東方狐神録   作:パック

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 遅くなってすみません。


黒衣の男

 

 

 

 鬱蒼と生い茂る森の中を創一とこいしの二人は歩いていた。

 目に映る草木はどれも尋常な姿をしていない。

 人すら飲み込めそうなサイズの食虫植物に、椅子にでもできそうな巨大な茸。

 尋常の植物とはかけ離れたものばかりがその森には自生していた。

 

 魔法の森。それがこの森の名前である。

 森で生きる植物のほとんどが強い魔力を秘めており、とりわけ茸に至っては、人体に有害な瘴気をまき散らしている。

 

 人間が此処で数刻も過ごせば、発狂するか、衰弱するか、精神か身体のどちらかが病むのは間違いなかった。

 もっとも、人外や術理に通じた者にとっては、この程度の瘴気はわけが無い。

 こいしはにこにことした笑みを絶やず、創一もまた白い狐面の下で、無感情な顔を浮かべたまま、ただ黙々と歩みを続けていた。

 

 二人が目指す場所は、異変の大元、幻想郷の地下奥深くに存在する世界、旧地獄である。

 既にうち棄てられ、本来の機能を失った地獄へと続く道は、幻想郷の各所に点々として存在している。

 魔法の森はそんな場所の一つだった。 

 

 歪な木々が覆う中、ぽつりと存在する洞穴を前に、創一が足を止める。

 

 「此処でいいのか?」

 

 洞穴の闇に目を向けながら、創一がこいしへと尋ねた。

 この洞穴のことを創一に教えたのは彼女なのだ。

 

 「うん、そうだよ。私は此処から地上に出たの。お姉ちゃんがこの道は人に知られてないだろうから、大丈夫だって……」

 

 地底と地上を繋ぐ通路は今、勢いづいた怨霊たちが闊歩している状態であった。

 いくら黒霧で力を底上げされたといっても、怨霊は怨霊。

 亡霊の位階に上がっていない者は、その辺の幽霊とそう変わらず、決して強力な存在ではない。

 

 しかし、無駄な戦いを避けられるに越したことはないのだ。

 怨霊など、いくら潰したところでキリがあるものでもない。

 故に、創一はできるだけ接敵せずに地霊殿へと向かう選択をしたのだった。

 

 周囲を経過しながら、創一は洞穴の中へと片足を踏み入れた。

 湿っぽい空気が頬を撫で、かび臭いかおりが鼻を刺激する。

 

 洞穴の闇は深い。緩やかな下り坂は延々と続いているかのように思えた。

 あの世にまで通じている、万人がそれを聞いても信じそうな程に、放たれる雰囲気はおどろおどろしい。

 

 創一は自分の左手を握ってひと時も離さないこいしへと向き直る。

 切迫した状況を心細く思っている、というわけではなさそうだった。

 

 少女の行動は自分を視認する存在への強い好奇故だろう。赤子が初めて見るものに触れたり、口に入れようとしたりするのと同じ原理の行動である。

 異能を突破し、自分を難なく視認する創一の存在が、彼女にはひどく珍しい映ったらしかった。

 

 「それじゃあ、早速乗り込むぞ。準備はいいか?」

 

 創一の尋ねる声にこいしは答えない。

 その綺麗ではあるが、恐ろしく無機質な緑の瞳を創一へと真っすぐに向けたまま、こいしは少しの間沈黙を貫いた。

 流石に不信に思った創一が再び声をかけようとしたとき、ようやくこいしが口を開く。

 

 「……ねぇ、本当にいいの?」

 

 「何がだ?」

 

 「本当に自分一人で異変解決するつもりかってことよ。間が抜けたような振る舞いもするけど、あの紅白の巫女凄く強いのよ」

 

 「……見れば分かる」

 

 神社を血で汚したと、鬼のような剣幕で問い詰めてきた巫女の顔を創一は思い起こす。

 彼女が尋常ではない力を持った者であることくらい理解はできていた。

 あの場に居た、白黒の魔女と緑の巫女も同様だ。

 外の世界にも妖怪と戦える人間は一定数存在しているが、あのレベルの者はそうはいない。

 

 「じゃあ、なんであんなこと言ったの?」

 

 ますます分からないと、こいしが眉を潜める。

 少しの逡巡の後、創一は語り始めた。

 

 「博麗の巫女については、俺をこの郷に勧誘した八雲紫やこの地に住む知己に聞いていた。魔境とも呼べる幻想郷の調停者だってな。だから俺はってきり……もっと化け物が来ると思っていた……」

 

 だが違ったと、創一は続ける。

 

 「もちろん、妖怪退治を生業にしてるだけあって、常人とは心のあり様が多少は異なるみたいだが……でも、ちゃんと人だった。人より強いだけの只の少女だ」

 

 創一の顔は狐面で覆い隠されているため、こいしにはその表情を伺いしる手段は無い。だが、不思議とこいしには少年が何処か羨し気な表情をしているように思えた。

 既に覚としての第三の目を閉じているにも関わらず、目の前の少年の心が垣間見えた様な気がしたのだ。

 

 「……あなたは違うの?」

 

 こいしの問いに、創一は僅かに顔を伏せた。

 

 「……あぁ、残念ながら違うんだろう。少なくとも俺は、自分の役目と友人を天秤にかけられたら迷わず前者を選ぶ」

 

 結果的にはそれが最善の方法となるのかもしれない。迷う心が役に立つこと等そうは無いのだ。だが、その葛藤が人間らしさというものでもある。

 

 「でも、霊夢も結局悩んだ末に役目をとるかも……」

 

 「それはないさ」

 

 きっぱりと言い切って、創一はゆるゆると首を横に振る。

 

 「俺が尋ねた時点で、あいつは既に心を決めていた。立場に雁字搦めにされているのかと思ったら……自由な奴だった。無駄なお節介だったかもな」

 

 そう言った創一の声は呆れているようで、しかし何処か楽しそうでもあった。

 

 「まぁでも、現実というのは非情だ。特にこの異変、起こした奴は相当捻くれた外道だろうからな、人間らしさは弱さになる」

 

 「外道……確かにそうね。怨霊と暴れたがりの鬼だもんね」

 

 「そいつらもそうだが、俺が警戒してるのはもう一人。お前に追手を仕向けた奴だ、この黒い霧もたぶんそいつが出したんだろうな」

 

 創一の脳裏に浮かび上がるのは一匹の鴉だ。

 式神と視覚を共有する術はあるが、あそこまで気配を悟らせずに監視することは並大抵のことでは無い。

 術者の尋常ではない力量が伺える。

 

 「あぁいう搦め手好きの相手は厄介だ。それに、適材適所というか、折角の弾幕ごっこ(平和的解決)を蔑ろにして暴れるような奴が相手なら、俺が出ばった方が良い」

 

 手段を選ばない手合い相手には、相応のやり方というものが求められる。

 そして、それは創一が既に外の世界で培ってきたものだ。

 毒を以て毒を制するという言葉があるが、自分こそがその毒に相応しいというのが創一の判断だった。

 

 「安心しろ、こう見えて腕は立つ。見込み違いだと思えば、切り捨てて逃げればいい。お前の能力なら簡単なはずだろ?」

 

 創一の言葉にこいしは一瞬目を丸くし、やがてこくりと頷いた。

 

 「私のことが見える人が減るのは残念だけど……分かった! 使えないと思ったら見捨てて一人で逃げるね!」

 

 笑みを浮かべたまま、傍から聞けばあんまりな台詞を親指を立てて元気よく言いきるこいしに、創一は狐面の下で少しだけ口元を緩ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吐き出す呼気と共に、銀色の輝きが振るわれた。

 血飛沫が上がり、どさりと何かが地に崩れ落ちる音が響く。

 

 地に積み上がるのは死骸の山だ。

 それは実に鮮やかな切り口で斬殺された、妖怪の死骸で構成されている。

 

 黒い霧の中でもなお、不思議と褪せない刀身の輝きを一瞥し、氷雨は自分の愛刀を鞘へと納めた。

 彼女が倒した刺客の数は、これで丁度二十となる。

 

 最初に創一たちを襲ったという機械人形は終ぞ顔を出さなかった。

 単に品切れなのか、それとも通じないという判断なのか、今回刺客として襲い掛かって来たのは、どれも妖怪化した獣、妖獣たちだ。

 そして、そのすべてが式を被せられ、力を強化されていた。

 

 「……迂闊でしたね」

 

 氷雨はそう呟くとともに、頬に走った一筋の傷から、垂れる血を指で拭う。

 最初の刺客は本当に大したことは無かった。

 だが、次の刺客は最初のよりは強かった。

 その次の刺客は更に力を増していた。

 最後の刺客には唯一傷をつけられた。

 

 刺客の顔ぶれは特に変わっていない。どれも均一な低級の妖獣であった。

 それらの間に明確な力の差は無いはずだ。

 しかし、後になるにつれて明らかに妖獣たちは力を増していた。

 

 その事実が指し示す事実は一つ。

 同じく式神である氷雨が気づかないわけはない。

 式神は主人の傍でこそ、その真価を発揮する。

 

 「――お前がこいつらの主人か?」

 

 鋭い眼光で、氷雨は空からふわりと舞い降りた人影を睨みつける。

 真っ黒な外套を身に纏った、長身の男だった。

 翁の面を被っているため、年齢は分からない。

 ただただ不気味な男だった。

 

 「ふむ、儂の目に気づく程に聡い者が、あの覚妖怪の妹に仕掛けた発信機に気づかないわけがないだろうとは思っていたが……」

 

 ひげをさする様な動作で男が自分の顎に手を当てた。

 

 「まんまと私の主人に嵌められたというわけだな」

 

 刀の柄に手を当て、男に警戒しながらも、氷雨は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 しかし、男は悔しがるどころか、むしろ心底嬉しそうな様子を見せる。

 

 「はは、そうでもないさ。もともとダメ元だったんだが……まさかこんな大物が釣れるとはな……」

 

 「何? どういう意味だ?」

 

 訝しむ氷雨に、男は笑いながら応える。

 

 「京の都を騒がす妖喰らいの餓狼、剣術一辺倒のどこぞの二流陰陽師に先を越されたときは、悔しい思いをしたものじゃ。しかし、こうして再びお鉢が回って来た。のう氷雨よ」

 

 「――は?」

 

 男の予想外の返答に、氷雨が瞠目した。

 

 「何者なんだお前は!? 何故私の過去を知っている?」

 

 険しい顔つきで氷雨は問いかける。

 氷雨が式神ではなく、只の妖怪として暴れまわっていたのは千年以上前、平安時代の頃の話だった。

 そんな昔のことを知っている者はそうは居ない。

 更に氷雨が妖怪として暴れまわっていた期間は実に短く、絵巻にすらならず、只の一時の噂話として消化される程度のものに過ぎなかった。

 

 得体のしれない男に対して、氷雨の警戒がもう一段解上がる。

 妖獣の動体視力に優れた目が男の一足一動を見逃すまいと向けられた。

 

 「お前からは……嫌な匂いがする」

 

 すんと鼻を鳴らした後、氷雨が盛大に顔を顰めた。

 

 「染みついた血の匂いはかぎなれたものだが……それ以上に濃密なのは……呪詛の匂い、お前呪術師だな」

 

 「やはり山犬は鼻が効くな。しかし、嫌な匂いか……お主の今の主人とそう変わらんと思うが……」

 

 男が言い終わる前に、氷雨が弾丸の如く前方へと飛び出し、居合抜きで斬りかかった。

 首を狙って放たれる横薙ぎの一閃。

 音を置き去りにする剣は、およそ見切れる速度では無い。

 だが、男は半歩後ろに下がって、その一撃を躱して見せた。

 

 「――ッ!?」

 

 渾身の一振りが空振りに終わり、氷雨の顔に驚愕が浮かんだ。

 男はその様子を嘲笑うように、場にそぐわない明るい口調をとる。

 

 「いやー、危ない危ない。話の途中で斬りかかってくるとは無粋な奴だ」

 

 そう話す男の言葉は酷く軽い。

 仮面で顔こそ見えないが、面の下で冷や汗一つかかずに笑みを浮かべていることが容易に想像できた。

 

 「――黙れ」

 

 射殺すような目で、氷雨が言い放つ。

 

 「あの方とお前はまるで違う。同胞(はらから)の如く語るな! 嚙み殺すぞ」

 

 その端正な顔を歪めて、氷雨は怒りの形相を露わにした。彼女の口の端から、鋭い牙がちらりと覗く。

 

 「おぉ、怖い怖い。人間に千年仕えていたのだから、すっかり牙の抜けた犬っころになっとるんじゃないかと心配しておったが……杞憂だったようじゃな。それでこそ奪いがいがある……」

 

 「ほざけ老骨、多少は丸くなることを覚えろ。千年前と全く変わって居ないな、外道めが!」

 

 吐き捨てるような氷雨の言葉に、男が僅かに目を見開いた。

 

 「ほぉ、儂が誰かようやく思い出したか……」

 

 男は自らの翁面に手を掛けると、それをそっと取り払う。

 面の下から現れたのは、二十代前半といった若々しい男の顔だった。

 目鼻立ちがくっきりした、正に美丈夫といった風体の男だ。

 

 「その顔、遂に人を止めたか。まぁ、お前は元々こっちよりの存在ではあったが……堕ちるとこまで堕ちたな」

 

 今にも喉笛に飛び掛かりそうな勢いで、憎々し気に放たれる言葉に、男は軽薄な笑みを崩さない。

 

 「おぉ、堕ちたとも。お主の言う通り儂は元々外道の身、お前の元主人や清明のように人として生きることに拘りがあったわけでもないからな」

 

 「……そうか、ならなおのこと遠慮はいらないな」

 

 そう言って、氷雨が刀を構えた。

 怒りの感情を押し殺し、あくまで冷静に、明鏡止水の心を作り出す。

 地に着く足に力を込め、一足、一刀の内に相手を斬り裂く準備を済ませる。

 瞬時に行われたその一連の動きに、男が感嘆の声を漏らした。

 

 「流石じゃな。あれ程の怒りを鎮めるとは、頭でっかちの高僧どもには出来ぬ所業じゃ。儂も本気で対処せねばならん」

 

 言いながら、男が懐へと手を伸ばす。

 (――させるか‼)

 地を蹴って、氷雨が男へと斬りかかった。

 しかし、突如とした背中に走った怖気に氷雨は反射的に刀を止め、体をよじってその場から飛び退いた。

 

 すぐさま大きな衝撃音が響く。

 氷雨は崩れた姿勢を整え、音の元凶へと目を向ける。

 

 そこに立っていたのは――一匹の大猿だった。

 

 全身を覆う逆立つ毛は、漆のように黒く、こちらを向く顔は鬼灯の如く赤い。

 丸太のように太い腕は既に振り抜かれており、氷雨が先ほどまで立っていた場所を粉砕し、地面を陥没させていた。

 

 もし回避が遅れていれば、氷雨は今頃あの大きな拳の下で、柘榴のごとく弾け飛んでいただろうことは想像に難しくはない。

 思わず舌打ちをしながら、氷雨はその妖怪の名を呼んだ。

 

 「――狒々か!」

 

 「紹介しよう、我が式神。円羅じゃ、他の有象無象とは違う。純粋な戦闘用の式神じゃ。お主の相手も務まろう」

 

 男はそう言うと、くるりと氷雨に背を向け、堂々とした足取りでその場から立ち去ろうとする。

 

 「逃がすと思っているのか!?」

 

 怒声を挙げながら、氷雨が男を追おうとするが、再び振り下ろされた槌のような狒々の拳がそれを阻んだ。

 男が足を止め、振り向いて氷雨に目を向ける。

 

 「そう焦るでないわ。狐守の式神術は特別じゃからな、術の上書きで乗っ取れるものでもない。お前さんが現当主と上手くやっていけてないのならどうにでもなったんじゃが……ちゃんと主従の関係を築けておるようじゃ。残念じゃのう」

 

 そう言って男は肩を落とし、ため息をはく。

 しかし直ぐに気を取り直したように、顔を上げ、軽薄な笑みを浮かべた。

 

 「ま、そういう訳で、見込みがないから今日のところは退散させてもらうわい。主人によろしく伝えておいてくれ。お主との果し合い、楽しみにしとるとな」

 

 ひらひらと手を振って、男は再び氷雨に背を向ける。

 

 「っ待て‼ 私と戦え――()()()()‼」

 

 氷雨はその名を呼ぶが、男は答えない。

 まるで男の代わりに返事をするように、狒々が雄たけびを挙げた。

 氷雨は忌々し気に去り行く男の背を睨みつけ、その鋭い眼光を次は狒々へと向ける。

 

 「そんなに戦いたいか……いいだろう、相手になってやる」

 

 刀を中段に構え、氷雨が狒々へと相対した。

 狒々が唸り声を挙げ、歯を剥く。

 前傾姿勢をとった狒々の体が僅かに強張っている。

 直ぐにでも飛び掛かるつもりなのだろう。

 

 氷雨は険しい目を向けながらも、あくまで煮えたぎる腹の中の激情を押さつける。

 怒りが剣を鈍らせることを、氷雨は良く知っていたのだ。

 

 だからこそ、道満への怒りも、邪魔をする狒々への怒りも、今だけは取り払う。

 ――全ては己の剣に真摯に向き合うためだ。

 ならば、例え言葉を介さない化生が相手でも、氷雨には名乗る必要があった。

 

 「――狐守家剣術指南役、氷雨、推して参る!」

 

 その声に応えるように、狒々が咆哮し、氷雨へと襲い掛かった。

 全てを剛力のままに叩きつぶす狒々の腕が振り下ろされる。

 しかし、それよりも速く――刀身の銀光が瞬いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

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