お人好しの主人公というよりは、お人好しのムーブをする主人公です。
知識として理解している倫理道徳の表面をなぞったり、自分の知っている善人の模倣をしているだけなので、ところどころ齟齬が生じます。
彼に義務感はあっても、正義感は無いです。
その異変に真っ先に気づいたのは、一人の烏天狗だった。
突如として幻想郷を包んだ黒い霧。地底よりあふれ出たらしい瘴気を含むその霧が、異変が解決したのか、徐々に薄まっていた頃合いだった。
雲の合間から月光が差す。今宵は満月だった。
数多の妖怪たちが、最も力をつける夜だ。
夜に生きる妖怪にとって、月の光は至上の恵みである。
夜の闇を月が照らしてしまうのだから、一見して妖怪にとっては不利に思える。だが、暗い夜を淡い月光が照らすからこそ、そこに陰が生まれるのだ。
そして、人々はその照らされることのない、全く未知の領域である陰に畏れを抱き、怪異を見出した。
その意味で、月は妖怪の生みの親だとも言えるかもしれない。
数多の妖怪の例にもれず、烏天狗――射命丸・文もその身に月光を受け、心地よさそうに伸びをする。
自身が趣味で発行している新聞、そのネタ探しのために文は幻想郷中を飛び回っている最中だった。
黒い霧、地底より現れ出した怨霊達、再びやって来た異変という一大イベントを前に、記者である文は少し浮足立っていた。
日中取材を続けていた文だったが、満月の影響もあって、疲労というものとは縁遠い。
こんな素晴らしい夜ですら出不精を決め込んでいるであろうライバルに差をつけてやろうと、文が息巻いていた丁度その時だった。
突如感じた濃密な妖気に文の背筋が凍る。
(――っ!? これは、この妖気は――)
懐かしくあり、恐ろしくもある暴力的な気配。
文は弾かれたように顔を上げる。妖気は北の方角より発せられていた。
硬直した体を叱咤し、文は全速力で空を翔けだした。
気配の正体を確かめる必要があったのだ。
そして――遂にそれを目撃するに至った。
「……嘘、でしょ……」
悪夢のような光景に文は眩暈すら覚えた。
どうして、今更何を、浮かぶ言葉は独り言にすらなりはせず。水分を失った口が、浅く呼吸を繰り返すだけだった。
文の視線の先、地上を行進するのは妖の軍勢。その多くは額から角を生やしている。今は天狗たちが支配する妖怪の山、その嘗ての支配者である鬼の姿がそこにはあった。
ふわりと夜風に流されて漂ったのは濃密な血の匂い。今の幻想郷では久しく薄れたものだった。
その匂いが、あらゆる楽観的な見解を一蹴し、一つの事実を突きつける。これは決して遊びの範疇に収まるものでは無いと言うことを。
百鬼夜行の先頭、数多の妖を率いているのは隻眼の鬼だ。文もよく知った顔である。それ故に、彼らが今になってこの郷で何を成そうとしているのか、察することは難しくなかった。
「あぁ……貴方方は何処まで行っても変われないということか……」
哀愁が込められたような少女の呟きが、風に流されて消えていく。
◇
真っ赤な炎と黒煙が目に映る。
家屋が焼け落ちていく中を人々が悲鳴を上げて逃げ惑っていた。
足元で這いずり回る炭の塊は、よく見れば元は人の形をしていたらしい。
塊のひとつが、焦げ切った手で俺の足を掴んだ。
人の体温では無い。焼け残った炭の、ぎりぎり火傷するかどうかといった温度だった。振り払うことは容易だったが、そうはしなかった。
炭が頭部と思わしき部分を上げたとき、目があったからだ。
おそらくそれは最早見えていないのだろうが、その瞳には色があった。やりきれない己の実情に対する怨恨が、そこに確かに灯っていたのだ。
◇
負の感情というものは猛毒だ。
それを抱えて良いことなんて一つも無い。
人を憎み続けて生きることはそれだけで不幸で、実に悲劇的な話だ。その癖、抱くことを止められないのだから質が悪い。
憎しみ、恨み、妬み、怒り、苦しみ、悲しみ、今まで多くの負の感情を見てきた。
そして多くを喰らってきた。食傷になるくらいに。
喰らった感情全てが血肉となり、力となり、苛む毒と成る。
だが、それでも構わない。その道を選んだのは自分自身なのだから。
今度こそ、俺が自分の意思で決めたものなのだから。
どれだけ毒が心に回ろうとも。
いつか壊れてしまうまで、自分が何者であるかが分からなくなってしまうまで、この道を進んで行く。そう決めたのだ。
◇
――鳴り響く爆音が鼓膜を支配した。
そこかしこで上がっているはずの鬨の声と悲鳴がまるで聞こえなくなる。せめてもの救いだった。
硝煙の匂いと異臭が鼻腔を刺激する。
異臭の原因は人だ。
劣悪な衛生環境の下で過ごした、垢だらけの人間の体臭は酷い。その悪臭は思わず涙が出そうな程で、出すものなんて無いのに吐き気を催す。
けれど、それらの生物由来の悪臭はまだましだった。
生き物ではなくなったモノが発する――死臭に比べれば。
芯から砕けそうな体に鞭を打って、前へ前へと進めば戦場の景色がいつの間にかがらりと変わる。
隣を走る味方の姿は無く、自分を憎む敵兵の眼差しも無い。
声を上げる者が居なくなった、おぞましい死臭だけが漂う地獄絵図。その中心に、何時しか一人で佇んでいた。
生き抜いた安堵も高揚も無い。
既に負った傷は致命的で、地獄から生還することは不可能だった。
故郷の家族にもう一度会う望みを果たすこともできない。
戦場で上がる黒煙によって淀む空を見上げれば、この世に神や救いなどというものは無いのだと、そう信じるには十分だった。
◇
――絶望の記憶を何度も夢に見る。
地獄のような戦場で命を散らした者。
謂れなき罪で処刑された者。
裏切りに倒れた者。
家族を目の前で嬲り殺しにされた者。
生まれることすら許されなかった者。
誰の思いだったのか今となっては既に分からない。彼らの顔を知る術は無いのだ。
負の感情の残滓が、自分の怨嗟を知ってくれと、毎夜毎夜記憶の断片を見せつける。
多くの者が悪夢と評するであろうそれらも、物心がつくときからの付き合いである自分にとっては既に只の日常でしかなかった。
幼い時は確かにそれらをあまり快く思っていなかったが、今となっては受け入れる用意はできている。
生まれ持った能力をどれだけ口では厭っていようが、結局は利用し、自分の目的を成就させているのだ。
望まぬ者達からすらも、感情を奪い続けているのだ。
その程度の代償を受け入れるのは当然だろう。
夢という世界に、一生安息を求めることができない、ただそれだけの話である。
(……あぁ、でもなぜだろうか? 今日だけは――)
いつもより、少しだけ夢の中が温かく感じられた。
◇
目を開けば、見知らぬ天井が視界へと飛び込んだ。自宅とは正反対のヨーロッパ風の建築だった。
ギラギラと輝くシャンデリアが少し眩しい。ゆっくりと上体を起こせば、膝元で目を瞑る少女の姿が目に映る。
椅子に座ったまま、体を預けるように、古明地こいしは創一の膝元へともたれ掛かって眠っていた。耳を澄ませば、少女のか細い寝息が聞こえてくる。
彼女の小さな両手は、優しく包み込むように、創一の投げ出されていた左手を握っていた。彼女が長らくそうしていたであろうことを、その手に灯った熱が物語っていた。
それに感謝の意を伝えるように、創一は反射的に空いた右手、包帯でぐるぐる巻きにされたそれをこいしの頭へと伸ばす。
だが、創一は一瞬体を硬直させると、すぐに手を引っ込めた。そして、出来るだけ力を抜いて、こいしを起こさないように注意を払いながら、握りこまれた手を抜き取ろうとした。
「――信じられませんね。そこで手を振りほどこうと思いますか?」
呆れを含ませた非難の言葉に創一は目を向ける。
扉を半分開いて、部屋の外から冷たい視線を創一へと注いでいるのは古明地さとりだ。
彼女はため息を一つ吐いた後、憤慨した様子で、しかし眠る妹を起こさないように足音を殺しながら部屋へと入り込む。そして、創一の目の前まで近づいて鋭く彼を睨んだ。
「妹に聞きましたよ。あなた、読心能力があるんでしょう? なら、妹があなたをそれなりに良く思っていることが分かるはずですが……」
苦虫を噛み潰したような表情でさとりは言った。
さとり自身、自分の言葉が癪に障るし認めたくない話ではある。だが、こいしがある程度目の前の少年を良く思っていることは紛れもない事実であり、少年が自分やお燐とお空にとっても恩人なのも間違いない。
だからこそ、少年をこいしに寄り付く悪い虫として斬って捨てることができないのが彼女にはもどかしい。
だが、少年がまるでこいしを相手にしないのもそれはそれで癪に障るというのも本音だった。
そんな彼女の複雑な姉心に、気づいているのかいないのか、創一は何処か虚ろな瞳でさとりを見返す。
「……お前の妹は、間違った相手に懐いた」
「自分で言いますか、それ?」
「あぁ、言うさ。もうお前は理解しているだろうが、俺は良くないモノだ。元々、そう言う風に作られたからな……」
「良くないモノ……作られた……?」
創一の言葉にさとりは眉根を寄せる。
「いや、何でもない。忘れてくれ……寝起きで頭が回って無いんだ」
頭を抱えて、大きなため息とともに創一が言葉を添えた。その表情は酷く疲れている。
だが、どうにも創一の言葉が疲労故の戯言や妄言の類では無いように思えて、さとりは真意を読み取るべく思考を働かせた。
しかし、再び向けられた創一の視線がそれを中断させる。
睨んでいるという風ではないが、青い瞳がこれ以上の詮索をするなと語っているようだった。あるいは、それは懇願に近いものだったのかもしれない。
だから、さとりはそれ以上の追求を止めることにした。
「ところで、俺は一体どれくらい寝ていたんだ?」
「そうですね――だいたい丸一日くらいですかね」
「……何?」
瞬間、創一の表情が固まった。けれど、その瞳はやはり無感情なようで。そのちぐはぐさに薄ら寒いものを覚えながら、さとりは創一に先んじて口を開く。
「
実に流暢に、まるで最初から用意されていたかのようにさとりが言葉を紡いだ。
「……知っていたのか?」
「えぇ、八雲紫の使いが突然やって来ましてね」
「使い……あの九尾の狐か?」
八雲紫の傍に何度か控えていた姿が創一の脳裏に浮かぶ。
碌に話したことの無い相手ではあったが、印象には強く残っていた。
創一の言葉に、さとりは僅かに目を見開く。
「……面識があるのですね。では、やはりあなたは八雲紫の手で幻想郷に?」
「あぁ、まぁな。あいつの勧誘に乗ったんだ。色々やって、外の世界に居づらくなっていたし、丁度良かった。良すぎたくらいだ」
「……そうですか。だとすれば、あなたはあのスキマ妖怪に何らかの形で利用されていますよ」
「そんなことは分かってる。折り込み済みで誘いに乗ったんだからな」
そう言って創一は肩を竦めて見せる。
「あの女が俺を利用するのだとしたら、それは今回の異変を起こした連中のような輩に対してだ。無粋で血生臭い妖怪には、同じ土俵の退魔師をあてがうのが丁度いい。外来人が一人死んでも構わないだろうしな……」
そこで言葉を止めて、創一はさとりを真っすぐに見つめる。まるで全てお見通しだと宣言するように。
「……ところで、お前何か隠しているだろ?」
「何のことですか?」
「とぼけるな、時間が惜しい」
「本当に何を言っているのか分かりませんね。怪我人は大人しく寝ていてください。傷が悪化しても知りませんよ」
口を尖らせるさとりに、創一は薄く笑う。自嘲するようだった。
今度こそこいしの両の手から抜き取った左手で、創一は右手の包帯をはらりとほどき、それをさとりへと突き出して見せる。
「傷ならもう――
「っ……!?」
さとりは絶句した。
言葉通り、酷い火傷を負っていたはずの右腕は見る影が無い。本の少しだけ赤味が差す部分もあるが、一度は炭化しているように思われた指も、雪のような白い肌へと戻っていた。
「……流石に倶利伽羅の炎の方はまだ少し残ってるな。まぁ、動きに支障は出ない」
右手に残った僅かな火傷跡を見つめて、創一がぼやく。
さとりには目の前の光景が理解できなかった。
満身創痍の創一に手当を施したのはお燐と自分だが、あくまで応急処置程度のものに留まる。
竹林に住む者達のような高度な医療技術には遠く及ばないのは言うまでもなく、少年の回復を助ける程に十分な治療でも無い。
人里の医者の方がまだましかも知れないくらいだ。
「……あなた、本当に人間なんですか?」
「どうだろうな。DNA的には人間らしいが……お前ら人外にはどう映る?」
からかう様な口調で創一が尋ねる。
その問いに、さとりは思わず言葉を詰まらせた。
「……まぁいいさ、話を戻そう。お前は一体何を隠してるんだ? 俺の目は思考そのものを読むわけでは無いから……とっとと教えてくれると助かる」
「私は……」
さとりは逡巡する。
ほとんど一方的に見透かされるような感覚。それは常日頃、他者の心を暴く側に居るさとりを大きく動揺させた。
「――ん、創一……?」
眠っていたこいしが体をもぞもぞと動かし、ゆっくりとベットから起き上った。瞼をこすりながら、眠たげな声が創一を呼ぶ。
「すまない、起こしてしまったな」
「……別にいいよ。創一はもう立っても大丈夫なの? 人間なんだから安静にしてないと駄目だよ」
「悪いがそれは無理だ。俺は行かなければならない。鬼道丸を止めなければ……」
「っ!? だから! それはあなたの仕事では――」
創一の言葉に、痺れを切らしたようにさとりが叫んだ。
そして、その声に続くように部屋の外が俄かに騒がしくなった。
誰かが言い争う声と、どたばたと慌ただしい足音が部屋へと近づき、
「――創一殿は居られますか!」
腕を掴む赤髪の少女を引きずる形で、九尾の狐――八雲藍が部屋へと飛び込んで来た。
さとりが軽く舌打ちする音が創一の耳に届く。
「なるほど、隠し事はこれという訳か……意外に優しいな」
口角を少し上げながら話す創一に、さとりは再び苦い表情を浮かべた。
◇
「だから! お兄さんは安静にしなきゃならないんだよ! お願いだから出て行っておくれ!!」
「断ります! 私にも主人の命があるのです。それに当の創一殿は承諾して下さりました。ならば、火車の出る幕は無いはずですが……?」
藍の言葉に、赤髪の少女が言葉を詰まらせる。
「うっ……それは、そうだけどさ。お兄さんは本当にそれでいいのかい? まだ体がつらいなら、なんとしてでもこの狐を追い返すけど……」
「いや、大丈夫だ。えっと、悪いが君の正式な名を知らないんだが……」
「あぁ、お燐でいいよ。あたいの本名長いからね」
「そうか、ではお燐、ありがとう。俺の手当をしてくれたと聞いた」
「いやいや、礼を言うのはこっちだよ。お兄さんは私たち皆を助けてくれたからね。この恩は絶対に忘れないからさ、何か困ったことが有ったら何でも言って。私もお空も全力で力を貸すよ」
お燐は人懐っこい笑みを浮かべた後、「お空の様子を見て来る」と言って部屋から退室した。会話の邪魔にならないように気を利かせてくれたことが見て取れる。
「……良い従者だな」
お燐の背を見送った後、創一がぽつりと呟いた。
「えぇ、いつもあの子のおかげで助かっています」
率直な創一の感想に、自慢げにさとりが頬を緩める。
創一が寝かされていた客室から場所を移り、彼らは応接間へと集まっていた。
全体的にシックな雰囲気を醸し立つ室内。ダークブラウンの長机を挟んで、質の良い灰色のソファへと各々が腰掛けていた。
創一、こいし、さとりの三人が並び、それに相対して藍が座す形である。
「ふむ、随分火車に懐かれたようですね。地底の妖怪では悪意の薄い部類ではありますが……優れた式神使いの成せる業と言うわけでしょうか。流石ですね」
お燐の創一への態度を見て、藍が感心の声を漏らした。その言葉にさとりが不機嫌そうに口を結ぶ。
「世辞はいらない。本題に入ってくれ。時間がないんだろう?」
真っすぐに藍を見据えて、創一が言った。その言葉に藍はこくりと頷き、意を決したような表情で話し出す。
「……えぇ、確かにそうですね。では単刀直入に申し上げます――鬼道丸拘魔を討って頂きたい」
「……地上の状況はどうなっている?」
「現在、鬼道丸率いる百鬼夜行が人里へと向けて進行しています。完全な奇襲の形ではありましたが、天狗の働きによって最低限の情報伝達は間に合いました。住人の避難と夜行の足止めが有力な勢力の下行われています」
「避難は間に合うのか? そもそも妖怪だらけの幻想郷に人里以外で多くの人間を匿う場所があとは思えないが……?」
「はい、残念ながら人里以外にそんな場所はありません。真っ先に戦火に包まれるであろう地区から撤退させるくらいしか……人里から完全に避難させることは不可能です。博麗神社や守矢神社への避難も検討していますが、人数的には到底収まりきりません」
「まぁ、そうだろうな。となれば一刻も早く鬼道丸を討って夜行を瓦解させるしかないわけか」
「はい、その通りです」
「……鬼道丸を討つことに関しては、もとよりこちらもそのつもりだったが……腑に落ちないな」
「……それはどういう意味ですか?」
両腕を組み怪訝な表情を浮かべる創一に、藍がおそるおそるといった様子で尋ねた。彼女の頬を伝う汗がきらりと光る。
冷静な態度を装ってはいるが、内心に焦燥が浮かんでいることは異能の目を使わずとも見て取れた。
状況が刻一刻を争う程に深刻であるが故なのだろう。
加えて、心を読まれることへの警戒が、彼女の焦燥を加速させているようであった。その証拠に、彼女の視線は時折ちらちらとさとりの方へと向けられていた。
「一応確認しておくが、これは八雲紫からの命だな? 博麗の巫女では無く、
「はい、そうです。蘆屋道満との死闘の中、私の主人は仰りました。此度の異変を解決するには、貴方様が鬼道丸と相対することが必要不可欠だと……」
藍の言葉に耳を傾けながら、念のためにちらりと創一はさとりの様子を伺う。すると、創一の視線に気づいたさとりはゆるゆると顔を横に振って見せた。
藍の言葉に嘘が無いことはどうやら確実らしかった。
だが、だからこそ、
「……確かに腑に落ちない話ですね」
か細い手を顎にあて、思案気な表情を浮かべながらさとりが言った。
「幾ら腕に覚えがあると言っても、あのスキマ妖怪が新参者を異変の首領とぶつけることに拘るのはどう考えたって不自然です」
外来人を利用するという手段くらいであれば、八雲紫が選択することは容易に想像できる。
しかし、幻想郷の命運を決め得る場面に、博麗の巫女を差し置いてまで創一を登用するというのは、どう考えても異常であり、それこそが創一とさとりが腑に落ちないとした点であった。
よほど狐守創一という人間を信頼しているか、または別の大きな理由が無ければ到底説明できない。
そして、八雲紫という妖怪の性格を鑑みても、前者はあり得ないように思われた。
「……一つ、心あたりはある」
呟く創一に、その場の視線が注目する。
「俺たち狐守家の起源、初代当主は元々この郷出身の人間だ。なんでも、当時の人里の退魔師の中でも特別力をもった一族の出だったらしい……」
「それが一体どう関係あるっていうの?」
こいしが小首を傾げ、創一の返答を待つように隣に座る彼の顔を下から覗き込む。
「――似ているんだと。その初代は、俺に生き写しらしい。こいし、覚えてるか? 蜘蛛丸と言う怨霊は、俺の姿を見て激昂していただろう? あんな風に、俺に初代の姿を重ねる手合いは結構多い。外でも同じことが何度もあった」
「そう言えばそうだね。アレってそういうことだったんだ」
「つまり、こういうことですか? 鬼道丸とその初代狐守当主には何らかの因縁があり、それを八雲は知っていて、あなたと鬼道丸を戦わせようとしていると?」
「そう考えれば色々辻褄が合う。数多いる退魔師のなかでもわざわざ俺を勧誘した理由のな……。要するに、俺は吊り餌という訳だ。鬼道丸を始めとした不穏分子を吊り上げ、処分できたら儲けもの、というな。まぁ、色々予想外のトラブルが起きてしまったみたいだが、それを差し引いたとしても中々の策士だな、君の主人は……」
からかうような口調で言う創一に、藍が体を少し強張らせた。
「あぁ、そう固くならなくていい。君の主人が腹に一物を抱えていることくらい承知の上だ。別に、だからといってどうすることも無い。直接敵対されれば話は別だが……」
ほんの少しだけ、創一の声色が変わる。その表情は一見して穏やかで、剣呑な様子が見られないことが藍にはむしろ不気味に映った。
向けられる青い視線は心の内を見透かしているようにも思えて、藍の顔色にもまた青みが差す。
「鬼道丸は俺が片をつける。元より決めてたことだしな。けど、これで俺をこの郷に招いた分の貸しは無しだ。主人に伝えといてくれ――
「……えぇ、勿論です」
藍の返答に、創一は満足そうに微笑みながら頷く。
「よし、話はまとまったな。初代と鬼道丸に因縁があるならば、やることはシンプルだ。初代の生き写しらしい俺が一騎打ちでも申し込めば、戦狂いの鬼が乗ってこないわけは無いだろう。主さえ討てば夜行は瓦解する。ただの妖怪の群れなら、この郷の住人達なら問題ないだろう」
「一騎打ちって……簡単に言うますがあなた、勝てる見込みがあるんですか?」
「それなりには」
じとりした視線を向けるさとりに、創一はなんでもないような様子で答える。そして、ゆっくりとソファから立ちあがった。
「じゃあ、早速俺は地上に向かうとしよう。ここから地上まで其れなりに距離があるのがネックだが……」
「それならば心配ありません。紫様からこのような物を預かっていますので」
そう言って藍が懐から取り出したのは、一枚の符。紫色の一風変わったその符からは、強力な妖気が発されていた。
「それは?」
「紫様お手製の境界へと働きかける符です。一時的かつ限定的ですが、これがあれば紫様が拓いた通路を通って、地上へと一瞬の内に移動できます」
「要はテレポートか、便利なマジックアイテムだな。もしかして、博麗や霧雨もそれで?」
「はい、彼女らにもこれで地上へと戻ってもらいました」
「分かった。なら、早速地上へと向かおう」
「ここでは少し狭すぎるので、中庭にでも出てから使いましょう」
そう言って、藍は立ち上がり応接間から退室する。その背中を追いかけようと足を踏み出す創一だったが、後ろから装束の袖を引っ張る手が彼をその場へと縫い付けた。
「……急いでいるんだが、どうかしたか?」
振り返り、袖を掴んだままのこいしへと尋ねる。
怪訝な表情を浮かべる創一を、こいしは真っすぐに見つめていた。ペリドットを思わせる美しい緑の瞳には、強い覚悟が込められているようだった。
少女の纏う気高く鮮やかな感情の色に、創一は思わず目を細める。
深く息を吸った少女が、ゆっくりと口を開く。
「――お願い、私も連れてって」
◇
「……本当によろしかったのですが? 連れて行けばかなりの戦力になったでしょうに?」
「万全な状態ならば一考の余地はあったが、あいつもそれなりに消耗している。それに、どのみち鬼道丸とは差しで戦うことになるだろうからな」
「しかし、あの者の能力ならば、伏兵として奇襲させることも可能だったでしょう」
「効率的で良い手だとは思うが、正式に名乗りを上げた手前、卑怯と糾弾される方法はとれない。宇迦様の名が貶められかねないからな」
大勢の目が向きかねない状況で、流石に堂々と卑怯と糾弾される手を使うことは気が引ける。これ以上、主に迷惑をかけるような真似はしたく無かった。
「なるほど、そうでしたが。私はてっきりあの覚妖怪の身を案じたのかと……いえ、彼の黒狐殿がそのような甘い考えをもつはずもありませんか……これはとんだ失礼を」
「……とりあえずその呼び名は止めてくれ」
「畏まりました」
深々と頭を下げた後、藍が件の符に自分の妖力を注いでいく。
「さて、それでは参りましょうか、創一殿。あなた様のご武運をお祈りいたします」
「吉兆をもたらす
笑いながらそう言ったつもりだったが、もしかすれば上手く表情を作れていなかったかもしれない。
これ以上ない程に皮肉な話だった。
最も、あの八雲紫も流石に他意は無い人選なのだろうが。
一瞬、怪訝な表情でこちらを見た藍だったが、直ぐに神妙な面持ちへと戻ると、作業へと取り掛かった。
符に刻み込まれた術理が発動し、怪しげな光が煌めく。生じた空間の狭間が藍と創一を呑み込み、浮遊感とも異なる奇妙な感覚が肉体を襲う。初めて幻想郷を訪れた夜のことが創一の脳裏に浮かび上がった。
「……さぁ、到着いたしました」
そんな藍の言葉をかき消すように、少し離れた場所で音が轟く。目を向ければ、乱れ飛ぶ弾幕と、容赦のない破壊によって巻き上がる土埃が視界に映った。
また、何処からか悲鳴が上がる。火の手が上がるのも遠くに見えた。
遊びと呼べる域は既に逸脱している――本物の戦乱がそこには広がっていた。
前述の精神性に加えて、生まれ持った能力の影響でオリ主はかなり病んでます。永遠亭の薬売りから抗鬱薬買わないといけませんね。(永遠亭ルートが立つかも……)
あと多分睡眠薬も居る。