――時を巻き戻すこと数刻。
窓の外に見える景色は黒く霞がかっていた。元々、魔法の森と呼ばれるこの場所では濃密な魔力と瘴気が充満しているため、雲一つない晴れの日でも、森の中はとても薄暗い。
だが、今は幻想郷中に充満する黒い霧によって、その暗さに拍車がかかっていた。
しかし、その一方で森を渦巻く瘴気に大きな変化は見られない。魔法の森に住処を構え、瘴気に慣れた魔理沙をして、薄ら寒く思うあの黒霧の影響がどうやら森にはあまり出ていないらしかった。
推測するのであれば、魔法の森特有の魔力と瘴気が黒霧と反発しているのだろう。
人から忌み嫌われるこの森が、今だけは外からの害意を跳ね除ける聖域のように機能していることが、魔理沙には少し可笑しかった。
黒霧の持つ瘴気から解放されたからなのだろうか。
先ほどまで荒ぶり続けていた感情が、今は一転して嘘のように静まっている。単純に、ずっと秘めていた思いを全て曝け出しからなのかもしれないが。
魔理沙の脳裏に霊夢の顔が浮かんだ。
普段の昼行灯な態度からは及びもつかない博麗の巫女としての顔だ。
彼女がその表情を見せるとき、いつも、自分は少しだけ気圧される。それを目にしたときだけ、自分が彼女とは違う者なのだと思い知らされるから。
親の反対を押し切り、最後は勘当されてまで魔理沙は魔道の道へと足を踏み入れた。
人里という小さな箱庭の中で、自分の一生を終えることが堪らなく嫌だったからだ。自分たちの暮らしに何の疑問も持たない人里の連中のこともいけ好かなかった。
だからこそ、博麗霊夢という少女を魔理沙は羨ましく思った。
人里の住人と違って、数多の魑魅魍魎が跋扈する外で、自由に空を翔けることのできる彼女の姿がとても眩しく映ったのだ。
だが、それは幼い故の浅薄でしか無かった。
魔術を学び、妖怪と戦える力を身に着け、自身もある程度超人と言える領域に近づき、幻想郷を俯瞰的に見ることができるようになって、やっと理解することができた。
霊夢が自分と違って大きなものを背負っていると言うことを。
博麗の巫女というものがどれ程この幻想郷にとって大きな意味を持つのかを。
魔理沙には背負うもの等ありはしない。大仰な使命なんてものは無いのだ。
別に、それを持つ霊夢のことを羨ましく思っている訳では無い。彼女もまた、好き好んでそれを負っているわけではないのだから。
だがらこれは、とどのつまり負い目のようなものである。
博麗霊夢という少女は、魔理沙にとって憧れの対象でもあると同時に、対等な友人として在りたいと真に思う相手だ。
だから、どうしようもない程に重い物をたった一人で背負わされる霊夢に対して、負い目を抱いてしまう。やるせなく思ってしまう。
最も、本人はそんなことをおくびにも出さない。もしかすれば魔理沙の独りよがりの只の杞憂なのかもしれない。
しかし、魔理沙にはそんな風には割り切ることができなかった。
口でどう言い繕うとも、魔理沙自身が自分と霊夢が対等であることを心からは信じられないのだ。
霊夢と互角に弾幕ごっこに興じることができても、一緒に異変解決に赴こうとも、真に博麗の巫女として振舞う彼女に付き添うことができなければ意味が無い。
「……私があいつに守られてたら、意味が無いんだ」
博麗の巫女にとっては、あくまで魔理沙も守るべき幻想郷の人間の枠内に収まっているのだろう。
それが魔理沙には我慢できなかった。
「……お前が力を貸して欲しいって一言言ってくれれば……私はッ!」
思わず魔理沙は手を握りしめる。
魔理沙とて、人外と本気で戦うことに恐怖を感じないわけではない。
非殺傷の弾幕ごっと言えど、当たり所が悪ければ人なら簡単に死にかねない。だが、やはりそれはあくまでスポーツの域を出て居ないものだ。
少なくとも、誰も真に殺気や悪意を込めて弾幕を撃ちはしなし、勝負に負けることが死に直結することは無い。
だから、今回の異変に対する恐怖は魔理沙にも人並みにある。
だが、それでも、友人が力を貸して欲しいと言ってくれるのであれば、魔理沙はためらわずに頷くことができた。
重い荷を少しは背負ってやることができたのだ。
しかし、霊夢からの返答はそんな魔理沙の感情を粉々に打ち砕くものだった。
それは、きっと自分を案じた故の言動だったのだろう。彼女とは長い付き合いだ。それくらいは魔理沙にも分かっている。それでも、
(――私はお前と対等で居たいんだ)
「証明してやるよ、霊夢。私も、お前と肩を並べて戦えるってことを……」
目の前の机に広げた魔法薬の硝子瓶と魔術触媒を全て鞄に詰め込み、ミニ八卦炉だけを内ポケットに押し込んで、魔理沙は席を立つ。
そのまま入口に立てかけてある愛用の箒を手に取って、自宅の扉を勢いよく開け放った。
「――あ?」
思わず魔理沙は目を丸くする。
目の前に映ったものが理解できなかったのだ。
開けた扉の先、何処か罰が悪そうに俯いて、一人の少女が立ち尽くしていた。
「――霊夢……どうして?」
自分の名前を呼ばれた少女がびくりと肩を震わ、おずおずと顔を上げる。あまりに彼女らしくない動作だった。
まるで、叱られる子供のようだ。
その余りにも意外な反応に、一瞬魔理沙は呆けるが、直ぐに気を取り直す。
「……何の用だ?」
出来るだけ剣呑な様子を滲ませるように努めて魔理沙が言った。
実際のところ、今は霊夢に対して大きな怒りは湧いていない。だが、あんな風に別れた以上、相応の対応というモノがあるだろう。
故に、魔理沙は本心を偽って鋭く霊夢を睨みつける。
「言っておくが……止めても無駄だからな。お前はお前で好きに動けばいい、私は私で好きに動く」
言ってから、魔理沙は愛用の帽子を深く被り直す。
ちらりと霊夢の顔を伺えば、口をもごもごとだけさせていた。
やはり、魔理沙の良く知る霊夢とは些かかけ離れた姿だった。いつもの彼女ならば、言いたいことははっきり口にしている。
霊夢の言い淀んでいる様子をみれば、自分を止めに来たと考えて良いのだろう。だとすれば、自分はそれに関して折れるつもりは一切無い。
これ以上顔を突き合わせている必要も無いだろうと、魔理沙は霊夢の横をすり抜けて、その場から足早に立ち去ろうとする。が、そんな魔理沙の服の袖を霊夢ががっしりと掴んで引き留めた。
「ッ!? 何のつもりだ? 私はもうお前と話すことなんて――」
「――お願い、聞いて魔理沙」
強引に手を振り払おうとした魔理沙に、霊夢が真剣な面持ちで言った。
彼女の黒目がちな目が魔理沙を真っすぐに見据える。不安そうに揺れていて、しかし奥底に決意のようなものを秘めた瞳だった。
只ならぬ霊夢の様子に魔理沙は黙り込む。今だけは何が何でも彼女の話を聞かなければならない、そんな気がしたのだ。
耳を傾ける姿勢となった魔理沙に、霊夢はほっと胸を撫でおろすと、ゆっくりと口を開いた。
「……魔理沙、私に力を貸して欲しいの……」
その言葉に魔理沙は目を見開く。
「今更なんだって思うのは仕方ないわ。だから……それについては謝る。ごめんなさい」
深々と霊夢が頭を下げた。
魔理沙は目の前で起こっていることが信じらず、唖然とする。謝罪されるなんて思ってもみなかったのだ。
互いに譲り合うことなく、再び口論になるものとばかり思い込んでいた。
しかし、そんな魔理沙の予想は大きく外れることとなった。
ゆっくりと顔を上げた霊夢が、再び魔理沙を見つめる。その表情は強張っていた。
おそらく、魔理沙が黙したままでいたせいだろう。実際は、怒りではなく、驚愕ゆえの沈黙なのだが。
「言い訳になるけど……巻き込みたくなかったのよ。こっち側は……碌なモノじゃないって知ってるから」
そう語る霊夢の瞳に薄暗い色がちらりと宿る。それはきっと、まだ魔理沙が目にしていない面の話なのだろう。
友人が抱えている重りに無知な自分が悔しくて、いつの間にか魔理沙は奥歯を噛み締めていた。
「強くても、弱くても、死ぬときは簡単に死ぬし……私だって怖い物は怖いんだから、そこに友達を巻き込むってのが……」
歯切れの悪い様子で霊夢は続ける。
元々頑固な性格で、言葉をとり繕う手合いでもない。上手い具合に謝罪の言葉が浮かばないのだろう。
だからこそ、必死に言葉を探す霊夢の姿からは、それだけ真摯な思いが伝わって来る。
魔理沙としても一々そこに目くじらを立てることはしたく無い。
だが、
「――だからだろ……」
それは自然と零れた声。
霊夢の言葉を魔理沙は何としてでも否定しなければならなかった。
「え? ごめん魔理沙、私よく聞こえなくて……何て言ったの?」
いつになくしおらしい様子で聞き返す霊夢に、魔理沙は大きく息を吸い込み、
「――友達だからだろ‼ 巻き込めよ!!」
あらん限りの声で叫んだ。
呆気に取られる霊夢に、魔理沙は思いの丈をぶつける。
「頼ってくれれば、二つ返事で引き受けるさ! 私は博麗の巫女でもなんでもない、使命なんてものとは無縁な、ただの魔法使いだ! でも、お前の友達なんだから……!!」
顔を赤くして、魔理沙は声を張り上げ続ける。
「……友人だからこそ、力を当てにしてくれよ! お願いだからさ……そうじゃないと、私がお前の友達で居られなくなるじゃないか……お前ひとりだけを矢面に立たせるなんて、そんなこと……!!」
「魔理沙……」
肩で息をする魔理沙の瞳を霊夢はじっと見つめる。
「――ありがとう」
絞り出すような、震えた声。
涙こそ見せないが、その瞳は濡れたような光沢を帯びていた。
普段の気の強さからは想像できない彼女の姿に、つい魔理沙の口元が緩む。
「私の方こそごめんな霊夢、そんでもって、心配してくれてありがとう」
帽子のつばを少し持ち上げて、魔理沙は精一杯の笑みを浮かべて見せた。
なんてことはない、喧嘩した友達に言うべきことなんて決まっている。
互いに謝って、ぎこちない笑みを浮かべて、握手でもすれば十分だ。
魔理沙は拳を自分の胸の前へと突き出す。
「――じゃあ、気を取り直して異変解決へと洒落こもうぜ! 私たち二人なら、最強だろう?」
「えぇ、きっとそうね……」
不敵な顏を覗かせる魔理沙に、霊夢もまた笑って、突き出される拳に自分の拳をこつんと合わせた。
今回の異変の危険性は互いに重々承知していたが、二人が揃えば、本当に負ける気がしないのだから不思議なものだ、
少なくとも、霊夢の胸の内からは抱いていた微かな不安や恐怖が払拭されていた。
惜しみの無い月光と星光が辺りを照らしていた。
月が満ち、星が河となって夜を彩る。
遮る雲は一つとして存在しない。
それはこの場所が空より高い位置にある故だ。
天の最上――非想天。
有の頂にして、天人たちが暮らす楽園。
そんな天上の園に男は座していた。
年の瀬は二十代前半といった、精悍な顔立ちの男だ。身に纏う狩衣は夜に溶ける程に黒く、そこから覗く肉体は鍛えられているようで、引き締まっている。
極楽に身を置きながら、男の纏う気はあまりに禍々しい。周囲の空気が淀み、男の座す一区画だけが、地獄のような物々しさを放っている。
血生臭さや死臭が今にも漂って来そうな有様だった。
不吉というモノが人の形を得たならば、きっとこの男のような様相になるのだろう。
片膝を着いて、男は天より地上を見下ろしていた。そこに貼りつけている顔は、無情な超越者のようにも、冷静な賢者のようにも、ともすれば無邪気な悪童のようにも見える。
どの面が男の本質であるのか、余人にはおよそ知る由の無いことだ。
そのどれもが嘘偽りのない男の面の一つかも知れないし、反対に全てがまやかしなのかも知れなかった。
生涯に渡って他者を騙しつづけた男の真を計ることのできる者など居ない。
それは、最早当人すらあずかり知らぬところであるのだから。
呪術師である男にとって、嘘を吐くことは呼吸と同じである。
息をするように他者を謀るのが常であり、また、そうしなければ生きていくことができない。
呪いの根源は負の感情だが、最も原始的な呪法は嘘である。
明確な悪意を伴った欺きこそが、太古の時代より秩序を脅かし、不和を呼びこんで、破滅へと導く。
男は今宵も欺き、混沌をもたらす。
美しき幻想を、悪意をもって踏みにじる。
「……来よったか」
呟くとともに、男はゆっくりと背後を振り返った。
その視線の先には四人の少女が佇んでいる。
一番先頭で、少し強張った顔を浮かべているのは八雲紫だ。
「……お久しぶりですね、道摩法師殿」
広げた扇子で口元を覆い隠しながら、紫が言った。
気品を感じさせる実に優雅な振る舞いであったが、男に向けられるその視線には、灼熱のような怒りが灯っている。
「あぁ、久しいのう八雲紫。少しは大妖怪らしい品格が身についたようじゃな。今のお主なら……月軍相手でも無様を晒さずに済むのでは無いか?」
嘲るような道満の言葉に、ぎりりと奥歯を砕く程に噛み締めるのは、紫の式である八雲藍だった。
生真面目な彼女が敬愛する主人への侮辱を聞き逃せるはずは無い。
今にも喉笛へ飛び掛かりそうな程、鋭い目つきで藍は道満を睨む。
それでも、彼女がそれを行動へ移さず、ギリギリで踏みとどまって居られたのは、他ならぬ主人の忠告故だ。
道満が如何に巧みに言葉を使い、人ならず人外までをも惑わすかを教えられていたためだった。
殺気の籠った視線に返すように、道満はその奈落のような暗い瞳を藍へと向ける。
瞬間、藍の体を悪寒が駆け巡った。呼吸が乱れ、蛇に睨まれた蛙のように体が固まる。
全身を巡る血液が一気に冷却されるようだった。
「――っ、はっ……」
冷や汗を滝のように垂らす自分の式に、舌打ちと共に紫は手に持った扇子を振り下ろす。
容赦ない一撃が藍の額を強かに打ち据えて、小さな悲鳴を上がった。
赤くなった額をこすりつつ、困惑しながら藍が顔を上げた。
「ゆ、紫様……? 何を?」
「冷静になったかしら? あの手のモノと迂闊に目を合わせるのは危険よ。言ったでしょう、あの男は妖怪だって簡単に惑わす。一瞬気を抜いただけで、此処に居る全員が出し抜かれることになるわ」
「っ……見苦しいところを御見せいたしました」
まんまとしてやられたことに恥じ入って、唇を強く噛みながら藍は紫に深く頭を下げる。
それを尻目に、紫は依然として道満を警戒する姿勢を貫く。
「……藍を惑わすレベルの邪視。ますます腕に磨きをかけたのね。余程、生涯で清明公に勝てなかったことが応えたのかしら?」
「ははっ、挑発の仕返しか? 悪いがそれで怒るほど儂も狭量じゃない。ただ、そうだな……彼奴が人として一生を終えてからは、一周回って彼奴以外に術比べで負けて成るものか、という気持ちが芽生えてな。魔界やら地獄やらでひたすら呪術を研鑽しておったら、此処までは辿り着けた」
道満の口ぶりからは、まだ自分の技術に満足がいかないことが感じ取れた。
顔にこそ出さないが、紫は内心その途方もない探求心に舌を巻く。同時に、厄介に過ぎると毒づきもした。
基本的に妖怪は鍛錬というものに対して消極的であることが多い。
妖怪という存在そのものが、生まれながらにそのスペックのほとんどが固定されがちであることも原因の一つだが、一番の理由は寿命が長い故の、変化に対する緩慢さである。
人のように一生を限られた者は、その短い時の中で何かを成し遂げなければならない。
だからこそ、彼らは変化に、成長に貪欲であり、今まで目覚ましい進化を遂げてきたのである。
それ故に、人であったころの姿勢を保ったまま、己の技を磨き続ける道満は厄介極まり無いのだ。
研鑽を続けると言うのであれば、魔法使いや仙人も当てはまる。しかし、彼らの多くはあくまで純粋な探求者に過ぎない。
戦う力を持っていたとしても、それはあくまで探求の副産物であり、誰かを殺すことを念頭において技術を磨いていたわけではないだろう。
悪意をもって他者を害する――呪いというものを千年以上磨き続ける奇特な者は、目の前の男くらいだった。
道満は藍を興味深そうに眺めて口を開く。
「しかし、八雲よ……よりにもよって九尾の狐を己の式とするとはな……お前なりの意趣返しか? だとすれば、随分可愛らしいが……」
「別に、優秀だから手元に置いているだけよ。それ以上の理由は無いわ。過去に拘って人材を取り逃しているようじゃ……それこそ三流でしょう?」
「違いない。そも、細かいことを言うならば、
ゆるりとした態度で道満は語る。終始気を張っている紫たちに対して、彼は何処までも無防備に思えた。
だが、だからといって紫たちは前へと踏み出すことができない。
道満の纏う気は変わらず禍々しく、油断しているのかどうかすら計りかねるからだ。
ふと、道満の視線が紫の背後で状況を見守る二人の少女へと向いた。
一人は道満の知っている顔だったが、もう一人は面識は無い。
空のように青い髪をはためかせる少女は、そのあどけない顔立ちとは裏腹に、途方もない神々しさを放っている。
神秘が薄れる世では、神霊ですらこれほどの力を持つ者はそう多くは無い。
「……ふむ、もしやお前さんが噂の不良天人か?」
「――っ不良じゃない! 私は生粋の天人だ! 畏れ多くも天界の地を踏んだ不遜な輩め、口を慎め!」
心当りを口にする道満に、比那名居天子は猛然と抗議の声を上げた。
半ば強引に紫に連れて来られたがために不機嫌だった少女は、その一言で怒りを爆発させたのだ。
更に彼女を不快にさせるのは、
「大体お前、いくら何でも血生臭さ過ぎるだろう。死神どもよりも濃い死の匂い……あぁ、鼻が曲がりそうだ……」
端正な顔を歪めて天子は服の袖で鼻を庇う。
死という穢れより離れたところに身を置く天人にとっては、その匂いこそが最も忌むべき悪臭だった。
陰陽道や呪術なんてものに露ほども興味を持たない天子は、蘆屋道満が何者であるかなど知りもしないし、知りたいとも思わない。
だが、目の前に居る男が今までに何を成して来たかは、おおよそ察することができた。
「おい、紫! お前の言う通りだった。こいつは野放しにしてはならない奴だ。とっ捕まえるならさっさとかかるぞ!」
「おいおい、性急過ぎるぞ。もう少しくらい年寄りの話に付き合ってくれても言いじゃろう? まだ、言葉を交わせてない旧知の者も居るんじゃ……」
そう言って道満はずっと黙したままの少女へと目を向けた。
他の少女達に比べても一回り小さい体躯。だが、そこに宿る怪力がこの場のどの人外たちよりも優れたものであることを道満は知っている。
鬼の四天王の筆頭格――伊吹萃香。
星熊勇儀に次ぐ怪力に加え、道満をして油断できない妖術と、特異かつ強力な異能すら持ち得る。鬼という怪物の中での更に別格の怪物。
牙を研ぎ続けて来た今の鬼道丸でも、少女に勝てるかは怪しい所だ。
萃香は道満の視線を無視して、口を噤んだままでいる。
嘘を嫌う彼女からすれば、嘘を呼吸とする道満は最も唾棄すべき相手だった。
しかし、だからといって糾弾の言葉を道満に口にすれば、それ自体が男の策に嵌ることであると彼女は既に知っている。
故に、萃香は断固として道満と言葉を交わす気は無い。
道満と目を合わせることもせず、萃香はただ黙々と、信頼する紫が開戦の合図をするその瞬間を持っていた。
その信頼に応えるように、紫が毅然とした態度で道満を見据えて言い放つ。
「――御託はもう結構。言葉で惑わす
冷たい声の死刑宣告。
紫の体から膨大な妖力が迸り、清涼なはずの天界の空気が更に禍々しく歪む。
だが、刺すような殺気を受け止める道満の顔に恐怖の色は無く、むしろ嬉々とした表情すら浮かべている。それは正に逢魔が時にはしゃぐ童のようだった。
「はは、結構結構。しかしな、八雲よ……お主はちと遅かった」
「何ですって……?」
この期に及んで余裕の態度を一切崩さない道満の言葉に、紫が眉を顰める。
しかし、直ぐに目の前の男は途方もない嘘つきであるということを意識して、構わず開戦の合図を出した。
藍が無数の弾幕を展開し、道満へと一斉に射出する。
その弾の後を追って駆けだしたのは萃香だ。
道満が結界を展開し、弾幕を容易く防ぐ。が、その眼前には地を抉るほど踏みしめ、拳を振りかぶる萃香の姿があった。
(――結界ごとぶち抜いてやる!)
殺気と共に放たれた渾身の一撃は、しかし道満に届くことは無く、結界に触れることすら無かった。
突如として空間が歪み、裂けて露わとなった異空間に萃香の拳が飲み込まれた。
「なッ!?」
萃香の目が驚愕に見開かれた。
異空へと消えた萃香の拳に硬質な手ごたえが伝わり、その瞬間背後で苦悶の声が漏れる。
見れば、背後で勢いよく吹き飛んで地に倒れ込んだのは天子だった。
彼女が元々立っていた場所には、萃香の前に現れたものと同じ空間の裂け目が出現しており、そこから萃香のものと思わしき拳が突き出ている。
まんまと同士討ちさせられたことを理解して、萃香が奥歯を噛み締めた。
「――馬鹿なっ!? あいつ、紫様の能力を!!」
【境界を操る程度の能力】主人である八雲紫が持つその異能によって起こされる神秘と同様の光景に、藍は思わず叫ぶ。
空間の境界を操ることで作られる空間の裂け目を、どういう訳か道満は己がものとしていたのだ。
「別に、そこまで驚くようなことでもあるまいて。どれほど特異な異能でもそこには何らかのルールが存在する。ならば、同じように境界へ働きかける術理の解明も、決して不可能では無い。最も現状は空間をどうこうするくらいしかできぬ……所詮猿真似の域を出ていないという訳じゃよ」
心底残念そうに道満は語る。
そこまで再現できている時点で可笑しいのだと紫はつい叫びたくなるのをぐっとこらえた。
そこでふと、紫の脳裏にある疑問が浮かぶ。
(空間移動の能力があるのに……どうしてずっと天界に居たの?)
紫がこの場に居る以上、今更力を使ったところで道満は簡単には逃れられない。だが、紫に空間移動を捕捉されていない状況下であれば、もっと追手を攪乱して逃れ続けることも可能なはずだった。
(いや、それだけじゃない! こいつはずっと、私たちを待っていたような様子だった!)
様々な疑念が紫の思考に降り積もる。
そして、極めつけは先ほどの道満の言葉。
「……お主はちと遅かった」
それが成す意味とは何か。
自分と似た力を得た道満は、一体何をする気なのか。
「――ッッ!? 貴方まさか!!」
紫の顔から血の気が引いていく。
それだけは有ってはならないことだった。
それはこの幻想郷の真に破壊するものだった。
道満がにやりとして、芝居がかった口調で語る。
「さぁ、甘く儚く拙い幻想の終わりがやって来るぞ! お主らはどう足掻いて見せる? 本物の悪意と破壊を前にどう戦うのだ!? 牙が折れておらぬというのなら、証明して見せよ」
狂人の哄笑が天界へと響き渡る。
それよりずっと下、雲より差す月光が照らす地上にて、音もなく闇の中に開かれた空間の裂け目より――出でた百鬼夜行が人里へと進行を開始した。
魔法使いや仙人は東方に何人も登場していますが、彼女らは強くても別に戦ったり殺したりするために力を付けた人種では無いんですよね。
戦闘や殺しに特化したスキルツリーの持ち主が、魔女や仙人のように長い時を修行したとしたら、とんでもないことになるのではって妄想です。