「うぅ、さっみぃ」
ビュゥッと冷たい風が吹き付けてくる。
周りの気温も低いため、コート越しとはいえ一層寒く感じる。
もう少しで十八時になるという時間、すでに夕日も沈み、空は月や星々が静かに煌めく夜空へと変わっている。
十一月も終盤に近付き、ますます日の暮れが早くなったように思う。
「この寒さ、明日には雪でも降るんじゃないか?」
雪かき大変なだよなぁと、もうしばらく雪が降らないように祈りながら足を進める。
現在俺は仕事帰りで、寒いしどこかで一杯ひっかけてこうかと、近くの商店街に向かっているところだった。
駅前の商店街に来ると、クリスマスに向けて飾りを付けている店がチラホラ見える。
「まだ十二月にもなってないっていうのに、もう飾り付けてるのか」
クリスマスはまだ先なのに、少し気が早いようにも感じてしまう。
それだけ商売っ気が旺盛なのか、そういう季節のイベント事を心待ちにして準備しているのか。
まぁ、クリスマスも普通に仕事で、プレゼントを渡す相手がいるわけでもない俺には、あまり関係のないイベントだけど。
「……銀ちゃん、今年ももうすぐ終わっちまうよ」
ふと、一人の少女のことを思い出した。
それはかつて、一緒に楽しい夏を過ごした年下の少女のことだ。
遊んだ日なんて十日にも満たない、本当に短い付き合いでしかなかったけど。
それでも本当の兄妹のように仲が良かったと自信を持って言える。
銀ちゃんがいたら、きっと今頃は何をプレゼントしようかと頭を悩ませていたことだろう。
「……二年か。結構あっという間に過ぎるもんだよなぁ」
二年。
そう、銀ちゃんがこの世を去ってから、もう二年の月日が経っていた。
あれから俺は何事もなく大学を卒業し、今は大橋市から少し離れたところにある讃州市のとある会社で働いている。
社会人になり最初は色々戸惑うことが多かったが、流石に二年もすればある程度は慣れたものだ。
残業もあるが基本的には定時に帰れるし、休日の出勤もそう多くはない。
忙しいには忙しいが、職場も気の良い人ばかりだし、中々悪くない所に就職できたものだと思っている。
仕事に関しては今の所、特に文句も悩みもなく行えているだろう。
……悩みがあると言えば、俺の交友関係についてだな。
以前から付き合いのあった三好や安芸先輩についてだけど、二人とは大学を卒業してから疎遠になってしまった。
別に喧嘩をしたり仲が悪くなったというわけではなく、仕事上、仕方のないことである。
三好が大赦の人間だと知った後に聞いたことだが、大学を卒業したら大赦の幹部になることが決まっていたらしい。
元々能力のあった三好のことは大赦も評価していて、大学に入らずにそのまま大赦の仕事をしないかという話しもあったそうだ。
それをもう少し学生としての時間を大切にしたいからと、待ってもらっていたのだという。
大赦側としては面白くないことかもしれないが、そのおかげで三好と知り合えたのだから俺はよくやったと褒めてやった。
大赦の幹部になるというと、仕事量もそうだがそれこそ秘匿されるべき情報も今までより多く抱えることになる。
必然的に関係者以外との交流も制限され、それこそ家族でさえおいそれと連絡を取ることができなくなってしまうそうだ。
家族でさえ連絡が中々取れないのに、血の繋がりもなく友人でしかない俺ならなおの事だろう。
高い地位を約束されているというと少し羨ましくも感じたが、中々不便も強いられることを思えばそう良いものでもないのかもしれない。
次に安芸先輩はというと、正直分からない所が多い。
銀ちゃんが亡くなった後から、少しずつ交流が減ってきていたから中々情報が入ってこないのだ。
気になって三好に聞くが「仕事が忙しいんだろう」と、そのことにはまったく取り合わなかった。
そっけない態度をしていたが、その表情は少し険しさも見えていて、知ってはいるがあまりいい話ではないのだろうと思えた。
目に見えて二人との交流が激減したのは、まだ在学中の事だ。
切っ掛けとして思いつくとすれば、それはあれしかない。
十月十一日に起きた大きな災害。
それまでにも小さな地震とかは起きていたけど、その時の災害はそれまでの比ではなかった。
大きな地震に始まり、山火事が起きたり、建物の一部が崩れたり、地面が陥没したり、それにより交通事故がいくつも起きたり。
全体的に負傷者は多かったものの、死者は少なかったことが不幸中の幸いだっただろう。
ニュースではその時の事を、かつてない未曽有の大災害だと取り上げていた。
ニュースを見ていて俺が驚いたのは、あの瀬戸大橋跡地が修復が難しいレベルまで壊れてしまったということ。
あれは壁ができる前まで、四国が本州とつながっていた名残だ。
今でこそ通行はできないが、昔はそれを通じて沢山の人が行き来していた。
そんな情景を大橋を通じて、四国の人々は想いを馳せるのだ。
それが壊れてしまったことには、俺だけでなく四国の人々にも少なくないショックを与えていた。
その災害が起こった直後からだ、安芸先輩の様子が変わったのは。
何も知らなければ、災害のせいで動揺しているくらいにしか思わなかったかもしれない。
だけど安芸先輩が勇者の指導をしていたことを知っている身としては、色々と嫌な予想もしてしまう。
安芸先輩があの子達のことを、大分可愛がっていたのは知っていた。
それだけに銀ちゃんが亡くなった時は、かなり落ち込んでいた。
俺が目覚めた日にやった銀ちゃんの告別式という名の飲み会の時だって、いつも以上に飲みまくって早々に酔いつぶれ、涙を流しながら寝言で銀ちゃんの名前を何度も口にしていたのを今でも覚えている。
あんな辛そうな安芸先輩を見たのは、後にも先にもあの時だけだろう。
そんな事もあり、もしかしたらまた皆に何かあったのではないかと思ったのだ。
俺に何かできることがあればいいのだが、安芸先輩も三好も何も言わないということは、俺にできることはないということだろう。
元々大赦に関わりのない、ただの一般人でしかないから仕方のないことかもしれないけど、何もできないというのはなんとも歯がゆいものだった。
それから安芸先輩と会ったのは、俺と三好の卒業式の後にした飲み会の時だった。
その日、久しぶりに三人そろって飲み会を開くことができて、いつも以上にはっちゃけていたように思う。
三好も安芸先輩も、そんな俺に呆れながらも笑ってくれていた。
大分酔いが回ってきてからというもの、三好のいつもの妹自慢や安芸先輩の面倒な絡みもあった。
久しぶりでやっぱり面倒臭いと思いながらも、また前みたいに三人で騒がしく、楽しく過ごすことができて、凄く楽しい一時だった。
これからもまた、こうして集まって飲み会をしよう。
そう言って翌日、二人と別れた。
……それが俺達三人が揃ってした、最後の飲み会だった。
あれから二人と直接会うことはなくなり、たまにメールのやり取りをする程度となってしまった。
なんだかどんどん俺達の距離が開いていくように思えてならない。
このままもう二度と会う事も無くなり、関係が途切れてしまうのではないだろうか。
子供の頃の友人とも、そんなふうにして少しずつ関係が途切れていった経験があるため、ここ最近ではそんな不安をよく感じていた。
三好と安芸先輩との関係、これからも続けていきたいものだけど……。
「……あれ?」
商店街を歩いていると、ふと一人の少女に目が留まった。
どことなくほんわかとした、柔らかい空気を纏っている可愛い少女だ。
この近くにある讃州中学の制服を着ているから、そこの生徒なのだろう。
その子は店に飾り付けられているクリスマスの飾りに、顔を綻ばせて眺めている。
その横顔を見て、どことなく見覚えがある気がした。
だけど俺には中学生の知り合いなんていないはずだ。
多分どこかですれ違ったか、彼女が何かをしているのが目に付いたとか、そんなところだろうけど。
「……どこで見たんだっけ」
見覚えがある程度の相手のことで、そこまで気にする必要もないとは自分でも思うけど。
思い出せそうで思い出せない時特有の、このモヤモヤした気持ちは早々にどうにかしておきたかった。
それにしても小さい子が気になるだなんて、他人に知られたらロリコンと勘違いされそうだな。
もちろん俺はロリコンではないけど、普通に大人の女性が好きだけど。
「(……あれ? “俺はロリコンじゃない”?)」
その言葉に、少しだけ引っかかるものがあった。
「(……そういえば俺も、その事で色々悩んでた時期があったなぁ)」
記憶の奥底から思い起こしたのは、懐かしい思い出の欠片。
正直そのことに関しては別に忘れていても良かったかもしれないが、おかげでどこで見たのかも一緒に思い出すことができた。
「(確か銀ちゃんと一緒にあの喫茶店でバイト……じゃなくて、職場体験だっけ? してた友達の一人だったっけ)」
銀ちゃんが学校でも特に仲のいい友達だと、楽しそうに話していたのを思い出した。
「(えーと、確か鷲尾ちゃん? は、あの胸の大きい子か)」
確かあの喫茶店で、俺の注文を取りに来てくれた子がそうだった気がする。
あの時は不覚にも小学生ながらもたわわな果実を持った子に、一瞬目を奪われてしまったのを思い出す。
あの時はもしかして自分はロリコンなのか? 少女に叱られて喜ぶ変態なのか? なんて悩んだりもしていたものだ。
あれから少しだけ大人になって、今では自信をもって違うと断言できる。
俺は胸の大きい人が好きなだけで、決してロリコンではないのだ。
おまけにあの時は二日酔いやら寝不足やら疲労やらで、色々正常に考えることができない状況だったし。
叱られた後に感じたあの変な感情も、ただの気のせいだろう。
そもそも叱られて喜ぶ奴なんて、二次元ならともかく現実にいるはずがないじゃないか。
……と、考えが脱線していた。
今はそんな事より、あの子とことだ。
「(確か、もう一人一緒に働いてたんだよな。えっと、何て名前だっけ?)」
鷲尾ちゃんのことをすぐに思い出せたのは、あの出来事が少し印象に残っていたからだろう。
だけどもう一人の子とは、言葉も交わしていなかったはずだ……あれ、少しは話したんだったか?
とにかく、そんな程度にしか覚えがない。
「(なんだっけかなぁ。ほんと、喉のところまでは出てきてるんだけど)」
銀ちゃんの口からも、何度か名前は出ていたはずだ。
確か、名前は園子と言っていた気がする。
それは思い出した。
じゃあ、苗字の方は何だっただろう。
「(確か……の? ……のー……)」
最初は“の”から始まったような気がする。
野比、野呂、野良……野良猫? 野良猫園子ちゃん?
「(野良猫みたいに、自由にフラフラしてそうって意味ではあってるのかな……って、違う。何、脱線してんだ俺は)」
よく考えろ、あのどこかのんびりしていて、呑気そうな感じの少女の名前はなんだったか。
……呑気? ……のん、き……の……ぎ……?
「……乃木、園子ちゃん、だっけ?」
「はい~?」
「……あ」
思わず口に出してしまった。
それは本当に小さく呟く程度の大きさでしかなかったのだが、どうやらそれは彼女の耳に届いてしまったらしい。
彼女は間延びした声でこちらを振り向くと、きょとんとした表情を浮かべる。
どうやら乃木園子ちゃんで合っていたようだ。
◇◇◇◇◇
「あぁ~! お兄さんがわっしーに一目惚れしたっていう!」
「……だから……なんで話す人みんな、そんな勘違いを……」
「勘違い、なんですか~?」
「そうだよ、勘違いだよ。だって俺と鷲尾ちゃん、十歳近く歳が離れてるんだよ? それに当時は鷲尾ちゃん、小学生だったじゃないか。小学生に一目惚れする大学生とか、普通在り得ないだろ」
「恋愛に歳の差は関係ないって言いますし、全然問題ないですよ~」
「……問題しかないんだよなぁ」
あれから少し歩いて、駅前の広場のベンチに腰かけて俺達は話をしていた。
ちなみにどう対応しようか悩んでいた俺に、「お話しませんか?」と乃木ちゃんの方から誘ってきたのだ。
警戒心がないのだろうかと少し心配になるが、不審者扱いされなかったのは僥倖だった。
それからなぜ俺が乃木ちゃんのことを知っているのか簡単に話したところ、以前あの喫茶店の店長さんや銀ちゃんと似たような反応をされてしまった。
店長さんや銀ちゃんに続き、その友達にまでそんな受け取られ方をされていたことにショックで肩を落とす。
仮に鷲尾ちゃんにもこんな感じの認識を持たれていたら、そう考えただけでゾッとする。
あの子はものすごく真面目な子で、そういう異常性癖的なものには拒否感を示しそうというのが容易に想像できるからだ。
もし会って俺のことを覚えていれば、変態に向けるような蔑みの目で見られそうだ。
「(そんな機会はないだろうけど、なるべく会わないようにしよう)」
内心、俺はそう決意する。
同じ讃州中に通ってるらしいけど、流石に今更わざわざ会って、あの頃の謝罪をしようという気はもうなかった。
乃木ちゃんは覚えていたようだけど、二年前に一度あっただけの他愛のない出来事なんて、普通は忘れていてもおかしくない。
わざわざ思い出させる必要もないだろう。
そして話の流れで、俺が銀ちゃんと仲良くしていたことについても話した。
銀ちゃんの名前を出すと、乃木ちゃんは驚いたように目を見開かせる。
「ま、まさか……ミノさんに、すでに彼氏がいたなんて~!」
「いや、彼氏じゃないっての。よくて仲のいい兄妹みたいな関係だって」
わなわなと振るえて、変な勘違いをする乃木ちゃんに突っ込みをいれる。
「で、でも、ミノさんとわっしーの両方なんて、ちょっと欲張りすりじゃないでしょうか? 二人とも確かに魅力的だけど、やっぱり一人に絞るのが男らしいと思います!」
「うん、お願いだから俺の話聞いてくれな? いやほんとマジで」
独特の空気があるというか、こちらの話を聞かない乃木ちゃんに、なんだか異様に疲れてくる。
どうやらこの子は、自分の世界に入りこんでしまう性質らしい。
呆れる俺をよそに、更に妄想を広げて独り言を呟いている乃木ちゃん。
ここから近い公園の入り口は駅前ということもあって人通りもあるし、そういう怪しまれそうな言動はせめて一人の時にしてほしいものだ。
とにかく話題をずらす。
「えっと……そうだ。もうあれから二年も経ってるのに、よく覚えてたな」
「そこでミノさんが颯爽と登場して、「大好きな二人の争う姿なんて見たくない、あたしがきっと二人を幸せにしてみせるから!」って……えへへ~、ミノさんかっこいいよ~、ほんと男前だよ~……はっ!? あはは、忘れるはずないですよ~。だって一緒に働いたことも、ミノさんやわっしーとの大切な思い出ですから。でも、ほんと懐かしいな~。久しぶりにあの喫茶店にも行ってみたいかも」
妄想の世界から戻ったばかりだというのに、しっかりとこちらの話に返答してくるのは素直にすごいと思うけど。
銀ちゃん、いったい妄想の中でどういう役になってたんだ?
「機会があれば、友達と一緒に行ってみればいいよ。店長さんだって、きっと喜ぶと思うし。もしかしたら、またウェイトレスをやってくれって言われるかもな」
「そっか~。それなら今度は勇者部の皆と一緒に、ウェイトレスをやってみるのも楽しそうだな~」
「勇者部? ……あぁ、讃州中のか。ボランティア的なことをやってる部活だっけ。ウチの会社でも、なんか君たちのファンみたいなやつがいてさ、結構話題にしてるよ。ちょっとしたアイドルみたいだな」
「え、そうなんですか? な、なんだか、アイドルだなんて、ちょっと照れちゃうな~」
「(……勇者、か)」
少し頬を染めて照れている乃木ちゃんを見つつ、俺は“勇者”という単語に少し眉を顰めてしまう。
勇者とか、英雄とか、一人の男の子として昔は結構憧れる存在だったのだけど。
今ではそれは銀ちゃんが亡くなった時の辛い感情を思い出してしまう、忌々しい存在になっていた。
「(そう言えば、乃木ちゃん達も神樹様からのお役目を受けて、勇者ってのになってたんだよな)」
見るからに銀ちゃんとは違い、活発な動きが苦手そうな印象を受ける乃木ちゃんが勇者……。
三好が言うには肉体的な力が重要ではないらしいけど、とても乃木ちゃんが勇者なんていう重大なお役目を受けていたようには見えなかった。
「(だけど、本当なんだよな。乃木ちゃんも鷲尾ちゃんも、死が隣り合わせなお役目を神樹様から受けて……)」
そして銀ちゃんは、そのお役目でこの世を去ったのだ。
お役目自体がどういう内容かはわからないけど、それでもこの子達は銀ちゃんと一緒に頑張ってきたんだろう。
「(俺より辛いはずだよな、大切な友達がいなくなったんだから。短い付き合いの俺なんかよりも、ずっとずっと銀ちゃんを想ってるはずだ。きっと銀ちゃんだって……)……乃木ちゃん、君に渡したいものがあるんだ」
それを考え、俺は一つ決心してバッグの中を漁る。
「私に? なんですか?」
「えっと、ちょっと待ってね……あ、あったあった。はい、これ」
バッグの中には仕事の書類等が詰められていて、取り出すのに少し手間取ってしまったが何とか目的の物を見つけることができた。
俺が取り出したのは、まるで指輪を入れるケースのようにも見える小さな箱。
中の物を取り出して、乃木ちゃんに手渡した。
「あ、これ……」
「見たこと、あるの?」
「はい。前にミノさんが大事そうに身に付けていたのを見たことあります。気になって聞いてみたことはあるんですけど、秘密だよって教えてくれなかったんですよね~」
そう言って、俺から受け取ったもの手にのせて、懐かしそうに目を細める。
それは最後に会ったあの日に、銀ちゃんからお守りとして預かった本の形をしたロケットである。
あれからお守りとして、出掛ける時はいつも持ち歩いているのだ。
間違って傷でもつけないように、わざわざ買ったこの箱に入れて。
「でも、なんでお兄さんがこのペンダントを?」
「最後に銀ちゃんに会った日にね、お守りとして渡してくれたんだ。俺が大学の時に入ってたサークルの試合がある日、せっかくだから銀ちゃんにも見学に来ないかって誘ったんだけど。丁度その日は学校の行事で行けないから、自分の代わりにって」
「……学校の行事」
「あぁ、確か遠足だって言ってたっけ」
その次の日に返す予定だったんだけど、そう続けて口を閉じる。
乃木ちゃんを見ると、彼女は眉尻を下げて少し悲しそうな表情を浮かべていた。
同じ勇者をしていた乃木ちゃんは、きっと銀ちゃんの最期を直接見ているのだろう。
その時の事を思い出しているのかもしれない。
「……でも、そっか~。これをミノさんから預かったってことは、お兄さんは本当にミノさんと仲が良かったんですね」
「……あー、もしかして、やっぱり信じられてなかった感じ?」
「八割は信じてましたよ? それが今、このペンダントを見て十割になっただけです」
「それでも八割は信じてたんだ。後で言おうと思ってたけどさ、初対面の男を簡単に信用するのはどうかと思うよ? 俺としては助かったけど、そもそも知らない男と一緒に話をしようとするなんて……もし俺が悪いことを考えてるような奴だったら、大変なことになってたぞ?」
「あはは、心配してくれるのは嬉しいですけど、でも大丈夫ですよ~。一応、ちゃんと人目がつく場所を選んでここにしましたし。それに、これでも私って結構強いんですよ~?」
「はぁ、そうなんだ」
相変わらず柔らかい笑みを浮かべる乃木ちゃんは、グッと握りこぶしを作りながら言うけど、それでもやはり強いようには見えなかった。
多分小学生の頃の俺でも、中学生である乃木ちゃんには負けないんじゃないかとすら思える。
「(……いや、少なくとも勇者なんてやってたんだ。多少の護身術くらいは覚えがあるんだろうな)」
予想でしかないが命懸けの荒事を経験してるような子なのだ、こう見えて本当は俺より強かったとしてもなんら不思議ではない。
人は見かけによらないともいうし、そう俺は自分の考えを改めた。
「……取り敢えずだ。これは君に渡しておくよ。そのほうがきっと、銀ちゃんも喜ぶと思うし」
「……うーん、そうなのかなぁ?」
「まぁ、あくまで俺の予想でしかないんだけどな」
でも少なくとも自分の大切にしていたものは、一番仲の良かった人に持っておいて欲しいとは思うだろう。
なら乃木ちゃん、もしくは鷲尾ちゃんが持っていたほうがいいと思ったのだ。
「あ、ちなみにそれはロケットになってるんだ。多分、中には写真が入ってると思うんだけど」
「多分? お兄さんはこの中、見てないんですか?」
「中は見ないって約束しちゃったからな。なんでも恥ずかしいものが入ってるらしい」
「恥ずかしい?」
「いや、ただの予想なんだけど。でも、中に何が入ってるのか気になって見ようとして、すっごい必死に止められたことがあってな。あの反応、何かしら見られたら恥ずかしいものが入ってる反応と見たね」
実際、恥ずかしいものでも入ってるんじゃないかと聞いてみたら、滅茶苦茶顔を真っ赤にし、ムキになって手を出してきたほどだ。
そこまでされたら余計に気になって、尚更見てみたくなってしまう。
俺だって約束がなければ、とっくの昔に中を覗いていたことだろう。
「えっと、それって~……私が見ても、いいんでしょうか~?」
「いいんじゃない? 約束をしたのはあくまで俺で、乃木ちゃんがしたわけじゃないんだし」
「……う、うーん、いいのかな~」
「いいっていいって、別に約束を破ったわけじゃないんだから。実際さ、乃木ちゃんだって本当は中身、気になるだろ?」
「……え、え~と、その~……はい。実は、すっごく気になってました」
「ははは、やっぱりな」
乃木ちゃんの目は若干の迷いを含みつつ、ずっとロケットに釘付けになっていた。
それを見たら、仮に乃木ちゃんが気にならないなんて言っても信じなかっただろう。
「そ、それじゃあ~……見てもいい、ですか?」
「お好きにどうぞ」
「……ごめんね、ミノさん!」
律儀にもそのように一言、謝罪を入れてからロケットを開く。
「……」
乃木ちゃんは無言で中を見ていた。
そのロケットは見た目通りページが開けるようになっているらしく、乃木ちゃんは一ページ、一ページをゆっくりと開いていく。
その大きさからして大体、三ページくらいだろうか。
「……そっか、ミノさん」
ゆっくり見てもすぐ見終わってしまうだろうページ数のはずだが、それでも五分くらいじっくりと、微笑ましそうに柔らかい笑みを浮かべて見ていた。
そして見終わった乃木ちゃんは、どこか納得したような表情を浮かべていた。
「お兄さん、お兄さんもどうぞ」
「え? いや、俺はほら、一応約束があるし」
「ふふ。これはあくまで、私がお兄さんに無理やり見せてるだけです。お兄さんが自分で見たわけじゃないから、大丈夫ですよ~」
どっちにしろ、見たという事実は変わらない気がするけど。
乃木ちゃんは俺に手渡すのではなく、さっきより近くに座ってきて、一緒に見れるような位置にロケットを寄せてくる。
あくまで自分が見せているだけだという、そういう屁理屈は通すつもりらしい。
「……まぁ、乃木ちゃんがそういうなら?」
そして、俺はその屁理屈に便乗することにした。
乃木ちゃんの小さな手の中にある、さらに小さなロケットに視線を落とす。
そこに映っていたのは、可愛らしい洋服を着た銀ちゃんの姿だった。
「うわ、なにこれ? こんな服着てる銀ちゃん、初めて見た」
「これは皆でファッションショーした時のですね~。うーん、ミノさんほんと可愛いよ~」
「銀ちゃんって、自分では可愛いのなんて似合わないとか言ってるけどさ、普通に似合うよな」
「うんうん! 元々の素材もいいですし、このちょっと頬を染めてるところとか、自然と上目づかいになってるところとか! もうほんと、可愛さ増し増しですよね! こんな目で見つめられたら、ちょっとドキッとしちゃいますよね!」
「あ、あぁ、そうだな……」
少し興奮気味に乃木ちゃんが力説してくる。
実際銀ちゃん可愛いし、乃木ちゃんの言葉には俺も納得するけど。
こういうのを見られるのが恥ずかしいから、銀ちゃんは見せたくなかったのだろうな。
結構、照れ屋な所もあるし。
次のページには三人の少女が写っている写真。
真ん中の子、この子は鷲尾ちゃんだな。
久しぶりに見たけど、確かにこんな感じの子だったというのを覚えている。
鷲尾ちゃんを真ん中にして、その両側から二人でギュッと挟み込むように抱き着いている。
突然の事だったのか、鷲尾ちゃんは驚きと照れが合わさって、結構面白い表情になっていた。
そして上の空きスペースには、手書きで「ズッ友」と大きく書かれている。
「これはゲームセンターに行った時に、三人で撮ったやつですね。ふふ、わっしーの吃驚した表情もやっぱりかわいいな~。実はミノさんと一緒に驚かせようって、事前に相談してたんだ~」
「これってもしかして、イネスのゲームセンターのやつ?」
「そうですよ、よくわかりましたね」
「まぁ、今度三人で撮るとか言ってたし。それに銀ちゃんって、イネスが好きだからな。友達と一緒にプリシーするなら、他のゲームセンターよりもイネスだろ」
「なるほど~。ミノさん、毎日行かないと落ち着かないって言うほど、イネスが好きでしたからね~」
「……ほんと、どうしてあんなにイネスが好きだったんだか。もはやマニアの域?」
何やら強い思い入れでもあったのだろうか。
今更ながら、あの時に聞いてみればよかったと少し後悔している。
そして最後のページ。
そこに写っていたのは俺にとって見飽きるほど見て、もはや見慣れてしまったものだった。
「……これは」
「二人とも本当に仲がよかったんですね~。まるで本当の兄妹みたい」
最後のページの写真、それは俺と銀ちゃんが最初にゲームセンターに行った時に撮った写真だった。
お互いがお互いの顔を押しのけるように映っていて、見ていて思わず吹き出しそうになるような可笑しな顔になっている。
それでも二人揃ってすごく楽しそうに笑いながら写っているそれは、俺と銀ちゃんが義兄妹になった時の思い出の写真だ。
「実はこれが一番最初のページなんですよ? ふふ、最初のページに貼るってことは、それだけ大切な写真だってことなのかな~」
「いや、ただ撮った順番的に、そうだったってだけじゃないか? もしくは貼る時になって、偶然最初に手に取ったのがそれだったとか」
「そうかもしれませんね~。でもでも、本当はそうじゃないかもしれない。真実はミノさんのみぞ知る……うーん、色々と妄想が広がるよ~!」
「止めてあげなさい」
「あた~」
軽く頭にチョップを入れて、再び妄想の世界に入り込もうとした乃木ちゃんを現実に引き戻す……というか自然とチョップをしてしまった。
年下のほとんど初対面の女の子に突っ込みを入れてしまい、一瞬「あっ」と固まるが、当の乃木ちゃんは気にしてない様子だった。
チョップされたところをさすりながら、「えへへ~」と可愛らしく笑っている。
それを見て俺は静かに胸をなでおろした。
「きっとミノさんは、この写真を入れてる事を知られたら恥ずかしいから、お兄さんに見せたくなかったんでしょうね。ミノさん、結構照れ屋さんだから」
「……そうなんかねぇ?」
この写真は俺も持っているし、そのことは銀ちゃんだってわかっていたはずだ。
それを考えると、これを見られるのが恥ずかしかったからというのは少し疑問だった。
「ふふ、あくまで私の想像ですから、本当のことはわかりませんけどね~」
そう言いつつも、乃木ちゃんは自分はわかってるというような、どこか確信めいたものを感じさせる表情を浮かべていた。
本人から聞いているわけではないだろうし、きっとそれは感覚的なものなのだろうけど。
友達同士だからこそ、わかることがあったのかもしれない。
乃木ちゃんはさっきと同じ微笑まし気な笑みを浮かべながら、しばらくその写真を眺めていた。
そして少しすると満足したのか、乃木ちゃんはロケットを閉じて両手で優しく包み込むように握りしめる。
「……それじゃあこのロケット、少しの間、貸してもらってもいいですか? こんなミノさん見たことないし、わっしーにも見せてあげたいから」
「え? いや、別にそのまま君か、もしくは鷲尾ちゃんが持っててくれていいけど」
「それは駄目ですよ~。これは多分、お兄さんが持ってないといけないものだから。その方がきっと、ミノさんも喜ぶと思います……あ、あとわっしーは名前が変わって、今は東郷美森(とうごうみもり)っていいますので~」
「俺が? そんなことないと思うけど……ていうか、え? 今、さり気に名前変わったって言った? そう簡単に名前って変わるもんなの?」
「そんなことありますよ~。そこはミノさんの親友である、私の言葉を信じてほしいな~。あと、名前に関してはお家の事情ですので、そこら辺は深く突っ込まないでください」
「……うーん。まぁ、そうまでいうなら、とりあえず了解したよ。両方な」
ここまで自信たっぷりに言うからには、何かしらの根拠はあるのだろう。
だったら俺は、銀ちゃんの親友である乃木ちゃんの言葉を信じることにしよう。
「それじゃあ、連絡先の交換もしましょう。今度返す時に連絡しますので」
「あぁ、わかった。それじゃぁ、赤外線でいいか?」
「大丈夫ですよ~」
そう言って携帯を取出し準備する。
「……ふっ」
「どうかしました?」
「あぁ、いや。銀ちゃんともこんな感じのやり取りして、連絡先の交換をしたなぁって」
突然の出会い、場所を移動して話しをして、仲良くなって、そして別れ際にまた会う約束をして連絡先の交換をする。
今日の乃木ちゃんとのやり取りは、あの日、銀ちゃんと出会った時とずいぶん似ていた。
だからだろう、なんだかとても懐かしい気持ちが胸の中に一杯に湧いてきた。
「そっか~……あの、今度会う時はお兄さんとミノさん、二人の思い出を色々聞かせてくれませんか?」
「ん? 別にいいけど、そんな大層な思い出なんてないぞ? 会ったのだって、そんな多くないし。した事と言えば普通に駄弁ったり、遊んだりしたくらいだ」
「それでもいいです。きっと私達の時とはまた違った、ミノさんの意外な一面が見つかる気がするな~。あ、もちろん私達とミノさんとの思い出も、たくさん教えますからね~」
「ふーん、まぁ、いいけどな……と、送信終わったな」
話しながら携帯を操作していたら、いつの間にか終わっていた。
試しに簡単なメールを送ってみると、乃木ちゃんの携帯が振動する。
ちゃんと送れたようだ。
「よし、大丈夫みたいだな。それじゃあ、時間もそろそろあれだし、ここらでお開きってことで」
「そうですね……うわぁ、結構話し込んでましたね~」
携帯の時計を見ると、もう少しで十九時になるところだった。
時間が過ぎるのはあっという間である。
「時間、大丈夫か? もしあれだったら送っていくけど」
「私の家はすぐそこですから。それにさっきも言いましたけど、私って結構強いんですよ? だから心配しなくて大丈夫ですよ~」
もちろん覚えてはいる。
だけど見た目からとてもそうは見えないから、つい心配してしまうんだ。
「……そう、だな。じゃあ、気を付けて帰るんだぞ」
「はい。それじゃあ、また~」
「あぁ、またな」
園子ちゃんはベンチから立つと、ぺこりと小さくお辞儀をして帰って行った。
俺は返すように小さく手を振り、小さくなっていく園子ちゃんの後ろ姿をしばらく見続けていた。
◇◇◇◇◇
「……誰もいねぇなぁ」
俺が今いるここは讃州サンビーチ。
有名な海水浴場の一つで、時期が時期ならば水着を着た人たちで賑わっているだろう場所だ。
だけど今は、見渡す限り人っ子一人いない。
それもそうだろう。
なにせもうすぐ十二月で、今にも雪が降るかもしれないほど寒いのだ。
しかも時間も時間で、すでに二十時を過ぎている。
こんな季節、こんな時間に、わざわざここに来るような物好きはそうはいない。
俺以外には。
「……今更だけど、帰りどうしようかねぇ」
この時間ではここらを通るバスも、もうないだろう。
タクシーでも呼ぶか、それとも……。
「……まぁ、さいあく歩いて帰ればいいか」
とりあえず適当にその辺をぶらぶらと歩きながら、今日あったことを振り返る。
先程、乃木ちゃんと話をした後、俺はなんだかそのまま家に帰る気にはなれなかった。
気の赴くまま当てもなく歩き、バスに乗って、そしていつしかここにたどり着いていたのだ。
ここは二年前、銀ちゃんと最後に一緒に遊んだ思い出の場所。
きっと乃木ちゃんと一緒に銀ちゃんの話をしていたせいで、懐かしくなってここに来てしまったのだろう。
コートを着ているとはいえ、寒風と潮風のダブルパンチが俺の体を冷やしていく。
誰もおらず静まり返っているせいで、なんだか余計に寒く感じてしまう。
「うぅ、さっみぃ。やっぱりこの時期に海なんて、季節外れ過ぎだよなぁ。しかも夜とか。せめてもっと暑い季節だったら、こんな寒い思いしなくてもよかったんだろうな。まぁ、そうなれば俺以外にも人がいたかもしれないけど」
そう、以前来た時のように。
銀ちゃんと讃州サンビーチに来た日、あの時は昼間だったこともあり、ここには沢山の人で賑わっていた。
―――それでは兄ちゃん軍曹! 不肖この三ノ輪銀、いざ突貫してまいります!
―――待て、銀ちゃん二等兵
―――離して兄ちゃん! 海が、海があたしを呼んでるんだ!
―――大丈夫だ、海さんは広い心の持ち主だから。少しくらい待たせても許してくれるさ
―――……兄ちゃんと違って? って、いたたたたた!?
そろそろ歩いてるのも疲れてきた。
一休みに浜辺に腰を下ろし、月明かりを反射する水面をボーっと眺める。
冬の澄んだ空気のおかげか、なんだかとても綺麗に映っている気がする。
そうしているうちに、かつてここで銀ちゃんと遊んだ時の思い出が、次々と脳裏に映し出されていく。
―――……くっ! ……あ、頭が!
―――兄ちゃん、一気に食べ過ぎだっ、くぁ!?
―――……ふっ、銀ちゃんも……かき氷の洗礼を……受けたようだな……ッ!
「……楽しかったなぁ」
―――ほら兄ちゃん! いっくぞぉ!
―――いや、二人だけでビーチバレーってどうよ……って、おっとぉ!?
―――来た! チャンスボール!
―――ちょ、ま、ぐぼぁ!
「……ちょっと強引で、振り回されることも多かったけど」
―――あ、そう言えば
―――ん? どした?
―――あたしさ、まだ兄ちゃんに水着の感想聞いてないんだけど?
―――……え、今更?
―――来た時は海に夢中で忘れてたんだよ!
「……ほんと、楽しかったな」
―――それで、どうなんだよ?
―――んー、まぁ、そうだな……可愛いと思うぞ?
―――……へへ、そっかぁ!
「……」
―――ねぇ、兄ちゃん
―――なんだ?
―――また来年も、一緒に海に来ようね!
「……また、見たかったなぁ……銀ちゃんの、笑顔……」
あれから二年の時が過ぎ、色々と忘れてしまったものもある。
だけどあの時の満開の花が咲いたような笑顔は、今でも忘れることなく鮮明に思い浮かべることができた。
「……あ、あれ?」
ポツリと頬から雫が流れ落ちる。
雨、ではない。
見上げれば空はこんなにも雲一つなく、綺麗な星々が輝いているのだから。
雨は降っていないのに、また一粒雫が流れ落ちる。
一粒、二粒、三粒……止まることなく、次々と流れ落ちていく。
「……あぁ、ったく……泣かないって、決めたって、いうのに……ぅ、くそっ……ッ!」
その雫は雨ではなく、俺の流した涙だった。
ここには俺以外は誰もいないというのに、誰にも見られないようにと両手で顔を覆い隠す。
俺はここで我慢の限界を迎えた。
二年前に自分で決めた誓いを破り、俺は初めて銀ちゃんのことを想い涙を流した。
久しぶりに流す涙だからか、涙腺が限度を忘れてしまったらしい。
いつまでもいつまでも、止まることなく流れ続ける。
いくら拭っても、目元を押さえても、それでも止まることなく流れ続ける。
涙と共に、悲しみの感情が嗚咽となって口から零れ出る。
こんな俺をもし銀ちゃんが天国で見ていたら、絶対心配してしまうだろう。
そんなのは嫌なはずなのに、それでも涙を止めることはできなかった。
月明かりが差し、心地いい小波の音が流れる夜の浜辺。
そこで俺は、何時までも何時までも泣き続けた。
◇◇◇◇◇
大切な人が亡くなっても、どれだけ悲しみに暮れて涙を流しても、世界は何も変わらない。
変わらずに日々は巡っていく。
そんな当たり前で厳しい現実に挫けそうになるも、俺は何とか踏ん張って歩いている。
そしてその変わらない日々が、今日もまた終わろうとしていた。
「……はぁ~。今日も疲れたなぁ」
仕事帰り、俺はくたくたになった体を引きずるように帰路へついている。
今日はいつもよりも仕事が多くて「これは今日は残業コースかな」と思っていたが、それでも何とか定時に上がりたい一心で、与えられた仕事をさばききることができた。
残業代を貰えるとしても、やっぱり残業はしたくない派なんだ俺は。
「あ、そういえば、買ってあったビールってもうなかったっけ。明日は休みだし、少し多めに買っていくかな」
仕事の疲れは、お酒で癒すに限る。
そう決めると、行き先を変更して行きつけのデパートに足を向ける。
少し歩いたところで、横断歩道に差し掛かった。
「(……横断歩道。そう言えば銀ちゃんと知り合ったのも、こんな感じの所だったな)」
ここから少し離れた場所にある、大橋市での出来事が思い返される。
あの海で涙を流した夜から、こうしてふとした時に二年前のことを思い出すことが増えた気がする。
思い出として思い出す分にはいいかもしれないけど、こうも頻繁だと過去に縛られてるようで何だか複雑な気持ちだ。
「っと、青か」
思い出に浸っていると、いつの間にか信号が青に変わっていた。
赤に変わらないうちにさっさと渡ってしまおう。
俺は少し早足で横断歩道を進む。
「まって~!」
「ははは! 早く来ないと置いてっちゃうぞ!」
「もう、そんなに走ったら危ないわよ!」
反対側から横断歩道を歩く人の間を抜けて、俺の隣を三人の子供達が通り過ぎていく。
下校中だろうか、学校の制服らしきものを着ているのが見えた。
「(……あれ? あれってここらの学校の制服だっけ?)」
ふとした疑問が頭を過る。
もちろん讃州市の全ての学校の制服を知っているわけではないが、ここらではあまり見ない服装に思えた。
というか、あれはどこか懐かしさを感じさせる服装で……。
「……あれ、もしかして……兄ちゃん?」
「……え?」
後ろから声が聞こえてきた。
それはやはりどこか懐かしく、そしてこの状況にはデジャビュを感じさせる。
まるであの時の出会いのようで……しかしそれは在り得ないことだと頭を振って浮かんできた僅かな希望を振り払う。
在り得ないことだ、まったくもって在り得ないことである。
なぜならそれは……。
「ねぇ、兄ちゃんだよね?」
俺が固まっていると、再び背後から声が聞こえてきた。
そして同時にスーツの裾を引っ張られ、別の人ではなく俺が声を掛けられていると確信させられる。
「(うそ、だろ? まさか、そんな……)」
俺は恐る恐る後ろを振り返った。
「やっぱり、兄ちゃんだ! もう、全然振り向いてくれないから、人違いかと思ったよ!」
そこにいたのは見覚えのある学校の制服を着た三人の少女達。
しかし俺は今、自分の裾を引っ張っている少女に目が釘付けであった。
目を見開き、震える指でその少女を指差す。
「……ぎ……銀、ちゃん?」
あの時とまったく変わらない姿をして、満面の笑みを浮かべた銀ちゃんが俺の目の前にいた。
「いやぁ、まさかこんなところで兄ちゃんに会えるとは思わなかったよ! にしても兄ちゃん、何だかすっごい大人びた感じがするなぁ」
「……」
「須美や園子もそうだったけど、流石に二年も経てば皆そうなっちゃうのかな?」
「……」
「兄ちゃんって、もう社会人だっけ? 兄ちゃんのスーツ姿なんて初めて見たけど、結構似合ってるじゃん!」
「……」
「……ん? あれ、兄ちゃん? おーい、どうしたんだよ~?」
「……」
「銀、その人がどうかしたの? ……あら、なんだかどこかで見覚えがあるような」
「え? あぁ、えっと、元の世界にいた時からの、あたしの知り合いなんだけど。なんか動かなくなっちゃって」
「あれ~? ちょっと待ってミノさん。この人……」
「え?」
「そのっち、どうかしたの?」
「……えっとね。この人、多分……気絶してるんじゃないかな~?」
「「……え?」」
この時、俺の意識は完全に飛んでいた。
具体的には、銀ちゃんの顔を見た時から。
……ホラーとかの類は、子供のころから大の苦手なのだ。
「って、信号が赤になっちゃう!」
「と、とにかくこの人を連れて、早く渡りましょう!?」
「わ、わかった! うんしょっ! ……に、兄ちゃん、重いぃ!」
「あわわ~、流石に変身もしてないのに、一人で男の人を運ぶなんて無茶だよ~!」
「もう、銀! 私が足を持つから、貴女はそのまま抱えてて! そのっちは腰の下あたりを支えて!」
「う、うん!」
「わかった! ……もう、折角会えたってのに。このバカ兄ちゃん! さっさと起きてよぉ!」
夢か幻か、はたまた神樹様が起こした一時の奇跡か。
俺が真実を知るのは、もう少し先の事だ。
これで”結城友奈は勇者である~冴えない大学生の話~”は終了となります。
最後まで見ていただいた方は、どうもありがとうございました。
マルチ投稿とはいえ、そこそこの文字数があると修正とかするのも一苦労ですね(汗)
まぁ、内容はほとんど変わってないし、文章力も相変わらずですけど……。
この物語のテーマについて。
この物語を作るうえで考えたのは、特に何の力も持たない普通の一般人を主役にしたいなということでした
樹海の記憶をプレイしていた時、登場人物の名前に”冴えない大学生”とあって、「あ、このキャラで物語作ってみたいな」と思ったのが始まりですね。
登場人物が幸せになってほしいというのは二次創作を作るうえで思うことではありますけど、ゆゆゆに関してはなるべく物語を大きく変えたくないという思いがあったんです。
彼女達の想い、頑張り、それがバトンとなって今の勇者たちに託されている。
辛くても、悲しくても、それ等の出来事をなかったことにしてはいけない、って。
まぁ、そんなの他の作品でも同じじゃんとは思うかもですが、ことさらゆゆゆに関してはそういう思いが強かったんですよね、私。
主人公は物語に大きな関りは持てなかった、蚊帳の外だった、だけど登場人物の心に何かしらの影響を与えることはできたらいいな。
そう思いながら、この物語を作っていました。
本編はこれで終了ですが、番外編もいくつかありますので、また時間がある時に修正してあげていきます。