東方狐神録   作:パック

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 週一投稿してる人って本当にすごいですね。僕は時間が捻出できても全然執筆が進みません。


落日③

 絶叫を上げるとともに黒翼の怪物――空亡が右手の大砲を相対する創一とこいしへと向けた。光と熱が砲口へと収束する。その膨大なエネルギーがこれまでとは比較にならないものだと理解して、こいしの額を冷や汗が伝う。

 

 「二手に分かれ距離を取って回避に集中! 間違っても受けようとは思うなよ!」

 

 鋭い声で注意を促す創一に従い、こいしは全力で上へ飛行し、翼をはためかせる怪物から距離を稼ぐ。勿論、一瞬たりとも空亡から視線を逸らすことはしない。

 二手に分かれた獲物を前に、空亡が狙いを定めたのは、こいしとは反対に下へと非難した創一だった。

 全てを呑み込む破壊の閃光、今まさに放たれようとするそれを前に、創一は険しい顔つきをとる。

 まともに喰らえば灰すら残るかも怪しい攻撃。そして、それなりの広さがあると言えど、場所は障害物も何もない、地下へと続く長い円柱形の縦穴だ。

 幻想郷の住人達と異なって、創一には空中戦の経験が極端に少ない。そうした状況を想定した訓練は積んでいるが、所詮訓練は訓練だ。

 幾度となく実践を積み重ねて研かれた白兵戦に比べれば、やはりどうしたって空中戦の技術には拙さが残る。

 

 不利を悟りながら創一は身構えた。

 足元に簡易の結界を張り、脚力を活かした回避を可能とする。

 同時に、創一の周囲を取り巻く空気が大きく渦巻き、唸り声を上げた。少年を守るように生じるのは旋風。

 鋭い風は不思議と中心にいる少年を傷つけることはなく、それはともすれば少年が風を纏っているようにも見えた。

 これといった印や札すら必要としないその神秘の成立は、そのまま少年がその技法に途方もなく心血を注いで来たことが伺える。

 

 「――AAAaaaaaaaa!!」

 

 雄たけびと共に、空亡の砲口より閃光が遂に放たれる。真っすぐに迫りくる死を前に、創一は全力で結界の足場を踏み壊して跳ぶ。纏う風がその背中を押し、加速したまま創一は飛翔の術を行使した。

 その背中を、虚へと放たれることとなった閃光の余波の熱が撫でる。纏う装束が耐火に優れたもので無ければ、それだけで焼け焦げていたであろう程の熱だった。

 だが、初撃を回避した安心など柄の間に過ぎない。

 

 「AAaaaa!」

 

 渾身の攻撃を外した空亡は苛立つように声を上げ、まだ放出の終わっていない砲口を感情のままに振り回す。

 全てを熱して穿つ閃光の柱が大きな縦穴を縦横無尽に駆け巡った。固い岩盤を豆腐でも切るように溶断するそれは最早光でできた巨大な剣だ。

 即死の攻撃を回避したところに、余波の熱が痛々しい火傷を刺激して、創一は面の下で思わず顔を顰める。

 嫌にゆったりと流れる地獄の数十秒を経て、ようやく放出されるエネルギーが途絶え、空亡の右手の砲口から煙が上がった。

 

 「今だ! 畳みかけろ!!」

 

 創一の合図とともに、上空のこいしがありったけの弾幕を空亡へと叩き込み、続いて創一も術で生じさせた雷撃を空亡へと放った。

 攻撃に加減は一切ない。それは霊空路空の救出を諦めたわけではなく、目の前に居る怪物が生半可な攻撃ではびくともしないであろうことを既に二人とも理解しているからだ。

 

 空を救出するにしろ、まず暴れまわる空亡を弱らせる必要がある。心に浮かぶ罪悪感を全て理性で叩き伏せて、こいしは決死の表情で弾幕に妖力を込め続ける。

 だが、それらの猛攻が一つとして空亡へと届くことは無かった。空亡が甲高い声を上げるとともに、その周囲へと展開された結界が、全ての攻撃を阻み、空亡を守りきる。

 

 「――ッッ!? 何でもありか……!?」

 

 二人がかりの攻撃でもひび一つ入らない、結界の出鱈目な強度を目にして創一が呻く。

 連戦によって既にこいしも創一も消耗が激しい。減った妖力や霊力で紡ぐ攻撃は全快時の八割にも満たないだろう。そして、その威力は戦いが長引くほど更に減退していくだろうことは言うまでも無い。

 面の下で苦虫を噛み潰した顔を浮かべた創一がふと呟いた。

 

 「……一か八か能力を……いや、此処では無いな」

 

 脳裏を掠めた考えを一瞬だけ思案するが、直ぐに創一は自身の直感に従ってかぶりを振る。

 【負の感情を力とする程度の能力】、その異能の破壊力であれば結界を破壊して空亡に傷を負わせることも可能ではあった。

 だが、精神に重大な傷を与える創一の異能では、救い出さなければならない霊空路空に重大な悪影響を与えてしまうことは確実である。

 更に、異能の使用の負荷は大きく、既に蘆屋道満との戦いに使用してしまっている以上、創一に許される異能行使の時間は残り僅か。

 (……この時点で能力を使うわけにはいかない。やるとしたら最後のトリ、それも、あの空とか言うのから怨霊を引きはがしてからだ。だが、肝心のその方法が分からない!)

 素早く思考を回すが肝心の打開策は浮かばない。

 思わず歯噛みする創一をよそに、空亡はふと頭上を見上げる。そして、口を開き、

 

 「――――AAAAAAAAAAAaaaa!!」

 

 響き割ったのは一層耳を劈く金切り声。

 大気を震わす怪音波が鼓膜を刺し、音の矛先にいたこいしは思わず両手で耳を塞ぐ。それはごく自然な防衛本能による行動。だが、晒される隙は致命的だった。

 空亡が右手の大砲をこいしへと向ける。

 

 「ッッ!?」

 

 こいしの目が驚愕に見開かれる。

 不意に放たれた音の爆弾とでも言う一撃。

 思考に空白が挟まれ、聴覚を強く刺激された体が反射的に硬直した。

 咄嗟の回避行動など臨むべくも無い。

 

 砲口に熱と光が収束する――先ほどの比ではないスピードだった。その代償なのか、そこに込められるエネルギーは前より衰えて見える。

 だが、満身創痍のこいしを始末するには十分だろう。

 

 対象を仕留める威力だけを残し、その他は発射速度の向上に割く。全ては――目の前の敵を確実に殺すため。

 狂ったように暴れる怪物が垣間見せた意外な知性と鋭い殺意。

 援護は間に合わない、創一が悟ったその刹那――横合いから飛来した瓦礫が空亡の胴を叩いた。

 

 「AAaa!?」

 

 不意の攻撃を受けた空亡が呻き、その注意がこいしから投石の主へと向く。

 空亡の一撃によって崩れ去った地霊殿の地下牢、積み重なる瓦礫の山を蹴散らして、そこに立つ少女が二人。

 傷だらけの黒猫を抱える三つ目の少女と、額から一本の角を生やす隻腕の女鬼。

 瓦礫を投擲した姿勢のまま、女鬼――星熊勇儀がにやりと牙を見せて笑った。

 

 「――何だい、すっかり出遅れちまったと思ったら……最高に盛り上がってるところか……」

 

 「こりゃあいい」と、勇儀は隣の少女が放つ冷たい視線を気にも止めず、周りを見渡して満足げな顔をする。

 新たに現れた標的に空亡は一瞬だけ躊躇いを見せた後、右手の大砲を勇儀へと向けた。

 今にも閃光が放たれようとする砲口に、勇儀は焦るどころか、心底楽しそうに口笛を吹く。まるで、早くかかって来いとでも言うように。

 

 挑発を受けた空亡が雄たけびを上げたその瞬間――空亡の背中にクナイが突き刺さる。

 鋭い痛みに苦悶の声を漏らし、空亡が振り返れば、既に少年は目前へと迫っていた。少年の持つ刀は既に振りかぶられている。

 銀閃が奔った。

 袈裟に切り裂かれた体から散った血飛沫が少年の面と装束を彩るが、それらはもとより濃い血の色に染まっている。

 

 (なるほど、攻撃に転じる間は結界が張れないのか……)

 何の障りも無く、空亡に傷を与えた理由に一人で納得して創一は攻撃を加速させた。

 絶体絶命の危機から転じたチャンスを逃す訳にはいかなかったのだ。

 (殺す選択が取れない以上、この怪物を極限まで弱体化する必要がある。こいしには悪いが……)

 創一の視線がちらり向く先は空亡の右腕。そこに備わる大砲は脅威だ。

 だが、逆に言えばその大砲すら無ければ、空亡の攻撃手段は大幅に減退する。

 妖怪ならば後から部位を着け直すことも造作ない。

 (――右腕を斬り落とす!)

 再び奔りだす銀閃が空亡の右腕へと迫り――硬質な手ごたえとともに、刃が弾き返される。

 

 「くそっ!」

 

 腕を断つ寸前で展開された結界に創一が毒づいた。

 間に合わなかった、そう理解すると同時に創一は素早く後退する。このまま至近距離に居ては危険だと言う判断だった。

 空亡が忌々し気に創一を睨む。

 

 「AAAAAAAaaaaaaaaa!!」

 

 再び奇怪な叫びが空泣きの口から紡がれる。

 その体が今まで以上の熱を発し、光を放つとともに周囲に渦巻く紅色の炎を生成した。

 不動明王の浄化の聖炎とはまた異なる、暴力的な熱を以てただただ焼き尽くすだけの炎。

 後一瞬でも退避が遅れていれば、紅炎に捕らわれていただろう。

 十二分に距離を取った後、九死に一生を得たことにひとまず安堵しながらも、創一は手の着けようが無くなった空亡を見て、面下で顔を強張らせた。

 

 汗の玉が首筋を幾度となく伝っていく。元より人の身には応える猛暑地帯。その温度が目に見えて上昇していた。

 術で肉体を強化していても尚、体力の消耗が抑えられない。

 

 だが、それも致し方ないことであった。

 紅炎を纏い、膨大な熱と光を発する空亡の姿は正に太陽。

 太陽に人が近づけないことは道理だ。それはもう人の領分を大幅に超えている。

 身の程を弁えず、それと距離を詰めればギリシャのイカロスの二の舞だ。最も、目の前に存在する太陽は、墜落なんて甘い死に方を許してはくれないだろう。

 その灼熱に呑まれれば最後、髪の毛一本程の痕跡すら残さずに、この世から消え去ることになるのは目に見えていた。

 

 「たまげたな、まさかこの地底で太陽を見ることになるとは……」

 

 空亡が発する光と紅炎に目を細めながら、勇儀がしみじみとした様子で呟いた。

 

 「言ってる場合ですか! あぁ、お空がどんどん神格に呑まれてく……そもそも八咫烏なんて宿さなければ……本当に、守矢の神は碌なことをしませんね!」

 

 三つ目の少女――古明地さとりがすかさず非難の声を上げる。

 姉の姿にこいしは歓喜の声を上げ、続いて視線をその手に抱かれる黒猫へと移した。

 

 「お姉ちゃん! それに、お燐も! 無事だったんだね!」

 

 「お燐が寸前で瓦礫から私を庇ってくれてね……でも、身動きが取れなくなってしまって、そこに勇儀さんが……」

 

 傷だらけで意識を失っている愛猫を労わるように撫でてさとりが言った。

 

 「物凄い音がしたから地下牢に引き返してみれば、崩落してて驚いたよ。遅くなってすまなかった、片腕だと瓦礫どかすのも一苦労でね」

 

 「気にしないで下さい。それよりこいし、あそこで飛んでる男がまさか……」

 

 「うん、創一だよ」

 

 「なるほど……」

 

 さとりは値踏みするような視線を創一へと向けると、直ぐにその顔色を青く変え、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた。

 

 「あの化けもの相手に果敢に挑めるなんて良い男じゃないかい」

 

 感心するように言ってのける勇儀を、さとりは鋭く睨む。

 

 「貴方は黙っていてください、これは家族の問題です。っていうか何ですあの人間? 平将門かなにかですか? 今のお空よりもよほど邪悪というか……背筋がぞわぞわします」

 

 自分の読心能力に絶対の自信を持つさとりだが、そんな彼女でも怨霊の心を読むのは躊躇うものだ。

 それは、強い悪意や憎悪に染まる怨霊の思考が純粋に見て楽しいものでは無いということもあるが、それ以上に強烈な思考というものが見る者の精神をそれだけで摩耗させる故である。

 よって、内で多数の怨霊が混ざりあっている空亡の心を読むことはかなりの苦痛を伴う。直ぐにでも目を逸らしたいと思うくらいには。

 

 だが、それも空亡と相対する少年に比べれば可愛らしいとすら思える。

 こいしに近づく男が一体どんな輩なのか、しっかりとその心を見定めようとしていたさとりの決心は少年を目の前にして容易く崩れ去った。

 心を読む以前に、覚妖怪としての本能が、ソレに第三の目を絶対に向けるなと告げているのだ。

 決して覗き込んではいけない深淵、それがさとりの少年に対して抱いた印象だった。

 

 「ねぇこいし、悪いことは言わないからあの男は止めておきなさい。あれは私たち覚の天敵、見るだけで呪われる類の存在よ」

 

 心の底から心配する声音でさとりが言った。

 

 「ッ! だからお姉ちゃん! 創一を悪く言わないでって!!」

 

 「――おい、家族団らんは後にしてくれないか! 状況を見ろ!」

 

 姉が下す評価にこいしが機嫌を損ね、口論へと発展する直前で創一が叫んだ。

 見れば、空亡が纏う紅炎が生物のように揺れ動き、創一へと襲い掛かっていた。

 蛇の如くうねる紅炎は予測し難い動きで迫るが、創一は風の術をぶつけてその軌道を逸らすことでなんとか紅炎を躱しきる。

 

 「見ての通り八方塞がりだ! あれだけ熱を放っていれば近づくこともできない」

 

 それどころか、既に空亡が自分から接近するだけで勝負が着きかねない。人は勿論、覚妖怪も、並の炎を寄せ付けない地獄の鬼ですらも耐えきれない程の高熱を今の空亡は放っている。

 この限られた戦場で、太陽に吞み込まれればそれだけで全滅を免れない。状況は控えめに言って最悪だった。

 なぜか今のところ空亡の攻撃手段は遠距離に偏っており、接近する様子を見せないが、それも何時まで続くか分からない。

 

 「何か有効そうな手札を持っている奴はいるか? 目標は依り代の方を生かしつつ事態を収拾することなんだが……」

 

 正直なことを言えば既にその目標を達成するのは絶望的だった。

 直ぐにでも手を打たねば全滅する程に事態は切迫している。

 いよいよどうにもならなくなれば、こいしには悪いが、空亡を始末しなければならない。そして、創一はもうその方法には当たりを着けている。

 今すぐにでも実行することも可能だった。

 だから、これは創一の最後の譲渡だ。

 

 この僅かな間の話し合いで、何の打開策も見いだせないのであれば、腹をくくる必要があった。

 此処で空亡を逃せば、いずれ地上の人間達にまで害が及ぶことは明白である。

 それを創一は許すことができない。

 あくまで狐守創一は人間の味方なのだ。

 嘗ての主人である稲荷神以外に、その優先順位を崩せる者は居ない。

 

 創一の心算に感づいたのか、さとりが眉根を潜めた。その第三の目はあくまで明後日の方向へと向けられている。

 重たいため息の後、さとりが言った。

 

 「……()()()()()()()()()()。ですが……状況が状況です。致し方ありません」

 

 何処か棘を持った、皮肉めいた言い方であった。

 だが、さとりはそれ以上は何も言わない。創一の判断は正しいものだと理解しているからだ。

 だから、それはさとりの最後のちょっとした反抗心から出た言葉だった。

 故に、創一も無言のままただ頷く。感情はそう容易く割り切れるものでないと知っているからこそ。

 

 「……待って、待ってよ! 二人とも何言ってるの!?」

 

 悲痛な音を漏らしたのはこいしだ。

 二人が交わした短い会話、そこにある真意をこいしもまた掴み取っていた。

 

 「まだ、まだ何か手段はあるんじゃないの!?」

 

 こいしの言葉に、さとりは一瞬どうしようもない程悲しそうな表情を浮かべるが、直ぐにそれを打ち消して、冷酷な仮面を被ってぴしゃりと言う。

 

 「いいえ、無いわよこいし。私たちの力で多少精神に干渉したところで、この状況を覆すことは出来ない。ならあの子の飼い主として、地霊殿の主として私が下すべき判断は一つだけ。最も、それすら成功するかは怪しいけど……」

 

 さとりが空乏へと視線を移す。膨大な神気と妖力を漲らせる太陽を崩すビジョンがさとりにはどうしたって見えなかった。

 だが、そこにすかさず創一が口を挟む。

 

 「大丈分だ、そこは心配いらない。守る手も、救う手も乏しいが……そういう手段だけは腐るほど持っている」

 

 自嘲気味に創一は言う。

 その少年の人形めいた双眸の奥に、得体の知れない何かが渦巻いている気がして、さとりは思わず息を呑んだ。

 

 「本当に……本当にどうしようもないの?」

 

 懇願するようなこいしの目が創一へと向けられる。

 哀れだと思う気持ちが無いわけでもない。長い間自分の心に蓋をして来た少女が、ようやく自分の感情に向き合い始めたところにこの仕打ちである。

 少女の感情が悲しみと苦痛の色に染まる光景に、創一自身責任を感じるところもあった。

 

 だが、優先は変わらない。

 この無垢で美しい感情の少女に手を貸すことはやぶさかではないが、一匹の妖怪の心より、大勢の人間の命の方が大切だ。

 そうでなければならない。

 

 「……恨みたいなら好きに恨むといい」

 

 ただそれだけ言って、創一はこいしへと背を向ける。謝罪する気は無かった。そんな上辺の言葉に意味など無いからだ。

 自分の選択が間違っていると思うわけでもない。

 (あぁ……これでまた一つ、綺麗な感情が曇ってしまうのか……)

 何の役にも立たない感傷を直ぐに殺し、創一は酷く底冷えした、無機質めいた瞳を空亡へと向けるのだった。

 

 

◇◇

 

 

 空亡は極めて強力な存在だ。八咫烏の神格と混ざり合った多数の怨霊。疑似太陽足るその力は生半可な力で打破することはできない。

 しかし、それでも付け入る隙はある。

 そして、その手段を創一は既に手にしていた。

 

 創一は刀を腰の鞘に納めると、背負っていた弓を掴む。

 炎の意匠が刻まれる朱色の弓、最初に空亡の翼を射た弓だ。

 

 太陽神天照の御使いにして、自身も大陽の神としての信仰を受ける八咫烏。その姿は三本足の烏だと言い伝えられている。

 太陽の中に三本足の烏を見出したのは何も日本だけではない。三足烏(さんそくう)あるいは金烏(きんう)。その存在は大陸でも神話として長らく伝わって来たのだ。

 発生が違えど、類似した信仰というものは結びき、その存在を同義へと変える。

 

 神を形づくるのは信仰だ。

 稲荷明神がダキニ天や飯綱権現と同一視されたように、八咫烏は金烏と同一視された。

 誤解であろうとなかろうと、そのように信仰されたならそれは一つの真実となる。

 八咫烏という存在は三足烏や金烏と呼ばれる存在と同一の存在であると言えるのだ。よって、金烏が持つ弱点や逸話は、八咫烏にも共有される。

 

 嘗て天に十の太陽が昇った。照り付ける異常な陽光に地に住む人々は苦しみ、そんな事態を打開すべく一人の英雄が立ち上がる。

 英雄は天帝より授かった弓を以て、天に浮かぶ九つの太陽――金烏を射殺した。それが彼の最大の功績であり、破滅への一歩。

 

 創一の手に握られる弓こそ、彼の悲劇の英雄の遺物。

 妖怪や神のような肉体に縛られない存在は伝承の中に生きる者だ。

 それ故に、逸話の再現は彼らにとって特別な意味を持つ。

 節分になればただの大豆が鬼を払う魔除けの力を得るように、太陽に向けられるこの弓もまた本来のスペックを越えた特別な力を発揮する。

 英雄程の腕前は無くとも、目前の太陽一匹を撃ち落とすくらいならばできる。やって見せる。

 

 背中の矢筒の蓋を開け、矢を一本掴み取って、朱の弓へと番えた。

 只ならぬ空気を感じ取った空亡が、その動きを邪魔しようと紅炎を放つが、それらは創一の後方より放たれた無数の弾幕によって打ち消される。

 ちらりと背後を一瞥した先では、勇儀とさとり、そして大粒の涙をこぼしながら、少年を炎から守ろうと弾幕を放つこいしの姿。

 

 「――――」

 

 一瞬込み上げた何かを無意識の領域へと押し込み、冷えた思考のまま少年は弓を空亡へと向けた。

 炎が届かないと悟った空亡が右手の砲口を少年へと向けるが、遅い。少年の一射が空亡の胸を穿つのが先だろう。

 

 一切のブレなく、そう動くことを定められた装置の如く手が弦を引き、黒鉄の鏃が空亡へと狙いをつける。

 一秒、二秒、僅かな時間が悠久の如くゆったりと流れる。

 弓を引き絞る少年に焦りはなかった。視界にちらつく炎も、少年の意識の中には入らない。

 それらへの対処は全て背後の少女達へと任せた。

 三秒、四秒、刻まれる時に合わせて少年は深く息を吸う。五秒、息を吐くと同時に矢を射ろうとしたその刹那――突如として天から降った光の奔流が空亡を呑み込んだ。

 

 「――ッッ!?」

 

 その場の誰もが驚愕した。

 無防備な状態で攻撃を喰らった空亡は、光の波によって下へ押し流される。が、直ぐに背中の巨大な黒翼をはためかせて、その流れへと逆らった。

 

 「マジかっ! 直撃してそれなのかよ!」

 

 膨大な魔力の光線に抗う空亡に、その攻撃の主が焦ったような声を上げた。

 

 「詰めが甘いのよあんたは……」

 

 攻撃の主をたしなめる言葉が続き、上空から二つの玉が降った。

 対極図が描かれた二つの玉から膨大な霊力があふれ出し、淡い光を放つとともに、みるみる内にそれらは巨大化する。

 玉は途中で左右へと別れ、魔力の光に押される空亡に挟み込む形で激突した。

 

 「AAAaaa!?」

 

 空亡の口から悲鳴が漏れた。同時に、抗う力を失った空亡が今度こそ光の奔流に飲み込まれ――遂に穴の底へと墜落した。

 

 唖然とした態度で、各々が上空へと目を向ける。紅白の巫女と、黒白の魔法使いの姿がそこにはあった。

 

 「――よし、これにて一件落着だ!」

 

 魔法使い――霧雨魔理沙がにやりと笑って親指を立てた。

 

 

◇◇

 

 

 「――たぶん、倒せてないわね」

 

 足元に広がる奈落の闇を鋭く睨みつけながら、霊夢がぽつりと呟いた。

 その言葉に魔理沙はぎょっとした顔をする。

 

 「それ本当か? お前と私の渾身の一撃をモロに喰らったんだぞ。少なくとも余力はないだろう」

 

 不満げな魔理沙に、今度は勇儀が口を開いた。

 

 「いや、あれは多分その内戻ってくるだろうよ。今の内に息を整えておいた方が良い」

 

 戦闘に慣れている勇儀と霊夢の言葉に、皆が緊張した面持ちで穴の奥を覗く。

 永延にも続くような縦穴の底はとても見えない。下から吹きつける熱風だけが、その底に広がるであろう灼熱地獄跡の存在を知らしめていた。

 いつ目前の闇の中から太陽が返り咲くのか。その瞬間を待ち構え、全員が自然と口を噤んだ。

 

 ふと、こいしが思い立って創一の顔を見やる。他の面々が呼気を整え、妖力や霊力を高めて臨戦態勢を敷いている中で、創一だけは顎に手を添え、何かを思案している様子だった。

 そして、その狐面から覗く視線が霊夢へと向く。

 

 「博麗の巫女、一つ確認したいことがある」

 

 「……何よ?」

 

 横合いから声をかけられ、集中を乱された霊夢が鬱陶し気に応えた。だが、創一は特にその態度を気にする様子もなく続ける。

 

 「――神降ろしはできるか? それと、博麗神社の祭神は何だ?」

 

 「神降ろしはまだ分かるとして、祭神? 今関係あるのそれ?」

 

 「あぁ、大事なことだ」

 

 「……私を誰だと思ってるの? 博麗神社の素敵な巫女様よ! 神降ろしくらい朝飯前だわ。祭神が誰かは知らないけど……」

 

 最後だけ罰が悪そうに言った霊夢に創一が一瞬呆気にとられたような顔を浮かべた。

 

 「――祭神が分からないか……巫女なのに……分からないと……」

 

 言葉を反芻するように創一は俯いて呟き、

 

 「――ふっ、ははッ」

 

 堪え切れないと言った様子で笑いが零れた。

 

 「はぁ!? ちょっとあんた! なに笑ってんのよ!? また私を馬鹿にする気!?」

 

 霊夢は眉を吊り上げて、鬼のような形相で創一へと詰め寄った。それを「誤解だ」と手で窘めながら、自分を落ち着かせるように大きく呼吸して、創一は改めて霊夢へと向き直った。

 

 「別に馬鹿にしてるんじゃない、むしろ逆、いや本当に――最高だ。神社で言ったことは全部撤回しよう。よくこの場に来てくれた! 俺は博麗の巫女と言うものを侮っていた、心から謝罪する」

 

 そう言って素直に頭を下げる創一に、霊夢は少々面食らった。しかし、直ぐに調子を取り戻して胸を張って見せる。

 

 「まぁ、分かったらいいけど……これに懲りたら、霊験あらたかな内の神社に参拝することね。あ、もちろんお賽銭は忘れずに!」

 

 「すげぇ、速攻切り替えて金せしめに言ったぞ……」

 

 「お金に対する厭らしさを隠さないところも、参拝客が少ない原因のように思えますが……」

 

 元気よく賽銭をねだる発言をした霊夢に、魔理沙やさとりが呆れを含ませた視線を向けた。

 

 「参拝か……それも悪くは無いな。最も、この山場を越えてからだが……来るぞ」

 

 足元に広がる奈落の闇、そこに一つの小さな光球が浮かび上がる。光球は徐々にこちらに近づき、その大きさを増していく。

 周囲を取り巻く空気が一層強い熱を持った。

 再び熱と光を取り戻した太陽が、闇より這い出ようとしていた。

 皆に緊張が走る。

 そんな中、創一だけが何処か明るい調子で声を上げた。

 

 「聞いてくれ! 策がある、依り代を殺さずに、この事態を完全に収拾して大団円を迎える策だ! 幸運なことに、全てのピースが今揃った!」

 

 創一の言葉に一同が驚愕の顔を浮かべた。

 こいしの瞳が再び舞い降りた希望を信じて良いのかと揺れ動く。その心情を察知して、創一はこいしへを真っすぐに見据える。

 

 「――虫の良いことを言うが……力を貸してほしい」

 

 創一の言葉に僅かな逡巡を見せ、

 

 「……うん、分かったよ……」

 

 こくりとこいしが頷いた。

 お空の殺害を視野に入れていたことに思うことも無いわけではないが、状況が状況である。こいしとしても創一を責める気にはなれなかった。

 ただ、少しだけこいしの胸の中に引っかかるものもある。

 (あの時の創一の目……)

 

 空亡を始末すると決心したときの少年の瞳。少し前の自分と同じような虚ろな瞳のその奥に、得体の知れない何かが潜んでいる。こいしにはそんな気がしてならなかった。

 何処か親近感を抱いていたはずの目の前の少年が、今では自分とは根本からまるで違う者のように思えた。

 

 そんなこいしの不安をよそに、了承を得た創一は手早く作戦の概要を皆へと伝える。

 落日の時は刻一刻と迫っていた。

 

 

 




 やっと主要自機勢の霊夢&魔理沙を登場させることができました。機会を伺っていたのですが、なかなかタイミングが掴めなくて。
 霊夢と魔理沙が地底に向かうまでの経緯もまた別の話でやります。
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