き抜く。
銘は《燎火の剣》。煤の如き漆黒に、金の意匠のなされたこの剣の起源は、南帝国にある大火山の溶岩。そして、その地下深くで融けること無く漂っていた一つの鉱石が、長い年月を経て、神の力で剣へと姿を変えたものだという。
クィネラ様が南帝国の守護獣を殺した際に手に入れた物らしいが、まともな剣を持っていなかった俺には、とても硬くて切れ味の良い直剣だった。
「セェッ!!」
射出された矢を、瞬く間に剣で捌く。火には滅法強い故に、熱素の矢は斬られると同時に消滅していくのだ。
「システム・コール、ジェネレート・エアリアル・エレメント」
その間に、風素術の加速で肉薄。もっと至近距離まで近づかなければ。
「システム・コール! ジェネレート・ルミナス・エレメント! レーザー・シェイプ! ディスチャージ!」
両手の五個ずつの光素が、巨大な光の筋となり、貫かんと迫る。二つもあるのは厄介だが、直状ならば問題ない。
これなら、話す隙もあるか……そう思い、彼女に声を張り上げた。
「おい、お前! お前は何故、身体の宿主を害する! 何故、そこまで必死になっている!」
彼女の目付きが変わる。スっと目を細め、こちらの意図を読もうとしているふうに見える。
「理由など、ただ一つ。私は、この壊れたプログラムを正さねばならないからだ。システムが、プレイヤーに干渉してなるものか。このプログラムは、本来の目的を果たそうとしていない」
「本来の目的……? 秩序は維持できているだろう」
「秩序はな。だが、プレイヤーを害しては意味が無い」
「違う。法無くして、秩序は有り得ない。それに、害すると言っても、ディープフリーズ状態の罪人が山ほど居るだけだ。それに、お前もクィネラ様の記憶を知っているのなら、あの人が何がやりたいのか分かるだろう!」
しかし、彼女の返答は、光線でもって返された。左肩が抉られ、痛みが走る。
晶素による板を生成、風素の勢いで空中に飛び上がり、晶素板という空中の板を踏み台に方向転換。彼女に一直線に向かい、上段から剣を振り下ろす。
そうして近距離まで近付けば、武器で対応せざるを得なくなる。
その目論見通り、彼女は剣を取り出した。ガギィィン!! と剣同士がぶつかり合う音が鳴り響くが、俺は剣技──《ソードスキル》を使っている。
まだ二撃目が残されていた。振り下ろされた刃から剣の光が消えず、V字を描くかのように振り上げれば、彼女の身体が吹き飛ばされる。
クィネラ様曰く、《バーチカル・アーク》という技らしい。
しかし、距離が離されてしまった。彼女の口が未だ忙しなく動いていることから察するに、神聖術を用いて何か仕掛けてくるのだろう。
俺は、母が教えてくれた技の一つ、《疾空斬》……もとい《ソニックリープ》を構える。脚の力を利用して、剣技に引っ張られることなく、最大まで加速する。
「ぁぁぁあああ!!」
「ディスチャージ!!」
その瞬間、クィネラ様の直上から、紫の轟雷が降り注いだ。
焼け付くような熱量に、カセドラルのガラスを全て粉々に砕く強さの神聖術で、間近にいた俺にも雷の余波が服を、そして皮膚を焦がす。
天命が半分以上削れたような感覚がしながら、どうにか立ち上がり、クィネラ様に駆け寄る。
焼け爛れた肌。衣服は天命が切れて粒子となり、長い髪は焼き切れてしまっている。
怖くなって、ステイシアの窓を覗き見る。そこには、4000もある天命上限のうち、7と表示されて、6、そして4に減った。
「し、システム・コール! トランスファー・ヒューマンユニット・デュラビリティ、セルフ・トゥ・ユニット!」
自分の天命残量は少ないが、その全てを与える覚悟で天命を移していく。
すると、意識がとても保てなくなってきて、非常に眠たくなってきた。天命が四分の一を切ると、この様な症状に陥ってくるのだ。
それでも、まだ注ぐ。このリソースを、身体中の全てを注ぎ込んででも……!
そして、自分の天命が二桁台に届こうとしていた、その寸前に。
「もういいわよ、クリスチャン……無理させてごめんなさい……」
とても温かいその両手が、俺の両手を強く握り締めた……
◯ ✖️ △ ◆
今思えばこの頃だった。
クィネラ様が、追い込むように酷く無理をし始めたのは。
自らの影の人格……カーディナル・システムを抑え込むために、ディープフリーズ状態にあった罪人達を使って、俺達の中に眠る魂の正体、フラクトライトを十全に扱う技術を身に付けようとした。
クィネラ様が言うには、この大規模なシミュレーションの世界を創った《外の世界》の人間達さえ躊躇った、命を弄ぶ実験だそうだ。
魂を壊せば、命が消えるのと同義であると。罪人達も、ここで宿った一人の命であると。自分は、それを行うのだと。
決して、カセドラル地下にある保管庫には近付くなと言われたが、俺は言いつけを破り、中でへたりこむクィネラ様を見て……俺は思わず声を掛けた。
自分は、あくまでも従者の立場。クィネラ様のやられる事に、口を利くなんて出来ない。
だから、俺には少しの激励を飛ばすのみだった。積み上げてきたもの、犠牲にしてきたもの全てを否定しようとして、弱気でいたあの人に、見失っていた目的を……人界の恒久的な平和を実現するという、とても大切な目的を照らしてあげて、常に傍で仕えることだけが、今この場で俺に出来る務めなのだ。
……そう、思っていた。
「えー、良いじゃないの。もっとギュッとして撫でなさい」
クィネラ様は、俺の腕の中に抱かれて小さくなり、頭の上で手を行ったり来たりすると、目を細めて安らかな表情になっている。
……なにこれ?
いや、おかしい。どう考えてもおかしい。俺はもう三十を越えたおっさんだ。
普通に親と子供に間違えられる。いや、むしろ事案か……?
でも、クィネラ様はそうしろと命令してきたのだ。断れば脛をゲシケシと蹴られ、足をグリグリして、非常に面倒くさくなる。拗ねた女の子そのものだ。
ここのところ、クィネラ様の精神逆行が著しくて、俺の頭がどうにかなりそうだ。
……しかし、それも全部、クィネラ様が行われている実験のせいなのは理解している。クィネラ様曰く、俺は『SAN値回復機』らしい。
SAN値とはなんだ。
とは言え、精神をすり減らしているのは間違いないので、俺もこうやって撫でてやっている訳だが、それにしても刺激が大き過ぎる。
『うふふ、いいじゃない、この機会にクィネラちゃんとクリスチャン君でくっつけば良いのよ。せっかくお近づきになった男の子でしょ?』
『ち、違うわよお母様。クリスチャンはあくまでも従者なんだから』
『クリスチャンよ。どうか、クィネラを幸せにしてやってくれ。あの子は自分を顧みないのに、他人ばかりかまけるのだ。お前が居てくれれば、必ず良い方向に傾いてくれる。私もフィアも、お前とクィネラをと思っていたのだ。家族のいなくなったあの子に、どんな時も寄り添ってやって欲しい』
……いやいや、聖母フィア様との会話とか、何時ぞやのバルトア様の遺書の内容なんて今更思い出すな。
俺は一生クィネラ様に仕える身。そう、仕える身だから。
くっつく気は更々無いですからね、ご両親!
◯ ✖️ △ ◆
人界暦九十年十一月十九日。
元老からの報告で、南帝国のとあるユニットに違反指数が一定値を超えた者が現れたようなので、捕縛しに行ったところ……思わず、目を剥いた。
例のユニットが居るとされる屋敷は、見覚えしかなかった。
何故ならば……ここは、俺の生家だったからだ。
ヴェラルド家。南帝国でも力のある貴族だが、正妻を斬り殺した後は、噂すら聞かなかった。
この家はどうやら、禁忌を破りたがる人が多いらしい。まさか、ここから俺以外にも禁忌目録に違反する者が現れるとは……
ベルを鳴らせば、一人の少女が姿を現した。
歳は……18といったところか。華奢で、可愛らしい容貌だ。
だが、俺には一目見て分かった。
「このような夜更けに失礼します、フェノメア・ヴェラルド様……私は公理教会のクリスチャン・シンセシス・ゼロと申します。貴方を今から、禁忌目録抵触の罪で捕縛致します」
……俺の弟だ。
まだ、産まれて間も無かった、0歳の次男。
見た目は誤魔化せても、骨格や姿勢までは誤魔化せない。
彼は間違いなく、俺が殺した正妻の女が産んだ次男坊……フェノメアだった。
風素術で飛んでカセドラルに連行し、クィネラ様に引き渡すまでの間の記憶は無い。
もう、彼には二度と会いたくない。彼を見る度、俺を蔑み、嘲笑うあの正妻の顔を思い出して、俺の過去が容赦なく抉られる。
「はぁ……」
「珍しいわね、貴方が溜息を吐くなんて」
「……少し、ゴタゴタがあったもので」
最上階の寝具に隣合って座っていると、クィネラ様が不思議そうに問い掛けてきて、咄嗟にはぐらかした。
ふうん、と分かっているのか分かっていないのか、どちらとも取れる言葉で反応されて、押し黙る。
追及されないようなら、この際、フェノメアの事は話題に出したくなかった。
俺がすっぱりと黙ってしまったからか、クィネラ様はツーンと唇を立てて、ご機嫌斜めに見える。
それでも、今日だけは勘弁……と構えるが、何やら良い事でも思いついたか、パンっと手を打ち鳴らした。
「あ、そうね。最近は撫でられっぱなしだから、私が撫でてあげるわ」
「えっ」
俺の驚きには耳を傾けてくれず、俺の頭は彼女の生脚に落下した。
ピトッと、彼女の柔肌に頬が張り付いた。当然、俺は訳が分からず硬直している。
「いつも仕事を頑張ってくれてるし、偶には労ってやるのも上司の努めだもの。今日くらいは休んでいなさい」
硬い毛質なので、手に刺さらないか不安だが……
それでも、彼女は慈しみをもって撫でてくれている。一撫でされるごとに、変な声が出てしまいそうになる。
顔をクィネラ様の顔が見えて、ふふっと微笑んだ。
「どう? 現人神の膝枕なんて贅沢、普通じゃ体験できないでしょう?」
「はい……とても、心地良いです」
クィネラ様に体を委ねると、これ以上無い幸福感に包まれた。
はー……
何で俺、主君とイチャイチャしてんだろ……
◯ ✖️ △ ◆
「アッア゛ァ゛ァーッ!!!!」
「!? こ、この領域は情動全てを司ってるの……? だとしたら、ここを弄るのはダメね……」
実験開始から六年の月日が経過していた。
最初の一年は、フラクトライト操作──主に操作に伴う精神的苦痛──に慣れるところから始め、二年目、三年目は本格的にフラクトライトの構造解析。そして、残りの三年は情動回路について実験を重ねていた。
しかし、当の本人は全く慣れている風には見えない。苦々しい表情で、僅かばかり手が震えている。
クィネラ様自身、何の大義名分が有ろうと生命の冒涜であると分かっているのだ。
それでも、永遠に殺したくなくて、彼らのフラクトライトは、操作に入る前に複製処理、オブジェクト属性を付与され保管されている。
魂の複製も一種の生命の冒涜と言えるかもしれないが、彼女はそうでもしないと、溢れかえる罪の意識から自分を遠ざけられなかったのだ。
「……ありがとう……ごめんなさい」
ディープフリーズ、と呟くと、項垂れたままの青年がピキピキと音を立てて石化し、物言わぬ石像となった。
その直後、クィネラ様の姿勢がふらりと傾いたのを、俺は見逃さなかった。
少し離れた位置で見守っていた俺は、この数年で身に付けた歩法──クィネラ様曰く、心意で認識を捻じ曲げて瞬間移動している──で、倒れかけた彼女の姿勢を支えた。
意識はあるようだが、近付いて、纏う雰囲気が一転している事に気付いた。
術で攻撃されるか、そう思い彼女から離れようとすると、肩を掴まれ、無機質な銀の眼が俺をじっと見つめていた。
「……私には、もう分からない。何が正しくて、何が間違っているのか」
「……何を、今更」
今の今まで、戦い続けたのは何だったのか……そう皮肉を込めて言った。
あれから、何回か戦いを続けているが、彼女は年数を経るごとに戦いの勢いを失っていき、俺の言葉を聞くごとに悩むそぶりを見せていた。
故に今日になって初めて攻撃を受けなかった理由が、彼女の中で完全に目的を見失ってしまったからという事は明白だった。
「クィネラの行っている事が未来に繋がる布石だとしても……あまりにも残酷ではないか。だが、彼女のやり方でなくては、物語に到達することは不可能なのだ」
彼女は、そっと目を伏せる。
〝物語〟……この言葉を、俺はこの数年の中で考えない日はなかった。
クィネラ様は、この事について何も話す気は無いようだが、彼女からはこうして話される機会がある。
どんな未来かと問うと、彼女はただ一言、人らしいと答えた。
「だがこの計画最大の犠牲者は、他でもないクィネラ自身だ。奴の心は、実験を繰り返す度摩耗していく……あるべき物語を作ろうとしてな。全てを忘れて、一人の貴族の少女として暮らせる道もあったというのに」
まるで、クィネラを擁護するかのような発言だった。
それに驚きつつも、やはり聞かなければならないと思い、問い質す。
「……一つ聞くが、お前の使命は……メインプロセス、クィネラ様というエラーを正すことじゃないのか?」
「それが分からないから、貴様に問うているんだ、クリスチャン。私はもう、分からないのだと。クィネラの身を案じてさえいる私は、一体何なのか。検出されたエラーに、エラーで返す事しか出来ない私は、何の為にあるのか。これが単なるプログラムの身であれば、悩むことなく、刻み込まれた命令を実行出来たというのにな……」
カーディナル・システムのサブプロセスは、これまで《メインプロセスの過ちを正せ》という基本命令にとても忠実だった。
この世界の住人を害するシステム、クィネラ様を許さないと行動してきたというのに、どうして今更迷っているのか。
俺としては、一刻も早く彼女には消えてもらいたい。
しかし、そこだけがどうしても気になってしまった。
「……まあ、どうせ私は記憶を消去されるだろうがな。このままでは、本来の私に影響が出てしまう。それゆえに悩んだところで仕方あるまい、とは常々思うが……感情というものはままならん」
ふん、とクィネラ様の見た目にには似つかわしくない自嘲じみた笑みを浮かべる。
「……その前に、止めようとは思わないのか」
「思わん……と言えば嘘になるが、私は、迷うと同時に一つの活路を見出してもいる。その実例が貴様だ、クリスチャンよ」
「……俺が、か?」
思わず訊き返すと、彼女が小さく頷いた。
「奴生来の性格ゆえ、この世界は私や奴の知る世界とは少し差異が出ている。貴様の座は、本来チュデルキンなる醜く鬱陶しい道化師が務めていたからな。大まかな違いとしては、文明のレベル、人界の戦力、公理教会の影響力だ。……奴は途中からその事に気付き、ようやく今の形に落ち着いた訳だが、一度違えた道はそうは変わらんさ」
今度は、口角を少し上げて鼻で笑っていたのを見るに、クィネラ様は少々はっちゃけたらしい。完全に馬鹿にしたような目をしていた。
いやしかし、その物語のチュデルキンとやらは、利用価値があったから重用されたのではないのか。にも関わらず俺を選ぶとは、そんなに扱いに困る人物だったのだろうか……疑問は尽きない。
頭の中でうんうんと考え込んでいると、ふっと、腕の中に抱かれた彼女の力が抜け始めた。
クィネラ様が覚醒しかかっているのだ。
「……先も言ったが、私は活路を見出してしまった。しばらくは、こやつがどんな道を選ぶかを静観させてもらう。ただし、一度でも私が道を誤ったと判断すれば、一切の容赦なくメインプロセスを排除する……ゆめゆめ忘れるなよ」
最後に、もうじき表に出られなくなるだろうがな……なんてボソリと呟かれた言葉は聞かなかった事にして、頷く。
体の力が完全に抜けて、十秒と立たない内にクィネラ様の瞼が開いた。きょろきょろと目を動かして、自分の置かれた状況に気が付いたらしい。
「気絶でもしたの?」
「はい、不意に倒れられたので、抱きかかえた次第です」
「あら……機転が利くわね」
地面に下ろせば、思う存分腕を伸ばされた後に、足早に地下室を出て行った。
残されたのは、俺と、ディープフリーズされた石像のみ。どうやら片付けておけとの指示らしい。
「……恥ずかしいなら、別に恥ずかしがってもいいのになぁ」
もう俺も歳だからか、クィネラ様との距離感が変わってきている気がする。
やはり、前も思ったように、父親と娘の関係なのか……いやいや、娘に時折膝枕されている父親ってまずくないか。神聖語でなんと言ったか……何たらコンプレックスと言ったような、違うような……
「はぁ……歳は取るもんじゃないなぁ」
俺も、クィネラ様と同じ不老の身体になりたいと思うのは、間違っているもんかねぇ……
◯ ✖️ △ ◆
それからというものの、月日は流れていって、フラクトライトの完全解析や心意の鍛錬、クィネラ様の100歳の誕生日……
様々な出来事が頭の中を駆け抜けていく。こういうのを、確か、走馬燈、とか言ったか。
「……あぁ、クィネラ様。そちらにおりましたか」
「当たり前でしょ。もうすぐ、貴方の天命が尽きてしまうもの」
ベッドの上で横になって、クィネラ様が傍で俺の頭をゆっくりと撫でていた。
そうだな……もう、俺は80歳か。
クィネラ様と一緒にいて、すっかり時間の感覚が狂ってしまった。
「……ねぇ、クリスチャン。私に仕えて、どうだったの?」
どうだった、なんて曖昧な質問をされて、俺は十秒ほど口を開けなかったが、どう思った、と解釈するなら……
「クィネラ様は、可愛らしいお方だと。神子、だなんて言われていたものですから、私には、高貴で近寄り難い印象がありましたが……とても、人らしくて、ほっとしましたね」
「……それ、誉めてるの?」
「ええ、もちろん。寝起きの半目で寝癖を付けたままのクィネラ様も、ソードスキルに振り回されて地面に顔をぶつけるクィネラ様も、私に撫でられにくるクィネラ様も、全部ですよ」
「絶対誉めてないでしょ……もう。意地悪な部分はぜんぜん変わらないのね」
プクッと頬を膨らませながらも、決して不満げには見えない。
というより、どことなく嬉しそうだ。
……そう。だから、俺の性格が変わってくれなかったのは、きっとクィネラ様のせいなのだ。
未だに俺なんて言っているのだって、歳を食っても、いつまでも彼女の隣で従者として働きたかったからだ。
貴女の期待に応えられるように、俺は昔から変わりたくなかった。
「クリスチャン……」
「はい」
名前を呼んだクィネラ様の顔は、最近見ないほどに悲壮感を漂わせていて……
「ねぇ、クリスチャン……貴方に、私に尽くしてくれた褒美を与えようと思うの。欲しいものを言ってご覧なさい。何でも叶えるわ」
だから、褒美なんて言われて、なんて狡いのだろうと思ってしまった。
目の前で微笑む彼女の姿の奥底で、胸が潰れそうな思いを抱いているのだと考えると、何でも叶えられる褒美のはずが、一つだけに強制されてしまうではないか。
あぁ、これだから……
「この命果てるまで……いえ、永遠に、クィネラ様に仕える事こそが私の本望です。どうか、いつまでも、私を貴女様の傍でお仕えする事をお許し下さい」
その時、クィネラ様が浮かべた表情を形容出来る言葉を、私は持ち合わせていなかった。
……ただ、一つ分かるのは。
「全然、直す気無いみたいだけど……私はもうクィネラじゃなくて、アドミニストレータなんだからね」
クィネラ様が、とても優しい、輝くような笑顔で返してくれたことだった。
……これだから、貴女が好きなんだ。
◯ ✖️ △ ◆
「クリスチャン、クリスチャンは居ますか! 今すぐ出なさい!」
元老長の執務室に、ゴンゴン、という重いノック音と共に、少女のよく響き渡る怒声が俺の耳を刺激した。
仕方なく、ドアの鍵を心意の腕で解除してやると、金髪の三つ編みを振り回し、一つ一つしっかりとした足取りで俺の前に現れて、ドンッ! と机を両手で叩いた。
「クリスチャン……貴方は、良からぬ助言をサーティツーとサーティスリーにしたそうですね。彼らが言うには、元老長が、九十階に行くよう唆したと。……それは真実ですか」
「いえいえ、唆したなど……事実無根ですよ、サーティ。私はただ、九十階には最高司祭様が作られた最高のものがあると言っただけです。彼らが先に行ってしまったのが悪いとは思いませんか?」
「では、何故女湯の時間であった事を伏せたのですか。彼らは、二時間おきに男湯と女湯が変わるという規則を知らないようでしたが」
「それは……単に私の遊び心でございます」
「〜〜っ!! このっ、また貴方はそうやって!」
「まあまあ、落ち着いて下さいサーティ。一度ミス……失敗をすれば、二度はしないでしょうから、彼らにとっては良い経験になった事でしょう」
「私の湯浴み姿を犠牲にして、ですが!」
ぜぇ、はぁ、と、肩で息をしている。大声を出して疲れたのだろうか。
「随分とお疲れのようですね。お部屋でお休みになられては?」
「……そう思うのならば、まずは自分の言動を顧みる事です」
はて、心当たりはありませんな……と言いでもしたら、間違いなくこの机が無惨に破壊される未来が見えるので、流石に自重して、コホンと一つ咳払い。
「と思いましたが、早速サーティには任務がございます。西帝国の氷原地帯に、かなり強力な魔獣が発生したようですので、その討伐をお願い致します」
「……ハァ。分かりました。では、失礼します」
彼女が不満そうにしながら、しかし任務の為に渋々退出するのを見て、ふぅ、と肩を下ろした。
椅子にもたれ掛かりながら、ふと自分の手のひらを見つめる。
実に若々しい手だ。今はもう、かなり慣れてしまったが、時間が経っても身体が変化しない感覚は、実に奇妙なものだ。
「……寝るか」
だが、天命とはまた違った寿命である記憶の容量という制約が厄介で、これにより、俺とクィネラ様は殆どの時間を寝て過ごさなければならなくなった。
最初の頃は、お互い全裸になって一緒に寝るという行為に言い知れぬ何かを感じて、三年くらいは終始無言で気まずかったのは懐かしい思い出だ。
九十四階から上の階層へ駆け上がり、自動化元老を過ぎて、百階。
自由に出入りできる権限を持っているので、クィネラ様の寝室に向かう。
赤い天蓋付きベッドが見えると、その中をチラリと覗く。
「……ん〜? クリスチャン?」
「おや、起こしてしまいたしたか」
寝惚けた目で、美麗な肢体をググッと伸ばし始めた。裸なので、普通に見えていけない所が見えているが……慣れというのは恐ろしい。
「……んん〜? もしかして、私に見惚れてるの?」
「いえ、違います」
「えっ……そんなに食い気味に否定しなくても……」
……いや、クィネラ様、なんでそんなにしょんぼりされるのですか。
内心突っ込みを入れるも、クィネラ様はぷくぅ〜と小さく頬を膨らませて抗議してくる。
「まあいいわ。今日はもう寝ちゃうわね」
「ええ、私もそうさせてもらいます」
心意で服を全て片付けると、一緒にベッドに転がった。
互いに裸をじっと見る訳にもいかないので、どちらもそっぽを向いている。
それから数十分くらい微睡み続けると、背中にぴとっと、柔らかな感触が広がった。
度々、こうやって、クィネラ様と背中合わせとなることがある。
だからと言って、何かを言う様子はない。この行為に何の意味があるのかは知らないが……
まあ、敢えて言うなら……俺が得しているのでウェルカムである。
イチャイチャしてるアドミンが書きたかったの