怒りのままに力を振るう。
不死身の怪物は、雷によって消滅する。
襲って来た人間に拳を振るえば、その衝撃のみで蒸発していく。
人間も、怪物も、無機物も、有機物も、全てがその手で消えていく。
突然の感情の爆発だった。
理由もない。きっかけもわからない。
だが、自分は間違いなく、目の前の全てに対して、凄まじい程の怒りを感じていた。
ありとあらゆる全てを滅ぼし尽くし、やがて怒りの感情のまま意識を失った。
だが、そんな無意識の中においても、自分が暴れ回っていた事は感じ取れる。
意識を無くしても動き続けるその体による暴虐は、無限城を飛び出し、裏新宿を飛び出し、国を飛び出し、世界へと広がった。
気づいた時にはあたり一面、地平線に至るまで、今自分が立っている無限城以外の全てが、灰色の砂と化していた。
***
灰色の砂漠と化した世界。
風すらも吹かず、砂が擦れる音すら響かない。
物理法則すら終わってしまったかの様な完璧な静寂。
「俺は、何だ――?」
一人呟く透。
もはや本人以外の生命体が存在しないこの世界において、その疑問に答えるものはいない。
意識を失ったものの、自身が力を振るい続けていた自覚はある。
怪物も、人間も、等しく滅ぼした感触がある。
文字通り。世界の全てを自分自身が滅ぼしたのだ。
彼からもらった優しさを、生きる楽しさを、少しでも多くの人に分け与えたいと、思っていたのに。
自分は誰一人、分け与えるどころか、奪い尽くしたのだ。
「なんで、なんでなんでなんでなんだ! 俺は!!」
自身の存在を知覚してからこれまで、明確に感情というものを表す事が無かった
芽生えたのは絶望故か、あるいは、何かが彼にそれを与えたのがきっかけなのか。
喜ぶべきことかもしれないその感情の発露は、事ここに至っては不幸でしか無かった。
「俺は、これから……」
言うなれば彼は目的を見失ったプログラム。
救う事も、滅ぼす事も、何もすることがなくなった彼に待つのは、永遠なる孤独。
そのまま透は絶望に苛まれ心が壊れるか、あるいはその孤独を実感する前に。自害を図るか。
この先の運命など想像に難くない。
何をする事も出来ずただ消えゆくのみ。
本来であれば、そのはずだった。
この時、この瞬間まで、全て
それは絶望故か、あるいは怒り故か。
果てしない沈黙の世界で、透の知覚はこれまでにない程に研ぎ澄まされ。
「なんだ? 何がいる?」
気付いたのだ。自分以外の存在に。この世界の綻びに。別次元の何かに。
全てが滅びたこの世界に置いて唯一自分以外で生き残っている存在。無限城。
その中枢であるインテリジェントビル。
その名も『バビロンタワー』
それが今、透の足元にある建造物である。
透は世界の全てが『ここ』につまっていると確信できた。
あり得ない話だ。世界の根幹がこのような建物にあるなど、本来ならばあり得ない話である。
片膝をつき、右手を地面に当てる。
目を瞑り、集中し、電子を操り、無限城の全てにその電子を走らせる。
通常の者では知覚できないような異次元的な存在ですら知覚程の高密度なスキャン。
そのバビロンタワーの中、とある空間を知覚する。
それは、同じ次元には存在しない、見つかるはずの無い空間。
気付いて仕舞えば容易い事だ。意識をするだけで、扉もない、道もない、その空間に、透は足を踏み入れた。
何もない空間。だが、
透は電子を走らせ空間を解析する。
一つの存在を、知覚した。だがそれは、あまりにも巨大なナニカだった。
『
これが何なのかは分からない。だが、世界の根幹に関わるナニかだという事は理解できた。
形すら今の自分では認識できない。全てを解析するには未だ能力不足。
だが、それでも読み取れる事はあった。
数式の塊を、透は解析し、言語化していく。
「
それは何かの計画の情報のようだった。
――『クオリア計画』再会。World:γβのデータを軸に新たにWorld:δを創造。
――バグの発生、一部人類の凶暴化。不死性を要した怪物が出没。
――バグが世界中に蔓延。通常種の人類は全滅。リソース不足により再生、修正不可。
――限定リソースによる、再生計画始動。
――World:γβにおける『雷帝』のデータを新規創造した通常個体にインストール。
――成長リソース不足。幼少からの自然成長による、『雷帝』発現までのシナリオを
世界創造。
様々な知見から解明が願われるその現象。
超自然的な現象か。あるいは、意思を持った神の仕業か、もっと別のナニかか。
神話で語られ、科学による解明が進み、魔術的なオカルト面でも諸説語られる昨今。
結局のところ真実は定かではないその始まり。
この情報がそこらにあるようなものであれば、作り話か何かだとおもっていたはずだ。
だが、ここは次元を隔てた完全なる別空間。
作り話がわざわざこのような所に存在する理由が無い。
これは、間違いなく。この世界に関わる情報だ。
透はさらなる解析を進めていく。
「1.他者の愛情や集団行動による人間性の確立……」
それは、先程の続きだろうか。
――2.
庇護者の死去による、目覚めの促進。
――3.
庇護者から与えられた使命による。能力の向上。
――4.
成長限界を迎えた上での、外部操作による感情の誘発。
――5.
成長した肉体と、雷帝の能力による全ての建造物及び生命体の一時駆除。
「被験者名『
この内容に、心当たりが無いとは言えなかった。
嫌な予感がする。
全身から汗が吹き出すのを感じ取る。これ以上は進んではいけないと自身に警告を発する。
だが、止まれない。止まる事はできない。更なる解析を進めていく。
うすうす感づいていた嫌な予感故に、落ち着かない。だからこそ、情報を取得する為の解析にも焦りが生じてしまった。
流れて来たのは莫大な情報。
『
「が……っああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
脳がこの世界の全てを理解していく。
世界そのものを作る事に成功した。異次元の天才達『ブレイントラスト』。
今いる自分の世界は、その者達によって作られた世界のバックアップ。その2つ目。
1つ目とは比べ物にならないほどに完成度が低く。不死身の怪物や、凶暴な人間達というバグだらけの不完全品。
それが今自分がいるこの世界なのだ。
あまりにも衝撃的なその事実。
だが、透にとって重要なのは、”そんな事”では無かった。
――全て、仕組まれていた事だった。
あの人の行動も、与えてくれた言葉も、彼らの生も、彼らの死も。
全て、失敗したセカイを帳消しにする為のシナリオだったのだ――
ふつふつと、怒りの感情が湧き上がる。
体中を電子が巡る。
この空間にいる世界の根幹を成す『
もう一つのバックアップセカイでは意思のあったそれも、このセカイでは、上位世界の指示を待つだけの情報集合体でしかない。
『
上位世界『バビロンシティ』への介入を果たした『天野銀次』の経験を
自身が傀儡だろうが、『雷帝』が与えられた力だろうが関係が無い。
今はただ、このシナリオを作り出した神の世界へと介入を果たす。
『雷帝』の器たる透の脳。通常の人間であれば脳が壊れてしまう程の情報の奔流を受けて尚健在。
だがその精神も判断能力が鈍るくらいには、影響を受けていた。
仮に、上位世界へと移動を開始したところで、何を成し遂げるのか。
その後の事は何も考えないまま。ただ怒りのままに行動を開始する。
電子が光を放ちながら、様々な図形や数式を空間に作り出す。
やがて数式立が形を変え、扉の形へと変化を果たす。
それは異世界へと移動するための扉。
メタファーでしかないそれだが、透にとっては、別の世界へと移動するというイメージを確かにする為の必要な処理だった。
意を決する必要すら無い。潜る前の決意表明もなく、実にあっさりと、透は扉を潜る。
瞬間。世界を作り直す為の終末装置であり、
異世界への転移というあり得ない現象。
それが”神”にとって、の誤算なのか。それは誰にもわからない。
***
黄昏の空。
元のセカイのような無機質な灰色が存在しない、生命にあふれた大自然。
透は今、その大地に仰向けで身を投げ出していた。
失敗した。
確信があった。
ここは『バビロンシティ』では無い。
全く別のどこかのセカイだ。
元の世界に戻ることは出来ない。
これは完全に失敗だ。もっと調べるべきだった。
もっと研究を重ねてから実行するべきだった。
そもそもバビロンシティへと到達したとして何をしようとしていたのか。
自分は、感情のままに、怒りのままに、バビロンシティの住人を皆殺しにしようとしていたのではないか?
彼のように誰かの為に生きる事のできる存在になると誓ったのに。
自分はあっさりと、怒りのまま、その誓いを破ろうとしたのだ。
あるいは、そのセカイに辿り着けば、”彼らを生き返らせる事もできたかもしれないのに”
あの時、そんなことも考えずに、ひたすらに破壊する事しか考えていなかった。
これは、この失敗はきっと、そんな事しか考えていなかった自分に対する罰だったのだろう。
気付けば、涙が溢れていた。
彼の優しさを、誰かに伝えたいと思っていた。
誰かの役に立ちたいと思っていた。
でもそれは全て偽物だった。
それでも、出来る事はあったはずなのに。
もっと『力』を正しく扱う事ができれば、偽物だった彼らをよみがえらせて、今度こそ本当の交流が出来たかもしれないのに。
自分はその全てを放棄したのだ。
無意識下のまま、生存本能が働き、彼が動き始めるまで。
透は、ひたすらに涙を流す。
***
(本当に、異世界なんだな……)
少女、モルガンと情報をすり合わせながら思う。
彼女に保護され、久々のまともな交流をする事で、透は少しばかりの落ち着きを見せていた。
自身のセカイの歴史とも、『
完全なる異世界。
妖精が存在する不思議な世界。
目の前の少女も人間にしか見えないが、妖精らしい。
妖精國ブリテン。
その世界の根幹はどのようなものか。
少なくとも、『ブレイントラスト』の作り上げた世界ではない。透の知るセカイとは根幹から違う存在。
ブリテンという國そのものは透の知識にもあるが、妖精など存在していない。
異世界と言えば簡単だが、その方向性は様々だ。
様々な要因による分岐によって生じた異なる歴史の同じ世界である並行世界と言う概念もあれば、全く異なる次元を隔てた、何もかもが違う世界を指す場合もある。
この妖精國は自分のセカイからすれば後者に当たる。
それを無意識に理解する。
世界の成り立ちを無意識ながら知覚する能力に、透は目覚めていた。
何故このような時空間移動を果たしたかはわからない。
だが、もう二度と、あの世界に戻ることは無いという確信があった。
そんな状況を整理していく中、彼女との会話を進めていくうちに一つの質問があった。
「貴方は、これからどうしたいですか?」
別に不思議な事でもなんでもない、状況からすれば、当然の質問。
だが、これまでの会話の中で最も胸を抉られる衝動に駆られてしまう。
生きる上での目標を与えてくれたあの人も、あの言葉も、全て偽物で。
その世界を自分の手で滅ぼした。
セカイを作り替えるチャンスも手放した。
そんな何もかもを失った状態の彼に、やりたいことなどあるはずもない。
最早幼少の頃のように、ただ生きる為に存在していた人形ではなくなっている。
その成長が今は、透に苦しみを与える要因となっていた。
どうすれば良いかわからない。そんな心情を吐露した時。
「でしたら、何をしたいか、ひとまずは探してみてはいかがでしょう」
「え――」
そんな何気ない一言が、確かに彼にとっての光明だった。
「……アテがないのでしたら、保護はさせていただきます。人間の住む集落に案内しましょう。私も受け入れてもらうよう取り計らいますから」
彼女の気遣いを、優しさを否が応でも感じてしまう。
「事故とは言え、せっかくこのブリテンに来たのです。元の世界に帰るにせよ、このままここにいつづけるにせよ、今後の事をゆっくり考えてみても良いと思います」
会ったばかりの、異世界から来た素性も知れない透にそこまでの施しを与える彼女に、あの時と同じような暖かさを感じていた。
透は呆けながら、モルガンとのやりとりを続けていく。あれよあれよと今後の方向性が決まっていった。
「改めて、よろしくお願いしますね」
トールは、あの時と同じ、生きる理由の無かった彼に暗い道を照らす存在に再び出会ったのだ。
***
モルガンは一人で行ってしまった。
厄災という呪いを鎮めるため、彼女は遠くで咆哮を上げている怪物と戦おうとしている。
トールはすぐには動けなかった。
彼女は逃げろと指示を出した。
だからこそ迷っていた。
厄災というものをそこまで理解していないが故に自分では足手纏いになる可能性がある。
であるならば彼女の指示に従うのが道理だ。
拳を握りしめる。
誰かの役に立つ。誰かの為に生きる。
彼に与えてもらった生きる指針。誰かに優しくするという大切な宝物。
それは全部偽物だった。
全て、神が用意したシナリオで、あの言葉も彼の存在も、自分をバグの駆除装置として成長させる為の物。
そんな偽物の為に自分は生きて来たのだ。
なんて無意味な人生だったのか。そう思っていた。
だが――
『この世の中そのモンが、誰かが一眠りの間に見てる夢にすぎねぇのかもしれねぇ』
『でもよ……例え夢の中の出来事だとしても――』
『――悲しかったろ?』
それは決して自分に向けた言葉では無い。
だが、その言葉が妙に自分の中に残っていて――
時間にして数分。暫しの熟考を経て。
トールは、モルガンが走って行った方向へと向かっていった。
その足には未だ迷いがあったが、力強さだけは備わっていた。
***
木々の生い茂る森の中、モルガンは厄災との戦闘を繰り広げていた。
黒いモヤがそのまま形を成したような四足歩行の巨大な獣。
巨大な質量を武器に彼女を踏み潰そうとするが、本能のみで襲いかかるような獣であるらしい。その突撃は単調なものだ。
彼女は容易くそれを回避する。
お返しとばかりに、槍を用いて獣の体を傷つける。
状況だけ見れば彼女は善戦している。危なげもなく戦っているように見える。
だが、彼女の方が一方的にダメージを与えているように見えるが、みるみる内に傷は再生していく。
あるいはその再生能力にも限界があるのかもしれないが。いずれは彼女自身の体力や魔力が尽きるという可能性もある。
千日手にも見えるそれにも変化が生まれた。
モルガンの周辺。
その地面の下から、黒い触手なようなものが現れたのだ。
「――っ」
その触手は捕獲の為の物では無く、爪であり牙でもある。
それは意思を持って、鋭利な形状となって、モルガンへと襲いかかった。
360度全てを囲まれ、逃げ場を失ったモルガンは、しかし冷静だった。
槍に魔力が付与され、切れ味が増して行く。その槍を横薙ぎに一閃。
その力を殺さないまま、体ごと一回転。
その様は舞踏のようであり、周辺の全ての触手を切り裂いた。
獣による新たな攻撃方法もモルガンに効果は無く、再びの千日手になるかと思われたが、獣による妙手が一手、モルガンの上を行ったのだ。
「まだ――!?」
触手が1本残っていた。
正確に言えば、モルガンに襲い掛かった鋭利な形では無く、捕獲に特化した柔らかな形状。
それが、一本だけ地面に潜んでいた。
その触手がモルガンの足を捕らえ、動きを封じる。
その触手に気を取られたものの、一瞬で切り裂き、拘束を解く。
まさしく鮮やかな判断能力であったが、今対峙している敵に対しては致命的な隙であった。
モルガンの周辺に影が落ちる。
それは、モルガンの真上に跳躍した獣の物。
モルガンの表情に焦りが浮かぶ。
これまで何度も厄災を祓ってきた。
それぞれ形は違うものの、呪いそのものが形を持っただけの存在であり、およそ知能と言える者を持ち合わせていなかった。
だが今回は違う。
簡素ではあるものの、戦術というものを駆使してきたのだ。
上空からその質量を活かし、モルガンへと襲い掛かる。
避けるには遅く、防御するにも間に合わない。
死を招くであろう質量を乗せた重い一撃。
獣が大地に落下する轟音が響く。
その勢いと共に、モルガンに訪れるはずの衝撃は、想像よりも軽かった。
「え――」
「だい、じょうぶ……?」
視界に入ったのは男性の陰。
苦し気な声は男性の物。
目の前に、記憶に新しい青年の顔があった。
モルガンに訪れた衝撃は青年が彼女を押し倒した事によるもの。
モルガンに覆いかぶさるようにして、身を挺して、モルガンを護ったのである。
獣の圧倒的な質量を、背中で受け止め、両腕膝で支え切る。そんな人間離れした芸当をやってのけたのだ。
モルガンの口から漏れたのは歓喜の声では無かった。
「……!? 逃げてって言ったのに……!」
頭から血を流し、口からも血が出ている。
衝撃によって、筋肉の断裂は起きているだろうし、内臓にまでダメージがある筈だ。
頭から垂れた血液が、モルガンの頬に垂れてしまっている。
なぜ、来てしまったのか。
何故、そんな、身を挺してまで、自分を護ろうとしているのか。
「……汚してごめん」
自分の怪我よりも、汚してしまったことに本気で申し訳ないと思っているトールが信じられない。
「そんな、そんな事で謝っている場合ではないでしょう!!」
まるで、なんて事のないように呟くトールに、モルガンは口を出さずにはいられない。
だが、この高揚感はなんだろうか。
胸が震えるこの感触に、心地よさを感じてしまっている。そんな感覚に戸惑ってもいた。
「……っぐ。ぁ……」
「……トール君!!」
獣の体重が更にかかったらしい。苦しそうに呻き声を上げるトール。
「とり、あえ、ず……さ、今、は……乗っかってるコイツを、どうにか、しないか?」
言われてモルガンは、ハッとする。あまりの出来事に獣の事を蔑ろにしていた。
そんな自分を内心で叱咤しながら即座に魔術を発動。トールの腕の間から体を抜け出し、魔力を付与した槍で、脚を切り裂いた。
力を踏みつぶしていた前足に集中したこともあってか、獣はバランスを崩し、轟音を立てながら倒れこむ。
「動きを封じるから、トドメを頼む――」
息つく暇も無い。
モルガンは獣よりも、トールの傷をどうにかしようと近寄ったのだが、彼は、先んじてモルガンに指示を出す。
獣の脚は既に再生しており、立ち上がろうとしているところだった。
彼の指示は道理ではあるのだが、そもそもその怪我でどうやって動きを止めるのかと、聞こうとしたところで。
彼の体から稲妻が迸る。
「――頼む」
そう、再度モルガンに頼み込んで、その稲妻を獣に向けて解き放つ。
電流が獣の体に纏わりつき、その体内にも流れ込む。
呻き声を上げる獣。
その様子を視界に収め、意を決し、獣を彼に任せ、モルガンは魔力を込めた。
***
電流がその体を通る事で組織が破壊されて行く。
だが、足りない。トールの雷の力は、無限城にいた頃ほど、強くは無い。
だからこそ、トドメを彼女に任せた。
「オークニーの雲よ――」
それは、厄災の獣にとっての死の奔流。
上空から降り注ぐ魔力の奔流が、その巨体すらも飲み込んでいく。
それは絶望によるものか。獣は咆哮を上げながら奔流に飲まれ、消滅した。
厄災の獣は、『楽園の妖精』と、1人の人間によって祓われたのだ。
「ハア、ハア――」
トールは呼吸を整える。
怪我の影響か、あるいは雷の力を使ったのが原因か。
足元がおぼつかない。
頭がクラクラするし、気分も悪い。
体の節々が痛い。
立ち続けるのも辛くなって来た。
膝が崩れそうになったところで、左半身に温かな感触。
「大丈夫ですか……!?」
モルガンだった。
どうやら肩を貸してくれているらしい。
「ああ、ありがとう。助かるよ……」
「すぐに治しますから!!」
モルガンは何処からか毛布を取り出し、地面に敷く。そこに透を寝かせ。何事か唱えている。
やがて手のひらから光が灯り、透の体に当てていく。
暖かな何かが、体を満たして行く。
「そんな――! 効いてない!? いえ、少しは効いてるけど、コレは――」
慌てふためくモルガンを見ながらトールはそんな光景を何処か他人事のように捉えていた。
「そんなに、慌てないで良いよ。自分の体の事は、自分が1番わかってる……何もしなくても、時間が経てば治るから……」
嘘では無い。
今は力を使い果たしたきらいはあるが、致命傷というわけでも無い。
即座に戦闘。というわけにはいかないが、普通に過ごす分には暫く休んでいれば治るだろう。
体をスキャンした上での診断だから確実だ。
この世界で、雷による再生はできないが、体そのものの頑丈さは健在だった。
その言葉を受けてか、モルガンは、ホッとしたような表情を見せた。
不思議な事だが、彼女はこちらの言葉を疑う事を全くしない。
そんな所に心地よさを感じる。
「良かった……」
そんな、モルガンの慈愛に満ちた表情に見惚れていると、そのまま手を握られる。
「本当に、ありがとうございます……」
彼女は、トールの両手を握ったまま、額に持っていく。それは、神に祈りを捧げるような――
「貴方のお陰で私は無傷で済みました。本当に、本当にありがとう。トール君」
その言葉が染み渡る。
初めてだ。初めて、誰かの役に立つ事ができた。
それも、自分の為に親切にしてくれた恩人をだ。
その達成感たるや筆舌に尽くし難い。
「ああ――」
涙が溢れる。
ようやく自分は生きる上での第一歩を、踏み出す事が出来たのだ。
「だ、大丈夫ですか!? やっぱりどこかに不調が……!?」
慌てふためくモルガン。
「違う、違うんだ……」
そんなトールの言葉に、モルガンは何かを察したのか、言葉を噤む。
「ずっと誰かの役に立ちたかった。誰かの為に親切にしたり、護ったり、そうやって生きていたかったんだ……」
「トール君……」
モルガンは、涙を流すトールの手を改めて握りなおす。
「ずっと出来なかったから……それがようやく出来て、嬉しかったんだ……」
用意された偽の誓いだった。全部が偽物だった。
世界は失敗作で、無かったことにされるだけの存在だった。
だがそんな偽物でも10年以上、その為だけに生きていたのだ。
考えてみれば、迷うまでもなかった。
例えきっかけが偽物であろうと、その為に戦い続けて来た事は事実なのだ。その為に生きて来た行動は、自分にとっては本物なのだ。
そして、今、この異世界で、初めて成し遂げる事が出来た。
だがこれは、始まりに過ぎない。
「頼みがあるんだ」
「……何でしょう」
「君の旅について行きたい」
そう、そんな生き方をまさしく体現しているのが彼女、モルガンだ。
妖精に嫌われながらも、この國の為、1人で戦い続ける少女。
そして、異世界の人間であるトールを拾い、世話までしてくれて、尚且つ今後この世界で生きて行くための下地をも整えようとしてくれた少女。
「君はあんなのとずっと戦って来たんだろ。嫌われてるのに、感謝もされないのに、凄いよ」
彼女はトールにとっての目標で、尊敬すべき人物だ。
「君がこの國の為に戦い続けてるのを知ってるのに、君が傷付くかもしれない事を知っているのに、のうのうと生きて行く事なんで出来ない」
そんな彼女が一人で戦い続けるのを許容出来るはずもない。
「君が嫌じゃなければ、ついて行かせて欲しい」
心からの懇願。
何故かはわからないが、モルガンは、頬を赤く染めて目を伏せていて――
内心断られるかとも思ったのだが。
彼女は少しの間を置いて、その綺麗な碧の瞳をトールに向けた。その瞳には、少し涙が滲んでいる様にも見えた。
「わかりました。でもまずは怪我を治してからです。私の旅は危険ですから」
「ああ、それなら一回、ゆっくり眠ろうかな」
「ええ、おやすみなさい。本当にありがとう。トール君」
その言葉を受けた意識を落とす。
――これから、よろしくお願いしますね。
完全に落ちる直前、そんな声が聞こえた気がした。
これが始まり。この妖精國がトールにとっての故郷になるきっかけである。
MARVEL作品をどれくらい触れていますか
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MCU含め、他媒体の作品も嗜んでいる
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MCUの映画は全て視聴済み
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MCUの映画を1本以上観た事がある
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一度も触れた事がない