刃が煌めき、大きな木の幹が真っ二つに割れる。あと少しでも回避が遅れていれば、分割されていたのは木ではなく人体だっただろう。
スペルカードルールとは一体何だったのか、明らかな殺意が込められた一撃を前に、創一は頭痛を覚える。
(――至極、面倒なことになった…………)
「見事な身のこなしですね。ですが、いつまで刀を抜かない気ですか?」
焦れたように、不機嫌な声音で目の前の少女――魂魄妖夢が言った。
「侮られるのは良い気がしません」
「刀を抜かないのは俺の誠意だと捉えてくれると有難いんだがな」
「誠意? この期に及んで……まだ言い逃れるつもりですか?」
「言い逃れるも何も事実だからな。俺は今さっき件の刀狩を退治したとこで」
「私がそこに運悪く出くわしたと? 都合が良すぎる。私はそこまで馬鹿じゃありません! 何人もの人を襲い、刀まで奪い続けて……観念しなさい刀狩り!」
妖夢の目つきが更に険しいものとなる。彼女が手にしている大太刀に、勝るとも劣らないほどに鋭い視線だった。とても説得などというものができる状態には見えない。
(愚直過ぎて融通が利かないタイプっぽいな。現状、誤解を解くのは諦めた方が良いか……)
異能の目によって、妖夢の揺らめく感情を観察しながら創一はそう結論づけた。となれば、創一がここからとれる行動は二つ。
(逃げるか、戦うか……面のおかげで顔が割れていないし、前者が一番理想的だが……可能か? このレベル相手に、背中を見せるのは流石にリスクがでかすぎる)
凄まじい剣技である。冥界の庭師、半人半霊の剣士、幻想郷縁起によって創一はその存在をあらかじめ知っていた。しかし、
(予想以上の強さだ。回避も長くは続かない……)
切迫する状況に創一が目まぐるしく思案を重ねているそのとき、妖夢が構えていた大太刀――楼観剣を鞘に納めた。
(――――なんだ? 戦意は収まっていない。話を聞く気に? ――――ッ違う‼)
鯉口が切られ、銀の輝きが放たれる。
それは、妖夢が持つ技のうち――最速の抜刀術。空間を歪ませるほどの神速に至り、眼前の全ての敵を切り伏せる。奥義の名を――――【現世斬】
目で追うことのできない一刀。幾度となく潜り抜けてきた死線によって、培われた直感が創一に最適を選ばせた。
硬質な音が響き、火花が散る。
「……まさか、現世斬まで止められるとは……ですが、」
攻撃される箇所を予測し、何とか創一は抜き放った刀でその一撃を凌いだ。だが、無理に受けたために姿勢は不安定、追撃を捌く余裕は無かった。
それを見抜き、妖夢は流れるように背中に背負う小太刀――白楼剣を空いた手で抜き放つ。
「ッ……!」
地を蹴って後ろに飛び退くが間に合わず、
「ようやく、刀を抜いてくれましたね。これで――私も心おきなくお前を斬ることができる」
間合いの外へと逃れた創一に妖夢が二刀の切っ先を向ける。だが、彼女の言葉に創一が反応を示すことは無かった。
不審に思い、妖夢が首を傾げる。
「どうしました? かすり傷でしょう。そもそも今お前を斬ったこの白楼剣には……」
殺傷能力などない、そう言おうとして、妖夢は途中で口を噤む。こちらを見つめる少年、その青い瞳と目が合ったからだった。宝石のように美しくて、何処までも無機質な――冷たいその瞳と。
(何? なんだか雰囲気が……)
じとりと、妖夢の背中に嫌な汗が噴き出る。
妖夢が持つ小太刀、魂魄家の家宝たる白楼剣は妖刀とも異なる極めて特殊な刀である。その刀が斬るのは物質ではなく、
元より少年に戦意は無かった、だが、不幸なのは彼が戦意や殺意などを持たずとも、必要であれば刃を振るえる人間であったこと。逃げるか、戦うか、白楼剣が断った選択肢が前者であったことだ。
つまり、ここから始まるのは――――
「――言うまでも無いことだが…………」
創一がゆっくりと口を開く。声に抑揚は無い。
「真剣を人に向ける意味を知っているよな? お前は相応の覚悟を持って、そこに立っていると見ていいんだな?」
「っ……馬鹿にしないでください!」
創一が纏う異質な空気に、思わず呑まれそうになりながらも妖夢が叫ぶ。
「……そうか」
人里の外、相手は人外であり、武器を向けている。スペルカードルールに則るつもりもないらしい。
ならば、最早創一に躊躇う理由は無かった。今までそうしてきたように、人を襲う怪異を――ただ排除するのみだった。
術によって発生した風が創一の体を鎧のように包み込んだ。ゆらりと輪郭が揺れ、創一の姿がかき消える。
「なっ!?」
視界から喪失して見せた創一は、次の瞬間には妖夢の懐にまで肉薄していた。踏み込みを廃した独自の足運び。刃渡りの長い大太刀で迎撃できる間合いではない。
地を抉るような低い姿勢から、切り上げの斬撃が放たれる。妖夢はとっさに白楼剣で刃を受け止めるが、
(――重い‼ なんて怪力‼)
妖夢とて半分は人外である身。大太刀を片手で軽々と振り回せるくらいの膂力はある。だが、創一の膂力はその比ではない。並の妖怪なら純粋な腕力のみで容易く制圧できるだろう、鬼人の如き膂力。確かな技術を伴って振るわれる一撃は、防御に回った妖夢を怯ませるには十分だった。
そして、すかさず追撃に放たれるのは蹴り。的確に膝の関節を狙う一撃に、妖夢はとっさに身をひねることでヒットする箇所をずらした。
衝撃が身を貫き、骨が髄から痺れるが、戦闘に支障が出る程ではない。
「このっ!」
ダメージが無い方の足で後退し、間合いを調整するとともに妖夢は楼観剣を袈裟懸けに振るう。が、その反撃を創一は最小限の動きだけで躱した。
眼前を通過する刃の切っ先に瞬き一つ見せず、創一の視線は一挙一動を見極めるべく妖夢に注がれている。
「――ッ!」
見透かされるような視線に言いようのない焦燥を抱き、妖夢は攻撃を加速させた。
二刀を用いた圧倒的手数は、嵐のように苛烈な連撃を可能とする。一の太刀、二の太刀――息をつく間もない程の斬撃の奔流。しかし、それでもなお創一の身体は捉えられない。
(反応速度がただ速いだけじゃない! 予測されてるんだ! こちらの攻撃がほとんど……!)
創一と妖夢、両者に明確な技量の差は無い。その間に何かが存在するのだとすればそれはひとえに経験の違いであり、そこに由来する駆け引きの差である。
周囲から未熟者と称されることも多い妖夢だが、その剣技は幻想郷において既に並ぶ者がそう居ない領域にある。剣の師である祖父が行方を暗まして以降、妖夢と対等以上に渡り合える剣士は居なかった。駆け引きなどなくとも、彼女には勝利を掴むことが難しくなかったのだ。
まして、スペルカードルールが普及する郷で死線をくぐる機会も無い。
妖夢の剣技は実に合理的で美しいが、同時に単純である。効率よく身に迫る刃を凌ぐのは、異能の目に頼るまでも無く、創一にとって容易なことだった。
地を砕くほどの踏み込みで、創一は攻撃の隙を縫って薙ぐ。一刀では持て余すと悟った妖夢は、二刀を交差させて斬撃を受け、その勢いを利用して後ろに跳んだ。
「!」
間合いが開く。それは刃長の楼観剣が最も得意とする距離だった。
(もう、懐に入らせたりなどしない!)
駆け引きの分野で劣っていることは理解できた。ならば、妖夢が選ぶのは、駆け引きすらを凌駕し得る圧倒的な技。【現世斬】を放つことだった。
(さっきより疾く、鋭く――――全身全霊の一撃を!)
刀を納め妖夢は腰ために構える。揺れる精神を、乱れる呼吸を速やかに鎮め、必殺の一撃を準備する彼女に対して、創一はその場に膝をついた。
「……何のつもりですか?」
創一のとったその異様な構えに妖夢は眉を顰めた。
左手と右膝を地面につき、刀を持った右手を水平に構える。低く、地を這う姿勢。それは四つ足の獣の姿に酷似していた。
(居合い抜きは確かに下段攻めには向いてない。けれど――)
「そんな思いつきのような稚拙な構えで、私の技が破れるとでも?」
「自分の常識だけで語るなよ……未熟者め」
明らかな挑発の言葉。だが、妖夢の心に僅かな火をつけるには十分だった。
自然に吹いた風が木の葉と紫苑の花弁を巻き上げ、落下する。
両者が同時に地を蹴った。放たれる神速の居合と、異形の剣技。互いに交差し、二人の位置が入れ変わる。
からんと、音を立てて創一の白い狐面が地面に転がった。真っ二つとなった面、しかし、その代償は大きい。
「ぐッ……!?」
妖夢の口から苦悶の声が漏れる。動きの軸である彼女の左足、その白肌に深く赤い線が走っていた。どくどくと鮮血が溢れ、地面に小さな水たまりが作られる。
(抜かった。思いつきでも稚拙でも無かった!)
機動力を欠いた妖夢に創一は続けざまにに斬り込んだ。先ほどと同じ地を這う姿勢からの、下段への集中攻撃。
妖夢は戦慄する。異様に見えた獣のような構え、そこには確かな合理と研鑽があった。それは心血を注がれた歴とした型であり、決して侮っていいようなものでは無かった。
だが、後悔は既に遅い。
つかず、離れず、妖夢を中心にコンパスの針のような円形移動をしながら、創一は攻撃の手を一切緩めない。
(抜け出せない!このまま削り殺す気だ)
半ば失った機動力を更に削ごうと繰り出される斬撃。残った右足すらも負傷すれば、もはや妖夢に立ち合う術は無い。
(一か八か……やるしかない!)
苛烈な攻撃を前に息をつく余裕はなく、精神を統一する隙もない。それでも、妖夢は自分の培ってきた技を信じていた。
だからこそ、本の一瞬、隙とも呼び難い創一の連撃の合間に、防御を捨てて妖夢は自らの技を繰り出した。
自身の命を賭した行為。だがそれが功を奏した。妖夢の攻撃を凌ぐため、創一が間合いをとったのだ。
攻撃が止んだ確かな空白、それを妖夢は見逃さない。
(今だ!)
妖夢は無事な右足で地を蹴って、空へと飛び上がる。地上での白兵戦ではもはや勝ちの目は無いが、足捌きが関係しない空中戦ならばまだまともに戦えると考えたのだ。
事実、それは紛れもない正解であり、合理的な判断だった。
「――ッッ!?」
飛翔する妖夢の体を何かが引き留めた。右足を伝う硬質でヒヤリとした感触。まるで蛇が獲物に巻きつくかのように、鎖が妖夢の足を絡め取っていた。
その鎖は創一の装束の袖から伸びている。
「滞空できるんだ。俺でも空に逃げるさ」
最初から読まれていた。妖夢がそう悟った時にはもう遅く、彼女の視界が揺れ、反転した。
凄まじい衝撃が妖夢の体を突き抜ける。チカチカと点滅する両目が映すのは青い空だった。自分の体が地面に叩きつけられたのだと理解した時には、もう既に体が浮いていた。
再び衝撃が襲うとともに、何かが凄まじい音を立ててへし折れた音が響く。視界の端にちらりと映ったのは折れた木の幹だった。
響いた音はあの木が折れた音か、それとも今あらぬ方向へと曲がっている自分の片足が出した音だったのか。
鋭い痛みは次第に鈍くなり、遂には他人事のように感じられる。きっと、これが半分の人外としての機能なのだろう。物理的な攻撃に耐性を持つ、半霊としての。
(あぁ、私……半分幽霊で良かったなぁ…………)
もう何度めかの叩きつけを受けたところで、魂魄妖夢は意識を手放した。暗幕が降りてゆく視界の中で、こちらを見下ろす少年の青い瞳だけが爛々と輝いている。何処までも冷たく、無機質な瞳だった。
◇
「いつまでそうしている気だ? 立て、死んでも無いのに倒れることは許さん」
厳しい声が私を叱咤した。ひどく懐かしい声だった。
「……お爺ちゃん?」
呆けたような声を出す私に、祖父はその厳めしい眼光を一層鋭くする。
「剣を持って向き合うときは師と呼べと言っただろう。肉親の情を持ち込むな」
そうだった。祖父はこういう人だった。普段は温厚でも、剣術の稽古となれば何処までも厳しい人で、冷徹な程に平等な人だった。
私は慌てて立ち上がって刀を構える。
「真剣勝負を申し込んだのはお前だったはずだ妖夢。よもや、儂が孫娘相手に本気で剣を振れないとでも思ったか?」
空気が張り詰める。尋常じゃないほどの重圧が私に襲い掛かった。
それだけで人を殺せそうな殺気を放っていながら、祖父の私を見る目は何処までも無機質で、本当に私の生死というものを歯牙にもかけていないことが分かった。
どうしてこんなことになったのか。
よくよく思い返せば、全ては私の言葉が原因だった。
鍛錬の成果が出て、自身の剣技に自信が出たからだろうか。私はあろうことか祖父に真剣でのやり取りを申し入れたのだ。
木刀でもなければ、刃を潰したものでもない、真に命を奪うものでのやり取りを軽率に望んだ。その結果がこれだった。
祖父は今から、私を殺すために剣を振るうだろう。未熟な私ではそれを凌ぐ術が無い。
死というものがようやく実感を帯びて私に迫る。
体中から嫌な汗が噴き出て、動いても居ないのに呼吸が乱れ、手足が小刻みに震える。鼓膜が破れそうなくらい、心臓が騒がしかった。
嫌だ。死にたくない。死にたくない。生への渇望だけが私の心を支配する。
だって、いくらなんでもあんまりだろう。剣の稽古の最中に、自らの祖父の手にかかって死ぬなど。そんな最後を迎える覚悟なんてしてこなかった。
いや、それよりも私が耐え難いのは、私の生が無価値に終わることだった。祖父の目には私が映っていない。どうでもいいからだ。肉親という要素を取っ払えば、私には何の価値も無い。
祖父が今まで切り捨ててきただろう雑兵の屍、一々顔を思い返すことも無いそれらに、私が新たに加わるであろうことが、何よりも許容できなかった。
せめて、その瞳に私を映して欲しかった。魂魄妖夢という存在を歯牙にかけて欲しかった。
――その熱望が、恐怖に覆われ行く私の体を動かした。
「……ほぉ」
ほんの少しだけ祖父の口角が上がったような気がした。でも、まだ足りない。私はもっと、自分という存在を、目の前に剣鬼に刻んで欲しかった。
だから、私は――――
半人半霊たる我らには、生への執着と死への忌避が薄い。
だが、それでは駄目なのだ。もっと欲張れ、必死に足掻け。
十欲を得て、それを制してこそ道は拓かれる。
お前はもう大丈夫だ。幽々子様を頼むぞ妖夢。
◇
「……まだ立てるのか。半分人間の割には頑丈だな」
呆れたような声で少年が言った。それも仕方ないかもしれない。
実際、私の体はとんでもなく重症らしい。半分人外なので命に係わる程ではないが、片手片足はあらぬ方向へ曲がっているし、割れた額から留めなく血液が溢れるせいで視界は半分失われている。多分骨に罅が入っている箇所は無数にあるだろう。呼吸をするだけで全身がひどく痛かった。
「大人しく寝ておけばいいものを……まさかとは思うが、まだ勝てる気でいるのか? 救いがたい無謀だ。最早半人前どころでは……ちっ」
そこで言葉を止めて少年は舌打ちした。そのまま彼は口を噤み、刀を構える。
「……どうかしたのですか?」
少年の言動が不審に思えて私はつい尋ねていた。すると、少年は苦虫を噛みつぶしたような顔を浮かべて、
「別に、俺は無駄なことが嫌いなだけだ。既に
その言葉は、少なからず私を認めてくれたが故だろうか。そうだとすると、素直にうれしい。けど、まだまだ足りない。
私が彼を斬るにしろ、彼が私を斬るにしろ、この剣の交わりは永劫に瞼に焼き付くようなものでなくてはいけない。地獄に落とされても尚、色褪せることが無いくらいに、私と私の剣を相手に刻み込まなければならない。
「――どうか、貴方の名前を教えてはくれませんか?」
「……狐守創一だ。そもそも俺たちは戦う理由が無かったと言っても、無駄だろうな」
私自身、もはや彼を刀狩りだとは思っていなかった。というか、そんな理由はどうでも良くて、善悪なんて関係なしに、私はただ。
「はい、私はただ――貴方と斬り合いたい。どうか、逃げるなんていけずな真似はよしてくださいね」
下腹部より湧き上がる高揚感に、おそろく頬を染めすらしているだろう私の告白を受けて、創一君は盛大に吐き捨てた。
「狂人め」
再び火蓋が切って落とされる。
おかしい、推しがいつのまにか頭おかしいキャラになっている。でも剣狂いの妖夢概念もありだと思います。