イネスの三階。
そこには本屋や文具屋、CD売り場などがある。
ゲームセンターもこの階にあり、さっきまで銀ちゃんと一緒に遊んでいた。
今は本屋で漫画を物色しているところだ。
「……ん? あれ、電話だ」
少し離れた本棚を見ていた銀ちゃんの携帯が突然鳴り出した。
ちなみに俺は三冊ほど手に持ち、四冊目に手を伸ばそうとしているところだった。
「あ、お母さん、どうしたの? ……え? ……あぁ! ごめん、すっかり忘れてた!」
電話の相手はどうやら母親らしい。
あの慌てようからして、何か予定があったのを忘れていたのだろう。
なお、俺は銀ちゃんが話している間に新刊コーナーはあらかた見終えて、今度は別の棚に移動していた。
ここは小説が置かれている棚のようだ。
「……異世界転生物、か。最近増えたな」
棚の本には“異世界”といった単語が至る所に見られた。
ネット小説では結構馴染みのあるジャンルだけど、それが商業化されるようになったのは結構最近のことだろう。
本棚を見ていると、いくつか見知ったタイトルもある。
「んー、俺がよく読んでる作品はないかぁ」
そこそこ評判も良かったし、もしかしたらあるかと探してみたものの、残念ながら見つけることはできなかった。
この店にはないのか、ただ単に商業化されていないだけか。
商業化するという話しは聞いてないし、多分後者なのだろうが。
「……はぁ。商業化してほしい作品は商業化されなくて、あんまり興味がない作品に限って商業化するんだもんなぁ」
悲しい現実に、思わずため息がこぼれる。
「知らないタイトルも色々あるし、こっちのを買ってみるか? ……あぁ、でもこれ、なんかハーレム物っぽいな」
表紙に可愛い女の子が複数描かれているのを見て、出していた手を引っ込める。
個人的にハーレム物も嫌いではないし、ネット小説でもハーレム物で好きな作品はいくつかある。
だけどそれはあくまでネット小説という、無料で読めるものだからこそいいのであって、わざわざ金を出してまで読みたいかと聞かれるとイエスとは言い難い。
しかもネット小説で見たことがないということは、どんな話しなのかわからないまま買うということだ。
さいあく一話読んだだけでつまらなく感じ、もう読まなくなるという可能性も十分にある。
そうなればただの買い損だ。
「……うーん、とはいえなぁ。この絵は結構俺好みだし、ここは思い切るところか?」
本来ならネットで調べるのが正解なのだろう。
しかし偶然見つけて、絵は気に入って、もしこれで内容まで面白ければ?
ちょっとした運命のような何かを感じてしまう。
案外嫌いではないのだ、そういう偶然の出会いとか、運命の出会いといったものは。
三好に言えば、「乙女かよ!」なんて馬鹿にされそうだけど。
買うべきか買わざるべきか、俺の中で二つの思いが揺れ動く。
「あ、兄ちゃんこんな所にいたんだ!」
どうするか悩んでいると、銀ちゃんが俺を見つけて小走りで寄ってくる。
それは悩んでいた俺がその本に手を伸ばし、もう少しで触れようとしている時のことであった。
この寸での所に割って入られる感覚、これは悩むならいっそ買うなという神樹様のお導き、いや銀ちゃんの導きかもしれない。
そう思えた俺は、伸ばしていた手を思い切って引っ込めた。
「おう、銀ちゃん。電話は終わったのか?」
「うん。それでだけど……実は、今日は家族と出かける予定あったんだ。それで、今から急いで帰らなくちゃいけなくなっちゃって」
さっきの俺の予想は正解したらしい。
申し訳なさそうにしている銀ちゃんに、本を持っていない方の手を軽く振って応える。
「そっか、わかった。帰る時、急ぎ過ぎて転ばないように注意しろよ」
「わかってるよ。それじゃあ、また今度ね!」
「あぁ、またな。今度は予定忘れないようにしろよ~」
そう言い、急いで帰る銀ちゃんの後ろ姿を見送った。
「……さてと、俺も早く帰ってじっくり読むとするか」
手に持った五冊の本をレジに持っていく。
本当はもう少し見てみようかとも思ったけど、フラーッと眺めてるうちにまた色々と欲しくなってしまうかもしれない。
今ある分だけでも、四千円は軽く超えるだろう。
参考書とかでもないのに一冊で千円近くするのもあるとか、本当に最近の漫画や小説は高くて参ってしまう。
袋に入った本をバッグにしまう。
流石に五冊分となると重さもそうだがスペースも取り、バッグがパンパンに膨らんでしまった。
これだけでちょっとした凶器だ。
もし間違って足にでも落としたら、かなり痛いだろうことは容易に予想できる。
「……んー、今日はエレベーターにするかな」
丁度、エレベーターが来たのを見てそう考える。
このくらいの重さなら三階くらい歩いても大して苦ではないのだが、できれば楽な方を選びたい。
そうと決まればと、早速エレベーターに乗り込んだ。
「俺一人だけか。なんか独占したみたいで気分が良いな」
さっきので全員降りたらしく、室内には誰もいなかった。
これなら密室で狭苦しい思いをしなくて済むと安堵し、一階のボタンを押してから壁に寄りかかって扉が閉まるのを待つ。
「待って待ってー! 私も乗りまーす!」
扉が閉まり始めた時、外から声が聞こえてきた。
もう少しで閉まる寸前、俺は開ボタンを押す。
完全に閉まったならともかく、閉まる途中なら押してあげるのが優しさだろう。
「よかった、間に合ったぁ! あ、待ってくれてありがとうございます!」
「いやいや、どういたしまして」
再び開いた扉から入ってきたのは一人の女の子だった。
人懐っこそうな笑顔を浮かべ、頭の右側についている桃色の花弁柄のヘアピンが特徴的だ。
見た感じでは、だいたい銀ちゃんと同い年くらいだろうか。
その子が入った後、軽く外を見ると今度こそ誰も来る様子はない。
それを確認し、俺は閉ボタンを押した。
「何階かな?」
「えっと……あ、私も一階です」
「了解」
今度こそドアが閉まり、エレベーターが動き出す。
俺は再び壁に背をつけて、一階まで降りるのを待った。
階数を示す数字がゆっくりと下がっていく。
このまま誰も途中で止めなければ、三十秒もしないで一階まで降りるだろう。
「(さて、家に帰ったらどれから読むかな。やっぱり新刊からか、それとも今日初めて買った本にするか)」
降りるまでの間、買った本をどれから読んでいくかを考える。
初めて読む本がつまらなかったら、それを最後に読んでしまった時に何とも言えないモヤモヤとした気持ちになるかもしれない。
俺は無駄に真剣に考えて、どれから読んでいくか脳内で選択していく。
「……あれ?」
「(今回で最終巻のもあったし、あれが最後なのは確定だろうな。流石に最後の最後で落としてくるなんてことはないだろうし……いや、逆にそういう可能性もあるのか? あの作者、別の作品でここぞという時に「俺達の戦いはこれからだ!」エンドをかましてくれた前例あるし。今回の作品も最後に何か仕掛けてくる可能性も? だったらもういっそのこと、それを一番最初に読むという手もありかもな。それならどういう形でも、気持ちのリカバリーはきくだろうし)」
「あのぉ、お兄さん? えっと、少しいいですか?」
「……ん? 俺?」
「はい、考え事してる最中にすみません」
「あ、いや、別に大したことじゃないから大丈夫だけど」
思考の途中、突然女の子に声を掛けられて内心キョドってしまう。
「(なんだ? この状況で、俺に何の用があるんだ? ……あ、もしかして社会の窓が開いてたとか? やっべぇ、だとするとゲームセンターに行く前からじゃねぇか。銀ちゃんも気付かなかったのかよ!?)」
チラッと自分の下半身を見る。
「(……あ、よかった、大丈夫っぽい)」
チラッと見た所、しっかりと社会の窓は閉じられていた。
公衆の面前で、恥ずかしいところを御開帳していた訳ではなかったようだ。
「それで、なにかな?」
俺は内心の動揺とかをひた隠しにし、平然とした態度で女の子に尋ねた。
「えっと、さっきからこのエレベーター……なんか止まってるんじゃないかなぁと思いまして」
「……んん?」
そう言われて眉を顰め、俺は階数表示を凝視する。
見るとその数字は、ずっと二階の表示のまま止まっていた。
扉も開く様子がないことから、誰かが外でボタンを押しているわけでもないだろう。
となると。
「……ここってさぁ」
「はい」
「二階と一階の間、結構長かったりしたっけ?」
「……そういった建物、私は見たことないですねー」
「……そっかー」
俺もだけど。
そんな建物、四国にあるなんて聞いたことない。
もしあったら絶対夏休みの間に、銀ちゃんと見学に行く予定に組み込んでいることだろう。
そしてイネスも、そんな奇抜な建築物ではないのはすでに承知の上。
結構ここには来ているし、今日も上に上がる時はいつもと同じだったし。
今だけ唐突に表示が長時間止まる様な長さになっているなんて、それはもうオカルトの領域だろう。
神樹様が存在するこの世界で、今更オカルトとか何を言ってるのかと思うけど。
まぁ、取り敢えずだ。
「……止まってるねー」
「……ですよねー」
俺と女の子は、乾いた声で現実を受け入れた。
エレベーターに閉じ込められるなど初めての経験だが、だからといって焦る必要はない。
こういう緊急時のための非常用ボタンだ。
俺は操作盤にある、他のボタンとは違い赤く自己主張しているそれを押す。
「……あれ?」
何の反応もない。
力が弱かったのだろうか、今度は少し強くボタンを押す。
「……」
再度、押す。
「……にゃろぉ」
ついイラッと来て連打する。
「……チッ。駄目だなこりゃ、うんともすんとも言わないぞ」
「携帯も圏外になってるみたいです」
俺が非常用ボタンと格闘している間に、女の子は携帯で外と連絡を取ろうとしていたらしい。
それも残念な結果に終わってしまったようだが。
エレベーターは動かず、非常用ボタンは反応しない。
そして携帯は圏外で、外と連絡を取ることもできない。
これらのことから導き出される答え、それは……。
「……閉じ込められちまったな」
「……閉じ込められちゃいましたねぇ」
明かりはついているのだから、停電ということはないとは思う。
停電してないのになんで非常用ボタンを押しても誰も出ないのかは疑問だが、もしかして警備は全員で出払っているのだろうか。
「まぁ、ずっとエレベーターが動かないなんて、どう考えても非常事態だし。外で誰かが気付いて、連絡入れてくれるだろ」
「そ、そうですよね! きっと助けは来ますよね!」
「それはもちろん。今日は普通に営業日で客もいるってのに、エレベーターが動かないなんて苦情もんだって……俺もここから出たら絶対文句言ってやる」
「あ、あはは」
俺のその決意に、女の子は少し引きつった笑みを浮かべた。
「(え、文句言うくらい普通だよな? ……普通でしょ?)」
こちらはエレベーターに閉じ込められたのだから、多少なりとも文句を言っても悪質クレーマーとは思われないだろうし。
「ま、まぁ、ともかくだ。しばらくは動きそうにないし、気長に待つとしようや」
「……はい、そうですね」
専門家でもない俺達にできることは、今はただ待つことのみ。
女の子を見ると不安そうにしているけど案外落ち着いているようで、少なくとも泣き喚いたりしてパニックを起こすことはないだろうと思えた。
その事に少し安堵し、俺はバッグからタオルを二枚取り出して一つは女の子に渡す。
「え? あの、これは?」
「立ったままだと疲れるだろ? それ敷いて、座って待ってた方がいいと思ってね」
どれだけ待つことになるのかわからないのだ、少しでも体力はもたせるに越したことはないだろう。
「あ、ありがとうございます!」
「はいよ、どういたしまして」
そう言い、タオルを床に敷いてその上に座る。
女の子も俺に倣ってタオルを敷き、その上に腰を下ろした。
「(……さて、早めに助けに来てくれればいいんだけど)」
閉じ込められてから一時間が過ぎる。
しかし、あれから一向に助けは来なかった
不安が押し寄せて来たのか、女の子の表情も時間が経つにつれて少しずつ曇っていった。
最初は少しでも場の空気を盛り上げるためか、少し強引さも感じたが明るく振舞っていたというのに。
「(流石に彼女も参ってきてるか、無理もないよなぁ。こんな密室に閉じ込められて、しかも俺みたいな見知らぬ男と一緒なんだから)」
かくいう俺も少し疲れてきた。
ただ座っているだけなのだが、やはり自分の部屋にいるのとはわけが違う。
気を紛らわせるために買った本を読んでいても、集中して読めず全然楽しむことができない。
女の子にも渡して読んでもらってはいるが、チラ見する限りだとまったくページが進んでいない。
一応少しは笑えそうな本をチョイスしているのだけど、クスリと笑うどころか表情が曇っていくばかりだった。
「(さて、どうしたもんかねぇ。ここに銀ちゃんがいれば、多少は場の空気も明るくできたんだろうけど……)」
ここにはいない銀ちゃんを頭に思い浮かべる。
この女の子と話していて、途中から銀ちゃんに似てると思っていたのだ。
自分も不安だろうに、他人を気遣って元気づけようとする所なんて本当にそっくりだ。
年齢も同じくらいだろうし、相性も良さそうで、俺よりもずっと話しだって盛り上がったはずだ。
「(あぁ、もうっ! なんでこんな時に限って、先に帰っちゃったんだよ!? カムバック、マイシスター!)」
届くはずはないと知りつつ、心の中で銀ちゃんに戻ってきてくれと祈らずにはいられなかった。
◇◇◇◇◇
「……はっ!?」
「どうしたの? 姉ちゃん」
「ん? いや、なんでもないぞ弟よ。それより映画館ではお静かに、だぞ?」
「……姉ちゃんが最初に声上げたんだけどなぁ」
つんと唇を尖らせながらスクリーンに視線を戻す少年、三ノ輪鉄男(みのわてつお)。
それを見て小さく笑う銀も、同じようにスクリーンに目を向ける。
桐生と別れた後、銀は家族と一緒に映画館に来ていた。
以前から弟である鉄男が見たいと言っていて、今日は午後から一緒に映画を見に行く予定を立てていたのだ。
桐生と別れて急いで帰ってきた銀を待っていたのは、鉄男の冷ややかなジト目。
忘れていた自分が悪いだけに、何も言えずに乾いた笑い声を漏らすしかない銀であった。
これで開場に間に合わなければ、鉄男はもっと拗ねていたことだろう。
映画が始まって三十分ほど。
まだ五歳という鉄男が選んだのは、普段からよく一緒に見ている戦隊物の映画だった。
次元を超えて過去作のヒーローたちが集結して強大な敵に挑むという、在りがちではあるが燃える展開を繰り広げる内容である。
それを見て銀が思ったのは。
「(これ、今度兄ちゃんと見に来ようかな。兄ちゃんもこういうの、結構好きそうだし)」
自らが兄のように慕っている、さっき別れたばかりの桐生と一緒に見に来ようかということだった。
先約があったとはいえ、せっかく一緒に遊んでいたのに途中で先に帰ってしまったことを、銀は少なからず気にしていた。
桐生は気にしていないように見えたが、それでも銀自身が納得できなかった……とか思いながらも、本音はただ桐生と一緒に映画を見に来たいだけなのだが。
「(あ、そうだ。見てる途中で、ここぞって所でネタバラシしてみようかな? うん、そうしよう。にししっ、兄ちゃんどんな顔するかなぁ)」
桐生のことを考えていたらそんな悪戯を思い付き、我ながらナイスアイディアだと密かに笑う。
そうと決まれば絶好のネタバラシポイントを見つけるべく、銀は映画に集中することにした。
後日、そのネタバラシ作戦を決行した銀の結末は、もはや語るまでもないことだろう。
◇◇◇◇◇
あれから更に一時間。
届かないとわかりつつ祈りを送ってみても、結局いまだに銀ちゃんどころか他の誰も助けには来なかった。
さっきから沈黙が続いていて、場の空気が重くて仕方ない。
正直、居心地最悪である。
「……ッ、グスッ……ひっく……」
小さく鼻をすする音が聞こえてくる。
何処からかなんて、もはや確認するまでもない。
俺は「おぅふ」と声を漏らしそうになるのを何とか抑え、女の子に声をかける。
「だ、大丈夫か?」
そう、女の子が声を潜めて泣き出してしまったのだ。
大丈夫じゃないから泣いているんだろう、それが分かっていながらも俺はそう聞くしかなかった。
「は、はい……グスッ……ごめんなさい、ご迷惑をおかけして……でも、なんか、涙が勝手に……」
「いや、うん、無理もないと思うよ? こんな状況だしね。俺も迷惑なんて思ってないから、気にしないでくれ」
迷惑ではなく、ただ困惑してしまっているだけだ。
女の子が泣いているところを見て、平然としていられるような胆の据わっている男ではないのだ俺は。
どうすれば泣き止むのか、さっきから頭の中であれこれと考えている。
「……そうだ、何か話しでもしないか?」
「……お話し、ですか?」
「あぁ。さっきみたいに、無理に明るい話をしようとしなくてもいい。それこそ「腹減ったなぁ」とか「アイス食いてぇ」とか、適当に思いついたのを口に出すだけだっていいんだ」
「……お腹、すいたんですか?」
「例えば! あくまで、例えばの話だから!」
とか言いつつ、実は少し腹が減ってるけど、下手すればいらない心配をかけかねない。
俺はチラッとこちらを見てきた女の子に、少しオーバー気味に手を振って否定する。
「あんまり話しをしたい気分じゃないかもしれないけどさ、それでも何かしら話してたら気分も紛れるんじゃないかと思ってな」
女の子は俺のことをジッと見た後、少し視線を落として何か考えている様子だ。
話しに乗って話題を考えてくれているのならいいのだけど、「こいついきなり何言い出してるんだ?」とか内心鬱陶しく思われていないか少しヒヤヒヤする。
そういう事を考えそうな子には見えないけど。
「……」
「えーと、それじゃぁ……何にするかなぁ」
話しをしようと振っておいてこれだ。
さっきはああ言ったが、やはり何かしらポジティブになれる話題の方がいいだろうと思って頭をひねっているのだが、中々どうしていい話題が浮かんでこない。
「……あの、それじゃあ、私が最初に」
「お、おう、何か話題を思いついたのか? いいよいいよ、前向きな証拠だ!」
話題が何も浮かばなかった俺を気遣ってか、女の子が最初に話しを切り出してくれた。
年上として少しかっこ悪いが、俺はこれ見よがしに女の子をヨイショする。
「あ、あはは、ありがとうございます。えっと、そうですね。私は元々讃州市に住んでいたんですけど……」
少し照れたように笑うと、女の子はゆっくりと語り出した。
聞くところによると、どうやら彼女は喧嘩別れした友達と仲直りするために、一人で讃州市から大橋市まで来たのだという。
友達の子が在学中に喧嘩してしまって、そのまま仲直りでないまま転校してしまったのだとか。
にしてもここから讃州市までそう遠いわけではないが、小学生なのによく一人で来たものだ。
しかもここに来るのは、今回が初めてだというのだから驚きだ。
一人で来ようと思ったこの子もすごいけど、よく親も許可したものである。
それで小学校が夏休みということで、仲直りを兼ねて数日のお泊り会をして、そして今日が讃州市に帰る日だったそうだ。
帰る前にイネスに立ち寄って漫画やゲームを見ていて、そろそろ帰ろうとした矢先に閉じ込められてしまったという。
何とも災難な子だ……いや、一緒に閉じ込められている俺も人のこと言えないけど。
「……後は、家に帰るだけだったんですけど……うぅ、楽をしようと思って、エレベーターに乗ったのが間違いでした」
「楽しようと……そっか、俺と同じだな」
「お兄さんも、ですか?」
「あぁ、俺も少し荷物が重くてな。全然持てる重さだったんだけど、楽したくてエレベーターに乗っちまったんだよ……同じこと考えてた俺達が乗った時に、丁度止まるなんてなぁ。ちょっとした偶然に笑えばいいのやら、閉じ込められて運が無かったと嘆けばいいのやら」
「……私はそんなに荷物もなかったんですけどね。楽ばっかりするんじゃないって、神樹様に罰を当てられたんでしょうか……う、ぅぅ……ぐしゅっ」
「あ、ちょ……あちゃぁ」
女の子は嘆く派だったらしい。
話している時は収まっていたのに、一通り話し終わると感情が高ぶってきたらしく、その目からはまた涙があふれてくる。
「(これじゃあ、俺が何を話してもあんまり意味なさそうだな)」
話を聞いているうちに何を話すかいくつか案は出てきていたが、今の彼女だと俺の考えた話しくらいで気分が紛れる状態ではなさそうだ。
むしろさっきより少し悪化してるようにも見えて、彼女に先に話しをさせたのは少し悪手だったかと頭を悩ませる。
……いや、何でもいいと言った時点で、彼女がこの話をするのは遅いか早いかの違いしかなかったか。
話しを続ける雰囲気でもなく、何か少しでも元気付けられるものはないかとバッグの中を漁る。
とはいえ、そんな都合のいいものなど入れていた覚えはないけれど。
バッグの中にはさっき買った本のほか、ビニール袋や筆記用具といった、ちょっとした雑貨類が少々といういつも通りの中身だ。
甘い飴玉でもあれば女の子受けは良かったかもしれないが、残念ながら偶然入っていたなんていう奇跡は起こらなかった。
「(あるのは銀ちゃんとの待ち合わせの時に買った缶コーヒーが一つくらい、か)」
いつも通り遅刻した銀ちゃんを待つ間に飲もうと買ったものの、開ける前に銀ちゃんが来たから飲まずにバッグに仕舞っておいたものだ。
冷たいのを買ったはずが、そこそこ時間も経ったせいで少し温くなっていた。
「(……あ、そういえばコーヒーってリラックス効果もあるんだっけ?)」
たまたま見ていたテレビで、確かそんな話をしていたのを思いだした。
真面目に見ていたわけじゃないから、内容は詳しく覚えていないけど。
ともあれ、それならさっそくとプルタブに指を掛ける……が、そこで俺は一度思い留まった。
「(コーヒーの香りって、好き嫌い別れるんだよなぁ)」
俺は普段から飲み慣れてるから気にならないが、知り合いの中には苦手という人もちらほらいる。
中には「日本人ならコーヒーよりお茶だろ」などという理由で、味や香り関係なく嫌ってる人もいるくらいだ。
コーヒーにリラックス効果があったとしても、人によっては逆効果になる場合もあるだろう。
相手が小学生の女の子ということを考えれば、なおさらコーヒーの香ばしい香りが苦手という可能性は高そうだ。
とりあえず困ったら聞いてみるのが一番である。
「えっとさ、つかぬ事を聞くんだけど。コーヒーの香りって、君は大丈夫?」
「……コーヒー、ですか? グスッ……えっと、お父さんがよく飲んでます。私は飲めませんけど……でも、コーヒーの香りは嫌いじゃ、ありません」
「そっか、それは良かった」
それを聞いて一安心、今度こそプルタブを開けた。
そして缶コーヒーを女の子に手渡す。
「え? えっと……」
「あげるよ。コーヒーの香りには、心を落ち着かせる効果があるんだってさ。だから飲まなくてもいいから、そのままゆっくり香りを楽しんでみなよ。悲しむより、少しでも楽しめることをしてた方がいいだろ?」
「……は、はい」
女の子は缶コーヒーを両手で包むようにして持ち、目を閉じてゆっくりと深呼吸する。
熱いコーヒーではないから香りも広がり難いかもしれないが、それでも密室内にゆっくりと広がっていき、少しして俺の所にも僅かに届いてくる。
それは正しく、俺が普段から飲んでいる安物のコーヒーの香りだ。
正直、いくら飲んでも安物とか高級品とかの違いがよくわからない庶民舌&嗅覚だけども、それでも俺はこのコーヒーの香ばしい香りが結構好きなのだ。
「……お父さんが飲んでるのとは違う香りだ」
「コーヒーにも色々あるからな。使う豆の種類とか、ブレンドの仕方とか、それぞれで香りも違えば味だって違ってくるさ」
「そうなんだ……なんだか、花に似てますね」
「花?」
「花にも色んな種類がありますけど、それぞれ違った香りがして面白いんです」
「へぇ、そうなんだ」
「はい! なんというか香りが良いのもそうですけど、見てるだけでも綺麗だなぁって、自然と笑顔になれるんです」
「……好きなんだなぁ、花が」
生憎、花のことはよくわからないから相槌くらいしか打てないけど。
それでも自分の好きなことを話す彼女は楽しそうに笑っていて、いつの間にか涙は止まっていた。
「それに……」
再び目を閉じて、缶に顔を近づけてゆっくりと深呼吸する。
「なんだか、落ち着いた気持ちになるのも似てますね」
「……そっか」
そう言って微笑んでくる彼女に、俺も小さく笑みを浮かべる。
その笑顔を見て、俺は少しだけ安心した。
「(やっぱり女の子には、笑顔が一番だな)」
銀ちゃんと少し似てると思えたことも理由なのだろうが、どうにも彼女が悲しみや辛くて涙を流す姿を見てると落ち着いていられなかったから。
と、そんなことを考えていると、彼女はジッと缶の口を覗いていた。
すると何やら意を決したように、少しだけコーヒーに口をつける。
「うっ……あはは、やっぱり苦いや」
彼女は苦味で眉間に皺を寄せて、苦笑いを浮かべた。
「ブラックだからな。大人の味ってやつだ」
「大人……これが飲めれば大人ですか?」
「ん? んー……そう、だなぁ(大人、大人か……)」
その問いに少しだけ頭を捻る。
そして一つ大きく頷いて、俺は口を開いた。
「……うん、正直分からん!」
「……」
俺の答えに、少しキョトンとしている様子だった。
どういうことかと言いたげに、首を傾げる彼女に俺は言葉をつけ足す。
「まぁ、大人だって飲めない人は飲めないし、子供でも飲める子は飲めるだろうからなぁ。これができたら大人だって言うのなんて、そうそうないと思うんだよな俺は」
酒が飲めるのは二十歳、たばこを吸えるのも二十歳、成人式が行われるのも二十歳。
世間的には二十歳を節目としているものは色々あるし、それを考えれば二十歳から大人とみられるのが主流なのだろうけど、今はそういう話しではないだろうし。
そんなわけで俺なりに考えて答えを言ったのだが。
「……えぇ~」
期待してた答えとはなんか違う、そんな残念そうな表情をされてしまった。
泣かれるよりはましだけど、こんな表情を向けられるのもそれはそれで少し胸に刺さるものがある。
「ま、まぁ、大人ってことでいいんじゃないかな? やっぱりコーヒーを飲んでる人って、なんか大人っぽい感じがするし?」
「……なんだか、いい加減ですね」
「い、いいんだよ、いい加減でも! それに周りが違うって言っても、自分で「あぁ、俺って大人だなぁ」って思えたら多少は気分がいいだろ? 気持ちの問題、気持ちの問題!」
「……大人ってなんだろうなぁ」
俺を見ながら放たれるその言葉の裏側で、いったい彼女は何を思ってるのだろうか。
こんな純粋そうな子に、「こんな大人にはなりたくないなぁ」とでも思われてたら少し悲しい。
まぁ、たいして他人に誇れるものがあるわけでもないし、そう思われるのも仕方ないと言えば仕方ない人間だけど。
「まぁ、そもそも趣向なんて人それぞれだからな。なにも絶対飲まないといけない物でもないんだし、大人だ子供だ考えずに、自分の好きなのを好きなように飲めばいいんだよ」
「……そもそも、お兄さんが最初に「大人の味」って言ったんですけどね」
「……」
ジトーッと見つめる視線から逃れるように、俺は明後日の方に視線を逃がした。
さっきとは言ってることが違っている、それも大人の世界ではよくあることである。
……と、そんな俺を見て、「ふふっ」と小さく笑みを零す彼女を視線の端に微かに見た。
「(やっぱり、笑顔の似合う子だなぁ)」
改めてそう思い、少しだけ俺の頬も緩んだ。
それから俺達は、こんな他愛のないやり取りを交わしていった。
最初の頃のように励まそうという意図なんてものはなく、本当に何のとりとめもない話しでしかない。
だけどさっきまでよりも、俺にも彼女にも自然な笑顔が浮かんでいるように思えた。
それから一時間ほど後の事。
エレベーターに閉じ込められてから三時間が経過したところで、ようやくエレベーターは動き出した。
一階に着いてエレベーターから降りると、そこではイネスの従業員らしい人達が出迎えてくれて、俺達に頭を下げて謝罪の言葉を述べてきた。
正直、最初は一言くらい文句を言おうとも思っていたのだが、俺が何かを言おうと口を開く前に彼女が。
「そんな、頭を上げてください! 私達は気にしてませんから!」
と言ったのだ。
小さい子が相手を気遣ってそう言っているのに、俺だけ文句を言ったらなんだか格好悪いではないか。
だから多少不満に思いつつも、その気持ちを胸の中に仕舞い込んで、彼女同様にさも気にしていない風に振舞うことにした。
きっとこの短いながらも一緒に過ごした彼女には、俺の内心なんてお見通しだったかもしれない。
時折不安そうにチラチラこちらを見てくる彼女に、俺は大丈夫だと手を軽く振ってサインを送る。
とはいえ、流石に迷惑をかけて何もないのは悪いからと、責任者らしき人がイネスの割引券をくれた。
そのことで心の中にあったモヤモヤが多少軽くなり、「ラッキー」と思ってしまった俺は意外とチョロイのかもしれない。
その後、再三の謝罪と共に見送られながら外に出た俺達は、偶然にも同時に深い溜め息を吐いた。
彼女の方を見ると、ようやく開放されたという安堵の表情が見て取れる。
きっと俺も今、彼女と同じような表情をしているのだろうな。
そんな事を思っていると。
「あっ!」
と彼女が声を上げて、慌ててスマホを取り出す。
「あ、あっちゃぁ、もうこんな時間。急いで帰らないと、お父さんもお母さんも心配するよぉ!」
時間を確認してたのか。
そういえば閉じ込められてから三時間以上、今は十七時を過ぎて空は綺麗な茜色に染まっている。
一人でここまで来ることを許容する両親だが、やっはり遅くまで小学生の女の子が出歩いていることには心配するらしい。
「あ、あの! 私、急がないとなので、これで失礼します! それでは!」
急いで俺に別れを告げて、彼女は駅の方に駆けて行った。
その手に俺から受け取った、まだ中身のある飲みかけの缶コーヒーを持って。
「ようやく落ち着いたってのに、大変だなぁ」
時間も時間だから仕方ないかもしれないけど。
今から帰れば十八時、いや十九時過ぎることもあるかもしれない。
となるとやっぱり家族に心配されて、多少怒られるくらいはされそうだ。
可愛そうだが俺にできることは何もない、せめてお説教が短く済むことを祈るとしよう。
両手を合わせて、南無南無と唱える。
「あ、そういえば」
女の子の背中が見えなくなり、俺も帰ろうかと思った矢先。
ふと気が付いたことがあった。
「あの子の名前、聞くの忘れてたな」
エレベーターの中で結構話した仲なのに、お互いに自己紹介すらしていなかったのを、今更ながら思い出した。
そんな基本的なことも思い浮かばないほどに、俺も彼女も切羽詰っていたということだろう。
俺は“君”と呼び、彼女は“お兄さん”と呼んでいた。
それで普通に会話が成立していたから、違和感も感じなかったし。
「……まぁ、いっか」
確か彼女は讃州市に住んでるらしく、俺の普段の行動範囲から離れてはいるが、そこまで遠いわけでもない。
もしかしたら何かの偶然で、またばったりと会うこともあるかもしれない。
そんな偶然があったら、その時に改めて聞いてみよう。
……その時まで、お互いに覚えていればの話だが。
◇◇◇◇◇
ここは讃州中学校、勇者部部室。
そこではいつものように勇者部メンバーが集まり、東郷の作ったぼた餅に舌鼓をうっている所だった。
そしてぼた餅に合うのは、やはりお茶である。
皆、ぼた餅を食べながら、これまた東郷が淹れたお茶で喉を潤していた。
……たった一人、友奈を除いて。
「友奈ちゃん、ぼた餅に珈琲って合うのかしら? なんだったら、今からでもお茶を淹れるわよ?」
日本の文化をこよなく愛する東郷は、飲み物もコーヒーより断然お茶派。
以前鷲尾姓の時も、洋食派だった鷲尾家の食卓を密かに和食へと変えていった。
その働きを如何なく発揮し、勇者部のおやつタイムも今では和菓子&お茶がメインである。
しかしそんな中で、友奈だけがコーヒーを飲んでいることに東郷は不満を感じていた。
東郷にとって友奈は一番の親友だと思っている故に、友奈には自分と同じ和の趣向を持ってほしい。
そんな思いを胸に、コーヒーを飲んでほっこりと息をついている友奈にお茶を勧めていく。
「あはは、確かに少し合わないかもだね。でも、もうコーヒー淹れちゃったし、今日はこれでいいかな。また明日、お願いするね!」
「そ、そう。分かったわ」
「えへへ。いつもありがと、東郷さんっ!」
「ッ! う、ううん、いいのよ。私が好きでやってることだもの!」
そう満面の笑みで言われては、さしもの東郷もこれ以上勧めることは出来なかった。
むしろその素敵な笑みを友奈が自分に向けてくれた、それだけで東郷の心は満たされていた。
それを見て「うわぁ、チョロイなぁ」と周りは一様にして思った……かどうかは、定かではない。
「にしても、よく友奈はそんな苦いもの飲めるわね。あ、いや、別に私も飲めないわけじゃないけど? ただお茶の方が好きなだけだし、その気になればわけないけど?」
「誰に言い訳してんのよ。てか、その気になればって時点でコーヒー苦手なんじゃない」
「別に苦手じゃないっつうの! それに、言い訳? あんたがなに言ってんのか、私にはまるで分かんないわね」
「……いや、まぁ、別にいいんだけどさぁ」
一人言い訳をする夏凛に、部長の風がツッコミを入れつつお茶をすする。
いつもならここから夏凛との言い合いが始まるのだが、今は風が一歩引くことにした。
それは夏凛と言い合いをするよりも、風としても友奈がよくコーヒーを飲んでいることが少し気になっていたからだ。
別にコーヒーを好んで飲んでいる事自体はさほど不思議でもないが、友奈の親友である東郷は和菓子やお茶といった、純和風なものを好んで食す子である。
東郷自身もよく和菓子を作り差し入れをするが、そのどれもがとても美味しいことは勇者部の誰もが知るところだ。
それこそプロの料理人レベルとまで思うほどで、特にぼた餅は輪をかけて絶品だ。
友奈も東郷のぼた餅は大好物で、家も隣同士ということから普段からよく食べていてることだろう。
差し入れの分だけでも、若干和趣向の味覚になってきている勇者部メンバー。
それを日常的に味わっている友奈ならば、すでに味覚が和に支配されているだろうと風は思っていた……和なのに支配とは、なんだそれはと言いたくなるが。
しかし、確かに友奈は和菓子や日本的な料理は好きではあるが、飲み物はいつもコーヒーを好んで飲んでいる。
部室でも東郷が先にお茶を淹れた時は普通にお茶を飲んでいるが、東郷が忙しくて自分で淹れる時は決まってコーヒーで、休日や依頼の帰りに皆で喫茶店に行った時に頼む飲み物も、やはりコーヒーである。
そこら辺が、風は少し不思議に感じていたのだ。
「うーん……本当は私も、まだあんまり慣れてないんだけどね~」
「それなら、お茶にしない? やっぱり、ぼた餅にはお茶が一番合うわ。私的には今日のぼた餅の味付けには、このお茶が合うと思うのだけど……」
さらりと割って入ってくる東郷は、その手におすすめの茶葉を持ち友奈に見せる。
一端引いたと見せかけて、常に頃合いは見計らっている強かな少女である。
ちなみに勇者部部室には東郷の持っている茶葉を含めて、いくつか東郷が持参してきた茶葉が常備されている。
その時々に合わせて茶葉を選んで皆に振舞うのは、東郷にとっても楽しみの一つであった。
友奈もそれを分かっているからこそ、申し訳なさもあり少し困ったような笑みを浮かべる。
「でも、コーヒーにはちょっと思い出があるから。今はまだ難しくても、いつかちゃんと美味しく飲めるようになりたいって思ってるんだ」
「思い出?」
「うん。ほんの短い間だったけど……それでも不安だった私をコーヒーと、そしてあの人が安心させてくれたんだ」
「……あの、人?」
ピタッ、と東郷が笑顔のまま固まった。
「昔何かあったんですか、友奈さん?」
東郷の反応に誰も気付かないまま、話しに後輩の樹が加わってくる。
「え? あぁ、えっと……うーん、そんな大した話じゃないんだけど、でも……」
昔のことを思い出し、ちょっと懐かしいなぁと友奈は思い出に耽る。
そんな様子を見て、風は興味深そうに顔色を変えた。
「むむっ? その反応……もしかして恋バナか!?」
「え?」
「……恋?」
ついでに東郷の顔色も変わった。
「こ、恋っ!? ふ、ふーん、そうなんだ。ち、ちなみに、どんな話なわけ? べ、別に私は、そんなに興味はないんだけど……」
「ふっふっふ、そんなこと言っちゃってぇ。にしても、まさか友奈から恋バナの気配とは。あんまり友奈ってそういう話ししないし、ちょっと興味あるわね~」
「ゆーゆの恋バナかぁ。いいねいいねぇ、なんだかワクワクしてくるね~!」
流石女子中学生、色恋に敏感なお年頃。
恋バナの話と聞いて、周りの視線が友奈に一点集中する。
「こ、恋? ……って、ち、違うよ! そういう話しじゃないから!」
「またまたぁ、そんな照れちゃってぇ。ほら、この風先輩に聞かせてみなさいな。人生の先輩としても、恋愛の先輩としても、ドドーンと的確なアドバイスしてあげるわよ?」
「そんなアドバイス、いりませんから! みんなも、お願いだから話を聞いて!」
ありもしない恋バナの話をさせられそうになり、友奈は慌てて訂正しようとする。
だが。
「聞かせてくれるかしら、友奈ちゃん。私、友奈ちゃんの昔話、ぜひ聞きたいわ……ふふふっ。友奈ちゃんにそんなに想われているその人は、一体何処の誰なのかしらねぇ……」
「と、東郷、さん?」
東郷の言葉に、賑やかだった部室はたちどころに静まり返った。
いつもの柔らかい笑顔のはずなのに、そこには言いようもない凄味があった。
「わ、わー。わっしーがすごい顔してる~」
「ど、どうしたの? 東郷さん。な、なんだか、顔が……」
「そのっち、友奈ちゃん。私の顔が、どうかしたかしら?」
「あ、いえ、何でもありません」
「な、なんでもないよ~!」
思わず敬語になってしまう友奈と、間延びしつつも必死に手を振って否定する園子。
普段は優しく穏やかな性格の東郷だが、極々稀にこんな感じで変貌することがある。
こういう時の東郷には、逆らわないのが吉だ。
「そう。それじゃあ、友奈ちゃん。話してくれる?」
「は、はひっ!」
改めて見つめられた友奈は、まるで蛇に睨まれた蛙のように体が固まって動かなくなっていた。
誰か助けてと視線を送るも、周りも友奈にジッと視線を送っている。
今の東郷は少し怖いが、それでも皆、友奈の話を聞いてみたいのは一緒だった。
孤立無援、誰の助けもない状況に少し諦めの境地に入る友奈であった。
なんでこんなことになったのだろうと、一つため息を漏らした。
「……えっと、本当に大した話じゃないんだけどね?」
そう前置きをし、頭の中で考えをまとめる。
そうしているうちに懐かしい気持ちが胸の奥に湧いてきて、知らず知らずのうちに友奈は柔らかな笑みを浮かべていた。
それがまた東郷の機嫌を悪くさせることに繋がっていたのだが、この時の友奈が気づくことはなかった。
「(……あれからもう、二年も経ったんだなぁ)」
普通なら二年も時が過ぎれば、大抵のことは記憶から薄れていくものだ。
しかしあの時のことを、友奈はまるで昨日のことのように覚えていた。
コーヒーの香ばしい香りを胸いっぱいに吸い込むたび、まだ慣れない苦みを舌で味わうたび、あの時のことを思い出す。
狭い空間に閉じ込められて心細くて泣いてしまったことも、そんな友奈を不器用ながらも一生懸命に励ましてくれた男の姿も。
「(今、あの人はどこにいるんだろう。いつかまた会えたらいいなぁ。そしたら、今度はちゃんと自己紹介しないと)」
名前も知らない男のことを思いながら、友奈はゆっくりと口を開いた。
「あれは、私が小学六年生の時の事なんだけど。夏休みに大橋市のイネスっていうところで、エレベーターに閉じ込められたことがあってね……」
友奈が話し出した、まさにその時。
窓の外で目を覆うほどの眩しい光が発生した。
「ッ、なに、今の光!?」
突然のことに疑問が口から出るが、しかしその光はここにいる誰もが覚えのあるものだった。
内心では皆、「まさか」と嫌な予感を感じつつ、それでも違ってほしいと自分の考えを否定し続けている。
「この感じは、まさか……」
しかし、それは無情にも打ち砕かれてしまった。
皆のスマホから甲高く鳴り響く、耳障りな警戒音によって。
「アラームが、アラームが鳴ってます!」
「……樹海化、警報?」
「な、なんでよ……勇者に変身するアプリ、もうあたし達、持ってないのよ?」
樹海化警報。
それは神樹様からスマホを通じて、外敵の侵入を知らせるためものである。
風が信じられないというように発した言葉の通り、すでに警報を知らせる機能とその他のアプリは皆のスマホの中には入っていないはずだったのだ。
それなのに、唐突に全員のスマホから在り得ないはずの樹海化警報が鳴り出した。
誰もが固まったまま動けずにいた。
また戦わなければならないのか、自分の身を、仲間たちの身を犠牲にして、また……。
そんな恐怖によって。
しかし皆の思いなんて関係ないとばかりに、光はどんどん強さを増していく。
その光は皆を部室を学校を街を……そしてついには、この世界を包み込んでいった。
こうして物語は新たな章へと進んでいくのだった。
本編の最終話、桐生が海で銀ちゃんを思い出して泣いていた数日後に今回の勇者部の話に繋がり、“ゆゆゆい”が始まっていく感じですかね。
で、本編の最後、銀ちゃんに出会うというところに繋がっていくと。
そして物語は花結いの章へ(続きません)。
今回の話は、きっと恋愛には発展しないのだろうけど、記憶に残っている憧れというか思い出のお兄さん的ポジションという設定で作ったものです。
しかも主要人物の記憶に薄らと、だけどいつまでも残ってるポジションの人とか、なんかそういうの、ちょっといいなぁと思ってたり。
ちなみに友奈ちゃんが友達と喧嘩云々に関しては、結城友奈は勇者である初回特典PCゲームのお泊り会編で語られているネタです。
なお、友達の子の転校先が大橋市というのはオリジナル。
そこまで詳細に語られてはいませんでしたので。