日が西に傾いてた。数刻もせぬうちに辺りは暗くなり、怪異たちの時間がやってくるだろう。流石に今の状態で連中を相手にするのは身にこたえる。
出血を止め、簡易的な措置を施したといっても、失った血液が多い。思考力も減退してきている。
全身の切り傷多数。片耳の欠損と、胸の深い裂傷及び肋骨2番から5番までの骨折。刺し傷から来る内臓損傷に、ダメ押しと言わんばかりの感電による火傷。最も、最後のそれは自爆技によるものなので、甘んじて受け入れることにする。
夜になるのを待つまでも無く、血の香に誘われてやってくる妖への警戒もしなければならない。依頼主である阿求への報告は後日に回すとしても、色々と考えることは多い。
例えば、足元に転がっている少女の処遇をどうするか、などである。
とにかく、おちおち息をつく間もないほど忙しいのだ。だから、
「……手短な要件だったら嬉しんだがな」
目の前に佇む女に向かって俺は言った。
真っ黒なドレス、美しいブロンドの長い髪にルビーのような瞳。中世の貴婦人然としたその風貌は浮世離れしている。
俺は流石に辟易した。以前もこんなシチュエーションだったはずだ。災難は畳みかけるものだというが、偶には休みをくれてもいいだろうに。
運命の女神というのは、そこまで俺を嫌っているのだろうか。少なくとも、面識は無かった筈である。
「まずは自己紹介を――メイデナ・バートリ―と申します。以後、お見知りおきを……」
優雅な所作で一礼し、女が名乗る。俺は思わず眉を顰めた。
バートリーと聞いて真っ先に浮かぶのは、悪名高い血の伯爵夫人の存在だ。ツェペシに次ぐ、吸血鬼伝説の起源となったとされる家名。
「俺の目には、どうにもお前が吸血鬼には見えないが……」
その家名にあやかって名乗る吸血鬼は決して少なくない。だが、瞳こそ赤いとはいえ、傘も差さずに日中に出歩く吸血鬼など居ない。何より、女から感じる独特な気配は吸血鬼はおろか、一般的な妖怪からも乖離している。
「ふふ、流石の慧眼ですね。貴方なら私の正体を看破するのにそう時間はかからないのでしょうが……先に明かしてしまうと、私は
付喪神となると脳裏に浮かぶのは、俺の当初の目的であったあの刀狩りの存在だ。ここは少し慎重にならざるを得ない。俺はいつ襲われてもいいように警戒しつつ、会話を続ける。
「……じゃあ、あの飛鷹とかいう奴の仲間ということか?」
「えぇ、正しく。それで、私の要件というのは…………あぁ、
メイデナがそう言った次の瞬間、彼女の長いスカートの裾が独りでに持ち上がり、そこから何か細長いものが這い出る。ぎらぎらと銀色に輝くそれらは、猛スピードで真っすぐこちらに迫り、
「――何のつもりだ?」
響き渡る金属音。メイデナのドレスより放たれた
俺の問いかけに女は首を傾げる。
「何の……と言われましても。息があるようだったので……話の邪魔になっても困りますから」
鎖の矛先は確かに俺では無かった。俺の足元へ転がる少女――魂魄妖夢に向けてそれは放たれていた。
「てっきり貴方とその少女は敵対関係にあると思ったのですが……違いましたか?」
「いいや、何も違わないさ。だが、こいつを仕留めるのに中々苦労したんだ。横取りされるような真似は見過ごせない。何より――これはお前が喰らうには上等すぎる」
まだ意識を失ったままの妖夢の襟首を俺は掴んで持ち上げる。そのまま、足元の影の扉を開き、その先にある異空間へと妖夢の体を乱雑に投げ入れた。
「そうですか。せっかく愛らしい少女の生き血にありつけると思ったのですが、残念です。では本題に戻るとしましょう」
鎖がしゅるしゅるとメイデナのスカートの中へと収納されていく。
相手の攻撃手段が一つでも明かされたのは行幸だった。今の所直接襲い掛かってくる気配は無いが、いつ相手が心変わりを起こすかは分からない。警戒しつつ、俺はメイデナの次の言葉を待つ。
「飛鷹ちゃんの本体、遺骨というよりは遺物でしょうか。それを……渡していただきたいのです」
「断る」
一切の逡巡無しに俺は答えた。メイデナの表情が固まる。
「即答……ですか。どうしてもでしょうか? 言い方は悪いですが、折れた小刀に大した価値は無いと思うのですが……」
「相応の魔力が残った一品だ。得体の知れないお前に渡すわけにはいかないな」
正直な話、刀を渡したとしても大事はないだろう。悪用されれば面倒だが、起こる凶事は精々たかが知れる。しかし、それでもなお俺がメイデナに刀を明け渡す気が起きないのは、ひとえに彼女に染みついた臭いが原因だった。
「俺の言えた義理じゃないが……お前、さっきから血生臭すぎるんだよ。人喰い妖ですらもう少しマシだ。到底信用などできない」
自分は付喪神だと言うメイデナの言葉に嘘は無いだろう。それは俺の異能の目が証明している。だが、悍ましいほどの死臭を染み付かせる付喪神など、どう考えたって成り立ちからまともなものでは無い。
少なくとも、あの飛鷹と名乗った女とは性質がまるで違う。仲間意識を持てていることが信じられないくらいだ。
「交渉に応じる気もない。それとも、力づくで俺から奪ってみるか?」
腰に差す刀の柄に手をやる。満身創痍の身と言えど、防御に徹すれば幾らかは渡り合えるだろう。メイデナは一瞬恨みがましそうな視線をこちらへ向けるが、直ぐにゆるゆると首を横に振る。
「……いえ、
「それを証明する手立てがないのだから、話にならないな。諦めるならさっさと去れ」
メイデナの言葉には含みを感じるが、流石にそれだけでリスクを負う気にはならない。だから、俺は彼女に退散を促した。
「貴方なら……私の真摯な思いを汲んで下さると期待したのですが……仕方ありません。それでは……」
「――待て」
踵を返し、こちらへ背を向けるメイデナを俺は呼び止めた。怪訝な表情を浮かべて、彼女が振り返る。
「……まだ何かありまして?」
「事情が変わった。何故、俺がお前の気持ちを汲むと考えた? 詳しく聞かせろ」
それは決して聞き流すことのできない言葉だ。力づくで奪うつもりが無いのならば、メイデナには一体どういう勝算があって、わざわざ姿を俺の前まで表したのか。
まさか、単に俺の人柄に期待したということはないだろう。そうであれば、流石に考えが甘すぎる。脳内に花畑が咲いているのかと疑うレベルだ。
だが、もし仮にメイデナが俺の異能を知っているのならば説明はつく。実際、俺の感情を視認する瞳は、彼女の悪用する気はないという言葉を真実だと判じたからだ。
幻想郷縁起に載せたわけでもない俺の目の力、【負の感情を力とする程度の能力】ほど隠しているわけではないとはいえ、得体がしれない付喪神にまで知られているのはあまりに不自然だろう。一体誰に聞いたというのか。
「私の頼みは聞いて下さらないのに、質問には答えて欲しいと? それは……些か勝手ではありませんか?」
メイデナの視線が非難がましいものへと変わる。しかし、そんなことは俺の知ったことではない。元より、人が死闘を終え、疲れ果てたタイミングで押しかけてくるような奴である。遠慮をする必要など無いだろう。
「承知の上だ。それに、俺は何も丁寧に頼み込んでるわけじゃない。命令しているんだよ。場合によっては――力づくも辞さないつもりだ」
俺もまた相手を睨みつけ、腰の刀を抜き放った。
空気が張り詰める。まさに一触即発といった状態。
不愉快とでも言いたげにメイデナが眦を吊り上げる。
「……本気ですか? その体で私と戦う気なんて……」
「はっ、機を伺っていたのは何処のどいつだ? 腰抜けめ」
「………………」
黙り込んだメイデナが、探るような目つきでこちらを見つめる。最も、俺もそう簡単に真意を掴まれるような下手はうたない。
答えのでない思考に嫌気が差したのか、大きなため息が彼女の口から洩れる。そして、
「……困りましたわ」
メイデナが呟いた。心底嘆くように。だが、それが表面上のものであることを、俺は既に知っている。
「本当に……困りましたわ。私、貴方とはまだ戦うなと言われておりましたのに……噂に名高い黒狐様に襲われたとあっては……逃げることも容易ではないでしょう。不本意ではありますが――」
メイデナの瞳が濡れたような光沢を帯びる。妖艶で、しかし同時に、獲物を前にした肉食獣のような獰猛性を宿していた。
「――仕方ありません。か弱い身ですが、精いっぱい抵抗して見せましょう。その結果万が一に……
「長ったらしい言い訳はそれで終わりか? 大体、さっきから
「あら、私としたことが……淑女としてはしたない真似を……」
俺の指摘で、ようやくメイデナは自分の口角が上がっていることに気づいたようだった。口元を手で隠すがもう遅い。そもそも、どれほど取り繕って見せようが、俺の目の前には無駄な努力だ。そのどす黒い本性を隠すことなど出来はしない。
ボロボロの体に鞭を打って、俺は刀を構えて言った。
「御託は聞き飽きた。とっととかかって来い――
「――――は?」
唖然とした声がメイデナの口から洩れる。次の瞬間。黒く巨大な影が突如として現れ、彼女へと覆いかぶさった。質量の暴力に地面がひび割れ、大量の土煙が舞う。
巨大な影の正体は大百足、俺の式神である劉厳だった。
妖夢を影の異界に放りこんだ際、あらかじめ扉を開いたままにすることで、いつでも奇襲をかけられるように準備していたのた。中々避けられるタイミングの攻撃ではないはずだが。
「……別に、俺は自分が戦うなんて一言も言ってないからな。恨むのはお門違いだろう」
気配と音を頼りに、俺は背後から飛来する鎖を刀で弾きながら言った。直ぐに糾弾する声が響く。
「えぇ、えぇ! 確かに言ってませんでしたわね。なんて意地悪な殿方なのかしら……可愛らしいお顔にすっかり騙されましたわ!」
「知るかよ。文句は俺の面を叩ききった辻切り女に言え」
ハンドサインで促して、再びメイデナ目掛けて劉厳をけしかける。
独特なうなり声をあげた劉玄は、鎌首をもたげた姿勢から一気に突貫し、メイデナをその咢で捉えようとする。が、
「……あまり、私を侮らないで下さい」
冷たい声が響くとともに、メイデナの周りに幾つもの魔方陣が展開する。そこから生じるのは、明確な殺意が籠った高密度の魔力弾。
無数の弾幕と、魔力を帯びた幾つもの鎖が劉玄へと殺到した。爆発が起こり、周囲を熱風が撫でる。並の妖怪ならば肉片すら残らない苛烈な攻撃。だが、それはあまりにも
「――KKkrrrrrrrrr‼」
金属音じみた絶叫を響かせ、劉厳が爆炎を割る。その体に目立った外傷は無い。龍の雷や焔にすら耐性を持つ大百足の外殻。メイデナの目が驚きに見開いた。
「がっ……!?」
劉厳の咢が今度こそメイデナを捉えた。左肩から先が食いちぎられる。バランスを失った体では衝撃を受け止めきれず、彼女はボールのように地を跳ねながら転がされる。
その隙を逃すまいと、すぐに劉厳が追撃をしかけた。龍の鱗を貫く百足の牙がメイデナの眼前まで迫り、がちりと、空を噛む音が響いた。
鎖を用いた高速移動。メイデナは体から伸ばした鎖を周囲の木々へ突き刺し、勢いよくそれを引っ張ることで、不完全な態勢からでも回避行動を可能とした。
メイデナが一際高い木の頂上へと降り立ち、俺たちを見下ろす。
(最初の一撃の時点で、普通の妖怪相手なら牙の毒で勝負がつくんだがな……)
四肢の一部が欠損したとはいえ、メイデナは余力が十分といった様子だった。付喪神というのも中々厄介な妖である。無機物の肉体には失う血液など無いし、魔力切れも当分は起こさないだろう。
「今のはかなり危なかったですわ」
少しだけ呼吸を荒くしたメイデナが言った。だが、彼女はすぐに余裕を含んだ笑みを漏らす。
「ですが――
「……何だと?」
俺の思考が答えを出す間もなく、何かを貫くような不快な音が辺りに響いた。呻くような音と水音が後から続く。
俺は弾かれるように振り向いた。
「ッッ……劉厳!」
眼前の光景に思わず唇を噛む。影に同化するような劉厳の黒い巨躯に、無数の
ギラギラと銀色に輝く針を伝って、濃い緑色の体液が地面へと零れ落ちてゆく。その様子を見ながら、再びメイデナが笑った。
「ふふ、幾ら堅さがご自慢とはいっても……流石に内部からの攻撃は防げなかったようですね。あぁ、でも……やっぱり血液は赤色じゃないと気乗りがしませんわ」
呑気な様子でそう宣うメイデナ。どうやら、挑発する意図があるわけでもないらしかった。だから、俺も決して怒りをあらわにするような真似はしない。冷静でいることを自分に課し、これまでのやり取りの中で集まった情報を頭の中で組み立てる。
(何処までも無邪気で……それでいて何処までも残酷になれる付喪神。あぁ、やはりこいつは……)
笑みを浮かべたままでいるメイデナを睥睨し、俺は口を開いた。
「随分嬉しそうだが、やはりお前は大百足というものを侮りすぎている」
「? 一体何を言って――――嘘でしょう?」
体中を貫かれて尚、鎌首をもたげて聳え立つ劉厳の姿に、今度はメイデナが表情を凍り付かせた。
「嘘なものかよ。この地における龍を喰らい得ることの意味……やはり、
「Kkrrrr…………!」
穴からこぼれ出る血液を気にすることなく、劉厳が頭部を鉄槌の如く横薙ぐ。ぶんと、風を切る音に、木々を粉々に粉砕する音。メイデナに容易く躱されても、劉厳はすぐに次の攻撃を振るった。環境を構成する物体が質量と怪力の暴力に悉く壊し尽くされてゆく。その様子は最早災害のようだった。
メイデナが思わず焦れたように叫ぶ。
「まだここまで暴れるだけの力があるなんて!」
メイデナは鎖を総動員して劉厳の猛攻を掻い潜ってみせる、
敵ながら見事な身のこなしだった。あれでは劉厳が力尽きるまで凌ぎ切られたとしてもおかしくは無い。援護が必要だろう。
俺は影の名から弓と矢を取り出して、構える。
弓に矢を番えて、弦を引き、縦横無尽に飛び回るメイデナの軌道を見極めるべく目を凝らす。そして、彼女が次に移動する先を予測して矢を放った。
「――――!」
空気を引き裂く鉄製の矢が、メイデナの脇腹へと突き刺さった。
「ぐっ……!」
メイデナの口から苦悶の声が漏れ、その動きが一瞬硬直する。劉厳がその決定的な隙を見逃すわけはない。岩を容易く砕く劉厳のタックルがメイデナへと迫り、
「~~~~~~ッッ!?」
途方もない衝撃に、体をくの字へと折り曲げたメイデナが、勢い激しく幾つもの生木をへし折りながら吹き飛んで行く。視界からメイデナが消え失せると同時に、彼女が発していた強い魔力が感じ取れなくなった。普通に考えれば絶命、もしくは意識を失ったと見るべきだ。しかし、
(――――違和感。何だ? 何かが引っかかる…………まさか――――)
胸中に湧き上がる嫌な予感に、俺は弾かれるように駆けだした。舞う土埃を掻き分け進む。折れた木々を辿った先、たどり着いたのは岩場だった。人間大のサイズの岩石が地面から幾つも露出している。
中でも一際大きな岩石は、頑丈な物体が勢いよくぶつかったらしく、大きくひび割れているのが一目で分かった。メイデナの着弾点は此処で間違いないだろう。だが、周囲を見渡しても人影は無い。
「ッ……やられたな」
メイデナにまんまと逃げられたことを俺は悟った。
劉厳が激突する瞬間、周囲に張り巡らされた鎖が妙な動きをしたように見えたのだ。恐らくあれは、攻撃に合わせて自分から後ろに素早く飛び退いたのだろう。
それならば、威力を抑えた上でより大きく間合いをとることができる。その分逃走にも有利だ。しかし、それを加味しても大きな疑問が残る。
(――幾らなんでも撤退が早すぎる。潜伏している……いや、あれがこいしばりの隠密能力を持つとは思えない)
隠密のために魔力を絶ったとしても、その身に宿る凄まじい情念の気配を俺が感じ取れ無いことはない。そして、魔力を絶った状態でそう遠くまで素早く移動することも無理だろう。
(となれば一体どうやって? こんなこと、八雲紫のような移動能力が無い限り……待て、まさかそういうことか!?)
脳裏に浮かぶのは黒霧異変での一幕。鬼と蜘蛛をまんまと取り逃したあの日、奴らは八雲紫が操るスキマと似たような術を行使していた。その力の源となっていた一枚の呪符、その作成者は――
「――くそったれ。またあいつか…………」
毒づいた後、俺は思わず空を見上げた。
◇
「……ご苦労だったな。戻って休んでいてくれ。お前の奮闘のおかげで、
俺の言葉に劉厳がこくりと頷いた。だが、彼は一向に影の中に戻る様子を見せず、じっとこちらを見つめていた。
「どうした? 逃げられたのはしょうがないさ。失敗は次に活かせばいい」
そう気にすることは無いのだと俺は声をかけるが、どうやら見当違いだったらしい。
「……アのコムスメは、ドウする?」
壊れた機械音じみた声が響く。劉厳の声だ。
珍しいことだった。彼はほとんど無口な上、話しかけてくるときは人の形をとるのが常だ。まさか、百足の体で慣れない発音をするとは。
小娘というのは、先ほど影に放り込んだ魂魄妖夢のことを言っているのだろう。
「オれが喰らオウか?」
「いや、手出しはするな。後で……適当に人里近くにでも捨て置くから」
「……ナゼ? あいツは、おマエをコロそうとしたんダ。いかスいみがあるのカ?」
俺の答えに首を傾げ、劉厳が少々不満げに言った。
彼の言葉は一理ある。本来の俺ならば、あのような辻切をわざわざ生かそうとは思わないだろう。俺以外の人間が襲われていたらどうなったか。
だから、俺も途中までは本気で殺そうと戦っていた。しかし、生憎ここは幻想の郷、俺たちが暮らしていた外の世界とは異なる。
俺たちは未だ新参者であり、異物だ。ならば、それなりに考えて動く必要がある。
「……アレを殺すと、冥界の主とやらを敵に回す可能性が高い」
正当防衛だと言いたいとこだが、理屈だけで片付くものでもないだろう。下手に他の勢力を敵に回すことは避けたい。
「後はまぁ……純粋な興味だ。ここで殺すにはあまりに惜しいと、そう思ったんだよ」
俺の脳裏に浮かぶのは、魂魄妖夢が手にしていた小太刀の存在だった。最初に彼女が俺を斬りつけた一刀は、俺の持つ耐性を貫いて精神にまで干渉していた。
そればかりか、【負の感情を力とする程度の能力】によって吸収し、俺の中に貯めこんでいたはずの他者の感情の幾らかが、あのとき確実に消失したのだ。
つまり、あの刀こそ――
(――――俺にとって天敵足り得るモノ)
あの少女には色々と聞きたいことがある。まだ、死んでもらうわけにはいかない。
「……ナにか、うれしソうダナ?」
「そうか? 気のせいじゃないのか」
訝しむ劉厳に顔を背けて、俺は言う。何気なく視線を移した先で、赤色の太陽が地平線へと沈んでいた。もうじき、夜の帳が下りる。
◇
微睡みの中から意識がゆっくりと浮かび上がる。肉体の感覚が戻った体が、ほとんど反射で瞼を開いた。次の瞬間、視界に飛び込んだ光景は、私にとって身に覚えが無いものである。全く知らない天井だった。
「……ここは?」
疑問が口をついて出る。まず、起きるのが先だと体に力を入れた矢先――視界の内に二人の少女の顔が飛び込んだ。緑の瞳と、桃色の瞳が私を真っすぐに見つめる。
「あっ! ようやく目が覚めたんだね! 良かった!」
「ふむ、そうだなこいしよ。このまま死ぬんじゃないかと、肝がとても冷えてしまったぞ!」
「うんうん、そうだねこころちゃん! 私も心臓バクバクだったよ」
何だろうか、この違和感は。会話を聞くに、この少女二人が私の看病をしてくれたのだろうか。だとするととてもありがたいし、是非その恩に報いなければとも思うのだが、素直に感謝の念を抱くには、少々二人の表情がノイズだった。
一人は完全に無表情で、もう一人はにこやかだが何だが表面上だけのような気すらする。
(いや、いやいや、流石に考えすぎだよね。私が斜に構えているというか、疑い深くなっただけで……見かけに騙されるようだから、私はいつまでも半人前なんだ)
自分で自分を叱咤しながら、私はゆっくりと体を起こす。そして、私が寝ていた布団の隣に座り込んだ二人に改めて向き直った。
かなり特徴的な少女たちである。桃髪の少女は顔の側面に白い狐面をつけており、その無表情さと相まって、私の好敵手たるあの少年の存在を思わせる。
緑髪の少女は、体に纏わりつく紫色の管と大きな球体――閉じた状態となった三つ目の瞳の存在感が強い。もしや地底のさとりさんの親類なのだろうか。
「えぇっと、貴方たちが私を助けてくれたんですか?」
「いや、私たちは貴方の様子を見るように言われただけだ。手当したのは聖で、貴方を見つけたのはナズーリンだ。ボロボロの状態で、人里近くに倒れていたとな」
私の問いに頭髪と瞳の色が桃色の少女が答えた。
「人里近く? そもそもここは一体……?」
次の私の問いに、今度は頭髪と瞳が緑色の少女が答える。
「ここは命蓮寺だよ。人と妖怪両方を受け入れてるヘンテコなお寺。名前くらいは聞いたことあるでしょ?」
「命蓮寺……」
少女の言う通り、確かに名前は聞いたことがある。通ったことこそないが、お寺の住職さんとも、何度か宴会の席で顔を合わせた覚えがあった。
(私が創一君と戦ってた場所は人里にそう近い場所じゃなかったけど……移動させられた? わざわざ?)
どうにも腑に落ちない。誰が私を人里近くまで運んでくれたのだろうか。まさか創一ではないだろう。私を見るあの冷酷な視線からは、敵にかける情けを持ち合わせているようには見えなかった。
だが、とりあえずその疑問は置いておく。答えの出ないことを延々と考えても仕方ないだろう。
「そういえば、挨拶がまだでしたね。私の名前は魂魄妖夢。冥界で庭師兼剣術指南役をしています。看病してくれてありがとうございます。良ければ、二人の名前を教えてもらってもいいですか?」
私の言葉に緑色の少女が少々複雑そうな顔を浮かべる。
「うーん、私、貴方と何回か会ってるんだけど……まぁしょうがないか」
「え、そうなんですか! ごめんなさい、私……」
「あぁいや、気にしないでいいよ。私の能力的に仕方ないっていうか……この姿を見れば分かると思うけど、私は古明地こいし、一応覚妖怪だよ」
「古明地ってことはさとりさんの……なるほど、噂には聞いていましたが……」
以前霊夢さんたちに聞いたことがある。さとりさんの妹は無意識を操る力を持つため、その存在を観測することが困難で、なおかつ記憶に留めておくことも難しいという話を。
恐らく、忘れてしまっているだけで私も宴会辺りで何度か会っているのだろう。非常に申し訳ない気持ちに襲われつつ、私はもう一人の少女へと視線を向ける。彼女の方には少し見覚えがあった。
「それで、貴方は確か……神社で偶に能楽を披露していた方ですよね?」
能楽に乗じて商売をしたおかげで懐が温かいと、霊夢さんが嬉しそうな顔で語っていたのが記憶に残っている。
「ほう、能楽を見ていてくれたのか。ならば私、いや、我もサービスするしかあるまい!」
そう言うや否や、桃色の少女が勢いよく立ち上がった。彼女の体から青白く輝くオーラが立ち上り、突如として様々な面が彼女の周囲に現れる。般若、女、火男、猿。色とりどりの光を発する面に取り囲まれながら、少女はその場でくるりと踊るように回転し、
「――我が名は秦こころ! 数多の貌を統べる能楽師にて、希望を背負う者! そして、今や絶望を追い求める者でもある!!」
芝居がかった尊大な声を寺中に響かせた。
物語の時系列的には天空璋が終わったくらいを意識していますが、細部は割と適当です。
基本的に創一が通常の異変に関わることはありません。(弾幕ごっこは少女の遊びなので)
ただ物語中でも四季は進行し、主人公の関わらないうちに原作の異変が動くことはあるので、新作キャラが出ることはあり得ます。