桐生とその友人の三好、そして紅一点である安芸の三人はよく集まって飲み会を開いていた。
そして今日もまた日頃の疲れを癒すべく、三人は集まる。
これはそんな三人が、ただ自由気ままに酒を飲む話である。
「さぁ、本日もやってまいりました、楽しい楽しい憩いの一時が! 皆、グラスは持ったわね? 乾杯よ、乾杯!」
「いえーい」
「ぱふぱふー」
「んー? ちょっとちょっとぉ、二人ともノリが悪いわよ? せっかくおいしいお酒を飲むって時に、もう少しテンション上げていきなさいよね~?」
音頭を取る安芸に桐生も三好も合わせるが、あまりテンションが高くない二人に安芸は頬を膨らませて文句を言う。
酒好きな安芸は特にこの面子で一緒に飲むのを楽しみにしているらしく、大学を卒業しても都合が合えばよく飲み会を開いていた。
今日も正しくそれであり、現在は安芸が暮らすアパートに桐生と三好がお邪魔している形である。
所謂、宅飲みというやつだ。
誰に憚ることなく、自分たちの好きなように飲んで食べる。
それでこそ日頃の疲れを癒す、至福の時を味わうことができるというもの。
そんな楽しみにしていた酒の席で、あまりノっていない二人を見て安芸は不満顔である。
「いや、だって……なぁ?」
「あぁ」
二人は互いに顔を見合わせると、少しげんなりして言葉を合わせる。
「「これで何回目の乾杯だと思ってるんですか?」」
「にゃははははは! 乾杯はぁ、何度やっても良いぃものよ~! ほれ、かんぱーい!」
二人のツッコミに安芸は破顔して可笑しそうに笑い、グラスになみなみ注がれていたビールを一気に飲み干す。
そう、すでに飲み会は始まってから一時間過ぎていて、三人はそこそこ飲んでいる段階なのだ。
……安芸だけはそこそこではなく、二人の倍は飲んでいるが。
安芸の後ろに転がるビール瓶が三本、安芸のそばにキープしているように置いてある日本酒の瓶が一本。
日本酒の瓶の中身は、すでに半分近く無くなっている。
それらはすべて、安芸が一人で飲んだものだ。
「んぐ、んぐ、んぐ……ぷっはぁぁあ! いやぁ、やっぱり暑い日に飲むビールは格別だわぁ!」
「おっさんだ」
「おっさんだな」
口元に着いた泡を豪快に手の甲で拭い取る様は、まるでどこかの飲み屋で仕事帰りに飲んでいる中年の男を思わせた。
いつものクールで少し厳しそうな顔が、ふにゃぁっと緩く締まりのない顔に変わっている。
普段の安芸しか見てない人が今の彼女を見たら、普段のイメージとのギャップに困惑してしまうこと受け合いだ。
「安芸先輩、もう少し自分のイメージを大切にしましょうよ。今のあなた、誰にも見せられないよって顔してますよ?」
「いーのよー、そんなの。大体イメージなんて気にしてたら、飲み会なんて楽しめないってーの。周りを気にせず自分の好きなように楽しく飲む、それが私の流儀よ」
そう言いキリッっと顔を引き締める安芸……だが、すぐにまた綻んでしまう。
周りを気にしないという割に外では飲酒は控えめにしているらしく、サークルの飲み会でもこういう気の抜けたような姿はまったく見せない。
おそらく安芸のこの姿を知っているのは、大学では桐生と三好くらいなものだろう。
それだけ気を許しているということかもしれないが、もう少し自重してほしいと思う二人であった。
「ほーら、二人共グラスが空じゃないのよ。私自らお酌してあげるから、感謝して飲みなさいよね~」
「はいはい、感謝感謝」
「安芸先輩のご厚意には、感謝感激雨あられでごぜーますよ。これでもう少し絡み酒を減らしてくれたら、俺としても嬉しい限りなんですけどねー?」
「よろしい! さ、飲め飲め~」
「……だめだ、まったく聞く気ねぇよ」
「もう、そうとう飲んでるからなぁ。ていうか、飲んでなくても聞きやしないだろ」
「それもそうだな」
こんな安芸の姿も見慣れたもの、とっくに諦めの境地に達している二人であった。
もはや返事も適当になっていることなんて気にも留めず、安芸は気分良く二人のグラスにビールを注いでいく。
「いよぉっし! 皆のグラスに酒も注がれたことだし、もう一回乾杯しよー!」
「わーい、乾杯だー」
「これで大体、七回目くらいの乾杯ですかね~」
「乾杯は何度しても良いものだ! いっくわよぉ? ほれ、かんぱーい!」
「はい、乾杯乾杯」
「いえーい、かんぱーい」
安芸のテンションに引きつった笑顔を浮かべつつ、三人は七度目の乾杯でグラスを合わさる。
まだ開始一時間、これからが長いのだと二人は知っていた。
◇◇◇◇◇
「んでさ~、うちの教頭がまた陰険で~、生徒のこと全く分かってないメガネなのよ~」
「はいはい、先輩はほんと生徒思いですよ」
あれから更に二時間が経つ。
桐生も三好も結構飲んではいるが、それでも安芸が二人の倍くらい飲んでいるのは、今も変わらなかった。
「……まぁ、安芸先輩もメガネですけどね」
「あんだと~!?」
ボソリと小さく呟いた桐生の言葉を、安芸は耳ざとく聞きつけた。
「桐生君のくせに生意気だぞぉ! 来なさい、桐生君なんてこうしてやる~!」
「え? ちょ、うわっ!」
ムスッとした安芸は持っていたグラスを叩きつけるようにテーブルに置き、桐生の腕を取って強引に自分の方に引き寄せる。
そしてその首に腕を絡み付けて絞めつけてきた。
所謂、ヘッドロックというやつだ。
必然的に巨乳といえるほどにある安芸の豊満な胸が、桐生の顔にグイグイ押し付けられる体勢となった。
本来巨乳好きな桐生、最初安芸と出会った時も、その胸に目が釘付けになったものである。
……とはいえ。
「うぐっ!? せ、先輩、苦しい、ってか酒臭いです!」
「なぁに言ってんのよ~。お酒飲んでるんだからぁ、酒臭いのはみんな一緒でしょ~?」
顔に柔らかい感触が押し付けられると同時に、間近で話す安芸の酒臭い吐息がダイレクトに顔にかかっていく。
確かにみんな酒は飲んでいるが、その量が段違いな安芸から感じる酒臭さは相当なもの。
流石に今の状況で、その感触を楽しんでいられる余裕は桐生にはなかった。
「ほれほれ、桐生君って胸が大きい人が好きなんでしょ~? この機会に堪能すればいいんじゃないの~?」
それを知ってか知らずか、安芸はにやにやしながら腕に力を込めていく。
「ん、ぐ、ぐぅ……ッ! し、素面の時に、堪能させてくれたら、文句なしだったんですけどね! 今は、それどころじゃ!」
「うふふ~、ここかぁ? ここがええのんかぁ~?」
「ちょっ!? ぅ、うぷっ……マ、マジで、勘弁してくださいっての!」
「あー、いいな桐生はー。安芸先輩の豊満な胸に埋もれられてー」
苦しむ桐生を肴に、グラスに注いだ日本酒をチビリチビリと飲む三好。
他人の不幸は蜜の味とはよく言ったもので、さも残念そうな言葉とは裏腹に、まるで面白いテレビ番組を見ているかのように、にやにやと二人のやり取りを鑑賞していた。
「て、てめぇ、三好! その顔、絶対そう思ってないだろ!?」
「んなことないって。いやぁ、ほんと羨ましい」
「なら代われっつうの!」
「んー? 三好君もくるぅ?」
「いやいやー、そんなそんなー。そこは桐生さんの特等席ですからー」
「なに微妙に敬語になってんだよ!? つーか、こんな酷い特等席があるか! こっち来い、俺と代われ! お前にも、この生き地獄をたっぷり味あわせてやる!」
「こーら桐生君、何が生き地獄よぉ。天国でしょ~?」
「んぎゅっ!? あ、安芸先輩、そんな、押し付けて、こないでっ! そこまでいくと、物理的に息が、苦しいぃ!」
桐生と三好が話している間、日本酒を瓶のままラッパ飲みしていた安芸。
ひとしきり飲んで満足したのか、彼女は絡ませていた腕に再び力を入れて締め付けていく。
桐生に襲い掛かる胸の圧力、そして更に増した酒臭さと首を絞められることによる息苦しさ。
おまけに桐生自身も大分酒が入っているせいで、襲い来る責め苦で次第に吐き気が高まっていくのを感じていた。
「う、くぅっ! ……あぁ、もう! 三好!」
「ん~?」
「流石に限界だ……やるぞ!」
「あー、うん。まぁ、よく我慢した方かもな。俺も俺で悪乗りしちまったし、仕方ないか」
色々と限界が来ていた桐生が三好に合図を送る。
それにやれやれと肩を落として立ち上がると、三好は奥の部屋へと向かっていった。
「やる~? なによぉ、私に黙って宴会芸でも準備してたわけぇ?」
「え、えぇ、そうですね。宴会芸、みたいなもん、ですよ。安芸先輩の為に、俺達が用意した、とっておきです!」
「え、ちょっとやだ~。言ってくれれば、私も何か考えて来たのに~。えーとぉ……あ、そうだ! 今から私、ビール瓶を手刀切りしまーす!」
宴会芸と聞いて自分もなにかやろうと周りを探していた安芸は、少し離れたところに置いていたビール瓶に手を伸ばす。
酔っ払った安芸がよくやる宴会芸の十八番、ビール瓶の手刀切り(なお切れない)である。
ビール瓶を取ろうとグッと腕を伸ばしたその時、桐生を拘束していた腕の力が少しだけ緩んだ。
「ッ! 今だ!」
「あらら? んも~! 桐生君ったら、逃げちゃいやーん」
一瞬の隙をつき、桐生は安芸の拘束から抜け出した。
そして桐生の行動は、それだけでは終わらない。
「今度は安芸先輩の番ですよ!」
「ん~?」
拘束から抜け出した桐生は、緩慢な動きで追いすがる安芸の手を受け流す。
そして素早く背後に回り込んで、両腕ごと安芸の体を拘束した。
「あ、桐生君、えっちだー! 酔っ払った女の子に抱き着くとか、これもう私襲われちゃう? 襲われちゃうんじゃないの~?」
「安芸先輩だって似たような事してたでしょうに……ていうか、女の、子?」
腕の中でクネクネと身をよじらせながら、変なことを口走る安芸に眉を顰める。
二十歳越えで女の子とか、流石にどうだろうか。
口には出さなかったが、桐生は内心そう思っていた。
「と、とにかく……三好! こっちの準備はできたぞ!」
「おーう、こっちもいい感じだ」
桐生が呼ぶのとほぼ同時に、三好も奥の方から戻ってきた。
その両手は“休め”の状態のように、後ろに回されている。
「あら、三好君も? まったく、男二人でいったい私をどうするつもりなの~?」
「どうする? そんなの……」
「決まってますよね?」
男に拘束されているというのに微塵も危機感を感じていない安芸に、二人は視線を合わせて頷く。
桐生は安芸を更に強く拘束し、三好は後ろに回していた両手を前に出す。
「ん~? ……なっ!?」
反応は劇的だった。
三好が両手を前に出したその時、その手に持っていた“もの”を見て安芸は目を見開き言葉を無くした。
さっきまでのクネクネした気持ち悪い動きも止まり、まるで恐ろしいものを見た子供のように体がプルプル震えている。
「そ、その色、その匂い……それは、まさか! ちょ、ちょっと待ってよ三好君。それをどうするつもりなの!?」
「何を言ってるんですか。これをどうするかなんて、そんなの安芸先輩だって知ってることでしょ? 子供じゃないんだから」
「ひっ!」
三好は手に持っている“もの”を見せつけるようにしながら一歩近づく。
それだけで安芸はビクッと体を振るわせて、表情を恐怖に歪めながら後ろに下がろうとする。
……しかし、それは不可能だった。
「残念、後ろには俺がいますよ?」
「き、桐生君!?」
なぜなら桐生が後ろから、がっちりと拘束しているのだから。
この拘束がどういう意図によるものか、ようやく理解したようだ。
安芸は怯えた表情のまま、桐生を見上げて懇願する。
「お願い、お願いだから桐生君……手を離してっ!」
「おーおー。あの凛々しい安芸先輩が、こんなになっちまうなんてなぁ」
「三好君も、馬鹿な真似は止めて! 今なら、今ならまだ無かったことにしてあげるから。ね?」
「そうですねぇ……桐生、どうする?」
「んー、そうだなぁ」
普段とは違ったその弱々しい表情を見て、三好はニヤァっと嫌らしく笑う。
そして桐生は……。
「……嫌に決まってるじゃないですかぁ!」
「そ、そんな!?」
「ははっ、だよなー!」
見上げてくる安芸の目をじっと見つめて、非情な答えを突き返した。
その潤んだ瞳に映る桐生の顔は、三好と同じようなニヤァっとした嫌らしい笑みだった。
「それじゃ、いつまでも拘束してるのも大変だし。三好、さっそく安芸先輩にご馳走してやってくれ」
「あいよ」
「い、いや、来ないでぇ!」
ゆっくり、少しずつ近寄ってくる三好に、安芸は必死に体を動かして逃げようともがく。
しかしすでに両腕諸共拘束されてるうえに大分酔っているせいで、上手く力を出すことができずにいた。
「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですか。大丈夫ですって。苦いのは最初だけで、慣れれば美味しく感じられるようになりますから」
「そうそう。まぁ、確かにウチの妹も最初は嫌がってましたけどね。少しずつ慣れさせていって、今では自分から進んで手を伸ばすくらいですよ」
「ま、まさか! 三好君、自分の妹にまでそんなものを!?」
「そんなものとは酷いな。こいつだって、こんななりして結構栄養豊富なんですから」
「知らない、私そんなこと知らない! それは人が口にしていいものではないの! なんでそれがわからないの!? こんなことしたら、きっと神樹様が貴方たちに罰を下すわよ!」
「神樹様が? なら、せいぜい祈ることですね。なるべく早く、この味に慣れますようにってね!」
「そ、そんなの、無理よぉ!」
「そうですか? ならじっくりと、たっぷりと味わってから慣れていってください」
「無理無理、絶対無理ぃ!」
そんなやり取りを見ていた桐生だったが、流石に少し長すぎたらしく苛立ちが籠った目で三好を睨む。
「おい、三好。遊んでないで、さっさと済ませろっつうの。こっちも抑えるの、地味にきついんだから」
「おっと、悪いな。先輩の反応が面白くて、つい話し込んじまった……それでは、お待たせしましたね、先輩。どうぞ、思う存分に堪能してください」
三好が手に持ったものを安芸の顔に近づける。
安芸はイヤイヤと首を振って拒もうとするが、それは桐生が許さない。
拘束していた片手の代役として両足を絡ませることで補い、空いた片手で安芸の顎を押さえて強引に口を開かせた。
「ひ、ひひゃぁ、ひゃめへぇ!」
「……なんか改めて見ると、スッゲェ絵面だな。なぁ、写メとっていいか?」
「いいから早くしろ! 安芸先輩、ここにきて力増してきてるんだから! くっ、火事場の馬鹿力なんて、こんなところで発揮しないでくださいってーの!」
「はぁあぁひぃへぇぇぇ!」
「うっ、いっつ、うごぼっ!?」
「……お、おう。これはマジみたいだな」
抵抗が次第に激しさを増していき、押さえている桐生の声にも必死さが混じってくる。
そしてついには勢いに任せて、片腕だけだが拘束を脱することに成功してしまった。
その肘が偶然にも桐生の脇腹に突き刺さり、痛みに苦しむ暇も無く、顔面に暴れていた安芸の後頭部が叩きつけられた。
それでもなんとか離さない桐生は、もはや流石というしかないだろう。
地味にというレベルではなく本気で痛そうな様子に、三好は自分が逆の役目じゃなくて本当によかったと心底思っていた。
胸以外はすらっとしていて華奢なように見える安芸だが、これでもサバゲー部の先輩。
男の桐生達と同じ装備で、同じ練習メニューをこなせるだけの力も体力もあるのだ。
そんな人が火事場の馬鹿力なんてものを出した日には、大の男でも拘束し続けることは困難だろう。
桐生の拘束も長くは持たない、そう三好は確信していた。
「よ、よし、今度こそ本当にいくぞ!」
「来い、来るんだ! 俺の体が壊れる前に!」
「ひひゃぁぁぁぁぁ!」
かくして、安芸の強引に開かれた口に“それ”は突っ込まれた。
「ピーマンだけはムぐほっ!?」
緑色で苦くて青臭い匂いのする、安芸がこの世で最も苦手なもの。
ピーマンが。
「ほらほら、どんどん行きますよ!」
「んっ! むぐぅ、むがぁ!?」
みじん切りにされたピーマンをタッパーから取り出し、スプーンで次々と安芸の口の中へ送り込んでいく。
口の中はあっという間に、ピーマンで埋め尽くされてしまった。
「よし、いいぞ桐生!」
「それじゃ、お口を閉じましょうねぇ!」
「ひょ、こぇおおしゅぎぃ! む、むいぃ、んぐぅ!」
せっかく詰め込んだピーマンを吐き出さないように、今度は口をしっかり閉じさせる。
安芸はあがくが、それでも桐生は口を押さえて離さない。
あがく、押さえる、あがく、押さえる。
両者の攻防は続く。
そして、ついに口の中に入れたままなのが絶えられなかった安芸が、やむなくゴクッ、ゴクッと、何回かに分けて飲み込んでいっただ。
それを確認すると、桐生はようやく手を離す。
「はぁ、はぁ、はぁ……う、うぅ……に、にが、いぃ」
桐生の手から解放された安芸は、涙目のままゆっくりと床に倒れ込んだ。
酔いもあったのだろうが、苦手なピーマンを無理やり食べさせられたことによる精神的ショック、そして桐生との攻防により体力を消耗させられたことで力尽きたのだ。
「……はぁ、勝ったか。虚しい勝利だった」
汗を流し、一息ついた桐生は、どこか遠くを見つめるようにして言った。
「こんなこと、本当はしたくなかった」
「俺もさ、桐生。でも……」
正直なところ、酒の席でこんなことをするのは、二人とも不本意ではあったのだ。
自分の好きなように楽しく飲むとは安芸の言葉だが、それについては桐生も三好も同じ気持ちである。
せっかくの日頃の疲れを癒すために開かれた楽しい酒の席で、無理やり自分の嫌いなものを食べさせられて、なにが憩いの一時かと。
……ただ。
「こうでもしないと安芸先輩、大人しくならないんだもん」
「だなぁ」
「……うぅ……ピーマン……いやぁ……」
「「……はぁ」」
床に突っ伏してうなされている安芸を見て、二人は疲れたようにため息を吐く。
「ほんと、安芸先輩も懲りないよな」
「まったくだよ。これで何度目だっての」
そう、こういった騒ぎは何も今回が初めてではない。
安芸も飲み始めはそうでもないのだが、ある一定量を越えてくるとテンションが上がり、絡みが激しくなってくる。
最初の頃はどう対処したらいいのかわからず右往左往していた二人だが、この対処法を思いついてからは、安芸の絡みが度を越えてきたら協力して大人しくさせることにしていた。
「にしても、ほんと安芸先輩ってピーマン苦手だよな」
「そうだなぁ。普通にビールに合うと思うんだけど」
桐生は三好からタッパーを受け取って、みじん切りされたピーマンを一掬いして口に含む。
ピーマン自体は生のままだが、ちょっと唐辛子と醤油を垂らしてピリ辛な味付けになっている。
咀嚼し、口の中にピーマンの苦みとピリ辛な味わいが広がる頃、そこにグラスに注いだビールをグイッと流し込む。
「……あぁ、うっめぇ。三好って、やっぱ料理上手いな」
「まぁ、よく妹にも色々作ってやってたしな。それにこれは、料理っていうほど手の込んだもんじゃないだろ。あ、そういえば、これって桐生の実家から送られて来たやつだっけ?」
「あぁ、昨日な。採れたてらしいから、苦味もそんなにきつくないだろ?」
「ほんとにな。新鮮だと、ここまで違うもんなんだな。これなら子供でも食べやすいと思うぞ」
「「……」」
「うぅ……苦い……口の中……ピーマン……」
「……そんなに、苦くないよな?」
「……あぁ、そのはず、なんだけど」
床に突っ伏す安芸の呻き声を聞き、二人は同時にこう思った。
酒は好きなくせに、変なところで子供以上に子供舌だなぁ、と。
「まぁ、安芸先輩のことは、とりあえず放っておくとしてだ」
「ようやく静かになったし、もう一回飲み直すか」
「あぁ……っと、そうだ、ちょっと待ってろ。余ったピーマンで肉詰め作ってくるから」
「お、サンキュ」
二人は安芸のことをそのまま放置して、新しい料理と酒を持って元の席に戻る。
「そんじゃ、改めて」
「せーの」
「「乾杯」」
「か……かん……ぱーい」
安芸の呻き声を無視し、二人は静かにグラスを合わせた。
◇◇◇◇◇
「……あぁ、油断してた。そうだよ、これがあったんだ」
あれから更に一時間ほど過ぎた。
現在は適当にテレビを見ながら、桐生と三好は他愛もない雑談を交えつつ酒を飲んでいた。
しかしテレビから芸能人の楽しそうな笑い声が聞こえてくる中で、桐生は手で顔を覆い沈んだ声で呟く。
三人での飲み会の第一関門である、安芸の絡みを攻略した後だというのに。
そう、第一関門だ。
第一があれば第二がある。
そして今現在、その第二関門に桐生は直面していた。
「あぁん? 桐生ぅ、どうしたんだ~?」
「あぁ、いや。何でもないよ」
「ふーん? まぁ、いっか。それでさぁ、聞いてくれよぉ! うちの夏凛ちゃんがさぁ!」
「あぁ、はいはい。夏凛ちゃんの話ね」
気持ちよく話し出す三好に、桐生は適当に相槌を打つ。
「(この話、もう四回目だけどな)」
心の中で静かにツッコミを入れながら。
この飲み会の第二関門、それは妹をこよなく愛する三好の妹語りであった。
三好は安芸ほど早く酔いが回る体質ではないらしく、しばらく飲んでいてもいつもと変わらない状態を維持する。
しかし安芸と同じく、一定以上酔いが回った時、唐突に“スイッチ”が入り、妹語りが始まる。
桐生はそれを密かに、シスコンスイッチと呼んでいた。
テレビを見ている時、料理に舌鼓をうっている時、他愛のない雑談をしている時。
そのどんな時でも唐突に、「そう言えばうちの夏凛ちゃんがさぁ」と言い始める。
それが三好のスイッチが入ったことを知らせる合図だった。
桐生もいつもならそのスイッチが入らないように気を付けているのだが、今日は安芸の抵抗がいつも以上に激しく、余計な体力を使ったことで三好のスイッチのことが頭から抜け落ちてしまっていた。
「(……あぁ、どうすっかなぁ。こいつのシスコンスイッチが入ったら、安芸先輩並に面倒なんだよなぁ)」
「桐ぃ~生ぅ~! 聞いてんのかよぉ~!」
「聞いてる聞いてる、だからさっさと話しを進めてくれ」
「……なんだよぉ。安芸先輩の時と違って、なんだか雑じゃないかぁ? もっと俺に優しくしてくれよぉ。最近、夏凛ちゃんもなんだか俺の事避けてるみたいだし、お前にまで雑にされたら俺泣いちゃうぞぉ?」
「あー、はいはい、可哀相にな。大変だなぁ、妹に嫌われるのは」
「……はぁ?」
「……あ、やばっ」
桐生が適当に放ってしまった自分の失言に、しまったと思った時にはもう遅かった。
三好はビールを一気に飲み干し、酒臭い息を吐いて桐生の方に目を向ける。
その目は座っていて、少し恐怖心を感じさせる目付きだった。
「俺はー? 別にー? 嫌われてまーせーんーけーどー? ただ夏凛ちゃんも色々忙しいだけだしー? 友達との付き合いもあるだろうしー? てゆーかー、妹が兄を嫌うとかー、兄が妹を嫌うくらい在り得ない事じゃないかなーって、俺は思うんだけどー? そこんとこ、どう思うかなー? 桐生よぉ、君の意見を聞きたいなー?」
「うっ、くっ! そ、そうだなぁ……」
三好は新しくビールを注ぎ、桐生のそばに移動して肩を組んでくる。
それは安芸が絡んできた時の再現のようで、首を絞めるように腕に力を込めて、酒臭い息を間近で感じさせるものだった。
「(ったく、俺に聞いてもわかるわけないだろ!? お前の妹に会ったことなんてないし、どういう子かも三好からの又聞きでしか知らないんだから!)」
桐生はこうなった時の対処法に思考を巡らす。
とはいえ今は桐生も酔いと、この生き地獄を再び味わっていることで中々考えがまとまらない。
「ん? ん~? 桐生ぅ、お前はー、どう思うのかなーって、聞いてるんだけどー?」
「あー、えーっとな?(えっと、確か、前にこうなった時は……)」
上手く働かない頭で、そういえばこんなことを言った覚えがあるという会話の内容を思い出した。
桐生は早くこの状況から脱したいがために、深く考えずにその時の内容を口に出していた。
「か、彼氏でも、できたんじゃないかなーって?」
「……あぁ?」
すると三好は、低くドスの利いた声を出してくる。
これはどういう事か桐生は必死に考えると、ようやくその理由に思い至った。
「(……あ、これ、前に失敗したパターンの奴じゃん)」
「……夏凛ちゃんに……彼氏……男……だと……?」
「あ、いや! 今のは言い間違えっていうか!」
「……夏凛ちゃんに……夏凜ちゃんに男なんて認めねぇぇぇぇぇ!」
「~~~ッ!?」
耳元で大声を上げられ、耳の奥がキーンとなる。
桐生は咄嗟に離れようとするも、今の感情的になった三好の拘束から逃れることはできなかった。
「認めない、認めないぞ俺は! 夏凛ちゃんはなぁ、小さい時に「わたし、しょうらいおにいたんのオヨメさんになる!」って言ってたんだ! あどけない無垢な笑顔で、舌足らずな口調で! 俺を見つめて言ってくれたんだ! そんな夏凛ちゃんに男!? どこの馬の骨じゃい! 大赦の権力使ってでも探し出して、俺の目の前に連れてきちゃるわ!」
「み、耳元で大声出すな! 何言ってるか聞きとれねぇし、耳が痛ぇよ!」
「夏凛ちゃんは俺の嫁ぇぇぇぇぇ!」
「だからうるせぇっつうの!」
首を締めながら耳元で怒声を上げる三好に、桐生はただただ顔を顰めながらも耐えるしかなかった。
そして声が大きすぎて上手く聞き取れなかったが、それでも“小さい時”、“将来”、“嫁”、といった何とか聞き取れた単語はある。
それだけあれば桐生にとって、スイッチが入った時の三好が言いそうな言葉を想像するのはそんなに難しいことではない。
「あ、あのなぁ、あくまでそれは妹ちゃんが小さい頃の話だろ。それを盾にして結婚を迫るとか、マジやめろよ? いいか、絶対だからな? 例え妹ちゃんがお前の事を嫌ってなくても、余裕で嫌いになれるやつだからなそれ? その前に、お前ら血のつながった兄妹だろ? 結婚なんてできるわけないだろ……って、これも確か、前に言ったような気がする……」
「嫌だい嫌だい! 夏凛ちゃんと結婚するのは俺なんだい! 小さい時に約束したんだ! 他の男となんて……想像しただけで、そいつをぶち殺したくなりますが何か!?」
「「何か!?」じゃねぇよ、普通に犯罪だよ! ……ったく、お前が妹ちゃんのことが滅茶苦茶好きなのは十分に分かったよ。てか、ずっと前からわかってたけど。だけどよ、妹ちゃんが好きになった相手がいたら、どんなに悔しくても祝福してやれって。自分の幸せももちろん大事だけど、兄貴なら妹の幸せを第一に考えてやれよ。それが兄貴ってもんじゃないのか?」
「う、うぅ……うぅぅぅぅぅ!」
「うわぁ、ガチ泣きじゃん。どんだけ嫌なんだよ、お前……」
三好の顔は、涙やら鼻水やらで凄いことになっていた。
酒が入ってるとはいえ、いい大人が本気で泣く姿を見る機会なんてそうあるものではない。
しかも肩を組まれたままの超至近距離でやられたとなれば、いかに親友が相手とはいえ桐生が引いてしまうのも無理はないだろう。
「あぁ、もぅ、そんな泣くなよみっともない。それにほら、まだ妹ちゃんは小学生だろ? 結婚どころか恋愛だってまだ先だって、きっとな……はぁ、なんで俺がこんな役回りなんだよ。俺はお前の親父かっての。ほーら、いい加減に泣き止めよ」
そう愚痴を言いながらも、桐生は泣き止ませるために三好の頭を何度も優しく叩く。
この時ばかりは、本当に自分が父親にでもなったようだと桐生は思った。
「……ぐすっ……優しいなぁ、桐生は……親父、かぁ……桐生みたいなのが親父だったらよかったのに……うぅ、親父ぃ~!」
「あ、こら、抱き着くな! 涙と鼻水が付くだろ!? てか、本当の親父さんに悪いから、そんなこと言うなって」
「いいんだよーだ。あんな夏凛ちゃんに冷たくする奴らなんて、俺知らねーもーんだ!」
「え? ……お、おう。まぁ、いろいろ複雑な家庭環境なのな」
今まで聞いたことのなかった友人の複雑な家庭環境を垣間見た気がしたが、聞くと更に荒れそうに思った桐生は深く突っ込まないことにした。
「ほ、ほら酒、酒を飲もう! 飲んで全部吐き出しちまえ! 今日はとことん付き合ってやるから!」
こういう時はとっとと酔い潰すに限る。
桐生は日本酒を空のグラスになみなみと注いで三好に手渡す。
「そうだなぁ……あーあー、お前が夏凛ちゃんの彼氏だったら、俺も泣きながらでも祝福できるんだけどなぁ」
「親父の次は彼氏かよ。てか、そうなったら俺がポリスメンに掴まっちまうわ。それに俺は同年代で、胸の大きい人が好きなんだよ」
「知ってるよ。それでも、他の誰かよりはお前の方が……んぐ、んぐ、んぐ……ぷっはぁ!」
「って、おいおい、一気かよ」
グラスになみなみと注がれた日本酒を一気飲みする三好に、桐生は頬を引きつらせてしまう。
酔い潰す気で勧めはしたものの、三好は安芸程に酒が強いわけでもない。
流石に一気飲みするのは体に悪いし、もう少しペースを落とすように言った方がいいだろうと口にしようとした。
しかし、その時。
「……ん……んむぅ……」
「おっと!」
飲み干したグラスをテーブルに置くと、突然三好の体がぐらついて糸が切れた操り人形のように力なく倒れていく。
倒れる寸前のところで咄嗟に伸ばした桐生の手は、何とかその体を支えることに成功した。
そのまま、三好の体をゆっくりと床に寝かせる。
「んん~……夏凛……ちゃぁん……」
「……眠ったか。まぁ、相当飲んでたしな」
寝返りをうちながら、気持ちよさそうに眠る三好。
あれだけ騒がしかったのに、二人が眠っただけで一気に静かになってしまった。
元々三人しかいないのだから、うち二人が眠ればそうなるのも仕方ないことかもしれないが。
桐生は元の場所に座り直して、床で眠る二人を眺めながら自分のグラスに口を付ける。
「ピーマン……苦い……嫌い……絶対……無理……」
「夏凛、ちゃん……また……一緒に……遊……」
「……はぁ。どんな夢見てるんだか」
そう言いつつも、寝言で大体予想がついてしまう桐生であった。
分かりやすいというのもあるが、長年の付き合いの賜物でもあるのだろう。
「ほんと、この二人と飲むと、いつも騒がしいったらないな」
安芸の家で初めて三人で飲み会をした時から、これでいったい何度目の飲み会だろうか。
頻繁に開いているため正確には覚えてはいないが、もう百は軽く超えているだろう。
それだけの数の飲み会を開き、その度に桐生はこんなバカ騒ぎに巻き込まれてきた。
今日みたいに絡まれて、しんどい思いをすることも少なくはない。
だというのに不思議と、この飲み会を嫌だとも止めたいとも思ったことはない。
なんだかんだで桐生自身も、このバカ騒ぎを楽しんでいるということなのだろう。
「……さてと、俺も寝るか。片付けは……まぁ、明日でいいよな」
自分で注いだ酒を飲み切ると、廊下の引き出しからタオルケットを持ってきて二人に掛ける。
この家のどこに何があるのか、我が家ではないが、もはや勝手知ったるというやつだ。
そして照明とテレビも消し、桐生も床にゴロンと横になってタオルケットを体にかぶせる。
好きに飲んで、好きに騒いで、そして好きな時に寝る。
少しだらしないかもしれないが、これも気の許せる仲間たちとだからこそできることだ。
「ふぁ、あぁ~……少し疲れたなぁ。次は、もう少し落ち着いて楽しみたいけど……」
きっとまた騒がしくなってしまうのだろう。
だがそれも悪くはない、それがこの三人の飲み会なのだから
この騒がしくも楽しい飲み会が、これから先もずっと続けることができたらいい。
そう思いながら、桐生は静かに眠りについた。
◇◇◇◇◇
翌朝。
「「……」」
「あら、おはよう。二人とも酷い顔ね。コーヒーでも淹れてあげるから、少し待ってなさい」
「「……」」
目を覚まして体を起こす桐生と三好に襲い掛かるのは、二日酔いによる激しい頭痛と気持ち悪さ。
あれだけ飲んでいれば、この苦しみも当然と言えるだろう。
しかし短い時間ながらも二人より多く飲んでいたにもかかわらず、安芸には二日酔いの気配は微塵もない。
昨日のだらしなく緩んだ表情は消え失せ、普段通りのクールビューティーな安芸がそこにいた。
二人にコーヒーを淹れるために台所に向かう安芸を見て、桐生と三好は顔を見合わせる。
「……なんか、ずりぃ」
「……だなぁ」
そう呟き、二人は床に突っ伏した。
今回は地の文がいつもの一人称でなく、三人称。
特に意味はない、かなぁ?
昔書いていた時、どうしてこう書いたのかとか、忘れてることもありますよね……。
わすゆの遠足の話を見て、安芸先生が誰かにピーマン盛られて涙目になってるところは結構グッときました。
クールな人のそういうシーン、結構ギャップ萌えですよね。
三好春信に関してはちょくちょく名前くらいしか出てきませんが、そのストーリーを見ているうちに私の中では、夏凛ちゃん大好きお兄ちゃんとしてイメージされてました。
でも夏凛ちゃんの反応を考えると、多分、夏凛ちゃんの前ではしっかりした、というかお堅い? お兄ちゃんを装っていたのかなぁと。
流石にここではちょっとシスコン過ぎに書いてしまった感はありますが、まぁ、気心の知れた仲の相手、しかも酒が入っていたらこんな感じになるかなぁと予想して書きました。
ちなみに三人の酒の強さ。
・安芸
放っておくと、いつまでも飲んでいられるくらい大酒飲み。
酔いが回るのが速く、気が緩んでいる時は酒癖も際限なく悪くなっていく。
おもに絡み酒として、桐生や三好にその魔の手が及ぶ。
どれだけ飲んでも、次の日に影響が出ないタイプ。
・三好
スローペースで、長く飲んでいられる。
酔いが回るのは遅いが、一定以上になると安芸並に酒癖が悪くなる。
飲む量にもよるが、次の日にそこまで影響は出ないタイプ。
・桐生
スローペースで、長く飲んでいられる。
酔いが回っても、周りからは酔ってるのがわからないくらい意識がはっきりとしている。
どんなに少なく飲んでも、多く飲んでも、次の日に影響が出てしまうタイプ。