東方狐神録   作:パック

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怨嗟の刃

 

 

 「――いよいよだな」

 

 傍らに立つ友人が、杯を弄びながら言った。

 

 「敵は強大だ。勅命を下された大宅太郎や山城だけじゃなく、陰陽寮まで動き出した。加茂や安倍を相手取るのは骨が折れるぞ……」

 

 固い面持ちで語る友人に、俺は笑いかけながらその肩を強くたたく。

 

 「何を馬鹿なことを言ってる。朝廷を敵に回すと決めたんだ、今更だろう」

 

 そして、俺は自分の盃になみなみと注がれた酒を一息で飲み干す。

 決して上等とは言えない酒だが、悪くはない。

 何処か癖にもなる雑味混じりの酒精で喉を潤し、俺は再び口を開いた。

 

 「どんな敵があらわれようが構うものか。俺らはただ、この身が朽ち果てるまで姫様の傍で刀を振るう。そうだろう?」

 

 俺の言葉に、友人はふっと口元を緩める。

 

 「そうだな。我ながら、無用な思慮だった……少し酔い過ぎたかしれん」

 

 「逆だよ、逆! 中途半端に酔ってるからそうなるんだ。ほら、もっと飲め飲め。次の機会がいつか分からんからな。一生分飲み溜めしとけ!」

 

 傍に置いた瓢箪を掴み取り、まだ少し残った友人の盃にこぼれそうな程に酒を注ぐ。

 自分たちが今から身を投じる戦が、どれほど分の悪いものであるか。友人も俺も良く分かっている。

 姫様もそうだろう。

 

 だが、構いはしない。

 新皇様の無念を晴らす以上に、自分たち二人は姫のために戦っている。

 あの方の望みのため、力を尽くすのが俺と友人の取り決めだった。

 そして――決戦の夜はやって来た。

 

 

 

 

 根城とした廃城から火の手が上がり、肺を焦がすような熱気が周囲を包む。

 煙によって視界は遮られ、鳴りやまない剣戟の音で聴覚も頼りない。

 争いの間隙を縫うようにして、俺は走った。

 

 主人の下に馳せ参じるためだ。

 戦況は芳しくない。

 敗色は濃厚。

 逆転の目は最早ない。

 

 元より不利な戦いは承知の上だ。

 逆賊とされる自分たちと、あくまで官軍である連中とでは兵力が圧倒的に違う。

 更にこちらに付き従う者達には武士崩れの山賊やごろつきも多く、兵一人一人の練度をとっても負けるだろう。

 

 無論、何の策も打たなかったわけではない。

 敵を食い止める同志たちに目を向ける。

 同志の一人が、四つの腕に持った刀を振るう。

 兜を二つ着けた双頭の同志が口から火を噴いた。

 獣の如き体毛に覆われた同志は、その短刀の如き爪を薙ぐ。

 

 この世のものでは無い、明らかに人外と分かる存在。

 まつろわぬ民や地獄より呼び寄せた悪鬼羅刹たちによる異形の混成軍。

 数の差を覆し得る外法の策。

 

 だからこそ、敵影を確認したとき我が目を疑った。これは一体何の冗談だと。

 とても官軍側とは思えない僅かな手勢。百にも及ばないそれを見て、真っ先に囮の可能性を疑った。

 しかし、どれほど時間が経っても一向に他の兵の姿は無い。

 

 それにも関わらず、

 

 「――がっ!?」

 

 「ぎッッ……!?」

 

 瞬く間に四本の腕が宙を舞う。

 双頭が柘榴の如く握りつぶされ、声を出す間もなく獣人が灰に変わる。

 

 異形の怪物たちが悉く狩られていく。

 それを成す者達の多くもまた人間ではない。

 少ない手勢は、決してこちらを侮ったものなどでは無かった。

 はなから人でない者を投入する気で、無駄な巻き添えを厭う故だ。

 

 何のためらいも無く行使される外法の力。

 その殆どが、城の外に待機した狩衣姿の陰陽師たちによるものだろう。

 怪物を使役するのは奴らで間違いない。

 術師というものは、敵に回すとこうも厄介な者なのか。

 

 忌々しいことこの上ないが、奴らの元までたどり着くことはできそうにない。

 今自分が優先すべきことは、主人を、姫様をなんとしてでもここから逃がすことだ。

 あの方さえ生きていれば、再起する芽もまだある。

 俺は走る脚に一層力を込めた、

 

 城の頂上へと辿りついてみれば、巨大な骸骨と人外の兵を伴って戦う主人の後ろ姿が見える。

 異形と妖術を前に、敵方の武者たちは苦戦を強いられているようだった。だが、帝の勅命を受けた者のだけあって、人の身でよく抗ってもいる。

 少しの兆しで天秤が傾いても可笑しくは無い。

 

 急いで加勢をしようと考えて、はたと気づく。

 辺りに転がる遺体。敵と味方、異形と人が混じるその中に、よく知っている顔が、共に誓い合った友の顔があった。

 

 「――――ッ夜叉丸……!?」

 

 思わずその名を呼ぶが、返答が返ってくることは無い。

 袈裟懸けに大きく切られたと見える友は既に息絶えていた。

 

 友の遺骸の前に、月光に照らされた人影が一つ。

 具足一つつけず、身に纏うのは白い装束、一振りの刀、顔を覆い隠すは狐の面。

 武士でも無く、狩衣姿の陰陽師とは違い、かといって縦横無尽に暴れまわる人外たちとも何処か異なる存在。

 

 赤く濡れた刀を一つ振って血を払い、男が此方を見る。

 

 「……貴様が、夜叉丸を…………」

 

 問うというよりは、思わずこぼれた言葉。

 無言で頷く男に、俺は「そうか」と静かに呟き、既に抜き身となっている刀を構えた。

 

 ――瞬間、背後から突き刺さった殺気に、俺は身をよじりながら対応した。

 煌めく刃を辛うじて受け止める。

 刀を持つ両腕に稲妻の如き衝撃が走った。

 

 尋常ではない膂力から放たれる石火の一刀。

 それを成したのは、闇夜に溶け込むような黒い装いの少女であった。

 少女が此方を睨む。

 

 心の臓を射抜くかのような鋭い視線。

 人にあるまじき険を放つその少女もまた、人外の類なのだろう。

 殺意の熱を冷ますように、呼気を吐き出す少女の口から肉食獣のような牙が見え隠れした。

 

 「――止めるんだ、氷雨」

 

 諭すような、それでいて鋭い声が少女に投げかけられる。

 白装束の男が発したものだ。

 少女は男の言葉に僅かながら戸惑いを見せるが、

 

 「……君に人を殺めさせたくはない。階下の援護を頼みたい。地獄の悪鬼を相手取れる者は、この中でも限られてる」

 

 続く男の言葉に、少女はゆっくりと頷く。同時に発せられる剣呑さが鳴りを潜めた。

 野獣の如き荒々しい生命力を感じさせる少女は決して人に従うように見えない。だからこそ、それを宥める男の存在は異常であった。

 

 「……良いのか? 俺は二対一でも構わないぞ」

 

 俺は男を睨みつけながら言った。しかし、男は「必要ない」と口にしながら首を横に振り、足元に倒れ伏す夜叉丸の遺骸へと目を向ける。

 

 「……この者は君と親しい者なのだろう?」

 

 俺はその問いには答えなかった。

 上手く言葉が出なかったのだ。

 お互い死ぬことは覚悟の上だったし、自分と夜叉丸の立ち位置が入れ替わっていたとしたら、自分はきっとその死を受け入れただろう。

 

 だが、こうして実際に友の亡骸を前にしてしまうと、そう容易くは割り切れない。

 おそらく、夜叉丸は自分と同じく姫のもとに参じようとして、辿り着く前に目の前の男に斬られたのだろう。

 友が志半ばで倒れる様に、筆舌し難い思いが胸中を渦巻いた。

 

 感情が表情に出ていたのだろう。

 俺が言葉にするまでもなく、男は全てを悟ったようだった。

 

 「……僕の仕事は魔性を討つこと、陰陽寮の彼らもそうだ。本来僕らは人同士の争いに関わる人種じゃない。だから、君が退いてくれるなら僕に追う理由は無い。けれど……そうはしないんだろう?」

 

 「――当たり前だ、俺は滝夜叉姫様のもとで戦う!」

 

 「……そうか、君も彼と同じか」

 

 再び男は夜叉丸の遺骸にちらちと目を向け、続いてこちらを真っすぐに見据えた。

 

 「君を行かせるわけにはいかないな。魔性側に足を踏み入れた君らの主人は野放しには出来ない」

 

 そう言って、男が自身の背後の光景を指さす。

 滝夜叉姫様と武者たちの戦い。その天秤が少しずつ傾き始めていた。

 姫が使役する異形たちが少しずつ倒れ伏していく。

 それを成す武者たちの鎧と兜はボロボロで、彼らも満身創痍なのが見て取れる。

 だが、勢いがあるのは彼らの方だ。

 

 巨大な骸骨の怪物は未だ健在だが、それもいつまでもつか分からない。

 人の身で異形を討ち取って行く武者たちの姿は、まさに絵巻に残る英雄の姿そのものだった。

 そして、そうであるならば、その敵対者の結末は決まっている。

 

 ――朝廷に牙を剥いた逆賊の姫、外法に身を窶した彼女は、勇敢な武者によって討ち取られ、平和は守られた。

 

 そんな物語がふと、頭に浮かんだ。それはきっと想像では終わらない。このままでは確実になる未来だ。

 ならば、俺は是が非でも抗わなければならない。彼女を、正義に打破された悪にしてはいけない。

 刀を握る手に、俺は更に力を込める。

 

 「……決着はもうじきつくだろう。だから、横入はさせない」

 

 狐面の男が刀を構えた。

 戦場の空気がより一層張り詰める。

 蜘蛛丸の肌がピリピリとひりついた。

 妖魔が発する妖気とも、陰陽師たちの練る霊力とも違う感覚。

 剣気とでも言えばよいのか。純粋に突き詰められた男の技、それが放つ威光が蜘蛛丸の身を呑み込む。

 剣を交わらせる必要すらなく、目の前の男との彼我の差がありありと分かった。

 先ほどの人ならざる少女を相手取った方がまだ勝機はあるだろう。

 だが、躊躇うわけにはいかない。

 

 「――蜘蛛丸、俺の名は蜘蛛丸だ」

 

 切っ先を相手へと向けながら、俺は名乗った。

 一騎打ちを良しとする武者でもないのに、何故そうしたかは自分でもよく分かってはいない。立ち塞がる圧倒的な脅威を前に、何かを刻みつけたくなったのかもしれない。

 面から覗く、男の瞳が少しだけ見開かれる。

 

 「――その名を覚えておこう。僕の名前は狐守……いや、違うな……」

 

 かぶりを振って男は顔を覆い隠す狐面をずらし、その素顔を晒した。

 女子にも見まがう、中性的な相貌が露わになる。

 

 「人を相手取るならば、この身は稲荷明神の剣あらず……宗一郎、今のぼくはただの宗一郎だ」

 

 それが男なりの敬意の示し方なのだろう。清廉さを感じさせる男だ。少なくとも、大義を笠に着て暴虐を働く朝廷の武士どもとは違う。

 悪ではないが、正義を語るわけでもない。

 この男に引導を渡されるというのならば、まだ幾分ましだろう。

 だが、それは今じゃない。今だけは駄目だ。

 このままでは、滝夜叉姫様は救われない。ならば、俺は何としてでもこの結末を拒絶しなければならない。この高潔な白い死神を遠ざけなければならない。

 だから、俺は鬨の声を上げた。

 

 「そうか、宗一郎よ、我が主人のため――そこを退け‼」

 

 一気に駆け出し、俺は男へと斬りかかった。

 それが俺の生の終着。最後の戦い。

 結果は火を見るより明らかで、結局俺は主のもとまでたどり着くことなく、夜叉丸の上に屍を重ねた。

 途絶え行く意識の中、霞む視界に映ったのは、孤立無援となって首を刎ねられる――主人の姿だった。

 

 ――嗚呼、口惜しい。

 

 

 

 

 「――一! ――創一ってば‼」

 

 自身を呼ぶ声に、狐守創一はようやく視線を動かした。

 

 「あぁ……どうかしたか?」

 

 何処か気の抜けたようなその様子に、呼びかけていたこいしが怪訝な顔を受かべる。

 

 「どうって……だから、これでお燐は大丈夫なんだよね? ずっと話しかけてるのにボーっとしたままだしさ、大丈夫なの?」

 

 意識を失って力なくしなだれるお燐。彼女が怪我をしないように、正座の姿勢でその上半身を抱きかかえながら、こいしが不安げに瞳を揺らす。

 そこに最初に出会ったときの虚無の色は無い。

 第三の瞳こそ未だ閉じてはいるが、彼女の感情は明らかに無意識の層から意識の層へと浮かび上がっており、幾らかの感情の色は既に表にこぼれ出ていた。

 その光景につい創一は目を奪われるが、覚める思考と理性が今はその場合ではないと警鐘を鳴らし、創一はそれに大人しく従う。

 

 「……怨霊は浄化した。妖獣ならば、後遺症の心配もそんなにないだろう。俺の方も問題はない、少し疲れただけだ。久しぶりに能力を行使したからな……」

 

 結局異能だよりになったことに忸怩たる思いを抱きながらも、創一はそう口にした。

 脳裏に浮かび上がった光景について言う気は無い。

 それは自分の胸にだけ一生留めておくべきものだ。抱えて進むべきものだ。

 

 幹部のような立ち位置に居る怨霊なだけあって、その前に奪った怨霊たちよりもその憎悪は深く、記憶の断片も比例して多い。

 また引き継ぐものが増えてしまったが、それが奪うという行為に伴う責任である。そこから目を背けるつもりは、創一には無かった。

 

 【負の感情を力とする程度の能力】幻想郷風に言うならばそんなところだろうか。

 最も、この能力を人においそれと話す気は創一には無いし、幻想郷縁起にのせられる等もっての他だった。

 外の世界でも、この能力を知っている者はそう多くは無い。術理を扱う者にとっては、自分の手の内を明かすことは愚でしかないし、何よりも創一自身がこの能力を疎んでいた。

 

 仮にも、神に仕える者の力の根源が負の感情なんていうのはあまりにも体裁が悪い。

 怪異や邪神が持ち得るような異能だ。

 能力に付随する【感情を見る瞳】ですら手に持て余す。

 

 強大な力であることは認めるが、それ以上に凶大である。

 ただの諸刃の剣ならまだしも、下手をうてば仲間にも向きかねない。

 怨嗟の灯る刃はどんな怪異も、それこそ例え神だって殺し得るほどに鋭いが、その狙いは極めて不安定。

 共に戦う仲間に、友に、守るべき主人にすら向きかねない。外の世界で過ごした短い人生で、凶刃が身内を斬って捨てずに済んだことは、せめてもの救いだった。

 

 これほど精神に不健康な能力もないだろうと、創一は考える。

 他者の感情、それも憎悪や怨恨といった負の感情を宿すことが危険であることは言うまでもない。

 一歩間違えれば、自分の自我が崩壊しかねない。ただ自分が廃人に成るだけならいいが、事態はそう甘くはいかない。

 能力を暴走させた先に誕生するのは圧倒的暴威を振りまく悪意と怨恨の化身。

 根源が何だったかも分からない誰かの負の感情を振りまいて、存在する他者全てを恨み、妬み、嫉み、憎悪し、殺していくだけの怪物。

 

 自らの生が続く限り、その可能性が僅かでも残り続ける事実は創一にとって実に受け入れがたい。だが、生きて幸せになって欲しいという、主人たる稲荷明神の願いを無下にすることもまた受け入れられなかった。

 

 (――本当に、生きるというのはままならないものだな……)

 抱える矛盾を再確認して、創一は思わず重たい息を吐く。

 ひどくくたびれた様子の創一に、こいしは多少遠慮がちながらも、ずっと気になっていたことを訪ねた。

 

 「でも凄いわね。単に殺したわけじゃないんでしょう? 怨霊は成仏できない存在って聞いてたけど……」

 

 悪意と怨念によって輪廻の輪から外れた存在。一生彷徨い歩く怨霊を殺して消滅させるのでなく、輪廻の鎖に繋ぎ直して還す創一の異能。

 こいしは地霊殿突入直前にその情報を断片的に知らされただけであり、異能の実態を詳しく理解できていないが、創一の成した事象が幻想郷においてもかなり常識外れの部類に入ることはなんとなくだが分かった。

 

 「怨霊が成仏できないのは、その強い恨みや悪意故だ。俺の能力はそれを奪い去る。負の感情が無くなった怨霊たちは、もう怨霊として存在を確立できず、輪廻の輪に戻る。それを喜ぶ魂もあれば、そうじゃないのも居る。蜘蛛丸は後者だな」

 

 「……そう」

 

 創一の言葉にこいしは少し目を伏せた。

 彼女の脳裏に呼び起こされたのは蜘蛛丸が残した言葉。憎い敵ではあるが、怨霊の叫びにはこいしの心を揺さぶる何かがあった。

 自身の年齢以上に長いであろう時の中で、絶えずに燃え盛っていた感情。それは負の感情であっても、何処か目を奪われるような熱があった。

 

 こいしは閉じた第三の瞳に手を這わせる。

 もしも、この瞳が開いたままだったら。あの怨霊の叫びはどのように映ったのだろうか。今更ながら、他者の心に関心が惹かれる。さとり妖怪の性分はそう簡単には消えないということだろうか。

 もしくは――

 

 「……ん、何だ?」

 

 注がれる緑の瞳に、創一が怪訝な顔を浮かべた。

 こいしと似た、人の感情を見る瞳を持つ少年。

 数多の感情を見続けて、それもその殆どが見るに堪えない醜いものだったというのに、一つでも綺麗な感情が見れるのならば甲斐はあると言ってのける彼。

 

 「そうだ、一応言っておくが、あまり俺はこの能力が好きではない。他言無用で頼む」

 

 「うん、分かった」

 

 瞳を閉じたこいしとは違って、目を開いて見続けることを選び、誰にも目を向けず、また目を向けられない彼女に青い瞳を真っすぐに向ける少年に、感化されてのことだったかもしれなかった。

 

 「……ねぇ、創一」

 

 「どうした?」

 

 「お願いがあるんだけどさ。もし、もし私がこの瞳を開くことになったら……」

 

 第三の目に触れるこいしの手が自然と強張る。

 少しの逡巡を見せ、遂に意を決した様子のこいしが口を開いた。

 

 「私、最初に創一の心を読んでみた――」

 

 「――断る、絶対に嫌だ」

 

 言い終える前に放たれた食い気味の拒絶に、こいしの顔が固まった。

 

 「……そ、そこはもっと手心っていうか……なんか、他にないの……?」

 

 「無いな。大体どういう頼みだそれは? 何を考えているか筒抜けなんて御免こうむる。プライバシーの侵害だ。一昨日来やがれと言っておこうか」

 

 あまりに歯に衣着せぬ物言いに、こいしは開いた口が塞がらない。

 自分も普段は大分無遠慮なことを口走っていた気がするが、言われる側はこんな気分だったのだろうか。猛省して今度から言葉を選ぶようにしようと、心の中でこいしは固く誓った。

 

 「あ……うん、そうだね、そうだよね……心は読まれたくないもんね……」

 

 「当たり前だ。そんな奇特な奴は先ず居ない」

 

 かなり勇気を出した頼みだっただけに、バッサリ斬られたこいしの落胆は計りしれない。若干泣きそうにな気分のこいしに、創一は続けて口を開いた。

 もうやめてとこいしは内心で叫ぶが、気落ちしすぎてそれは現実の声にはならない。

 

 「――だから、俺の元を訪ねるときはその第三の目は逸らすか、何かで覆ってくれ」

 

 なんてことの無い様子で、続けられた創一の言葉にこいしは目を丸くした。

 

 「……え? 良いの……訪ねても?」

 

 「特段駄目な理由はない。流石に深夜や早朝は迷惑だがな……まぁ、アポなしは見逃してやる。宿が無いなら泊めてやってもいい。妖怪やら神やらが家を訪ねて来るのにも慣れてるからな」

 

 狸に天狗、仙霊に神々、外の世界で多くの怪異に関わる内に、敵対関係とは別の奇妙な縁を結んだ者達を脳裏に思い浮かべながら、創一は言った。

 覚が増えたところで今更どうということは無いのだ。

 

 「……うん、分かった。ありがとう……」

 

 小さくお礼を言ってから、こいしはしばらくむにむにと口元を動かす。他に何か言うべきだとも思うが、人との会話経験に乏しいこいしにはちょうど良い言葉が見つからない。

 狐面を横にずらしているために、今は露わになっている創一の顔をちらりと見ながら、こいしが熟考していると、不意に創一の顔つきが険しいものへと変わった。

 

 「ちっ、しくじったな。能力の使用で注意力が散漫になっていた……」

 

 「……創一?」

 

 端正な顔を歪め創一は乱暴に舌打ちする。

 首を傾げたこいしも、創一の視線の先に目を向け、その反応の意味を悟った。

 

 「いやはや、お見事! 流石は黒狐、日の本一と呼ばれただけのことはある」

 

 住民たちが姿を消して静寂に包まれた地霊殿に、ぱちぱちと拍手の音が鳴り響いた。

 創一が突入と同時に開け放ったままでいた書斎の扉の向こう、赤い絨毯が敷かれた長廊下に立つ二つの影。

 黒い外套を身に纏った二十代くらいの美丈夫と言った男に、その傍らに控えるのは花魁のような豪奢な着物に身を包んだ、男と同じくらいの年に見える美しい女。

 整った顔とは裏腹に、男は得体の知れない不気味な空気を孕んでおり、女もまた男程ではないが異様な存在感を放っていた。

 こいしの肌が粟立ち、口から急速に水分が乾いていく。

 

 「盗み見と盗み聞きが趣味だと見えるな、道摩法師とも有ろう者が……」

 

 嫌味を言いながら、創一は横にずらしていた狐面をもとに戻し、自分の顔を覆い隠す。

 

 「かかっ、歳よりは目聡いし、耳聡いものよ」

 

 「それは大層年に似合わずお元気なことで……老眼か難聴でも成ってくれたら有難い。耄碌しないならせめて丸くなることを覚えて欲しいが……無邪気な年寄りははた迷惑だって知ってるか?」

 

 「敬老精神の無い若造じゃな。年寄りが趣味に没頭するのがそんなに鬱陶しいのか? 若くて力有り余っとるんじゃから、ゲートボールの一つでも付き合ってくれたって構わないじゃろう?」

 

 「ふざけろ、俺は一応引退して隠居の身なんだよ。老害の戯れのせいでこうやって出張る羽目になった。大人しく盆栽でも弄っとけ」

 

 棘と毒を含む創一の言に、道満は楽しそうに応答する。

 妖怪であるこいしすら呑まれ、本能的に怖気を抱いて黙り込まずにはいられない道満の放つ雰囲気。それに吞まれるどころか、気後れすらせず物を言う創一を、道満は気に入ったようだった。

 だが、そんな道満とは裏腹に創一は無駄な応酬にさっさと見切りをつけ、会話を終わらせにかかる。

 

 「それで? 何でまたわざわざ自分から俺たちの前に姿を見せた?」

 

 感情を見る異能の目をフル活用して、創一は道満の感情の動きを探り、その真意を掴みにかかった。

 

 「まだ滝夜叉姫や鬼道丸とやらにも出くわして居ないが……いっそ此処で決着をつける気か? 二対二で頭数は丁度いいが……」

 

 創一の問いに道満が笑った。

 

 「ハハッ、本当に愉快な男じゃ! 実に抜け目ない……三対二じゃろう? 影の中に何を飼っているのは知らんがな」

 

 創一の足元に伸びる影を見やって、道満が言う。

 その指摘に流石の創一も仮面の下で苦い顔を浮かべた。

 

 「実に面白い術式じゃ。空間の操作、創造は道術の領分じゃが……大抵仙界というのは座標を固定して作られる。それを移動可能な影の中に作るとはな……」

 

 感心したようにしきりに頷いた後、道満がはてと首を傾げる。

 

 「……お主陰陽の術は一体誰に? 先代の狐守ではないの……付き合いの長い土御門?  いや、違うな……」

 

 「それ、今大事なことか? 話を脱線させるな。お前の目的をはっきりさせてほしいんだが……戦いに来たわけでもないなら、いよいよ意味が分からない」

 

 「そう急かすでない。近頃の若者は辛抱が足りんぞ。まぁよい、儂は主らを労いに来たのよ、怨霊蔓延る地底を脱し、協力者を引き連れ、見事地霊殿を取り返したのだから、賞品は必要じゃろう」

 

 こいしに視線を向け道満はにやりと笑う。

 その様相はまるで蛙を見て舌なめずりする蛇のようだ。

 

 「よく黒狐を選び、ここまで連れてきたな古明地こいしよ。喜べ、お主の姉は生きておるぞ」

 

 「ッッ……!? それ、本当なの!?」

 

 弾かれるようにこいしは前に進み出る。

 道満への恐怖以上に、姉の安否の心配が勝った。

 

 「あぁ、本当じゃとも。まぁ負傷はしておるが、命に別状はないだろう。この屋敷の地下牢に、今も繋がれておるわい」

 

 髭をさするように道満は自分の顎に手を当てながら言う。

 こいしには道満が本当のことを言っているかどうかは判断しきれない。だから、感情を見る瞳による真偽の看破をあてにして、こいしは傍らに立つ創一の顔を伺った。

 創一の目がちらりとこいしを見返して、小さく頷く。

 

 「嬉しい誤算だが、まともな思考では無いな。本当に愉快犯なんだな、お前は……」

 

 古明地さとりの生存が嘘ではないことを確かめながらも、創一は道満の腑に落ちない行動に内心で毒づく。

 無論、生きているなら吉報であるには違いなかった。

 

 仮に異変を解決したとしても、怨霊を管理できる人材にそうそう代えは効かないだろうことは想像に難しくない。被害が少ないに越したことはないのだ。少ない程、復興の道も見えてくる。

 異変自体を解決に導いても、そこからリカバリーが効かないようでは、結局幻想郷は滅び得るし、そうなれば創一たちの敗北である。

 

 だが、理屈の上ではメリットだとしても、やはり道満の行動は創一には受け入れがたかった。愉快犯ほど、癪に障るものも無い。

 

 「……本当に不愉快だな、お前みたいな手合いは……」

 

 怒気を滲ませるでもなく、ただただ率直に創一がぼそりと零した。

 

 「えらく直球じゃのぉ、儂はお主のようなタイプ大分好みじゃぞ……」

 

 軽い笑みを浮かべる道満の様子が再び創一の勘に障るが、これ以上も言っても無為だと創一は道満から隣のこいしへと視線を移して口を開く。

 

 「こいし、その猫を連れて先に行け。もう一人で十分だろう? 姉を救ってこい。こいつらの相手は俺がする」

 

 「え!? でも……」

 

 「いいから、早く行け。此処は二手に分かれるべき場面だ、異論は認めない」

 

 有無を言わさぬ創一の様子に、戸惑いながらもこいしはしぶしぶ頷く。

 

 「……死んじゃいやだよ……?」

 

 「舐めるな、これで死ぬような生半可な人生は歩んでない」

 

 去り際のこいしの言葉に、ひどく不愛想な様子で創一は答えた。

 走りゆくこいしの足音が遠ざかっていくのを確認して、道満が口を開く。

 

 「……別に、儂はここで戦う意図は無かったんじゃがな…………」

 

 「知らん。お前は危険だ、のこのこ姿を表した以上、見逃しはしない」

 

 剣呑に細められる青い瞳を前に、道満が息をつく。

 

 「ふむ、まぁ良いか。お主が怨霊を浄化できるのは予想外じゃったしの……このままでは、儂が苦労して地獄から逃がした怨霊どもも形無しじゃ。それはちとつまらん」

 

 実力差で勝負がつくならまだしも、相性さで苦労が水の泡となるのは流石の道満も面白くは無い。このまま目の前の少年と滝夜叉姫が会合してしまえば、今回の異変はあっさり片が付きかねなかった。

 それを防ぐためにも、此処で少年の足を止めるのは悪くはない。何より自分もそろそろ異変に参戦したい。そう考えて、道満は悪童の如き笑みを浮かべた。

 

 「いいじゃろう、遊ぼうか黒狐よ」

 

 「――命は懸けろよ蘆屋道満」

 

 言いながら創一が指を鳴らした。その瞬間、創一の足元に広がる影が水面のように揺れ、波紋が浮かび上がる。

 そして、影の中から一本の太刀が射出され、それを創一が右手で掴み取った。

 

 鈍色に輝く太刀を見て、道満が僅かに眉を顰める。

 道満は陰陽師であって剣士ではない。故に刀剣の審美眼など持ち合わせてはいないが、霊具や呪具の類なら話は別だ。

 創一が抜かずに今も腰に帯刀したままでいる刀が、強力な霊刀であることは見れば分かる。だが、反対に創一が手にしている太刀からは何の力も感じれない。

 (余程の名刀なのか? だとしても腑に落ちない)

 しかし、その疑問は直ぐに答えを得た。

 

 創一が持つ太刀の輝きがその色を変える。

 黒の炎、もしくは黒雷。それが鈍色の輝きを黒く塗りつぶし、禍々しい煌めきを放った。周囲の世界が蹂躙されたように、空気が重く悍ましいものへと変貌する。

 

 「……なるほど、奪ったものが何処に行くのかと思えば……全く末恐ろしい異能じゃ……」

 

 冷や汗を垂らしながら道満が感心の声を上げた。

 吸収できるならば、それを放出することが可能なのは道理である。

 混ぜられ、煮詰められた負の感情。世界そのものを呪うかのような情念を迸らせる刃を見て、道満は納得した。

 

 神秘が薄れた外の世界とはいえ、力を持った退魔師は未だ少なからず存在している。特別なのは何も狐守の家系だけではないのだ。

 それにも関わらず、数多の退魔師を差し置いて、何故最も年若い少年が頂に立つのか。

 何故外の妖怪たちが最も畏れるのが彼なのか。

 

 肉体の死を恐れぬ妖怪や神ですら受け入れがたい精神の死。それを刻むであろう怨嗟の凶刃がその答えを雄弁に物語っていた。

 

 「――ッ梓!」

 

 後ろに飛びのきながら、道満は傍に立つ自分の式を呼ぶ。

 梓が道満を庇うように前へと飛び出した。

 

 「まずは私の相手をしてもらいましょうか、黒狐殿!」

 

 「――邪魔だ雌蜘蛛」

 

 冷たい少年の言葉とともに、再び水面の如き影が今度は大きく広がり、波紋が浮き上がった。大量の水しぶきと共に、巨大な存在が現れ、その鎌首をもたげる。

 ――それは一匹の百足だった。

 

 「殺れ、劉厳」

 

 影と同化する程に黒い体躯の百足が、奇怪な声を上げて梓へと激突する。

 

 「がッッ!?」

 

 苦悶の声を上げる梓に構うことなく、劉厳と呼ばれた大百足がのたくり回りながら、地霊殿の壁を何枚もぶち抜いていく。

 轟音と共に屋敷が蹂躙されていき、瓦礫が辺りに積もる。

 一際大きな破壊音の後に、どすんと重たい落下音が響いた。

 蜘蛛と百足の戦場は、地霊殿の外に落ち着いたらしい。

 

 「――本気(マジ)かよ、流石に大百足を足元に住まわせてるのは儂でも予想外じゃったぞ……よく手なずけたものよ……」

 

 感心と呆れが混じったような声で言う道満に、創一が「お前が言うな」と返した。

 

 「土蜘蛛という感じでは無いし、あれは女郎蜘蛛とかそんなところだろ。男を食い物にすることしか考えてない毒婦だ、よく傍に侍らせるな……」

 

 「あれはあれで愛い奴よ。まだ若いお主ではちと魅力を理解するには早いだろうがな……」

 

 「耄碌しようがあんなの選ばないさ、とっとと構えろ糞爺……無駄話は終わりだ」

 

 狐面の奥から青い瞳が刺す。

 黒い刃を構えて、ゆらりと立つ少年の姿は服装に反して到底神の使いになど見えない。冥土の如く冷たく鋭い声を放つ様は、魔王のようですらあった。

 

 「おおよ、胸を貸してやろう若造」

 

 魔王に相対する男がにやりと不敵に笑う。

 不吉の象徴の如き存在感を放つ男の姿は、災禍が一人歩きしているようですらある。

 憎悪を撒き散らす魔王と悪意を孕む災禍。

 戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 




使うか微妙な裏設定

 狐守家が被る白狐の面はちょっとした認識阻害の術式が掛けられている。これはあくまで一介の神徒である狐守家の人間個人に信仰が注がれ、現人神が誕生するのを防ぐため。
 しかし、現在生き残っている狐守は創一だけなので、あんまり機能していない。狐守家=創一のため
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