東方狐神録   作:パック

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地霊殿へ

 

 空気を切る一刀と共に、その刀身に付着していた血液が払い落とされた。

 黒いスーツに身を包んだ少女――氷雨は自分の頬を汚す血を手で乱暴に拭い去った後、刀を鞘へと戻す。

 

 彼女の足元には数多の妖獣の死骸、そして一際大きな猿の怪物――狒々の死骸が転がっていた。

 狒々の筋骨隆々とした身体には、首から上が無い。

 氷雨によって一刀両断された狒々の頭部は、少し離れた位置にある茂みの中へと転が落ちていた。

 

 少しくたびれたように、氷雨が息をつく。

 そして、彼女はスーツの内ポケットを漁ると、極小の機械と小ぶりの球体を取り出した。

 その機械は古明地こいしの衣服に付着していた発信機である。

 

 無意識を操る能力を持ち、足取りを掴ませない彼女を捕らえるために敵が仕掛けた罠。

 だが、此処で一つ疑問が生じる。

 発信機を仕込む隙があったのならば、どうしてその場で彼女を捕縛しようと動かなかったのか。

 しかし、それは敵の正体が分かった今、さほど不思議に思われなかった。

 

 「……あの愉快犯め」

 

 吐き捨てるような恨み言が氷雨の口から洩れた。

 蘆屋道満――それは稀代の陰陽師、安倍清明の好敵手として挙げられる名前だ。

 清明とは異なり、その存在はあくまで伝説の中に留まる。

 しかし、その男が実在していることを氷雨は良く知っていた。

 最も、千年以上の月日を経ても未だに存命だとは思いもしなかったのだが。

 

 「本当に……面倒なことになりましたね……」

 

 ため息を吐きながら、氷雨は用なしとなった発信機を握り潰すと、水晶玉のようにも見える水色の球体へと手をかざした。

 球体が僅かな光を放つ。正常に起動した証だった。

 そして、氷雨はその球体へと口を近づけると――

 

 

 

 

 「――あぁ、分かった。ご苦労様、ゆっくり休んでくれ」

 

 そう締めくくって、創一は掌に乗せていた水色の球体を幾らか弄った後、懐へと仕舞い込んだ。

 その様子を傍で不思議そうに眺めていたこいしが、ようやくといった様子で創一に詰め寄った。

 

 「ねぇねぇ、それ一体何なの? 声が聞こえてたけど……もしかして最新の電話? いいなー! 私もそれ欲しい!」

 

 期待に満ちた眼差しが創一に向けられる。

 

 「いや、これは通信用のマジックアイテムだ」

 

 普通の通信機だと地底では電波が届かず使用できない。

 だが魔力で動く道具であれば話は別だ。

 円滑なやり取りのために、創一は常にその道具を氷雨と六花に持たせていた。

 

 「なーんだ。電話じゃないのね、残念」

 

 露骨にがっかりした様子で、こいしは嘆息する。

 興味が無くなったのか、こいしの目は既にマジックアイテムには向けられていない。

 

 「電話に興味があるのか?」

 

 「うん、前に一個拾ったんだけど、壊れてるみたいで使えなくて……ボタン押したら光るんだけどね」

 

 「それは壊れてるんじゃなくて、単に幻想郷だから繋がらないだけだと思うが……」

 

 駄目元で、幻想郷に来た初日に携帯を試してみたことを創一は思い出す。

 案の定使用は不可能だったが、念のため丁寧に保管はしてある。

 あまり外の科学技術を持ち込むのは、幻想郷の性質を顧みると多少憚られるが、ごく個人間での取引には使えるかもしれないからだ。

 

 「えぇ! 幻想郷じゃ電話使えないの!?」

 

 こいしが悲痛な声を挙げた。

 

 「あぁ、無理だな。科学技術が発展すれば可能だろうが……そこまで技術革新が進めば、外の世界の二の舞だ」

 

 淡々と告げられる事実に肩を落とすこいしを尻目に、創一は視線を遠くへと移す。

 その先にあるのは大きな街だった。

 

 本来の役目を終え、うち棄てられた旧地獄。

 そこに築かれた鬼の街であり、一般には旧都と呼ばれている。

 創一たちが立つ高台からは、その旧都の様子が一望できた。

 

 立ち並ぶ建造物は現代建築に比べて、数段旧式のものである。

 しかし、見るからに丈夫そうな造りの建物が所せましと並ぶ様子は圧巻だった。

 

 幾つか見える、とりわけ大きく豪奢な建造物は旅館か何かだろうか。

 宿が存在するならば、意外と閉じた場所ではないのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら、創一は自分の目に霊力を込めて術を発動する。

 狐守家に代々伝わる肉体強化の法、それを目に特化させて作られた応用術式だ。

 千里を見通すとされる天狐の瞳から着想を得ている。

 

 最も、術そのものは高品質のスコープのようなもので、視界そのものを移動させることはできず、原典たる天狐の千里眼には遠く及ばない。

 

 しかし、今いる場所から旧地獄の中央に存在するという地霊殿を目視するくらいのことは容易だった。

 ついでに、創一は直線上の旧都の様子も確認して置く。

 

 創一はしばらく視線をあちこちへと泳がせた後、何処か気だるげに、なるほどなと小さく頷いた。

 そんな創一の様子を見たこいしが小首を傾げる。

 何の説明も受けていない彼女には、創一の一連の行動がひどく奇妙に映ったのだった。

 

 「どうしたの?」

 

 「ん? あぁ、ちょっと術を使って旧都の様子を探ってたんだ。地霊殿らしい建物も見えた。流石に中の様子までは分からないけどな」

 

 術の使用を取りやめて、目頭を押さえながら創一は数度瞬きをした。

 

 「この距離から? 創一って外来人の癖に本当に人外じみてるんだね……」

 

 「心外だな。そんなに言われる程大したことはまだしてないだろ」

 

 奇妙なものを見る視線を受けながら、創一は思案にふける。

 思った以上に状況が悪い方向へと進展していることが分かったからだ。

 

 強化した創一の目に真っ先に映ったもの、それは崩れ落ちた家屋だった。

 それも一つや二つではない。

 頑丈そうな建造物が、それを上回る暴力によって破壊されていた。

 その被害は旧都の中心部に行くほど顕著だった。

 

 それが人外同士の争いによってもたらされたものであるのは明白だ。

 更に、創一の頭を悩ませるのは地底の住人の存在である。

 

 戦いの傷跡が未だ新しい旧都の通り、その荒廃した様子をまるで気にすることなく行きかう住人達。

 地底の妖怪が持つ特有の呑気さ故ではない。

 そうであればどれだけ良かったことだろうか。

 

 創一の感情を捉える異能の目は、その最悪な事実を見逃さなかった。

 住人たちから立ち上るどす黒い感情、全てを飲み込み、侵しかねない感情。

 嫉妬、怨恨、憎悪、悪意、抱えることそのものが呪い足り得るというのに、それでも捨て去ることのできない負の感情。

 

 幾ら妖怪が人の畏れによって形づけられるものといえども、それらが発する感情は余りに強く、根深い。

 

 「……まさか、()()()()()()()が此処まで進んでるとはな……」

 

 想定以上の最悪な状況に、創一は深くため息をついた。

 

 

 

 

 「――人の心なんて、見えても気落ちするだけで、つまらない物じゃない?」

 

 突然沈黙を破り、そう問いかけたのはこいしだった。

 緑色の瞳が創一を見つめる。

 何処となく今までとは毛色が違った。

 

 真剣みを帯びる問いだ。

 創一の目に映るこいしの感情の色彩、それが今までとは違う色を覗かせた。

 

 「突然なんだ? というか、会話はまずいと言っただろう。隠形が途切れる」

 

 小声で創一が苦言を呈する。

 二人は今、地霊殿を目指して旧都内で歩を進めていた。

 

 旧都の通りは現在、怨霊に憑かれた妖怪や、異変に協力する妖怪たちが闊歩している。

 そうでなくとも、旧都は人間がおいそれと顔を出す場所ではない。

 

 余計な争いを避けるため、隠密行動で地霊殿を目指すというのが二人の間で交わされた取り決めだった。

 

 こいしは自分の異能で、創一は陰陽道の隠形の術を用いて気配を遮断し、人込みを避けながら進み続け、地霊殿まであと少しというところだった。

 

 其れにも関わらず、いきなりこいしが話し出したのだからたまらない。

 隠形の術は気配を消し、姿を隠すことに特化しているが、音や匂いは対象外。

 こいしの能力程に隠密性能は高くないのだ。

 

 「今は周りに人居ないし、そんなに気にしなくてもいいでしょ? ちょっとくらいおしゃべりに付き合ってくれてもいいじゃん」

 

 「……分かった、少しだけだ。声は抑えてくれ」

 

 周囲に目を向けながら、声量を落として創一は言う。

 用心には越したことが無い。

 幾ら周りに人が居なくとも、会話に興じるのは賢い選択とは言えないだろう。

 だが、何か張り詰めた様な様子のこいしに、その感情に、創一が興味を引かれたのも事実だった。

 

 「心なんて見てもか……まぁ、俺も概ねその通りだとは思う。人は誰もが心に闇を抱えているものだからな、見ていて気持ちの良いものは、そうそう見つからない」

 

 創一の言葉にこいしが形の良い眉を顰める。

 

 「そうそう?」

 

 納得がいかないとばかりに、こいしの目がが胡乱なものを見る目に変わった。

 

 「まるで、見る価値のあるものも存在するって言ってるみたい……」

 

 「そう言っている」

 

 間髪入れずに創一が答えた。

 それを受け、こいしの緑の瞳が僅かに揺れた。

 

 「……なにそれ? そんなの無いでしょう? 無いに決まってるわ! 少なくとも私は…」

 

 こいしの言葉に徐々に力が入る。

 「声を押さえろ」、咄嗟に出そうになった忠告の言葉を創一はぎりぎりで飲み下した。

 こいしの感情の色が、悲痛なものに変わったのが見えたからだ。

 

 元々、混じり気の無い少女だった。

 己が持つ能力により、無意識の領域に閉じ込められたが故なのか、こいしの放つ感情の色は純粋で美しい。

 

 しかし、それは危うさを秘めた美しさだった。

 あまりに儚く、移ろいやすい、無邪気な幼子のような感情の色彩。

 

 現に創一の前でこいしは今、悲哀の色を放っている。

 先ほどまでとは、まるで違う色の感情だった。

 

 「お前がどうだったかは知らない。視覚なんてものは主観だし、俺の目と覚の目は似ているようで違うからな」

 

 覚妖怪の目は人の思考を読むが、創一の目が見るのはあくまで感情だけに留まる。

 感情のパターンを覚えれば思考を押し計れるが、思考そのものが目に飛び込んでいる覚妖怪とは事情がまるで違った。

 故に、創一が彼女に懸ける言葉は無いし、そのつもりも無い。

 

 「……前に、霊夢に向かって目障りって言ってたわよね。どんな感情な創一のお眼鏡に適うの? やっぱり前向きな感情?」

 

 おずおずと尋ねるこいしに、創一は僅かに思案する。

 自分の見える世界、視覚をどう伝えればいいのか。

 中々悩ましいことだった。

 

 「……いや、別にそうとも限らない。負の感情だろうと、見ごたえのあるものもある。特定の感情が綺麗というものではないな」

 

 今まで見てきた他者の感情を思い起こしながら、創一は言葉を探す。

 確かに、喜びのような正の感情は相応に綺麗であった。

 少なくとも不快感は無い。

 強欲や肉欲といった濁った色とは大違いである。

 

 しかし、突きとめられた負の感情の美しさを創一は既に知っていた。

 創一の脳裏に浮かんだのは、一人の愚かな女だ。我が子を奪われた怒り、それを燃やし続けるために、他の全てを投げうった女。起源すら希薄と成り果てても、届かぬ(そら)に手を伸ばし続けることを止めない、痛ましい純正の復讐者。

 

 だが、呪いそのものと言っていい程に禍々しい彼女は、それでも美しかった。

 故に、負の感情というものをただ後ろ暗くて、醜いものだと創一には切って捨てることができない。

 

 「……抱かれる感情は一つじゃない。複数の感情が、独自の配分で混ざり合う色彩、それに息を呑むような美しさを感じるときがあるんだが……言葉で説明するには難しいな」

 

 こればかりは、直接視界の交換でもしない限り伝わりそうにない。

 多少投げやりな答えになってしまった、そう思いながら創一はこいしに目を向ける。

 

 「ふーん、そんなものなんだ……」

 

 案の定、こいしはあまり釈然としていない様子だった。

 

 「でもさ、結局ほとんどの人の心はそんなに綺麗じゃないんでしょ?」

 

 「あぁ、そうだな。この郷も大概のように思えるが……外は外で問題ばかりだ」

 

 人々の数は幻想郷とは比べものにならず、街の喧騒は止まない。

 夜でもそこかしこに灯りが灯り、営みが絶えることもない。

 だが、そんな不夜城を行きかう人々の顔は何処か疲れている。

 

 彼らの多くは怪異を知らず、その影に怯えることも無い。それにも関わらず、彼らは常に何かに緊張の糸を張って過ごしている。

 彼らから怯えや憂いが消えることは決してないのだ。

 

 外の世界の住人は病んでいる、そう評しても構わないだろう。

 もちろん、それは創一自身も例外ではない。

 

 広いはずなのに窮屈で息苦しい世界。

 そんな場所において、創一の異能の目が捉える光景は碌なものでは無かった。

 目を覆いたくなる程の醜悪を創一は既に何度も目に焼き付けてきた。

 けれど――

 

 「――例え千の汚濁を見ようとも、一つ、たった一つでも綺麗だと思える感情が見られたなら、甲斐はあったんだと思える。本の少しだけ救われる」

 

 言いながら、創一は目の前の少女を見据える。幼く儚く、けれど宝珠にように美しい色だった。

 

 「それだけで――俺はこの両目を開けていられる」

 

 

 

 

 東洋建築が並ぶ旧都において、その巨大な洋館が放つ存在感は相当のものだった。

 開けた場所に一軒だけ建っているせいもあるだろう。

 

 洋館の窓から淡い明りが漏れているのが見えるが、しばらく待ってみても、人が通る様子は見られない。

 

 そのとき創一の脳裏に浮かんだのは()()の二文字だった。

 そもそも、異変を起こした鬼や怨霊達からすれば、障害となる古明地さとりを生かしておく理由は無い。

 

 仮に創一がそちらの立場に居るのであれば、既にさとりを殺しているだろう。

 読心能力持ちは嫌われるのが常である。

 自分の内に秘めた思いをむざむざと見透かされて、気持ちの良い者など居ない。

 権謀術数を好む者からすれば大敵ですらある。

 

 思考を回せば回すほど、古明地さとりが生かされる道理はない。

 とはいえ、創一も流石にそれをこいしに伝える気にはならなかった。

 だが――

 

 「乗り込む前に言っておく、状況から考えてお前の姉の生存確率は極めて低い」

 

 隣に並び立つこいしに、抑揚の乏しい声で創一が言った。

 こいしの目が見開かれ、創一の顔を凝視する。

 

 気まずい、そんな理由で飲み込める言葉ではなかった。

 希望的観測を述べたところで、楽になるのは口にした側だけだろう。

 故に、創一はその残酷な事実をこいしへと叩きつけた。

 

 古明地こいしという少女は、何も見ていないように、何も考えていないように見えて、その実物事を俯瞰的に良く見て考えている。

 本の少しの間、道中を共にしただけの創一でも、それがはっきり分かった。

 

 無為なおためごかしはいっそ彼女に失礼ですらある。

 此処で創一がするべきことは、冷静な状況分析以外には無いのだ。

 

 「それで、どうする? 俺としては地霊殿には一人で乗りこんだ方が都合が良いんだが……怨霊は妖怪とは相性が悪いし、お前の能力は強力だが対策されてる危険もあるからな……」

 

 屋敷へと進行してきた機械人形の姿を、創一は思い浮かべる。あの手の兵隊を対策として用意している可能性は十分に考えられた。

 いっそ住人が全滅しているのであれば、屋敷ごと大規模な攻撃で破壊する手もあるが、流石に一握りくらいの生存者は考えられる。

 創一は何通りもの筋道を考え、策を絞りこんでいく。同時に、目の前に無言で佇むこいしの答えを待った。

 

 「……私も行くよ」

 

 ポツリとこいしが小さな声で言う。

 

 「お姉ちゃんがもう死んでるかもしれないってのは……まぁ、なんとなくね。まさか、直接面と向かって言われるとは思わなかったけど……」

 

 そう言ってこいしが肩をすくめた。

 

 「不満か?」

 

 「いや、別に。おかげで覚悟は決まったよ……なんていうのかな、今すごく不思議な気分なの。創一って私の感情も見れるんだっけ?」

 

 「あぁ、感情は無意識にも宿る」

 

 「そう……じゃあ、私の今の気持ちも分かってくれるよね?」

 

 くすりと、こいしが艶っぽく微笑む。

 そこに灯った色は創一にとっても特に身近で、見慣れた色だった。

 

 「そうだな、久しぶりに見たよ。そこまで純粋な――()()()()()はな。友人を思い出す」

 

 しばらく会っていない彼女の顔が創一の脳裏に浮かぶ。

 

 「なんか……創一ってば、ちょっと嬉しそうじゃない?」

 

 「そう見えるか? 不謹慎に見えたなら謝るが……」

 

 「いいよ、そっちの方が人間っぽいというか、親しみやすいし、なんか面白い」

 

 「……仕事中の俺を見て親しみやすいなんて言った奴はお前が初めてだよ」

 

 創一の声音は呆れたようで、でも何処か楽し気にも見えるものだった。

 本の少しだけ、生物的な温かみが差した青い瞳が、こいしへと向けられた。

 

 「……足は引っ張らないでくれよ?」

 

 「それはこっちの台詞だよ。引き返すなら今のうちだけど?」

 

 「それだけ生意気に返せるなら上等だな。行くぞ」

 

 何処か軽い口調で言葉を交わして、二人は地霊殿へと足を踏み出すのであった。

 

 

 

 

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