東方狐神録   作:パック

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 三月中に第一章書き上げたかったけど無理そうです。


夜の帳

 

 神降ろし、それは神の器足り得る者に許される秘儀。八百万の神々に請い願い、自分の身を依り代として分霊を宿し、神の力を行使する。

 神の器となるには、ただ霊的素養に優れているだけでは不適当である。

 必要なのは透明な自我。外よりもたらされる全く異なった神の自我に、反発することなく順応する自我が無ければ神降ろしは成立しない。

 

 だが、呼び起こす神との精神的共鳴が強ければその限りではない。例え寛容な自我を持たずとも、依り代の精神性そのものが降ろす神に近いのであれば、神降ろしの奇跡は成される。

 最も、神と類似した精神を人が持ち得ることは極めて稀だ。

 

 霊烏路空は前者、自我が透明に近いタイプだと見て間違いない。希薄な自我に、灼熱の炎に耐えられる肉体、そして烏であると言うこと。八咫烏の器としては最適である。

 親和性の高さを鑑みれば、霊烏路空から八咫烏を引き離すというのは並のことでは無い。

 其れを成すには、まず八咫烏と空の間のつながりを弱めなければならないだろう。

 そしてそのためには――

 

 「――お前の能力が必要不可欠だ。頼むぞ、こいし」

 

 傍らに立つこいしに創一が真剣な面持ちで言った。

 神の分霊を体に宿し、神憑りとなった者は解離性同一障害、所謂二重人格と呼ばれるものに極めて近い状態となる。

 正確に言うならば、人格が二つに分離したわけではなく、元々あった人格に神格が加わった形だ。

 そして、片方の顔が出ている間は、もう片方の顔は意識の奥底――無意識の中へと押し込まれることとなる。

 

 「でも創一、私無意識を操れる力はあるけど……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて、やったこと無いよ……」

 

 そう言って不安げな表情を浮かべるこいしの頭に、創一がぽんと手を置いた。

 

 「問題ないさ。意識と無意識を隔てる壁なんて、それほど堅牢なものじゃない。今のこ

いしならばそれを乗り越えられるはずだ」

 

 意識と無意識、二つの領域に宿る感情を視認する少年の言葉に、こいしは僅かな逡巡の後ゆっくりと頷いた。

 

 「分かった、やってみるよ」

 

 「よく言った。時間稼ぎは俺と彼女たちに任せろ」

 

 背後に待機する勇儀と魔理沙を親指で指して、創一が言った。

 無意識の中にある霊烏路空の人格、自我を意識の領域へと引き戻し、逆に八咫烏を無意識へと押し込む。

 とはいえ、前者に比べれば後者の実現性は低い。神の精神を容易く封印できるとは考えにくいのだ。

 しかし、それでも構わなかった。本命はそこではない。あくまで狙いは、霊烏自空の自我を呼び起こすことで、八咫烏とのつながりを弱めることだ。

 それさえ実現できれば、創一が頭の中で思い描く策は成る。

 

 「ここが正念場だ、気張ってくれよ。何としてでもこいしと博麗を守り抜く必要がある」

 

 「分かってるって! てか、止めはお前がやるんだろ? 大人しく下がってていいぜ。空の相手は勇儀と私の二人で十分だ!」

 

 自信満々に言って見せる魔理沙の姿に、創一は面の下で口元を緩める。

 

 「頼もしいことこの上ないが……不測の事態を備えるとやっぱり頭数は居るだろ」

 

 「あの……だったら、私も手伝いますけど……」

 

 創一の言葉に、おずおずと手を上げるのはさとりだ。

 その華奢な体には無数の傷が刻まれており、ひどく痛々しい。

 

 「大人しく休め、今にも倒れそうな状態じゃないか」

 

 「貴方や勇儀さんだってボロボロでしょう……」

 

 じとりとした視線をさとりは創一へと向ける。

 妖刀によって片腕を斬りおとされ、力の大部分を失った勇儀の消耗は激しいが、それ以上に、あくまで人の身である創一の損傷もまた計り知れなかった。

 白装束から覗く四肢は酷いやけどで覆われており、特に右手に至っては一部炭化しているようだった。黒ずんでいる中指と人差し指は最早使い物にならないだろう。

 

 どうしてそんな状態で刀を振れるのか、さとりには不思議でならない。

 しかも、立っているだけで辛いだろうに、当の本人は狐面の下で涼しい顔を浮かべているのが何となく分かるので、背筋にぞわりとしたものすら感じる。

 

 「生まれつき俺は頑丈だから問題ない。その猫を連れて非難してろ」

 

 さとりが抱く黒猫に視線を移し、創一は追い払うように手をひらひらと振った。

 勇儀と魔理沙も創一の言に同意を見せ、観念したさとりがしぶしぶと言った様子でその場から離れる。

 

 其れを見送り、一同が下に目線を向ければ、そこにはより間近となった光球が浮かぶ。

 一度は落とされた奈落の闇より舞い戻った太陽、八咫烏と怨霊の混合体――空亡が鋭くこちらを睨みつけていた。

 灼熱の空気がちりちりと肌を焼き、発せられる陽光が目を眩ませる。

 言葉を発さずとも、各々が自分の役目を果たすために身構えた。

 空亡が右手の砲口を向ける。

 

 「勇儀! 支えてくれ!」

 

 膨大な熱と光の凝縮を見て、真っ先に動き出したのは魔理沙だ。

 ミニ八卦炉にありたっけの魔力を叩き込み、それを空亡へと向ける。

 

 「任せな!」

 

 魔理沙の要請を受け、勇儀は隻腕で魔理沙の背中を支える。

 弱体化したとは言えど鬼の四天王。強力な後ろ盾を得た魔理沙がにっと不敵に笑い、ミニ八卦炉を起動させた。

 

 「――喰らいやがれ!!」

 

 【恋符・マスタースパーク】

 膨大な魔力の大河が破壊の熱光線と正面からぶつかり合う。

 弾幕ごっごでは見せることのないミニ八卦炉の真の火力。

 その圧倒的火力の反動は重く、普通に使えば魔理沙の軽い体は紙のように吹き飛び、照準がまともに定まらないところだ。しかし、今の魔理沙の背には勇儀がついているため、その心配は無い。

 互いの砲撃の威力は拮抗し、光の衝突点で尋常じゃない火花が散った。きらきらと輝き舞い散るそれらはまるで星屑のようだ。

 

 (マジか! このレベルでやっと拮抗なのかよ!)

 山一つ焼き払う程の最大火力は、オーバーヒートの可能性を考慮して選択してはいない。それでも尋常じゃない程のミニ八卦炉の火力を解放しているのは確かであり、それ故に魔理沙は冷や汗をかかずにはいられなかった。

 終わらない力の押し合いに、ミニ八卦炉を支える魔理沙の両腕が悲鳴を上げ始める。

 

 その様子を見かねた創一が空亡の翼を狙って矢を放つ。が、矢が着弾する前にその動きを目で捉えた空亡が攻撃を中止し、身を翻した。

 目標を失った黒鉄の矢が横合いから伸びる魔力光の奔流へと呑まれて消える。

 

 「流石に警戒されてるか……」

 

 最初に翼を射たときだけならまだしも、一度創一は本気で空亡を殺すために弓を構えてしまっている。太陽殺しの逸話を持つ弓をだ。

 空亡はその弓の危険性を本能的に悟ってしまっているのだろう。だからこそ、何よりも真っ先にその攻撃を回避しようと動く。

 矢を当てることは困難となっていた。

 

 (まぁ、それならそれでやり様はあるがな……)

 思考を回しながら、創一は迫りくる紅炎に風の術をぶつけて打ち消し、取り出したクナイに雷の術を纏わせて投擲する。が、それを空亡は右手の砲筒を棍棒代わりにして弾き飛ばした。

 ならばと、創一が再び弓を構えれば空亡が警戒心を露わにし、その視線が集中する。

 

 【魔符・スターダストレヴァリエ】

 

 弓にばかり気を取られた空亡に、意識の外より降り注ぐ星々の弾幕が殺到した。

 しかし、空亡の損傷は軽微なもので、それらの傷も直ぐに時を巻き戻したかのように再生される。

 

 「くそっ! これじゃあキリがないじゃないか!!」

 

 渾身の攻撃が悉く痛手とならないことに魔理沙が毒づいた。常に魔法において破壊力を追求してきた彼女にとって、目の前の結果はかなり応えるものだ。

 

 「いや、そうでもない。よく見て見ろ」

 

 創一に促されるままに魔理沙が空亡を注視すれば、その動きが何処となくぎこちないことに気づく。魔理沙の攻撃に対して反撃を見せる様子も無かった。

 

 「こいしの能力が徐々に効いているんだ。今の内に畳みかけろ!」

 

 言いながら、創一が懐から幾つもの符を取り出して素早く呪文を唱えるとともに、頭上高くへそれらを放り投げる。膨大な霊力を込められた符が淡く輝き、そこに刻まれた術式が発動した。

 

 【術式・鬼哭驟雷(きこくしゅうらい)

 

 宙を舞った符が一斉に弾け飛ぶともに、天より幾つもの雷撃が降り注ぐ。光と轟音を伴って、空気を引き裂く雷霆の槍が空亡へと襲い掛かった。

 

 「――AAAaaa!!」

 

 迫りくる雷を忌々し気に睨みつけ空亡が吠える。

 その身より生じた灼熱の炎が雷撃とぶつかって黒煙を撒く。

 だが、創一は追撃の手を止めず、煙の中に身を投じながら印を結んだ。

 

 「――(オン) 荼枳尼天(ダキニ) 怨敵降伏(サハハラキャティ) 成就あれ(ソワカ)

 

 唱えられるのは荼枳尼天の真言。

 宙に生じた五芒星の文様から、一振りの光り輝く宝剣が射出され、空亡の片翼が刺し貫かれた。

 苦痛の声を漏らす空亡に、魔理沙が弾幕を放って追い打ちをかけ、生じた隙を突いて勇儀が前へと進み出る。

 

 「――ぶっ飛びな‼」

 

 空亡の放つ高熱に肌を焼かれながらも、構わず接近した勇儀がその拳を振り抜いた。

 

 「AAAaaa!?」

 

 鬼神の渾身の一撃を受け、空亡が勢いよく岩壁へと激突した。

 頑丈なはずの岩壁が落雁のように容易くひび割れる。

 しかし、それ程の攻撃を受けて尚、空亡は直ぐに身を起こして右手の大砲を三人へと向けた。

 

 「ッッ‼ またなのか!?」

 

 再び発射準備にとりかかる砲口に、魔理沙がミニ八卦炉を構えて前へ進み出る。

 

 「――待て霧雨!」

 

 残った魔力を注ぎ込み、今度こそは打ち勝って見せると息巻く魔理沙の背に、創一の制止の声が掛かった。

 

 「どうして止めるんだ!?」

 

 背後を見やって魔理沙が叫んだ。

 

 「――もういい、もう十分だ」

 

 「何を馬鹿な! このままじゃ私ら皆あいつら……に……!!」

 

 再び空亡へと視線を向けた魔理沙が目を見開き、構えていたミニ八卦炉を降ろした。

 空亡は依然として右手の大砲をこちらへと向けている。が、その砲口に熱や光が収束する様子は見受けられない。

 彫刻のようにその姿勢を維持したまま、空亡は無言で立ち尽くし――数秒を経た後に、顔を手で覆いながら金切り声を発した。

 手の間から覗く瞳には、先ほどまでのような闇を湛えた様子はなく、ただただ困惑の色だけが浮かんでいる。

 

 「なぁ、これって……?」

 

 空亡の変貌ぶりに魔理沙がおそるおそると言った様子で尋ねた。

 

 「あぁ、ようやくだ」

 

 それに答えながら、創一は上空を見上げた。

 その視線の先で、今の今まで能力を行使していたこいしが肩で息をしている。全身から汗を滴らせるその様子が、彼女がどれ程の困難を無し遂げたかを語っていた。

 こいしの能力によって今、空亡の意識の中で八咫烏の自我とその依り代――霊烏路空の自我がせめぎ合い、両者の間にあるつながりが薄れていた。

 

 創一はこいしの更に頭上で浮かぶ少女へと視線を移す。

 瞑想するように瞼を閉じ、黙するその巫女の少女へと。

 

 「――出番だぞ、博麗の巫女!」

 

 少年の声を合図に、目を開いた霊夢が片手で拝む姿勢を取って呪文を紡ぐ。

 異様な、しかし耳に心地よくもある呪文を紡ぎ、彼女は巫女の秘奥たる奇跡を成した。

 神降ろし、本来であれば大本の神霊から分霊を賜わうその儀式を、天賦の才を持った彼女は捻じ曲げる。

 霊烏路空という依り代に宿った八咫烏の分霊を霊夢は自分の元へと呼び寄せたのだ。

 

 空亡の胸元に灯る宝石のような赤い瞳がひび割れ、その中から炎を纏った烏が生まれ出でた。

 金色に輝く烏が新たな依り代となる霊夢の元へと羽ばたく。

 渦巻いていた怨霊が依り代である空ではなく、分離した八咫烏の方へと憑いていることを創一は異能の目で確認して――弓を引き絞った。

 

 朱色の弓とつがえられる金属の矢に負の感情が注がれる。呪具となった弓矢が禍々しい気配を纏い、黒く輝いた。

 

 【下弦・弓張月】

 

 放たれた呪いの矢が一条の黒い流星となって、八咫烏の胸を撃ち抜いた。

 八咫烏が声にならない微かな音の断片を喉から零す。その金色の体毛が徐々に輝きを失い、普通の烏となんら遜色のないものへと変貌した。

 真っ黒な体毛となった八咫烏が縦穴の底へと真っ逆さまに落下し、奈落の闇へと溶け込んで行く。

 ――こうして、地底の太陽は沈んだ。

 

 

 

 

 「――なんだ?」

 

 頭上より落下してきた見すぼらしい一匹の烏に、隻眼の男は首を傾げた。

 微かな神気と怨念を漂わせる烏は、どうやら見た目通りの燃え滓らしい。

 こちらを絶えずに威嚇する烏に男は歩み寄ると、

 

 「――五月蠅い」

 

 憮然とした表情でソレを踏みつぶした。

 小さな悲鳴と共に火が燃え上がるが、その最後の抵抗を男はつまらなそうに消し飛ばす。その動作はまるで、羽虫を手で払うかのような容易さで行われた。

 高貴なる太陽神の分霊が真っ白な灰に変わり、完全に沈黙する。

 

 「……ふむ、これが怨霊どもの切り札か……」

 

 期待はしてなかった。と言うよりは、そもそもどうでも良かったというのが男の本音だ。

 元より、厄介な覚妖怪を打倒するために結んだ同盟。その後のことは勘定に入れていない。

 だからこそ、事前に聞かされた空亡が打倒されたこと自体に何の感慨も湧かない。ただし――

 

 「これをここまで追い詰めた奴がいると言うことか……面白い」

 

 そうやって男が笑みを零したとき、再び頭上より降り立つ者があった。

 目を向ければ、そこに佇むのは狐の面を被る何者か。烏に止めを刺そうと追って来たのだろう。用心深い手合いだ。

 面も装束も血で赤黒く染まっており、その面から覗く青い眼光が男を見据えていた。

 その姿を見て、男の脳裏に協力者より伝え聞いた話が浮かぶ。外の世界で最も恐れられるという、年若い退魔師の話だった。

 

 「――百鬼殺しの黒狐……だったか……?」

 

 その名を聞いた時、心の底から打ち震えたことを覚えている。

 これは一体何足る因果か、奇跡なのかと。

 百鬼夜行を率いてことを成そうとする自分の相手として、そこまで相応しい者も居ないだろう。

 その者が自分の前に立ちはだかることを男は何度も夢想した。

 そしてそれが遂に叶ったのだ。

 名を呼ばれたことに、面から差す青い瞳が少しだけ見開かれる。

 

 「……さては蘆屋道満だな、余計なことを……」

 

 年若い声が分かりやすく不機嫌な響きを伴って発された。

 

 「おや? これは君の外の世界での活躍を冠した異名だろう? 何か気に障ることでも?」

 

 「大ありだ。宇迦之御魂神の使いの俺に、よりによって()()だぞ。皮肉に過ぎる」

 

 自分の衣装をひけらかすように見せながら、少年が言った。

 血の汚れで見る影も無いが、少年が身に纏っている装束と面は元は白色だったのだろう。

 稲荷大神の神徒である白狐を装う少年を差して、黒と表するのは確かに陰鬱な悪意のようなものを感じさせる。

 

 「……なるほど、苦労しているようだな。しかし、そう気を落とす必要は無いぞ。いつの世も……異端と蔑まれる者ほど世の中を大きく変える力を持つものだ」

 

 只の慰めの言葉ではない。少なくとも、目の前の少年には時代を変革するだけの大きな力がある、男は心の底からそう思った。

 

 「……かも知れないな。だが、生憎俺はこれといった大望なんて抱いて無い。役目も終えたことだし、人里で適当に家族と小さなカフェでも切り盛りしながら、細々と暮らしたいものだ」

 

 「若者が早々に隠居後の身の振り方なんて考えるものでは無い。それに……君には悪いが――明日の晩には人里なんてものは無くなってるさ」

 

 男が少しだけ剣呑さをちらつかせて言った。

 少年はそれに差して驚いた様子も見せず、「だろうな」とだけ口にして――腰の刀を抜き放った。

 清浄な気配を纏った刃が煌めく。強力な神による加護を受けたものなのだろう。

 自分の得物とはまるで正反対だと考えながら、男は手を突き出して少年の動きを制する。

 

 「元気が良いのは結構だ。だが、頼むから止してくれ。折角出会えた好敵手に成り得る相手――万全な状態で戦いたい」

 

 少年の風体は正に満身創痍と言ったものだった。

 余程激しい死線を潜り抜けたのだろう。

 そんな状態で尚二本足で立ち、自分に刃を向けているという事実に男は感嘆する他ない。

 

 脆い筈の肉体で、不撓不屈を貫く少年の姿は男の目にはいっそ神々しくすら見える。だからこそ、こんなタイミングでそれを手折ることをしたく無かった。

 だが、少年はそんな男の言葉を鼻で笑う。

 

 「鬼の癖に戦慣れしてないのか? 常在戦場、殺し合うタイミングなんて選べるものじゃない。まして、こちらは退けないんだ。明日の晩に人里を滅ぼすなんて脅されてはな……」

 

 人の味方として在ろうとする少年にとって、男の提案は決して受け入れられない。ここで男を逃せば、人里を戦場とすることが避けられないからだ。

 そこで失われる命は決して軽いものでは無い。

 こうして相対した以上、少年には男を仕留める以外の道は無かった。

 

 少年がゆらりと刀を構えた。

 右足を引き、体を右斜めに向け、刀を右脇に取って切っ先を後ろに下げる。脇構えと呼ばれる型。

 それは相手に刀身の長さを悟らせない構えであり、同時に何度も切り結ぶことを良しとせず、速攻で勝負を決する意思を示すものだ。

 

 「……そうか、ならば致し方ないか……」

 

 少年に応えるように、男は背負っていた刀を引っ掴んで鞘を取り払う。

 露わとなったのは刃渡り七尺を超える大太刀。

 重厚な黒鉄の刀身は濡れたような光沢を帯びており、禍々しい気配を発している。

 

 「妖刀か……」

 

 その正体を察して創一が呟く。

 

 「そうだ、妖怪同士の戦いは勝負が着かないからな。この手のモノは重宝する。道満には感謝しなくては……」

 

 そう言って男が大太刀を上段に構えた。その一連の動きに垣間見えるのは確かな研鑽に基づいた技だ。

 目の前の鬼神が一人の武人でもあることを少年は理解した。

 

 「……この果し合いに最上の敬意を払い、名乗ろう。鬼の四天王が一人――鬼道丸拘魔(きどうまるこうま)

 

 「――第63代目狐守家当主・狐守創一(きつねもりそういち)

 

 鬼神に応えて、少年もまた名乗った。

 相対する二人は互いに機を伺い、微動だにせずに睨み合う。

 両者の距離は約五メートル。剣を交えるには些か遠いが、常人の域に居ない者達にとっては誤差の範囲だ。

 一秒、二秒とゆったりと時間が流れ、

 

 「――お待ちください」

 

 両者の意識の外から声が掛かり、勝負に水を差す。

 いやに甘ったるい声だ。

 創一には馴染みなく、だが鬼道丸には幾ばくか聞き慣れたもの。

 だからこそ、本の少しばかり鬼道丸の意識がそこに向けられた。と言っても、それは隙と呼べるほどのものでは無い、ごく僅かなものだ。

 

 事実、鬼道丸は自身の構えに綻び一つ見せていない。

 その逞しい四肢の力が弛んだわけでも無かった。

 故に、少年がその意識の揺れを突いて動き出せたのは、彼が人の感情を捉える異能の目を持っていたからに他ならない。

 

 「――ッッ!?」

 

 コンマ数秒の意識の遅れ、しかしそれは達人同士の立ち合いにおいては勝負を分ける要素に成り得る。

 少年が一歩踏み出すとともに、刀の柄から離した左腕を振り抜く。

 いつの間にそこに握りこんでいたのか、投擲されたのは小型のクナイ。既に能力によって呪具と化したそれは、鬼神の頑強な皮膚を貫く威力を有している。

 

 暗器を悟らせないように、自然と手元を隠すために選択された脇構え。

 まんまと少年の策に嵌ったことに歯噛みしながら、鬼道丸は眼前に迫る凶器への対処を余儀なくされる。

 (ギリギリ躱せなくはない、がそれをすれば態勢が崩れる! ならば――)

 

 「――!」

 

 避ける動作すら見せず、首を凶器で穿たれながら一歩踏み込む鬼道丸の姿に、創一が面下で瞠目した。

 頭上から、創一目掛けて重力を味方につけた大太刀が振り下ろされる。

 

 鬼神の怪力で振るわれるその一撃を受ける術など存在しない。故に、創一は右手で握った刀を切り上げ、大太刀を横合いから叩くことで、その剣線を左へと僅かに逸らす。

 同時に地を蹴って自分の体を右前方へと滑り込ませた。

 

 瞬間、創一の体を衝撃が襲う。

 逸らし切れなかった大太刀の刃が左肩を掠め、肉と骨の一部が切り削がれた。

 左腕からふっと力が抜ける。重要な筋を失ったらしかった。

 だが、創一は歩みを緩めることなく、間合いを詰める。

 

 威力、リーチともに脅威な大太刀だが、一定の距離まで接近できれば創一の持つ刀の方が優位となる。

 また、互いに一度刀を振り抜いてしまった以上、どちらがより速く次撃を放つかは明白だった。

 創一が選択したのは刺突。

 銀光を煌めかせる刃の切っ先が、鬼道丸の喉元に狙いを付けた。

 半歩の踏み込みと共に、右片手で刺突を繰り出し――

 

 「――ッ!?」

 

 狐面の下で創一が驚愕に目を見開く。

 (――なんだ!? 体が動かない!)

 突き出した刀の切っ先が鬼道丸へと届く前にぴたりと止まる。

 不意に訪れた束縛感。体の自由が奪われ、刀を握る手が伸び切らないままに固定された。

 

 「……梓、何のつもりだ? まさか俺を助けたつもりか……?」

 

 不機嫌そうに鬼道丸が言った。

 その視線の先に居るのは着物姿の女だ。

 着物はところどころ破れており、血が染みている。肩で息をしていることからも、女がかなりギリギリの状態でいることは間違いなさそうだった。

 

 「……いいえ、滅相もありません。ただ、鬼道丸様、約束は守ってもらわなければなりません。貴方様の舞台はこんな薄暗い地の底では無いのですから。夜行の面々も、主たる貴方を心待ちにしているのですよ……」

 

 甘ったるい声で紡がれる言葉に、鬼道丸は唸る。

 勝負に水を差されたこと自体は腹の底が煮えくり返るほどに腹立たしいが、成り行きで起こった事と言えど、この戦い事態が約束事を反故にすると言われれば、拳を収めぬわけにも行かなかった。

 鬼道丸は深くため息を吐くとともに、創一へと向き直る。

 

 「……悪かったな創一、やはり俺は此処で決着を着けるわけにはいかんのだ。百鬼夜行を決行すると約束してしまっているからな。傷を癒し、また俺に挑んでくれ……」

 

 「勝手なことを……だから俺は鬼が嫌いなんだ」

 

 毒づきながら、創一は視線を梓へと移す。

 

 「……上手いこと、うちの式神を撒いたみたいだな……」

 

 「えぇ、何とか……もう少しで食べられるところでした」

 

 着物の袖で口元を隠して梓が笑う。

 目の前の女に劉厳がやられたとまでは考えない。大百足という蟲妖は、そう半端な存在では無いのだ。

 大方、多少脳筋のきらいがある劉厳が搦め手で逃げられたのだろうと創一は予想する。

 

 「なんだ、そうなのか……帰ったらお仕置きだな、悪食は止めろといつも言ってあるんだが……目を離すと直ぐに根が腐ったものを口に放り込もうとするんだ、困った奴だよ」

 

 「…………まぁ、愉快なお方ですね……」

 

 あくまで梓はにこやかな表情を浮かべるが、その目は全く笑っていない。

 良い具合で挑発が効いたことを異能の目で確認して、創一はひとまず溜飲を下げた。

 

 「それでは黒狐殿、我々はお暇させて頂きます、博麗の巫女やらが駆けつけてきても面倒なので……」

 

 そう言って、梓が懐から呪符を取り出して、放り投げる。その瞬間、何も無かったはずの虚空に裂け目が生じた。

 

 「っ……!! その術……!!」

 

 八雲紫の異能によって開かれる境界、それに酷似した異空間の裂け目に、創一は驚愕せずにはいられなかった。

 

 「ふふ、我が主もまた、底知れぬ御方なのですよ……」

 

 したり顔で梓が笑みを零した。

 蘆屋道満、女の主人であるその男の顔が脳裏に浮かべば、創一の顔は自然と苦いものとなる。

 思えば、今回の一件で創一は道満に振り回されてばかりいるのだ。苦労して打破した相手も只の式神、大した痛手を与えられたわけでもない。

 創一の心中は穏やかでは無かった。

 黙する創一を尻目に、梓は鬼道丸を手招いて、空間の裂け目へと身を投じる。

 

 「……それでは、御機嫌よう」

 

 恭しく梓が頭を下げる。それを最後に空間の裂け目が閉じ、創一だけがその場に残された。

 

 「……ようやく、体が動く」

 

 身を縛る何か、梓が女郎蜘蛛であることを踏まえれば糸なのだろうが、やっとそれから解放された体の調子を調べるように、創一は右手に握った刀を何度か振ってみる。

 

 「――?」

 

 不意に、創一の視界がぐらりと揺れた。

 

 「あっ……」

 

 肉体が限界を迎えた合図だと瞬時に悟るが、既に打つ手は無い。力の抜けた体は地に伏せ、四肢は投げ出される。

 まだ異変が解決しそうにないことをぼんやりと考えながら、創一は遂に意識を手放した。

 

 

 

 

 




 
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