四方八方が暗闇に染まり、もはや方向感覚は完全に失っていた。
ここはいわばバーゲストの精神世界。
体の方は解析済み。
厄災と彼女を切り離すプランと、それを実行するプログラムは組み上がっている。
自身が持ちうる万物を原子以下まで破壊しうる能力と、意のままにセカイを作り直す為に与えられたこの能力を用いれば、可能な事だ。
セカイの創造主の為に与えられた能力であり、本来であれば自由に使えず、その意思からは抗えない能力だが、異世界であるこの場所であるならば制限はあるものの自由に行使できる。
その制限故に内部まで直接入る必要があったものの獣となったバーゲストが人間が入れる程の巨大さで助かったと言ったところか。
問題は、彼女の意思だ。
あの厄災が彼女の意思が起因となった以上。その要素を無視することは出来はしない。
精神に干渉する術は、様々な異世界に存在している上に既に自身が生み出されたセカイにおいても確立している。
精神を操る事が最も手っ取り早いが、現状の自分ではそのような事は不可能。
たとえ可能だったとしても、そのような事できるはずもない。そのような事をしても意味は無い。
だからこそ対話を選んだ。
厄災と化したバーゲストに本人の意思が残っているかは定かでは無かったがアドニスの花畑の件や獣の眼から涙が流れていた事を鑑みれば、彼女の意思は残っているという確信があった。
歩いているのか、飛んでいるのか、自身では感覚としては掴めないが、何となく気配がある方向へ進んでいく。
――いた。
眼下を見れば、その場に蹲っているバーゲストを発見した。
この場所では自分自身が認識している姿で現れる。
妖精騎士ガウェインとして振る舞っていた鎧は脱ぎ去っており、日常で見たドレス姿でもない。
頭の装飾は巨大化しており、形には仰々しく禍々しい謎の装飾。両手足には刺々しい形の鎧のようなものが取り付いているが体そのものはほぼ露出度が高く、目線に困る格好をしていた。
(あれってバーゲストの趣味なのか?)
どうしてもその格好が気になってしまうが、そんな場合ではない。
体を動かし、バーゲストへと近づいて行く。できるだけ、気軽に、気楽に声をかけうよう心がけた。
「よう――」
⁑
食べてしまった。■■■■を食べてしまった。
今度こそは、最後まで愛する事ができると思っていたのに。食べずにすむと思っていたのに。
「よう」
愛していたのに。あんなに愛していたのに。
「おーい」
自分は所詮卑しい獣だ。
「バーゲスト~?」
卑しい獣である自分に、愛する者を食べてしまう自分が、生きていてはいけないのだ―
「おい!」
「ひゃぁぁぁぁぁぁぁ――っ!!」
角を!!角を掴まれた!!
「貴様!! 何をする!! 私にとって角がどういうものかわかっているのか!?」
こんな時に!こんな所で!
「え!? これ角だったのか!? てっきり髪飾りかと……」
目の前の男を威嚇する。嫁入り前の自分の角をあんなに強く掴むなど、言語道断。八つ裂きにして――
「トオル!?」
下手人はつい最近まで世話をしていたニンゲンだった。
「な、なななぜこんなところに!!??」
何故こんな所にトオルが!!
いや、そもそもここは何処だ!?
果ての無い暗闇。何故か記憶があやふやで。いや、トオルの事は覚えている。最後の記憶は、そう、自分はマンチェスターへ帰ろうとしていたところで、そのマンチェスターの妖精の為に
女王陛下に不義を働こうと考えてしまって――そして、色々とトオルに相談しようとして。そして、そして――
――そうだ。
自分は――
「う、うぅ」
「お、おい……いきなりそんな泣くなよ」
「私、私は……アドニスをっ……」
「……気づいてたのか」
体に力が入らなくなり再び地べたに座り込む。
たった今忘れていたすべての後悔の記憶がまた怒涛のように襲い掛かる。
忘れたと思ったらまた思い出す。そして、心が荒んでいく。地獄のような無限の苦しみ。頭の中がおかしくなってくる。
「俺はお前に殺されるかもしれないって思って来たんだけどな……」
懺悔と後悔による思考の渦の中。
その呟きに反応する。それは、バーゲストにとっては聞き逃せない内容だった。
「妖精達の事なら……気付いていた」
「……」
「気付いていて……お前に斬りかかったのだ」
そう、私はトオルの優しさに甘えて、妖精達の蛮行に気付いていながら、知らないふりをしていたのだ。
「卑しい獣は死ぬべきなのだ。人間を弄んでいた醜い妖精達も生きていてはならない存在なのだ……だから、お前が妖精達を殺したのは正しい事だ」
それにトオルはあくまで自身の命を脅かされたから反撃をしただけ。
私のような怪物が領主なのだ。妖精達があのような蛮行を犯すのも当然だ。
「私は騎士になりたかったのだ、あの物語のような高潔な騎士達に。それを目指して今日まで生きてきた。だが、結果はこれだ。私のような卑しい獣に、そしてあの醜い妖精達に。その妖精達の死体で出来上がったこの醜い國に生きる価値などないんだ……」
気づけばトオルは隣に座り込んでいた。
⁑
――醜い妖精達の死体で出来上がった國か
V2Nによれば、バーゲストに掛かっている呪いは、この大地と、醜い妖精は存在してはならないと言う強い怨念みたいなものから出来ている。大地そのものから来ている呪いではあるが、先の解析で判明したが、下手人は捕捉済み。その大地からの端末のようなものかは分からないが、間違いなく人間サイズの何かがかけた呪いだ。
醜い妖精。
確かにマンチェスターで人間を痛ぶっていたあの姿を見ればそう思うのも当然かもしれない。
他者を喰らう怪物という言い方をすれば、醜いと言われる分類に入るのかもしれない。
死んだ妖精は木となり山となり、文字通り、死体そのものが変質し、この國の大地を作り上げてきた。このブリテンの広さを鑑みればどれほどの妖精達が滅んできたのかは想像には難くない。
(たからって、そこに住んでいる本人が滅びを望んでるなんてのは冗談じゃない)
そこに住まう住人である自らが、本気で滅ぶべき等と思わないといけない程に罪深いかと言うと、それこそ違う。そんな事はふざけている。
自分が生まれたセカイも、巡り巡った異世界も、そして、時代背景だけはセカイに近いらしい汎人類史も、歴史を辿れば虐殺にまみれた酷い世界だ。
その歴史に積み上げられた死は、その残虐さは、妖精國の比では無い。
悪い奴もいれば良い奴もいる。そんなものは人間も妖精も変わらない。
妖精全てが悪などと結論づけるには、少なくとも自分にとっては、早計と言える。
バーゲストの言う通り妖精國が滅びるべき世界なのであれば。それこそ自分のセカイも異世界達も汎人類史とやらも滅びて然るべきだ。
⁑
「バーゲストは、自分の事を卑下しすぎなんだよ。そんなに自分の事を悪く言うもんじゃない」
「そんな事……出来るわけがないだろう」
「世界毎滅ぶべきだなんで思うくらいに妖精や自分が醜いってのは、
そうだ。醜いだの美しいだのなんだのってのは比較対象があるからこそ認識するものだ。
この世界が、この國に住む妖精全てが醜いと言うのであれば、彼女は何を美しいとした上でそのような事を言えるのか。大方予想は付いているが。
「まあ、お前の憧れる騎士様の登場するあの本なんだろうが」
「それは――」
「あんなもんはただの切り抜きだ。都合の悪いもん全部無視して理想の姿だけ見せる作り話だよ」
そうだ。彼女が憧れている物は娯楽のために用意された物語だ。そんな物と比較して、自分を、自分の世界を滅ぼそうとする事などあまりにも早計ではないか。
(何が滅ぶべきだ……)
「あのアーサー王物語も。それに出てくるキャラクター達も、色んな奴が書いていて、色んな話に改変されてる。それこそ、モルガンだって最初は本当に良い妖精って話だったんだ。それを、話をおもしろくする為にどんどん悪役に変貌させられちまって」
「うるさい……」
「そもそもあの本だって途切れ途切れだからお前が知らないだけでな。お前の憧れる騎士だって良い所ばかりじゃねえぞ。教えてやろうか、あの本の騎士様達がどんな事をしていたか、王様がどんな事をしていたか、その結果国がどうなったのか」
「うるさい!!」
激高したバーゲストに組み伏せられる。
「物語だろうが関係無い! 嘘だろうが関係無い! 私にとっては現実だ! 私にとっての目標だ! 彼らは私にとって素晴らしい存在だ!」
その激昂具合はそれこそ殺されるのでは無いかと思う程ではあったが、その眼には怒り以上に悲しみが込められている。
「卑しい獣でしか無い私に生き方を与えてくれたのが彼らだ! 私にとっての救いだ! それを、貴様に否定される謂れはない!!」
その言葉に嘘はない。他人にとって偽物であっても、彼女にとって、あの騎士達は間違いなく本物だ。
「お前こそ何も知らない癖に! 私の、妖精の醜さも、女王の冷酷さも! お前は知らないだろうから教えてやる! この妖精國は間違った世界なのだ! 異聞帯という、本来なら存在すべきではない世界なのだ。元より滅ぶべき世界なのだ!」
「……けんな」
「なぜ間違った歴史なのかなど明白だ。醜いからだ。反省もしない。成長もしない。奪う事しかしない。醜い妖精達が跋扈するこの大地も、妖精達も存在する価値が無い!」
「ふざけんな」
「愚かな女王が、無理矢理延命させているだけのこの世界に、生きる価値などありはしない!!」
「ふざけんな!!」
頭突きをかます。予想外の攻撃に慌てているバーゲストと体制を入れ替える。今度はこちらが組み伏せた。
本当にふざけている。
今の彼女の想いは、妖精は滅ぼすべきという思いは、全てでは無いが呪いによるものが大きい。だが、自分は卑しい獣だと、自分は醜いと、その想いは間違いなく彼女自身が常思っている事だ。
「間違った歴史だの、異聞帯だの、どこのクソに入れ知恵されたか知らねえがな!! この國は俺にとっての故郷だ! ◾️◾️◾️◾️の夢の塊だ! 俺のいたセカイよりもずっとずっとキレイな世界だ!」
そうだ。生まれはセカイでも、記憶は定かではなくとも、自分の故郷は間違いなくここで、そして間違いなく愛しているのだ。
「妖精は成長しない? 反省しない? だから醜い? だから滅ぼすべき? だったら、成長も反省もするくせに争いを止めれない人間はクソ以下か!?」
人間だって同じだ。興味だけで虫を捕まえ体をむしる事もある。
綺麗だからと花を摘んで、飽きたらそこら辺に捨てていく事だってある。
自分以外の種族を殺し合わせ、それを娯楽として楽しむ輩もいる。
今の妖精國と同じような文化レベルの時代には、それこそ人間同士の殺し合いが娯楽となっている事もある。
醜さ基準で語るなら、妖精も人間も大差ない。死体が直接大地になっていないだけで、地面の下には、歴史の下には夥しい数の死が埋もれている。
「俺にとっちゃあの物語の騎士なんざロクな奴らじゃねぇ! 人間だって言う程綺麗なもんじゃねぇ! それを、お前が、妄想して、良い物にして、勝手に比べて、自分は滅ぶべきだなんてのたまうのに腹が立つんだよ!」
自分の知るアーサー王物語は、綺麗な登場人物だけの物語ではない。モルガンを追い出して、ヴォーディガーンを倒してブリテンは平和になりましたという物語では無い。
あれは滅びの物語だ。
登場人物が、騎士達が清濁併せ持った人間だからこそ成り立つ物語だ。醜くも美しいからこそ後世に語られる。自分の様に彼らを嫌いな者もいれば、その彼らに憧れた者もいる。だが、それは騎士の良いところだけを、悪いところだけを見てそう思っているわけでは無い。
「良いところだけ見て、そこしか見ないで、そんなんと比べたらなんだって醜く見えるに決まってるだろうがこの馬鹿!」
「うるさいこの人でなしめ!!」
組み伏せられた状態から膝を入れられ、もんどり打ってる間にまた立場が逆転した。
「物語だろうがなんだろうが、そのあり方は美しいのだ! だから憧れた! 卑しい獣である私が目指すべき姿だった! それを目標にして何が悪い! 貴様に私の何がわかる!! そうやって上から目線で、偉そうに私の好きな物を馬鹿にして! 私の憧れを蔑んで! この最低男!」
「うるさい、この馬鹿女!」
再び押し倒す。
「お前だって! 俺はお前をこんなに尊敬してるのに!お前を! お前自身が偉そうに蔑んでるじゃねえか!! おまけにこの妖精國は俺の故郷でもあるってのに! 自分は滅ぶべきだの、間違った歴史だの! お前こそ何様のつもりだ!」
「お前――」
文脈と何もあったものではない。ただひたすらに、感情をぶつけ合う。
妖精の本性など知っている。自分勝手なのも知っている。そんな事実は、記憶が朧げであったとしても身に染みている。
◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️のように善意しかない様な妖精がいるのも知っている。生まれた時の性質は変えれないのが妖精だ。
知っているからこそ。その性質に抗い、非情な弱肉強食を優しい解釈でルールとし、騎士の良い部分だけを吸収し、体現している彼女を尊いと思う。
自分の衝動を理解したうえで、それを乗り越えようと努力する彼女を尊敬している。
理性を残したまま何もかもを滅ぼそうとしたあの時の自分とは違う。
「トオル――」
「なんでだよ……」
そんな彼女が、余りにも高い理想を持つが故に、絶望して。彼女自身が死ぬべきだなどと。
「なんで、そんな、自分は死ぬべきだなんて言えんだよ……」
おぞましすぎて、悔しすぎて腹が立つ。腹が立ちすぎて涙が出て来る。
「わけわかんねぇよ。」
涙が溢れすぎて、戸惑うバーゲストの表情は既に見えない。
「間違った歴史ってなんだよ……」
「なんなんだよちくしょう」
「トオル……その――」
「とっとと目ぇ覚ませこのクソボケ女がぁぁぁぁ!!」
「!?」
⁑
「落ち着いたか?」
隣に膝をかかえて座るバーゲストが声をかけて来る。
「……うるさい。別に最初から取り乱してなんてないし、顔も全然痛くない」
「いや、本当にすまない。すこし殴りすぎたな」
「少し?」
言ってから バーゲストは露骨に目を逸らした。
あの後売り言葉に買い言葉で、殴り合いの大喧嘩に発端し。バーゲストにボッコボコにやられたのだ。
自分でも、明らかに顔が原型を留めていないのがわかる。あまりに顔が変わってしまったので流石の激昂状態のバーゲストも考え直したらしい。精神世界で怪我をするとはどう言う事なんだちくしょう。
お互いにもはや何を言ってたかわからなくなってきて、最終的には、お互いの好きな物を貶し合うと言う最低なやり取りになったが、お陰でお互いにこうやって落ち着いて話す機会ができたというものだ。作戦通りだ。うん、完璧な作戦だった。
隣を見ると、バーゲストがこちらをじっと見つめていた。
「なんだよ。お前の作った
「まあ確かに愉快な見た目にはなったが」
なんだとコノヤロウ。ぶっ殺すぞコノヤロウ。
「あった時よりも大分乱暴になったなと思ってな」
「それは、あの時は一応世話になってたし。その、曲がりなりにも尊敬してる相手だし。多少は畏まるだろう……」
言ってて恥ずかしくなって来る。
応えると、一瞬だけバーゲストが恥ずかしそうに頬を染めるが、すぐに目線は下に行き落ち込む様子を見せた。
「尊敬、尊敬か……」
「今は違うぞ……俺の顔を愉快なオブジェにしたムカつく女だ」
「フッ……」
自嘲したような笑いを浮かべるバーゲストはそのまま言葉を続けた。
「愛した男を食べてしまうような、私を尊敬とは、お前は存外見る目が無いのだな……」
「お前――」
どうやら予想以上に業は根深いらしい。
このままでは、あの厄災とバーゲストを物理的に切り離したところで意味はない。
あの黒い巨大な犬は、少なくともバーゲストの内側から出てきた物なのだ。
この精神状態のまま出てきたとしても、またいずれ、なんらかのきっかけで出てきてしまう可能性がある。
今はまだ、対話が必要だ。
「その……恋人を食ばた事に関してなんだけどよ……」
「……」
「まあ、食たものはしょうがない!! 元気出せよ――ぶあっ!!」
励ますように肩を叩いたら殴られた。美しい裏拳だ。
「お前は何故そんなにデリカシーが無いんだ!!」
だってしょうがないじゃ無いか、何て言えば良いか分からないんだから。
「そんなこと言われたって! 俺の知り合いに人間を食う
むしろ、「腕一本だけでも、いやせめて指一本!」なんていう、喰人ジョークをかまして来る始末だ。いや、あれは間違いなく本気なのだろうが。
「妖精は飯を食う必要がない生物だから。命を喰らうっていう行為が卑しいものに見えるんだろうけどな」
「そうだ。だからこそ、私は、他者を喰らう性質を持つ自分が嫌だった。他者を喰らう卑しい獣である自分が嫌だったのだ」
「でも、その種族や俺たちはそうじゃない」
先に話した。悪党であった鬼しかり、喰人鬼の女しかり、その者達は、喰うという行為に一切の罪悪感を持ってはいない。
むしろ正しく、清らしい行為であるという認識が強い。
「俺達からしたら、生命を食べるっていうのは、ただ殺すよりもよっぽどマシな行為だって思ってるからな」
その認識は、喰人種族だけではなく、人間達も持ち合わせている価値観だ。
「命を喰べるって言うのは、命を繋ぐんだっていう考え方を俺たちは持ってる」
食物連鎖という概念の元、自分達は生きている。
殺すのならばそのものを血とし、肉とすることこそが最大の敬意だという考え方が何処かしらに根付いている。
そういう意味では、バーゲストの喰らうという行為は、自然の摂理に従った全うな行為とも言える。
「命を繋ぐ……」
「俺たちは生きるために命を喰らうが、逆に言えばその命に
バーゲストの今までの人生の価値観を急に変えさせるのは難しいかもしれない。例え同じような価値観を持っていたとしても、
だからと言って、このままこの國ごと滅ぶべきだというバーゲストの絶望を放っておくことなど出来はしない。
「妖精國には存在していない騎士の物語を参考に今まで生きてきたんだろ?それを目標に頑張ってきたんだろ? だったら、この命を繋ぐっていう考え方も、参考にするってのはどうだ?」
「……だが、私は生きる為に食らったわけではない。食べたところで生命活動に変化があるわけでもない。私は、欲望のままに食べたのだ。それなのに、命を繋ぐなどと、思い上がる事など出来ない」
「バーゲスト……」
「お前の言う事はわかる。このまま自らの命を絶つという事は、アドニスの命をそれこそ無駄にしてしまう行為だという事も理解できた」
「それなら――」
「それでも、私は怖いんだ……! 愛していたアドニスを食べてしまった! 欲望のままに食べてしまった! そのアドニスは! 私をきっと恨んでいる! その罪を、命を! 背負っていく資格もない! 命を繋ぐなどと思い上がって! 背負って行く勇気も、私にはないんだ……!」
消え入りそうな細い声に、こちらも身を積まされる感覚になる。数ヶ月程の付き合いだが、ここまで弱々しいバーゲストを見るのは初めてだった。過酷な戦いもあっただろう、騎士をして妖精や人間の命を奪う瞬間もあっただろう。
恨まれる覚悟もきっとあっただろう。それでも恋人であるアドニスから恨まれるという覚悟は、きっと出来ていなかったのかもしれない。
だが、その件であればこちらには秘策がある。気休めにしかならないかもしれないが、それでも、彼女の怯えているアドニスの思いを裏付ける証拠を自分は持っている。
「なあ、アドニスを喰った時のことって覚えてるか?」
*
初めてアドニスの部屋へと案内された時、夢を見ているかのように、まるでアドニスがそこにいるかのように振る舞うバーゲストを見て、どうにかしなければならないと、可能であれば夢から醒さないといけないと、そう思った時にその方法を探る為色々と調べ物をした。
ラベジャーズという、宇宙を股にかける海賊達。ありとあらゆる星の様々な財宝を探索するため、彼らは様々な道具を所持している。
その中の一つに、時間を遡り、過去の情景を映像として映し出す道具がある。
その道具を所持していた俺は、アドニスの部屋で、その時間を遡りその部屋での出来事を調査した。
バーゲストに催眠をかけた下手人を見つける為。というのが一番の目的だった。
そして、見た。バーゲストが愛おしさのあまりアドニスを食べる瞬間の時間を発見したのだ。
そこで気づくことがあった。
先の質問にバーゲストは怯えを含ませながら答える。
「覚えては……いない。覚えているのは喰べる直前までのやり取りと、食べ終わった後の、喪失感、だけで……喰べる時の、事は、うぅ……!」
「なあ、辛いと思う。苦しいと思う。それでも、一つ思い出してみないか。本当にアドニスはお前を怨んでるのか。確かめてみないか?」
「い、嫌だ!」
答えるバーゲストの表情は怯えきっていて。
「そんなの、確かめたくない! 恐ろしいんだ! 私がアドニスを喰べる時、泣き叫んでいたら!? 恨み言を喚いていたら!? いや、そうに決まっている!」
それこそまるで幼い子供のようだった。
「そんな現場を思い出したくないのは当然だ。でもな、それを罪と感じているなら、アドニスを愛しているんだったら尚更、その瞬間を忘れたままってのはあまりにも無責任だと思わないか? アドニスの最期を知らないまま、死に逃げるなんて、それで良いのか?お前の憧れた騎士ってのはそんな事をするのか?」
「なんで、そんな……厳しい事を言うんだ……!」
「逆の立場だったらどう思う? 自分を殺す恋人が、自分の本当の思いすら知らずに怯えているのを見たら、バーゲストはどう思う?」
「うぅ、私はっ……アドニスぅ……!」
「決めるのはお前だ……でも、俺は、思い出して欲しいと思う」
「うぁっ……うぅ……うぁぁぁぁぁぁ」
もはや声も出ず。呻くだけのバーゲストを静かに待つ。提案はした。言いたい事は言った。後は、彼女の決断を待つだけだ。
⁑
「……思い出そうと思う」
ひとしきり泣き喚いた後、意を決したのか彼女は結論を出した。
「こう言うのもなんだけど、本当に良いんだな?」
「ああ、自分に都合の良い記憶だけで、その罪から逃げるなど、アドニスに失礼だと、私も思う。恐ろしいが。受け止めなくてはならない事だ……」
未だに怯えているのだろう。吹っ切れてはいないのだろう。だが、怯えながらも、その罪を受け止めようと、勇気を絞り出す彼女は、やはり誰もが憧れる理想の騎士のようだ。
そうと決まれば話は早い。
「よし、それならバーゲスト。立ちあがってこっちを見てくれ」
ここはバーゲストの精神世界。引き出しに仕舞われた記憶を映像として直接見せる事は苦ではない。
彼女の記憶と、自分が見つけた端末による映像を組み合わせて、なるべく彼女が傷つかないよう、視点や場面を
少しズルいかもしれないが、このぐらいの配慮は許して欲しい。
「見せれるのは1分間だ。お前の記憶から引き出した映像を視点を変えて直接見せる
無限城にあった脳に直接作用するプログラムを起動する。目を合わせ、力を込める。目を合わせる必要もないし、別に1分である必要もないのだが、まあ、様式美と言うやつだ。時間的にもちょうど良い。
「準備は良いか?」
「ああ、やってくれ」
「それじゃあ、いくぞ――」
⁑
いつもの会話、いつもの風景。バーゲストはいつもの物語についてアドニスに熱く語り。アドニスはそれを笑顔で応える。
今はその2人のやりとりを俯瞰で見ている状態だ。
病弱そうな小柄な男を甲斐甲斐しく世話を焼くその様は見た目には姉弟のようであり。
嬉しそうなバーゲストの表情は幼い子供のようで、それを受け止める小柄な男の方が大人びて見える辺り兄妹のようでもあり。
お互いを思い合ってると一目でわかるようなその情景は、まさしく恋人のようであった。
幸せになって欲しいと望まずにはいられない光景。
相手があまりにも愛おしいのだろうか、バーゲストの顔は熱を帯びるているように真っ赤で、その目は幸せそうに涙が滲んでいた。
バーゲストはアドニスの肩に手を置く。
突然の行動に一瞬戸惑うアドニスはしかし、受け入れるように肩の力を抜いた。
バーゲストはその熱に浮かされた表情のままその顔をアドニスへと近づかせていく。口付けでもするのかと思ったが、バーゲストはそのままアドニスの首筋へとその頭を動かした。そのままバーゲストは恋人を抱きしめる為に、その背中へと腕を回す。
口付けではなかったが、見るものが見れば、これから睦愛を始めるとでも思うのではないだろうか。
しかしそれすらも違っていた。
視点を変える。バーゲストの背中を映すような視点に、場面は映る。
背中しか映らないバーゲストがアドニスの首筋に顔を埋める。何をしているかはこの角度からは分かりづらい。だがその結末を知っていればこそ分かるその行動。
バーゲストはもうこの時に、アドニスの首筋へと噛み付いていたのだ。愛撫でもなく、甘噛みでもなく、文字通り喰べる為に、噛み付いた。
バーゲストの肩越しに見えるアドニスの表情がその痛みに強張ったのがわかる。
自身が喰われるという事を察したのだろう。絶望の表情に染まると、普通ならば思うのだろう。しかしアドニスの表情は穏やかだった。
何かを受け入れるかのように、微笑みを浮かべていた。
痛みはあるのだろう、その額から汗が流れて、苦しげに呼吸をしている。
しかしそれでもその表情は穏やかで。
アドニスは左腕をバーゲストの背中に回し、右腕はバーゲストの後頭部へ。
アドニスはそのままバーゲストの頭を撫で始めた。
段々と、その表情から生気が失われているのが窺える。もう間も無く事切れるのが感じられる。
だが、それでもなお、アドニスはバーゲストへの愛情表現を止めなかった。
やがて力が入らなくなったのか。その両腕は力が抜けて崩れ落ちる。それでも尚アドニスは愛おしげなままで。
その口を動かした。
『ありがとう』
音は出ていなかった。
それでもハッキリと、その口がその言葉を紡ぐように動いていたのは誰にでも分かった。
その後、全てを受け入れるようにアドニスは、その目を閉じた。
そして――
――ジャスト、1分だ。
その情景が鏡のように割れ、消え去った。
場面は戻り、暗闇の中で2人は向かい合う。
バーゲストは俯き、涙を流し、震えていた。
「アドニスは、どうだった?」
「撫でてくれていた……最後まで笑っていた……」
「何か言っていたか?」
「『ありがとう』と、言ってくれていた……」
「そうか……」
そのありがとうにどのような意味が込められているかはわからないが、それでも部外者であるトオルにもわかる事はある。
アドニスは決して、バーゲストを恨んではいない。
意識がなくなるその最後まで、あるがままを受け入れ、きっと彼女を愛していたのだ。
「私は……生きていて良いのだろうか……」
「むしろ生きなきゃダメだと、俺は思う」
「アドニスは私に生きていて欲しいと思ってくれるだろうか……」
「俺がアドニスだったら、そう思うだろうな」
「トオル。私、私は――」
「あぁ」
「――私は生きたい」
「……そうか」
「アドニスの分まで、生きていたい」
「今はまだ、ダメな騎士かもしれないが、アドニスに語ったような立派な騎士として、生きていきたい」
「アドニスが生まれたこの國を守りたい。いつか、アドニスが誇れるような立派な國にしていきたい」
彼女はもう、自らを卑しい獣と蔑む妖精ではなかった。
それならばまずは、ここを出なければならない。
「今の状況はわかるか?」
「ああ、私から生まれた獣が。私自身でもある厄災が暴れ回っているのだろう」
「それなら――」
「あの厄災は私が決着をつける。この國の為に、アドニスの為に」
「じゃあ、行くか」
電子を操り、プログラムを起動する。
本来であれば切り離す事の出来ない厄災とバーゲストを切り離す。
この世界に存在する技術では不可能な話だが、それは
ここから先は、バーゲスト自身が厄災を乗り越える展開だ。自分はその舞台を用意する裏方役。
その仕事を達成する為、自身の全てを賭けて、その力を振り絞った。
この小説を書くにあたり、何度も吐き気を催しながら6章を読み直し。
真なる意味でモルガンを救うには、最低でも妖精騎士も頑張らないと追加しましたバーゲスト編。次回が最終回です。
主人公がバーゲストを救うんじゃねぇ、バーゲスト自身が自分を救うんだ!というお話でした。
主人公。マンチェスターの妖精皆殺しにしてるし、バーゲストを厄災にしてしまった戦犯なので、救ったというよりはマイナスをプラマイゼロに戻したぐらいの功績というところ。
次回でこのお話の根幹の説明会でもあったりしまして、次の投稿か、その次の投稿と同時にタグ追加もする予定です。一応匂わせはしておりますが、受け入れていただけるかどうか不安だったり。
改めまして、わざわざ貴重なお時間を頂いて、このトラウマを発端としたこの作品をお読みいただきありがとうございます。
評価やご感想。お気に入り登録などなど、ありがとうございます。今後ともご意見ご感想等よろしくお願い致します。
オマージュ解説
ジャスト一分だ:いいユメ見れたかよ?
喰人鬼:名前はナイグラート。CVは井上喜久子様。すごくカワイイ。
過去を映す道具:ガーディアンズオブギャラクシー冒頭にて使用。
MARVEL作品をどれくらい触れていますか
-
MCU含め、他媒体の作品も嗜んでいる
-
MCUの映画は全て視聴済み
-
MCUの映画を1本以上観た事がある
-
一度も触れた事がない