人間らしく、人間らしい   作:雨宮彩織

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小悪魔ふぜい

 閑静な元麻布の高級住宅街に囲まれながら、僕と理子とは黙然とするほど真剣きって、徐に歩を進めていた。彼女が握っている携帯電話の画面には、この周辺の地図と自分たちの現在位置が描き出されている。便利な世の中になったものだね──と嘆息しいしい、手元に視線を落とした。

 

 指先で摘んだ用紙には、依頼の概要が記されている。依頼主の連絡先や住所に始まって、探し猫の品種と名前、性別や年齢まで幅が広く説明してあった。解決金は一人あたり一万五千円で、相場よりも少し多めだろうか──というのも、依頼主の邸宅はこの近所らしい。周辺の立地からどうやら富裕層らしいところを見ると、それも納得できる。

 

 

「ねぇ先生。猫探しって言ってもさ、具体的にどう探すの? 手当たり次第にとか、そういう古典的な方法?」

 

 

 理子は凝視している携帯電話の画面から顔を上げると、僕を上目に見ながら話し掛けてきた。その声色には、何かしら憂慮(ゆうりょ)めいたものが混じっているようにも聞こえる。路地を挟んで(そび)える塗り壁の白に、彼女が靡かせている金髪は映えていた。どれもこれも豪奢に飾った邸宅であった。

 

 

「そんな非効率的で面倒な方法を採るくらいなら、最初から受けていません。これには少しポイントがあって、そこを踏まえていけば、大抵は上手くいくことが多いです。……と言うのは、ほら。この写真を見てください」

 

 

 そう言って僕は、用紙の一部分を人差し指で指し示した。肩を寄せて覗き込んでくる理子に、それを手渡してやる。

 

 

「わーっ、可愛い! 何だっけ? ベンガル猫ってやつ?」

 

 

そこに写っているのは、凛々しくも愛嬌のある顔付きをしたベンガル猫だった。豹柄で茶褐色の毛色をしている。爛々とした瞳が見据えているのは、飼い主の顔だろうか。

 

 

「えぇ。好奇心旺盛で活発、更には人懐っこい性格です。こうした点も勘案すると、捜索の目安になりやすいかと」

 

「ってことは、遠くに行っちゃってるかもしれないの?」

 

 

 探し猫の身を案じるように、彼女は悄然と洩らした。その可能性は低い──と思いたい。こうした思考を裏付ける、ある傾向というものを僕は知っていたので、やや弱気ではあるものの頭を振った。「……恐らく、それは無いかと」

 

 

「この子も例外ではありませんが、殆ど外出をしない飼い猫は基本、半径一〇〇メートルほどが行動範囲と言われています。警戒していますからね。それが、一日ごとに倍になっていく。『ふと逃げ出してから一日しても戻ってきません』とある通り、まずは該範囲を捜索してみましょう」

 

 

「ただ、長引くと心配です。外に慣れてしまうと、警戒よりも好奇心が勝るでしょうから」。アスファルトの舗道に視線を落としながら、今後の手立てを計画する。ひとまずは依頼主の自宅から半径一〇〇メートルを捜索、同時に近隣の住民にも聞き込みを行おうか。広大な邸宅ばかりの高級住宅街だから、なかなか舗道は交差していないが……。

 

 

「よしっ、頑張ろうね! えいえいおーっ!」

 

 

 矢庭に考え込む僕の手を取ったのは、理子だった。そうして繋いだ両手を大きく掲げて、雨催いの向こうに朦朧として見える太陽に透かしている。すると一変して、細々とした憂慮なぞはどうでもよくなってきた。むしろ彼女の奔放で溌剌(はつらつ)とした態度に、自分自身が感化されてきたらしい。春光の温もりが、僕の心臓を(まと)っていくように思えた。

 

 

「……ふふっ。そうですね、頑張りましょう」

 

 

 それから数分ほど歩くと、曇天の下に依頼主の邸宅が見えてきた。和洋折衷の平屋で、なるほど手の込んだ建築がされている。四方を外壁に囲んである邸宅の周囲には、水音さやかに用水路が通っていて、ここからは見えないが川か何かに繋がっているらしい。ここで一旦、歩調を緩めた。

 

 

「外を警戒している猫って、物陰で大人しくしていることが多いんですよね。車の下とか、木の上とか、用水路の中とか、色々と。見てみると怪しい場所、あるでしょう?」

 

 

 そう言って僕は、適当なところを指で指し示す。理子もそれを目で追っていった。

 

「……確かに。気を付けてみる」

 

「うん。それじゃあ、さっそく行きましょうか」

 

「うっうー! らじゃー!」

 

 

 彼女は珍妙な返事をしいしい、両敬礼をするように手を額のあたりに当てる。

 

 ──不意に笑みが零れたのは、そうした少女の姿が、歳頃に相応な女子高生そのものだったからであろうか。どうやら昼下がりの刻から僕は、彼女の横溢していた嫣然と可憐との差異に、振り回されているように思えてならない。理子は一種の遊び心で僕に近付いてきたのだ、と説得しても、同時にそれを首肯(しゅこう)しきることが出来ないでいる。

 

 そうして、『何故、僕に関係を求めるのですか』という質問の一つも、また出来ないでいた。これはどうせ()いたところで有耶無耶に返事されるだけで、本質になぞは手が届かない──と諦観(ていかん)している感情の作用に他ならなかった。彼女は僕を好きだと表層的な好意を投げかけてくるだけで、関係以上のことは要求してこない。理子にとって重要なのは、僕か或いは僕との関係、そこでしかないのだ。結局して、内容は昼下がりの結論から何も変わっていない。

 

 

「先生、まずはあっちから探そうっ!」

 

「……そうですね」

 

 

 溌剌とした少女の声に頷くだけ頷きながら、軽快な足取りで駆けていく理子の後ろ姿を、黙然と見遣っている。気を急かす必要などない、まだ彼女とは始まったばかりだ──そんなことを思い思い、草履の裏を擦り減らしていった。

 

 

 

 

 

 

「──あっ、先生、あそこ!」

 

 

 理子が声を潜めて僕に耳打ちしてきたのは、捜索を開始してから二時間ほどが経過した、午後三時を回った時分のことだった。華奢な手が尚も変わらぬ曇天に照らされて、その指先はアスファルトの舗道を突き抜けている。小川に沿うフェンスの向こうに、彼女は何かを発見したらしい。

 

「野良猫の井戸端会議ですか」。そう返事しいしい、僕は眼鏡のレンズ越しに目を細める。ペンキ塗りのフェンスを超えたところには、整然と切り揃えられた雑草が生えていて、そこに寝転がる野良猫が二、三匹ほどはいるようだ。しかしその中に、何やら雰囲気の違うものが、一匹だけ見える。思わず、安堵の笑みが洩れてくるのを自覚した。

 

 

「ふふっ、作戦成功ですね。まさか本当だとは」

 

「野良猫ネットワーク、都市伝説じゃないんだね……。実際にこれ見たら、流石に信じるしかないんじゃない?」

 

「うーん、何かあるんでしょうね。独特の生活圏が」

 

 

 そんな一言二言を交わしながら、僕と理子とは慎重な足取りをして、井戸端会議中の野良猫たちに接近していく。この二時間で聞き込みはそれなりに行ったものの、どうにも上手い話というのは得られずに終わっていた。日暮れまでに発見できるのだろうかという疑惧も持ち上がりかけていたなかで、いよいよ最後の手段に取り掛かったのである。

 

 そうして試用してみたかった手法が、実はこの『野良猫ネットワーク』だった。都市伝説めいた話だから、まぁ気休めにもならない手段ではあるが、こうして事が円滑に進行していったのは、僥倖か或いは必然であるのか……。

 

『野良猫ネットワーク』というのは、いわば猫的社会圏なのだろうと僕は思っている。それも、猫は人語を理解するという大前提のもとに成り立つものだ。『猫の口コミ』がそれに近い話で、人間よろしく近隣同士の関係に裏打ちされた、情報網──あれは何処の新参だとか、これは一帯の首領だとか、と、そういったものを把握しているらしい。

 

 だから『こういう脱走した飼い猫がいるんだけど、もし見掛けたら一緒にここで待っててくれるかな』といった頼み事も、人間的に一見して珍妙ではあるが、聞いてくれるに違いない──そんな期待を、胸の何処かに抱いていたのである。そうしてそれが、まぁ首尾よく実現したわけだ。

 

 

「この辺りは閑静ですけど、雰囲気は温和ですね」

 

「ね、春っぽい感じ。ごろごろーってしたいかも」

 

 

 用水路を兼ねているらしい小川沿いには、白詰草の咲く芝生が広がっていた。春らしい麗らかな匂いの中に、湿気を含んだような草葉や土壌のそれと、せせらぐ流水と──そんなような芳香とも呼べぬ匂いが綯い交ぜになっている。そこを僕は歩いていって、めいめいに寝転がる猫たちに目元を綻ばされながら、胸臆に安堵を携えて屈み込んだ。

 

 

「ちゃんと一緒に待っていてくれたね。ありがとう」

 

 

 微睡んだような目付きをして、二匹の三毛猫は何も言わないまま、僕を惚けたように見上げている。それから片方が呑気な欠伸を洩らすと、やがて小さな声で鳴いた。お礼の意味も兼ねて指先で頭を撫でてやると、どうやら満足そうに目を細めている。こうして触れたのは久し振りだった。

 傍らの理子は「わーっ、ベンガルちゃん可愛いねぇ! テアちゃんだっけ? モフっていい!? いいよね!? ほら、わしゃわしゃーっ! ……えへへ」などと、一人ではしゃぎながら遊んでいる。こんな彼女の様子に動じないところを見ると、テアという名前のベンガル猫は人懐っこいらしい。

 

 

「君、そんな呑気な顔して撫でられてるけど、ご主人が心配しておられたよ。そろそろ帰ろうか。いいかい?」

 

「だってさ、テアちゃん。理子が抱っこしてあげるねっ。……んふふ、可愛いねぇー。フワフワしてるーっ!」

 

 

 理子はベンガル猫のテアを抱き上げると、その毛並みと肌触りに満足したのだろう──頬を擦り寄せて、喜悦の笑みを隠すことなく零していた。テアも大人しく抱かれていて、嫌がる素振りも見せやしない。むしろ落ち着いているようで、茶褐色の豹柄にある爛々とした瞳を向けている。

 

 それから二匹の三毛猫には「ありがとう。助かったよ」と挨拶をして、またしても微睡んだような目付きを向けられたまま──それでも、揺らした尻尾で返事をされたように思う──依頼主の邸宅へと戻っていった。長閑な自然の匂いも薄れて、人工的なアスファルトの舗装が鼻腔を突く。

 

 理子が振り撒く芳香にも、慣れ始めてきた時分だろうか。彼女が僕に肩を寄せて「先生も、テアちゃん撫でる?」と訊いてきた時に、それをふいと自覚した。「それじゃあ、撫でてみようかしら……ふふっ、可愛いですね」頭を指先で撫でてやると、やはり目を細めて、恍惚(こうこつ)としている。すると、理子はテアに目を落としながら悄然と洩らした。

 

 

「寮でペットが飼えないの、本当に残念だよねぇ……」

 

「……とは言っても、規則ですから。天才的能力がある猫でしたら、何かしら理由をつければ許可されそうですが」

 

「じゃあさ、今からでも天才猫ちゃんを探す旅に──」

 

「行くわけないでしょう。もう疲れましたよ、僕」

 

 

 久々の外出は、虚弱な自分の身体には堪えたらしい。何となく疲弊した感じがするのは、テアを探すのに神経を使ったせいばかりではないだろう。明日は筋肉痛だろうか、酷ければ倦怠感に襲われることになるかも知れない。しばらく外出は控えようか知らん……、などと憂慮しているうちに、「──ん、降りたいの? お家だもんね。おっけーっ」

 

 見ると、理子が抱いていたテアを地面に降ろしていた。匂いか何かで、ここが自分の家だと断定したのだろう──そのまま門の隙間を敏捷に潜っていくと、無垢材らしい立派な玄関扉を前にして、甘えに甘えたような声で一鳴きしたきり、大人しく座っている。僕と理子とは、それを遠目に静観していた。呼び鈴はもう、一度テアが鳴らしたろう。

 

 

「……あっ」

 

 

 そう零したのは、僕だったか理子であったか、そこまでは傾注していなかった。ただ、その一瞬間に二人で顔を見合わせて、意思の疎通を暗々裏に交わしていたらしい。重厚な玄関扉が開いたかと思うと、テアは狭い隙間をものともせずに、身を捩らせて入っていく。その尻尾が、薄暗く見える扉の向こうに融けたあたりで、小さな悲鳴を聞いた。

 

 

「あれ、テアちゃん! 何処に行ってたの……あらら、無視して行っちゃった」

 

 

 老婦人みたく柔らかな声が、段々と接近してくる。それから玄関扉が開き切ると、果たして白髪混じりの老婦人が、調理用らしい前掛け姿のままに見えた。軽く会釈(えしゃく)をされたので、僕はお辞儀をして返事する。そうして玄関先に案内されたところで、彼女は破顔した。

 

 

「お二人がテアちゃんを探してくださったの?」

 

「えぇ。猫探しの依頼を完遂しましたので、ご報告に」

 

「あぁ、東京武偵校の生徒さん! ちょっと待っててくださいな、今すぐにね、依頼金をお渡ししますのでね……」

 

 

 老婦人は即座に室内へと翻ると、十秒しないままに二枚の封筒を手にして戻ってきた。その足元にはテアも一緒で、さぞかし主人と仲が良いのだろうと類推させられる。ひとまず老婦人は僕と理子とに封筒を手渡してから、甘えて主人に擦り寄るテアを抱き上げつつ、簡単な説明をした。

 

 

「額面通りの依頼金を、お二人にそれぞれお渡しします。同封してある書類には、ちゃんと印鑑も押してありますからね。この依頼書を東京武偵校が受理してくだされば、依頼は完了になるんでしょ? ……ね、そうよね。本当に感謝申し上げます。優しいお二人のおかげで助かりました」

 

 

 そう言って老婦人は、やや白濁した瞳を喜悦に爛々とさせて、皺の畳まれた目元を綻ばせた。慇懃(いんぎん)に叩頭されるのを、僕は心持ち気恥ずかしく思いながらも、可愛がっている家族との再会を果たせたならば、喜びもひとしおだろう──などと一考しいしい、安堵に胸を撫で下ろしている。

 

 

「こちらこそ、怪我なく無事に発見できて良かったです。また何かご依頼があれば、東京武偵校へご連絡ください」

 

「テアちゃん、おばぁちゃんと仲良くしてね! また逃げたりしちゃダメだよ? せっかく可愛いんだからさっ!」

 

 

 僕の言葉に続けるようにして、理子はやや前屈みになると、テアと目線を合わせながら相好を崩した。華奢な膝に手を当てて、長い睫毛の煙る目蓋のあたりでは、どうやら眦が下がっているらしい。そんな少女の緩んだ口元からは、愛嬌のある八重歯が、ほんの一瞬間だけ覗いていた。

 

 ──僕がまたしても彼女に見蕩れていたというのは、あながち虚言でもない。しかしそれは、異性に対する感情の何ものでもなかった。恋情に焦がれる憧憬(しょうけい)でもありはしなかった。ただやはり、理子は嫣然な小悪魔でも何でもなくて、単なる女子高生の肩書きを持った少女にしか過ぎないのだろう──それだけを再考して、見蕩れていたのだ。

 

 やがて邸宅を後にしてからも、いよいよ僕は、こうした僕自身の論理を強く肯定しがちになってきた。無邪気に会話をしては、磊落な調子で目元を綻ばせる少女──そこに今朝の面影が融和しているとも見えなくて、せめて融和しているというのなら、理子はやはり、皮被りの少女だろう。

 

 ──告白の返事は、もう決まっていた。

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