眇たる可憐な一少女
──春に殺された。どうやら僕は一時、死んでしまったらしい。目蓋を射す朧気な
「──あ、起きた? おはようっ」
矢庭に両の耳が聞く、心持ち弾んだ少女の声はどこか、この春陽だとか春風だとか、そういった類と同じように、やたら甘美に感じられた。そうして、自分がいま感受している美しいものというのは、あそこに爛漫と咲き乱れている桜の──それぎりではなかったことに、不意に気が付く。
それを自覚すると同時に、僕は思わず、椅子を引くなり身じろいだ。というのも、つい先程の声の主であろう
「……びっくりした。いつから居たんですか」
「うーんとね、さっきから?」
「さっきから、ですか……」
一二〇ほどの
「……早い登校、ですね」
「でしょ? ちょっと用事があったんだよねぇ」
まだ八時を回らない今では、この一年A組の教室には二人ぼっちだった。あとはただ、塵埃が春光に
二重になった目蓋のところには長い
武偵校の制服を羽織っているのかと思いきや、視線を寄越してみると、もはやそれは制服の体を成していなかった。白地のセーラー服に映えるのは、赤色をした襟元、同色のネクタイとプリッツスカートなのだが、それら全てに、着飾った西洋服みたようなフリルが装飾されている。どうやら袖口にもまた、そのフリルで装飾がしてあるらしい。
しかも、その少女の短躯をまとう西洋風の制服を観察していると、およそ十六歳の異性とはなかなか思えにくい、少女らしからぬ胸部をしているのに驚愕した。とうに成熟しきった魅惑的な感じを、双丘から
こうした彼女の風貌は別にしても、とりわけ面識の無い異性に寝顔を覗かれる──などという奇怪千万な、
「ねぇねぇ。もしかしなくても、最年少で芥川賞作家になった綺月彩佳さんでしょ? 本当に綺麗な髪の毛と目なんだね。ちょっと羨ましいかも──なぁんて。くふふっ」口元に当てがった手の合間から、特有らしい愛嬌のある笑い声を
「……ありがとうございます」
その動作に見蕩れているうちに、いま自分が相対している彼女といった存在がまるで、この春に生まれた、魔性の小悪魔みたように思えてきた。少女でありながら少女らしからぬ雰囲気と、窓硝子から射す春光に爛々とした金色の瞳と、そうして、
依然として黙然としている僕に対して、こうした自分の態度を、眼前の小悪魔もどきは、殆ど何も気にしていないようだった。ただ頬杖を崩して、肉惑的な太腿に
これは夢か、はたまた現であるのか──僕はただ、この窓際の最後列にある席に独特の、
夢現のどちらとも付かない僕の脳髄を蕩かしたのは、どうやら、この春だけではなかったらしい。下手をすれば、夢見心地を見せているのは、彼女ではないのか知らん──と勘繰ってしまうほどには、今の自分は動揺していた。それを少しでも緩和させようと思い思い、いったん席を立つ。
「あれ、どっか行っちゃうの?」
すると彼女は、
「えぇ、御手洗の方に」
「ふぅん……。ねぇ、待って」
彼女の傍らを数歩ほど通り抜けたところで、矢庭に指先を掴まれた。
少女は僕を引き止めると、掴んだ手を解いて、椅子から立ち上がる。虚空に靡いた金髪が、皓々とする塵埃の合間を掻い潜って、それらを輝石みたように、彼女の周囲を舞い上げていった。或いは、鼻腔をくすぐる甘ったるい芳香を振り撒きながら、可憐な面持ちの眇々たる少女は、背伸びをして、僕の首元に華奢なその両腕を回してきたらしい。
次に感じたのは、柔和な何かが軽く唇に触れる感触で、それが接吻だと気が付いたのは、目前に迫った小悪魔が、口元で何かしら音を立てたからだった。そうして僕から顔を離すと、首元に回していた腕も解いていく。彼女はそのまま、人差し指で唇を拭い取りながら、或いは、甘美な風に舌舐めずりをしながら、先のような──否、それ以上の、魔性の小悪魔にも相違ない、妖艶な笑みを浮かべていた。
「あのさ、理子と付き合ってほしいなっ」
少女の肌理細かな肌に、ほんの僅かな紅潮の色が差し込まれているように見えたのは、そこに春の陽射しが爛々と降り注いでいるからだろう──それだけを、願っていた。
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