人間らしく、人間らしい   作:雨宮彩織

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雨催いに翳る

「おぉー、凄い! 本当に和服なんだねぇ」

 

 

男子寮の入口付近に待たせていた少女──峰理子と視線が合うなり、彼女は感嘆したように目を見開いた。金髪とフリルをあしらった制服とを虚空に靡かせながら、軽やかに身を(ひるがえ)して、自分の風貌を見上げ見下ろしている。興味深そうな目付きをしているのが、面白かった。

 

 

「和服しか持ってないんです。洋服は着たことがないというか、ほんの数回は着ましたけど、動きにくくて。だから、こうして制服から着替えてきたわけなんです」

 

 

実家は祖父と父の影響で、平成でありながら昭和初期のような風情だった。純日本家屋の邸宅というのが起因して、更には昭和生まれの二人であるから、そうした雰囲気の中で和服を着ないというのも、言われてみればおかしな話ではある。そんなこんなで自分が生まれても、そうした色に染まると言うか、染められると言おうか──特に方針を変えることもなく進んできたのが、この綺月家だった。

 

時代錯誤と揶揄されるかもしれないけれど、こうした雰囲気は嫌いではない。むしろ好ましく思えていて、段々と失われつつある伝統文化というものがまだ、こうして残されているのだ──ということを思うと、その気持ちに一層、拍車をかけていった。今では和装をするというのは、生活の一環でありながら同時に、趣味みたようなものだ。

 

「やっぱり精神的に、洋服だとキツい感じ?」

「そうですね。……今日も半日、頑張りましたから」

 

 

苦笑しいしい、和服に身を包んだ自分の装いを見直した。正絹から仕立てた藍白の紬着物に帯を締めて、紫苑色の羽織は、天然石を連ねた羽織紐で留めてある。そこに適当な草履を履いて、如何にも春らしい淡い装いになっていた。手に提げている信玄袋には、貴重品の諸々が入れてある。

 

 

「まぁ、制服より私服の方が気楽だよねぇ。そういえば、結局どこに行くの? もしかして、理子と和服デート?」

「老舗の呉服店に行くんです。港区芝にある」

 

 

そう言いながら、片手に持っていた蛇目傘(じゃのめかさ)を差しつつ歩を進めていく。紫外線に弱い自分にとって、直射日光を避けるための傘は、幼い頃からの必需品だった。これが無ければ、皮膚に損傷を与えてしまうのだ。新調したフェルト草履の裏側を気にしいしい、そんなことを思い返す。今ではもう、すっかり慣れてしまった。

 

 

「えっ、呉服店ってあの、和服とか売ってる?」

「そうです」

 

 

陽光に降られている少女は、後ろから小走りについてくると、すぐに自分の隣に並んだ。歩く速度は二人とも一緒で、それは彼女が自分に合わせてくれているのだった。意想外の返答に一度は面食らったような面持ちをしていたものの、すぐに例の笑みを、その端整な顔に現している。

 

 

「つまり、理子とショッピングデートってことかぁ」

「……いい加減、デートから離れてください」

 

 

何度目かの溜息を吐きながら、男子寮の駐車場を抜けて通りに出る。武偵校が中枢にある学園島は、本土と連絡橋で繋がれているから、まず目指すのは連絡橋だろうか。というのも、この学園島は人工浮島らしく、南北二キロ・東西五〇〇メートルの広さで東京湾に浮かんでいるようである。

 

武偵校の校舎や各学科棟は勿論、学生寮からコンビニ・ファミレスに至るまで存在しており、最低限の生活には困らないというのが、寮生活を一週間ほど続けてきた感想だった。モノレールも通っており、交通の便にも文句はない。その付近はゲームセンターやDVDレンタル店などで賑わっており、一種の商店街みたような雰囲気を漂わせていた。書店が一つだけど存在したのも、個人的には喜ばしい。

 

出た通りをそのまま左手に曲がろ──うとしたところで、彼女に羽織の袖を掴まれて、呼び止められてしまった。さて何事だろうと振り返ってみると、目前の少女は告げる。

 

 

「ねぇ、芝は反対だよ! そっちはお台場でしょ?」

「あれ、そうでしたっけ。こちらが芝かと」

「ちーがーいーまーす!」

 

 

自分の進行方向とは逆を指す少女に、内心で疑惧を抱きながら、ひとまず、彼女がそう言うのならば、そうなのかもしれない──と考えつつ、身を翻して歩き出す。芝とお台場を逆に覚えた記憶は無いのだけれど……と思い思い。

 

 

「……あっ、理子分かっちゃった」

 

 

彼女はめざとく見澄ましたかのように、嫣然な笑みとは異なった種類の笑みを、緩めた口元から洩らしていた。何を言うのかしら──と身構えながら、その金眼を見る。すると、隣の少女は面白そうに「くふふっ」と笑った。「もしかして、方向音痴だったりする?」と、後ろに続けて。

 

 

「じゃないと、自分が出かける時に『手伝って』なんて言わないよね? 先生(・・)がそれを自覚してるってことは、少なくとも一回は東京で迷ったってことでしょ? それも、頭を抱えちゃうレベルに! ちょっとの間違いなら済むけど、割と嫌な間違え方しちゃったから、少し参っちゃった感じかなぁ。それで理子をガイドにしたんだよね?」

 

 

簡単な類推ではあるものの、得意満面の表情で彼女は詰問してくる。流石に終始一貫して黙り通せるほど、この少女は磊落で諧謔(かいぎゃく)的な性格をしているわけではなさそうだった。「まぁ、その通りです。何もかも当たってます」と首肯すると、彼女は嬉しそうに笑みを零す。

 

 

「掻い摘んで言うと、例の呉服店には先々月に行きました。ただ最寄り駅を降りた後に、目的地とは真逆に進んでいってしまったんですよね。往来の人に案内してもらって駅までは戻れたんですが、今度は呉服店を中心にして、歪な円を描くように歩いていたらしいです。結局、到着したのは、予約していた時間の二時間後でした。京都と違って東京は道が雑多ですし、どの建物も似ていますから……」

 

 

そうして話に一区切りつけて、降りしきる陽光に蛇目傘を傾けながら、隣を歩く少女の姿を覗き見る。そんな彼女は口元に手を当てて、目元を綻ばせて、肩を小刻みに震わせて──どうやら、必死に笑みを堪えているように見えた。やがて耐えきれなくなったのか、吹き出すように笑う。

 

 

「あはははっ、方向音痴も度が過ぎるでしょ! 地図を持ってるのに、なんで真逆に行っちゃうかなぁ……ふふっ。しかも二回も迷うなんて、これもう、才能だと思うんだ! あー、面白い……。ちょっと理子、涙が出てきちゃった」

 

 

目尻に滲み出た涙を人差し指で拭い取りながら、彼女はたいそう面白そうに笑い続けていた。自分には何が面白いのか分からないけれど、どうやら彼女にとっては大笑に値するものらしく、痛くなったお腹のあたりをさすっている。それが治まってきたらしい頃に、隣に歩く彼女は零した。

 

 

「ねぇ、もう大丈夫だよ。理子が一緒にいてあげるから」

「誤解を招くような言い方は控えてください」

 

 

苦笑しながら、視線を彼女から離す。正面を見ると、奥には学園島と本土とを繋ぐ連絡橋が見えた。背後には大東京のビル群が屹立しており、それらは歩を進めるごとに接近してくる。そのうちには、既に連絡橋を通過していた。独り言ちるように零しながら、目下の東京湾を覗き見る。

 

 

「……学園島を出ると、道が全く分からないんですよね」

「理子が道案内したげる! お客さん、どこまで?」

「白峯呉服店さんまでお願いします」

「名前は知ってるけど、場所は知らないなぁ……」

 

 

困ったように笑う彼女を隣に、それでも自分たちは談笑しながら歩いていった。レインボーブリッジや公園、コンテナ群の並ぶ芝浦を横目に越していくと、目的としていた港区芝に辿り着く。高架下を抜けると、交差点が見えた。

 

 

先生(・・)さ、この辺りは分かるの?」

「確か、迷った時の道ですね……。芝四丁目の交番が見えた、というのは覚えています。例の呉服店は大きなお寺の隣にあるんですけど、それ以外は殆ど分かりません」

「この辺りにお寺……、あったかなぁ……」

 

 

自分と彼女とは、二人で芝四丁目の交差点に差し掛かっていた。旧海岸通りという名前が付いているらしい。あたりを縦横無尽に行き交う自動車の音や、往来の雑踏に揉まれながら、眼前に聳え立つマンションやテナントビル、小さな個人病院やケータイショップなどを横目に歩いていく。

 

やがて、芝一丁目の交差点に差し掛かった。自分はそこでいったん足を止めると、裏道へと続く通りに視線を遣る。そういえば、確か白峯呉服店は裏道にあったような気がした。そのことを隣の少女に告げると、「じゃあ行ってみよう!」と冒険心を剥き出しにしいしい、首肯してくれる。

 

 

「ところで、なんで僕を先生(・・)と呼ぶんですか?」

 

 

マンションやハイツの立ち並ぶ裏通りを歩きながら、自分は彼女に問いかける。思い返せば、何度か『先生』というような形で呼ばれていた。メディアやファンにそう呼ばれるのは慣れているものの、よくよく考えれば、この少女とは、まだ数時間ほど前に話したばかりではないか──。

 

彼女はその金眼を自分の方に向けると、蛇目傘に見切れたながらも、可憐に目元を綻ばせたのが分かった。「くふふっ」という笑い声が聞こえてきて、思わず傘を傾ける。そこにはやはり、既に見慣れた表情をしている彼女がいた。

 

 

「うーんとね、小説家だから先生って呼んでるのと、単に理子がそう呼びたいから呼んでるだけ! 嫌だった?」

「別に、嫌ではないですよ。むしろ慣れていますから」

「おぉー、さっすがー!」

 

 

彼女は隣で飛び跳ねながら手を叩いてくれた。照れ隠しの笑みに「ありがとうございます」と付け加えながら、傾けた蛇目傘を元に戻す。木骨とか和紙とかその紋様とか、そういったものに透かした陽光が、少しだけ眩しかった。

 

 

「じゃあ、先生も理子のこと好きに呼んでいいよ?」

 

 

隣から聞こえてくる声に、「そうですか」と返事する。それから少しだけ、彼女のことをどう呼ぼうか少考した。無難なのは苗字で呼ぶことだけれど、いざ提案してみると「堅苦しいから嫌かも」と即座に否定されてしまった。

 

「理子さんと呼ぶのはどうですか。苗字よりは堅苦しい印象も無くなると思いますよ」と伝えても、「そもそも、

『さん』っていうのが他人行儀すぎるかなぁー」と言われてしまい、これも駄目らしい。他には何があるだろうか。

 

 

「理子ちゃん──は、ちょっと軽薄ですね」

「それ! 可愛いからそれにしよう!」

「……特に構わないなら、そう呼びます」

 

 

無邪気な声ではしゃぐ彼女を、眼鏡のレンズ越しに覗きながら、流石に『ちゃん』を付けて呼ぶのは、初対面の相手にしても、軽薄すぎではないのかしらん──と思いつつ、相手がそれで良いのであれば、と考えを打ち切る。これは彼女特有の友好的な態度なのだろう、とだけ付け加えて。

 

それでも、数時間きりの初対面な少女を理子ちゃんと呼ぶのは、流石に気が引けた。しかし提案したのは自分で、承諾したのは彼女──理子ちゃんであるのだから、どうしたものか。せめて心の内で理子と呼び捨てにするくらいなら、露呈する恐れもないし、自分の心理作用について勘案してみても、これなら大丈夫だろうか……と思い至る。

 

そのまま舗道を進んでいくと、何やら見覚えのある道に差し掛かった。左手には平凡な民家が連なっているものの、右手の方には漆喰塗りの外壁が続いていて、そこに合わせて瓦が乗っている。その敷地内には荘厳な和風建築の遺物が顔を覗かせており、それこそが寺社に他ならなかった。

 

 

「先生の言ってたお寺って、もしかしてこれ?」

「えぇ。確か、ここの曲がり角を左に行くと──」

「あっ、あった! 白峯呉服店の暖簾(のれん)!」

 

 

そこには、瓦屋根の突き出した和風邸宅が建っていた。入口の両端に行燈が設置されており、白峯と染色された暖簾も掛かっている。漆喰の壁にも同じく、白峯と揮毫された無垢材が立て掛けられていた。相当な老舗で、嘉永五年──綺月彩雲の生まれ年に創業された呉服店らしい。

 

 

「そうそう、ここです。今回は無事に着けました」

「くふふっ、誰のおかげかなぁ?」

「分かっているくせに。ありがとうございます」

 

 

二人で笑みを交わしてから、いよいよ店内に入っていく。竹製の格子扉を開けると、すぐに色鮮やかな色彩が視界に飛び込んできた。それは女性物の振袖や訪問着で、この部屋の一帯に飾られている。他には和装小物が彩りに華を添えていて、見るからに豪華絢爛な色彩美を誇っていた。

 

すると、奥から一人の老婦人が紬らしい訪問着を召して、悠々とした動作で自分たちの目前まで歩み寄ってくる。それから、七十代に差し掛かったあたりと思える白髪をわずかに覗かせて、その老婦人は慇懃な態度でお辞儀した。

 

 

「昨日にお電話を差し上げました、綺月先生でしょ。お会いになるのは二ヶ月ぶりかしら。お頼みいただいたお着物は、キチンと仕上がりましたから、ご安心くださいね」

 

 

老婦人らしい穏和な口調で、女将は歯を覗かせた。そのまま奥にある座敷に手を向けながら、「さ、お上がりください」と言って、自分たち二人を案内してくれる。通された先は、十二畳の和室だった。そこには反物から仕立て上がりの完成品まで揃っていて、見ると、うち年季の入った一畳の中に、臙脂色の仕立て上がりが二着とも寝せてある。他にもう四着あるのは、恐らくこれは長襦袢だろうか。

 

それらは紛れもなく、自分が先々月に誂えてもらうよう依頼したものに相違なかった。同時に今後の三年間で、肌身離さず身にまとっていなければならないものにも、また──。取り敢えず進められたままに、自分と理子とは、用意してもらった座布団に、一礼をしてから正座をする。

 

 

「これね、武偵校の制服にするんですって?」

 

 

皺のある目蓋を幾らか持ち上げながら、老婦人は訊いた。自分はそれに頷いて返すものの、「えっ」と驚いたように洩らした隣の少女の声に、つられて視線を向けてしまう。

 

 

「先生、これ制服にするの?」

「『該制服では武偵活動に著しく影響を来すため』と異装届を申請したら、許可が下りました。代わりに幾つか条件がありまして、それを満たすなら許可するという話です」

「条件なんてあるんだ……」

 

 

不思議そうに洩らす理子を見て、自分は段々と彼女の服装の方が奇異に思えてきた。本来ならば、武偵校の女制服はセーラー服と殆ど相違ないし、むしろフリルで装飾しているのは、れっきとした改造行為なのではないか。それでも見咎められている様子は見えなかったし、もしかしたら、規定の際どいところを彼女は突いているのかもしれない。

 

そんな理子と自分の会話を女将は目視しながら、頃合いを見つつ、手元に用意しておいた着物を手渡してくれる。

「先生の注文通り、裏地は正絹で仕立てましたよ。ポリエステルならすぐに洗えるっていうけど、着心地を重視なさったんでしょ。まぁ、制服なら滅多に洗わないからねぇ」

 

 

袷着物を検めながら、女将の話に頷き返す。確かに裏地の手触りは正絹だ。しかし表地は、いま羽織っている防弾制服の手触りとよく似ている。ともすれば、要望通りに表地も、TNK(ツイストナノケブラー)ワイヤーの防弾繊維で仕立ててくれたのだろう。「これ、表地は防弾繊維ですね。武偵校からの絶対条件でしたので、助かります」

 

そのまま着物を広げてみると、あることに気が付いた。それは男着物には珍しい訪問着風で、腰部から下のあたりに、ぼかしを入れたらしく見える。「随分と洒落た仕上がりになりましたね。どなたが細工を提案したんです?」

 

 

「先生にそこらへんは任されたから、職人さんと相談して、どうしようかって決めていたのよ。制服とは言っても毎日ごとに着るし、これだと普段着に近いから、いっそのこと、お洒落したら良いんじゃないかってね。訪問着仕立てのぼかしが良いってね。ほら、この羽織もご覧よ──」

 

 

そう言って女将が自分に手渡した羽織は、着物と同じく臙脂色をしていて、ぼかしの入った淡い色彩をしている。「へぇー、凄い。綺麗だね!」と、隣から覗き込んでくる理子に頷きながら、また検めるべくあちこちと見回した。

 

こちらも表地は防弾繊維、裏地は額裏のある正絹仕立てになっている。何かの拍子に不意と見える額裏は、男性にとって、隠れたお洒落という観点で好まれ続けているのだ。背部を見ると、東京武偵校の校章が一つ紋で入っている。外出着としては最高格で、これなら応用が利くだろう。

 

 

「あれ? これって武偵校の校章?」

「えぇ、これも条件として頼まれました」

「そっか。制服にも入ってるもんね」

 

 

納得したように頷いた理子は、制服の腕部に入っている校章と、和服の背部に入れてある校章とを見比べていた。これで条件は全て満たせた。正式な式典では従来の制服を着用、生地は臙脂色、更には防弾性の確保と校章──この四つが、武偵校から提示された条件である。こうなれば、少なからず教務科から文句は言われまい──と直覚した。

 

検分を済ませた着物と羽織を畳んでいると、女将は「あと先生ね、これも頼まれたでしょ。紗と──」と言いながら、もう一着あった和服を手にして自分に渡してくる。それは今しがた畳んだ袷の着物とは違って、紗の着物であった。袷は夏以外に着用して、紗は夏のみに着用するのだ。

 

見ると、受け取った紗の方も、着物と羽織とを合わせて袷着物と同じ細工が施されていた。臙脂色で、表地は防弾繊維、裏地は正絹仕立てになっている。両方ともぼかしが入っていて、羽織には一つ紋も入れてあった。如何にも紗らしい清涼感と肌触りは、やはり夏に似合っているだろう。

 

「──こっちの四着は、長襦袢ね」続けざまに四着とも一気に渡された、柄の入っている白・濃紺・薄灰・藍の長襦袢の重みが、手に伝わってくる。これらは言うなれば、着物の下に着る肌着だろうか。勿論、この長襦袢も表地は防弾繊維に、裏地を正絹にして仕立てるように依頼しておいた。袷と紗に対してそれぞれ二着、季節別に用意したのだ。

 

 

「女将さん、みんな紙袋か何かに包んでもらえますか。畳紙(たとうがみ)は家にありますので、要りません」

「えぇ、えぇ。それでは預からせていただきます」

 

 

六着を一気に抱えながら、女将は座敷を下りて店内の奥へと引っ込んでしまった。その背後を見送りながら、自分と理子とは女将のしたように後をついていく。精算を済ますカウンターの前でしばらく待っていると、女将は二つの紙袋を手に握りながら持ってきてくれた。そうして手渡す。

 

 

「こっちが着物、こっちが長襦袢ね。お代金は……」

 

 

女将はあらかじめ用意してあったらしい伝票用紙を凝視すると、店内の雰囲気とは打って変わって現代的なレジに、淡々と金額を打ち込んでいく。信玄袋から取り出した封筒の口を開けつつ、既に絶句している理子を一瞥した。

 

 

「袷と紗がそれぞれ十五万円、長襦袢が四着で二十万ね。計五十万円、見積もりと同じような感じだったでしょ」

「えぇ。多めに持ってきて正解でした。あと五万円だけ高かったら、すぐにでも銀行に行っていたかと。ふふっ」

 

 

そう笑いながら、自分は封筒の中身に五万円だけを残して、後の五十万円を女将に手渡した。「あらー、沢山ねぇ」と嬉しそうに笑みを浮かべる老婦人、絶句に閉口させられた高校生の少女、五十万を所持していた高校生──なんとも珍妙というか、現実離れした光景だとは思う。

 

 

「……えぇ、キチンと五十万円ね。確かに預かりました。それじゃあ先生、また何かありましたら、私共のところにいらしてください。いつでもご相談には乗れますので」

「うん、この度は誠にありがとうございました。また機会がございましたら、貴店の方へ伺わせて頂きますから。それではもう、今日のところは失礼させていただきます」

 

 

必ずしも軽いとは言えない紙袋を両手に持ちつつ、自分は女将に叩頭して、理子を引き連れながら店を後にする。しばらくして彼女は、「着物、結構するんだね……」と洩らすように呟いた。「あんなに高いとは思わなかったよ」

 

 

「素材が正絹ですし、一から誂えたものですしね。値が張るだろうことは予測していました。とはいえ、過去に着物は散々に誂えてきましたけれども、あれは今までで一番の買い物だと思いますよ。都合良く印税が入りまして……」

 

 

安堵の笑みを零しながら、ふと空を見上げる。春霞に紛れて遠方にあったはずの雨催いの雲は、心做しか、自分の居る方へ接近してきているようにも感じられた。さながら、あれが禍殃の権化であると、告げているかのように──。

 

 

「……ここまで理子ちゃんに道案内してもらったお礼ですから、これから、一緒に昼食でも摂りに行きませんか」

 

 

背筋が物言えぬほどに心地悪いのを自覚しつつも、それを誤魔化すだけの口上を吐くくらいが、関の山だった。

 

 




いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。『人間らしく、人間らしい』の作者、綺月銀華でございます。

本話は理子の友誼的な性格を利用して書いてみたのですが、ちょっとしたデート風になってしまいました。良いのだか悪いのだか……。しかも、彩佳が五十万を呉服店で散財するだけのお話です。後半は自分でもよく分からないまま書いておりました。駄文で申し訳ございません。()

話の筋書きを考えていくと、どうやら早々にリメイクした方が良い箇所もありまして、暫くしたらリメイク版を書き上げるかもしれません。その時はまた読んでくださると嬉しいです。試行錯誤しながら、なんとか書いております。

お気に入り・評価・感想など、お気軽にどうぞ! また次回でお会い致しましょう。それでは、これにて擱筆します。
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