「時代の終わりを照らすのは、いつだって夕焼けなんだ」

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When you leave / あなたが去るとき


第1話

 

「来たんだ」

 

 病室の扉が開く音にネプテューヌは振り向かないまま、読んでいた本をぱたりと閉じた。

 

「司書の仕事はもういいの?」

「……もう、記録は意味を持ちませんから」

「そっか」

 

 普段の彼女からは想像もできないようなぼそぼそとした呟きに、思わずネプテューヌがくすりと笑う。そのまま車椅子を動かしてゆっくりと振り向くと、そこには沈んだ表情を浮かべているイストワールの姿があった。

 

「それにしても、いーすんが来てくれるなんて思ってなかったよ」

「いけませんでしたか?」

「まさか、大歓迎だよ。私のことを訪ねる人はもう、この次元からいないだろうしね」

 

 目を伏せ、肩をすくめながら、ネプテューヌは語る。それから、沈黙はすぐに訪れた。窓から差し込む夕焼けが、床にまで伸びる彼女の髪を照らしている。色褪せしまったその長い髪は、それだけの時間が過ぎているということだった。また、それは二度とあの時代に戻ることはないという彼女の意志を、何よりも確かに示していた。

 

【挿絵表示】

 

 

「無様でしょ」

「……そんなことは」

「守護女神戦争の最後の勝者が、こんな病人みたいなヤツなんて。ああでも、よかったのかな。もう、こんな私を見てくれる人は、私自身が消したから」

 

 再びネプテューヌが本を開き、ひとつひとつ頁を捲る。夕陽に照らされたその横顔には、何かを懐かしんでいるような、少しの寂しさを感じさせるような表情が浮かんでいた。そうして手にした本を読み進める彼女に、イストワールは声をかけることができなかった。今の彼女には、それこそ女神のような触れてはいけない清廉さと、同時に触れてしまえば泡沫のように消えていなくなってしまいそうな儚さが混在しているように見えた。

 ネプテューヌの流した瞳に、口を閉ざしたまま動かないイストワールが映る。まるでばつの悪そうな子供のように黙る彼女を見て、ネプテューヌはまたおかしそうに、静かな笑みを浮かべていた。

 

「この次元は、どうだった?」

 

 唐突に口にしたネプテューヌの問いかけに、イストワールは一瞬遅れてから、言葉を紡いだ。

 

「どうだった、というのは?」

「いーすんから見て、私はちゃんと女神でいられたのかな、って思って」

「いられたと思いますよ。少なくともあなたは、私が出会った女神の中で、いちばん女神らしい女神だったと思います。これからもずっと、あなたがこの国の女神でいてくれると、私は勝手に思っていました。けれど……」

「けれど?」

「……ネプテューヌさん。本当にこれが、あなたの望んだ終わりなんですか?」

「うん。正真正銘、私が心から望んだこの次元の終わりだよ」

 

 綴る彼女の言葉に、後悔も迷いも存在しなかった。

 

「私はね、いーすん。本当は誰も失いたくなかったんだ」

「どういうことですか?」

「みんなとずっと友達でいたかった。同じ時間を過ごせるだけでよかったんだ。私は、永遠が欲しかったんだよ。相克も離別も、未来も希望も存在しない、けれど安寧と静寂のみが存在する世界を……」

「……その結果が、今のこの次元ですか?」

「歪だって、君は言うんだろうね」

 

 本から離した目を天井へと向けると、ネプテューヌは疲れたように息を吐いた。

 

「いったい、あなたは何をしたんですか?」

「みんなに永遠を与えた。変わることのない、平和な日々を」

「……まさか、その本が?」

「うん」

 

 頷くと、ネプテューヌは車椅子を動かしてイストワールの真正面へと向ける。すると彼女は何かを諦めたような表情を浮かべたまま、イストワールへしっかりと見せつけるように、その本の頁を開いた。

 薄暗い紫色の装丁がなされた、大きな本だった。ゆっくりとネプテューヌが表紙を開くと、風もないのにひとりでに頁が開かれていく。ばらばらと流れていくそれらを正確に捉えることはできなかったが、少なくともその一枚一枚が、ほとんど文字で埋め尽くされているということだけは、かろうじて理解できた。

 それ以外を理解することはできない。否、おそらく本能がその理解を拒んでいるのだろう。震え始めた肩を抑えるイストワールを見て、ネプテューヌは。

 

「みんなはまだ、この本の中で生きているんだよ、いーすん」

 

 淡々と、そう告げた。

 

「魂のデータ化……っていうのも違うのかな。これはアナログだし……昇華した、って言った方が正しいのかも。この次元に存在していたものは全て、この一篇の物語へと昇華したんだ。平凡で退屈な一日、っていう物語にね」

「……そんな」

 

 続く言葉は見当たらなかった。

 崩壊と呼ぶには、あまりにも優しすぎる。終焉と呼ぶには、あまりにも残酷すぎる。本を見つめながら微笑みを浮かべる彼女は、もうイストワールの知る女神ではなかった。そこにいるのはただ、自らの願望を歪な形で叶えてしまった、ただの哀れな女神でしかなかった。そして、それはイストワールの知る中で最も邪悪な女神の形であった。

 うっすらと細くなった瞳が、イストワールへと向けられる。そこで初めて彼女は、その瞳に光が灯っておらず、底の見えない虚ろだけが広がっていることに気が付いた。

 

「この中に昇華したみんなは、同じ一日を繰り返している。永遠に続く幸せな日常だよ。もう、何かを失うことも、誰かが居なくなることも、新しく変化が訪れることもない。綴られた物語に、誰も新たな一節を紡ぐことはできないのと同じようにね」

 

 語るネプテューヌの言葉など、もうイストワールの耳に届いてはいなかった。イストワールにとって、もう彼女は理解の外にいる存在だった。今更になって言葉を交わしたところで、理解などできるはずもなかった。

 そしてそれは、ネプテューヌにとっても分かり得たことであった。目を見開いたまま固まってしまったイストワールを見れば、それは嫌でも理解できた。元より誰かの理解を求めていたつもりはなかったが、いざ面と向かって理解を拒否されると、それはそれで退屈な気分になった。けれど、それも自分の選んだ結末であると、ネプテューヌは心の中だけで言い聞かせて、本を静かに閉じた。

 再びの静寂が流れる。頁の捲る音はせず、ただ茜色の日差しが病室を照らし続ける。

 

「どうして、あなたはその物語の中にいないんですか?」

 

 果たして、言葉を紡いだのはイストワールからだった。

 

「あなたの望みは、仲間と永遠に同じ時を過ごすことではなかったのですか?」

「……私は、いいんだ」

「なぜ?」

「みんなが幸せに過ごせるのなら、私はそこにいなくてもいい」

「では、あなたはこの次元に一人で取り残されたままでいいと?」

「そうかもしれないね」

 

 告げるネプテューヌの声に、力は無くて。

 

「もしかすると、あなたはその孤独を誰かに感じてほしくなかったのでは?」

 

 その言葉に、ネプテューヌはゆっくりと振り返った。

 

「残された最後の女神を騙る必要はありませんよ」

「……別に、そういうつもりはないよ」

「なら、どうしていつものように無茶を言わないんですか?」

「無茶?」

「みんなに幸せになってほしいと。出会った全ての人間を救いたいと」

「……それはもう、この本で叶えられたよ。だから……」

「だったら、どうしてみんなと一緒に過ごしたいと言わないんですか?」

 

 言葉を遮られたまま、ネプテューヌが口を閉じる。

 

「ここにはもう、私とあなたしかいませんよ」

 

 やがてネプテューヌは、天井を見上げると、疲れたように息を吐いた。

 

「なんでもお見通しなんだね、いーすんには」

「どれだけあなたと一緒に過ごしてきたと思うんですか」

「確かに」

 

 呟いて、ネプテューヌが笑みを漏らす。それは先程まで浮かべていた女神としての笑顔ではなく、イストワールが知っている、いつも通りの彼女の笑顔だった。

 

「本当は、私もこの物語の一部になりたかったんだけどね」

「なれなかったんですか?」

「ううん、なっちゃいけなかったんだ」

 

 そうして彼女は今一度、本の頁をぱらぱらと捲りながら、

 

「物語っていうのはさ、誰かが読まなきゃ意味がないんだよ」

 

 諦めきった表情で、そう告げた。

 

「私が物語の中に入ってしまったら、誰もこの物語を読む人はいなくなる」

「……だから、あなたがその役目を?」

「そう。けれど、それも続かなさそうなんだ」

 

 首を横に振ったネプテューヌが、沈んでいく夕陽を望む。

 

「時代の終わりを照らすのは、いつだって夕焼けなんだ」

「……誰の言葉ですか?」

「さあね」

 

 茜色の光に照らされたまま、彼女は何でもなしにそう告げた。

 

「いーすんは、これからどうするの?」

「……分かりません。あなたと共にいるのか、それとも……」

「ならさ、旅に出なよ」

 

 かけられたその言葉に、イストワールが思わず首を傾げた。

 

「旅、ですか?」

「そう。この次元じゃなくて、もっと他の次元をいろいろ旅するの。楽しそうでいいじゃん。それにいーすんなら、別の次元に飛ぶこともできるでしょ?」

「確かにそれは可能ですが……」

「あ、そうだ。旅に出るならさ、これも持って行ってよ」

 

 思い出したように声をかけるネプテューヌに、イストワールが俯かせていた顔を上げる。

 果たして彼女が差し出してきたのは――先程まで自らが読んでいた本、そのものだった。

 

「そ、そんな……! 受け取れません!」

「どうして?」

「だってそれは、あなたの願いそのものでしょう! だったら、あなたが読むべき物語のはずです! それを私に託すなんてこと……!」

「でも、いずれ私も読めなくなる」

 

 その言葉で初めて、イストワールは本を持つ彼女の手が震えていることに気が付いた。

 

「もう、ページを捲る力すらも残っていないんだ」

「そんな……」

「それにこの次元の終わりも近い。私が先に力尽きるのが先か、この次元が終わるのが先かは分からないけど……いずれにせよ、その物語を読んでくれる人は、いなくなっちゃうんだ」

「……もしかして、私をこの物語の中へ入れなかったのは」

「偶然だよ」

 

 相変わらず、嘘の下手な女神だった。

 

「……本当にいいんですね?」

「後悔はしてないよ」

「私にこの本を渡したことを、ですか?」

「それ以外にも。私は今まで自分の選択を後悔したことはないよ」

 

 それに返す言葉を、今のイストワールは知らなかった。

 

「さよならだね、いーすん」

「……はい。さようなら、ネプテューヌさん」

 

 最後の言葉を交わして、病室の扉が閉まる音がする。

 そして、永遠に続く、変わることのない静寂が訪れた。

 

 

「クロちゃん、いつもそれ読んでるよね?」

 

 頁を捲る音の間に、彼女の声が響く。

 

「悪いかよ」

「そうじゃないけど、でも飽きないのかなー、って」

「飽きるとかそういう話じゃねーよ」

 

 言葉を返すのも煩わしい。苛立ちを含めた声で、彼女に返す。

 

「今度でいいからさ、私にも読ませてよ」

「面白くねーぞ」

「そうなの?」

「ああ。何の代り映えもしない、つまんねー日常だよ」

「ふーん。でも、いつか読ませてよ。やっぱり気になるからさ」

「……数ページで飽きるだろ、どうせ」

「そんなことないよ!」

 

 声を張り上げる彼女に、思わず耳を塞いだ。

 

「もう寝ろよ、お前。遅いんだからよ」

「んー……それもそっか。じゃあ、おやすみ!」

 

 こういう素直なところも、彼女そっくりだった。

 テントの中で寝転んだ彼女が、ランプの光に背を向けながら、ふと。

 

「明日はどんな一日になるのかな、クロちゃん」

 

 微睡の中で投げかけられたその問いかけに、本を読む彼女は。

 

「今日とは違う、別の一日だろうよ」

 

 ランプの光に目を向けながら、そう答えた。

 

 




挿絵は渋海さん(@shibuminigai)にお借りしました。ありがとうございました。

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