そうした中でふと、ルームメイトの果林とともに、様々なことへと考えが及んでいく。
これは、アイスと夏を通した、エマと果林の、心の物語である。
暑い。
日本に来て初めての「夏」を迎えたと思った時、最初の感想がそれだった。
だが実際迎えたそれは、「初夏」というものだったらしい。そこからぐんぐん日差しは厳しさを増し、雨が続くじめじめとした暑さ――これは梅雨という季節だそうだ――を越えた先には、初夏のころには想像もしなかったほどの、強烈な暑さが襲い掛かってきた。
生まれ故郷のスイスにも当然夏はあるし、それを暑いとずっと思っていた。だがこの日本と言う国は、照りつける太陽の強さも、気温も、湿度も、スイスとは比べ物にならないほどであった。彼女が生まれ育った地域は、比較的涼しい気候である、というのは知識として知っていたが、それを改めて体感させられた。
そういうわけで、彼女――虹ヶ咲学園国際交流科3年生のエマ・ヴェルデは、「アイス」が大好物となった。
その気候のせいか、日本の店にはほぼどこにでも、色々な目を惹くアイスが売っている。それらの全てが魅力的で、特徴的で、そして何よりも美味しい。暑さを和らげてくれる冷たさがあってさらに美味しいとなると、食べることが大好きなエマは、夏場になると毎日のようにアイスを食べるようになった。
「この歌声~♪」
太陽照り付ける快晴のお台場。
夏休みの終わりが見えてきたころの午後四時、エマは、上機嫌に鼻歌を歌いながら、家路についていた。
その両腕に下げられているのは、ビニール袋に入った、多種多様のアイスだ。この暑さの中でその重さは女の子にとっては相当なもののはずだが、彼女は特に堪えている様子はない。汗こそかいてはいるが、その歌声に息切れの乱れはなく、足取りは軽やかだ。
「ふぅー、よいしょ、と」
日本での住まいとなっている寮の部屋に戻り、ルームメイトと共用で使っている冷凍スペースに、買ってきた大量のアイスを入れる。これは暑くなってくるといつもの光景で、エマは店で目に付いた多種多様なアイスを大量に買い込み、こうして冷凍庫にストックしておくのだ。今回はそのストックが切れたので、補充するための買い物であった。
一通りしまって冷凍庫を閉めると、エマはしまわないで置いておいた、イチゴ味のカップアイスクリームを開封し、一口食べる。
「んー、ボーノ♪」
途端に口の中に冷たさと美味しさが花開く。アイスが溶けると同時に口いっぱいに濃厚な舌触りと優しい甘さ、それに爽やかなイチゴ味が広がった。道中でほどよく溶けたアイスは非常に食べやすく、どんどん口に運んでいく。部屋に帰ったばかりでまだクーラーの効きもさほど良くはないが、これだけで、彼女はただただ幸せだった。
アイスにも色々種類がある。
果物味、コーヒー味、チョコレート味。
カップか、棒アイスか、ソフトクリームタイプ。チューブに入っているものや、一口サイズのものが複数入っているもの。
タイプや味以外にも、当たり付であったり、時たま形が違うものが入っていたりと、色々な部分で楽しませてくれる。
そうした様々なアイスの中でも、エマが特に一番好きなのは――アイスクリームか、氷菓か、という一番大きな括りで分けた場合の、アイスクリームであった。
冷たい食べ物は一般的に、当然暑い中で食べることを想定しているため、さっぱりしているのが好まれやすい。
だがアイスクリームは、ミルクをベースとして、濃厚な舌ざわりと、まったりとした甘さがその魅力だ。それでいてくどさは全く感じられず、むしろどんどん食べる手が進む。
冷たいのに、やわらかで甘くて満足感があり、身体に栄養と元気がみなぎってくる。
スイスではヤギを飼い、そのミルクを飲んで育ってきた彼女にとって、アイスクリームの味わいはなじみ深いものでありながらも、常に新鮮だ。
そうして無心で食べていると、やや大きめのサイズだったはずなのに、すぐに無くなってしまった。そのまま特に何も考えず、冷凍庫のドアに手を伸ばして――取っ手に指先が触れたところで、その動きが止まった。
「うーん、やっぱダメだよね」
手を引き、意志を示すように冷凍庫から一歩離れて背を向け、しかし名残惜しくて振り返る。その眉尻は、はっきりと下がっていた。
冷たいものを食べすぎると体によくないし、お菓子の食べ過ぎは、「アイドル」としては厳禁だ。エマには特に何も言わないが、自分自身に厳しく制限をかけている同居人であり親友の姿を毎日見ているため、割と際限なく食べがちな彼女にも、徐々にそうした意識が芽生えつつあった。
「ただいまー、エマが先に返ってたのね」
そしてそんな、少し恥ずかしいところに、ちょうど同居人が帰ってきた。
「あ、果林ちゃんお帰り~」
アイスへの名残惜しさも忘れて、心の底から信じあえるルームメイトであり親友であり仲間でありライバルの果林を出迎える。夏場だとはいえ、果林の格好は、同性のエマから見ても、露出が高すぎるように思う。これは、彼女自身の趣味でもあり、キャラづくりの一つでもある。高校生の傍ら読者モデルとしても活躍する彼女は、写真やスタジオの中だけでなく、日常でもその意識は高かった。
「今日も相変わらず暑いわね。雨の一つでも降らないかしら」
先日行われたスクールアイドルフェスティバルでは雨に大いに困らされたが、それはそれとして、今は太陽を覆い隠してくれる雨雲が恋しい。降ったら降ったで蒸し暑くて文句を言う未来がすでに見えているが、今はただ照り付ける太陽への恨みしかない。
「そうだね~。あ、そうだ、さっきアイス買ってきたからどう?」
「あら、ちょうどいいわね」
エマの誘いに、果林はパッと笑顔を浮かべて、いそいそとかかとの高いハイヒールを脱ぎ、冷凍庫へと向かっていく。その中をほんの少し見て、取りやすい位置にあったソーダの棒アイスを選び取る。
「やっぱこういう時期はアイスに限るわね」
包装紙のついでに、外出で持ち運んでいた見た目重視の余り実用性がなさそうなバッグを開いて、その中に入れていたビニール袋も取り出して、纏めて捨てる。ちらりと見えたビニール袋の中身は、コンビニで売ってる野菜サラダとサラダチキン、それにブランパンだった。間違いなく、果林の昼食だろう。
今のメニューからわかる通り、果林は自らの生まれながらの見た目とセンスに溺れず、常に自身がより美しくあれるように気を遣っている。低糖質低脂質高タンパクな食事がその典型だ。一般人がするには過剰なそれは、彼女がよりモデルとして高みを目指していることの証である。
クーラーもいつも間にかしっかり効いてきて、冷たいアイスが火照った身体を癒してくれる。椅子に座って背もたれに身体を預けて、全身を弛緩させ、天井を仰いだ。モデルとして、スクールアイドルとして、イメージを崩さないようにと、外では決して見せない、今は事実上エマにしか見せない、だらしない仕草だ。
シャク、とソーダアイスをかじる音が、クーラーが動く音にかき消されながらも、確かに響く。その直後、その冷たさと味に、果林は目を細めた。
今見た通り、果林はアイスを食べることに、躊躇いはない。
エマからすれば、少し不思議だった。普段はどんなお菓子も食べないか、はたまた遠慮がちに少し貰う程度しかしない。普段の食事ですらあれだけ色々考えているのだから、お菓子や間食はかなり控えているのだろう。
一方のエマはというと、食べることは大好きなので、それはそれはもうよく食べる。そしてその心優しい性格から、大好きの共有をしたくて、今自分が食べているものを人にお勧めすることも多い。当初は果林に対しても何も考えず色々お勧めしていたが、何度も断られるにつれて彼女の事情を察し、あまりすることはなくなった。
だが、アイスだけは別だった。
果林は、アイスだけは躊躇いなく食べる。故にエマにとってのアイスは、「日本」という国の一つの象徴であり、自分にとっての癒しであり、そして一方的ではあるが果林との絆であった。
何回も買い込むのは、暑いから、アイスが大好きだから、というだけではない。自分と果林をつなぐ数少ない食べ物で、そして果林がなぜだか心を許しているであろうお菓子であるからなのだ。
「……ざーんねん、ハズレね」
ぼんやりととりとめのないことを考えているうちに、果林はソーダアイスを食べきった。残った木の棒には、何も焼き印がされていない。別に当たることを期待していたわけではないようで、その言葉には気持ちが籠っているわけではなく、顔も疲れとリラックスによる気の抜けた表情のままだ。
果林はすくっと立ち上がり、通りすがりざまに放り捨てるようにゴミ箱に棒を捨てると、また冷凍庫を開ける。そして物色した末に取り出したのは、マルチパックになっている、小さなサイズの果物味の棒アイスだった。
「エマも食べる?」
「うん、ありがとー」
アイスに関しては気にしていないどころか、今日はいつもよりも食べたい気分だったらしい。それならば自分も食べて良いだろう、と、自分が先ほど食べたカップアイスがそこそこ大きなサイズだったことを忘れて受け取る。小さなサイズだし、これぐらいならノーカウントで良いだろう、ということだ。
二人そろって棒アイスにかじりつく。果林はオレンジの味が、エマはマスカットの味が、爽やかさを伴って口の中に広がった。
その感覚にエマは目を細めるが、一方で、果林はほんの少し渋面だった。
冷たいものを食べて頭が痛くなったのかな、とエマはぼんやりと考えるが、それは全くの見当外れだった。
「あー、エマはクリーム系の方が好きだったわね。手癖でこっち選んじゃったわ」
「んー?」
最初、言っていることの意味が分からなかった。今の自分は一切の不満なく幸せだったからだ。
そして数秒遅れて、ようやく言っている意味に気づく。確かに、エマはアイスの中ではクリーム系が特に好きだ。別に意識して選んでいたわけではないが、果林から見て、エマのアイス選びは偏って見えて、クリーム系が好きだと分かっていたのだろう。
「別に氷菓も好きだから大丈夫だよー」
「そう、ならよかったけど」
果林は自分自身に厳しい。それゆえに、その厳しさを乗り越えた今の自分に誇りを持っている一方で、些細な失敗を気にしがちだった。肝心の方向音痴とお勉強はあまり気にしていないのは不思議だが、おそらく気づいていないか、優先順位が限りなく低いのだろう。
(……そっかぁ、果林ちゃん)
それと同時に、エマはあることに気づいた。
自分がクリーム系ばかりを選んでも、なぜ今までその自覚がなかったのか。それだけ、クリーム系アイスが尽きるということがなかったからだ。
果林は手癖でこのアイスを選んだと言っていた。つまり、彼女は、普段からこの系統のアイスをよく選んでいるということである。
この二つを合わせれば、一つの結論が見えてきた。
「果林ちゃん、こういう氷のアイスの方が好きなの?」
――果林は、氷菓ばかりを食べているらしい。
その予想は当たっていたらしく、果林は何の気なしに、力の抜けた声で肯定する。
「そうね。別にクリーム系が苦手ってわけでもないんだけど、選べるなら氷菓ね」
もうほとんど残っていない果物アイスに横からかじりつきながら、続きを話す。
「クリーム系ってやっぱり、砂糖と乳製品が多いのよ。糖質と脂質は体型の天敵だし、少し遠慮しちゃうわね。その点、氷菓って要は、果汁か、砂糖で味をつけた水を凍らせたものなのよ。脂質はゼロも同然だし、糖質もクリーム系に比べたらだいぶ少ないんじゃないかしら」
「そっかー」
「まあ、ダイエットとか抜きにしてもこっちのほうが好きっていうのはあるわね。やっぱ暑いときはさっぱりするものがいいわ」
この話を聞いて、エマは完全に理解した。
果林は、アイスの中ならば、氷菓系の方が好きだ。理由は、ほぼダイエットの邪魔にならないお菓子だからというのと、単純にさっぱりしている方が好きだから。
ダイエットなどはあまり気にせず、食いしん坊の気があって味が濃い・甘いものが好きなエマはクリーム系が好きだが、果林は、その逆というわけだ。
(そっかー、知らなかったなあ)
果林よりも早く、とっくに食べ終わったアイスの棒を名残惜しくくわえながら、エマは背もたれに身体を預け、天井を仰ぐ。
日本に単身で留学しに来て、果林に助けてもらい、そして運命的なことに、寮でも同室となった。今や同じ同好会で活動する仲間でもあり、そして競い合うライバルにもなっている。
短いながらもとても密度の濃い交流で、果林のことを、いっぱい知れた。人気の読者モデルで、そのイメージを崩さないよう格好つけたがりで、朝は弱くて、お勉強は苦手で、運動神経が良くダンスも歌も上手で、自分に厳しい。
その一方で、まだまだ知らないことがあるのだということも、分かった。果林をスクールアイドルに誘おうとしたときも、彼女が何を思っていたのか、最初は分からなかったのだ。それでも、正面からぶつかり合って、お互いを分かり合って、今はあの時よりもずっと、仲良くなっている。
そんな交流を辿っていても、エマは、果林が氷菓が好きだということを、今の今まで気づかなかったのだ。
――思わず、口元が緩む。
そして加えていた棒が落ちそうになって、慌ててまた引き締めた。
(また一つ、果林ちゃんのことを知れたな)
嬉しかった。
これでさらに、果林との仲が深まったような気がした。
エマにとって、「果林のことを知る」というのは、スクールアイドルに誘ったあの時の再現だ。
新しいことを知るたびに、あの時のように、もっと仲良くなれる。それが、たまらなく嬉しかった。
みんなで手をつないで歌って踊りたい、という独自のスクールアイドルの理想を持つ彼女だが、一方で果林と言う「個人」に対してだけは、どこか違う、特別な意識がある。
「みんな」が大好きであるはずのエマが、果林ただ一人のために歌ったあの時。その思いが、花を開いた。
その感情の正体はまだ分からず、一生懸命覚えた日本語でも、母国語のイタリア語でも、名前を付けることができない。それどころか、その感情の存在すら、まだ無自覚であった。
「あー、早く夏、終わらないかしら」
そんなことを考えているエマとは対照的に、今の果林はさほど深いことは考えていないようで、緩慢な動作で立ち上がり、食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に放り投げながら、ぼんやりと呟いた。
「そういえば、もうすぐ夏休みも終わりだね」
「そうねー、今年の夏は特に……いや、三年になってからはやたらと忙しかった気がするわ」
「そうだねー。なんだかあっという間だったよ」
スクールアイドル同好会が解散し、その末の本当は取りたくなかった選択肢である優木せつ菜のライブを見た高咲侑が、また同好会を繋いでくれた。それどころか、歩夢、璃奈、愛、果林という、新しい大切な仲間も増えた。
賑やかになった同好会で、手探りで活動を模索し、少しずつそれぞれの目指すところが見えてきて。
その一つの集大成が、この夏休みにやった大イベント・スクールアイドルフェスティバルだ。
そしてそれを実現して見せた侑は、新たな挑戦として音楽科への転科を志し、先日無事合格が発表された。
他の仲間たちも、大きなイベントを終えてもなお、いや、それを体験したからこそ、新たな一歩を踏み出そうとしている。そしてそれは、自分たちも同じだ。
あんなライブをしてみたい。こんな歌を歌いたい。もっと大きな舞台で輝きたい。
歩いている時も、勉強している時も、布団に入っている時も、ふとした時に、色とりどりの、虹色のときめきが見える。
夏が終わってからも、まだまだ忙しく、そして楽しくなりそうだ。
「「…………」」
そして、二人とも沈黙する。
楽しい未来を思い描いていたところに、チクリと、胸に痛みが走った。それは、正面に座る果林も同じだったようで、楽しそうな笑顔に、少しの陰りが見える。
「……もうすぐ、卒業なんだね」
「そうよねえ……」
今までも、これからも、楽しいことでいっぱいだ。だからこそ、この夏のように、あっという間に過ぎ去っていく。
そうして一瞬のときめく時間を過ごせば――すぐに、二人は卒業を迎えることになる。
大好きな仲間たちとのスクールアイドルは、もうできない。
分かっていたことだが――全力で楽しめた一瞬の夏の終わりを迎えるにあたり、よりそのことが鮮明につきつけられる。
どんな時も、楽しい時間は、まるでスクールアイドルのステージのように、一瞬だ。
それはまるで、あれほど涼し気な存在感を放っていたアイスが、あっという間に溶けてなくなるように。
「……アイス食べて、少し涼しくなったかな?」
「そうね、クーラーの温度、上げましょうか」
少し気まずい沈黙を破るために、エマはそう言って立ち上がり、リモコンを手に取る。果林もそれに同調し、どこか緊張から逃れたように、深いため息をついた。
二人ともわかっている。
たっぷり汗をかいた後にクーラーを効かせたから。
アイスを二つも食べたから。
そうした理由もあるが、なぜ、今自分たちが、暑さを感じなくなったのか。
もうすぐ8月も終わる。あれだけ長かった日はいつの間にか短くなって、気温が下がり始める夕方の訪れが、気づかないうちにだいぶ早くなっている。だからこそ、涼しすぎると感じたのだ。
その現実からほんの少し目をそらすために、理由をかこつけて、クーラーの温度を上げる。そこからはくつろぐことなく、夕飯の準備を始めた。ぼんやりと心を覆う、薄い雨雲のような、寂しさともの悲しさから逃れるように。
そんなことをしていると、あっという間に、外は暗くなっていた。
この寮から見える夜景は中々綺麗だが、いつもはなんとなく眺めているそれも、二人は見ようとしない。
夏が、もうすぐ、終わる。
読んでいただきありがとうございました。