東方狐神録   作:パック

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鏡像

 

 

 

 

 

 「……ふむ、()()()()()の災難だったんじゃな。同情するぞ」

 

 「俺の苦労の三日間をそんな風に総括しないで欲しいんだが……」

 

 人里のとある甘味屋。その一番奥の席で、テーブルを挟み向かい合う少女、二ツ岩マミゾウに対して、創一は苦い顔で言った。

 

 人里を騒がした怪異、刀狩り。稗田阿求の依頼を受け、その刀狩り事件を見事解決した創一だったが、その後立て続けに起こった災難は彼を疲労させるには十分だった。

 

 (まぁ、おかげで興味をそそられることもあったがな……災い転じて福となす、とまでは言わないが……)

 

 疲れた顔をしている創一にマミゾウは悪かったと謝罪しながら、ふと、神妙な顔つきをとった。

 

 「それで? わざわざ儂を呼び出したのは何でじゃ? 愚痴を聞かせるためではあるまい?」

 

 マミゾウの目が細められる。化け狸の頭領にふさわしい、聡明さを感じる眼差しだ。理解が早くて助かる。

 

 「ご明察だ」

 

 創一は頷いた。

 

 「勿論本題は別にある……だが、その前に大事なことが一つ」

 

 「ほう、それは何じゃ?」

 

 興味深そうに、マミゾウが身を乗り出して尋ねる。

 

 「――俺が頼んだチョコレートパフェがまだ来ていない」

 

 「…………」

 

 いたって真面目な顔で言い放つ創一に、マミゾウは呆れたように肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は16時と少し。ピークを過ぎて、客入りは落ち着いている。とはいえ、店内にそれなりに人は居て、歓談の声やカップを皿に置く音が聞こえてくる。密談には不向きな場所だ。

 

 もっと、他に良い場所があるだろうに。不満を抱きながら、マミゾウは対面の少年を見た。

 

 (知ってはいたが……人の成長というものは本当に早いものじゃな……)

 

 初めてあった時は、十に届くかどうかといった年齢だったはずだ。それが今は、自分の身長を優に超えている。一々そんな感慨を抱くのも妙な話だとは思うが。

 

 (しかしこ奴……本当に綺麗な顔をしておるな……そのくせ一切可愛げというものが無い)

 

 美術品めいた造詣の顔を特に綻ばすこともなく、創一はいつも通りの無表情でパフェをもくもくと口に運んでいた。好物くらい、もう少し年相応に食べられないのか。

 

 (稲荷狐や周りの神達が、どうしてこやつを孫可愛がりしておるのか理解できん)

 

 そんなことを考えていると、突然、周囲の音がぶつりと途絶えた。

 

 「――ッ!」

 

 聴覚の異常かと、咄嗟にマミゾウは自分の耳に触れる。とはいえ、そんな触診程度で、自分の肉体異常を測るような知識や技能を持ち合わせてはいない。

 

 周囲に視線を走らせるが、目立つところも無い。店内の様子はさっきまでと至って変わらず、皆甘味や茶を楽しみながら歓談をしている。最も、それらの音がマミゾウには一切聞こえないのだが。

 

 からんと、金属が何かにぶつかる音が聞こえた。それほど大きな音ではないが、静寂の空間ではよく響く。

 

 音の方向に目線を向ければ、それが空になった硝子の容器に匙を落とし入れた音だと分かる。いつの間にか、創一はパフェを食べ終えていた。

 

 「そんなに心配しなくとも、別にお前の耳は何もおかしくなってはいないさ」

 

 呆気からんと言う創一に、マミゾウはひとまず胸を撫でおろした。

 

 「お主の仕業か……結界を構築したような様子は見えなかったが?」

 

 防音の結界構築くらいマミゾウだって片手間にできるが、術に通じた相手に気づかれずに、となると話は変わる。

 大体、マミゾウが見ていた限り創一は一方の手で器を固定し、もう一方の手で匙を操っていたので、片手分の余裕もないはずである。

 

 「結界のようなものだが、結界術じゃない。空気を弄って、疑似真空状態の層で周囲を区切った」

 

 もったいぶる様子も無く、あっさりと創一はタネをばらした。

 

 「天狗仕込みの風か……相も変わらず器用な奴じゃな」

 

 「別にそこまで大したことはしてない」

 

 当然のように創一は言う。だが、それはあまりに謙遜が行き過ぎているというものだ。

 創一の技巧が、天狗のほとんどを圧倒していることくらい、マミゾウも知っている。

 

 「俺の技巧というか……細かい操作が天狗には必要ないだけだろ。生まれつき感覚でできるから、理論が育たないんだ。空気中の酸素量だけ増やして、酸素中毒を狙おうとか……そういう発想が無い。妖怪は科学と相性悪いからな、おかげで俺も()()が楽だが」

 

 仕事というのが、退魔師として妖を狩ることなのは言うまでもない。妖に学び、妖を侍らせておきながら、妖を殺すことに葛藤が無い。狐守創一はそういう少年だった。初めて出会ったときからそれは変わらない。

 

 化け狸退治の後で、悪びれも無く化け狸(マミゾウ)に会いに来るような輩だ。そのことを指摘すれば、妖怪だって人を害しながら普通に人と話すじゃないか、などと宣う。

 

 それは実際その通りであり、人を襲って食うことこそ無いが、マミゾウだって悪びれも無く人を化かす。そのことで、創一に対して後ろめたく思うことも無い。人食いの癖に、一部の人間にだけ平気な顔で友好的に接する妖だって居る。

 だが、それは言うなれば妖の、人の心を持たない人外の思考だ。外道の精神だ。

 

 成人すらしていない少年が、十に届くかどうかだった童が今日まで保ち続けてよい精神性では無い。

 

 (この郷でならまだしも、外の世界でそんな風に育っているというのはやはり致命的に可笑しいな……教育の失敗というレベルじゃないぞ狐どもめ……!)

 

 お高くとまっている白狐たちのことを思い浮かべれば、文句の一つでも言ってやりたくなる。だが、今はそんな場合ではない。

 

 「今度こそ、本題に入ってくれるのじゃろうな?」

 

 マミゾウは尋ねた。周囲へ音が漏れないように術を行使したというのなら、それなりに重要な話であるはずだ。

 

 「そうだな、注文も来て、防音も完璧。これなら大丈夫だ。本題というのは、俺が出会った付喪神のことなんだが……」

 

 「刀狩りのことか?」

 

 「いや、その後俺の前に現れた、メイデナと名乗る方だ」

 

 「ふむ、大百足相手に立ち回ったとかいう奴か。随分強力みたいだが……」

 

 「あぁ、強力なんだ。()()()()()()()()()()

 

 「ありえない? どういう意味じゃ?」

 

 眉を顰めるマミゾウに、創一はちょっとだけ間をおいてから口を開く。

 

 「――『バートリ・コレクション』というものを知っているか?」

 

 「? 何じゃ、やぶからぼうに……聞いたことが無いが……」

 

 意図がつかめず、マミゾウはますます困惑する。全く聞き覚えのない言葉だった。

 

 「呪物マニアの間で有名なものだ。血の伯爵夫人が愛した拷問器具の数々につけられた総称。その中でも花形として知られる逸品が――鋼鉄の処女(アイアン・メイデン)だ。長らくただの噂だとされていたが、数年前に発見されて、裏のオークションに出品された」

 

 裏、というのは反社会的という意味ではない。アンダーグラウンドという意味では同じだが、この場合は退魔師のような神秘を扱う者達の業界のことを指している。

 

 「そういえばお主、妙な収集癖があったな……」

 

 呆れを含ませてマミゾウは言った。

 妖刀、呪いの人形、血で描かれた絵画に、謎の木乃伊から不幸の手紙に至るまで。誰も欲しがらないような曰く付きの物品ばかりを、目の前の少年は蒐集しているのだった。

 

 若いながらに、その道ではかなりの好事家として知られているとかなんとか。命がけの仕事で得た報酬なのだから、もっと建設的なものに使えと思わなくもない。

 しかし、マミゾウのそんな老婆心を露知らず、創一は語り続ける。

 

 「最初は誰もが偽物だと思っていた。オークションの信用も落ちたものだと。だが、実物が会場で初めて披露された瞬間、もはや誰も疑う者はいなかった。俺みたいな特殊な目を持たない者でも、それが異質であることが分かったんだ」

 

 「凄まじい呪物であることは分かったが……それが一体今回の件とどんな関係があるんじゃ?」

 

 「……同じだったんだよ」

 

 ぽつりと、零すように創一が言った。

 同じ、一体何のことを言っているのか。マミゾウが再び追及するより早く、創一が言葉を繋いだ。

 

 「メイデナという付喪神が発していた感情、それが……あの日オークション会場で見た鋼鉄の処女に宿っていた負の思念と、同じだったんだ」

 

 マミゾウの目が驚愕に見開かれる。

 

 「――ッ!? 馬鹿な……見間違いじゃないのか?」

 

 「俺も一瞬そう思った……感情は揺れ動くものだからな。だが、根幹にあるものはそう変わらない。感情の動きや色彩に個性がある話は昔しただろ。あの手の特質はかなり稀だ。メイデナが見せた攻撃パターンからも、アレの正体は鋼鉄の処女だと見て間違いない」

 

 「しかし!? 話を聞くに、それは舶来品なのじゃろう?」

 

 「あぁ、そうだ。ちなみにオークション会場は海外で、落札したのも海外の資産家だ。発見されたのが日本ということもない」

 

 「ならば、ありえないじゃろう!? 付喪神は日本の妖じゃ。曰く付きとはいえ、日本の地で歳月を経て、魔力を蓄えない限りは……付喪神として発生しようがない!」

 

 「そうだな。それに、大百足相手に戦える大妖クラスときた。とんでもないイレギュラーだ。しかし、マミゾウ、情報通のお前なら何か心当たりがあるんじゃないか?」

 

 期待するような青い瞳が、マミゾウを真っすぐに見つめる。そんな目で見られてもどうしようもない、そう発しかけたところで、マミゾウはぐっと言葉を飲み込んだ。何かが脳裏を掠めたのだ。

 

 額に手を当て、黙り込むこと数十秒。マミゾウの頭脳が高速回転し、奥底に蓄えられた記憶が掘り起こされていく。

 何かを見落としているのではないか。自分は、本当は答えを持っているのではないか。そして、

 

 「――――()()()()()()

 

 マミゾウが導き出したその解に、創一が満足げに微笑んだ。

 

 「やっぱり、お前を頼って良かったよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 打ち出の小槌。小人族である一寸法師が手に入れた鬼の秘宝の一つであり、願いを叶える願望機。とある天邪鬼の暗躍により、一寸法師の末裔が振るった小槌は、幻想郷中の力の弱い妖や道具たちに力を与えるに至った。

 後に『逆様異変』と名付けられたこの異変によって、新たに誕生した付喪神の数は多く。供養されずに、野に放たれた個体も少なくはない。

 

 「しかし、一度失敗した異変を再演するような馬鹿な真似、誰もせんと思うんじゃが……いや、あの天邪鬼ならあり得るか?」

 

 「別に、犯人がそいつらと決まったわけじゃないだろう。小槌を盗まれたのかもしれないし、それに本物の小槌が使われたかは分からない」

 

 「というと?」

 

 「黒霧異変の際、蘆屋道満は八雲紫の異能を模した呪符を作成していた。小槌のレプリカだって作れたかもしれん。あいつが鬼神たちとつながってたことを思えば、二つめの小槌の存在だってあり得なくはない。鬼の魔力が宿った一品だったんだろう?」

 

 「なるほど、確かにな。その可能性を考慮に入れると、かなり事態はややこしいが……」

 

 「もとより一筋縄でいく相手じゃない。とにかく、少しでも情報を集めなければ……だが、手が圧倒的に足りない」

 

 外の世界であれば、稲荷社とともに各地に散らばる白狐たちの捜査網に頼ることができた。しかし、今の創一にはもうその手段は使えない。故に、

 

 「儂らの情報収集能力をアテにしたいと?」

 

 にやりとマミゾウは笑みを浮かべる。

 

 「そうだ。頼めるか?」

 

 「ふむ、そうさのう……白狐どもの次点というのが気に食わんが……いいじゃろう。お主と儂の仲じゃ、泥船に乗ったつもりで期待しておれ、狸だけに」

 

 「恩に着る。小槌の持ち主との接点は?」

 

 「一応あるな」

 

 「なら、そっちも任せたい。重ね重ね悪いが……」

 

 少し申し訳なさそうにするに創一に、何を水臭いことをとマミゾウは鼻を鳴らす。

 

 「気に病む必要などないさ。儂はただ借りを返しておるだけじゃからな……なぁ、()()()()()

 

 何処かからかうような口調でマミゾウが言った。

 創一は少しだけ眉を顰めてため息をつく。

 

 「何度も言っているだろう。あの一件は利害関係の一致の結果だ。特段恩を感じる必要はないし、あったとしても、既に返済されている」

 

 「そういうことにしといてやろうかの」

 

 「……是非、そうしてくれ。それじゃあ、俺はこの後仕事が入っているから、先に帰る」

 

 「仕事?」

 

 「退魔師としての依頼だ。軽く内容を聞くに道具にまつわるものらしい。付喪神がどうかははっきりしないが……ことの顛末は報告する」

 

 「付喪神なら……偶然ではなさそうじゃな」

 

 「だな。何か大きなことが動いている証左だ。黒霧異変のような……くれぐれも用心してくれ」

 

 「相分かった。お主も気をつけるんじゃぞ」

 

 ひらひらと手を振り、またもや面倒事へと首を突っ込みにいく少年を、内心呆れ半分でマミゾウは見送った。

 彼が幻想郷に来たのは、隠居という側面もあったはずなのだが、既に当の本人は忘れているんじゃなかろうか。そんな疑念すら抱く。

 

 (冷酷な割にお人好しというかなんというか……)

 

 人の死に心を痛めるほど繊細ではないのに、何としてでも他者の生命を守ろうと動く。それなりの付き合いになっても、よくわからない少年だった。何処までも底知れない。不気味でもあるし、放っておけない気もする。

 

 平気で妖と交流する一方で、いとも簡単に妖を殺す。慈悲なんて見せずに、その癖――

 

 (――その癖、妖相手に手を差し伸べたりもする……全く質が悪い小僧じゃよ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ようこそお越し下さいました。立て続けで申し訳ないのですが……」

 

 「構わない。怪異絡みの案件を斡旋してもらっている身だ。それに、今回の一件には興味がある」

 

 家人にでも任せればいいのに、わざわざ出迎えに来た稗田阿求に向けて、創一は言った。

 

 「なんでも、鏡にまつわる怪異だと聞いたが?」

 

 「えぇ、そうです。追って説明しますので、まずお上がりください」

 

 屋敷へと上がり込み、阿求に導かれるままに長い廊下を進む。途中で出くわした使用人たちが、創一にうやうやしく頭を下げるが、その視線は訝し気でもある。

 素性のしれない若造相手への反応として妥当だろう。

 

 「すみせんね、教育不足で……お恥ずかしい限りです」

 

 嘆息とともに阿求が言った。創一としてはさほど気にしていないのだが、家をまとめる者としての責任感故なのか、彼女からすれば使用人たちの態度はあまり看過できないものらしい。

 

 「別に気にしないさ。怪しまれることは慣れてる」

 

 「慣れる必要はないでしょう、それ。というか、客観的に見て創一さんはそんなに怪しまれる風貌でもないと思いますが? 人の目は惹くでしょうけれど……」

 

 阿求が小首を傾げる。

 そもそもこの場合、創一の容貌が見目麗しいからこそ、不躾な視線を集めているのだった。

 浮いた話の一つもない阿求がわざわざ客人を出迎えたことも相まって、家人たちの下世話な噂話に火がついたという事情もあるのだが、流石に二人ともそこまでは思いもよらない。

 

 ぴたりと、阿求は一つの襖の前で足を止めた。以前訪れた記憶が確かなら、確かその先は応接間だったはずである。

 

 「創一さんに見て頂きたかったのは、こちらです」

 

 言いながら、阿求は襖を開ける。創一の記憶は確かだったようで、襖の向こうには見覚えのある部屋が広がっていた。だが、その部屋の一角だけ様相がいつもと異なっている。デザインがバラバラの姿見が全部で六つ。壁際に並べられていたのだ。

 

 「思ったより多いな……全部、怪異現象が起こったものか?」

 

 「はい。鏡が水面のように波打った、鏡に映る自分が勝手に笑った、鏡によくわからないものが映った、証言は様々でしたが……」

 

 「どれも鏡にまつわる怪異現象としてはベターなものだな」

 

 顎に手を当て、思案気な表情で創一は並ぶ鏡を睥睨する。一見しただけで、判明するような異常は特に見当たらない。

 

 「実は、ここに置いてあった鏡は今朝まで五つでした」

 

 不意にぽつりと阿求が呟いた。彼女の方へと視線を向け、創一は続きを促す。

 

 「というと?」

 

 並ぶ姿見の内、一番左に置かれているものを阿求が指で指し示した。

 

 「そこの鏡は、当家にあった物です。まさに今日、私の目の前でそれは怪異を引き起こしました」

 

 「……詳しく聞こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 古今東西、鏡は古来より強力な呪力を持つものだと考えられてきた。魔を祓う神聖なものである一方で、使い方を誤れば魔を呼び込むことすらある。

 物によっては過去や未来を見通すとも。閻魔が持つという浄玻璃の鏡などがよい例だろう。

 

 元々道具として霊的に強力なのが鏡というものだ。よって、鏡にまつわる怪談は多く、曰く付きの鏡というものも事欠かない。

 

 しかし、意外なことに、呪物の蒐集家である創一のコレクションの中には、鏡というものが実は一つもない。理由は至極単純。鏡が――()()()()()()()だからだ。

 

 「……相も変わらず、気が滅入る顔だ」

 

 鏡に映る自分の顔を目の前に、創一は吐き捨てるように言った。

 場所は引きつづき、稗田家屋敷の応接間。鏡の調査をするからと、阿求に席を外してもらうや否や、創一が行ったことは鏡の移動だった。

 

 自らを中心として、六つの鏡を六角形に設置する。結果として、合わせ鏡が計三対できあがる。

 

 鏡というものがもつ呪力については既に述べたが、合わせ鏡はその呪力を更に高める。なんの変哲もないただの鏡ですら、合わせ鏡の形にすることで、不可思議なモノを捉え得るのだ。

 

 もし、鏡が妖怪化していたり、特殊な力を帯びているのなら、その力を高めてやれば、気づけないはずがないという策だった。

 しかし、予想に反して結果は芳しくない。

 

 どの鏡を見渡しても、そこに映るのは創一自身の姿だ。誰もが美しいと、褒めたたえる容姿。冗談じゃない。

 

 (こんなに醜いものが他にあるかよ……)

 

 鏡が映すのは上面だけではない。鏡は真実を映す。正体を映す―()()()()。ただ、多くの者が、映されたその鏡像に気づいていないだけだ。

 

 他者に対して、一方的な観察者である創一も、鏡を前にした時だけは、向き合わざるを得ない。自らの心の動きを、感情の色彩を、その青い瞳におさめるしかない。異能の目が、自分の奥底を暴く感覚。それは吐き気すら覚えるものだ。

 

 (それでも何か分かるならと腹を括ったが……空振り。最悪だな、身支度以外の理由で、無駄に鏡を覗き込むはめになるとは……」

 

 鏡からは妖気を感じない。鏡そのものに強い思念が宿っている様子も見受けられない。どう考えたって。創一を囲む鏡はただの鏡でしかない。

 

 (だが、六つの事件すべてが見間違いの類だとは考えられない……鏡以外の原因が? 鏡の設置場所に何か要因があったか……?)

 

 幾つかの可能性を挙げ、思考を回す。その最中だった。眼前の鏡の一つが()()()()()()()()()()()()()

 

 「――ッ!?」

 

 揺らめきは次第に激しく。小刻みになり、鏡像がすっかり輪郭を失う。まるで、ブラウン管テレビの砂嵐のようだった。

 

 (何が起きている!? やはり、妖気や魔力の類は感じ取れない! だが、これは明らかに――!!)

 

 異常な事態だ。怪異と呼んで差し支えない。

 肉体を術で強化し、足元の影から刀を召喚する。戦闘態勢、何処から襲いかかられても対応して見せる。そう息巻くが、創一の懸念に反して、襲撃の気配は無い。

 

 ただただ不気味に、鏡面に映る像が不可解に荒ぶり続けるだけだった。そして、そんな怪異も遂に終わりを告げる。電源がぶつりと落とされたように、鏡面の波が止んだのだ。

 再び、鏡に創一の鏡像が映し出される。その姿に不可解な点は無い。無いが――

 

 「――っ…………!?」

 

 眼前の光景に、創一は言葉を失った。

 鏡に映る、いつもの創一の姿。その背後に、寄り添うようにして、一人の女が佇んでいた。美しい女である。これ以上ない程に、いっそ薄ら寒いものを感じさせるほどに美しく――悍ましい女だった。

 

 瞬間、甲高い音が部屋に鳴り響く。室内灯の光を反射した大小の破片が、宝石のように輝きながら宙に舞い、半ばから叩き折られた木製の枠組が音を立てて崩れ落ちた。

 

 粉々に砕かれた姿見。それが自分の仕業であることを、一拍遅れて創一は自覚した。いつの間にか振りぬいていた拳を、胸に抱き抱えるように引っ込める。

 心臓が早鐘を打ち、呼吸が乱れる。全身の血が沸騰するようだった。

 

 (今のは……!?)

 

 白痴にでもなったように考えが回らない。腹の奥底に押しとどめて居たはずの感情の奔流が、堰を切ったように溢れだし、体を染め上げていく。

 

 「何があったんですか!? すごい音がしましたが……入りますよ!」

 

 部屋の外から焦ったような誰かの声が響いた。よく考えれば、阿求以外には居ないのだが、よく考えなければそれが分からない程に、創一は混乱していた。

 襖が勢いよく開け放たれ、慌てた顔で阿求が駆け寄ってくる。

 

 「創一さん! 一体何が……っ!?」

 

 無残に破壊された姿見と創一の顔を見比べて、阿求は顔を強張らせた。彼女は言葉を探すように何度か口を開閉させた後、

 

 「……大丈夫ですか?」

 

 創一の体調を気遣うようなことを言った。

 

 「……大丈夫だ。傷一つない。それより……悪かった。壊した鏡はちゃんと弁償するから……」

 

 「そんなこと!! どうでもいいですよ……それより、お顔が真っ青ですが……」

 

 ちらりと横に視線を向ければ、阿求の言う通り、血の気の無い顔が鏡に映っている。冷や汗まみれで、ひどい顔だ。確かに、これで大丈夫だと答えても説得力などないだろう。

 

 「あぁ、今日は引き続き調査できるような状態じゃない。また、後日改めさせてくれ」

 

 「勿論、構いません。少し当家で休んでいかれますか?」

 

 「……気持ちだけ受け取っておくよ」

 

 力ない様子で、ゆるゆると創一は首を横に振る。阿求はまだ何か言いたげな様子だったが、僅かな逡巡の後、分かりましたと諦めるように頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、鏡の怪異の正体が明らかにならないまま、その日創一は稗田家の屋敷をあとにした。

 

 日が傾き始め、丁度皆が家路に就こうとする時分。ごった返す通りを、虚ろな足取りで創一は進む。

 

 自宅を目指しているはずなのだが、道が合っているかどうかの確信すらなかった。ともすれば、自分が今何処に立っているかも見失いそうな心地である。

 

 (……見間違いようがない)

 

 あの瞬間、鏡面に映った女の姿。自分はそれをよく知っている。あらゆる手段を用いて、あらゆるものを犠牲にして、自らの手で滅ぼした筈の存在だ。

 アレの胸に短剣を突き刺した感触すら、一時たりとも忘れたことは無い。

 

 (あの鏡は……一体何を映した? 心象? 過去? それとも――未来か?)

 

 妄想だと、笑いとばしてしまえたらどんなによいか。アレは実体を伴わない、本当にただの虚像だったのかもしれない。だが、それでも心を乱すには十分だった。

 

 (もし、仮に……再びアレが俺の前に立ちはだかることがあるのなら……)

 

 同じ轍を踏まずにいられるだろうか。新たに得たものを投げ捨てずに、切り捨てずにいられるのだろうか。

 

 今まで想像したことが無かった。考えたくも無かった。そんな、今まで見てきた悪夢の全てが極楽のように思える――最悪の想定を。

 

 人々の喧騒の中、夕日に照らされる少年の背中は、とても小さく見えた。

 

 

 

 

 




 余談ですが、中国や日本の伝承には妖の正体を見破る照魔鏡(しょうまきょう)という鏡がたびたび登場します。ドラクエのラーの鏡みたいなものです。(というかたぶんその元ネタ)。九尾にまつわる物語は数多く存在しますが、美女に化けた九尾狐の正体を見破るアイテムとして、大体この鏡が用いられたりします。
 
 
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