東方狐神録   作:パック

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月光の下 狐と兎

 

 

 空が晴れていた。薄雲の間を縫って星々が煌めき、美しい三日月が夜道を照らしている。締め切った人里の門を飛び越えた先には、街灯が一切ない。辺りから響く虫の音に耳を傾けながら、私は月と星の光だけを受ける帰路を辿っていた。

 

 一応、灯りの持ち合わせはある。私が今背負っている薬箱の中には、月の科学によって作られた小型の洋灯(ランプ)が入っていた。ただし、洋灯といっても原始的な油と火を使ったものでは無い。光源一つとっても、月の物品は地上の民の理解の遥か上を行くのだ。

 最も、玉兎である私はある程度夜目が効くので、こんな洋灯に頼らずとも、自然の光源だけで十分だった。もしものときのためと、師に持たされているだけである。

 

 「意外とお師匠様も心配性なのよね」

 

 呟きながら、私は何気なく周囲を見渡す。

 月から地上へと降り立って、随分時間が立った。風に揺られる草木、闇に紛れて、そこら中から聞こえてくる獣や虫といった生物の声。生命に溢れるこの環境に、最初は恐怖すら抱いていた。だが、今やそこに風流すら感じている自分が居る。

 

 春に咲き誇る桜、夏に生い茂る緑、秋に舞い落ちる紅葉、冬に降り積もる銀の雪。時の流れに合わせて色彩を変える世界に、どうしようもなく目を奪われるのだ。それは月の民が厭い、遠ざけたはずの穢れだというのに。

 

 (私もようやく地上の兎になったんだな……)

 

 そんなことを、しみじみと思う。永遠の夜が終わった後、師匠は地上の民としての生き方を私と姫様に説いた。他者と関わり、他者のために行動を起こす必要があると。

 師匠は医者として、私は薬売りとして地上の人々と関わることになったのだが、正直、最初はこの薬売りという仕事が嫌で仕方なかった。

 

 元々人と関わることがあまり得手では無かったこともそうだが、人里では正体を隠さなければならないという縛りが特に精神的にきつかったのだ。もし正体がばれてしまえばどうなるのか、薬売りを始めた頃はいつもそんなことばかり考えて怯えていた。

 

 しかし、蓋を開けてみれば人里の人間は皆能天気で、明らかな人外が里を出歩いていてもスルーしているのが実情だった。いつぞやの宗教戦争のときなど、人里内でドンパチやっていたくらいだ。私の気苦労は一体何だったというのか。

 

 そんなわけで、昔ほど正体が露見することを恐れる必要が無くなり、また私自身薬売りの仕事に慣れたこともあって、最近ではこの仕事にやりがいを感じている自分も居た。

 薬を届けた人に喜ばれるのはこちらとしても素直に嬉しい。誰かに必要とされるは中々良いものだと最近特に思う。

 

 「すっかり遅くなっちゃったけど……薬もたくさん売れたことだし、今日はお師匠様にも褒められるわね」

 

 行きに比べれば少し軽くなった薬箱の感触に私は充足感を覚えた。とはいえ、あまりうかうかもしていられない。夜の幻想郷は中々に物騒だからだ。並の妖怪なら蹴散らせるが、だからといって、一日中働いてくたくたになった今の状態で面倒ごとは避けたい。

 そう考えて帰路につく足を早めた瞬間、ふと、鉄臭い臭気が鼻をついた。

 

 「……何?」

 

 私は足を止め、周囲を見渡す。嫌な予感がした。面倒ごとに巻き込まれる予感だ。

 いっそ、何も考えずにそこから走って立ち去った方が良かったかもしれない。でも、そんな考えが頭の片隅によぎったときには、もう私はソレを見つけてしまっていた。

 

 少し離れた位置にある雑木林。その草木の間から人のモノと思しき足がちらりと見えていた。私の思考が目まぐるしく回る。

 

 (人……こんな時間に? いや、妖怪かも……でももし違ったら? 血の匂いが濃い……怪我をしている? 命に関わるかも……)

 

 「――――っ……!」

 

 思考を振り払い、私は駆けだした。

 臆病な兎としての本能が見て見ぬふりをすることこそが賢明だと私に告げる。実際、月の兎であった頃の私なら迷わずそうしている。けれど、

 

 (――私はもう地上の兎なんだ! 月から逃げたあの時とは違う!)

 

 仮にソレが妖怪の罠だというのなら、その妖をけちょんけちょんにしてやればいい。恐れず戦えば、私はちゃんと強いのだ。月に仇を成す神霊だって退けるくらいに。

 

 草木をかき分け、私は見つけた人影の全体像をようやく目にした。薬箱を漁り、取り出した洋灯に光を灯す。照らし出された姿は、少なくとも見かけ上は人間だった。

 

 短く整えた黒髪に、中性的で端正な顔立ちの少年。血の気を失った肌は、白粉でめかしこんでいるように白く、ぞっとする程の美貌を更に際立たせている。

 

 (――綺麗……姫様意外にこんな綺麗な人が…………って、そんな場合じゃない!)

 

 我に返った私は改めて少年の状態を観察する。

 酷い傷を負っていた。少年が身に纏っている装束は元は白だったのだろうが、今や血で赤く斑に染まっている。瞳を固く瞑っていることも相まって、死人のようにも見えるが、耳を澄ませば確かに呼吸の音が聞こえてくる。

 

 少年の全身に刻まれている傷は浅いが、胸の切り傷だけは相当深い。それだけで致命傷になってもおかしくないというのに、腹には刺傷まである。位置的に内臓を損傷しているだろう。それらに比べれば軽傷とはいえ、片耳が欠損しているのも痛々しい。未だに生きているのが不思議なくらいの重症だった。

 

 (妖怪に襲われたって傷じゃなさそうよね……とにかく、すぐに永遠亭の元まで運ばないと! 間に合ってくれるかしら……)

 

 此処から永遠亭までまだそれなりに距離はある。少年の体力が持つかはかなりの賭けだ。しかし、迷って時間をロスするわけにもいかない。私は少年の状態をより正確に知るため、その首へと手を伸ばした。脈を計るためだ。だが、その手が力強く掴まれる。

 

 「えっ……」

 

 思わず私は呆けた声を出す。意識を失っていたはずの少年が、突如として目覚めたのだ。紫に輝く双眸が私を真っすぐに見据える。見惚れる程に美しい瞳だった。

 

 (――あ、まずい!)

 

 「ちょっと、私の目を見ちゃ――!」

 

 玉兎が持つ瞳は月の狂気を宿した魔眼である。ある程度制御できるとはいえ、普通の人間が間近でその瞳を覗けば、狂気に陥ることは避けられない。

 私は慌てて少年から距離を取ろうとうするが、私の手を掴む彼の腕を全く振りほどけない。明らかに人間離れした怪力だった。

 最早手遅れだ。ただでさえ危うい状態の少年が精神の錯乱まで起こすことを私は覚悟する。が、暴れ出すわけでもなく、少年はただ茫然とこちらを見つめていて、

 

 「――――仙月(シェンユェ)?」

 

 人の名前と思しき単語を呟いた。

 私を誰かと間違えているのか。狂気の瞳を覗いたにも関わらず、少年の態度はあくまで落ち着いていて、理性を失っている様子ではなさそうだった。

 

 (私の目を見て狂っているわけじゃない……?)

 

 疑問を抱きながらも私は口を開いた。

 

 「えぇっと、私はその仙月って人ではないわ……私の名は鈴仙。通りすがりの薬売りよ」

 

 私の言葉に少年は少しだけ目を見開く。

 

 「鈴仙…………そうか……すまない。人違いだった……」

 

 私の手を放すと謝罪の言葉を口にして、少年は手で自らの顔を覆う。その姿がとても切なく、見かけの年齢以上に幼く映った。まるで、帰り道を見失った迷い子のようで。見ているだけで、こちらの胸が締め付けられるような思いがした。

 

 「あの……えっと……」

 

 少年には一刻も早く適切な治療が必要だった。それが分かっているのに、彼が纏う儚い雰囲気を前に、上手く言葉が出てこない。触れただけで、粉々に砕け散ってしまいそうで。

 自分が情けなくなる。お師匠様だったら、こういう場合でも卒なくこなすのだろう。

 

 互いに無言の時間が僅かながらも過ぎ去り、少年は顔を上げた。その双眸は先ほどと異なって、サファイアのように()()()()()()()。目の前で起こった不可思議な現象に私があっと声を上げるのを無視して、彼はすくと立ち上がった。

 

 「薬売りの……鈴仙だったか。俺が倒れているのを見て、声を掛けてくれたんだな。ありがとう。おかげで気づけば妖の腹の中……なんて最悪な状況を避けられた。この礼は後日必ず……それじゃあ、また」

 

 そう言うや否や、少年は私に背を向けてずかずかと歩いて遠ざかっていく。私はしばらく呆気に取られて、

 

 「…………え、はっ……え? はぁあああああああ!?」

 

 夜に私の叫びが木霊した。だが、少年はあくまで足を止める気もないらしい。

 

 (何を――何を考えてるのっ!?)

 

 立ち上がり、私は直ぐに遠ざかる彼の背に追いすがる。そして、今度は私から彼の腕を掴んだ。彼は少しおっくそうな様子で、こちらを振り返る。

 

 「……一体どうした? さっきも言ったが、必ず後日礼はする。だが、今はあまり時間が無い。だから、今日のところは――」

 

 「――誰もそんな話してないでしょうがっ! あんた馬鹿なの!? そんな怪我で夜を出歩こうだなんて……死にたいわけ!!?」

 

 少年の口から出るあまりに見当はずれな言葉に私は思わず叫んだ。見た目から何となく理知的そうだと感じていたが、どうやら大間違いだったようだ。この少年、相当な愚か者らしい。

 

 「そもそもあんた、人間でしょう? なんでこんな時間に里の里に……? あぁ、やっぱ今は事情はどうでもいいわ。とっとと永遠亭に案内してあげるから」

 

 「永遠亭?」

 

 「私が勤めている病院よ。その怪我だと、あんたの体力が先に尽きそうだと心配してたけど……そんだけ元気があるなら杞憂だったみたいね」

 

 呆れ果てる私の言葉に、少年もまた肩を竦めて言い返した。

 

 「あぁ、杞憂だな。病院に行く必要性すらもだ。自宅で処置をして、大人しく寝れば十分回復する」

 

 「そんなわけ無いでしょうが! どうやら……頭の検査も必要みたいね」

 

 「中々言ってくれるな……だが、生憎俺の思考はいつだって明瞭だ」

 

 頑なに譲ろうとしない少年の態度に、温和な私も流石に頭にきた。最初に彼に感じた儚さは、どうやら幻覚の類であったらしい。

 

 「明瞭……ね。私を誰かさんと間違えたときは。結構ぼーっとしてるみたいだったけど?」

 

 先ほどのことを引き合いに出し、私が茶化すように言えば、彼も流石にバツが悪そうな顔を浮かべて口ごもる。

 してやったという勝利の愉悦が私の中に湧き上がるが、それも一瞬のことで、すぐにやってしまったという罪悪感に変わった。少年の青い瞳の中に、寂寥のようなものを感じ取ったからだ。

 

 「…………訂正しよう。寝起きだけは別だ。毎日寝覚めが悪くてな」

 

 「あっ、そうなんだ。えっと……永遠亭なら睡眠改善の薬も豊富よ。そんなに厭う必要はないと思うけど……」

 

 「そう言われると少々魅力的だが……薬に頼りすぎるのもあまり良くないだろう。……なぁ、この押し問答もそろそろ止めにしよう。普通の人間が、この怪我でこうもはきはきと喋れると思うか? 医学に通じているなら、何となく勘付くだろう?」

 

 少年の言う通り。私もそこに疑問を抱いてはいた。命にも関わる程の重症の体で、どうして真っすぐ立って歩けているのか。さっき私の手を掴んだ力も明らかに人間の範疇を超えていた。

 妖気の類が一切感じられないので、妖怪では無いことは間違いないだろうが、少なくとも普通の人間でも無いことは確かだ。

 

 「それでも……一応は人間なんでしょ? 私の周りにも人間なのに人の枠を超えた連中が居るけれど……傷を負ったら治療を必要とするわ」

 

 霊夢や魔理沙の顔を脳裏に浮かべながら私は言った。彼女らは自由に空を駆け、幻想郷の人外たち相手に一歩も退かずに戦う力を持っているが、それでもやはり人間には違いない。怪我や病気で死ぬことだってある。

 

 「なら、俺は君の知り合いより更に化け物側の存在なんだと理解してくれ。遺伝子くらいしか、胸を張って人と誇れるモノが無い」

 

 (()()()……ね)

 

 何処か苦痛めいたものが含まれているようにも感じる少年の言葉を私は心の中で反芻する。壊れ物のようだと思った。あるいは既に罅が入っているのかもしれない。

 どうしてそんな風な印象を抱くのか。改めて私の異能、精神の波長を捉えることのできる瞳を以て、少年を観察すれば理由が分かる。

 

 (あぁ……似ているんだ。あの人に――――)

 

 かつて起こった月の民が幻想郷への遷都を企てた異変。その大本の原因となったのは、とある無名の神霊だった。

 我が子を失った恨みだけを業火のように燃え上がらせ、月に仇を成した彼女。その精神の在り様が、目の前の少年と重なる。

 

 (いや、ともすればこの人は純狐さん以上に…………!)

 

 強いようで、弱くも見える。寒気がするほど悍ましくもあって、胸が締め付けられるくらいに悲痛で儚い。矛盾を孕んだ精神。でもだからこそ、私は放っておけないと思うのだろう。

 

 「――もう、いいだろう。何と言われようが、永遠亭とやらには行くつもりは無い。他人に肉体を委ねたくは無い」

 

 そう言い捨てて彼は私の手を振りほどくと、再び背を向けて歩き出した。遠ざかっていく背中を私はじっと見つめて――

 

 「――――ッッせい‼」

 

 「がっ……!?!」

 

 蹴りをお見舞いしてやった。不意打ちに彼の体が膝からどさりと崩れ落ちる。

 

 「……ッ?? は? お前ッ………何を!?」

 

 何が起こったかが分からないと、困惑の表情でこちらを見上げる彼に私は言った。

 

 「――ごめん。つい、衝動的に…………大丈夫?」

 

 重傷の人間に追い打ちをかけるなど、お師匠様が聞けば頭を抱えるだろう。その後受けるであろう折檻の厳しさは想像に難くない。

 

 「逆に大丈夫だと思うか? どんな脳みそしてたら満身創痍の人間の背に蹴りを入れるんだ?」

 

 「だって男のくせにごちゃごちゃうるさいし……ていうか、ちゃんと自分がボロボロな自覚あるんじゃない」

 

 「っ――それは別に……」

 

 まだ何か言いかける少年の言葉に被せ、先んじて私が言った。

 

 「はいはい、もう何でもいいから。早くそこに腰掛けて。責任とって手当てしてあげる。因みに断わるなら……また私の脚が滑るかも」

 

 「お前……無茶苦茶言ってるぞ」

 

 「お互い様でしょ?」

 

 「………………」

 

 ようやく観念したのか、少年がぐったりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「改めて、自己紹介でもしましょうか。私の名は鈴仙・優曇華院・イナバ。永遠亭の医師の助手で、薬売りをやっているの。あ、呼び方は鈴仙でお願い」

 

 「……分かった」

 

 応急手当を続けながら私は話し続ける。最も、対する少年の反応は実に素気のないものだ。

 

 「ちょっと、それだけ? 普通ここは貴方も名乗る流れでしょう」

 

 「……………」

 

 「黙り込む気? 意外とアンタ子どもっぽいわね……いつまで不貞腐れているの?」

 

 黙り込む少年に私は呆れながら言った。けれど、相変わらず返事は無い。少しだけ不審に思った私が治療の手を止め、顔を上げてみれば、彼は心ここにあらずと言った様子で、雑木林の奥へと視線を注いでいた。彼がようやく口を開く。

 

 「――何かが……来る。一匹じゃないな……」

 

 「へっ? 来るって何が……?」

 

 あまり穏やかと言えない少年の様子に内心不安になりながらも、私は尋ねた。しかし、彼が答えるよりも早く、草木が揺れ足音が響き、それらが私たちの前へと躍り出た。

 

 全長二メートル強は有るだろう体躯。体の表面は黒灰色の短い毛で覆われていて、大きな耳と鼻先の長い髭がひくひくと揺れている。げっ歯類特有の鋭い前歯は金属のように艶を持ち、相当な破壊力を秘めることが伺えた。

 熊ほどの巨躯を誇る――鼠の怪物。その数は全部で五体、皆一様にぎろりと私を、否、その背後に居る少年を見つめていた。

 

 「窮鼠(きゅうそ)だな」

 

 鼠の怪物を一瞥して、つまらなそうに少年がその名を呼んだ。

 

 「えらく落ち着いているわね……まぁ、私が住んでる竹林でも化け鼠は珍しくないけど――ねっ!」

 

 言いながら、私は銃の形を作った指を窮鼠に向けて弾幕を放った。人差し指から放たれた妖力のレーザーが鼠の眉間を寸分違わず貫き、どさりとその巨躯が崩れ去る。

 

 (まずは一匹! 速攻で片を付ける!)

 

 「守ってあげるから、絶対にそこを動くんじゃないわよ!」

 

 振り向かないまま私は少年に向けて怒鳴った。窮鼠など所詮は雑魚だ。常ならば絶対に負けることの相手。だが、人を庇いながらとなると余裕は無い。

 

 (人間で、尚且つ出血ありの死に体! 窮鼠の狙いはあいつ一択……少し距離が離れただけで守り切れなくなる! 絶対に後手に回るわけにはいかない‼)

 

 攻撃こそ最大の防御。背後の少年を巻き込まないようにしつつ、私は周囲に弾幕をばらまいた。速度にも威力には拘っていない。足止めになれば十分だからだ。

 色とりどりの光弾を前に攻めあぐねる鼠に私は照準を合わせ、再び指から高出力のレーザーを放つ。脳天にヒット。二匹目の鼠が脳漿を零して絶命する。

 

 (いける! 所詮大した知恵も無い獣だ!)

 

 鼠の一匹が全身に傷を負いながらも弾幕の雨を潜り抜け、私目掛けて突進する。が。

 

 「――遅い!」

 

 跳躍。突進を回避しつつ、空中で身を翻し――月面宙返り(ムーンサルト)からの踵落としを鼠の背に叩きこむ。玉兎たる私の脚力に重力が加わった威力は絶大。竹竿を折るかの如く、鼠の脊骨がへし折れた感触が伝わった。三匹目。

 

 時間を経ったことで、わざとゆっくり展開させていた弾幕が消え去った。阻むものが無くなり、今を好機と捉えた二匹の窮鼠が同時に私に仕掛ける。だが、それは悪手だ。私の瞳は既に二匹を捉えているのだから――

 

 (――私の視界に同時に入ったのが運のツキ)

 

 【幻朧月睨(ルナティックレッドアイズ)

 

 狂気の瞳がその効力を余分なく発揮する。赤く輝く眼光が精神の波長を狂わし、平行感覚を失った窮鼠が互いに激突した。碌に身動きできない窮鼠に私は歩み寄り、それぞれの眉間をレーザーで貫く。

 

 「――ま、私にかかればこんなもんよ。どう、素直に褒め称えたっていいのよ?」

 

 振り返り、胸を張って私は不敵に笑う。私の八面六臂の活躍を目にして、少年は一体何と言うのだろうか。そんなことを考えた矢先、がさりと、背後で再び草木が揺れる音がした。

 

 「え?」

 

 私が声をあげた瞬間、何処からか投げられた荒縄が私を縛り上げる。

 

 「ッッ――――!?」

 

 よく見れば、それは縄では無く大きな数珠だ。そして、投げ縄の要領で数珠を使い、私の体を縛り上げるのは、先ほどの窮鼠よりも少し小柄な鼠である。その鼠はボロボロの法衣を身に纏い、人間のように二本足で立っていた。

 

 (何こいつ!? 窮鼠じゃない――!?!)

 

 窮鼠より小さい体躯とはいえ、その膂力は並々ならぬものがある。両足に力を込めて私は踏ん張るが、じりじりと体が法衣の鼠の方へと引っ張られていく。

 ニヤリと、獲物を前に鼠が卑しい笑みを浮かべた。

 

 (抜け出せない――! いや、でも狂気の瞳を使えば……)

 

 先ほどの窮鼠にしたように、私は相手の精神を狂わそうと目に力を込めるが、法衣の鼠の手元が不意にぶれ――何かがこちらに投擲された。

 

 「――っ……何よこれ!?」

 

 べちゃりとした不快な触感。水分を多く含んだ半固形の物体が私の視界をふさいだ。恐らくは泥を投げられたのだろう。

 

 (こいつ! 私の能力に勘付いて――)

 

 己の失策を悟った瞬間、私の耳を獣の絶叫が劈いた。同時に、何か生暖かい液体が私の頬にかかり、私を縛り上げる力が緩んだ。勢い余り、私は腰を強かに地面に打ち付ける。

その拍子に身に着けていた編み笠がずれ落ち、兎の耳が露わとなった。

 

 「これで泥を拭くといい」

 

 何故か間近で少年の声が響き、ぽんと私のひざ元に布らしきものが置かれる。

 思考が状況に追い付かない。私は何が起こっているのかを知るべく、慌てて顔の泥をぬぐった。

 

 「頼豪鼠(らいごうねずみ)……鉄鼠(てっそ)という名の方が一般的か。それなりに格が高い妖獣で、窮鼠らを手下にしていることがある」

 

 眼前の光景に私は目を疑った。少年が、鼠の怪物へと相対していたのだ。いつ倒れてもおかしくない程の傷を負っているにも関わらず、その立ち姿からは弱さが欠片も感じ取れない。何処から取り出したのか、彼の手に握られる一振りの刀が月光を受けて輝く。

 

 「部下がやられれば逃げるのがお前たちの常策だろうに……欲をかいたな。鈴仙さえ不意討てば……ご馳走にありつけると思ったか」

 

 冥土のような冷たさをもって放たれる少年の声に、鉄鼠が怯えるように片目を瞬かせる。もう片方の目はクナイが刺さり、潰れていた。そこでようやく、私は頬に掛かった液体が鉄鼠の血液であることを知る。

 

 窮鼠猫を噛むとでも言うべきか、捕食者に追い詰められた鉄鼠がうなり声を上げて少年に飛びかかる。が、一筋の突風が吹き、少年の姿が掻き消えた。

 

 かちゃりと、刀を鞘に納める音が静かに響く。いつの間にか、彼は鉄鼠の背後へと移動していた。納刀を完全に終えたその姿はあまりに無防備で、戦意すら喪失しているように見えた。

 

 何をしているんだと私が叫ぶ間もなく、鉄鼠が追撃のために背後を振り返ろうとして――ごとりと、その首が転げ落ちた。一拍遅れて鉄鼠の胴体から血が噴き出し、地面に崩れ落ちる。

 

 (嘘……いつの間に…………)

 

 全く目で捉えることができなかった。剣技のことは門外漢だが、ともすれば妖夢の技にも劣らないように思えた。満身創痍の身で、何故そこまで動けるのかはまるで理解できない。

 

 「……これで完全に片付いたな」

 

 刀を腰に差しながら、少年はまだ尻もちをついたままでいる私の元までやって来ると、すっと手を差し出した。

 一連の衝撃からまだ立ち直れない私は、戸惑いながらもなんとかその手を掴む。

 

 「あ……ありがとう」

 

 「別に礼を言う必要は無いだろ。先に助けられたのはこっちだし……もともと巻き込んだのもこっちだ。まぁ、これに懲りたらお節介も程ほどにな」

 

 「うっさいわね! 素直にお礼くらい言わせなさいよ。また蹴られたいの?」

 

 「勘弁してくれ。今度こそ死ぬ」

 

 私が立ち上がるのと同じタイミングで、彼は何かを思い出したようにあっと小さく声をあげた。

 

 「どうしたの?」

 

 「いや、そういやまだ名乗って無かったなと」

 

 言われてみればそうだ。私はまだ彼の名前も知らなかった。彼はコホンと咳払いをして、こちらを真っすぐに見つめる。

 

 「改めて、俺の名前は狐守創一だ。見ての通り、しがない退――ゴフッッ……‼」

 

 「ちょっ!?」

 

 言い終わる前に、創一の口から大量の血液が零れ落ちた。胸の切り傷からも再び血が滲みだし、ぐらりと彼は膝から崩れ落ちる。

 

 「もおおお‼ 傷が全部開いちゃってるじゃないのおおお!!!」

 

 月夜に、私の叫び声が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石造りの部屋の中に鎚で金属を叩く音だけが響く。鎧戸から差す月光と、煌煌と燃え盛る炉の炎だけが室内を照らし出し、壁の一面にずらりと立て掛けられた数多の刀剣が、濡れたように怪しく輝いた。

 

 不意に、鎚を振るう手が止まった。降って湧いたような静寂。揺らめく炎の音だけが微かに聞こえる中、その男は鎚を握ったまま、ゆっくりと口を開いた。

 

 「……不用意に工房に入るんじゃねぇと、何度お前さんに言えばいい。遂にボケたかよ」

 

 唐突に背後に現れた気配。振り向くまでも無く、その主を男は知っていた。

 

 「……ふむ、これでも一応タイミングは見計らったつもりなんじゃがな。丁度最後の鎚を振り下ろしたところじゃろう?」

 

 「そいつを決めるのは鍛冶師である俺だ。素人の坊さんは黙って、怪しげな薬でも作っておけばいいだろう」

 

 「はは、そう邪険にすることもあるまいて。何もお主にちょっかいをかけに来た訳でもない。ちと、メイデナめがやらかしよってな……」

 

 その言葉にようやく男は後ろを振り返った。男の眼前に佇むのは闇を体現したかのような怪人である。身に纏うのは漆黒の狩り衣、長い頭髪もまた黒く、精悍な顔つきに灯る黄金色の双眸は猛禽類の如く鋭い。怪人の名を蘆屋道満という。

 

 「……メイデナの嬢ちゃんが? あのお転婆娘、今度は何したんだ?」

 

 「儂の言いつけを破って狐守の小僧と接触した挙句、戦って傷を負いよった」

 

 道満の言葉に男が眉を顰める。

 

 「狐守……俺の傑作を持ち主の鬼神ごと真っ二つにしたという少年か……まぁ、生きているだけ儲けものなんじゃねえのかい」

 

 「左様。ことを起こす真似に戦力を削りたくはないからな。本当は飛鷹の奴も…まぁ、本人の希望あってのことじゃ、それは仕方無かろう。それで、お主にはメイデナの修理を頼みたい」

 

 「修理ってお前さん……俺が刀鍛冶であることを忘れてねぇか?」

 

 「儂はまだボケてはおらんぞ。奴らは人間の悪意の体現、他者を傷つけ、その尊厳を踏み躙るために生まれた者達だ。むしろ、お前さん程の適任者は居ないのではないか?」

 

 含みを持った笑みを張りつけ、道満は男を見据えた。しばしの沈黙の後、男が大きく息を吐く。

 

 「……返す言葉は無いな。確かに、俺は初めて鎚を握った日から、亡霊となった今の今まで、ひたすらにこうやって人を殺すための道具を作り続けている。俺の作った刀が無辜の民を殺そうとも、天上人様を殺めようとも、知ったことでは無いとな」

 

 男の言葉に、道満がくくと楽しそうに喉を鳴らした。黄金色の瞳が相手の腹の底すらを見透かすように細められる。

 

 「お主の抱える業は承知の上よ……だから、苦労して地獄から逃がしてやったのだ」

 

 「感謝はしている。おかげでまだまだ刀が作れるからな……丁度手が空いてるところだ。メイデナの嬢ちゃんに、早く工房に来るように言っておいてくれ」

 

 「相分かった」

 

 頷き、その場から立ち去ろうとする道満に、男は何か思いついたように声を掛ける。

 

 「少し待ってくれ」

 

 「なんじゃ?」

 

 道満は少々怪訝な表情を浮かべる。男が会話を好む人間ではないことを知ってるため、呼び止められたことが意外だったのだ。

 

 「いや何、大したことはない。ただの雑談なんだが……」

 

 続く男の言葉に道満は目を丸くする。これは明日は槍でも降るかも知れぬと。

 

 「俺の業と言っていたがな……そういうお前さんの業はどうなんだ? 鬼や怨霊を焚きつけ、次は付喪神と狸と来た。何がしたいんだ? 幻想郷に恨みがあるというわけではないのだろう?」

 

 道満が今まで起こした行動が伴うリスクは測りしれない。彼は既に幻想郷の神妖を敵に回すだけにとどまらず、地獄の支配者たちからも目をつけられている。地獄の規則を破り、罪人を逃がすというのはそういうことだ。

 

 「何がしたい……というよりは、見たいのよ。」

 

 「見たい?」

 

 「妖の行く末じゃ。時代に取り残された遺物が、何処まで足掻くのか。妖が真に妖足ろうとするならば、現も幻も――生き地獄には変わるまい」

 

 「……良く分からんな」

 

 「だろうよ。こればかりは、あの時代に連中と凌ぎを削っていた者達にしか分かるまい」

 

 「じゃあ殆どいねぇってことじゃねぇか」

 

 呆れたような男の言葉に、再び道満が喉を鳴らして笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 
 純狐に気に入られてたり、こいしの存在を認知できたり、鈴仙は精神的に問題ある人物への特効薬めいたところがあります。狂人への処方箋は鈴仙が一番効く。
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