東方狐神録   作:パック

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 第一章最終話です。まさかこんなに長くなるとは……いつにもまして好き勝手やってます。これ東方か?って自分でも思うことが多々ありますが、幻想郷の世界の中で書きたかったので突き抜けていきます。ご容赦下さい。(原作キャラ死亡はないのでご安心を)


九尾の継子

 

 雲が流れ、満ちた月が陰り無く空で輝く。しんしんと降る月光がまるでスポットライトのように、野原に立つ一人の人間と鬼を照らしていた。

 幾重にも剣線が重なり、火花を散らせる。その光景を勇儀は傍で一人眺めていた。

 (やっぱり、私はお前の気持ちも分かるよ、鬼道丸……)

 感動と哀愁、そして羨望が勇儀の内に浮かび上がり、それらが混ざり合って、彼女は息をつく。

 妖と人が鎬を削り合った時代。その憧憬の姿がそこにはあった。

 

 身を翻した創一の白装束がはためき、その袖口から鎖鎌が繰り出される。高速かつ不規則に動く鎖は蛇であり、鎌は鋭い牙だ。下から潜り込んだ蛇の牙が鬼道丸の首筋に朱い線を引いた。

 妖怪であっても只のかすり傷と油断することは出来ない。創一の持つ【負の感情を力とする程度の能力】、その応用によって、負の感情のエネルギーを注がれた道具は曰く付きの呪具となり、精神を主体とする妖怪にとって死に至る毒の牙となる。

 

 だが、鬼道丸は怯むことなく、無邪気にはしゃぐ童のような顔つきのまま、雄叫びを上げて七尺もある大太刀を振るった。圧倒的質量を前に鎖が容易く断ち切られる。

 創一が僅かに顔を曇らせた。

 

 (このレベルの呪具があっさり……あんな一撃まともに受けられない)

 

 鬼道丸が地を踏みしめ、片足を軸にして半回転する動きで大太刀を薙ぐ。創一は滑り込む形でその一撃を潜り抜け、素早く立ち上がるとともに鬼道丸を横合いから斬り付けた。

 だが、与えられた傷はかすり傷程度。

 

 (――やはり堅い。呪具や霊刀でもこの程度か……!)

 

 より力を増した鬼道丸の肉体は、比べれば鋼すら柔く思える程に頑強であった。防刃素材のような皮膚を割いても、堅牢な骨の宮が刃を弾く。どんな鎧武者よりも隙が無い。

 (頑強さと膂力は十二分、速度と技量もある……)

 まるで悪夢のような強さだった。速度では自分の方が勝っているという自負が創一にはあったが、その利点を生かしたとしても、目の前の鬼神に膝をつかせるビジョンが思い浮かばない。

 

 「――ハァッッ!」

 

 掛け声とともに、圧倒的リーチから繰り出される致死の斬撃を創一はすんでのところで受け流して命を繋ぐ。決して正面から刃を防ぐ真似はしない。特別な力を持った霊刀といえど、容易く叩き折ってしまいそうな迫力が鬼道丸の攻撃にはあったからだ。例え刀が保ったとしても腕が耐えられるとは思えない。

 

 術によって肉体を強化している創一は、大抵の妖怪を素手で容易く制圧するだけの力を持っている。鬼相手であっても、中堅程度なら十分に体術が通用するだろう。だが、それほどの膂力でも目の前の鬼神とは子供と大人程の差があった。

 (いや、武器を以ても痛手を与えられないのだから、それ以上か……)

 

 冷静に戦力分析を進める創一に、鬼道丸は果敢に攻め続ける。猛攻の合間を縫って繰り出される創一の斬撃は確かに鬼道丸の肉体に傷をつけるが、その勢いを衰えさせることまではできず――遂に鬼道丸の刃が創一を捉える。

 

 「――っ……」

 

 斬り付けられた肩口から血が滴る。肉を少し斬られただけであり、骨にまでは届いていない。創一にとってはまだかすり傷の範疇。動きに大きな支障が出ることは無い。だが、

 (捌き切れなくなってきているのが大問題だ……)

 幾ら術を用いて身体を強化しようとも、鬼神相手に持久戦へと持ち込むことは無謀でしかない。互いに少しづつ傷を与え合えば、間違いなく先に倒れるのは創一の方だった。

 (不味いな……やはり使わざるを得ないのか?)

  

 「どうした、創一? まだまだ戦えるはずだ。いや、そもそも……君は先ほどから本気ではないだろう。君の異能はもっと強力なはず……出し惜しみされるのは好きじゃない」

 

 少し不満げな顏で鬼道丸が言った。

 (――簡単に言ってくれる。そう気軽に扱えるものならどんなに良いか……)    

 創一は一瞬苦い顔を浮かべながらも、直ぐに毅然とした態度を取り戻して鬼道丸を睨みつけた。

 

 「……その気にさせてみろ」

 

 創一の発したその実に簡素な挑発に、

 

 「――乗った」

 

 鋭い歯を見せて、鬼道丸が獰猛に笑った。

 胴を寸断せんと鬼道丸が大太刀を薙ぐ。創一は後方宙返りでそれを回避すると同時に、三本のクナイを投擲した。だが、それらは筋肉の鎧に阻まれて刺さりすらしない。しかし、そんな結果は既に創一も予想の内。

 

 「――なっ」

 

 鬼道丸が意を突かれたように叫ぶ。鬼道丸の肉体に弾かれた暗器、あっさりと地面へと落下するそのクナイの柄に、括られていた霊符がひらひらと揺れる。

 素早く背後に飛び退いて距離を取りながら、創一が片手で印を結んだ。

 

 「――【稲魂】」

 

 霊符を中心に眩い稲妻が炸裂する。鬼道丸の巨躯を青白い閃光が包み、その体中を獰猛な電流が駆け巡った。

 特別強力な霊符に、限界まで霊力を注いで放つ稲妻の爆弾。それは大妖怪ですらただでは済まない威力を発揮する。

 

 「ぐっ……これは、中々強烈だな……」

 

 体のあちらこちらから煙を上げながら、鬼道丸は感心したように言った。

 創一は辟易とした表情でため息をつく。

 

 「この霊符一枚作るのに、格の高い白狐が一か月かけるんだが……」

 

 「流石に素の私だったらここまで余裕は無かったさ」

 

 雷を喰らった肉体の具合を確かめるように、鬼道丸は左手を閉じたり開いたりしながら言った。そして、ふと神妙な顔つきを浮かべる。

 

 「そう考えれば……ふぇあでは無いな。俺は夜行の主となることで、外部からの力を供給しているのだから……」

 

 「今更お前は何を言ってるんだ? 集団同士の大規模なぶつかり合いの中で、一々個々の公平性なんて気にしてどうなる?」

 

 呆れた様な口調で創一が言った。彼にとっては、それは心底どうでもいいことだった。

 

 「俺が死んでも、お前が死んでも……それでぴたりと戦いが終わるわけでもない」

 

 既に賽は投げられている。この対面も、この戦況も、元は誰かが画策し、仕込んだことだとしても――既に事態はその者の手すら離れて独り歩きしているのだ。

 

 創一が鬼道丸に敗北すれば、他の誰かが代わりに戦うだけである。

 逆に創一が鬼道丸を退治したところで、百鬼夜行に属する妖怪の殆どが命が尽きるまで戦うだろう。既に何度か彼らと刃を交えた創一には、その確信がある。

 

 結果がどう転んでも、どちらかが滅ぶまで戦いは続く。そして、創一の予想が正しいのであれば、この異変を解決したとしても――

 (……いや、今はよそう。後に何が待ち受けているにせよ、目の前の障害に打ち勝てなければ意味は無い)

 脳裏に浮かんだ想像を振り払い、創一は改めて目の前に佇む鬼神へと、その全神経を集中させた。

 

 「……そうか、確かに我ながら愚かな発言だった。忘れてくれ……」

 

 今までと異なり、大太刀を下段に構えて、鬼道丸が悔いるように口にした。

 

 「君に倣って、こちらもなりふり構わず戦うとしよう。元よりそちらの方が鬼に相応しく、何より俺の性に合っている」

 

 そう言って、鬼道丸が大きく地を踏みしめた。これ以上に無い程力強く。前に出るための踏み込みではなく、地面そのものを蹴り砕くように――ぐらりと創一の視界がブレた。

 

 「ッ――震脚!?」

 

 鬼の拳は鋼をも砕く。ならば、蹴りはどうか。通常拳の数倍の威力を誇ると言われる蹴り。鬼神が放つそれは――大地をも揺らす。

 (まずい、回避が遅れる!)

 

 下から掬い上げるような一撃が迫る。紙一重で創一は体を間合いの外へと運び出すことには成功するが、構えていた刀はそうはいかない。金属音とともに、刀が手元から弾き飛ばされ、空中で弧を描いた。

 すかさず鬼道丸が二撃目を振るう。勝利への歓喜と、寂寥を同時に滲ませながら、少年の命を刈り取るべく、鬼道丸が頭上から大太刀を振り下ろし――火花を散らせて刃と刃が噛み合った。

 

 「――ようやく本領というわけか」

 

 愉快そうに鬼道丸が口角を吊り上げる。

 創一が紙一重で影から召喚し、鬼道丸の斬撃を受け止めたのは、無数の呪符によって刀身を覆われた一振り。符によって力を封じられているであろうその妖刀は、それでもなお異様な存在感を放っていた。

 傍で見ていた勇儀はおろか、力を増した鬼道丸でさえ背筋に冷たいものが走る。それほどまでに、その一振りだけはモノが違った。

 

 「……だが、少々遅かったのではないか?」

 

 ぎりぎりと大太刀に一層力が加わえられる。受け止める創一の両腕が軋んだ。例え刀が折れずとも、創一の肉体が保つかは別問題。

 

 「くっ……っっ!」

 

 創一の顔が苦悶に歪む。体中の筋肉が悲鳴を上げていた。燃費を捨て置き、ありったけの力で身体強化の術を強めるが、それでも均衡を保つのに精一杯。加えられ続ける力に、創一の足が地へと徐々にめり込んだ。

 (――重すぎる! 髪の毛一本動かす余裕が無い!)

 

 「――ッッ……ォォオオオオ!!」

 

 絶叫と共に創一は妖刀へと負の感情を注ぐ。瞬く間の内に呪符が焼き切れ、妖刀が遂に目覚めた。鬼道丸の体ごと、創一が大太刀を押し返す。

 

 「――ハッ、俺が力負けするとは……!!」

 

 膂力の差を一瞬にして覆され、鬼道丸が目を見開いた。彼の視線の先で、更に負の感情を注がれていく妖刀が不協和音を響かせる。それは新たな贄を得ることへの歓喜の声であり、込められた無数の怨嗟の声でもあった。

 

 「只でさえ桁違いの妖刀が更に化けるか!? 神代ですらそんな代物はそうそう無いだろうに……!!」

 

 常軌を逸した禍々しい力を放つ刀に、流石の鬼道丸も冷や汗を浮かべる。

 強大な鬼神を差し置いて、今やその一振りの刀がその場の空気を支配していた。膨大な妖力も、鬼の纏う暴威すらも霞ませる。全てを呑み込み、侵し得る程の存在感。

 これより放たれる一撃が、少年の持ち得る最大の必殺であることを鬼道丸は確信する。そして、今のままではそれを凌ぎようがないことも。故に、

 

 「――俺も覚悟を決めようか」

 

 そう言うや否や、鬼道丸は手に持った大太刀を自分の首元、創一の攻撃によって付けられた傷にそっとあてがうと――そのまま一気に刃を引いた。

 

 「――!?」

 

 「何をっ!?」

 

 突然の鬼道丸の行動に創一が瞠目し、勇儀が叫んだ。引き裂かれた肉からとどめなく血液が溢れる。鬼道丸の振るう大太刀もまた強力な妖刀。その傷は肉体だけでなく、精神にまで刻まれる。気が狂ったとしか思えない自殺行為だった。

 しかし、次の瞬間創一はその行動の意味を悟る。深い裂傷より零れる鮮血、それを受けて、水を得た魚のように刃が艶めくのが見えたのだ。

 付着する血液が刀身に溶け込むように消えていく。比喩ではなく――刀が主人の血を呑んでいる。

 

 「自らを犠牲にして妖刀の力を引き出すか……けど、お前自身はそう長く保たないだろう」

 

 鬼道丸が自ら負った傷は深い。直ぐに死ぬことは無くとも、確実に命は削られている。妖刀は言わば猛毒の刃。適切な処置を施さなければ、徐々に精神は蝕まれて死に至る。

 

 「お前の寿命は甘く見積もっても半日……ここで全部使い果す気か?」

 

 「それも悪くは無い。俺に着いてきてくれた者達には悪いが、幻想郷を破壊する以上に……俺はこの勝負を優先したくなった」

 

 鬼道丸が口角を吊り上げた。創一はそれに一瞬呆れた表情を浮かべて、無言のまま刀を振りかぶった。鬼道丸もまた大太刀を構える。

 ――一閃。黒い炎のような気体が大きく揺らめいたかと思えば、雷鳴のような音が轟き、刀から撃ち出された黒い斬光が鬼道丸へと迫った。

 

 「――ッオオオオッッ‼!」

 

 無数の怨嗟が込められた斬光、全てを呑み込むような破壊を秘めた一撃。鬨の声を上げ、鬼道丸は真正面からそれを向かい討ちにかかる。

 斬光と桁違いの膂力で振るわれる鬼神の一刀が正面から噛み合った。途方もない衝撃。目もくらむ閃光に、耳を劈く音の津波。両者がともに真後ろへと吹き飛ぶ。

 埒外の威力、その余波で舞い上がった土煙が互いの姿を覆い隠した。

 

 「――ッッ!?」

 

 術で風を巻き起こし、煙を割って創一が肉薄する。躊躇いの無い追撃。全く気配を感じさせずに、大太刀が振るえない間合いへと侵入する無音の足運び。その技巧に驚嘆するとともに、刹那の瞬間で鬼道丸は思考を加速させる。

 (この距離で大太刀は間に合わない! だが――)

 空いた左腕を鬼道丸は薙ぐように振るう。音すら置き去りにする拳は、例え少年の一撃を許したとしても、次の瞬間にはその命を刈り取るはずだった。が、その思惑は一瞬の内に掻き消える。鬼道丸の拳は――何も捉えることなく空ぶった。

 

 「まさかッ!?」

 

 拳の風圧を前に、蝋燭の火のように創一の姿が掻き消える。まるで、最初からそこには何も無かったかのように――ひらりと、鬼道丸の眼前で人の形に切り抜かれた紙が揺れた。

 

 (幻術だと……!? 一体何処に――)

 

 素早く鬼道丸は身を翻した。死角である背後からの強襲を警戒したのだ。だが、そこにも創一の姿は無い。

 音も無く、少年は何処に消えたのか。答えは直ぐに明らかとなった。

 

 「――――ッッ上かッ!?」

 

 見上げた先、夜風に揺られて白装束がはためく。少年が構えた刃が月光を反射した。

 地上に住む生物全ての死角――頭上からの強襲。さながら本物の狐の狩りのように、跳躍によって重力を味方につけた一刀が鬼道丸を襲う。

 突き出された刃が首元の肉を裂き、骨を穿った。

 

 「ぐっ……!?」

 

 鬼道丸の顔が苦渋に歪む、

 壊れた蛇口から水が噴き出したように、鮮血が舞って創一の白装束を赤く染めた。深く突き刺した刀を握ったまま、創一は鬼道丸の肩を両足で踏みしめると、刀を抜き一気に引き抜こうとし――伸ばされた手が刀身を掴んだ。

 

 「――!?」

 

 猛禽類のような鬼の瞳が創一を見据える。そこに死に体の陰りは無い。十分な致命傷を受けながら尚、鬼道丸は膝をつかず、両の足で地を踏みしめている。

 膨大な妖力が漲り、筋肉が躍動する。構えられた拳は、間違いなく最大の破壊をもたらすことを予感させる。手負いとなったことで、より暴威を増した鬼の一撃。

 

 創一は静かに己の失敗を悟った。

 生命力の強い妖怪相手に急所を破壊し切れなかった以上、反撃は避けられない。そして、既にこの距離で回避する手段は残されていなかった。

 

 「――楽しかったぞ、創一」

 

 言葉と共に、鬼の剛拳が振り抜かれる。

 何もかもが遅れていた。

 元より音を置き去りにするのが鬼の拳。死に瀕し、より研ぎ澄まされたそれは更に速度を増していて、周りの全てを置き去りにしたのだ。

 

 空気を震わす轟音が響いたのは、殴り飛ばされた創一がその場から姿を消してからだった。そこでようやく、傍で戦いを見守っていた勇儀も状況を理解した。

 鬼道丸は自らの肉体に刺さったままの妖刀を抜き、その場に投げ捨てる。凄まじい負の力を発しながらも、主を失った妖刀が虚しく地面を転がった。

 

 「……素晴らしい戦いだった。短い寿命で、脆い肉体で……今の私を殺し得るのだから、全く実に素敵なものだな。人間とは……」

 

 熱に浮かされたような様子で鬼道丸が語った。

 勇儀は創一が飛ばされたであろう方向を見やるが、余程遠くに飛ばされたのだろう。夜風に揺れる雑草の原だけが視界に映った。

 蟲の声がいやに響く。

 鬼道丸が勇儀に向き直った。

 

 「この(いくさ)はお前達幻想郷側の勝利だ、喜べ。彼が与えた傷は大きい、もう俺はそう長くは無い。この郷の秩序を破壊し切るには時間が足らん」

 

 自ら負った傷に加え、創一によって与えられた致命傷。本来ならばとっくにこと切れているはずだった。そうならないのは、ひとえに彼が百鬼夜行の主として君臨しているからに他ならない。夜行に並ぶ妖怪達の妖力と、人々が抱く夜行への畏れが鬼道丸の命を寸前でつないでいたのだ。

 

 「ここまでやっておいて……今更諦めるっていうのかい?」

 

 「まさか……このままでは配下に申し訳が立たぬからな。やれるだけやってみるさ。人里を滅ぼすまでなら保つやもしれん」

 

 「やらせると思うのかい? 立て続けで悪いが、次は私の番だ」

 

 勇儀が拳を構え、腰を低く落とした。

 

 「あぁ、始めようか。傷が痛み、息は切れるが……不思議と調子が良い。死にゆく体が、今この瞬間を噛み締めろと躍動する。頑強で長寿な妖怪では、そう味わえない心地だ……」

 

 死にかけの鬼神から立ち昇る気迫に、その言葉がやせ我慢の類ではないことを勇儀は瞬時に理解した。

 (手負いの獣は手強いと言うが……限度というものがあるだろう。全く、自分が情けなくて嫌になる)

 元より薄かった勝ち目が、更に遠のいたような感覚に勇儀は思わず笑った。

 (だが、私にも譲れないものがある! 一分一秒でも、多く時間を稼いで見せる!)

 決意を胸に、勇儀が足を踏み出そうとしたその時――

 

 

 「――――【夢想封印】」

 

 

 頭上より降り注いだ極彩色に輝く光弾が鬼道丸の体を呑み込んだ。

 

 「なっ……!?」

 

 予想外の出来事に目を丸くする勇儀の傍に、身軽に少女が着陸する。見慣れた巫女服の少女は、手に持ったお祓い棒で肩を軽く叩きながら、

 

 「――で、あれが親玉ってことでいいわけ?」

 

 呆気からんとした態度で勇儀に言った。

 

 「……まさか、此処に来て博麗の巫女のご登場とはな……しかし、こうも悉く勝負に水を差されると流石に苛立たしい」

 

 光弾に耐えきった鬼道丸が霊夢を睨む。

 

 「知らないわよ。勝手にこんな騒ぎを起こしたあんたが悪いんでしょ。しかもスペルカードルール完全に無視で、ムカつくのはこっちの方よ」

 

 鬼神の威圧もどこ吹く風で、幻想郷の象徴たる巫女は毅然と言い放った。

 

 「……先に約束事を破ったのはこちらの方か……確かにそうだ、悪かった。それじゃあ……戦おうか――どちらかの命が潰えるまで」

 

 鬼道丸の力強い言葉と、満身創痍ながらも爛々と輝く肉食獣のような瞳に、霊夢は露骨に嫌そうな顔をした。

 

 「あぁ、やだやだ。なんで鬼っていうのはそうなのかしらね。美しさの欠片も無いわ……けれど、あんた以上に……」

 

 言葉を止めて、霊夢が鬼道丸の背後、広がる夜景の一点を睨みつける。そして、誰もいない筈のその虚空に向かって叫んだ。

 

 「――いい加減にしなさい! あんたが優先しなきゃいけないのはどっちよ! 普段飄々としてる癖に、こんな時に感情の重さに引きずられるんじゃないわ。さっさと行きなさい‼」

 

 叱咤する声を受け、がさりと雑草の一群が揺れた。まるで、そこに居た誰かが素早く踵を返したように。

 

 「何だ……誰か他にいたのか……?」

 

 「……居たんだろうな、もう一人。先ほどから背中に殺気を感じていた。三対一でもよかったんだが……残念だ」

 

 眉を顰める勇儀に、鬼道丸が落ち着き払った様子で答えた。気配を消すような力を持った者達は幻想郷にもそれなりに居る。今更驚く程の事でも無かった。

 

 「あら、死にぞこないなんて私ひとりで十分よ。博麗の巫女による本気の妖怪退治、魅せてあげるわ」

 

 鬼道丸にお祓い棒を突き付けて霊夢が鋭く言い放つ。彼女の声に応えるように、淡い光を纏った陰陽玉が少女の周囲で弧を描いた。

 

 「――幻想郷を脅かす暴徒よ、美しくこの郷から去りなさい‼」

 

 幻想郷の調停者として、霊夢は宣言するのであった。

 

 

 

 

 「――一……創一ってば! 目を覚まして!」

 

 聞き覚えのある声に目を開ければ、緑色の瞳が自分を覗き込んでいた。あの方と、宇迦様と同じ色の瞳だ。輝き方は違えど、これはこれで悪くは無いと思う。

 俺の顔を見て、少しだけ瞳の持ち主が安堵したような表情を浮かべた。

 

 「……こいし……か、何で此処にいる?」

 

 「それは……その、そんなことより大丈夫なの!?」

 

 俺の質問にこいしは答えなかった。受けた傷のせいかいまいち頭がの思考が鈍くなっているようだが、俺の目の異能は健在だ。彼女が何か隠していることは分かる。しかし、それを追求するだけの余裕は無い。

 

 何より、鬼道丸に不覚を取ってしまった以上彼女の存在は有難かった。話ができすぎていることについては、また後で考えた方が良いだろう。

 今は、この状況を打開することが先決だ。

 

 「大丈分かと言われれば、見ての通り死に体だ。胸骨が粉々、内臓もダメ、残りの力で局所的に肉体強化の術をかけて、何とか今こうして話しているが……直に心臓が止まる」

 

 「そんな……うそでしょ……どうにかならないの!?」

 

 悲鳴を上げるようにこいしが言った。なんだかんだ、情に厚い少女だと思う。自分とは大違いだ。俺はこんな顔を真にすることができない。

 目の前の少女の力を借りるのは少し心苦しい。だが、彼女以外の適任は居ない。

 

 「……方法は有る。力を貸してくれないだろうか?」

 

 傷が深刻なため、実に弱々しい物言いになったかも知れない。声が本当に出なくなって来た。こいしは迷う素振りすらみせず、直ぐに頷いて見せた。断られると思っては居なかったが、断ってくれた方が楽だったかもしれない。実際のところ、そんなわけにはいかないのだが。

 

 「……こいしの能力で、俺の無意識に侵入して欲しい」

 

 「え……でも、私の能力創一には効かないじゃない。それに無意識に入ったところで、怪我を直すことなんて……」

 

 こいしの疑問は最もだ。俺の要求は意味が分からないだろう。だが、間違いなく今一番必要なのはそれだ。

 

 「傷なら自分で治すさ。だが、今の俺では不可能だ。楔を解かなくてはいけない、業腹だがな…」

 

 「楔?」

 

 「そう楔、封印だ。俺の能力は諸刃の剣だから、セーフティー装置が必要なんだ。それを外す余裕が無いから、お前の能力で外してきて欲しい。今自分でやろうとすると、暴発する恐れがある」

 

 本来なら万全な準備を要する、満身創痍の状態で自力でこなせるものでは無かった。

 

 「その楔を解ければ、創一は助かるの? でも、私の能力は……」

 

 こいしの言葉に先んじて、俺は口を開く。

 

 「大丈夫だ。俺自身が受け入れる用意が出来てれば、お前の能力は届く」

 

 他者からの精神干渉を防ぐプロトコル、それは既に解除してあった。今ならば、彼女は俺の無意識の領域へと触れることができる。

 

 「だが、別に無理にとは言わない。ここまで言ったが……お前にリスクが無い話でも無い。俺に何かしら恩義を感じているのだとしたら、それは必要のないものだ」

 

 「ッ……何それ、必要ないって……! 創一は私たちのこと助けてくれたのに……何でそんなこと言うの?」

 

 「助けたというがな、単純に異変解決に従事した結果だ。この郷が滅んでも困るから……俺個人としてはお前らはどうでもいい。友好関係を結ぶにこしたことはないが、その程度。だから――俺はあの烏を――霊烏路空を土壇場で殺すことに決めた」

 

 「――!?」

 

 救えそうなら手を打つことも考慮に入るが、望みが薄いなら簡単に切り捨てられる。その程度だった。もし地底であの時、霧雨による乱入が無ければ、確実に俺は矢であの傀儡と化した少女に引導を渡していただろう。

 そして、目の前の少女の感情の色がくすんだことを少し残念に思って、その件を完全に終わらせていた。

 

 「心臓が止まるといったが、一時的だ。別にお前の助けがなかろうと、死にはしない。そこまで……俺は人間じみていない。そういう風に作られたからな、聞いてただろう? 俺とさとりの会話を……」

 

 「……気づいてたの?」

 

 信じられないという表情をこいしが浮かべる。余程自信があったのだろう。だが、生憎読心能力が劣っている俺は、さとりと違ってソレにばかり頼っていない。

 

 「狸寝入りくらい直ぐに気が付くさ。さとりが俺を警戒しているのは正しい。お前が……心の底で俺に対して恐怖を抱いていることも、また正しい」

 

 「ッッ!? それ、は……」

 

 「気にするな。その感情は正しいのだから……さっきの頼みは忘れてくれ。よく考えれば、別に俺が戦線復帰せずとも異変はもうじき解決するだろう。鬼道丸に致命傷は与えた筈だしな」

 

 俺が知ってるだけでも幻想郷には猛者が集っている。あの場に居た星熊勇儀は勿論、既に息絶えようとする鬼神の足掻きを受け止めるだけの器の持ち主はまだまだ存在するだろう。俺が出張る必要はもうないはずだ。

 我ながら、こいしには無駄な頼みをしてしまった。血が足りていないのだろうか。

 こいしは黙り込んで、じっと俺の目を見据えていた。

 

 「……聞いているのかこいし? 悪いがさっきの話は撤回……」

 

 「――忘れない。絶対に忘れてやらない」

 

 呟くようだった。だが、不思議と耳に通る。

 こいしの発する感情の色が変化する。怒りを表す赤色に。

 

 「お前、一体何を……」

 

 がしりとこいしが力強く俺の肩を掴んだ。爪が食い込む。見た目は少女と言えど妖怪の膂力だ。満身創痍で、更に身体強化の術を損傷部に集中させている今の俺の肉体には些か厳しい。

 

 「なぁ、痛いから離してくれないか……」

 

 「忘れない。だって創一は私を忘れなかったんだから、私の存在も、言葉も聞き届けて……最善は尽そうとしてくれてたじゃない」

 

 俺の言葉をまるで意に介さないでこいしは続ける。掴む手に更に力が入った。

 

 「…………」

 

 「だから、あなたが何と言おうとも私はあなたを助ける」

 

 「……好きにしろ。どいつもこいつも、物好きなやつばかりだ……」

 

 こいしのか細い手が俺の頬に触れる。彼女は互いの息遣いが分かるほどの距離にまで顔を接近させ、そのエメラルドのような瞳でじっと俺を見据えた。その瞳の色が一層怪しく煌めき、俺の意識は微睡みのなかへと沈み込んだ。

 

 

 

 

 気が付けば、こいしは真っ白な廊下にひとり佇んでいた。長い、とても長い廊下だ。前にも、後ろにも、永遠と道が続いているように思われる。左右の壁には等間隔で扉が備え付けられていた。床も壁も天井も全て純白だが、扉だけは色のバリエーションが豊かだった。その扉から十寸ほど横に離れた位置が長方形に切り抜かれており、鉄格子が嵌められている。その格子からどうやら部屋の様子をうかがえるようだった。

 こいしはそっと鉄格子の一つへと歩み寄ると、その中を恐る恐る覗いてみる。

 

 「――ッッ!?」

 

 酷い光景だった。あまりに惨く、悲劇に満ちている。弾かれるようにこいしは鉄格子から離れると、乱れた呼吸を落ち着かせようと深く呼吸をする。一瞬で噴き出た冷や汗が頬を伝って床に垂れた。

 (何、あれ? 一体なんであんなこと!? いや、そもそもあれは誰?)

 思考がぐるぐると無為に回る。答えがでないどころか、今目撃した光景すら碌に理解できない。否、したくない。

 あんなことが起こって良いのか。許されて良いのか。

 運命は、神とはなんと残酷なものであるのか!

 今日ほどこいしは強く思ったことは無い。

 

 「――なんだ、もう見ちゃったんだね」

 

 突然響いた声に、こいしは慌てて振り向く。その視線の先に佇んでいたのは、一人の子どもだ。こいしより少し背丈が低い、年の瀬は十にも満たないだろう。艶のある長い黒髪に雪のような白肌。こちらを見つめる瞳はまるでサファイアのようだった。少女か少年か、一目では分からない容貌。

 

 「……創一なの?」

 

 創一の精神世界に現れているからといって、それが当人である保証は無い。だが、こいしはほとんど確信的にそう尋ねた。

 子どもが微笑を浮かべる。

 

 「――正解、とは言い難いね。最も、見当はずれという訳でも無い」

 

 「どういうこと? あなたは創一じゃないの?」

 

 「……そうだね、僕は創一じゃないよ。狐守創一では無い。彼は今眠って居るけど、此処には居ない。居たら色々ややこしくなるからね」

 

 「じゃああなたは一体誰なの?」

 

 「僕はただの案内人さ。君を楔の下へと導くね……役職はあっても名前はないから、案内人と呼んでくれ。それじゃあ、さっさと楔の下へと行こうか」

 

 「待って!」

 

 「何だい? あまり時間が無いのだけど……」

 

 こいしは険しい顔を浮かべて、先ほど自分が見た鉄格子を指さす。

 

 「あれは一体何なの?」

 

 こいしの問いに少年がキョトンとした顔を浮かべた。尋ねられたことが、話題に上げられたことが心底不思議だとでも言うように。

 

 「あぁ、あれかい? あまり気にする必要はないよ。只の記憶さ。この肉体が以前取り込んだ怨嗟、そこに付随する記憶の一幕だよ。特別とりたてるほどのものでもない」

 

 「記憶……とりたてるほどじゃないって……あんな残酷な光景…………」

 

 「残酷? いやまぁ確かに残酷だけどさ、意外と世に溢れてるものだよ。この辺りの記憶はね。今も何処かで似た境遇の子が泣いているよ、そして絶望の渦中で死ぬ……虫けらみたいに」

 

 「絶望する機能が無い分、虫のほうが幸せかもね」、少年は笑いながら言葉を付け足した。空虚な笑みだった。口角が上がっているだけ、両の瞳にはおよそ感情が灯っているようには思えない。

 少し前のこいしに似ているようで、それ以上に底知れない。

 思わずこいしは顔を青ざめさせる。

 

 「あれ、僕何かへんなこと言ったかな? 困ったな、僕は創一ほど器用じゃないから……」

 

 「……もういいよ。だから、早くその楔の下に連れてって……」

 

 静かな声でこいしは言った。これ以上、目の前の少年と相対していたくなかったのだ。創一と同じ青玉の目を持っていながら、どうしてここまで気色悪さを感じるのか、こいしには理解できなかった。

 

 「そう、それは良かった。こうして人と話すのは苦手でね。じゃあ、さっさとアレの下へ向かおうか」

 

 

 

 

 少年の後を追って白い廊下を歩き続けると、景色が一瞬の内に変容する。白い壁も天井も、霧が晴れるかのように消え去って、露わとなった青空で日が照っていた。空を見上げたこいしの頬を雫が濡らす。

 

 「晴れてるのに……雨?」

 

 光を反射して、輝く雨が降り注ぐ。まるで太陽が泣いているようだった。

 

 「どうした? 狐雨くらい珍しくないだろ? いや、そう言えば君は地底の出身か……まぁいい、こっちだよ」

 

 こいしを手招きして、案内人の少年は更に先へと進んだ。その背中を追えば、幾重もの鳥居が待ち受けており、それすら超えた先には大きな社が建立していた。社の戸には無数の符が貼られており、その異様さを際立たせていた。

 

 「ここが楔の保管場所だ」

 

 そう言って少年は社の前に立つと、何の躊躇も見せずにその戸を蹴破る。

 社の中から鉄臭くて生ぬるい風が吹いた。ずかずかと土足で社の中へ踏み入る少年。意を決してこいしもまたその神域へと足を踏み入れた。

 

 「――ッッ‼」

 

 目の前の光景にこいしは絶句する。

 

 「どういうこと……なの?」

 

 「これが楔だ。悪いけど、詳しく君に語るつもりは無いよ。それは狐守創一に聞くと言い。たぶん教えてくれないだろうけどね」

 

 社の奥には人がいた。子どもだ、案内人と称する少年と瓜二つの子ども。違うのは髪の色が白いことくらい。

 黒い衣をまとったその小さな体躯には九本の刃が刺さっていた。流れる血液が、床の大部分を赤く染め上げている。

 長い間少年が呵責にその身を裂かれていたことが嫌でも分かった。

 少年の瞳は堅く閉ざされているが、目を凝らしてみれば微かに喉が動いていて、息があることが分かる。

 

 「――四本だ」

 

 「え?」

 

 「四本刃を抜けばいい。それで事足りる」

 

 白髪の少年を指さして案内人は語る。痛ましい惨状をまるで意に介していないようだった。少年からは未だに血が流れているというのにも関わらずだ。

 

 「抜くって……この子は何なの?」

 

 「だから楔だって。あの死にかけの鬼神と背後の奴を相手取るなら、四本解放するだけで十分だろう。それ以上の説明をするつもりは無い。抜くならはやく抜いてくれ」

 

 蟲のように無機質な目で案内人が言った。言葉通り、それ以上話す気が無いという意思がひしひしと伝わる。

 (気にはなる。気にはなるけど……今は創一を助けることが優先よね)

 腑に落ちない思いを呑み下して、こいしは覚悟を決める。案内人の言う通り、白髪の少年の前へと歩み寄った。

 ――少年は如何なる理由があって身を八つ裂きにされているのか。

 

 「……ごめんね」

 

 小さく謝罪の言葉を口にして、こいしは刃の一つ、刀の柄に手をかけて一息に引き抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 「――――代償は高くつくぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――紫色の双眸がこいしを見据える。

 時が止まったかのようだった。目覚めた白髪の少年、その瞳が全てを呑み込むかような魔力を発揮して、こいしは声を失った。

 

 ソレは呵責に身を貫かれる子羊などでは無かった。憐れまれる者では無かった。

 何という思い上がりだったのか。目覚めさせたことをこいしは心の底より後悔した。

 そこに存在しているのは――全てを侵して殺し尽くす悪逆だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「――ハァァァァッ‼」

 

 空気を引き裂いて、命を肉塊へと変える一刀が振り下ろされる。掠っただけで只人なら致死に至る一撃、しかし、それは蝶の如く舞う少女を捉えられない。

 

 「っは! これも躱すのか、博麗の巫女よ!」

 

 鬼道丸が笑った。

 死をもたらす刃を潜り抜けるたび、少女の纏う紅白の衣が揺れる。実に可憐な様だった。傍から見れば、それが殺し合いの一幕だとは到底思えまい。

 人の目を釘付けにして止まない、美しき華が少女にはあった。

 

 「俺はお前を見くびっていたようだ。悪かった」

 

 「それ、つい最近どっかの鉄面尾にも言われたわ」

 

 涼しい顔で鬼の斬撃を躱しながら霊夢が言った。

 鬼道丸がますます笑みを深める。

 (痛手こそ与えられないが……回避という点においては創一よりも、他のだれよりもこの少女の方が上手だ)

 

 「弾幕ごっことやらで磨いた技か、意外とためになるものだな」

 

 「あら、評価が変わったって言うなら、今すぐにでも勝負方法を変えましょうか?」

 

 「――抜かせ、それでもなお血が忘れられないから鬼なのだ」

 

 「本当に難儀な生き方ね……」

 

 嘆息するとともに、霊夢は霊符を鬼道丸の顔面へと放った。

 

 「また無駄なことを……」

 

 鬼神相手に、霊符は痛手にならない。だか、光を放って展開するそれは鬼道丸の視界を遮り、一瞬だけ隙をつくった。其れこそが霊夢の狙い、そして、その隙を穿つのは――

 

 「――【三歩必殺】」

 

 大地を揺らす踏み込み。三歩目と共に繰り出される怪力乱心の拳。

 咄嗟に鬼道丸は大太刀の柄頭でそれを受けるが、防ぎきれない。

 刀の柄が崩壊し、突き抜けた衝撃が鬼道丸を襲った。

 

 「ぐぅぁっっ……!」

 

 後退して、揺れる肉体。されど、鬼道丸はその瞳を爛々と輝かせて、地面を強く踏みしめた。

 

 「――片腕の身でこの威力……流石は力の勇儀か」

 

 「慰めにもなんないよ。お前の方が重傷だろうに……そろそろ膝くらいついとくれ」

 

 呆れたように勇儀が言った。創一、霊夢、勇儀、魑魅魍魎跋扈する幻想郷においても上位に位置する猛者たちとの連戦を続け、満身創痍に至って尚、鬼道丸は一度もその膝を地面へと降ろしてはいない。

 

 「今膝をつけば俺は完全に息絶えるだろう。焦がれ続けた妄執が俺の体を無理やり動かしているのだ」

 

 柄を失ったむき出しの刃を握りしめて、鬼道丸が再び大太刀を構えた。何時死んでもおかしくない様相でありながら、永遠にそこに立ち続けるような気迫があった。

 霊夢と勇儀が一瞬だけ視線を交わせて、互いに鬼道丸を見据える。

 

 「上等じゃない。こうなればとことん――」

 

 霊夢の言葉はそれ以上続かなかった。言葉どころか、息すらも。

 

 「――か、はっ……っっ!?」

 

 溺れるように、霊夢は喉を押さえてその場に蹲る。顔面からは血の気が引き、滝のように冷や汗が滴った。

 

 「霊夢!? しっかりしな! 息を吸うんだ!!」

 

 慌てて勇儀が駆け寄って霊夢を叱咤する。だが、勇儀の額にも汗が浮かんでおり、彼女も決して余裕があるわけではないことが見て取れた。

 身を劈く悪寒と重圧。あたりの空気が変貌するとともに、少女たちをそれが襲ったのだ。

 

 「――ッは、はっ……っく……だい、丈夫……もう、大丈夫よ」

 

 未だに青白い表情で、霊夢はそう言って立ち上がる。博麗の巫女の成せる業か、霊夢は鬼神ですら厭うその瘴気に真っ先に適応して見せた。そして、その元凶がいるであろう背後を振り返る。

 

 「……無事だったのねって、言う雰囲気でも無いわね」

 

 「…………」

 

 霊夢の視線の先――一人の少年が佇んでいた。白い装束を纏い、その相貌を狐面で隠している。面の隙間から、紫色の瞳が覗いていた。

 

 「どうやら、勝負はまだついていなかったらしいな」

 

 構えた大太刀を下ろして、楽しそうに鬼道丸が言った。

 少年が視線を鬼道丸へと向ける。

 

 「……勝負はついた。喜べ、お前の勝ちだ。狐守創一は鬼道丸拘魔に敗れ去った……それは疑いようのない真実だ」

 

 抑揚のない声で少年が言った。

 鬼道丸が僅かに眉を顰める。

 

 「それはどういう意味だ? 現に君はこうして俺の前に立っているだろう」

 

 「稲荷明神の加護を受けた創一は、あくまで()()()()()()()()狐守創一は――敗北した。それ以上語る言葉を俺は持たない。お前の勝ちだ。その功績を抱いて――死んでくれ」

 

 その言葉を合図に、少年の体から黒い瘴気があふれ出した。それは異変によって撒き散らされた瘴気ともまた違う。怨霊たちが発する気に似ていたが、それよりもずっと濃密で禍々しい。

 

 少年の頭髪から色が抜け、白髪へと変化した。反対に、白い装束と狐面が色を得て、漆黒に染まる。装束から覗く肌に赤い文様が浮き上がり、凝縮された瘴気が()()()()となって黒い狐の背後で火のように揺らめいた。

 変貌を遂げた少年の姿に鬼道丸は絶句する。

 (なんだこれは!? 纏う衣服の呪具化……だけでは無い! これは、これはまさか……!!)

 

 「――――生き人が呪いに転ずる姿など、初めて見た。それは、元に戻れるものなのか?」

 

 「……まだ、人であることを諦めるつもりは無い」

 

 静かな声で少年は答えた。

 【負の感情を力とする程度の能力】、疑似的な妖刀を生み出すことはあくまでその異能の副産物に過ぎない。力を他者や物品に分け与えることはこの異能の神髄では無いのだ。

 蓄えた負の感情を原動力として、自身を強化することこそが異能本来の使い方。

 憎しみ、悲しみ、恨み、妬み、吸収された数多の負の感情は、創一という器の中で混ざり、煮詰められ――(わざわい)と成る。

 

 転禍、それがその(わざ)の名前だった。

 読んで字のごとく、自らを悍ましき禍根と化す外法。

 一体どれ程の怨嗟をその身に喰らってきたというのか。流石の鬼道丸も心胆より寒からしめるものを感じた。

 

 「百鬼殺しの所以がようやく理解できた。鬼が百体集まったところで、覆り様がない程の兵力差という訳だ。相手も絶望したことだろうよ……」

 

 「……その絶望も食った。今まで殺して来た連中の負の感情は全て……俺の中にある」

 

 そう言って少年は自分の胸を指で叩いた。

 

 「――なるほど、君が外で畏れられている理由が心底分かった。だからといって、此処で諦めるわけにも行かない」

 

 勝てるわけが無い。傍で見ていた霊夢と勇儀はそう直感した。鬼道丸拘魔は埒外な力を有している、だが、それでも少年に届き得ない。例え万全だったとしても、それは覆らないだろう。

 鬼道丸もまた、その事実を悟っていた。悟った上で彼は、挑むことを止めるつもりは無かった。

 少年が手をかざす。

 

 「――来い」

 

 地面に転がっていた妖刀が少年の声に応えて、独りでに跳び上がり、少年の手へと吸い込まれるように収まった。

 主を得た妖刀が怪しく煌めく。

 鬼道丸は少年が武器を手にしたことを確認して、ようやく大太刀を構え直す。

 

 「……この期に及んで律儀だな。いや、愚直か……」

 

 「愚かだからここに居る。こうして相まみえることができた。光栄の至りだとも、俺が見てきた誰よりも……今の君は強い。鬼の血が滾る」

 

 鬼道丸が獰猛に笑った。彼の構えは大上段。漲る気迫の全てがその一太刀に込められている。

 視線をぶつけ合う鬼神と黒い狐。

 先に動いたのは鬼道丸だった。

 

 「――オオオオオオオオオオオオ!!」

 

 大気を揺るがす鬼神の雄たけびが轟く。踏み込みで地が砕けた。筋肉が隆起した剛腕が、大太刀を真っ向から振り下ろし――

 

 

 降禍(こうか)の太刀・黒吐(くろはばき)

 

 

 ――一閃。黒い稲妻が煌めき、大太刀とともに鬼神の命が散った。

 

 

 

 

 「――今すぐここを発つぞ、梓よ」

 

 唐突に投げかけられた言葉に、梓は首を傾げた。

 八雲紫との大立ち回りを経て尚、未だに気力を尽かせない蘆屋道満。妖怪の山へと逃げおおせた彼は、監視の目を盗んだうえで、百鬼夜行と幻想郷の住人達との戦いを観察していた。

 悦に入る主人を微笑ましそうに見つめていた梓だったが、それ故に主人の心変わりに驚きを禁じ得ない。

 

 「いかがなさったのです法師様? 先ほどまであんなに楽しんでいらしたのに……」

 

 「状況が変わった。聞いていた以上だ……あ奴め、いい加減な情報を渡しおって……」

 

 「どうしたというのですか?」

 

 「悪いが訳を話して居る場合は……嘘だろう?」

 

 突如として空を見上げて固まる道満。その額には冷や汗が浮かんでいる。

 釣られて梓もまた視線を上へと向け、主人の言葉の意味を悟った。

 

 「なんで八雲すら掴めない所在をお主が把握しておる?」

 

 「深淵を覗く者はなんとやら――だ、お前の視線は特に気味が悪いから分かりやすい」

 

 少年が着陸する。

 

 「お前は少しふざけ過ぎた――そろそろ代償(つけ)を払え」

 

 「――っは、生憎その手のモノを踏み倒すのが得意でな!」

 

 そう言うとともに、道満が呪符を周囲にばら撒いた。符が独りでに焼き切れるとともに幾つもの魔法陣が宙に浮かび上がり、そこから数多の妖が姿を表す。道満の魔力によって強化された式神たちだ。

 

 「――烏合だな」

 

 吐き捨てるような言葉と共に、少年が手にした妖刀を振るった。この世の全ての災禍が詰めこまれているのではないかと思うほどの凶刃が、瞬く間の内に式神を蹂躙する。

 屍が積み重なり。式神の数が数えられる程度に収まったとき、少年は妖刀を道満目掛けて投擲した。

 

 「――くっ……!!」

 

 「ぬ、梓!?」

 

 妖刀が身を挺して立ちはだかった梓の胸を貫いた。もだえる従者に、道満が焦ったような声で呼びかける。

 有象無象の式とは違い、女はどうやら相応に道満が情を向ける相手らしい。だが、少年にとっては至極どうでもよいことだ。

 最大の武器を失ったと見て、襲い来る式神を影より取り出したクナイと短刀で迎撃する。

 

 「お気になさらず、お逃げになってください! 私はもうあなた様の旅路に同行できません」

 

 「ッッ……あぁ、分かった。今までご苦労だった梓よ。式の力を限界以上に引き出してやろう、最後に好きなだけ暴るがいい」

 

 「ふふ、過分なお気遣い……痛み入りますわ……」

 

 口から血を零しながら、気丈に振舞う式に別れを告げた道満。その首筋を鉄製の凶器が掠めた。少年が式神を相手取る傍ら、クナイを投げたのだ。

 ぬるりと滴る自分の血に触れながら、道満が苦く笑う。

 

 「別れの場面に水差す奴があるかよ……」

 

 「――知るか、地獄でやってろ。どうせ逃がす気はない」

 

 最後の一体となる式神の額に、短刀を打ち込みながら少年が答えた。

 紫に輝く瞳が、相手を射殺すような鋭さを宿して、道満へと向けられる。

 

 「はは、真におっそろしい奴よ。正にあの親にしてこの子ありといったところか……」

 

 その言葉に、面の下で少年はぴくりと眉を動かす。同時に、眼前の敵へと歩み寄ろうとしていた足が止まった。

 

 「…………どういう意味だ?」

 

 憤怒の様相が一瞬だけ成りを潜める。全ての感情が霧散したような目で、少年は尋ねた。

 呪術の道に通じる相手と言葉を交わすことがどれだけリスクが高いかを、知らぬわけはない。それでも、そのすべてを差し置いて、真意を探る必要があった。

 結論を言ってしまえば、少年はその時点で道満の術中へと嵌まっていたのである。

 

 「どういう意味もなにも……心当たりはあるだろうよ。世界に生まれ落ちた負の獣、全てに悪意を振りまくだけの存在に――唯一愛された、それがお前さんじゃろう?」

 

 「――――――は」

 

 少年の口から音が漏れる。禍々しい気配こそ健在だが、壮絶な気迫はみる影が無い。傀儡人形の糸が突然切れてしまったような、そんな様相だった。

 

 「さて、悪いが儂はここいらで失礼するとしようか。また会おうや――()()()()()()の子よ」

 

 その言葉とともに、道満は背後に開いた空間の狭間へとその姿を消した。

 呆然と立ち尽くして虚空を見続ける少年の前に、胸から妖刀を抜き放った梓が、血をこぼしながら進み出る。

 

 「まったく、ひどいお方ですこと……最後の最後で、起爆剤を残すなんて……まぁ、それでこそ私の主人です。それでは、お相手願いましょうか黒狐殿」

 

 「……ふっ――」

 

 乾いた笑みが少年の口から洩れた。

 

 「は、はははははははははははッ‼」

 

 それは直ぐに哄笑へと変わる。まるで気が狂ってしまったかのように、少年は嗤い続けた。だが、その紫色の瞳に宿っているのは、全てを焼き尽くす業火の如き激情だった。

 

 「――そうか、俄然お前の主人を追う理由が増えた! が、ひとまず今日は有能な駒を潰せたとして溜飲は下げてやる。下げてやるとも!!」

 

 まるで抑制を欠いた感情のまま、少年が叫んだ。狐面の下、その表情は先程の笑みを引きずったまま、憎悪にも歪んでいる。

 少年の中を渦巻く感情は一概に表せるものでなかった。決して一つに、純になることなど無い、綯い交ぜの感情。

 それらの混沌に身を裂かれる今宵の犠牲者は、目の前の女だけだった。

 先程以上に高まる少年の禍々しい気配と気迫に、梓の頬を冷や汗が伝う。

 

 「それはありがたいですわ。でも、あまり私を甘く見ないことです。これでも、蘆屋を名乗ることを許された忠実な式神ですので……」

 

 その言葉とともに、梓の体が変貌した。内側で何かが暴れているように肉体がうねり、膨れ上がって身に纏う衣服が千切れた。

 誕生したのは、一匹の小山程の大きさの雌蜘蛛。

 鋭い鋏角がこすれ合い、耳を劈く異音が鳴り響く。

 八つの視線が少年ひとりに注がれた。

 漂うのは膨大な妖気、大蟲妖の決死の姿。しかし、それは荒ぶる黒い狐にとっては、ただ食いでがある獲物にしか過ぎない。

 

 「主人もいずれ同じ場所に送ってやる。だから――安心して死ね」

 

 影より新たな武器を取り出して、少年は面の下で悪辣に(けだもの)のように口の端を吊り上げた。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()黒霧異変解決の後日、妖怪の山にて損傷の激しい妖の死骸が大量に発見された。中でも蜘蛛の妖(周辺に落ちていた一本の脚よりかなり巨大で強力な妖であることが分かる)は損傷が激しく、原形をとどめていない。

 

 強力な妖がこれほどまでに徹底的な破壊を受けたにもかかわらず、目撃者がいないこと、山の住人の複数人が異様な気配を感じたと証言していたことから、尋常じゃない力の持ち主が山でごく短時間の内に現場の惨状を作り出したと考えられる。

 異変の裏で起こったと思われるこの事件は妖怪の山の監視網の甘さを露呈させたとして、天狗社会を震撼させた。

 

 今や多くの天狗が総出を挙げて件の侵入者を捜索している。その多くは誇りを傷づけられた怒りによるものであるが、中には純粋な好奇心によって動く者も居るという。

 

 

 




 やっと物語に一区切りつけることができました。
 ゴッドイーター2というゲームにマガツキュウビというのが登場するのですが、主人公の変身後の容貌はそれの擬人化というイメージです。
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