東方狐神録   作:パック

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 京都合同行きそびれて慟哭してました。紅楼夢も行けそうにない、つらすぎる。


稗田と狐守

 

 

 既に時刻は酉の刻に差し掛かっていた。換気のために空けた障子窓から、ひぐらしの鳴く声が響き、その合間を風に揺れる風鈴の音色が彩っている。また、時折聞こえる楽し気な声は子供たちのものだろう。

 

 まだまだ夏は盛りで、日は長く、空は一向に茜差す様子を見せない。宵が遠ざかるこの季節は、妖怪に怯えねばならないか弱き人間たちに僅かな安らぎをくれるのだ。

 特に、夜歩きなど許してもらえることのない子供たちは、皆一様に暑さを厭わず、日が出ているうちを精一杯遊び続ける。彼らのあどけない姿を見ていると、阿求の心にも、なんとも言えない懐古的な情が湧きあがるのだった。

 

 それは、阿求の目の前に座す少年もまた同様なのだろうか。少年は目を閉じて、窓から入る自然と人の喧騒に静かに耳を傾けているようだった。

 少年――狐守創一の容貌は、阿求の記憶に残る初代狐守当主のソレと瓜二つである。ここまで、生き写しという言葉が似合う者もそうは居ないだろう。

 

 細い輪郭に、目、鼻、唇と言った顔のパーツが整然と並び、いっそ奇跡的なほどに中性じみた顔を保っていた。

 阿求の脳裏に、奥底に埋もれていたはずの記憶の断片が、再び鮮明になって浮かび上がる。

 

 (――さて、いつまでもこうしているわけにはいかないわね……)

 

 創一をこの場に、自分の屋敷へと招いたのは他ならぬ阿求だった。だが、それは殆ど衝動的なものである。一度、渦中にある創一に会うことは考えては居たが、鈴奈庵で出くわしたことは全くの予想外、阿求はまるで心の準備というものが出来ていなかったのだ。

 

 (……そもそも、特に何も尋ねることなく、この人がついて来てくれたこと自体が意外だったのだけど……)

 

 突然現れた上に、自らの屋敷へと招待する阿求に、創一は疑問を呈するどころか、眉一つ動かすことすら無かった。まるで、全てが自然のことであるかのように、創一は阿求の誘いに頷いたのだ。

 創一との間で交わされた一連の流れに、事態を呑み込めずに目を丸くしていた小鈴とマミゾウの顔が阿求の脳裏に蘇った。

 

 「創一さん、この度は突然の呼びたてにも関わらず、ご足労下さって有難うございます」

 

 丁寧なお辞儀とともに阿求は言った。

 創一が目を開き、阿求を見据える。露わとなった青い双眸、ソレだけは阿求の記憶に残る初代当主と大きく異なるものだ。

 吸い込まれるような心地がする程に美しく、同時に恐ろしい。その視線に射られて、頬を紅潮させる者もいれば、背すじが凍る者もいるだろう。

 

 人型の神や妖怪が容姿端麗であることは珍しくはない。花が香りで虫を誘うように、美しい姿で人を引き寄せるのだ。創一という少年が持つ美が、それらに類する魔性であることを阿求は半ば確信していた。

 

 「……構わない」

 

 創一が短く答えた。その顔つきはひどく無感情で、思わず聞き惚れてしまいしまいそうなほどの美声も何処か冷たい。

 険がある、というのとはまた違う。とりつく島が無いといった印象だった。

 

 「……やはり、ご迷惑だったでしょうか?」

 

 少々遠慮がちに阿求は尋ねた。

 初対面である創一を、いきなり屋敷へと誘ったのだから、迷惑だと考えられても仕方が無い。創一自身が承諾したといっても、人里で相応の権力を持つ稗田家当主の誘いを断れず、渋々従った可能性も考えられた。

 

 「別に、迷惑というわけではない。ただ、最初に言っておくが……俺は君にとって有益な情報を持ち合わせていないだろう。期待はしないでくれ」

 

 言外に、お前に話すことは無いと伝えているようだった。阿求を真っすぐに見つめる創一の青い瞳は、不思議な魔力を宿しているようで、腹の底を全て覗かれているような感覚に阿求の額に冷や汗が浮かぶ。

 

 (やっぱり……私の魂胆は透けてるみたいね……)

 

 数日前に解決した黒霧異変。その解決者こそが、今目の前にいる創一なのではないかという疑念を阿求は抱いていた。

 八雲紫が口を閉ざす以上、創一に直接異変の真相を問いただす他は無い。だが、その目論見は早くも挫けそうだった。

 

 (此処まで足こそ運んでくれたけど……だからといって、素直に話してくれる気はないか……)

 

 創一から強い拒絶の意図を感じ取って、阿求は頭を悩ませる。阿求としても、このような機会でそう簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

 絶えず思考を回しながら、阿求は口を開く。

 

 「……私が幻想郷縁起の編纂をしていることは知ってますか?」

 

 創一が鈴奈庵で幻想郷縁起を借りていったという話を思い出して、阿求は口にする。多少なりとも彼が縁起に興味を持っていることは好都合だった。流石に、それだけで快く受け答えしてくれるなどという希望は持たないが。

 創一はこくりと頷いて言う。

 

 「勿論、余所者の俺にとってはとても有難い資料だ。少々人物評に偏りを感じるが……その意図は何となく予想できるし納得もできる」

 

 「……そうですか、ご理解頂き恐縮です」

 

 幻想郷縁起には妖怪の能力や実態、その人物評価のようなものも記載されている。そして、創一の指摘通り、そこには客観性を欠いた阿求自身の私見が大きく反映されている場合が存在していた。だが、それは決して阿求の私怨によるものではない。人里の者へ警鐘を鳴らすために、敢えて大袈裟に書き記すようにしているに過ぎないのだ。

 

 最も、多くの者が歴史に関心を示さず、縁起を読むことが無い幻想郷において、そんな阿求の意図を理解するものなどいない。しかし、非常に珍しいことだが、目の前の少年は阿求の意図を察して、概ね好意的に捉えてくれているらしい。

 

 著者の意図を理解してくれる読者というものは貴重である。そういった者からの賞賛の言葉は阿求にとっても中々うれしいものであった。自然と、少しだけ阿求の肩の力が抜ける。

 

 「縁起を読んでくれたなら話は早いです。私があなたをお呼び立てした理由はずばり、取材です」

 

 「取材……? 縁起に乗せてもらえるような話は持ち合わせていないが……」

 

 「私の著作は何も縁起だけではありませんよ。それに些か謙遜が過ぎます、彼の稲荷明神の使い、狐守家御当主の言葉とは思えません」

 

 「元使いだ。狐守家の役目は既に解かれている。今は只のしがない一退魔師だ」

 

 「ならば、一退魔師としての貴方の軌跡を教えて下さい」

 

 自嘲を含む創一の物言いにも怯むことなく、阿求は尚も食い下がる。

 

 「やけに拘るな……そんなことを聞いてどうする?」

 

 少々怪訝な目つきで創一が尋ねた。

 

 「幻想郷縁起には、有力な人間を紹介する項もあったでしょう? あれは妖怪被害にあった人間に、相談先を紹介する意味もあるのです」

 

 「博麗の巫女を始めとした異変解決者達なら分かるが……いきなり俺が紹介されても意味が分からないだろう」

 

 「巫女以外は皆最初は名無しですよ。それに、貴方は既に縁起に乗せるに相応しい人物であるはずです――――()()()()()()()()として…………」

 

 満を持して、阿求は遂に本題へと踏み込んだ。

 創一が眉を顰める。

 

 「……いきなり何の話だ? 俺は適当に周囲の怨霊を狩っていたくらいで、そもそも異変解決に動こうとすらしていない。新参者が出張る場面でもないと思ったからな」

 

 あくまで身に覚えがないという態度を創一は貫く。まるで崩れそうにないその様子に、阿求は嘆息する。

 

 「……貴方も紫さんと同様に白を切るつもりなんですね。まぁいいでしょう、紫さんは最早言外に認めていましたが……私がそれを知ったところでどうしようもないことは事実です」

 

 元より期待は薄かった。霊夢さん達関係者からの証言が得られていない以上、創一もまた彼女らと口裏を合わせていないはずがない。

 多くの人妖相手に取材を続けてきた自分の観察眼ならば、という期待が阿求にはあったが、それも目の前の少年相手には役立ちそうに無かった。

 八雲紫と同等、あるいはそれ以上に腹の内が見えない。

 

 異変の真相に対して、証言を得ることは不可能に等しい。だが、阿求とてそんなことは百も承知のことである。故に、

 

 (――ここからが本番だ)

 

 まだ引き下がるわけには行かない。せめて、相応の落としどころというものが存在する。思惑が一つ潰された程度で諦めるほど、稗田阿求は甘くはない。

 決心と共に、阿求は口火を切った。

 

 「しかし、事実ですが――――腹立たしい」

 

 その声には僅かに敵意すら滲んでいる。

 阿求は一つの賭けに出たのだ。

 心中を悉く見透かしてくるような手合いに、いっそ腹の内を明ける。多くの人妖を相手にしてきた阿求の記録家としての勘が、それこそが最善手であると告げていたのだ。何より、

 

 (あの人も、そういう手合いだった。他者の真摯な思いを何よりも尊重する……優し過ぎる人……)

 

 脳裏に、阿求(じぶん)ではない者の記憶を思い浮かべながら、阿求は心中を吐露し続ける。

 

 「稗田家は何代にも渡って、幻想郷の書記という役目を全うしてきました。九代目として――私にも矜持があります! 歴史を編纂する者に、嘘を分かりきっていることを書き記させるのは……それは――――私に、私たちに対するこの上ない侮辱だ……!」

 

 神性すら感じさせる青い瞳を正面から睨みつけて、阿求は言った。心の底より零れた、その憤怒を孕む言葉に、創一が僅かに目を見開く。気圧された、という様子では無かった、なぜなら、本の束の間の一瞬だが、少年の口角が僅かに上がったように感じられたからだ。嘲るとも違ったその反応に、思わず阿求の方が面食らう。

 

 「なるほど……で、わざわざ愚痴を聞かせるために俺を呼んだのか?」

 

 そう尋ねる創一の表情の変化は相も変わらず乏しい。だが、その青い瞳には何処か好奇の色が宿っているようにも見える。

 

 「……辛辣ですね、勿論違いますよ。異変の解決者が霊夢さんであるとすることの意義は理解できますし、その件では諦めてあげますよ」

 

 人里、ひいては幻想郷の利にとっては、八雲紫が下した判断が正しいことは、阿求も理解している。前代未聞の大事件を丸く収めるために、書記の誇りを蔑ろにすることが、一番安く済むのは間違いない。だが、理屈だけで納得できる程、人間は上手くできていない。

 傍にある文机を指でとんとんと叩きながら、阿求は話を続ける。

 

 「私が言いたいことはですね、私に嘘を書かせることへの労いというか。補填があってもいいじゃないのかということです。本当なら紫さんに請求したいとところですが、貴方も片棒を担いでいる一人ですよね?」

 

 創一の顔が僅かに困惑したものに変わる。流石に阿求の返答が意外だったようだ。ようやく表れた少年の表情の変化に、阿求は内心で得意げになった。

 

 「……口止め料の要求というわけか?」

 

 「理解が早くて助かります、勿論、金銭面の話ではないです、生憎困っていませんので……」

 

 阿求は不敵な笑みすら浮かべて言った。

 

 「先ほども言いましたが、私が望むのは貴方への取材です。黒霧異変は除くとして……貴方の外の世界での活動と、出くわした怪異について教えて欲しいのです」

 

 外の世界からやって来た退魔師、それも鬼を退治する程の腕前の持ち主である。少年が今まで培ってきたであろう怪異譚には期待が持てる。それはお金に変えることのできない貴重な資料であり、阿求の知的好奇心を大いに刺激するものだった。

 阿求の言葉に、創一は少々思案気な顔を浮かべた後、やがてこくりと頷く。

 

 「……表に出さないのなら、了承する。それで手打ちということでいいか?」

 

 「――――っ……はい!」

 

 創一の返答に、阿求は心の中でガッツポーズする。正直、分の悪い賭けだったのだ。幻想郷に住む住人は皆良くも悪くも我が強く、目立ちたがり屋だ。

 存在を人に知らしめることが強さを保つことに繋がる神や妖怪はもとより、依頼客が増えることを期待して退魔を生業にする者もまた積極的に名前を売る。故に、阿求は今まで取材に困るということが極端に少なかった。協力的であるどころか、自分から売り込むものすら居る程だからだ。

 

 しかし、狐守家は違う。彼らは個人の名を売ることを善しとしなかった一族であり、その名は歴史書にも絵巻にも乗ることが無い。始祖たる初代だけは少々口伝えで名を残しているが、それ以外の者については全く持って知られていないのだ。

 それ程までに語り継がれることを嫌う一族相手に、取材の許可を取り付けられたことは大金星と言ってよい。

 異変の顛末を正確に書き記せないことへの怒りも、多少は呑み込めるだけの成果だ。

 

 (もとより異変の証言が得られないことは織り込み済み。でも、だからといって稗田家がただで転んでやるものですか)

 

 存外にうまい落としどころに落ち着かせたことに、阿求は心の内でほくそ笑んだ。

 阿求はすぐさま立ち上がると、戸棚から白紙の本と筆を取り出して文机へと置き、再び座して創一へと向き直る。

 

 「――それでは、早速取材を開始してもよろしいですか?」

 

 先ほど見せた怒りなど最初から無かったかのように、実に上機嫌な顔で、阿求は言うのだった。

 

 

 

 

 「――なるほど、そんな事件が……人の情念というものは本当に恐ろしいですね。妖怪よりも真に恐ろしいのは人間なのではないかとすら思えてしまいます」

 

 「俺もそう思う。妖怪を形づくるのも人の心だからな……結局、人間の持つ悪心こそが最も醜く、悍ましいものかもしれない。悪心故に竜となった者すら居るくらいだ」

 

 「【今昔物語集】天竺に伝わる説話ですね、未熟で愚かな弟子が、抱いた復讐心で竜と化した話……流石に信じられないですが……」

 

 「そうか? 人は鬼にも神にもなる。竜になることだけが荒唐無稽だとする方が妙だ。実際、俺は人が竜に成りかけた所を目撃した。変貌の途中で射殺したから……あのまま放置すれば完全な竜になれたのかは分からんが……」

 

 「人が竜に!? その話、詳しく聞かせてください!!」

 

 身を乗り出す勢いで阿求が言う。

 

 「構わないが……また今度にしないか? 時間も丁度良いだろう」

 

 言いながら、創一は障子窓の方を指し示した。見れば、いつの間にかかなり時間が経っていたようで、空は既に茜色に染まっていた。間もなく夜の帳が降りるだろう。

 

 「そう、ですね…………あ! いっそ、うちに泊まっていきませんか? 一人分くらいなら食事の用意も寝床も問題はないですよ、この通り無暗に広い屋敷なので!」

 

 自分たちが今いる応接間を手で指し示しながら阿求が言う。

 

 「いや、流石に申し訳ない、遠慮させてもらう」

 

 「ですが、この時間からだと夜道を帰ることに……って、貴方なら何も問題ないのでしたね……」

 

 ふと、目の前の華奢な少年が、本気の鬼すら打破し得ることを阿求は思い出した。最も、何処まで詰めよっても、目の前の彼は異変を解決した事実を認めないのだろうが。

 

 「まぁ、そう言うことだ」

 

 「しかし、見たところ創一さんは丸腰のようですが……」

 

 創一の装いに目を移しながら阿求が言った。

 彼が身に纏っているのは藍色の甚兵衛。この季節の服装としては自然で、人里でも同様の装いをしている男性は多い。

 外来の服を着て、悪目立ちすることを避けているらしかった。当然、武器の類は身に着けていない。もしかすれば短刀の一つでも懐に忍ばせているのかもしれないが、下手すれば大妖怪と容易に遭遇するこの郷で、それはあまりに心もとないだろう。

 

 「武器ならこの通りだ」

 

 言いながら、創一は片手を服の袖の中へと突っ込んで見せる。袖から手が引き抜かれたとき、そこには一振りの刀が握られていた。

 明らかに物理的な原理を無視している。

 

 「道術の一種だ。自分を媒介にした影に異界を作るというものなんだが、これが中々に便利でな。外の退魔師は表の法律との相性が最悪だが、これがあれば銃刀法違反にならずに済む」

 

 そう言って、創一は刀を再び袖口へと収納する。かなり便利な術だ。阿求としても少し羨ましい。

 創一が言う銃刀法違反とやらについては阿求には分からないが、外の法律が彼らのような存在に対して優しくないことだけは理解できた。

 実に世知辛い話ではなるが、妖怪という存在が公に認められていない世界である以上、創一のような退魔師がどれほど陰で活躍したところで、大した名声を得ることはできないのだろう。

 そこまで考えて、ふと、今更ながらに根本的な疑問が阿求の浮かび上がる。

 

 「そういえば……そもそも創一さんは、何故この郷へやって来たんですか?」

 

 例えば、創一がまだ稲荷の使いであり、主神の信仰を集めるためにこの郷へやってきただとすれば、納得は出来た。

 もしくは、役目を解かれた故に、今度こそ個人として名声を掴もうと幻想郷へやって来たのだとしても、理解できる。

 だが、目の前の少年はこの郷においても目立つことを厭うているようだった。取材を通して、それを確信したからこそ阿求は首を傾げる。

 

 「少し話をしただけでも、貴方が聡明な人物であることは分かります。だからこそ解せないのです。力ある外来人の退魔師、そんな人物がこの郷にやってくればどうなるか……一体、八雲紫とどんな取引を?」

 

 「直球すぎる。俺が素直に答えるとでも? まさかとは思うが、八雲にも同じように詰めたのか? そんな生き方をしていると早死にするぞ」

 

 「あら、ご心配いりません。若くして死ぬことはなれてますから」

 

 呆れたような声音の創一に、阿求はくすりと微笑みながら返答した。

 

 「……俺も失言だったが、その返しはどうなんだ?」

 

 縁起には稗田家についても記載されている。里の人間たちには只の言い伝えと思われることも増えているが、阿礼乙女の短命と転生についてもだ。

 そのことを思い出したのか、少々罰が悪そうに、創一は首の後ろを搔く。

 

 「まぁいい、失言の詫びに最初の問いにくらいは答えよう」

 

 「そんなに気にしなくてもいいんですよ。まぁ、儲けものなので答えてはいただきますが……」

 

 にこにこと上機嫌な様子を崩さないまま、再び阿求は筆をとり、創一の言葉を今か今かと待つ。

 その様子を感心と呆れが混じったような目で見つめて、創一は話し出した。

 

 「俺がこの郷に来た理由は複数あるが、大本は――――人を守るためだ」

 

 「――は? 人を、守るため……ですか?」

 

 余りに予想に無かった答えに、思わず阿求はオウム返しする。一瞬から揶揄われたのかとすら考えたが、創一の目は真剣其のものであった。

 困惑を抱きつつも、阿求は筆を握る手に力を込める。

 

 「それは……えっと、どういう?」

 

 「昔、俺を拾い、名をくれた恩人への誓いだ。俺が生涯を掛けて成すと決めたこと……だが、俺はもう外の世界で碌に活動できなくなってな……だからここに来た」

 

 「つまり、貴方はわざわざ他人のために危険を冒してこの郷に来たと? それは俄かに……」

 

 信じがたい、その言葉を口にするより先に、少年が間髪入れずに言う。

 

 「他人のためというよりは、自分のためだ。偽善、自己満足のためと言えば納得してくれるか?」

 

 「えらく直球ですね。中々自分で言う人はいないですが……」

 

 「事実だからな。いまいちピンと来ていないようだから、逆に聞くが……君はなんで幻想郷縁起を編纂しているんだ? そのために何度も転生を繰り返していると聞くが……」

 

 「それは……縁起の編纂は幻想郷にとって無くてはならない重要な役目で……」

 

 「本気でそう思っているのか? 役立つことは認めるが、あの書物に真剣に目を通す者がこの郷にどれだけ居る? 少なくとも、人の身で転生を繰り返して成す仕事としてのリターンは取れていないように思えるがな」

 

 「――っ…………!」

 

 その言葉に、阿求は心臓を鷲掴みにされたような心地すらした。

 創一の言う通り、幻想郷縁起は時代が進むとともに、その重要性が薄まっている。妖怪を知らぬことが直接死に結びついていた時代ならいざ知らず、スペルカードルールが広まった当代、阿求が編纂する縁起の価値は如何ほどか。そんなことは、阿求が一番痛い程分かっていた。

 創一は尚も言葉を続ける。

 

 「自覚はしているのだろう? だが、君は筆を執ることを止めない。そのつもりもない。当たってるか? だったら分かるはずだ。つまりは、()()()()()()()

 

 青い瞳が爛々と輝いている。

 紡がれる言葉に宿るのは確かな決意と――

 

 「稲荷明神に仕えるという役目と、人を怪異から守るという役目は、俺の中では既に易々と捨てられるものじゃない」

 

 ――狂気だった。一切の澱みなく滔々と語れる内容ではない。

 偽善であることを承知したうえで、滅私奉公を何よりの目的とする。そんなものは、およそ血の通った人間の在り方ではないのだ。

 そのような言葉を本気で吐けるのは、余程の愚者か、狂人か、きっと少年は両者なのだろう。

 そして、阿求もまた同じ穴の貉なのである。だからこそ、目の前の少年のことが理解できた。

 

 「……およそ、書に残せるような発言ではありませんね」

 

 ため息とともに、阿求は言った。

 

 「そもそも、残して欲しくはないしな。以前、同業に同じような言葉を零した時、ドン引きされもした」

 

 「でしょうね、でも理解はできます。貴方も私も、他人にとやかく言われようとも、この道を違えることはできない――そうでしょう?」

 

 「あぁ、まさしくだ。最も、俺は余所者だ。一応隠居した身でもある、出しゃばるつもりは無いから、請われればといったとこだが」

 

 「だとしたら、やはり縁起に貴方の名を乗せた方が良いと思いますが」

 

 人助けに積極的に動いてくれるというのなら、人里にとっては是非もなく、堂々とそれを宣伝していてくれた方が有難い。

 

 「いや、あんまり名を売り過ぎると面倒なことになるのは、外の世界で痛感したからな……」

 

 何処か遠い目をして創一はそう口にした。どうやら相応の苦労をしたらしい。阿求としても流石に無理強いをする気は起きなかった。

 

 「まぁ、面倒な案件があったら気軽に頼ってくれ、依頼料は安くしとく」

 

 「流石にお代はとるんですね」

 

 「当たり前だろ。見返りの無い奉仕を一体どれ程の人間が信じる? 最低限の対価があった方が丸く収まるものだ。既存の退魔師と揉めても面倒だからな」

 

 幻想郷にも妖怪退治を生業とする者は多々いる。博麗の巫女は例外として、人里に居る退魔師たちに、優秀な同業者が現れることは死活問題である。

 まして、その者が安請け合いをするとなれば、創一の懸念通り、いらぬ諍いを生むことが容易に予想できた。

 ことりと筆を置いて、阿求は創一へと向き直る。

 

 「創一さんの言い分は分かりました。では、こういうのはどうでしょうか? 私のところには色々な相談事が舞い込みます。ですので、妖怪絡みの事件の場合、創一さんの所を紹介するというのは? それなら、あまり目立ちすぎることは無いでしょう」

 

 今までであれば、阿求はそのような事態において、大抵は博麗の巫女を頼ることを薦めてきた。霊夢が手一杯の場合は、魔法の森の霧雨魔法店を紹介することもあったが、両者ともに評判はそこまで良くない。

 

 というのも、実力者ではあるが霊夢は少しいい加減な性格で、自分の管理する神社が妖怪で溢れかえるくらいだ。人々からの信用が低いのも仕方はない。

 魔よけのツボなど、頻繁に妖しい商売をする魔理沙も似たようなものである。

 また、博麗神社も魔法の森も、中々に辺境であり、治安が良くない。気軽に足を運ぶ場所ではないのだ。

 

 それ故に、別口の相談先が増えるというのは有難いことであった。実力は申し分なく、それなりに信用もできる。

 阿求の申し出に、創一は考え込む素振りを見せた後、

 

 「そうだな、俺としてもその方が色々と都合が良い」

 

 頷くとともに、創一は懐から一枚の紙を取り出す。

 

 「となれば、連絡手段が必要だな。少し待ってくれ」

 

 言いながら、創一は紙を素早く綺麗に折っていき、鳩の形状を作り出すと、短く呪文のようなものを呟く。

 そうして出来上がった鳩の折り紙を阿求へと手渡した。

 

 「小鈴にも渡したんだが、連絡用の式神だ。依頼があれば、それで呼び出してくれ」

 

 「分かりました」

 

 「それじゃあ、俺はそろそろお暇する」

 

 「あっ、ちょっと待ってください!」

 

 立ち上がり、踵を返そうとする少年を阿求は呼び止める。それは殆ど反射的なものだった。脳裏に浮かび上がったのは、初代阿礼乙女と創一によく似た少年の惜別の光景。そして、阿求自身が八雲紫に零した言葉だった。

 

 

 

 『……また――彼を利用するのですか?』

 

 

 

 「どうした?」

 

 呼び止めたにも関わらず、何も言わずに固まっている阿求を見て、創一は首を傾げる。

 

 「……最後に一つ、お節介ながら忠告を――多分、八雲紫の策略はまだ終わってはいませんよ」

 

 無駄にぐるぐると回る思考を取り繕って、ようやく阿求は言葉を吐き出した。それが、本当に言いたかったことなのかどうかは、彼女自身にも分からない。

 ただ、阿求の言葉に創一は一瞬だけ目を丸くした。そして、微笑みすら浮かべて言ったのだ。

 

 

 「――あぁ、分かってるさ」

 

 

 少年が去り際に見せた、儚げにすら思える声と表情が、いつまでも阿求の頭から離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 




 そろそろ新たに異変に行きたいとこですが、少なくともあと三話くらいは日常回挟む形になると思います。もしかしたら一部の方に挟むかもしれません(第一部と第二部のバランスが悪いので)
 そのときは活動報告で知らせます。
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