「ねぇっ、ここ座ってもいい?」
心持ち弾んだ少女の声につられて顔を向けたのは、ちょうど入学式を終えた直後の、喧噪と雑踏とに塗れた新教室だった。自分の左半身に、窓硝子を擦り抜けた春昼の陽光が射しているのを感じながら、その麗らかな陽気というものを改めて感受しつつ、件の少女を注視すべく目を細める。
着色された眼鏡のレンズ越しに彼女を見詰めていると、色々なことが分かってきた。自分が言うのもなんだろうけれど、殊にこの少女は、日本人離れした風貌をしている。
両側頭部にリボンで結った髪は、胸元のあたりで靡かせていた。余した後ろ髪は腰まで下ろしており、その髪色というのがまた、如何にも西洋人形らしい金髪なのだった。
二重になった目蓋のところには長い睫毛が覗いていて、愛嬌のある大きな瞳は、金眼だろうか──この春光に爛々としていた。綺麗な鼻筋と小ぶりな口が端整な顔付きを形作っていて、少しあどけなさの残る雰囲気ではあるものの、そうした点も合わせて、やはり西洋人形みたく見える。
武偵校の制服を羽織っているのかと思いきや、視線を寄越してみると、もはやそれは制服の体を成していなかった。白地のセーラー服に映えるのは、赤色をした襟元、同色のネクタイとプリッツスカートなのだが、それら全てに、着飾った西洋服みたようなフリルが装飾されている。どうやら袖口にもまた、そのフリルで装飾がしてあるらしい。
しかも、その少女の短躯をまとう西洋風の制服を観察していると、およそ十六歳の異性とはなかなか思えにくい、少女らしからぬ胸部をしているのに驚愕した。とうに成熟しきった魅惑的な感じを、双丘から横溢させている。のみならず、これまたフリルをあしらったハイカットを履いた太腿は、雪肌の艶めかしい健康的な少女のそれであった。
「えっ、何で睨むの!? 理子なんか嫌なこと言った!?」
どうやらリコというらしい目前の少女は、自分が彼女の風貌を観察している様子を、何かしら勘違いしたのだろう──慌てたような手付きをして、両の手で口を押さえた。
こうした誤解を手放しにしておく自分ではない。首を軽く横に振ってから、リコと名乗った少女の瞳を見詰める。
「いえ。視力が低いので、貴女の風貌を観察するには、目を細めるくらいしかありませんでした。初対面の相手に、流石に近付いて観察するわけにはいかないでしょう。誤解を生んだことは謝ります。あ、どうぞ座って下さい」
そう釈明すると、彼女は安堵したように「なんだ……」と溜息を洩らした。「じゃあ、遠慮なく座らせてもらっかなぁー」そのまま溌剌な笑みを零すと、言葉の通りにして隣席に腰を掛ける。虚空に靡く金髪とか、制服だとかに合わせて、彼女の芳香も風に乗るままに漂流してきた。それは少女特有の甘美なもので、嫌でも鼻腔をくすぐってくる。
「ねぇねぇ」両の手で頬杖を突きながら、彼女は瞳だけをこちらに向けて自分に問い掛けた。「もしかしなくても、芥川賞作家の綺月彩佳さんでしょ? 本当に綺麗な髪の毛と目だね。ちょっと羨ましいかも──なぁんて。くふふっ」愛嬌のある笑い声を洩らしつつ、隣席の少女は、からかいだか照れ隠しだか、そんなような風で目元を綻ばせた。
その刹那に、不意に一帯の喧噪が森閑としてきたので、何だろう──と自分も彼女も揃って様子を窺い見ると、廊下を抜けて教壇の方へと歩いてくる一人の女性を視認した。日本人らしい茶髪をしていて、目を凝らしてみると、眼鏡を掛けているのが分かる。穏和な雰囲気の女性に思えた。
「さて、A組の子はみんな居るかな……。うん、全員とも居るみたいですね。それじゃあ、先生の自己紹介を兼ねたホームルームを少しだけしてから、今日は解散になります」
まだ若々しい雰囲気のあるその女性は、手短に告げてから背面にある黒板に向き直った。そうして新品のチョークを指に摘むと、『高天原ゆとり』の六文字を大きく書き示す。どうやら彼女は、自分たちの担任を受け持つらしい。
高天原先生は、服の上に落ちたチョークの粉末を手で払い払い、自分たち生徒を教壇から一望するようにして見回した。それから、成程というように頷くと、また口を開く。
「一年間みんなの担任になる、高天原ゆとりと言います。二十二歳です。こう見えて、探偵科の顧問もやってるので──この中に、探偵科の子も居るでしょ? そうしたら、お互いにお世話になると思います。その時は宜しくしてね」
そう言って、先生は笑顔を見せた。どうやら彼女は自分の在籍するA組の担任だけでなく、探偵科の顧問まで担当しているらしい。かなりお世話になりそうだな、と予感する。
そこからの話は、どこの学校でも聞くようなものばかりだった。「四月中は名札を着けててね」と名札を貰ったり、「これは時間割の紙だよ」とプリントを配られたりした。
武偵校らしいところと言えば、「帯銃と帯刀はしっかりすること」「各専門科目の棟は使っていいけど、授業は明日からね」「一年生が依頼を受けられるのは、これも明日からになってます。そこも注意してねぇ」くらいだろうか。
結局そんなままでホームルームは過ぎていって、あらかた話したい話題も尽きたらしい先生は、「じゃあ最後に、これだけ話して終わりにしよっか」と時計を見ながら笑う。何だろう、とクラスメイトたちがいっせいに耳を傾けた。
「特に要望がなければ、今の席のままで明日から授業するけど……大丈夫? 自分の都合で席を変えたいとか、そういう人はいないかなぁ。……うん、特にいないみたいだから、明日からはこの席で始めたいと思います。何ヶ月かして、席替えをしたくなったら言ってね。また対応します」
というような話だけを残して、高天原先生は簡単な挨拶とともに、忙しそうな挙動をしいしい教室を去っていった。脚元で眠っていた塵埃が春昼の陽射しに皓皓と照らされながら、この教室の天井あたりにまで舞い上がっていく。それら塵埃が目を覚ますのと同時に、閑静は眠りについた。
「……なんか席が決まっちゃったけど、良かったの?」
隣席の少女は、気抜けしたような口調でそう訊いてくる。良かった、とはどんな意味だろうか。『君の席はここで良かったの?』なのか、『自分がここに座っていてもいいの?』なのか──どちらにしろ、それに問題はなかった。窓硝子の向こうにある大東京を一瞥してから、口を開く。
「僕はこの、窓際の最後列の雰囲気が好きなんです。ちょっと
この蒼天には、一つの千切れ雲すら浮かんでいなかった。ただ春霞だけが悠々と、茜と紫金の階調を覆い尽くしている。陽光はその朧気を掻い潜って、誰に降るともなく、音も香もしないままに、静謐に地表へと降り立っていた。
彼女はそうした自分の答えを聞くと、その肌理細かな頬に、段々と紅潮を差し込ませていったように見える。この少女にだけ、春の陽射しが燦々と降り注いでいるのではないのかしらん──と錯覚してしまうような、そんな喜色満面の面持ちをして、長い睫毛を覗かせるように笑った。
「そっか。実は理子もね、窓際の席が好きなんだぁー。のんびりできるし、外もよく見えるし──あっ、そうだ!」
矢庭に声を上げた彼女は、そのまま椅子ごと自分の方に向き直る。何をするのだろう──と勘繰りながらも、取り敢えず彼女の動作に合わせるようにして、身体だけを向けた。自分と相対している少女は、肉感的な太腿に華奢な手を当てながら、また彼女特有らしい笑い声を零している。
「くふふっ。ねぇ、自己紹介やろう?」
「自己紹介……、確かに。やりましょう」
「じゃあ、まずは理子からね!」
そう言って、彼女は名札を見せてくれた。そこには『峰理子』と彫られている。軽く頷くと、理子は話を続けた。
「峰理子って言います! 誕生日は三月三十一日で、十五歳になったの。あと、学科もランクも
ハイタッチを求めてきた彼女に合わせて、自分も手の平を向ける。それが上手く重なったのか、軽快な音が聞こえてきた。自分と理子とは何がなしに笑みを零しながら、その余韻に浸っている。一瞬だけ触れた異性の手は温柔で、その温もりがまだ、手の平に残っているような気がした。
たった数分きり話をしているだけなのに、何故だか既に、峰理子という少女の性格を理解したような気がしていた。けれども、それは全くの自信過剰に他ならないことは、自分がいちばん分かり切っている。それでも、そう思ってしまうほどには、彼女の口調や挙止動作は特徴的だった。
「じゃあ次は、
「……今更、僕が自己紹介する必要ってあります?」
「理子が聞きたいから話して! 拒否権は無しね!」
そう告げた彼女は、たいそう楽しそうな笑顔を浮かべている。眦が下がっているばかりでなく、口元も緩んでいて、なんだか猫のような形だな──と思いながら口を開いた。『拒否権は無し』という要望に、思わず苦笑してしまう。こう自己紹介をするのは、新人賞の受賞式以来だろうか。
「えっと、作家の綺月彩佳です。十一月十二日生まれの十五歳で、探偵科に入科しました。ランクはAです。趣味は読書の他に将棋、囲碁で、おじいちゃんに習いました。好きなものは……猫でしょうか。どうぞ宜しくお願いします」
照れ隠しの笑みを零しつつ、軽く叩頭してから、彼女の反応を、乳白色の前髪の合間から窺い見る。──すると、どうしたことだろうか。両の手を強く握りながら胸元に掲げていて、先程よりも爛々とした瞳の色をしいしい、頬に紅潮を差しながら、少女は自分を食い気味に見詰めていた。
「猫を、その……モフったり、してるの?」
「えぇ、まぁ。実家に一匹いるんですけど、よく一緒にお昼寝したり、それこそ撫でてやったり、色々と」
「えー、いーなぁー! 理子もモフりたい!」
彼女は羨望の眼差しを自分に向けながら、何故だか拗ねたようにして口を尖らせた。とはいっても、実家の猫を愛玩していたのは、せいぜい京都を発つ数週間ほど前までで、そこから今に至るまで、なんと野良猫の頭文字すら見ていない。気まぐれに猫と遊びたいのは、自分も同じなのだ。
そのことを説明すると、途端に「あれ、そうだったの? 理子は野良猫、朝に見かけたけど……。でもモフれなかったなぁ……」と目を瞬かせながら、気抜けした声を洩らした。自分としては、見ただけでも羨ましく思えてしまう。
猫を見かけるのは、果たしていつになるやら──と思いながら、羽織っている制服の内ポケットから懐中時計を取り出した。銀の鎖に繋がれている本体は和光謹製で、文字盤を取り囲むように、蔦らしい紋様が刻まれてある。懐中時計らしくアンティーク調の雰囲気を醸成しながら、秒針は一秒ごとに時間を削り取っていく。十時半を指していた。
「わ、懐中時計だ! 洒落たもの持ってるねぇー」
「えぇ、まぁ。芥川賞受賞式の際に戴いたものです」
そう言って、文字盤の裏を彼女に見せる。『第139回芥川龍之介賞 贈 綺月彩佳君 日本文学振興会』と書かれていた。芥川賞の創設当時は貧しい若者が多かったために、簡単に現金に換えられるような、銀の懐中時計にしたらしい。正賞は記念に残る品物であるべきとも言われていた。
「これ、和光のやつだよね? 結構高いんじゃない? これと似たような懐中時計で、確か、二十何万とか……」
「……結構するんですね。予想以上です」
陽線に銀光する懐中時計を覗き込みながら、彼女は些か驚いたように、その懐中時計と自分の瞳とを交互に見遣る。
まさかに高価そうではあると思ってはいたものの、二十何万もするような代物だとは、到底、考えもつかなかった。一度そう思ってしまうと、なんだか身に付けていることすら怖く思えてきて、そっと内ポケットに戻すきりだった。
その刹那に、ふと十時半という時刻を思い出す。文字盤に踊る長針と短針が示した、十時半──自分が一挙に思い出したのは、十時半という時刻のそれぎりではなかった。今から向かえば、恐らくお昼時には間に合うだろうか──。
「すいません。話途中で申し訳ありませんが、少し用事を思い出しました。すぐに行けるならば、行きたいのですが……。お時間があるなら、手伝っていただけませんか」
そうした自分の頼み事を、彼女は不思議そうに聞いていた。口元に指を当てて、考え込むように目を伏せている。それでも矢庭に顔を上げると、「うん、いいよっ。理子もどうせ暇だしね。何すればいいの? もしかして、こう見えて──実はデートのお誘いだったりする? くふふっ」
「……そんなわけないでしょう。付き合ってくださるのは有難いですけど、曲解されても困ります。取り敢えず、そろそろ出ましょうか。早めに到着して損はありません」
口元に手を当てて、
「もしかして、ちょっと怒ってる?」
「……呆れただけです。怒ってはいません」
「えへへっ、それなら良かったぁー」
締まりのない笑みを零す隣の少女に、自分は小さな溜息を一つ吐きながら、そのまま廊下へと抜ける。一瞥した彼女は、心做しか、自分に歩調を合わせてくれているような感じがした。広めの廊下には、制服やセーラー服が雑多に行き交っていて、雑踏の坩堝に放り込まれたかのようだ。
その最中を掻い潜って、自分と彼女とは昇降口まで向かっていった。意外にも人影はまばらで、まだ校内に留まっている面々の方が多いらしい。下駄箱に入っている外靴の数を適当に数えながら、自分も外靴に履き替えていく。
「あっ、そうだ。少し自室に寄りますね」
そう告げた時の彼女の顔が、射しかけている春光にあてられてよく見えた。手提げ鞄を片腕に抱き抱えて、爪先立ちをしいしい、少し高い位置にある下駄箱の口に手を入れて、エナメル製の靴を取っている。ちょっとだけ面食らったような顔をして、その金眼をこちらに向けていた。
「やっぱり、理子をお家デートに誘うつもり?」
手提げ鞄で緩んだ口元を隠しながら、またしても彼女は眦を下げて嫣然に笑う。瞳に覗かせた黒い睫毛が、健康的な少女の雪肌に映えていて、こうした彼女の魅力を手放しにしておく者はいないだろうな──と何がなしに直覚した。
「違います。私服に着替えたいので」
「
「僕の私服、見世物じゃないですよ」
一人で
皆様、またお目にかかりましたね。投稿時点では朝方なので、おはようございます──と挨拶をしておきます。当方は『人間らしく、人間らしい』の作者、綺月銀華です。
ようやく本編に入る形となりました。「ねぇっ、ここ座ってもいい?」から始まる物語です。本編は彩佳の一人称視点で描写していきますが、その中でも今回は、とりわけ理子の魅力を引き立てるような描写にしてみました。天衣無縫、天真爛漫といった言葉が似合うのが理子ですね。
そうして同時に、新聞記事や会見では分からなかった彩佳の一面というのも、把握できたのではないでしょうか。祖父の綺月明暒に教わった将棋と囲碁ですが、実は2人とも……。機会があれば、そのうち描写してみようかしら。
また彩佳は、猫が好きなようです。この様子だと理子も好きそうで、お互いに猫が好きというのは一致しているのではないでしょうか。可愛いですね。猫も、2人も。
果たして彩佳の用事とは何なのでしょうか。そうして、理子に手伝いを求めた理由とは? 次回もお楽しみに! お気に入りや評価、批評などの感想もお待ちしております。