もしも、トウカイテイオーがチームスピカに属していなかったら
「トレーナー! ボクの走り見ててよねっ!」
「復帰したばかりだ、あまり無茶をするなよ」
「大丈夫だってー。今日も朝から走ってきたからさ!」
ボクは軽く準備体操をして筋肉を伸ばし、スタート位置に着く。二度目の骨折が原因でしばらくターフを走ることが出来なかったから、ボクは気合いを入れて、トレーナーに目配せをする。
スタートの合図が出ると、ボクは脚に力を入れてターフを思いっきり蹴った。同時に心地よい風がボクの顔を叩きつけてくる。久しぶりの全力疾走はやっぱり何事にも変えられない爽快感があった。
「いいぞテイオー! その調子で戻ってこーい!」
第三コーナーに差し掛かったあたりで遠くからトレーナーの声が聞こえた。
このままの勢いで駆け抜ければ良いタイムが出る。そう思って更に脚の踏ん張りを強くし加速しようとしたその時だった。
左足に痛みが走ったかと思えば、ボクはターフの上を勢いよく転がり込んでしまった。なんで。また、骨折だなんて。
左足が痛い。痛い。
いたい。
「ぃぉ……テイオー! しっかりしろー!」
「骨折です。それも三度目なので癖になっているかもしれません。骨折自体は治りますが、前のように走れるとは限りません……」
「そんなっ!? じゃあトウカイテイオーはもうレースに出らないんですか!」
「このままではレースはおろか、普通に走ることが困難になってくるかと」
「そんなっ……クソッ!!」
「ト、トレーナー……」
三度目の骨折。宝塚記念を目前に、練習中の怪我でレースの出走は断念することとなった。
無敗の三冠馬という夢を天皇賞・春でメジロマックイーンに阻止されて、ボクは走る理由を失った。そして最近、ようやく走る理由を新たに見つけたと思って、宝塚記念の出走を目指して練習を始めたらこの始末。
どうにかならないか、とトレーナーが必死に治療法を問い質している。医師は苦渋に満ちた顔で、結局何も言わなかった。
ボクはトレーナーを失望させたくなかった。だから、嘘をついてでも平気だって伝えたかったのに。なのに……ボクの目からは涙が出て、止まることはなかった。
そんなボクを見たトレーナーは悔しさのあまりか診察室を出て行ってしまった。
「トレーナー……ボク、がんばるから」
そう決心したボクは、翌日からリハビリに励んだ。
先ずは杖なしで歩けるように、手摺を掴んで一歩一歩脚を踏み出す。途中身体に走った痛みで筋肉の緊張が解けて、膝をついてしまう。
ボクは手摺にしがみ付きながらも立ち上がって、介護従事者の手に引かれながらまた一歩前へ進む。
そんな病院でのリハビリが二週間続いたころ、ようやく回復の兆しが見えてきた。ボクは嬉しくなって、早速トレセン学園にいるトレーナーを探しに行く。
杖をついて廊下を歩いていると、向かい側からこっちに歩いて来るトレーナーを見つけ、ボクは駆け寄って報告しようとした。
「トレーナー! ボク、もしかしたら走れるように──」
「テイオーか。悪いが構ってる暇はない」
「────え」
そう言ってトレーナーはボクの前を去って行った。
この前まで笑顔で話し相手になってくれて、辛い時は一緒にゲーセン行こうって誘ってくれたのに。
今日は都合が悪かったかな。また明日声を掛けてみよっーと。
「またか。話し相手は他にいるだろ。じゃあな」
翌日も、テキトーにあしらわれてボクの横を通り過ぎていった。おかしい。トレーナーのボクに対する態度が冷たい。
こんなことは今まで一度もなかった。スカウトしてきた時は辿々しい様子だったけど、それでもボクが話しかけるとどんな時も笑顔で答えてくれた。
どうして急に冷たくなったんだろう。
次の日も、その次の日も、毎日声を掛けた。けど、帰ってきたのは素っ気ない返事だけだった。
忙しい、仕事の邪魔だ、黙ってくれ、もう俺に話しかけるな。
ボクは部屋に篭って、密かに嗚咽を漏らした。
走れなくなったと分かった途端、急に冷たくなったのはボクが用済みだってこと。もう、トレーナーにとってボクはどうでもいい存在だということ。
認めたくなかった。ボクにはまだ、トレーナーがいる。走る理由がある。だから、頑張らなくちゃならないって。
なのに、もう、だれもぼくをみてくれない。
「チームを脱退……もう、決めたのだな」
「うん。カイチョーには言っておかなきゃって思って。今まで散々迷惑掛けたし、それに無理な約束なんてしちゃったし」
「……私は、今でもトウカイテイオーのことを信じているぞ」
「そっか、ありがとね」
ありがとうカイチョー。でもね、もうダメなんだよ。
だって、ボクはもう、走れないから。
「トレーナーにはボクから言うよ。最後の挨拶もしておきたいし」
「ああ、そうしてくれ。今までご苦労だったな、テイオー」
ごめんね、カイチョー。
ごめんね。
ごめんね。
「はあ……土砂降りだなぁ」
夜、悪天候に見舞われる中ボクは脱退届を持ってトレーナーの元に向かった。
なんて言われるかは分からない。けど、もしかしたら……もしかしたら、引き留めてくれるかもしれない。
やっぱりボクが必要だ、力を貸してくれ。そう言われたりしたら、また頑張るしかないなぁ。……ちょっと嬉しいかも。
トレーナー寮へ着くと、寮長に許可を貰って部屋の前まで案内してもらう。部屋の前に着くと、ボクは扉越しに居るトレーナーに向けてノックを鳴らした。
すると、ガチャリとドアノブを捻る音が鳴りトレーナーが寝むそうな顔をして出てきた。
「テイオーか。どうした、こんな夜遅くに」
「あのね、実は、さ……チーム、脱退しようかなって思って……」
ボクはトレーナーの返事を期待して待った。これを聞いてトレーナーの中で何か変がわるかもしれない。
きっと、今すぐにでも抱き締めて涙してくれる。
やっぱり必要だって、引き留めてくれる。
そう、思っていたのに。
「ふーん、それで?」
「……………………え?」
なんで。
どうして。
「あはは……はは、そうだよね。ボクなんて、もう、どうでもいいよね……」
「話は終わりか? 明日朝早いから、俺はもう寝るぞ」
「…………」
──バタンッ
扉を閉める音が、廊下へ鳴り響く。
ボクはもう、すべてがどうでもよくなった。
トレーナー寮を出るとボクは傘を差さず、土砂降りの中、夜の校舎を走った。
途中で何度も転び、膝から血が垂れ流しになっている。ボクはその膝の痛みを無視して誰も居ない練習場へ向かった。
何度も転んでは、何度も立ちあがって。
脚を引き摺っても前へ進んで。
転んで。
這いつくばって。
それでも前に進んで。
逃げたかった、こんな酷い現実から。
ただ走っていたかっただけなのに。
もう、なにもできない。
なにもしたくない。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
喉がはち切れんばかりに叫んだ。
誰もいないダート場で、地面に倒れ伏し泥まみれになって涙を流した。ボクはもう、生きる希望を失った。いや、とっくの前に失っていた。
最後だけでも言ってほしかった。
またレースに出ようって。
ボクこそが帝王を名乗るに相応しいって。
「うぅ……ああぁ……もう、いらないんだ」
ボクは握り拳を包帯の巻かれた左足に向けて、思いっきり振り下ろした。
痛い。でも、もう関係ない。
だって、いらないから。
なんども。なんども。なんども。
ナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモナンドモ
「アッハハハハハハ、ハハハ…………」
────────────
「…………………………………………」
──────
「………………」
────
「……つかれちゃった」
おわり
お題「狂気をかける」
誰かこのテイオーを抱き締めてあげてください