東方狐神録   作:パック

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黒い狐

 

 

 宙にばらまかれた呪符が刺々しく光り、鴉の群れがその場に誕生した。不吉の象徴の如き黒鳥は空気を唸らせながら、弾丸の如き速度で飛来し少年の肉を啄まんとする。

 だが、その濃密な死の気配を撒き散らす嵐を前に、少年は何ら情動を動かされていないような、能面の如き表情のまま、その手に持った太刀を振るう。

 たった一閃。

 炎のように黒色の気体が揺らめき、雷の如き閃光が散る。

 轟音と共に訪れる破壊が鴉を鏖殺し、それを呼び出した術者の胴体を寸断せんと襲い掛かった。

 

 「――ッッ~~!? 呆れかえるような威力じゃのぉ!」

 

 器用に身を翻して命を繋いだ道満が、冷や汗を垂らしながら言う。

 空ぶった黒い斬撃が道満の背後の壁を切断し、其れでも尚威力を失い切らないそれが屋敷を蹂躙して、瓦礫の山を積み重ねた。

 既に両者が相対する場所は部屋の様相を成していない。砕かれ、斬られ、壁や天井という境を失ったその場所が元は書斎であったなど、誰も思わないだろう。

 外から入る居心地の悪い風が睨み合う二人の肌を撫でた。

 

 まずは様子見と道満が放った式神達。札に霊力を込めて作っただけの擬人式神は、既存の妖怪に式を被せて作る悪行罰示神に比べれば脆弱で、あくまで使い捨ての雑兵に過ぎない。

 しかし、男は他でもない蘆屋道満。安倍清明なき世では、まごうことなく頂に経つ陰陽師である。

 彼が作る擬人式神を鎧袖一触に蹴散らせる者などそうは居ない。それを成すのが人の、それもまだ年若い少年であるという事実に、道満は呆れを含ませながらも楽しげに笑う。

 

 「ならばこれはどうじゃ? ――此の竹の葉の青むが如く」

 

 黒い外套の下から奇妙な包みを取り出して道満が呪文を唱える。

 その一説を耳にして、紡がれる呪詛を察した創一が、そうはさせないと霊符をばらまき、空けた片手で短く印を結んだ。

 

 【四天万雷(してんばんらい)

 

 込められた霊力が符に刻まれた術式を呼び起こし、青白く輝く光球を四つ生み出す。光球から火花が散るとともに、雷撃の弾丸が道満へと射出された。

 およそ躱すことなどできない光速。その身を焼く焦がし、爆ぜさせる四連射。

 しかし、雷撃が道満に届くことは無く、その悉くがあと一歩のところで不可視の壁に阻まれたようにして消え去った。

 

 「――此の竹の葉の萎ゆるが如く、青み萎えよ また此の塩の盈ち乾ふるが如く、盈ち乾よ」

 

 古代の呪詛を編みながら、何の予備動作も無く張り巡らされる結界。それを成す道満の腕前に、創一は内心舌を巻く。

 一陰陽師としてでは創一と道満の彼我の差は大きく、勝ち目など無いに等しい。

 しかし、そんなことは最初から分かりきっていたことであり、それによって創一の中に焦りや迷いが生まれることは無い。

 陰陽術で勝てないのならば、他の要素で勝利への道を模索するだけだった。

 

 元より、創一は求道者ではないのだ。

 身を粉にして磨き上げてきた陰陽術も剣術も体術も、その全てはあくまで目的を達成するための手段に過ぎず、それ以上の感慨など無いに等しい。

 己の技に対する誇りや矜持等ははなから持ち合わせていない。

 敵対する妖怪を殺すのに銃が手っ取り早いというのであれば、創一は古臭い刀や弓を直ぐにでも捨てる。

 

 剣神とも謳われた狐守の初代当主や、目の前の怪人すら打ち負かした安倍清明のような、一つを究極にまで叩き上げる程の才を持ち合わせない創一にはその方法しかない。

 既に神の徒も止めた身。加減も必要なく、真っ当に戦って勝てないなら、ただただ相手の裏をかいていくのみだ。

 そう考えて、創一は隠しもっていた暗器を道満目掛けて投擲した。

 

 長い鏃のような両刃に輪状となった柄の後部、クナイと呼ばれるそれが道満の結界に穴を穿って、突き刺さった。

 既にクナイは創一の能力によって負の感情を注がれ、呪具と成っている。道満にこそ届き切らなかったが、クナイの先端は結界を貫通しており、その切っ先は道満へと向いていた。それで十分だった。

 はらりとクナイの柄後部の輪に括りつけられていた霊符が揺れる。注がれた霊力によって淡い光を帯びたその符に、道満がようやく顔を歪めた。

 

 「まず一発」

 

 霊符が爆ぜるとともに、生じた雷がクナイを伝って結界の内側に射出される。回避の余地なく、今度は防御の余地すらない。

 

 「がっっ!?」

 

 雷撃が道満の体を撃ち抜き、その肉体を熱が支配する。人であれば決着がつく一撃。されど、千年以上生きるその身が人であるわけはない。

 仙人か魔法使いか、はたまた別の人外か。種族こそ計りかねるが、雷撃一発で死ぬほど柔ではないことだけは確かだった。

 故に、創一は畳みかける。

 

 術式で強化された剛脚が、床を踏み砕くような踏み込みを可能とし、たった一歩の跳躍で道満との距離が消える。

 呪文を唱えられる間合いでは無い。言葉を交わす間もなく、振るわれる剣が全てを支配する領域。

 複数の攻撃を受けた上、術者そのものが攻撃を受けたことで制御を欠いた結界は脆く、盾としては不十分。創一は撫でるように結界を斬って崩壊させ、道満目掛けて刀を袈裟懸けに振り下ろした。

 

 禍々しい黒刃が道満の右の肩口に食い込む。情念の籠る凶刃が骨を裂き、その命を食い漁ろうとする矢先、甲高い音と共に鈍色の破片が舞った。

 突如として砕け散る太刀。

 ただ折れるわけではなく、何処か悲鳴を上げるように内側から粉々になるその現象は器が限界となった証だ。

 

 通常、妖刀をはじめとした呪具は、様々な要因によって人々の情念が注がれた品が、相応の年月を経て徐々に()()ものである。

 それを創一は器に直接強い情念を流し込むことで、即席に作り上げてしまう。

 器としての強度が高い屈指の名刀ならばいざ知らず、一般的な業物程度では、流し込む力の加減を少し間違えただけで、耐えきれずに内側から砕け散る。

 

 自信のミスを悟った創一が舌を打ち、脅威が退けられた道満がにやりと笑う。

 創一はがらくたとかした刀の柄に見切りをつけ、投げ捨てると、空いた右手を握りしめて、すぐさま道満の顔を殴打した。

 華奢な肉体からは想像できない膂力による一撃。コンクリート壁すらぶち抜く拳に返されたのは、黒鉄の塊を殴るかのような硬質な手ごたえだった。

 

 鋼鉄の肉体。それを得ようとする術理はこの世にごまんとある。道教における練丹術はその代表。道教から発展した陰陽道の使い手、その最上に位置する者が身体の強化一つできないことは考えにくい。

 さして驚いた様子もなく、創一は振り抜いた右手を引くとともに、霊力を込めた左手の掌底を道満の鳩尾に放つ。

 

 【雷華】

 

 術が発動し、閃光と共に雷の花弁が散った。

 発勁や鎧通しにも通ずる衝撃を内部へと伝える打撃。そこに付随させる雷撃もまた、内側から対象を焼き焦がす。黒鉄の皮膚だろうが意味は成さない。

 うめき声を上げる道満が鋭く創一を睨みつけ、 容赦なく仕掛けられる接近戦に吠えた。

 

 「舐めるなよ若造! 殴り合いが出来んと思うたかッ‼」

 

 鋭く放たれる拳が創一を捉える。顔を狙った一撃を腕で庇い、なんとか被害を抑えた創一の腹部に、今度は蹴りが繰り出される。

 寸前に両足を地から離すことで蹴りの威力を弱めるが、その代償に創一の体は大きく後ろへと吹き飛ばされた。

 地を転がる勢いのまま、弾かれるように創一は立ち上がって態勢を戻す。

 再び間合いが空き、剣や拳から術比べの領域へと引き戻された。

 

 「――また此の石の沈むが如く」

 

 「ッッ!?」

 

 続けられる呪詛の文言。途中で詠唱が途切れたのも関わらず、術を組み込んでいく膨大な魔力は揺らぎない。

 狐面の下で驚愕の表情を浮かべながらも、創一は足を止めなかった。

 再び影の中の仙界より刀を引き出して、道満へと斬りかかる。

 しかし、それよりも早く呪詛が完成した。

 道満が右手を創一へと向け、勝ち誇ったように笑う。

 

 「――沈み臥せ」

 

 神代の呪いが顕現する。

 周囲の熱が急速に失われていき、生じた黒い濃霧が創一の体を包み込んだ。

 神である秋山之下氷壮夫(あきやまのしたひおとこ)の体すら蝕んだ呪詛。

 人一人を殺すには十分すぎる。

 故に、道満は目を見開く。黒霧の先を乗り越えた――白い狐の姿に。

 狐面から差す青の眼光が道満を射抜いた。

 

 「――なッ!?」

 

 神の体すら犯す毒を受けて尚、少年の体には傷一つ見当たらない。

 信じがたい光景を前に、道満が硬直する。

 それは本の刹那の瞬間に過ぎない。しかし、少年に対しては致命的な隙だった。

 黒く輝く少年の凶刃が道満の右腕を斬り飛ばす。

 宙に舞った肘から先。一拍おいて吹き出す鮮血が少年の装いを赤く染めた。 

 

 「――くっ」

 

 口から音を零れ落とす道満に、創一は追撃の手を緩めない。半歩踏み込み、繰り出す次の刃の狙いは首。

 黒鉄の如き皮膚をものともしない一撃を目前に、満満が取った行動は回避ではない。残った左腕で首を庇いながら、あえて道満は一歩前へと踏み込んだ。自分から死神の鎌の前へと進み出た。

 

 しかし、その行為が道満から死を遠ざける。

 創一の一刀は道満の鋼の如き強度を持った左腕を切り、首の肉を裂いたが、その骨を絶つまでには至らなかった。

 刀は切っ先に近い程、その威力を発する。

 距離を詰め、根の部分で受けたがために、命をつなぎ留め得たのである。

 裂かれた首から大量の血液が零れ落ち、道満の体がぐらりと芯から揺れた。人外の身であれど、重症ではあった。

 だが、まだ立てる。まだ、もう少しだけこの闘争を楽しむことができる。

 故に、道満は笑う。血を吐きながら両腕を失った身で、期待に満ちた眼差しを少年へと向けた。

 

 「年寄りの足掻きに付き合ってもらおうか!」

 

 道満の肉体が熱を帯び、その中心から突如として炎が燃え上がる。

 

 「――ッッ!?」

 

 赤色の炎を前に創一は咄嗟に後ろへと飛び退いた。逃げ遅れた右腕が焼かれ、痛々しい火傷を残す。

 奥歯を噛み締めながら、創一が道満を睨みつけた。

 道満の体を薪とするかのように激しく燃え上がる炎は、その圧倒的熱量とは裏腹に、道満の衣服や床面、周囲の物体に焦げ目一つつけることは無い。

 常世のものでは無いことが明白だった。

 

 炎が周囲をぎらぎらと照らすとともに、妖刀や呪詛の応酬で淀んだ空気を澄んだものへと変えていく。

 悪しきものだけを燃やし尽くし、世界を浄化していくその様は正しく聖火。

 それ故に、創一の本能が警鐘を鳴らす。

 その炎は間違いなく今の自分を打ち払うものだった。

 

 「……不動明王の炎、自爆する気か……?」

 

 炎の正体にあたりをつけ、面の下で顔を顰めて創一が言った。

 人の情念を力とする創一にとってそれは天敵で間違いは無いが、道満とてまた同様。外法に身を窶した上、遂に人まで止めた外道に力を貸すほど、不動明王は優しくない。

 現に生じた炎は創一に向けられる前に、それを纏う道満の体を燃やしていく。

 超常の炎が肌を焼き、肉体を炭のように変えていく。

 

 「できることを全力でやらねば、楽しくあるまいて……」

 

 そう言って、道満が真言を唱え始める。

 炎の勢いが一層強まった。

 両腕の無い人型が、白みがかった黒い炭の塊へと変貌していく。

 しかし、その両の眼は力強く創一を見据えていて、真言を紡ぐ荘厳な声に陰りは無い。

 詠唱を止めようと、創一は新たに取り出した太刀を能力で妖刀に変え、刀に込められた情念を刃として撃ち出すが、飛来する黒刃は聖なる炎に阻まれて霧散した。

 創一が手をこまねく間に、遂に道満が真に力ある言葉を紡ぎ終え――炎の海が割れた。

 道満の背後に、巨大な剣が顕現する。

 

 太陽の如く煌めく剣に、散った炎が集まり、渦となって巻き付いた。

 揺らめく赤い炎がその色を黒へと変貌させ、はっきりとた輪郭を描き出す。

 形づくられ、生み出されたそれが黄金の双眸で周囲を睥睨した。

 描かれる形は一匹の黒い龍だ。

 

 「――倶利伽羅龍王……」

 

 剣に巻き付き、全身から火を発する龍の姿を認めて、創一がその名を呼んだ。

 不動明王の化身。三毒を焼き払い、魔王外道を打倒す聖なる黒龍。

 龍の瞳が創一に向けられる。龍の口腔から不機嫌そうな唸り声と、火が零れた。

 

 「おや? これは僥倖。呼び出した瞬間焼き殺されるのも覚悟の上じゃったが……どうやら、お主を焼くことを……いや、()()ことを優先するらしい……」

 

 「……余計なお世話だ。これだから仏尊の類は苦手なんだ……」

 

 自分を見据える龍を睨み返し、創一が吐き捨てるように言う。明王の化身に一切の敬いも畏れも見せないその不遜な態度に、道満が愉快気に口の端を歪めた。

 何処か自嘲的、自罰的な言動の少年だが、傲岸不遜とも言える一面をも持ち合わせている。他者を見下すことは無いが、見上げることも、へりくだる様子も無い。

 少年にとっては神も仏も、妖すらも大差なく、良くも悪くも同列なのだろう。

 例外があるとすれば、たった一柱だけ。

 それ以外の神仏など眼中に無く、敵に回るのであればただ排除するのみ。

 人の身とは思えぬその在り方は、道満から見ても狂気的で、しかしそれ故に眩しく映った。

 

 「はは、そう邪見にしてやるでない。こ奴らも衆生を救うに必死なのよ」

 

 「望まれぬ救いは呪いでしかない」

 

 嫌悪を滲ませながら、創一が吐き捨てる。

 

 「ほぉ、お主が蜘蛛丸にやったようにか?」

 

 死して尚残った強い恨み。怨霊にとって最後の拠り所を、他者を恨む権利すらを奪った事実を指摘され、創一の瞳が僅かに揺れた。

 少しの沈黙の後、ゆっくりと創一が口を開く。

 

 「……そうだ、俺が成したことはそういうことだ。だからこそ――責任がある。まだ荷を下ろす訳にはいかない」

 

 毅然と言葉を放つ創一に道満が呆れた様な表情を浮かべた。

 

 「それはまた……随分勝手じゃなぁ……」

 

 「お互い様だろう?」

 

 「ははっ、違いない」

 

 自分勝手だろうと、自己満足だろうと、一度その怨嗟を引き継いだのであれば、それを容易く絶えさせることなどあってはならない。摩耗などさせない。

 それこそが創一が自分に課す責任であり、覚悟だった。

 故に仏による救いなど不要だ。

 むしろ、創一は憎らしくすら思う。

 この身に宿った数多の情念を、自分が苦しむと分かっていても、抱かずにはいられなかった人々の感情を、毒として焼き払おうとするなど――

 (――許せるわけがない)

 

 足元に伸びる影、そこに開かれた仙界への入り口に、創一はおもむろに手に持った抜き身の刀を投げ込むと、その代わりとでも言うようにまた別の刀が影の中から召喚される。

 一目で異様と分かる刀だった。

 刀身を覆うのは鞘ではなく、無数の呪符。びっしりと符に書かれた文字がその刀の不気味さを際立たせている。

 それまで創一が影から取り出して見せた刀は、全て何の力も宿っていない、只の刀に過ぎなかった。

 しかし、創一が今手にしている其れは異なる。能力によって情念を注がれるまでもなく、呪符で縛られていてもなお、禍々しい気配を発していた。

 

 「虎の子の妖刀だ。曰くにこと欠かない俺の収集品の中でも、特別の問題児。出来る限りは出したくなかったが……龍王を相手取るなら、寝かしておくわけにもいかない」

 

 両手で妖刀を握りしめ、その切っ先が龍へと向けられた。

 

 「――とっとと起きろ、お前好みの獲物だぞ」

 

 刀を握る手から、膨大な情念が妖刀へと注がれる。次の瞬間――呪符が全て一息に焼き切られた。

 楔から解かれた妖刀が歓喜の声を上げるが如く、その邪気を周囲に振りまく。

 聖火によって浄化されていたはずの空気が再び淀み始め、新たに現れた邪悪に龍が怒りの咆哮を轟かせた。

 

 咆哮に怯むことなく、創一の青い眼光が龍を射抜く。自分の胸に手を当てて、少年は叫んだ。

 

 「来い! 倶利伽羅の龍よ! この感情を、数多の思いを――消せるものなら消してみろ‼」

 

 これまで受け継いできたすべての人の情念、それを代弁するが如く少年は冷徹な理性の仮面を取り払って、今だけは感情的に吠える。

 

 少年の感情に感化されるように、龍が動き出した。

 目の前の悪を打ち払い、哀れな人の子の魂を救わんとすべく、慈悲深くも荒々しい龍がその咢を開き――膨大な熱量の聖なる炎が吐き出される。 

 

 天敵足る炎を前に、少年は力強く前へと踏み出した。

 救いはいらない。余計なお世話だと、少年は妖刀を振るう。

 暴力的な慈悲の炎を、純粋な憎悪の刃が押し返す。

 炎が放たれる負の情念を端から焼いていくが――

 

 「舐めるなッ‼ そんなもので俺たちが消せるものかっ‼」

 

 この身に宿る負の感情、それを抱いた人々の数は百や千では効かない。

 億にすら届く非業の思いが、無念に潰えた絶望が、怨嗟が――一匹の龍如きに敗れて成るものか。

 

 「ハァァァァッッ‼」

 

 絶叫と共に刀が振り抜かれ、龍の炎が掻き消えた。

 龍の黄金の瞳が、驚愕するように見開かれる。

 これは何かの間違いだと言うように、再び咢を開き聖なる炎を吐き出そうとする龍に、そうはさせないと創一が駆けだした。

 吐き出す炎だけでなく、龍がその身に衣のように纏う炎もまた、創一にとっては天敵であり、近づくだけでその肌がちりちりと焼けつく。

 だが、構いはしない。

 

 地を蹴って創一が跳び上がる。狙いは竜の口腔。創一へと向けられる口腔の奥から、炎が覗き見えた。

 自ら龍の口へと飛び込む。自殺行為としか思えないその選択は、しかしだからこそ龍にとっても予想外であり、僅かながらその対応を遅れさせる。

 

 だが、言うまでも無く、少年にその隙を晒すのは愚だ。

 少年が突き立てた妖刀が口腔に刺さり、龍の喉元を貫いた。

 神仏すら受け入れがたい精神の死。それを刻む凶刃の一撃は龍にとっても致命的だった。

 絶叫を上げながら黒龍は体をよじらせ暴れまわるが、少年は刃を決して手放さない。

 不完全な形の炎の吐息が創一の全身を炙り、芯から響く激痛が襲うが、歯を食いしばって、耐え忍ぶ。

 

 「――これで、終わりだ」

 

 創一は刀の柄にかかる手を強く握り直し、妖刀に再び情念を注ぐと、その負の力の塊を――一気に爆発させる。

 禍々しい閃光と轟音。

 内側から奔った破壊が龍の体を滅ぼし、同時に道満の背後に聳え立つ巨大な剣が音を立てて砕け散る。

 ばらばらとなった龍の肉片が宙を舞い、血の雨が降った。

 少年の白い装束と狐面が血に染まり、龍の置き土産である炎の熱がその血を一瞬の内に乾かす。

 変色した濃い血の色は赤と言うよりは黒。

 黒狐――少年が外の世界で呼ばれた異名の所以、その一端を前にして炭の人形と化した道満が笑い、膝から崩れ落ちた。

 

 

 

 

 「……この郷は薄氷の上にある。そうは思わぬか? 黒狐……いや、創一よ……」

 

 口を動かす炭の塊を見下ろして、創一は頭を抱えながら重たいため息をついた。

 

 「俱利伽羅龍も大分甘いな……舌の根まで焼いといてくれよ……」

 

 両腕を斬り落とされ全身を火傷で覆われて尚、未だしぶとく生き残る道満に創一は呆れを露わにした。

 

 「本気で容赦ないのう、お主……死にかけの老人の話に耳を貸そうとは思わんのか?」

 

 「……死にかけ? 死にかけだと!?」

 

 聞き逃せない言葉に眉を顰め、創一はじとりとした目を道満に向ける。

 

 「ふざけるのも大概にしろ……そういうのは、()()で来てから言え」

 

 創一の言葉に道満は大きく目を見開いて、肩を竦めた。

 

 「……なんじゃ、気づいとったのか? 渾身の力作だったんじゃがな……何処がダメじゃった?」

 

 「外見は完璧なんだろう。式の気配もしないが……いかんせん中身が歪だ。まぁ、目に見えない精神まで形づくれというのは、無理難題だが……」

 

 人の感情を色として視認できる創一にとって、目の前の道満が作り物であることを看破するのは容易かった。

 もっとも、そんな異能の目が無ければ気づかない程、精巧な式神を作り上げる道満の技術には感嘆するほかない。

 

 「後は……()()()()()。彼の安倍清明と互角に渡り合った陰陽師が、千年以上の月日を経てたどり着いた境地だとしては……千年間眠り続けてでもいたのかと問いたくなる」

 

 「はっ、そうか。この体でも、人の身であった頃の儂の力は超えておるのだがのぉ……

まぁ、それはよい。話を戻そう、お前さんはこの幻想郷をどう思う?」

 

 「……上手くやってると思うが……人と妖のバランスをここまで保てるのは、並大抵のことではない」

 

 実質的な支配権が妖怪側によっていると言っても、人間の暮らしにはある程度の豊かさと安全が保障されている。

 純粋な妖怪だけでなく、人側にとっても頼もしい味方となる神や仙人の類も存在している以上、妖怪に人間が一方的に虐げられるような事態が起こる可能性も低い。

 

 「……そうじゃな、八雲めはよくやっとる。小娘らしい青い理想を抱えたままな……」

 

 「理想? というかお前、八雲と面識があるのか?」

 

 「ん? あぁ、昔ちょっとな……人と妖の共存、あやつはそれをずっと胸に抱いておる。千年以上の月日を経ても尚、呆れを通り越して感心するわい……」

 

 道満の語る話が何処まで信用できるかは分からない。しかし、本当なのだとすれば意外であった。少なくとも、創一の目には彼女が青い理想を抱くようなタイプには到底見えない。

 

 「この理想がどれ程青く、儚いものであるかはお主も知っておるだろう。人と妖のことを知れば知るほど、実現が不可能だと誰もが悟る。その甘い夢を捨てる。しかし、あやつはそれを捨てなかった、捨てきれなかった。それ故に、今、この幻想郷はかような歪な有様をとっている」

 

 道満の言わんとすることは、創一にも理解できた。

 妖怪という存在は例外を除いて、その殆どが人を害するものである。

 人を襲い、害する恐ろしい存在。そうであるからこそ妖怪は妖怪足り得るのであり、根源的に刻まれるその習性に逆らって生きていくことはほぼ不可能だ。

 

 「弾幕ごっこや異変の存在も悪くはない。悪くは無いが……分かるだろう? 命が脅かされることのない、形式的な妖怪による襲撃や異変が行き着く先が……」

 

 人間というものは慣れるのものだ。常に死の危険が隣り合っている環境でも、何度も同じことを繰り返していくうちに、精神が麻痺する。

 そうやって、仕事に慣れ始めて油断したことで、命を落とすこととなった退魔師を外の世界で数多く見た。危機に身を晒してすらその有様だ。

 死の危険が無いと分かる、弾幕ごっこや異変に一体どれ程の恐れが抱かれるというのか。

 事実、創一が目にした幻想郷縁起にはそれまでの異変の様子が記載されていたが、どうやら人里でも異変とその解決を一種の見世物のように扱う風潮が生まれているらしかった。

 

 「清濁を併せ吞むことも、時に冷徹な判断をすることも覚えた癖に、八雲の奴は少女じみた夢を捨てない。故に、自分の理想にもっとも近い今の形の幻想郷が手放せない。それが、砂上の楼閣であることを知りながらな……なんとも哀れで、愚かよ」

 

 心底嘆かわしい、と何処か芝居がかった仕草で道満が語る。

 

 「……今回の意見は儂が鬼と怨霊を焚きつけて起こったものじゃが、別に儂が手を出さずともあ奴らはいずれ異変を起こしたじゃろう。憎悪のまま、悪意のままに、この郷を壊そうと動いたはずじゃ」

 

 ぱきり、と語る道満の顔が陶器のようにひび割れる。活動の限界は目前に迫っていた。少し焦れた様子で道満は続ける。

 

 「この異変は始まりに過ぎない。お前さんが異変を解決しようとも、既に賽は投げられておる。鬼や怨霊だけではない、真に妖怪としてふるまおうとする者が、悪意を以て幻想を打ち壊そうと動くじゃろう」

 

 燻っていた不満が一つのきっかけで爆発するというのは実に説得力のある話だ。

 後追いの形で凶悪な異変が引き起こされることも想像に容易い。

 異変を起こした者たちを完膚なきまでに叩きのめすことができれば、抑止にもなり得るが、既に大きな被害を受けた地底の状況を顧みると、そこまでの巻き返しは困難だった。

 今から異変を平定しても、道満の言う通りそれによって助長される現象まではとても抑えきれない、

 

 「これからやって来るのは混沌の時代……幻想の滅びは近い……それでも足掻いてみるか?」

 

 見定めるような目で放たれる問いに、創一はさして気負う様子も見せず、

 

 「――足掻くさ。俺はもう他に行き場所は無いしな。大体、お前は少し大仰すぎる」

 

 言いながら、創一の脳裏によぎったのは外の世界の光景。不可思議な存在が否定される世の中で、人知れず日常の礎となる退魔師(どうぎょうしゃ)たちの姿。

 世人に理解されぬまま、怪異と戦い命を落としていく彼らの無念をも、創一は既にその身に背負っている。

 身中に渦巻く彼らの声に耳を傾けながら、創一は言った。

 

 「混沌なんてどこにでもある。世界は思っているより平和じゃないし、滅びというのは何時だって近く感じられるものだ。だからといって、何もしないわけにはいかないだろう? 生きるために精一杯足掻く、結局それに尽きるさ。なにより……」

 

 一度言葉を区切って、創一が思い起こすのは心を閉ざした筈の少女。無意識の殻を打ち破り、怨霊に対峙していた彼女の姿は、その感情は気高く美しかった。

 

 「お前が思っている以上に……この郷の住人は強かかも知れないぞ」

 

 「……そうか、そうかも知れぬな。ならば良い、この体も限界じゃ、前座は大人しく退散するとしよう……灼熱地獄跡に向かうといい……そこに滝夜叉姫がいる。蜘蛛丸の怨念すら受け継ぐというのなら、会わぬわけにも行かぬじゃろう?」

 

 「――礼は言わない」

 

 焦げた体がひび割れて崩壊し完全に沈黙する道満を見届けて、創一はその場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 




 登場する色が黒ばっかりな気が……。一応創一のイメージカラーが黒です。龍のカラーリングは紛らわしくないように別の色にしたかったんですが、伝承で俱利伽羅龍は大体黒なので、そこは公式道理にと……。
 でもやっぱ一生中二病を患っている私は黒に惹かれるんですよ。
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