東方狐神録   作:パック

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黒霧異変②

 

 

 瞼を開いた先は見知らぬ天井だった。

 

 「……え、ここどこ?」

 

 目をこすりながら、体を起こす。

 広々とした和室、その中央に敷かれた布団の上に、自分は寝かされていた。

 周りをを見渡せば、高級そうな調度が並んでいる。

 それらはどれも豪奢でこそないが、上品な品で、部屋の一室を彩っていた。

 

 「ッ痛!」

 

 立ち上がった瞬間、足に痛みが走る。

 

 「そうだ、私妖怪に襲われて……」

 

 あまりの恐ろしさに気絶してしまったのだった。

 怪我をした箇所を見れば、きっちりとした手当てが施されている。

 

 「誰かが私を助けてくれたってこと? でも一体だれが……」

 

 困惑しているうちに、部屋の襖がゆっくりと開かれた。

 そこから姿を表したのは、黒いスーツに身を包んだ長身の女性。

 腰の皮ベルトには一振りの刀を差している。

 凛とした雰囲気を纏う、綺麗な人だった。

 女性が柔和な笑みを浮かべる。

 

 「お目覚めになりましたか。お体の調子はどうですか?」

 

 「えっと、大丈夫です。あの、あなたが私を助けてくれたんですか?」

 

 「いいえ、違いますよ。あなたを助けたのは創一様です」

 

 「え?」

 

 意外な名前の登場に、私はつい声を挙げてしまう。

 最も、それは私が知る人物と同一かどうかはまだ決まったわけではないが。

 女性は驚く私の顔を見ると、意味ありげに微笑んで、

 

 「少しお待ちください、今創一様を呼んで参りますので」

 

 私にくるりと背を向けて、女性は襖の奥へと消えてしまう。

 代わる代わるの状況に、私の脳の理解は追いつかない。

 どうしようもないので、大人しくそこで待っていると、しばらくして再びスーツ姿の女性が顔を出した。

 そして、その背後には――

 

 「やぁ、小鈴ちゃん」

 

 ひらひらと手を振る少年、創一さんの姿があった。

 人里であったときとは違う、真っ白な装束に身を包んだ創一さんは、女性と同じく刀を一本腰に差している。

 少年の視線が慮るように私の怪我をした足へと注がれた。

 

 「怪我の具合はどうだ?」

 

 「あ、えっと、まだ多少痛みますけど大丈夫です。全然問題ないです」

 

 言いながら、私は怪我をした足をぶらぶらと動かして見せる。

 自分の爪で引っかいただけの傷だ。特段深いわけではない。

 その割にはかなり痛いが。

 

 冷静になって考えると、あの時の自分は少しどうかしていた。

 もちろん、思うように動かない体に悔しさと憤りは感じていたが、だからと言って、血が出る程自分で痛めつける程でもなかった。

 

 ただ、何故だかあの時は後ろ暗いことばかりが頭に浮かんでいたのだ。

 もしかしたら、あの時聞こえた悍ましいの声や、黒い霧が関係していたのかもしれない。

 

 いまいち正確には覚えていないが、以前私はある妖魔本の付喪神にとり憑かれたことがあった。

 それと同様にあの奇妙な霧や骸骨のお化けの妖気だとか、そういう類のものに私が充てられていた可能性は十分あり得る話だろう。

 

 創一さんは視線を下から上に上げ、私の顔をまじまじと見つめた後、小さくうなずく。

 

 「うん、無理をしてるわけではなさそうだな、大した怪我がなくて良かった」

 

 そう言って彼は優し気に微笑んだ。

 それは演技のようにはとても見えなかった。

 本当に私を心配してくれていたということが伝わるものだ。

 

 阿求との会話が脳裏によぎるが、やはり、目の前の彼が、悪い人外のようには見えない。

 だが、怪物に襲われていたはずの自分を助け出したのだというからには、少なくとも普通の人間ではないことは確実だ。

 

 胸に一抹の不安がよぎるか、勇気を出して、私は堂々と尋ねることを決める。

 決心を固めた私の顔を見て、彼が少し驚いたように目を見開くのが見えた。

 

 「――あの!」

 

 思わず声が上った。少し気恥しいが、構うものかと言葉を続ける。

 

 「助けて下さってありがとうございます。それで……それで……一つ聞きたいんですけど…………」

 

 そこで言葉が詰まった。

 勇気を出したはずなのに、直前になってしり込みしてしまう自分の心の弱さが嫌になる。

 気まずさに顔を背けたくなる私とは裏腹に、創一さんは真っすぐに此方を見据えた。

 こちらを急かすようなものではない。

 ただじっと、私の歩調に合わせて見守ってくれるような、そんな眼差しだった。

 

 その宝石のような青い目を見ていると、やはり目の前の少年は人のようには思えない。

 人智の及ばない存在、そう思えてくるのだ。

 しかし、不思議と恐ろしくは無かった。

 

 「――創一さんは何者なんですか?」

 

 気づけば、自然にその問いが口について出ていた。

 あれ程躊躇していたはずなのに、驚くほどあっさりと。

 

 「私の友達に、人が外から故意に幻想郷に移り住むなんてあり得ないって言われて……あ、でも誤解しないで下さい! 私、妖怪の人たちだって気の良い方はたくさん居るって知ってますから……だから、ちゃんとそうならそうって言って欲しいんです。恩人を、創一さんを疑いたくないんです……」

 

 言い終わった後、本の少しの間が生じた。

 降って湧いたような沈黙の重圧に私が今にも押しつぶされそうになっていると、創一さんが小さく息を吐き、そしてゆっくりと口を開く。

 

 「……なるほど、ここまで直球だとはな……」

 

 呆れたような、けれど何処か楽し気な声。

 

 「……え?」

 

 思わずぽかんと私が開いた口を閉じれないで居ると、創一さんは困ったような笑みを浮かべる。

 

 「いやなに、疑われているのは何となく分かってたけど、妖怪かもしれない相手に、あなたは妖怪ですか、なんて聞くとは思わなかったもんだから……」

 

 「それは無謀だ」と創一さんは付け加える。

 

 「もし俺が仮に悪意がある妖怪だったら、その質問は命取りになる。此処は俺の住処だ、小鈴ちゃんに逃げ場はない。妖怪退治の専門家だって、こんな状況じゃ助けには来られない。それは分かるだろう?」

 

 諭すような口調で創一さんが言う。

 確かに、一から十まで彼の言う通りだった。

 私の今の言動はあまりに浅慮で、阿求なんかが聞いたら私は烈火の如く説教を喰らうだろう。

 

 「すいません。確かに、言われてみるとそうですね。でも、じゃあ創一さんは……」

 

 「俺は人間だよ。一応ね、ただ少し特殊な家系の者でな」

 

 「家系ですか?」

 

 「あぁ、稲荷明神たる宇迦之御魂神に仕えるとともに、その命によって人を脅かす妖怪退治を行う、それが狐守家の代々の役目だ。最も、俺はその任をついこないだ解かれたばかりなんだかな……つまり、俺はこの郷に早めの隠居生活を送りに来たんだ」

 

 隠居、私より幾らか上くらいの齢の少年には、ひどく似つかない言葉だ。

 しかし、おかげで渦巻いていた疑問はきれいさっぱり解決した。

 

 「じゃあ、創一さんも妖怪退治屋の人なんですね。良かったー、実は悪い妖怪だったとかじゃなくて……」

 

 ほっと私は胸を撫でおろした。

 そう言えば、阿求は狐守と聞いたときに驚いていたようだった。しかし、狐守家のことを知っていたのなら何故教えてくれなかったのか。

 

 その場で言ってくれれば、私もここまで胸にしこりを抱えることは無かっただろう。

 次に阿求に会ったときは是非この不満を抗議しよう、そんなことを考えていると、「さて」と創一さんが手を叩いて音を鳴らす。

 

 「さそれじゃあ誤解も解けたことだし、小鈴ちゃん、今から君を家に送ろう。と言っても、悪いが俺は今この場を離れられないので、この氷雨に同行させる。安心してくれ、腕は立つ。妖怪だろうと怨霊だろうと、君には指一本触れさせないことを約束しよう!」

 

 そう言って、創一さんは傍らの女性を親指で指し示した。

 

 「あ、はい! 有難うございます! よろしくお願いしますね、氷雨さん」

 

 「はい、こちこそよろしくお願いします」

 

 私が氷雨さんに頭を下げると、彼女もまた、恭しく頭を下げる。

 思わず見とれてしまうような、品のある所作だった。

 そう言えば、彼女は創一さんのことを様と敬称で呼んでいた。

 

 神様に代々仕える家系と言っていたし、もしかすれば創一さんはかなり良いところの出なのかもしれない。

 鈴奈庵に遊びに来るときはよく一人で来るけれど、人里の中でも指折りの名家である阿求だって、普段はお付きの人を侍らせていた。

 

 阿求は私にとって気の置けない友人だが、そういうときばかりはなんだか家柄の差のようなものを意識してしまって、気後れしてしまうものだった。

 

 しかし、不思議なことに目の前の女性は凛とした雰囲気とは裏腹に、親しみやすくもある。

 阿求の家を訪ねたときに、最初に応対する侍従の方たちのような形容しがたい圧をまるで感じなかった。

 

 「あ、そうだ! 小鈴ちゃん、これを持っといてくれ」

 

 何かを思い出したように声を挙げた後、創一さんが懐からとり出した小さな袋を私へと手渡す。

 

 「これは?」

 

 「瘴気除けのお守りだ。外は今黒い霧で覆われているから必要になる。本当だったら、この屋敷に居てもらった方が安全なんだが、この非常事態に娘が人里に居ないとなったら、親御さんも心配するだろう? 肌身離さず持っていてくれ」

 

 「分かりました! 何から何まで本当にありがとうございます! あ、そうだ! 今度是非うちのお店によって下さいね、本、お安くしときますから……」

 

 本当はそんなことを勝手に約束しては行けないのだが、創一さんは私の恩人。お父さんだって、それを聞けば多少は便宜を図るのを許してくれる……はずだ。

 

 「あぁ、この異常事態が鎮静化したら、寄らせてもらうさ。もちろん、こないだ約束した外の世界の本をたくさん引っ提げてな……」

 

 そう言って、創一さんはにこやかに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「行ったか……」

 

 氷雨に連れられた小鈴が出発するのを見送って、創一は一つ息をつく。

 幻想郷は今一帯が黒い霧で覆われており、怨霊たちもちらほら湧き出ている。

 だが、氷雨がついていれば小鈴を人里に安全に送り届けるくらいは可能だろう。

 

 小鈴の身の安全はこれで保障された。

 故に創一は次の事案に思考を働かせる。

 

 幻想郷では異変が起こることは珍しくない。

 創一が目を通した幻想郷縁起にも、今まで起こった様々な異変について記載されていた。

 だが、どうやら今回起こっているこの異変は今までのそれとは毛色が違うらしい。

 

 普通の異変であれば、非殺傷のスペルカードルールに乗っ取って行われるはずだが、小鈴を襲った怨霊たちには、そんな素振りは無かった。

 つまり、この異変は明確な悪意や敵意を含んだ、この幻想郷を壊し得るものだ。

 

 創一にとってこの郷はようやく見つけた、第二の人生を歩む場。

 此処を追われれば、外での行き場を無くした創一は、他に生きる場所がない。

 もはや静観しているわけにもいかなかった。

 

 「……はぁ、仕方ない。働くか……」

 

 ため息を吐きながら、創一はくるりと踵を返し、自らの屋敷の応接間へと足を運んだ。

 

 「――よし、ちゃんと居るな。六花、見張りご苦労様」

 

 自分が小鈴に応対していた間、ずっと監視を担っていてくれた水色の髪の少女に労いの言葉をかけ、創一は、その対面に座すもう一人の少女へと目を向ける。

 直前まで部屋中を右往左往していた、少女の視線が、真っすぐに創一へと返された。

 

 「もう、遅いよ! 待ちくたびれちゃった!」

 

 言葉とは裏腹な、空っぽな緑色の瞳を煌めかせて、少女――古明地こいしは笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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