転生最高司祭ちゃんが行く原作再現   作:赤サク冷奴

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キリトくんが別世界の電波を受信するお話……?


裏話2 アドミン&キリト

 

「……そんな調子で訓練に来られても、困る。だから、キリトは今日休んで」

 

 それが翌日、訓練を始めたばかりの俺に、師範からかけられた言葉だった。

 

 思えば、今朝だって半ば強制的にユージオに連れ出されたのだ。

 

「……キリト、本当にどうしたんだい? おとといまではあんなに元気だったのに」

「……大した事じゃ無いさ。でも、ごめんな」

 

 剣を置き、踵を返して歩き始めた。後ろで俺を呼ぶ声が聞こえる。

 

 もう、俺は……

 

 

 

 

 気が付いた時には、ベッドの上でまた蹲っていた。

 

 俺が、あまりにも弱かったから。

 

 そうだ、俺はいつまでも弱いまま……

 

 でなければ、彼らは死ななかったはずだ。

 

 いち早く、ボスの持っていた武器が野太刀であると気付いていれば、ディアベルが死ぬ事は無かった。

 

 俺が注意を怠らなければ、《月夜の黒猫団》のメンバー達は……サチがトラップに巻きこまれることは無かった。

 

 いや……そもそも俺は、始まりの街でクラインを見捨てた。れっきとしたビギナーだったのに、俺は彼と残る選択を選ばず、ベータテストで得た知識で、一人、一層の最前線を駆け抜けた。

 

 少なくとも、アスナの友達のベータテスター、ミトは、ゲームをクリアするためにアスナにSAOが何たるかを叩き込ませ、先導してくれたという。

 

 俺には、それが出来なかった……

 

 現実世界の俺どころか、仮想世界の俺でさえ、こんなにも弱く、惨めな存在だ。

 

 そんな俺に、この恵まれた世界で生きる価値は、果たしてあるのだろうか……?

 

 

 

 

 もう、何も考えたくなかった。

 

 思考すればするほど、これまで割り切れていなかった思いが積み重なる。

 

 向き合わなければならない現実は、俺を容赦なく叩きのめした。

 

 それは、自分の無力さ故にでもある。

 

 俺は、受け止めていた気になっていた。SAOのラフコフ掃討戦と、俺が血盟騎士団に入って間もない頃に、直接手を下した三人のこと。俺が原因で亡くなった何人ものプレイヤー。

 

 そしてSAOで亡くなった四千という人数も、ある意味ではベータテスターだった俺の責任なのだ。それが傲慢だとは言わせない……

 

 俺はもう、GGOの時のようにはいかないかもしれない。

 

 へばりついた重荷が、身体からほどけないのだ。

 

『失われた命の重みは、どんな事情があろうとも消えることはない。でも……その結果助かった命のことを考える権利は、関わった人間みんなにある。君にもある。君は、自分が助けた人のことを思い浮かべることで、自分も助ける権利があるんだよ』

 

 いつか……第三回BoB本大会の日、GGOにダイブする前に、安岐さんに言われた言葉だった。

 

 でも、その言葉の意味は、今の俺には重過ぎて。

 

 ──くははっ、馬鹿だな。そうやって逃げる気か?

 

 蹲る俺を、《黒の剣士》は嘲笑する。

 

 ──お前には、こんな未来も有り得たのに、助ける人の事を思い浮かべろだって? 一歩間違えば、助けられた人さえいなかった道化のクセに。

 

「な、……に?」

 

 顔を上げた瞬間、俺の頭の中を、見覚えのない記憶が突き抜けていく。

 

 フレニーカ……ロニエとティーゼが行方不明に……ライオスの殺害と禁忌目録違反……アリス……牢獄……エルドリエ……

 

 それからも記憶は続いて、カーディナルと少し違う出会い方をして、カセドラルを駆け上がり、右手の封印を破ったアリスと外壁を登り、自動化元老とクリスチャンではない謎の元老長、チュデルキンとの遭遇……

 

 そして、整合騎士となったユージオとの戦い。

 

 何を見せられているんだ。そう考えざるを得ない中、俺、ユージオ、アリスが元老長チュデルキンと最高司祭アドミニストレータに立ち向かう記憶が流れ……

 

「……あ……ああっ」

 

 ……カーディナルが光の粒子となって舞い散って。

 

 ユージオとなった剣が、真っ二つに折れて、元の姿に戻ったユージオも、青薔薇の剣も……

 

「やめろ……やめてくれ……っ!!」

 

 情けない、嗚咽混じりの高い声で懇願しようと、記憶の流入は留まるところを知らなかった。

 

 赤薔薇の剣となったその剣を左に握り締め、《黒の剣士》となった俺が、アドミニストレータに立ちはだかり、

 

 そして、赤薔薇が遂に、彼女の胸に突き立てられた。

 

 窮地を悟ったアドミニストレータは、リアルワールドに逃げようとして、炎を纏ったチュデルキンに燃やし尽くされ、消滅した。全てが終わった戦場には、俺と、気を失ったままのアリスと、身体を両断されたまま横たわるユージオが居て……

 

『そうだ……。キリトの、黒い剣…………《夜空の剣》って名前が…………いいな。どうだい…………』

『ああ……いい名前だ。ありがとう、ユージオ』

 

 

 ──違うっ!!

 

 

「なんで、なんで諦めるんだ! お前はキリトだろ!? 《黒の剣士》なんだろ!? ユージオを……アスナを喪いかけた時みたいに、いや、今度こそ、ユージオは死ぬんだ!! 猶予なんてものはないんだぞ!!」

 

 記憶に語りかけたところで、意味が無いのは分かっている。でも、それでも……目の前の自分が、俺にはただのバカにしか見えなかった。

 

 親友の一人も救えない、愚か者だと。

 

『この…………小さな、世界を…………夜空のように……優しく…………包んで…………』

 

 そして、ユージオが瞼を閉じて、記憶はプツンと途切れた。

 

 

 ──ほら、見ろよ。これが実際に有り得た未来だ。カーディナルを殺し、親友まで見捨てた。全部、お前が無力だったからだ。

 

 

「違う、違う……! 俺は、そんな事には……」

 

 

 ──お前は無力なんだろ? さっきまで、自分でも認めてたのに、とんだ掌返しだな。

 

 

「もう、黙ってくれ……!」

 

 目の前でニタリと気味の悪い笑顔を浮かべている《黒の剣士》に、子供じみた返答しかできず、ただ蹲って、耳と目を塞ぐことぐらし位しかできない。

 

 そんな時だった。

 

「……ねぇ。いつまで引き篭ってるのよ。砂糖瓶に変えちゃうわよ?」

「──どわぁっ!?」

 

 すぐ側から、今さっき、謎の記憶の中で死闘を繰り広げていた人物の声が聞こえてきて、思わず跳ね上がった。

 

 そこはもうあの暗い場所ではなく、二十九階の自分の部屋のベッドの上で、顔をギギギと動かせば、記憶の中のよりもいささか幼い、見慣れた姿のアドミニストレータがこちらを見下ろしていた。

 

「…………ふぅん」

 

 膝を曲げて、俺と目の高さを合わせると、意味深な相槌を打った。

 

 そして、不意に俺の頰に手を当て、親指で目許を拭うと、

 

「……まだ引き摺ってるの? 菊岡に言われたことを」

 

 そう、図星を突かれた。

 

 いや、あの状況だと、そうとしか考えられないか……

 

『いいかい、キリト君。君は何もしなくていい』

 

 

 ──何もしなくていい。

 

 

 その言葉だけが、反芻してくる。

 

 何もしなくていい……ただ、それだけの言葉の筈なのに、それは酷く俺を苛む。

 

 もう、どうすればいいかも、分からない。

 

 あの記憶は、有り得た未来なんだ。ライオスとウンベールがキバオオガニに襲われなかったら、フレニーカは恐ろしい目に遭い、ロニエとティーゼが俺達にそれとなく打診して……そして、俺がライオスを斬る。

 

 起こりうる未来だ。俺も、ロニエ達があんな目に遭わされたら、きっと正気ではいられない。

 

 だからこそ……怖い。ユージオもカーディナルも、大事なものを全て取り零してしまいそうで、何もかもが犠牲になりそうで……

 

 それを知られたくなくて、ただ押し黙った。それでも、目の前の少女は、本心を見抜いているかのように、銀瞳をすうっと細めた。

 

 奥底を見抜かれている感覚に思わず目をそばめると、アドミニストレータはふふっと、微笑みを湛えた。

 

「安心なさい。お前のSTLには干渉出来ないから、記憶を覗く事は出来ないわ」

 

 ──嘘つけ!

 

 と、言いたくなるのを堪え、少し非難気味に睨む。

 

 現に、今の思考がバレバレだったのだ。STLを内部から操作する管理者の権限なんてあってもおかしくはない。

 

「STLはメインコンのオペレーションでしか操作出来ないから、サブコンにも、もちろん仮想コンソールにだって権限なんて無い。単に、キリトの思考が読み易いだけ。顔に出るタイプだから、何考えてるかぐらい予想はつくもの」

 

 いや嘘だろ、ともう一度反論しようと思ったのに、先手まで打たれてしまった。

 

 本当に心を読まれているのではないかと勘繰って、思わず眉を顰めていると、不意に頰をぐにぃっとつままれる。

 

「ほら、少しはまともな顔になったじゃない」

 

 ぐいぐい、と引っ張って面白そうに笑っている。少なくとも、その様子からして頰を引っ張られた俺の顔がまともでは無いことは明らかだ。

 

 が、さっきまで俺が考えていた事から鑑みるに、相当暗い表情をしていたのだろう。そういう意味では、まともに……になったのか。いやでも、こんなやり方で慰められてしまった事に、俺のなけなしの尊厳が傷付く。

 

 ようやく頰を放してもらうと、少しヒリヒリする頰を撫でながら、少しの緊張を伴って喉を震わせる。

 

「あ、あの……本当に記憶は見られてませんよね」

「だから言ったわよね? STLには干渉出来ないと」

 

 念を押して聞いてみると、呆れが返ってきた。彼女の調子から察するに、本当に見られていないのだろう。

 

 ……しかし、改めて思い返すと、あの記憶が見せてきたアドミニストレータと違って、目の前でジト目を向けるアドミニストレータは、まるで別人のように感情が豊かだ。

 

 勿論、本当に別人だとは思っていない。ただ、あのいかにも冷酷無情な管理者と、この悪戯好きな上司がまるで結び付かない。何をどうしたら、二人の性格にここまでの差が生まれるのだろう。

 

 公理教会の整合騎士に、少なくとも俺が知っている人物が全員揃っている事から、元老院の実態も、自動化元老を用いている非人道的なもの。

 

 だが、それにしては不可解な部分が多い。この世界では、人界の騎士団や衛兵はかなり精強で、ダークテリトリーの魔物との交戦経験もあるという所を、俺は幾つか知っている。

 

 例えば、ノーランガルス帝国騎士団。度々整合騎士主導のもとで遠征が行われ、ダークテリトリーでゴブリンと戦うのだとか。

 

 そう、整合騎士主導だ。つまり、アドミニストレータは、兵力を持つ事をある程度容認していることになる。あの記憶のアドミニストレータは、人界の民の半分を用いて、自分が思うままに操れる兵器を……《剣機兵計画》を実行しようとしていたのは、何よりもこの人界に住む人々を信用していなかったからだ。忠誠心のない人々を、外敵よりも厄介に思って。

 

 そして、元老長の存在だ。あちらの記憶で見たピエロみたいな小男、チュデルキンはアドミニストレータの駒でしかない存在で、最終決戦でも簡単に切り捨てた。

 

 それに比べ、こちらのクリスチャンはどうだろうか。アドミニストレータと初めて対面した時も、元老長が最高司祭にデコピンをするという神をも恐れない所業をやってのけ、茶会では、アドミニストレータがまるで好きな男の子との関係を揶揄されたみたいに赤面していたのは記憶に新しい。

 

 チュデルキンとは違う、対等で信頼に基づいた関係だ。

 

 ならば、何故フラクトライトの実験やシンセサイズといった非道な方法を生み出し、現在の公理教会を形成するに至ったのかが分からない。

 

 彼女には、貴族の血に由来する支配欲や、世界の秩序を正そうとする意志は無いのだろうか。彼女を突き動かしているのは、何かもっと、別の感情なのでは……?

 

「……何かやましい事考えてたりしないでしょうね」

 

 つい思考に耽ってしまったようで、アドミニストレータが泣く子も黙る低い声で俺に問い質した。俺は焦りながら身振り手振りで否定する。

 

「い、いえいえ! そんな……ただ、昔を思い出してしまって」

 

 段々尻すぼみになる言葉に、アドミニストレータがピクリと反応を示す。

 

 だが、特に何か言う訳ではない。閉口して、ただじっと見詰めると、ベッドの縁に腰掛けて、俺の隣に並んだ。

 

 更に、膝をポンポンと二回叩いた。突然のことで、俺は当惑するしかなかった。

 

「……アスナちゃんが居るけど、これくらい構わないわよね……ほら、分からないのかしら? 横になりなさいって言ってるのよ」

「……ハイ!?」

 

 声が裏返って、言われたことを瞬時に飲み込むには、俺のCPUの性能では足りなかった。焦りに焦ってテンパる俺の左肩に手が置かれ、俺の姿勢が横に倒れ込む。

 

 途端に、甘酸っぱいような、フローラルな香りが鼻をくすぐった。

 

 少し前、百階で身体を起こして貰った時にも香ったことのある、甘い花の匂い。それが鼻一杯に広がっていた。

 

 しかも、いつもの薄手のドレスだからか、柔らかな感触がダイレクトに伝わって、顔に熱がじわじわと広がる。

 

 ──待て、何でこんな事になってるんだ!?

 

 俺の頭が現実に追いついたようで、ようやく原因究明に乗り出した。

 

 が、そもそも彼女について何も分かっていないのに、この状況に陥った理由なんて何も分かるはずもなく。遂には、形が整った美麗な五指が、俺の髪を撫でていた。

 

 それがどういう意図なのか、はたまた慰めのつもりなのかは、俺にもさっぱり分からない。

 

 だが、誰かにそうされるのは久しぶりで……人らしい、確かな慈しみも感じて、気恥ずかしくも、同時に心が安らいだ。

 

 そうして、暫くの時間が経った。

 

 いつの間にかソルスは傾いて、夕焼けの空に変わっていた。

 

「……ねぇ、キリト」

 

 不意に、アドミニストレータの手が止まると、静かに俺に呼び掛ける声を響かせた。

 

 普段と違う雰囲気を肌で感じ取り、僅かに緊張を滲ませる。

 

 彼女は、予想だにしない言葉を告げた。

 

「もし、貴方が過去の事を悔いているのなら、現在(いま)を必死でもがきなさい。逃げる事がどんなに辛いか、お前が知らない筈は無いわよね?」

 

 ……彼女は、俺の過去を知っているのか?

 

 胸がドキリと強く拍動し、鼓動の音が早くなる。またも、全てを見透かしたように、彼女の唇が緩まって、微笑みを浮かべた。

 

「過ぎ去りし事は過ぎ去りし事なれば、過ぎ去りし事としてそのままにせん……無力に嘆く暇なんて無いのよ。前を向いて現在(いま)と向き合いなさい。それが、きっと貴方にとっての最善となるから」

 

 俺が頭を持ち上げると、彼女はふっと音もなくベッドから立ち上がって、俺に背を向け、

 

「……だから、運命に抗ってみせなさい」

 

 そう言い残して、彼女は扉を閉めた。

 

 

 

 

 ──最近、お前性格変わったよな。

 

 アンダーワールドに来る前の二年の間……つまりSAOをクリアして現実に戻ってから、誰かにそう言われる事が多くなったような気がする。

 

 確かに、昔より社交的になって、いわゆる陰の気質も薄れてるのかもしれない。ボソボソと喋ることも無くなって、友達という掛け替えのない存在も増えている。中学校の頃の俺とは大違いだ。

 

 だが、自分が思うに、俺の本質っていうものはそう変わっているものじゃない。今まで隠れていた、悪ガキな部分が顔を出しただけなのだ。黒の剣士が俺の中に残り続けて、今も俺の心を苛んでいるのは、本質がなんら変わってはいないから。

 

 俺は、過去(アインクラッド)に囚われている。

 

 あの鋼鉄の城で剣を振り続けたまま、時が動かない。

 

 誰かを喪うのが辛いのに、俺が過去の《ビーター》という汚名と共に被った《黒の剣士》であり続ける限り、誰かを喪っていく。

 

 ──つまり、お前は誰も助ける事は出来ないってことだ。

 

 いいや、違うさ。

 

 たとえ、また現在(いま)に辿り着けなくとも、過去から時計の針を進めることは出来る。彼女が、それを気付かせてくれた。

 

 ──逃げ続けたお前に、それが出来るとでも思っているのか?

 

 あの茶会の前、俺とユージオに対してリピアも言っていた。「出来る出来ないの問題ではない。やるしかないのだ」と。

 

 アインクラッドの日々を思い出しながら、それらを精算していく。数多くの人がくれた言葉が、過去を一つ一つ受け入れさせてくれるから。

 

 そうやって、積み重なった過去を乗り越える。

 

 無力に嘆く暇はもうない。いつか訪れる運命に抗う為に。

 

 そして、いち早くアスナ達の下に帰る為に。

 

「ほら、早くしようぜユージオ! 訓練に遅れるぞ!」

「す、凄い張り切りようだなぁ。おとといまでの君は本当に何なんだっただろう……あれ? なんか前にも言ったような」

「そうだったっけな……まあ、お前が最高司祭様を連れて来てくれたお蔭でバッチリだ。そりゃもう、否応なしにやる気出さされたよ」

「もう、キリトは……最高司祭様に聞かれて、お皿に変えられても知らないぞ!」

 

 肩を竦めながら追いかけてくるユージオに先行して、俺は前へ進む。

 

「あ、キリト! 《黒いヤツ》、忘れてるよ!」

「……おお、悪い! 俺の《夜空の剣》取ってくれ!」

「全くもう……って、あれ? この剣の銘、決めたのかい!?」

「お前が言ったんだろ? さ、行こうぜ!」

「ちょっと! ああもう、キリトは無茶苦茶だなぁ……」

 

 孤高のビーター、《黒の剣士》はもう要らない。

 

 いつの間にか、俺を見下していたあの剣士の背中は、象徴とも言うべき黒のコートと双剣を置いて消え去っていた。

 

 俺がもう一度このコートを羽織る日が来るか、定かではないが……

 

 

 

 俺は……遺してくれた想いを継いで剣を振るう、《剣士キリト》だ。

 

 

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 それから、俺とユージオは十数日の間に自分達でも驚くほど進歩していた。

 

 なんと、あの意味不明な柱が斬れるようになった。シェータ師範がコクンと頷き、「二人とも、これでようやく上級整合騎士に手を掛けた」と褒めてくれた。

 

 そして次に始まったのは、三番目の騎士、《剣無しの騎士》の二つ名を持つフェノメア先生による神聖術の授業だ。と言っても、素因術ではなく、カーディナルも語っていた《武装完全支配術》という、超高難度の長ったらしい術式だ。なんて面倒な……と思ってしまったが、素因の勉強よりはマシだ。

 

 武器の記憶を発現させ、攻撃力として転化する。例えば記憶の中の俺は、《エンハンス・アーマメント》によって、樹の成長による直線的な攻撃力を発現させていたり、ユージオは見渡す限りを凍結させていた。

 

「にゃは〜☆ 言ってること分かるかなぁ〜?」

「はい、とても解り易かったです」

「おおっ、ユージオ君は頼もしいね! キリト君は……」

 

 だが、《リリース・リコレクション》──記憶解放術の術式はかなり曲者だ。武器本来が持つ攻撃力が、なんと自分の身にも降りかかる可能性が存在する為だ。

 

 ファナティオさんが所有する《天穿剣》の記憶解放術は、なんと自分の身体さえも光のレーザーで穿いてしまうのだ。自爆覚悟の技と言える。

 

 俺の黒いやつ……いや、《夜空の剣》は、心に想い描いた時に、周囲の陽力や地力……すなわち神聖力を吸い取って成長するイメージがあった。果てには、俺達の天命すら吸い取ってしまうかもしれないという程に。樹の成長する姿という一部分の《強化》を齎すのに対し、《解放》は、樹の成長の過程そのものに……

 

 ……ん? 待てよ……そうなると、《青薔薇の剣》の記憶解放術と俺の記憶解放術って、俺が想像している通りなら、もしかしなくとも恐ろしく相性が良いんじゃないだろうか────

 

「メアちゃん先生の授業を上の空で受ける子は……凍素こちょこちょの刑に処〜す!」

「──うひゃっ!?」

 

 突然迸る冷気と、ゾワリとくる指先が俺の脇をこちょこちょとくすぐり始めた。

 

 無詠唱の凍素生成という高等技術に加え、凍素を指に纏わせるという、学院で習う神聖術の常識を壊される謎の術式に驚く……暇もなく、笑いが止まらない。

 

「ひっ、うひゃひゃっ!? ちょっ、先生、やめっ──ひいっ」

「わ、わお……想像してたより凄い反応でメアちゃんもびっくり」

「き、キリト……プフフっ」

 

 あ、あんにゃろう……

 

 笑いを堪えるユージオに、いつかやり返してやると、完全に八つ当たりな事を考えつつ、先生が目の前に立って、ぐいっと顔を近付けた。

 

 本当に男なんだろうか……と思わざるを得ない見た目だ。いや、GGOの件もあるから人の事とやかく言えないだろ、とは思わなくもないが、にしても凄い美少女だ。

 

「うーん、見蕩れてるとこ悪いけどねー。キリト君はもっと真面目になってくれると、ボク個人としてはとても嬉しいんだ〜。時間ってのは有限だからね。頼むよ〜」

「す、すみません」

 

 本人はニコニコ笑顔だが、溢れ出る気迫はガチ怒だ。溢れ出るオーラは、アスナの様に凄まじい。

 

「で、内容は解る?」

「え、ええと、武器の記憶を解放させるプロセス自体は、自分達が想い描く……いわば心意による《想起のプロセス》を経て、剣の核心に触れる事でイメージを引き出すんですよね。あくまでも、術式はそれに器を与えて、引き出したイメージを受け入れる形を作る為のもの……って感じですかね」

 

 そう言うと、先生はポカンと口を開けた。

 

 何か間違っていただろうか、と自分の発言を精査するが、その心配は杞憂のようだ。彼はうんうんと頷き、何か面白いものを見る目を俺に向ける。

 

「……ちょびっと抽象的だけど、確かにその通りだよ〜。なんかもう、今から《想起》して良いくらい極まってるねぇ……キリト君、予習してたり?」

「……カーディナルから少し、教わってました」

「え、ええ!? キリト、いつの間にそんな……!」

 

 本人から教わった訳では無いが、記憶の中にしろ、カーディナル直伝に変わりはない。

 

 裏切られた、みたいに驚愕するユージオには、心の中で謝っておこう。

 

「だよねぇ〜。カーディナルちゃん、凄い見た目詐欺だもん。……()、これでも《賢者》って呼ばれてたんだけどなぁ〜」

 

 それを言うなら先生もですよね、という言葉を一旦呑み込む。

 

「……うーん。二人とも、《想起》くらいいっちょやってみる?」

「ほ、本当ですか!?」

「というか、ここの内容で躓くような人は居ないよ。だって、二人とも鉄柱の切断やってるでしょ? あれって結局のところ、分かりやすい形になってるだけの心意の鍛錬だし、上位の整合騎士がほぼ全員《武装完全支配術》を使えるのはそういうワケ。でも先ずは、自分の信頼する武器から記憶を引き出せるか。そこが全てなんだよね〜」

 

 それじゃ、メア子のパーフェクト術式教室、いってみよ〜! という気の抜けた掛け声と共に、《想起のプロセス》の授業が始まった。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 それは、5月23日の朝。

 

 やけに静かなカセドラルを駆け上がり、百階に招かれた俺は、呆気に取られていた。

 

「いい? まずはユージオと一緒に、アリスちゃんと雲上庭園で戦って来るの。アリスちゃんには私からそう言っておいたから、あなたは私に言われた通りの流れで動きなさい」

 

 一ヶ月前、飛竜に乗りながら俺が主導する計画というものがある事を聞かされていたが、アドミニストレータから説明されたその計画の内容は、俺にとって驚きを禁じ得ないほど奇想天外なものだった。

 

 それは、公理教会の再編。

 

 つまり、最高司祭アドミニストレータは、一時的に最高司祭を辞し、その間、後釜として騎士団長ベルクーリを人界のトップに据えるというもの。

 

 耳を疑ったが、確かにそうすれば、教会が溜め込んだ武具を活用し、強力な人界軍を編成できる。戦争に発展するが、整合騎士と併せれば食い止められはする筈だ。

 

「ええと、それで最高司祭様は良いのですか?」

「ん〜、良くないわね。私の最大限の妥協と譲歩の末の決断だもの。後でベルクーリから返してもらわないと、どんな手に出るか分からないわよ?」

「は、はぁ……」

 

 本当だろうか、と胡乱な視線を向けるも、本人は飄々としている。

 

「……というか、どうしてアリスを?」

「あのねぇ……」

 

 やれやれと言いたげに溜息を吐いた。

 

「色々と勘案して、整合騎士の中だと一番アリスちゃんが向いてるのよ。……分かった?」

「……ハイ」

 

 明らかにはぐらかされたが、威圧混じりに、とてつもなく嫌そうな顔でジト目を向けられるのには勝てるはずもなく……深く追及するのは止めた。

 

「それで、俺達はどうして戦うんですか?」

「建前よ。要するに、私を倒してもらいたいの」

「はぁ…………ハァ!?」

 

 思わず、椅子から転げ落ちるかと思った。

 

 アドミニストレータを倒す……それは、あの記憶の中のキリトが多大な犠牲を払ってやり遂げた事だ。それをまさか本人に実行しろと言われるとは思わない。

 

「最高司祭様を倒すなんて無理ですよ!」

「本当に倒される訳無いじゃない。ある程度やったら勝手にフェードアウトするわ。私とカーディナルはベルクーリのサポートをすればいいし」

 

 ……確かにそうではあるが、でも納得がいかない。

 

 建前として、何故俺達によって倒された事にしなくてはならないのか。そもそも、わざわざアリスと八十階で戦う必要があるのか。

 

 ……八十階で、俺とユージオが、アリスと戦う。

 

 その瞬間、あの記憶のワンシーンが思い出される。

 

『誉れある整合騎士殿に対し、敬意なき振る舞いに及んでしまって済まない! 修剣士キリト、改めて騎士アリス殿に尋常なる剣の立ち合いを所望する!』

『──いいでしょう、お前たちの邪心がいかほどのものか、その剣筋で試すこととします』

 

 となれば、至る結論が一つ。

 

 ──アドミニストレータは、俺が見た記憶の結末と同じ状況を作り上げようとしている。

 

 しかも、これは前々から考えられていた。

 

 アドミニストレータの性格や固定されている年齢が違うのに、妙にあの記憶と符合する点──元老院や整合騎士、禁忌目録、剣機兵計画など──があるのは、アドミニストレータ自身が、俺に倒される状況を作る為に用意したのか? だとするなら、このアドミニストレータの計画は全て嘘ということになる。

 

 あの記憶は、単なる有り得た未来じゃなかったのか。なぜアドミニストレータは、俺がここに来る以前からその記憶を持っていたのか。

 

 謎は尽きない。だが、これでようやくアドミニストレータの真意が判った。飛竜に相乗りした時の、あの諦めに満ちた目の理由も解った。全てが点と点で結び付いて、その実態を明らかにしていく。

 

「もう下に降りなさい。計画を始めるのよ」

「……はっ」

 

 恭しく一礼して、下の階へ降りていく。

 

 踏み締める階段の音の一つ一つが、運命へのカウントダウンのように思えてきて。

 

「……シャーロット、俺──」

「キリト。彼女をどうこうする術は無いの。でも万一貴方達が窮地に陥った時……危険だと思ったら、カーディナル様を呼ぶわ。その後、彼女を倒す」

 

 俺は、あの謎の記憶の事をシャーロットにだけ話している。俺が頼み込んで、カーディナルには話さずにいてくれているのだ。

 

 だから、計画がその記憶の内容とあまりに酷似していることを、彼女も悟っていた。

 

「彼女の目的は、ある決まった流れに沿って自分が殺されることを望んでいる。それは間違いないわ」

「ああ……だからといって、打倒する理由にはならない。対話の道が残されてるなら、それを選ぶべきだ」

 

 とは言うが、計画の周到さからしても彼女の意志は堅いだろう。

 

 対話さえ叶わない可能性だって十二分にある。

 

「あの人は……この世界を思っていたはずだ。このアンダーワールドを、民を。何か、キッカケさえあれば……最高司祭アドミニストレータとしてではなく、クィネラさんとして動いてくれる。カーディナルと一緒にこの世界を守ってくれるはずだ」

 

 二人の最高司祭が手を取り合えば、ダークテリトリーに対抗できる。

 

 そう力強く断言すると、シャーロットは暫し沈黙する。

 

 彼女にも、アドミニストレータに何か思うところはあるのだろう。長年の宿敵が、主人であるカーディナルと同じく世界の正常化を望んでいるのだ……自分という犠牲を払うことによって。

 

 最高司祭が居なくなれば、軍が作られ、たくさんの血が流れるだろう……人界も、ダークテリトリーも。だが、カーディナルが言っていた様に、この世界がラースの思惑から外れれば、独自の歴史を歩ませることはできる。人界とダークテリトリーが戦争をやめて融和し、なおかつ俺が菊岡さんを説得させられるような何かを用意できるなら。

 

 絵空事だとしても、俺は、この世界で作った縁を捨てるなんて真似はできない。

 

 ……そうこう考えを巡らせている内に、俺の足は《暁星の望楼》を抜けて、《大浴場》を過ぎ、遂に、大きな一つの扉の前でピタリと止まった。

 

 八十階、《雲上庭園》……その石扉に両手を当てながら、俺は僅かに抱えていた迷いを断ち切る。ここからが、正念場だ。

 

 全てを懸けて、俺は貴方を……最高司祭アドミニストレータを止めてみせる。

 

 隙間から入る光に目を細めながら、先ずは親友とかつての幼馴染みと再会するため、金木犀の香る庭園へ踏み入った。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……これで、念願が叶う。

 

 明日にもそれが達成されるのだと思うと、こんなにも胸が高鳴るものだとは思いもしなかった。

 

 有り体に言えば、甘美な感情だった。

 これじゃ、まるでガブちゃんと同じ狂人変人の類いだなぁ。

 

 ワイングラスをくるくると傾けて、キリトとユージオ、アリスの戦いの様子を神聖術で眺めながら、自分の本質がひどく醜く腐っている事を自嘲していた。

 

 いやでも、よくよく考えれば、死ぬ為に生きてるんだから、元々俺は狂っていたのかもしれない。

 

 ただ、前世ではそれを発現させる機会が無かっただけなんだろう。

 

 だって、こういう小説とかゲームの世界のラスボスになったらやる事と言えば、死亡フラグを回避するだの、ラスボスの力でフラグをへし折るだのっていう、自己の生存という当たり前の権利を勝ち取るために、やれる事をするはずだ。

 

 あ、でも……俺の場合は、やっぱり特殊かも知れないなぁと、考えてから自分の考えを改めた。

 

 どうしてかと言うと、このアンダーワールドの全ての事象に、ラスボスたるアドミニストレータが関わっているからだ。ラスボスの責務を全うしなければ、フラクトライトの軍事転用が始まり、アリスちゃん……アリス・シンセシス・サーティも、ユージオも、キリトが紡ぐはずの縁を、全て否定してしまう。

 

 川原先生が考えて考え抜いた重厚なストーリーを、どうして、読者の一人である俺が否定できようか。いくつか、人物が変わってしまったり、手を加えてしまったりしてしまったが……

 

 だから、シャーロットも、カーディナルも……ユージオも全員、この俺、アドミニストレータが引導を渡す。これだけは、譲れない。彼らの死は、キリトの根幹となって彼の一部になるもの。薄情者と罵られようと、俺は成すべきことを為すだけ。

 

 舞台装置は完成し、こうして舞台は整った。

 

 俺が死んだ後は、元の物語になるよう、運命の強制力を信じるしかない。いざとなれば、俺の遺志を継いだクリスチャンが、あるべき形に戻してくれる。

 

 有り得ない道へ歩んだ物語を、正す時だ。

 

「うふふふ……これで、やっと死ねるのね」

 

 アリスちゃんとキリトの武装完全支配術が融合して生まれた力が外壁を崩壊させて、二人が外へ放り出される姿に、思わず口が歪む。

 

 言い付け通り、本気で殺し合ってくれたか。

 

 これで、第一段階は終了。次は、ユージオを拐って、シンセサイズして整合騎士にする。

 

 ベルクーリは外に追っ払っちゃったし、シンセサイズでフラッシュバックしないか不安だが……やるしかない。

 

 外壁に剣でぶら下がるキリトとアリスを横目に、階段を駆け上がっているだろうユージオを迎えに行く。キリトと二人が落ちたとあって、ユージオは急いで俺に報告しようとしているのだろうが、その必要はない。

 

 ……じゃあ、眠ろうか。

 

 転移術を心意で行使しつつ、術式を詠唱。

 

「システム・コール、ジェネレート・アンブラ・エレメント」

 

 温泉の中を進むユージオの背後に転移して、睡眠術式をぶつける。走っていたユージオの足が急に遅くなり、ふらふらとして床に倒れると、脇に抱えて、転移術で百階に帰還。

 

 なんともまあ、単純な作業だが、問題はここからだ。

 

 闇素術をもう一度行使すると、ユージオの無意識下にある欲望に働きかけて、夢を見させる。ユージオの不遇な家庭環境では、母親はユージオに構ってやらずに、ユージオは親の愛情をあまり貰わずに育ったのだ。そこにつけ込んで、下準備を済ませる。

 

 ユージオを隣で寝かせてやり、俺は目を閉じる。

 

 

 

 ……俺にとって、寝るという行為にも時間の感覚を覚えなくなったのはいつからの事だろうか。十年以上も眠りっぱなしの時もざらにあったが、その時には睡眠という行為が苦ではなくなっていた。

 

 人間、大抵慣れが肝心なのだ。狩りにしろ、心意にしろ、睡眠にしろ……ただ、シンセサイズだけは、俺の心をひたすらにすり減らしたが。

 

 エルドリエの時なんかは、吐き気と悪寒を堪えながら、一週間の時間を掛けてシンセサイズしたものだ。

 

 同様に、人間の物質転換術はトラウマとなっていて、今では唱えることもできない。お蔭さまで、この部屋にある神器は二十五本だけ。トラウマのせいで物質転換できなかった人々は、ディープ・フリーズで凍結している。今から感情を消して神器を二本足してもいいが、神器の一本や二本足りないところで、ソードゴーレムはアリス達では到底太刀打ちできる相手ではないが……

 

 

 

「……ぁぁぁあああああ!!」

 

 微睡みの中で、そんな叫びとともに大きな布擦れの音を立てて動く気配を感じて、俺は回想から現実に引き戻された。

 

 悪夢から目覚めて、飛び起きたらしいユージオは、ここがどこかを悟り、小さく息を呑んでいた。

 

「……最高、司祭様……? なんで、僕は……」

 

 呼ばれるのに合わせて、ゆっくりと体を起こす。

 

 理解が追いついていないユージオの傍で、()は甘ったるい声を響かせる。

 

「ふふ……ユージオ。あなたは、もう我慢する必要なんてないのよ……?」

「え……?」

 

「ほら、来てごらんなさい……」

 

 腕の中に、亜麻色の髪を掻き抱いて、子守りをするように撫でる。

 

「……ぁ……?」

「あなたが本当にほしいもの……あなたに足りなかったもの……なんて、可哀想なのかしら……」

 

 そう……ひとりぼっちの、可哀想な勇者。

 

「あなたはいま、自分が何を欲しているの? 飢えて餓えて、渇望しているの……?」

「欲し、てる……?」

 

 揺れる翠緑の瞳をじっと見詰めながら、微笑みを絶やさずに頷いた。

 

「解るはずよ……あなたの両親がくれなかったもの……」

「え…………」

 

 ユージオは探す。自分から何もかも奪っていった両親。感じているこの気持ち、充足感…………でも、それは懐かしくて。

 

「あなたのお母さんは、ずうっとこうして一緒に眠ってくれたり、抱き締めてくれたりしたのかしら……?」

「してくれた……怖い夢を見たら、子守唄を歌ってくれた……」

「でも、それは、ほんの記憶に微かにあるだけ……とっても短い間で、小さい頃のお話よね……? お兄さんとお父さんを思い浮かべてみなさい……思い出せるでしょう……?」

 

 ユージオは思い出す。母の愛を一身に受ける、父の姿を。自分だけを除け者に、母の愛を貰う兄たちの姿を。

 

「……愛して、くれなかった」

「愛……それが、あなたが欲しかったものよ」

 

 そこに、私の甘事が、蜜のように流し込まれる。

 

「だって、そうでしょう……? ティーゼ……あの赤い髪の子が言ってたわよね……統一大会で上位に入れば、一代爵士に任命されるって……だから、整合騎士になれなかったら、会いに来て欲しいと……」

「……?」

「あなたは解っていたはずよ……貴族が結婚の契りを交わすことが許されているのは、同じ貴族だけ。平民と貴族は結婚できない……あの子が言っていたことは、遠回しの愛情だということに」

 

 ユージオの体がビクリと跳ねる。図星だという反応に、私は更に追い立てるように言葉を続ける。

 

「……その時、あなたは心が震えたわよね? いま、あの子からただ一つの愛情を貰っているんだって。無意識のうちに考えていたはずよ?」

「そんな……うそだ……そんな、はずは……」

「気づかなかったのね……アリスちゃんを助けるために、整合騎士にならなくちゃならなかったから。自分の喜びにも気づかないで、自分の役目で抑えつけたの」

 

「でも、それももう無理ね……あなたはあの子との約束を果たそうとしなかったもの。手に入るはずだった愛情は、こぼれ落ちたの。……もう誰も、あなたを愛してくれないのよ。あなた自身が捨てて、みんながそれを忘れちゃったのね」

 

 瞳が絶望に揺れる。嘘だ、違う、違うんだと呟く。でも、それが真実……

 

「……そうだ、違う。僕には、アリスが……」

「そのアリスちゃんも、ほんとうにあなただけを愛してくれたのかしら……? あなたはまだ、忘れてる……」

 

 そう言って、ユージオの記憶に潜行する……その時、()は我に返って、重大なミスを犯している事に気がついた。

 

 この整合騎士ifのユージオは、キリトとアリスとの思い出の一部を思い出してしまっているのだ。

 

 そして、俺が利用しようとした記憶の穴……『白金樫の木剣』をキリトとアリスがプレゼントするべく、ユージオに内緒で二人だけで作るという情景を、キリトと一緒にハッキリと思い出していた。

 

 ラースが掛けた記憶のブロックを掻い潜って、思い出してしまっている……これでは、洗脳して依存させてからのシンセサイズを行えない。

 

 まずいと思った俺は、すぐさまブロックを掛けられたままの記憶にアクセスする。余計な手間が増えたな……

 

 ユージオの記憶にある、キリトとアリスが二人で楽しそうに情景を、次々と思い起こさせる。その度に、瞳が暗く澱んでいく彼に、私がそっと耳許で囁く。三人の楽しい記憶から目を背けさせるように。アリスがユージオも愛していたことだけを切り取って、都合のいい夢を見させる。

 

「ほら……あなたを愛してないの。あの子の愛は、あなただけのものじゃない。キリトが貰っていた……あなたが入り込む余地は、無かったのよ」

 

「でも、私は違うわ、ユージオ」

 

「私があなたを愛してあげる。あなた一人だけに、私の愛を全部あげるわ」

 

 腕の中で私を見上げるユージオに、その証明だと言う様に、頬もぴとっとくっ付けて、体全体で表す。

 

 こんな、満ち足りた愛を受けたことがあるのかしらね……?

 

「でも、僕は…………父さんや母さんを、兄さん達を、友達を愛したんだ……」

 

 でも、その人たちは、愛をくれたあなたに、何かをしてくれたのかしら……? 寧ろ返ってきたのは真逆の、嫌悪や嘲笑でしょう?

 

「あなたは、私だけを見ればいいの……ほら、こうしてあなたに愛をあげているのは、一体、だれ……?」

 

 するすると、ユージオの腕が私に伸びる。

 

「そうよ……私だけよ……私だけが、あなたに無償の愛をあげられるのよ、ユージオ」

「無償の、愛……」

「ええ……何にも変えられない愛。何よりも大事な愛……それを、あなたは独り占め」

 

 虚ろな目で、大事な愛……変えられない愛……そう、何かに囚われたようにして、口から漏れ出ていく。

 

 自分の大事なものさえも、何もかもが漏れ出ていく。

 

 そんな感覚を覚えながらも、私の悦楽には抗えない。

 

「でも、独り占めにする前に、約束があるの」

「約束……」

「ええ……私とあなたを繋ぐ、魔法の言葉。私に全部捧げるって念じながら……システム・コール」

「システム……コール」

 

 神聖術の起句……それが唱えられた時、ほくそ笑んだ。

 

「続けて……《リムーブ・コア・プロテクション》」

 

「リムーブ……」

 

 私の万感を篭めて唱えられたその言葉に、ユージオの縋るような声が追従する。

 

「コア……」

 

 ああ、ユージオ……

 

 おまえは、本当に脆いのね?

 

「…………プロテクション」

 

 かちゃり。

 

 開かれたドアを見て、そして計画が次の段階へ移行した告げる音に、俺が恍惚とする。

 

「ようこそ……罪と痛みが交錯する世界へ」

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 遂に……ここまで来てしまった。

 

 九十五階、《暁星の望楼》まで壁を登って戻ってきた俺は、手近な円柱に寄り掛かり、休んでいた。

 

 結局、俺は記憶通りの道程を歩むことになった。アリスは教会から反逆する事を決意し、右眼の封印を破って、ここまで来ている。

 

 ──いや、あの記憶とは多少違う感じになったな。先ず、俺とアリスは最初から敵同士ではなかったから、事情の説明にいちいち命の危険を感じ取りはしなかったし、俺たちの目標はアドミニストレータを倒すことでなく、自分が死ぬことで世界を正そうとするという計画の阻止で一致している。

 

 だが、俺が話した内容は、やはりアリスには受け止めがたいものには変わりなく……寧ろ、こちらのアリスは最高司祭と仲が良かった分、最高司祭が裏で行っていた事に憤っていた。教会の壁にダークテリトリーの使役獣、ミニオンが配置されていたことから始まった俺の説明は、アリスの心を深く抉ることになった。

 

 また、茶会でも話されていた《剣機兵計画》の、その全容と元老院の実態……シンセサイズの秘儀。俺とユージオは、そんなアドミニストレータを止めるために、そしてアリス・ツーベルクを取り戻すために整合騎士となったこと。カーディナルはその協力者であること。

 

 《雲上庭園》でユージオと共に模擬戦をしたのも、いまこうして外壁から二人で落ちたのも、全てアドミニストレータが考えた計画であり、自分が死ぬつもりでいること……

 

 全てを話し終えると、アリスは尋ねてきた。「最高司祭様を、倒すのですか」と。俺は決して、アドミニストレータを倒すためにここにいる訳じゃないと答え、更に付け加えた。あの人は、止められるはずだと。それは、アリス自身がよく知っているはずだから。

 

 アリスは見習い騎士時代に、アドミニストレータとお菓子を一緒に作った思い出があると言って、当時を懐古しながら、楽しげに話してくれた。お菓子作りが得意な方ではなくて、散々服を汚したりしたのに、出来るまで教えてくれたり、真っ黒焦げになった時は、一緒に苦いクッキーやケーキを食べて悶絶したものだと。他にも、思い出話は尽きないのだと。

 

 アドミニストレータが、アリスと仲良くしていた事の全てが偽りだった……あの悪戯好きな上司を知っている俺にはそうは思えなかったし、アリスもそれは明確に否定していた。 

 

 その上で、アリスは友人を止める為に、いまだけは教会に反逆することを誓った。

 

 心強い仲間が一人増えてくれたのだ。そして、あともう一人……俺の相棒だが。

 

 アリスが望楼を回るも、人影一つ見当たらなかった。

 

「妙ですね……ユージオはここに居るものと思いましたが」

「……多分、アドミニストレータに捕まったんだろうな。ユージオは計画のことを知らなかったから、最上階に行って助けを求めようとしたんだと思う」

 

 十中八九、ユージオはアドミニストレータの手に落ちている。

 

 それに、アドミニストレータがあの記憶の通りに動くのなら、確実に……

 

「となれば、先にユージオを助ける必要がありますね。最上階へ急ぎましょう」

「ああ。あんまり遅れて、最高司祭様と戦う前に怒られちゃ敵わないもんな」

「おまえは最高司祭様を何だと思っているのですか……」

 

 軽いジョークで緊張感を弛緩させながら、小走りになって階段を駆け上がった。

 

 その瞬間。

 

 

 

「お主ら、少し待たんか」

 

 

 

 どこともなく聞こえてきた、年老いた賢者のような口調の少女の声。アリスが、これは……と聞き覚えのある声に反応し、俺がぎょっとして辺りを見回す。

 

 すると、隻影が塔の下から夜の空へと高速で飛来してきた。吹き抜けから入って来ると、少女、賢者カーディナルは俺たちの目の前で着地した。

 

「か、カーディナル……来たのか!」

「当たり前じゃろう。いま、この白亜の巨塔には、お主らとユージオ以外の整合騎士は居らぬ。ならば、わしが大図書室に篭もる必要性は皆無じゃ」

「それなら、外壁を登りきる前に来て欲しかったんだけどなぁ……」

 

 一体どれだけ苦労して登ったのか……風素術で登ってきた目の前の賢者には分かるまい。

 

「少し、準備に手間取ってしまってな……じゃが、代わりに食べ物を持ちこんでおる。これで体力を回復しておけ」

 

 カーディナルの両手には、ホカホカの饅頭が握られていた。どうやら、俺とアリスにくれるらしい。

 

 ちょうど腹が空き始めてたんだよなぁ……と、ありがたく一つ受け取ると、ふうふうと冷まし、囓りつく。

 

 コンポタと同じく、古代書オブジェクトを用いて作られたのであろうが、その中の肉餡のジューシーさと来たら、横浜の中華街で食べた本格的なものと遜色ない。口の中でほふほふと空気を含ませて転がし、三口で食べ終えてしまった。

 

 アリスも四口で平らげて、ちょっと切なげにため息を漏らした。かく言う俺も同じようなものである。

 

 しかし、確かな充足感を感じながら、カーディナルに向き直った。

 

「……なんじゃ、その物欲しそうな目は。強請られようと、もうわしは何も持っとらんぞ」

「いや! 全然足りたぞ!」

「も、物欲しそう目などしてません!」

 

 弁明してみるも、カーディナルにはバレバレらしい。呆れの目で見ながら、「行くぞ」と一言だけ言って階段を先行をする。置いてけぼりにされた俺とアリスが呆然した後、急いでその後を追った。

 

 

 

 

 階段をワンフロア駆け上がると、やけに狭くて薄暗い通路と、突き当たりには黒い扉が立ち塞がっていた。

 

 ここまでの光景は俺も何回も行き来する内に慣れたものだが、ここだけは飾り気のない、近未来SFチックな見た目になっている。

 

 いつもの俺なら、階段を上がった先のすぐ横に設けられたもう一つの階段を駆け上がり、九十九階まで行くだろう。

 

 だが、カーディナルは真っ直ぐ道を進み、黒い扉の前で止まった。

 

 この突き当たりの道は、正面に元老院が、右横には元老長の執務室、左横に枢機卿の執務室が置かれた造りで、公理教会の主要な機能がこの九十六階に収まっている。

 

 もう一人の俺が経験した記憶によれば、元老長の執務室なんてものは無かったし、枢機卿は役職すら存在していない。

 ここでも、アドミニストレータが自分の配下をどう思っていたかがよく窺える。

 

「……お主らは、公理教会の元老院がどのような仕組みか知っておるか?」

「……ええ。キリトから、自動化元老という存在を聞きました。人の扱いを受けず、術式を唱えるだけの人形に成り果てていると」

 

 次いで俺が頷いたのを確認すると、カーディナルは無言で扉を開いた。

 

 ひやりと、冷たい空気が流れ込むと、眩しい光が目に飛び込んでくる。薄暗い場所から一転して明るくなっているそこへ、目に手をかざしながら中に入る。

 

「!? こ、これは……」

「そうじゃ。この壁に並べて収められているのが、元老達……休み無く禁忌を監視する装置となった、自動化元老。この全てがな」

 

 構造は、俺の知る《元老院》と大差なかった。

 

 床は、直径二十メルほどの円形。そこから、三階以上の高さにくり抜かれている。そして、壁に半ば埋まったカプセルのような箱に、白い肌に禿頭の元老が入れられていて、神聖術を絶え間なく唱えている。

 

「この光景を作り出したのも……最高司祭様なのですか」

「無論な。だが、あやつも作りたくて作った訳ではない。そうせざるを得なかった……というのが正しいな」

 

 カーディナルの言葉に、やっぱりそうなのか……と納得しかけて、俺は驚きのあまり、首をぎゅりんっとカーディナルへ向けて、口を開いた。

 

「……なぁ、カーディナル。いま、もしかして……擁護したのか? 宿敵であるはずのあんたが、アドミニストレータを」

 

 俺がそう指摘すると、アリスも遅まきながらその事実に気が付き、目を見開いた。

 

 アドミニストレータのやった事は、たとえどんな事情があろうと許される所業ではない。ましてや、二百年来の宿敵であるカーディナルが、その所業を許すはずが無いのだ。

 

 俺が言い終えて、十秒ほど沈黙した賢者は、ぼそりと言った。

 

「……ここにおる元老は、全てアドミニストレータ……いや、クィネラだった頃に、自らの手で育てた教え子じゃ。かつて、手動だった元老院を構成していた者たちでもある」

 

 じゃあ……アドミニストレータは、自分を慕っていた神聖術士を、その想いを裏切ったのか。

 

 そこまでして、この元老院を作ろうとしたのか。

 

「自動化元老にするあたり、特に高位の権限を持つ者を必要としたアドミニストレータは、当時の元老を再利用しようと考えたのじゃ。あやつの日記には、その時の後悔が綴られておる。戦いが終わった後にでも読むといいさ……」

 

 声が出ない、というのはこういうことなのだろう。

 

 まるで、自分のことのように語る小さな賢者の背中を見て、俺は、かつてこの少女がアドミニストレータの中で生きていた事を思い出す。

 

 だが、大図書室で語ったアドミニストレータの生涯は、最高司祭の手によって都合の良い風に改竄された偽の記憶であることは、カーディナルでさえ疑いの余地は無いと結論を出していた。

 

「まさか……消された記憶が戻ったのか」

「…………」

 

 沈黙は肯定。何も言わず奥の部屋へ歩き出したカーディナルを追う。

 

「なあ……あんたは、アドミニストレータを消し去るのか?」

 

 つい数刻前に、俺が尋ねられた質問を、今度はカーディナルにぶつける。それでも、カーディナルの歩みは止まらない。

 

 アリスに目配せすると、肩を竦めながら頷いた。「お前の好きにしなさい」と、言外に言われたようだった。

 

 九十九階の、がらんどうな部屋に着いて、ようやくカーディナルの足が止まった。

 

 顔は帽子に隠れて見えないが、やるせなく顔を振ったり、溜息を漏らしたり、記憶が戻ってから何かを抱えているのは間違いない。

 

 俺は、そんなカーディナルを後ろで待ち続けた。自分から話してくれるまで。

 

 やがて、大きく溜息を吐いたカーディナルがこちらに振り返ると、いつになく真剣な声音で言い聞かせた。

 

「……大事なことゆえ、よく聞いておけ。わしには、もうアドミニストレータを弑することはできん。わしは、サブプロセスのプログラムとしては、完全に壊れてしまった。後ろから、お主らをサポートしてやることしかできんのじゃ」

 

 壊れて……しまった。

 

 俺は一瞬、どういうことかとも思ったが、サブプロセスは《メインプロセスの過ちを正せ》という基本命令を受けて動いている。システムの重大なバグであるアドミニストレータを倒せないとなれば、それはシステムとして破綻している。

 

 それが、人の身に落とし込まれ、行動原理として焼き付いたカーディナルにとっては、その至上命令を果たせないというのは、壊れてしまったも同然なのだろう。

 

 だが、その状況は俺とアリスにとっては有難いものだ。

 

 カーディナルは、アドミニストレータを倒すために術を練り上げ、協力者を探してきた。一方で俺たちはアドミニストレータを倒すつもりは毛頭ない。それはやがて、対立を生んでしまうことは明確だった。

 

「……どうしてだ? 記憶が戻ったからといって、カーディナルには、アドミニストレータの打倒こそが、存在意義だって……」

「だから壊れてしまったと言ったじゃろう。わしはあやつを一人の少女として認識してしまっている。本来のクィネラとしての役目を全うしようと足掻き、狂っていっただけで……本当は、心優しき女の子じゃよ。それを思い出してしまったのじゃ」

 

 ああ、言ってしまった……と消沈するカーディナルに、俺とアリスは顔を見合わせる。

 

 とどのつまり、俺たちの推測は何ら間違っていなかったことになる。

 

 本来のクィネラの役目……という言葉の意味はさっぱりだが、少なくともアドミニストレータとなった瞬間から、カーディナルが誕生するまでの間も、彼女の本質は変わっていなかった。

 

 アドミニストレータの本心の記憶を取り戻したカーディナルが、アドミニストレータを壊れたプログラムとして認識できずに、人として認識せざるを得なくなるのは不思議じゃない。

 

「それに、二人もアドミニストレータを倒すことは本意ではなかろう。これで晴れて、目的が一致した訳じゃな」

 

 カーディナルが皮肉った笑みを浮かべて、わざとらしくそう言う。

 

「まあ、そうだけどさ……カーディナルはそれで納得しているのか?」

「うむ。あやつを倒してしまえば、元老長との約束を果たせんのでな。いまは、それが何よりも優先される」

 

 元老長との約束。

 

 いま、カーディナルはそう言った。

 

 元老長クリスチャンは、長い間アドミニストレータに仕えている。カーディナルが語っていた話には、かつて人格としてアドミニストレータの体に入っていた頃、意識が表面化すると、アドミニストレータを排除すべく、塔から身を投げたり、神聖術で消し炭にしようと試みたと言っていた。

 

 それが確かなら、その時にそれを止めようとする元老長クリスチャンと戦っているんじゃないだろうか。

 

 或いは、何か会話したのかもしれない。

 

「元老長クリスチャンとの約束……ですか?」

「……今となっては、有効かも分からんがな。それより、ほれ。あやつが用意した、最初で最後の刺客が来るようじゃぞ?」

 

 肩越しに部屋の奥を見遣ったカーディナルが杖を構えた。もう思考を巡らせる暇は与えてくれないっぽいな。

 

 奥の天井の一部が外れて、昇降盤となり降りてくる。

 

 その厚い大理石の上に、白銀の鉄靴(ソルレット)を見た。やがて、その全体像が露わになる。

 

 ……ここでも、俺は戦うことになるのか。

 

 隣にいたアリスが、ハッと息を詰まらせた音が明瞭に響いた。

 

 腰に佩かれた氷の剣。柔らかな亜麻色の髪。

 

「……来ると思ったぜ。ユージオ」

「…………」

 

 俺がいつものように呼び掛けようと、相棒はそれを一顧だにせず、つかつかと歩き始める。右手で柄を握り、一片の躊躇もなく抜き放つと、その切っ先を俺に向けた。

 

「……最高司祭様より、君と戦うようにと、そう言われている。話すことは何もない」

「だろうな。……なあ、ユージオ。俺とおまえって、本気で戦ったことって、まだ無かったよな。ここでの稽古だと、もう結構負かされちまってるけど」

 

 夜空の剣を引き抜き、同じように切っ先を向ける。

 

「すまん、アリス、カーディナル。ここは、俺とユージオだけで戦わせてくれ」

 

 返事は聞こえなかった。だが、カーディナルのやれやれという気配と、どうか気を付けてとアリスが言ってくれたような気がしたから、振り返らずに、真っ直ぐ、ユージオの緑色の瞳を貫く。

 

 挑発的な笑みを浮かべると、俺は言ってやった。

 

「負けてやるつもりはない。お互い……本気でやろう」

「……言われずとも、僕はそのつもりだよ」

 

 剣を構える。

 

 こうして緊張感を持って相対するのは、統一大会以来だろう。あの時は綿密に考えられた演武であるのに対して、今回は本当の敵同士。

 

 あいつの師匠として、弟子の成長を試してやらないとな。

 

 ユージオと俺が、鏡合わせのように剣を振りかぶり、肩に乗せるように構える。片手直剣突進技、《ソニックリープ》

 

 二本の剣がライトグリーンに染まり、直後。

 

 凄まじい衝撃が、けたたましい音ともにフロアを揺らした。

 

 

 ◯ ✖️ △ ◆

 

 

 ……なんか、居ちゃ駄目な奴がアリスの隣にいるんだけど。

 

 神聖術で覗いてみたら、九十九階のメンバーにカーディナルの姿を認めてしまった。しかもこっちに気が付いているようで、その理知的な瞳がこちらに向けられている。

 

 またミスったなぁ……と、カセドラルに整合騎士を置いておかなかった事をやっぱり後悔した。どうせ最終決戦になったら現れるだろうという先入観に囚われて、ついカーディナルが大図書室から出てこない理由を意識の外から弾き出していたのだ。

 

 早々に原作再現へのガバをやらかすとは、つくづくツキが無い。

 

 南帝国産三百年もののワインが入ったグラスを飲み干すと、キリトとユージオの戦いに目を向ける。

 

 改良型《敬神モジュール》……イマジネーション回路を搭載し、持ち主の心意を飛躍的に上昇させるようになったこれをユージオに嵌め込んだ。心意に関しては、アドミニストレータよりも知識を多く持っているから、このままキリトが負けてしまわないかと危惧したが、流石にそこは主人公か。二人の間で無数の軌跡が交錯し、せめぎ合う。

 

 キリトがユージオの名前を叫んで、再び加速する。ユージオも、雄叫びを上げながら立ち向かう。

 

 相剋する黒と白。俺はそれにただただ見入る。

 

 たまに、四帝国統一大会の決勝戦とかを神聖術で覗いて見たこともあったが、そのどれにも勝る。いや、比べるのも無粋な気もするが……

 

 だが、戦いは終わる。ユージオが、《リリース・リコレクション》と呟いたことによって。

 

 一瞬で氷に閉ざされるキリト達。ユージオが踵を返し、昇降盤を起動させて戻ってくる。

 

 ベッドの天蓋からは、俯いた顔を窺い知ることはできない。すっかりボロボロになった鎧を脱ぎ捨てると、天蓋の外で止まり、俺を呼びかけた。

 

「……最高司祭様」

「……おかえりなさい、ユージオ。さあ、こっちにいらっしゃい」

 

 入ってくるユージオは、決して俺と目を合わせず、ベッドのシーツの上に乗り上げる。

 

 とは言っても、このベッドは直径が五メルもある超キングベッドなので、ユージオは手探りで、這い寄るように俺の下へやって来た。

 

 ……っと、いけないいけない。そろそろ切り替えなければ。

 

 目を閉じると、アドミニストレータの仮面を深く被り直す。何度もクリスチャンやカーディナルに壊されているが、今回に限ってはユージオとの化かし合い。私に勝てない道理はない。

 

「いい子ね。じゃあ、顔を見せてちょうだい」

 

 十センの隙間を空けて、ユージオが体を止めると、ゆっくり顔を起こして、私の顔を見た。

 

 凍てついた様な無表情。表情をおくびにも出さないそのポーカーフェイスは驚嘆に値する。ユージオの過去からして、我慢するのは得意なのだろう。

 

 そんなユージオの顎を、右手で持って支えると、ユージオの表情が僅かに揺らぐ。

 

「……やっぱり、この記憶の穴は不安定のようね。妙なブロック処理をされてたから好都合だと思ったけど、私が手ずから記憶を封印した方がいいかしら……」

 

 うーむと考える素振りをしつつ、ユージオの額に触れる。

 

 そして、うっかりユージオが動いてしまわないよう、管理者権限を用いてユージオのステータスに直接状態異常の麻痺を書き加えるのも忘れないようにして、神聖術を唱える。

 

 そうして、ユージオの額から三角形の水晶柱を取り出した。

 

「そのまま、動かないで待っててね……」

 

 脚の上にユージオの頭を持ってきて、膝枕してやる姿勢のまま、耳許で囁く。

 

「あなたの記憶を見させてもらうから、これが終わったら、また二人で一緒になりましょうね……あなたには、私しかいないのだから」

 

 右手をユージオの額に触れつつ、左手で頭を撫でる。

 

「じゃあ、また一緒に唱えて……《リムーブ・コア・プロテクション》よ」

 

 ユージオの口は動かない。いつぞやのヒースクリフと同じで、口の麻痺は敢えて切っているのだ。

 

 それから、五秒くらいして、ようやく口が動く。

 

「…………う……」

 

 ユージオの、聞こえるか聞こえないかの掠れ声。

 

「……う……ご……」

 

 抗おうとしている。体の麻痺から、必死に。

 

 事情を知っていなければ、気取ることのできない。そして、心意の鍛錬を行っていなければ気付けなかった、心意力。

 

「……う、ご、け……」

「……何を……!?」

 

 私の内心とは切り離された口が動いた瞬間、死の予感が殺到する。

 

 いつの間にか柄に当てられた右手。私は更なる失態を悟りつつも急いでその場から飛び退くと、私の前を極寒の冷たさが襲う。次の瞬間には、ベッドが両断された。

 

 本能的に心意の力を使えたから良かった。あと数瞬遅れていれば、私の腕か首が落ちていた。正に、神速の抜刀。

 

 仮面を外しながら、あちゃー、と、俺は天を仰ぎたい気分になっていた。

 

 この世界のユージオは、カーディナルから短剣を渡されていない。その理由は簡単で、カーディナルの側について俺を殺そうとはしていなかったからだ。

 

 だから、同時に不思議に思う。いま、ユージオは完全に俺を殺す気で剣を抜いた。一応まだ上司なのだから、もっと手加減されておかしくない。

 

 取り敢えず、壊れたベッドを異空間に引っ込めると、遠い距離でユージオと向かい合う。

 

「……最高、司祭様」

「どうしてって顔をしてるわね? まあそれも当然よね……いきなりシンセサイズして、キリトと戦わせて、この人は一体何がしたいんだろう……そう思ったんでしょう?」

 

 心意で床から二十センほど浮かび上がると、そのまま椅子に座るように足を交差させて、蟲惑的な微笑みを浮かべる。

 

「私はね、ユージオ……もう、あなたたちのこと、どうでも良くなったのよ」

「…………」

「そのうち、おちびちゃん達が上がってくるでしょうから簡潔に言うけれど、面倒だからここで殺すことにしたの。言ってる意味、分かるわよね?」

 

 ユージオの片目は、細められていた。結構二人には優しくしてた方だし、てっきり開くと思っていた。そんな、まさかって具合に。

 

 ……まあ、戦意が高いならば良し。ユージオはキリトに協力して貰わなくては困る。

 

 睨み合いはじめると、ユージオは一呼吸してから口を開く。

 

「……あなたは、人界を守りたかったのではないのですか?」

「ま、結果的に言えばそうね。でも、それに当たって、おまえたちはもう必要無くなったの」

「……《剣機兵計画》、というものですよね。それが一体、どんな計画なのか、教えて下さいませんか」

 

 その左目から、猜疑の色は未だ消えず。

 

 右手は柄に、俺への視線を頑として放さない。

 

「ふふ、まさか教えを乞うとはね……その潔い姿勢に免じて、教えてあげる事にするわ」

 

 遅かれ早かれ、どうせ知ることになるのだ。

 

 今ヘイトを溜めてもらって、存分に殺しあえなくては困るというもの。

 

 ちょっとした余興という風な様子で空気頬杖を突いて、内容に反して重さのない口調で語りかけた。

 

「私はね。三百人の命を使って、とある兵器を生み出したの。抜き取った大事な人に関する記憶の欠片と、大事な人で作られた神器を用いる、整合騎士さえ歯牙にもかけない、最強の兵器をね」

「なん……だって……!?」

 

 文字通り、人間を使った兵器を作ろうとした事へ、驚きを禁じ得ないらしい。激しい感情を吹き荒れさせた目で俺を睨み付け、次に天を仰ぎ見た。

 

 天井を飾る荘厳な絵画……その一つ一つの輝き。その中の一つに、ユージオは語りかけられていたから、解ったのだ。

 

 そんな非道なる兵器に、アリスの記憶さえも利用されている。

 

「……あなただけは、絶対に……!」

「怒ったところで、おまえは手出し出来ないでしょう?」 

 

 右腕をゆらりと持ち上げて、ユージオの瞑られた右眼を指さす。

 

 さっきから、ユージオは右眼を開けていなかった。まるで、何かを隠すかのように。

 

「その右眼……おまえには、まだあの者のコードが働いているようね。アリスちゃんはもう破っちゃったみたいだけど、それは人には簡単に外せるものじゃないわよ? ベルクーリも破れなかったんだから」

 

 くつくつと喉を震わせる。

 

 ここの世界のユージオは、ライオスとウンベールのちょっかいを受けずにここに来たので、当然ながら右眼の封印を破れていない。

 

 その発破を掛けようと悪役っぷりを強調してみたが……効果は抜群だな。

 

「……これも、あなたが……最高司祭様がやられた事なのですか?」

「間接的にはそうなるわね。私が全住人にコードを仕組むように言ったの。これで、誰も教会に反逆しようだなんて思わないでしょう?」

 

 自分に与えられた命令に対し、明確な叛意を抱いた時、これは発動する。ユージオの場合、『禁忌目録第一条一項 教会への反逆』への違反を自覚している為だ。

 

 そもそも、上位存在たる最高司祭から公布されるこの禁忌目録は、まず誰も破ろうとは思わないのだ。そう人工フラクトライトはできているので、普通は右眼が痛むなんてことは起きたりはしない。

 

「どう? これで満足したかしら?」

 

 唇を一文字に引き締め、鋭い瞳を向けられる。

 

 この数々の所業を聞けば、誰でも敵愾心を向けたくなるだろう。それほどまでに、俺の犯した罪は重い。これで、心置きなく戦える。

 

 だが、そんな余裕な態度は、一瞬にして崩れた。

 

 俺が一番よく見た、ユージオの表情……どこか困った人を見るような、仕方ないなと言われているような、そんな柔らかい微笑。

 

「やっと解りました、最高司祭様……あなたは、多分、あなたが思っている以上に優しい人だということを」

 

 掛けられるべきでない口調でそう言われると、身体の隅から隅へ、何かが過ぎ去っていく。

 

 身体が総毛立って、一時呼吸さえ忘れてしまう、そんなものに触れる感覚。俺の大事な、隠したいものに杭を打ち込まれたような……

 

 そして同時に……ユージオは、俺の計画におけるイレギュラーと化した事を意味していた。

 

「……今の話の流れで、どうしてそうなるのかしら」

「……いえ。話の流れというより、ただ冷静に、今までのあなたを思い浮かべたんです。人らしい温もりも、優しさも……満ち溢れていた」

 

 瞑目して、瞼の裏に描き出しているものは、ユージオが見てきた俺の姿だろうか。

 

「僕はキリトほど、あなたの事を知っている訳ではありません。それでも、アリスや他の整合騎士からあなたのお話を聞くことはありました。ちょっとお茶目で、ちょっと怠け者で……誰よりも頼もしい、と」

「……そう」

 

 言うに事欠いて、最高司祭にお茶目と怠け者って……まあ、言ったのは、間違いなくアリスとクリスチャンだろう。

 

 なんでこう、俺の部下は上司への礼儀がなってないんだろうなぁ……

 

 溜息が漏れて、頬杖を突く手を変えてしまう。あいつらに文句の一つでも言いたいが、生憎と今日までの命だ。ユージオに話した内容にツッコミを入れられないのは惜しいところだ。

 

 俺を貫く翠眼と視線を交錯させると、ユージオが、今度は悲哀に満ちた、複雑な気持ちを全面に押し出したような気まずい表情をしていた。

 

 俺が再度目を合わせるまでに、ユージオが一体何を思ったのか……何か、嫌な予感を感じながら、彼は口を開いた。

 

「……だから、その上で聞きます。どうしてあなたが、このような事をしたのですか」

 

 その上で、ねぇ。

 

 ユージオは、目の前に立っている存在が優しさの権化だとでも思っているのだろうか。

 

 この俺に、優しさが欠片でもあると?

 

 数多くのフラクトライトで実験を行い、自動化元老を作り、整合騎士を作り、ソードゴーレムを完成させた、この俺が? そんな訳ないだろう。俺を何だと思ってるんだよ、お前は。

 

「……違うわ、大間違いよ。私は常に犠牲を強いてきた。実験に使った人達のことは記憶を整理しちゃって何にも覚えてないけど、これまで3623人にフラクトライトの実験を、506人にシンセサイズを施してきたの。この意味、分かる?」

 

 ただただ腹が立って、言い聞かせるように語気を強めた。

 

 俺は最高司祭アドミニストレータだ。人を人と思わない所業だってやってのけた。直接的にではなくとも、人を殺している。

 

 だから、本当にイライラするなぁ……

 

「ええ、分かります」

 

 ……そうやって、慈しみを込めた目で俺を見てくるのは。

 

「だから、もうやめて下さい。自分も他人を痛めつけて、最高司祭たらんと演じるのは」

「──違うッ! 私は、最高司祭アドミニストレータだと言っているでしょう!? 演じてなどいない! 私がアドミニストレータだ!」

 

 煮えくり返る激情が溢れ出て、口を激しく捲し立てさせる。反射的に、俺はユージオの言葉を否定してしまっていたのだ。

 

 一呼吸して、思い切り吐き出す。ふと冷静さを取り戻すと、まるで言い聞かせるように口走った先の発言を思い出して、自分の短気さにほとほと呆れた。さっきから、あまりに取り乱し過ぎている。

 

 こんなでは、到底アドミニストレータとしての役目を全う出来ないというのに……

 

 熱くなった顔を見られたくなくて、いつ取りだしたのか分からない、右手に握られたシルヴァリー・エタニティをユージオに向けた。取れかかった仮面を、顔に嵌め直しながら。

 

「それで? 貴方に、私に立ち向かう気概はあるの? でもまあ、その封印がある以上は無理よね?」

「それは違います、最高司祭様」

 

 遮るかのように、俺の言葉に被せてそう断言した。

 

「僕は一度、貴方がくれた本物の愛という誘惑に負けています。ですが……貴方が道を違うのならば、僕がそれを正します。前に、キリトが言っていました。禁忌であっても、法で禁じられていようと、しなくてはならない事があると。だから、貴方が貴方でなくなる前に……その大事なものを守る為に、僕は、剣を取れるんです!」

 

 強い意志を発露させながら、右眼が開かれた。紅い輝きを放ちながら、バーコードの円環が激しく回って、なおその輝きは増していく。

 

「アリスが信じる貴方の為に、僕は、戦います!!」

 

 キイイイイと、耳障りな甲高い金属音と紅い輝きが更に増し、遂に閃光を解き放った。

 

 血飛沫がユージオの顔を鮮烈に彩って、雄叫びを上げる。

 

「うおおおおおお────!!」

 

 もう、ユージオを止めるものは何一つ無い。剣を引き抜いて、急速に迫ってくる。

 

 迫り来るユージオに、取れる行動は幾つもあるが……やはり、ここは絶望的なまでの実力差を見せてやるのが一番だろう。

 

「システムコール、ジェネレート・サーマル・エレメント」

 

 そう考え、ニヤリと口を割いた俺が腕を振れば、空気を端末に生成された炎の矢が、数にして三十ほど浮かんだ。

 

 ユージオはそれに多少は驚きながらも、その足を止めるつもりは無いようだ。

 

「──ディスチャージ」

 

 次々と射出される炎の矢。ユージオはそれを巧みに躱しながら、剣で斬り払い、対遠距離用の片手直剣の防御技、《スピニングシールド》で尽くを防ぎながら、俺の斜め下まで辿り着いていた。

 

 俺は宙に浮かび上がっており、その高さは五メル。とてもではないが届かないだろう。

 

 だから、この時取るであろう選択肢は一つ。

 

 ライトグリーンの光を剣に纏わせたユージオが跳び上がってくる。空中の敵に対しても有効な片手直剣技……《ソニックリープ》。

 

 対する俺は、剣を左腰で溜めて、ソニックリープの剣を下から迎え撃ち、垂直に振り下ろす一撃でユージオをぶっ飛ばした。細剣二連撃技、《フォーリウム》。

 

 ユージオは空中に吹き飛ばされながら姿勢を持ち直すと、床に剣を突き刺して、窓まですんでのところで勢いを消せたらしい。剣を床から引き抜いて、空から睥睨する俺を力強く見返した。

 

 そんな睨み合いの最中になって、三つの影が穴から飛び出してきた。

 

「……来たわね」

 

 風素術で飛び上がっているのは、キリト、アリス、カーディナル。その先頭に立つキリトは俺に一瞥をくれてから、ユージオの方に顔を向けた。

 

「…………キリト…………」

「よう、ユージオ」

「…………来るなって、言ったのに」

「俺が、おまえの言いつけを素直に守ったことがあったか?」

「…………そうだね。君はいつも…………そうやって…………」

 

 涙ぐましいシーンではあるが、こうやって、ただ静かに蚊帳の外で黙り込むのは、アンダーワールドに来て初めてかもしれない。

 

 俺がいれば、全員が俺の方を向くのだ。まあ、お偉いさんに無礼を働きたくないっていう気持ちは分かるし、人界を牛耳る組織のトップなのだから、それも当然のことだろうが。

 

 なんだか、サラリーマン時代に戻ったかのような気分だ。

 

 ……もう、そんな日は来やしないが。

 

「……さてと。やり合う前に、話し合いませんか、最高司祭様」

「……あら。あなたたちを殺すってこと、気付いていたのね」

 

 キリトたちに動揺は見られない。

 

 俺の苦しいこじつけとして言った計画は最初の頃から見破られていただろう。そこから、殺すという発想に至るのは普通のこと。

 

 ここまでは良い。だが、ユージオの様な例もある。

 

 キリトはここに来るまでに、俺へのヘイトを着実に貯めた筈だから、そこまでの心配はしていないが……

 

「……でも、本当の目的は違うんだろう? クィネラさん」

「……本当の目的? なぁにそれ」

 

 自分の声が、一段低くなったのを感じた。

 

 本当の目的。本当の……計画。

 

「俺も、カーディナルの話を聞かなければ解らなかったよ。あなたが、こうして俺たちと対峙している理由は何なのか」

「……カーディナルったら、キリトに私の何を吹き込んだのかしらね?」

 

 視線を、キリトからカーディナルへと移した。

 

 ……思えば、カーディナルを生み出す為に、俺はどれくらいの時間をかけたんだろう。

 

 まず、シンセサイズの秘儀を編み出し、その次に大図書室を作り、自らの感情も消し、記憶の操作までして、やっとの思いで、キリトを導く存在を生み出したのだ。

 

 途方もない歳月をかけたが、その苦労もあって、こうして敵として、彼女がいる。

 

 そんな感慨に耽りながら、俺の宿敵はフンと鼻を鳴らして、前に出た。

 

「……覚えておるか? かつて、貴様が初めてソードスキルを使った時じゃ。確か、《ソニックリープ》と言ったか。あれを使った時、貴様は見事に体をシステムアシストに引っ張られ、制御不能に陥って転倒し、あまつさえそれをクリスチャンに見られ……」

「──ぅえっ!?」

 

 カーディナルの曝露を聞いて、当時の記憶が甦った。

 

 あれは……本当に赤面ものだった。アドミニストレータとなってからはしゃんとしようと心掛けていたのに、隠れてソードスキルの練習をしたらあのザマで、しかもクリスチャンに見られてしまって……本当に死にたくなった。

 

 でも、それは俺とクリスチャンの、数多くの二人だけの秘密のうちの一つであり、間違っても他人に知られていい代物ではなかった。

 

 紅潮する顔を隠しながら、思考する。

 

 ……やはり、思い当たる節は一つしかない。

 

「おまえ……記憶のブロックを自力で解除したわね」

「そうだとも。ただ一つだけ、過去と今が繋がっておった経路を辿って……わしは全ての真実を視たのじゃ」

 

 全ての、真実。

 隠し通してきた、アドミニストレータでは有り得ない部分。

 

 身体が、芯から凍りつく感覚。

 

 俺は、あらゆる秘密が暴かれた哀れな道化になっていた。

 

 ああ、そういう事か……だから、キリトさえも、ユージオと同じように、そんな目で俺を見るのか。

 

 何もかも、ガラガラと崩れ落ちていく。積み上げた、アドミニストレータという虚像が、根底から覆されて、硝子細工のように脆く、儚く壊れていく。

 

「その話をカーディナルから聞かされてる。俺も、アリスも。だから確信したよ……クィネラさん。あんたは、死にたがっている。舞台までお膳立てして、俺たち……いや、俺を使って全てを終わらせようと、こんな計画を実行した。そうだろう?」

 

 遂には、キリトの言葉の一つ一つが鋭利な刃となって、虚像の奥に隠れた〝俺〟を容赦なく切り刻む。

 

 足許が覚束無い。信じた幻想が壊れて、現実を見させられたからだ。

 

 〝俺〟という異物を、遂に彼らにまで知られてしまった。

 

 もう、アドミニストレータではない。

 

 この世界はもう、壊れていた。

 

「クィネラさん……お願いだ。俺たちは、あんたと戦う意思はない。最高司祭の責務に縛られる必要も、もう無い。人界の民を心から愛しているあんたになら解るだろう。あんたが犯した罪が重くとも、死んだところで何かが変わる訳じゃない。寧ろダークテリトリーに対抗できる力を失うだけだ。これ以上のやり合いに意味はない。だから、あんたは殺さない。俺たちと一緒に、この世界の未来を救うんだ」

 

 倒されるべき大敵は消えた。重責を負わされた可哀想な少女に、手を差し伸べる勇者が、そこにいる。

 

 対等な敵はいない。

 

 それは、弱者に差し伸べる手。

 

 アスナやリーファ、シノン、アリス、ユージオ……彼らに向けられるべき目が、敵として立ちはだかるはずの俺を貫いていた。

 

 ……その、なんと恐ろしいことか。

 

 俺は弱者ではない。キリトに救ってもらうヒロインなんかではない。俺はラスボスだ。アークエネミーだ。桃太郎で言うところの鬼、ホームズで言うところのモリアーティ、勇者で言うところの魔王。

 

 そんな存在が俺なのだ。

 

「……認めぬ、許さぬ。我は公理教会最高司祭、アドミニストレータだ! 冷酷な支配者、絶対なる世界の管理者だ! おまえに……おまえなんかに手を差し伸べられる謂れはない!」

 

 俺の存在理由は、ただそれのみに集約される。

 

 全てを投げ打ってでも、アドミニストレータであり続けなければならなかったのに。

 

「そうやって、また己を騙す。貴様の本質はわしの知るところでもあるからな。……だが、よく考えてみよ。貴様がいるこの世界は何じゃ? 真なる神、レキ・カワハラが創り出した虚構の世界か? 《ソードアート・オンライン》という、物語の世界のごく一部に過ぎんというのか?」

 

 違う、違う……俺は、ただこの世界を、正しい道へ導こうとしただけ。

 

 あるべき世界へ、あるべき物語へ……俺はそれを願ったんだ!

 

「……私は、私は……この世界を正さなければならない!」

「そうやって、神の代弁者たらんと? じゃが、誰もそんなものは望んでおらぬわ! 貴様が一番知っているじゃろう! 彼の者の物語が我々にとって最善ではない……正しい道など、存在せぬ事をな!」

 

 

「──違うっ!!」

 

 

 なら、俺は……全部間違っていたのか?

 

 クィネラとして、俺は生きてきた。この世界に生を受けてしまってから、《ソードアート・オンライン》という物語を作り上げる為に行動してきた。

 

 そうしなければ、《アリシゼーション計画》は順調に進み、AIは軍事転用され、キリトとユージオが出会い、友情を育むことも無ければ、ダークテリトリーとの和平も成らず、この世界はそれで終わりを迎える。

 

 それを阻止したかった。公理教会を立ち上げ、禁忌目録と《コード:871》で実験を遅らせ、キリト達の来訪を待っていた。

 

 整合騎士団がなければユージオが央都を目指すこともなければ、アリスとキリトが協力してアドミニストレータと立ち向かうことは無かった。

 

 整合騎士団が人界軍を作り、ダークテリトリーと立ち向かうことも無いだろう。

 

 俺は間違っていない。間違ってなどいない。このまま殺されてしまえばいい。

 

 なんだ、俺は間違ってなんかないじゃないか。

 

 危うくカーディナルに丸め込まれる所だった……だが、こんな所で俺の野望を終わらせる訳にはいかない。俺はまだ止まれない。

 

「ふ、ふふ……あはははは!!」

「……何がおかしい、クィネラ」

「……そんなもの、全部に決まってる。間違いなんて、一度も起きていないんだ」

 

 

 

「俺はアドミニストレータ……この世界を正すものだ! やってみせろ、キリト! 俺を殺してみせろ! さもなければ、俺がおまえたちを殺す!」

 

 

 

 啖呵を切った俺の右手が強く光り輝いて、その手の中に握られた《敬神モジュール》が強く明滅する。

 

 長ったらしい術式なんて要らない……俺は、アドミニストレータなのだから。

 

「──リリース・リコレクション!」

 

 数は、二十五本……それでも一本一本が強力な神器である事に変わりは無いそれらが、百階の壁から解き放たれ、俺の手許へ集まっていく。

 

「クィネラ……貴様!」

「くっ……あの時と同じ《ソードゴーレム》が……!」

 

 黄金の剣の人形に、《敬神モジュール》が嵌め込まれる。

 

 俺の、俺の最高傑作……ああ、俺は、やはりアドミニストレータなんだ。

 

 物語は繰り返される。

 そういう運命なんだよ。キリト、カーディナル。

 

「改めて……我が名は公理教会最高司祭、アドミニストレータである。さあ、頭を垂れて、這い蹲りなさい」

 

 アドミニストレータの仮面を被り直した俺は空に浮かび上がると、妖艶に足を組みかえて、ソードゴーレムに命令を下した。

 

 

 

(つづく)

 




次々回で終わりと言ったな。あれは嘘だ。

次回、原作再現編完結。
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