――お願い。
暖かい。
覚えのある暖かさだった。
かつて妖精歴を旅していたあの頃。
妖精や人間の争いが起きるたび、島の呪いに対処するたび。
傷ついた身体を癒す為に施されていた彼女の
劇的な効果は皆無だった。
だが、力から感じた彼女の悲しみと、慈しみに何度歯痒い思いをしたのだろう。
朧げな妖精歴の記憶。
既に、異世界にいた時から薄れていた記憶達。
それでも、彼女との交流だけは忘れることは無かった。
それだけは忘れないと。
そう、思っていたのに……
目が覚めた。
天井が見える。
『――っ』
聞こえるのは男の怒号。
死にかけた覚えはあるが、その割には意識はクリアだった。
ぐるぐると、さまざまな映像が頭の中を刺激する。
失われたものが少しずつ戻っていく感覚。
だが、それを理解するには何かが足りなかった。
頭痛はますが、思考はどんどんとクリアになっていく。
状況を確認する。
一番最初に気づいたのは頬の感触と、胸にある暖かみだった。
(モルガン……)
身体は満足に動かせないが、目線ぐらいは変えられる。
しなだれかかり、意識を失った彼女の表情は見えない。
あの状況からどうしてこうなったのか。
過程はわからない。
だが彼女が何をしてくれたのかはわかった。
このまま抱きしめてそのまま眠ることができればどんなに良いだろう。
「——っ!……っ!!」
怒号が響く。
周囲を電磁センサーで把握する。
気配で感じる人数の割には、比較的喧噪が穏やかなのはこの男の怒号が原因なのだろう。
男のやろうとしている事と、言わんとしている事は理解できる。
そう、男の慟哭には全面的に同意しよう。
男のおかげで、
その点に関しては、むしろ感謝しても良いくらいだ。
男は、形はどうあれこの妖精國で生きつづけようと足掻いているにすぎない。敵ではあるが、敵ではない。
自分にとっての敵は。この世界を終わらせようとしている者達だ。
だが――
――お願い、トール君
本当の意味での敵ではないとは言え。
――あの
動かない身体に鞭を打つ。
身体を貫く矢は内臓を抉り、貫通している。
矢から溢れ出る黒い瘴気に力を抜かれている感覚がある。
その不安を心で吹き飛ばす。当然の報いだと思えばこそ、保てる気力。『だって、僕は誰にも必要とされていない存在』
この世界に来るときに記憶を保持できていれば、最初から彼女の傍にいれば、きっとこんな事は起きなかった。『ベッドを占領してただ生きるだけの肉人形』
だから、そのツケは払うべきなのだ『だから生きている意味がないんだ』
自分が死ねば彼女が悲しむという言い訳を消しはらう『自分が死んでも悲しむ者はいない』
死んだと思われていたのに、こうして彼女はこうして立派な國をつくり上げた『死ねば後処理なんかで迷惑をかけるからと』
それを今更、一人の男が死んだ程度でどうにかなりはしない『でもやっぱり生きているせいで迷惑をかける』。
自分1人の命で、愛する者達が守れるのなら儲け物だ『自分1人の命を差し出せば、愛されている者が救われるなら儲け物だ』
死という逃避。甘い誘惑。
命をかけて事を成すというのはある種理想ではある。
――だが、まさか死ぬという事がこれ程に苦しいと、誰が想像できるのだろうか。
「——くっ」
頭の中に妙なノイズが走った。
覚えの無い妙な
だが、今はそんな事を気にしている場合では無い。
彼女を、バーヴァンシーを人質にとった男の顔が見える。
別になんてことのない、普通の男だ。
妖精のフリをした人間の男。
この妖精國を必死に生きるだけの弱い人間だ。
力もない。
特別なものなど何も無い。
武術の心得はあるのだろうが、自身の知る存在からすれば児戯以下だ。
だが、周囲の、それも戦闘に特化した妖精達を怯えさせた怒号は大したものだった。
そういう手合いは。
それ以上に
「ひっ!」
殺気。
生み出された世界では気などを用いる古流武術使いが多くいたせいか。誰しもが戦う前の最初の戦いとして用いていた気のぶつかり合い。
戦う前から半ば決着をつける事になる力の図り合い。
誰しもが内に持つ
そして、脳に直接電気信号を送る力を乗せればその効果は絶大となる。
彼女を落とせばどうなるかと言う脅しを殺気に乗せる。
言葉にした途端、安っぽくなる脅し文句も、気に乗せてぶつければ絶大な効果となる。
男の反応で、既に決着は見えた。
後は、刺激しすぎないようにゆっくりと近づくだけだ。
ゆっくりと、ゆっくりと。
恐怖に染まる男の表情を観察しながら。
落とせばどうなるかという脅しをその感覚に刻み付ける。
身体を貫く矢を抜き捨てるパフォーマンスを入れながら。
ゆっくりと男に迫る。
「わ、わかった――!」
目論見は成功した。
風が吹いた。
――ああ、本当に。抜け目のない
幾許か戻った記憶のカケラ。
妖精歴時代。お互いに反りが合わなかったあの男を目の端で捉える。
ロンディニウムの滅亡のあの時、
それに、終ぞ現れることは無かったあの男。
楽園の望む滅びという俺が最も嫌い、憎むべき救済を望んでいた男。
滅びこそが正しい姿と言う、
汎人類史という、何がどうあろうとも相容れることは無い世界からの尖兵。
――殺す事のできなかった……憎むべき敵。
ずっとずっと、遥か昔からさまざまな未来を見据えていた男。
全てを見据えるような全能感と、目的のために非常な選択を取るその様は今となってはどこかあのヒトを思い出す。
かつて、相入れることはないと敵対する事を告げて互いに別れた。
故に今更、その行動を責める気はない。
そしてそれはあちらも同じ思いなのだろう。
もとより年齢を感じないヤツだったが、年老いた見た目になっても尚その表情が何を物語ってるのかがわかるくらいには、長い時間を過ごしてきた。
いつに無く苦い表情なのは、別れ際のあの時と同じ。
俺を殺そうとして、躊躇したあの表情に近しいもの。
内心でほくそ笑む。
つまりはこちらの望み通りという事だ。
あの男の望んだブリテンの終わり。
その苦虫を噛み潰したような表情に、勝利を確信する。
だから。
――俺の事くらいはお前の望み通りにしてやるさ
動かすのがやっとだった足に力を込める。
普通の人間であれば、そのままショック死する程の激痛が走るが気にしない。
彼女は愛する人の娘であり、そして、俺はそんな彼女の
痛みごときで躊躇など出来ない。
1歩で大穴までの距離を一気に詰める。
慌てて体制を立て直す男が迫りくる俺の圧に身を竦め、大慌てて弁明しようと叫んでいる。
(そう、怯えるなよ。別に取って食おうなんて思っちゃいない)
2歩で淵まで辿り着く。
腰を抜かして尻餅をついた瞬間からもうこの男は終わっている。
もはや、敵でも味方でもない。興味もわかない、その男に構わず通り過ぎ。
3歩目で淵を大きく蹴り。
彼女の元へ追いつくために、力いっぱい飛び込んでいく。
訪れた浮遊感。
落下する彼女に追いつくのは容易だった。
頭から落ちながら、バーヴァン・シーを確保する。
一先ず安堵のため息をついた所で。
「なんで――」
声が聞こえた。
突然聞こえてきた声は抱き止めた彼女のもの。
「――あぁ、起きてたのか」
「何で私なの」
それは俺にとっても不思議な言葉だった。
「何でって……」
「なんで、お母様じゃなくて私のところに来たの!?」
「おい、落ち着――」
「お母様がぐちゃぐちゃにされてるのに、私、恐くて何も出来なかった!」
それは贖罪の声だった。
「私のせい、私の……!」
だが、アレ程の嗜虐性をもった彼女の焦燥した様子に胸を締め付けられる思いだった。
どうにか慰められる言葉を投げかけてやりたかった。
「ごめんなさい……!」
だが、今はそんな場合ではない。
このまま彼女の慟哭を聞いていてはお互いに助からない。
だから、今俺に出来る事をするだけだ。
「ウッドワスとちゃんと仲良くしろよ。モルガンを本当に愛してるのは君たちだけなんだから」
「え――?」
「あと、ムリアンの事も良い子ちゃんとか言って酷いことするな? 政治関係はとびきり優秀だからさ。あとあの金髪の男。あいつも今回でもう懲りたろうし、許すフリでもして、さんざん利用して働かせりゃ良い」
「何言って……」
力を込める。
遥か上。広間の淵から、1翅の妖精がこちらを覗いているのが伺える。
期待通りの動きに、思わず微笑んでしまう。
(流石だよ)
抱えた少女と同じように。
女王を愛するもう1翅の妖精を見ながら。
「モルガンを頼む」
「え――?」
「乱暴で悪いな」
一言告げて、ウッドワスめがけて投げ飛ばした。
(これで良い……)
目論見通り。バーヴァン・シーを見事確保したウッドワスを見届ける。
少し前。
モース擬きに襲われた時。
後悔ばかりだった。
死など恐ろしくないと、妖精國や彼女の為ならば命など惜しくないと思っていた。
だがそれは、あくまで目的を遂げられるならという話だ。
とんでもない。
死は何より恐ろしいものだ。
死が救いなどと言うのは殺した側の詭弁か、死んだ事のない奴の言う戯言。
記憶はなくとも経験は心に刻み込まれているのは自覚できる。
死の恐怖を刻みつけられた自分にとって、それは何よりも恐ろしい。
だが
今は違う。
後悔は無い。
死にかけたモルガン。
だが生き残れた。
あれは間違いなく分岐点。
あの時点でモルガンが死ぬという運命。
どこかのどいつかが描いたブリテンの滅びというシナリオ。
それが捻じ曲がった。
あの時点で生き残った以上滅びはない。
モルガンはもう負けない。
モルガンは、運命と言う名の巨大な力でしか殺す事は出来ない。
それが捻じれた今、ブリテンに滅びは無い。
これで死んでも、どうあれ愛する者は救われるのだ。
それは死への恐怖よりも勝る喜びだ。
下から這い上がる瘴気が体を襲うが、なんて事はない。
遥か下にある呪いの根源。
この大穴に眠る、神と言われている存在。
「――ハ、神、神だってさ……」
ケルヌンノス。
ケルト神話とか言う物語に出て来るらしい、毛むくじゃらの巨大生物。
汎人類史では神とされている存在。
妖精歴時代、俺の力を以て消し飛ばそうとしたときに、何かを危惧して彼女は止めた。
様々な異世界における神と言われている存在を思い出す。
その中でも。一番に思い浮かぶのは義理の父。
やろうと思えば星すらも容易く滅ぼせる力を持つ全能の彼の口癖は、”我々は神ではない”という言葉だった。
――神様ってのは、それこそ俺が名乗れてしまうような、簡単に殺されてしまうような安っぽい存在じゃないって事だ。
自嘲しながら体に力を込める。
「あんたが自称”神”だか他称”神”だかなんだか知らないが、そんなもの、遠慮する理由になりゃしない。知ったこっちゃないんだ。正直」
生まれた世界から持ってきた残り少なくなった。
「神様だから正しいとか、悪魔だから正しくないとか、誰が正しいとか、誰が悪だとか。どうでも良いんだよ本当は」
生まれたときから刷り込まれた。文字通り世界を滅ぼす力。
「神だろうが人だろうが妖精だろうが、どうしようもない理由があろうが、復讐だろうがなんだろうが何かを傷つけようとした時点で悪でしかないんだからさ……」
偽物自分が持つ本物の力。
「どうあろうがお前は俺にとっての敵で、いてもらっちゃ困る存在だ……」
それを解放して自分ごと消滅させる。
「でもまあ、他称とは言え
身体を構築するエネルギーすらも用いた最後っ屁。
「それでも文句があるなら、死んだ後に聞いてやる」
――それが、自分に出来る最後の仕上げだ。
「待ち合わせは祖先の平原か葦の楽園で良いよな? 悪いけど、たかだかナマクラを作る為に命を消費するようなシステムを作るお前らのトートイらしい楽園は、行く気にならないんだ」
軽口を叩ける自分に笑えて来た。
自分で言った事に笑えて来るぐらいには、余裕があった。あるいは悲壮を誤魔化す為の笑いか。
それは自分ではわからない。
「――ハっ、祖先の平原、葦の楽園……だってさ。バカだなぁ。行けるわけも無いのに」
覚悟は既に決まっている。
「悪である俺もお前も、向かう先は良くて地獄だ。残念だったな」
後は墜落と同時に力を爆発させるだけだ。
――そのはずだったのに。
ふわりと、甘い香りが漂った。
「あ――」
背中から感じる暖かい感触。
それと同時に緩やかになる落下速度。
驚愕に意識が回らない。
「ああ、本当に、良かった。今度こそちゃんと掴めた――」
聞こえて来たのはここ最近馴染みのあったかわいらしい声。
「なんで――」
暖かい感触は背中から掴まれているからで。
「全く、急に、飛び込むんですからっ……だいぶ下まで落ちてしまったでは、ないですか……っ!」
落下速度が落ちたのは、浮いているからだ。
「なんで、なんでだ……ダメじゃないか!」
それはあまりにも予想外で。
「何が、ダメ、なんです?」
予想外すぎて思考が追い付かなかった。
なぜと、ダメだと、もはや無意味な言葉であっても叫ばずにはいられない。
「なんで、ここにいるんだムリアン!!」
グロスターの領主。
叫ばずにはいられない。
下からモース毒のような瘴気が沸き上がっているのだ。
自分のように耐性があるならばともかく。妖精である彼女がここにいれば無事では済まない。
もはやこの濃度の瘴気ではもう――
「なんでって、忘れ、物を……届けにっ 来たんですよ? ロットさん」
息も絶えだえで、顔色も悪い。
最早死んでいてもおかしくない。
――だと言うのに、彼女の態度は言葉通りに、忘れ物を届けに来ただけであるかのように気軽だった。
ムリアンの言葉の後、左手に取り付けられたのは、2つのリングが繋がった指輪。
スリングリング。
ミスティックアーツにおいて、次元の扉を開く為に用いるレリック。
「これ、で……広間に戻れます。私、では……もう力が無いのか使えなかったものですから……」
たしかにこれを使えば広場には戻れる。
だが戻った所でムリアンは……
「……ぁ、なんで」
「お礼ぐらいは、言って……欲しいんですけど……?」
戸惑って声も出せない中。
揶揄うように笑うのを背中から感じ取る。
「お礼,なんて、だって……っ」
それが、命をかけてまでする事かと、叱責することなど出来るはずもなく、かと言って、素直に礼を言うこともできなかった。
礼を言ってしまえば、ムリアンの終わりを肯定してしまうのと同じような気がしてしまう。
どちらを言うことも憚られた。
「良いんです……」
そんな俺の気持ちを察したのだろう。
ムリアンはつらつらと言葉を並べ始めた。
「私はあなたがいなければ、大きな罪を犯してしまう所でした。この妖精國を滅ぼしてしまう程の大罪を……」
「何言って……」
「私はその罪を犯した後、きっとそのまま誰かに殺されていたでしょう。何故かはわかりませんが何となくわかるんです」
「何だよそれ……そんなの理由に、理屈になってない。仮に死ぬ運命だったからだなんて。そんなの、だってこんなことしなければ無事なままなはずだったんだ。運命だったら、それを乗り越えたんだったら。そのまま生きていれば良いじゃないか。運命なんて戯言放っておけば良いじゃないか……罪だなんて。そんなの捌く権利がある奴なんてどこにもいないんだから、君が犠牲になる必要なんて無いじゃないか」
支離滅裂な言葉にも、ムリアンは苦しげながらも笑顔を返す。
「その言葉、そっくりそのままお返しします。自分を犠牲にしようとしているあなたに言われたくありません」
「――っ」
それはこれまでで一番強い言葉で。
その迫力に言い返すことが、出来なかった。
「どちらが生き残れば皆が幸せか。考えただけです。私よりも貴方が残った方が良い。貴方は陛下や妖精騎士の方々。ウッドワス――さんに慕われています。でも私は、誰にも愛されていません……」
「そんな事……」
「いいえ、だって私はそういう風に生きてきましたから。翅の氏族が殺されて……1000年間。上辺だけで生き続けて、復讐だけを考えて。ほら、愛される理由がありません」
自嘲気味な笑顔は全てを受け入れた朗らかな雰囲気で。
「私が死んでも、悲しむ人はいませんから……」
そんな悲しいことを言い切った。
それがあまりにも悲しくて。
あまりにも悔しくて。
顎が震えて声が出ない。
『俺が悲しむよ……』
――そう、言ってやりたかった。
記憶ではなく。記録の中にある。同じような悲しみを背負った者にかけたであろう
このシーンにはおあつらえ向きの良い言葉だ。
それを、その言葉をかけてやれば良いのに。
きっと彼女を喜ばせる事ができるはずなのに。言えなかった。言い出す事が出来なかった。
だってそれは別の誰かに向けた本物の言葉で、自分の言葉じゃない。
いつだって色んな人達の事を参考にして生きて来た。
言葉から生き方まで、模倣ばかりの人生だった。
それを、恥ずべきことではないと、誰しもがそうなんだと。かつて教えてくれた人がいて。
だから他人の台詞を使う事への情けなさなど、遠慮など、とっくのとうに振り切ったはずだと言うのに、今だけはそれは憚られた。
「フフ、今、言葉を飲み込みましたね」
そんな不甲斐ない俺を、揶揄うように笑うムリアン。
「あなたの言葉は、素敵ですけどあなた自身でないような気がしていましたから」
気づかれていたのかと、そんな事実を揶揄いながら突き付けられる。
「でも、貴方は顔に出やすいので、言わなくても伝わります」
「……」
「……だから私はこうするんです。私の死を悲しんでくれる唯一のヒトを、私は失いたくありませんから」
成り立たない会話も、意味は理解できている。
「ムリアン……
そんな事ないと、これから、君の死を悲しんでくれるような、そういうヒトはきっとどこかにいるはずだと、今はいなくとも、これからそういうヒトを見つければ良いと、そう言ってやれば良いのに。
出来なかった。
今更だった。
もっと、彼女がこんな行動に出る前に対話できていたらと、記憶をもっと早く思い出して、あんな再会の仕方じゃなくて、もっと普通の再会が出来ていたらと。
情けなさと悲しみで涙が溢れて途切れない。
「フフ、僕、ですって。それが本当の貴方?」
答えられなかった。もう、言葉をかけてやることができなかった。
「……っ、もうそろそろ、眠くなってきました……良い加減、観念して貴方は助かってください。このまま落ちておしまいだなんて、それこそ許しませんから」
「――まって、ダメだ」
「本当に、ありがとうございます。
頑なにロットと呼んでいた彼女の言葉。
それを変えた意味を察する事は出来なかった。
「どうか……おしあわ、せに……」
――想像よりもずっと、あっけなかった。
彼女の事を理解しきることも無く、自分の事を理解しきる事も無く。
かけるべき言葉を見つける事もなく。
終わる。終わってしまう。
浮遊状態は解かれ、重力に従うように落ちていく。
「……っ」
力強く、少女を抱きしめる。
きっと意識があれば、苦しがっていたかもしれない程に強く。
まだ、暖かい。
湧き上がった感情を、言葉にする事は出来なかった。
「頼む……」
抱きしめていた右腕を解き、掲げるように開く。
「頼むよ……!」
漏れ出てきたのは、懇願の言葉。
「俺に資格なんてないのはわかってる!信念もないし正義感もないし頭も良くないし全てを赦せる程心も広くないしそもそも本物ですらない……! わかってるんだよそんなの!!」
そのまま、ゲートを開いて逃げる事が出来ない。
それはそのまま彼女を諦めてしまう事につながるような気がして。
「全部を捨ててきた俺がふさわしくないのはわかってる!!」
悪である自分が全ての命を救いたいとなどと思うはずも無い。
そこまで慈愛に溢れてはいない。
それでも、だからこそ。
自分を大切に思ってくれる彼女を犠牲に、自分がのうのうと生き残る事は我慢出来ない。
だからと言ってこのまま死んだら彼女の全てが無駄になる。
だから――
「お前だけが頼りなんだ……っ!!」
叫ぶ。
「お願いだ!」
叫ぶ
「お願い――っ お願いです!!」
情けなくとも、みっともなくとも叫び続け――
「来てくれぇェェェェェェ!!」
遥か彼方から――
――空気が、爆ぜる音がした。
***
『その、もしあなたがよろしければ、このまま貴方のお友達と一緒にこの妖精國に……』
「――貴方の勇姿、貴方の愛。しかと見届けさせていただきましたわ」
キャメロットに囲まれる大穴の上空。
そこに、ふわふわと人影が一つ。
彼女を知る者で有れば驚くだろうその賛辞。
本人も自分自身しかいないからこそ出た言葉であった。
コヤンスカヤにとってムリアンは友人である。
だからこそ、彼女には選択肢があった。
ムリアンの代わりに彼を救う事。
あるいは広間での戦場に参戦する事。
――ですが、無粋というものですから
だが、コヤンスカヤがコヤンスカヤである以上、それは出来ない相談だ。
ムリアンの生きざまをしかと見届ける事しか彼女はしない。
それは、ある種の存在としての矜持というよりは、もっと性格的な、これまでの生き方によって構成された要素による理由が大きかった。
『――お願いですっ!』
哀愁を漂わせながらも、苛立ちを募らせる。
一体何に懇願をしているのか。神頼みとでも言うつもりか。
不可思議な経験をつんでいようと、人間の分際で、この妖精國を存続させようなどという”罪”を犯す分際で、神頼みなどに興じ、彼女の犠牲を無駄にしようとしているその姿。
人間に限らず、生命の本質は窮地の時こそ現れる。
男は、彼女の望み通り助かろうとする事も無く、みっともなく泣きわめきながら無意味な叫びを上げ続ける愚か者にしか見えなかった。
「……ムリアン様、貴方の愛は立派ですが、お相手の方はその愛を受けとる資格がないようです……」
もう見ていられないと、台無しな気分にされたと、とっとと去ろうとしたところで――
――ゾクリと、悪寒が走った
何かが、同じ空から凄まじい速度で迫って来た。
見た目には馴染みのある、知識の中にあるものだが、馴染みがあるからこそ理解出来ない物だった。
だが、確かに正体は不明だが、コヤンスカヤだからこそわかる事がある。
それは、この星のものでは無い。
それは、この星の重力下にあってはならない質量である。
それは、本来であれば存在するだけでこの星をどうにかしてしまう物である。
だからこそ不可思議だ。
だってそうだろう。そんな物が何故星に影響を与えることなく存在しているのか。
そんな物が何故――
それが、大穴の上にいるコヤンスカヤまでまっすぐに空を飛び、接近して来る。
「ちょ――」
コヤンスカヤは、浮く事は出来るが、飛行は出来ない。
あれを回避できる飛行性能は持ち合わせていない。
このまま通り過ぎられれば余波だけで霊核の一つや二つ、容易く持っていかれると危惧したところで。
コヤンスカヤの目前、余波が届くかどうかというところで、直角に落ちるという変態軌道を描き、大穴へと落下していった。
とりあえず、安堵の息を吐くが、安心している場合でもない。
「っと、まずいのでは? このまま、アレが地表にぶつかれば――」
コヤンスカヤの、存在そのものに刻まれたモノが疼く。
あれが、もし感じている質量の通りであれば――その被害は
例えば、見た目通りの道具のように人間が地表で持っていた場合、その高さから迂闊に取り落としただけでその被害は……この星は終わる。
そんなものが、この高さからあの深さまで落下でもすれば、それこそ――
なぜそのような物がと、考えた所で当然ながら彼のみっともない行動が脳裏に浮かぶ。
その懇願の意味を察してしまう。
「……私の悪口、聞かれておりませんわよね?」
口に出たのは後悔の言葉。
それを呟きながら、コヤンスカヤはもはや自分では対処のしようがないと、少しでもそれがもたらす被害から逃れるためか、あるいは、彼がもたらした事態なのならば大事にはならないだろうと思ったのか。
その場を去った。
先程の、つまらないものを見たという表情は既に消えていた。
***
遠い遠い記憶の彼方。
さまざまな世界を渡り、さまざまな人生を辿ってきた。
その殆どは、複雑な記憶の引き出しに仕舞われて、容易く思い出す事はない。
そんな記憶達も不意にその引き出しが開く事はある。
――これは.全てを破壊する武器となり
――ありとあらゆるものを創造する道具ともなる
『死にゆく星の心臓で作られたこれは、王が持つに相応しい物だ』
『……ええ、確かに。その力は絶大です。別の世界のそれは父上――違う世界の父上によって"高潔な者"しか持つ事のできない魔法がかけられていました』
『ほう、わざわざそのような魔法を? あちらのお前は馬鹿な事でもして、取り上げられでもしたか?』
『詳細までは……ただ本人は、あの時は傲慢だったと申しておりました』
『……成る程、そちらの息子はアスガルド人らしく、儂の息子らしく育ちおったという事か……』
『私は、それを持てるようになった後の彼しか知りませんが、豪胆でありながらも思慮深く、いるだけで希望を抱かせられるような凄まじい魅力に溢れていました……私とは違う』
『……そう、自分を卑下するでない。息子が息子自身を愚弄する様を見る親の気持ちを考えてみろ……』
『……父上』
『確かに、あちらのお前は、お前には無い物を持っているのだろう』
『……』
『だがお前もまた、向こうのお前には無い物を持ち合わせていよう』
『――ありがとう、ございます。父上……』
『うむ。しかし、そうさな。相応しき者のみに持てる魔法……ふむ』
『……?』
『……持ってみよ』
『……っ 持てません……』
『似たような魔法を掛けておいた。何、お前はその消極さ故、それを誰かに譲ってしまいそうだからな』
『っそんな、事は……っ』
『無いとは言えんだろう?』
『……』
『ふ、わかりやすい息子よ……何度も言うがそう卑下するな。それを、儂は愚かだとは思わん』
『これはお前がお前自身である限り応えてくれる。だが、お前自身に迷いがあればその限りではない』
『しかし、私には王になる資格も、権利も――自信もありません』
『王に相応しい物だが、王に相応しい者が持つべきというわけでもない』
『え?』
『それに、王に相応しい者が王になるべきというわけでもない』
『父上の言葉は、その、おっしゃる事はわかるような気はするのですが……』
『理解できずとも良いのだ。王であっても、王でなくても、これはお前の為にある。ニタベリアの者達もお前の為ならばと端正込めてくれたのだ。自信を持って受け取るが良い』
『――っ僕は……っ』
『――まったく、本当に涙脆い。それだけは悪癖だぞ? 未来はどうあれ、今のお前はアスガルドの王なのだからな』
――映像のように流れて来る。
『だが、そうさな。これを万が一他の者に託そうとするのならば――』
『――――っ ――』
『――――』
――引き出しから取り出した記憶の欠片。
それから、目が覚めた。
感じとる落下の感覚と、抱きしめた彼女の体温を感じ取る。
思い出に浸っている場合では無い。
慌てて、眼の涙を拭う。
そんな、泣いている場合では無い。
このままおめおめと逃げるだけではだめだ。
彼女をどうにか……
そうして、ぼやけた視界がクリアになったところで。
「ああ、ああ……!」
それは馴染みのある速度で飛来し、迫る。
「ありがとうドワーフたち、エイトリ! 」
それに、あわやぶつかりそうになったところで。
「ありがとう、ムジョルニア!!」
その柄を、掴み取った。
――ありがとう。お父さん。
かつての恩人達を想いながら。
光に包まれた。
ご感想、ご意見色々とありがとうございます。
厳しいご意見に関しては、概ね予想通りの反応だなというのが正直な所でございます。
色々とありますが、つらつらと講釈を並べるつもりはありません。というか説明できません。何せ今後の展開を喋るのと同じなので。
お手をかけて書き込んだり、メッセを送ったり、評価を下さるのは、ご感想であれ厳しいご意見であれ、高評価であれ低評価であれ、期待の表れと解釈させていただき、ありがたく今後の参考にもさせていただきます。
本当感謝です。
ここまで物語を続けて来た以上、何が在ろうとこの物語を中途半端に手放す気はございませんので、どうぞ見守っていただければ幸いです。
PS
トップガンマーヴェリック。
最高でした。
ランスロットとの交流シーンで色々と盛り込みたくなりました。
ネタバレし放題だし物語になんの意味もないので我慢しますが。
本当に最高です。
各サブスク媒体で前作を見てから是非映画館で見ていただきたい映画です。
MARVEL作品をどれくらい触れていますか
-
MCU含め、他媒体の作品も嗜んでいる
-
MCUの映画は全て視聴済み
-
MCUの映画を1本以上観た事がある
-
一度も触れた事がない