東方狐神録   作:パック

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連鎖

 

 

 

 

 

 煌々と燃え盛る炎が闇を引き裂くようにあたりを照らしていた。ばちばちと火花が弾け飛び、立ち昇る黒煙が夜空に融けてゆく。乾いた空気は熱を帯びていて、吸い込むたびに肺が焦がされるような心地すらした。

 積もった灰を巻き上げ、色を得た風が吹く。それが一層、火の勢いを強めていた。

 

 「――日和見主義の臆病者どもめ、お前たちは選択を間違えた。大人しく我らの軍門に下れば、このようなことは無かった」

 

 少し離れた先。燃える町の光を浴びる女に、私は言った。

 火傷を負い、息を荒げる女の姿は、一目で敗者だと見て分かる程に無様だ。これが我らの長と同格などど笑わせる。

 

 「同族を殺めることに一抹の躊躇いがあったが……それも霧散した。人間に媚びるしか能の無くなった――化け狸の面汚しめ!」

 

 私の糾弾の声に女は答えない。女はただ、苦し気な息づかいのまま顔を下に背けた。そのあまりにも情けない仕草が、更に私の神経を逆なでる。

 

 「……言い返す言葉すらないのか? 何とか言ったらどうなんだ――()()()()()()()よ!」

 

 私の叫びが夜に木霊した。

 

 「…………若いな」

 

 ぽつりと、嘲るような声がマミゾウの口から漏れる。

 

 「――何? 貴様……今何と?」

 

 マミゾウが顔を上げる。睨みつける私の視線を真っすぐに、余裕を持った表情で女は見返し、そしてニヤリと笑った。

 

 「若いと言ったのよ。それでは、到底人を化かすことなどできん……暴力で脅かすのは、脳筋の鬼神どもにでも任せておけばいい」

 

 女は悠然と立ち上がる。その姿には、もはや敗者の余韻は欠片として残っていなかった。

 

 「選択を間違えたのはお主らの方じゃ。隠神(いぬがみ)一族はもう少し賢いと思っていたのじゃが……見込み違いか。よもや、父君を同じ轍を踏もうとするとはな……」

 

 心底憐れむような視線が私を射抜く。

 何だそれは。お前にそのような目を向けられる謂れは無い。

 未だ激しく周囲で燃え続ける、炎のような激情が私の中に浮かびあがった。

 

 「っ……随分と、余裕そうだな。既に多くの民を易々と奪われておいて……」

 

 今すぐにでも喉笛に飛びかかってやりたいという衝動を抑え、私はあくまで理性的であろうと努めた。だが、目の前の女はそんな私の心情を見通しているように、ふんと鼻を鳴らす。

 

 「多少の犠牲は仕方ないさ。それに、皆この佐渡を守るために、覚悟を持って自ら志願した者達だ」

 

 「……何だと? 馬鹿な……我らは既に多くの民間人を――」

 

 この手で処理したはずだと、そう言いかけて、私は何か強烈な違和感に襲われる。佐渡への侵略作戦は順調に進み、多くの狸と人間を殺戮したはずだった。

 

 今なお火の手が増していく町では、逃げ遅れた人間たちが業火に炙られ、あるいは瓦礫に押しつぶされて、その生を潰やしているだろう。我ら妖の糧となる畏れを一心に抱いて……我らの目論見は成功と言って良いはずだった。

 

 (……だが、何なんだ? この胸騒ぎは……)

 

 募る私の不安を見抜くように、マミゾウが揶揄うように喉を鳴らした。

 

 「順調じゃっただろう? なんせ、そう思ってくれるように()()()()からな」

 

 「ッ――!?」

 

 顔が引きつる感覚に襲われる。私は慌てて上着のポケットから取り出した無線機で、別行動をしていた配下へ連絡をとった。だが、一向に返事は無く、砂の粒が擦れ合うような雑音だけが耳に届く。

 もはや、事態は胸騒ぎで済むような局面ではないのだろう。私は遅れて自らの過ちを悟った。

 

 (――くそっ! いつからだ!? いつから罠にかかって……!!)

 

 思い返せば、あまりにも自分は注意散漫だった。それは単純に、目の前の老獪な化け狸を相手に、攻め手を緩める余裕が無かったというのもある。しかし、もう少しでも周囲に目を向ければ、結果は変わっていたかもしれない。

 そんな私の焦燥に、満足げな顔を浮かべてマミゾウは口を開く。

 

 「儂ら、佐渡の化け狸一同の千変万化(せんぺんばんか)、楽しんでくれたようなら幸いじゃ。苦労して準備した甲斐があるというものよ」

 

 心臓が早鐘を打つ。佐渡の狸の幻術は、化け狸の中でも群を抜いているという話は耳にしていた。だが、自分らとて化け狸、変化の専門家だ。まんまと化かされたなどとは、到底信じがたい。

 しかし、その有り得ない答えでなければ、この状況を説明できないのも事実だった。

 マミゾウは煤まみれの自分の衣服をはたきながら、話を続ける。

 

 「無論、全てが幻であったわけではない。嘘を貫くには、真実を混ぜる必要があったからな。多くの幻と、一握りの勇敢な化け狸達、それがお前さんらが手に掛けたものじゃ。民間人など一人も居らん。それが()()との約束じゃからな……」

 

 「――奴? いや、なるほど……確かに我らはお前たちを見くびっていたようだ。だが、根本的に解決はしていない。所詮はただの時間稼ぎ――そして、我らはあくまで第一陣に過ぎない!」 

 

 確かに佐渡の被害状況は差ほど深刻なものではないのかもしれない。未だ多くの人間と狸どもが生き残っていることは理解した。それでも、

 

 「長たるお前に深手を負わせたのだ……戦果としては十分だ」

 

 焦げた衣服より覗くマミゾウの皮膚は、醜く焼けただれている。片腕は炭化したように黒ずんでおり、指一本すら満足に動かせるか怪しい。私の妖術によって負わせたその火傷までもが、変化による偽物だとは思えなかった。

 

 また、態度こそ超然としているが、女の息は依然荒いままだ。額を伝う汗は、炎の熱によるものだけではないのだろう。

 私の働きは決して無駄では無かった。仮に私がここで敗死しようとも、我々の勝利は揺るがない。故に、私は声を高々に叫んだ。

 

 「もうじき、増援がやってくる‼ 我らの長が、軍勢を率いてこの島を征服するはずだ‼  そうなればもう――お前ら勝ち目は……‼」

 

 「――増援なら来ぬよ」

 

 「!?」

 

 水を打ったような静けさがその場を支配する。だが、それもほんの一瞬のこと。すぐに我を取りもどした私はその言葉の真意を問う。

 

 「一体……何を言っている?」

 

 普段の私なら、激情を交えつつ叫んでいたかもしれない。しかし、何故だが私の声は静かで、私の心は波打つ水面のようでありながらも妙に冷静だった。

 もしかすれば、マミゾウの浮かべた表情の中に、僅かな沈痛のようなものを感じ取ったからかもしれない。

 

 一呼吸を置いて、彼女はこちらをぎろりと睨む。敵意の表れというよりは、何処か取り繕うようだった。

 

 「何故、儂が今になって手のうちをベラベラと話したと思う? 既に事が終わったからじゃ」

 

 そう言って、マミゾウは片耳にだけ身に着けていた耳飾りへとそっと手を触れた。青色の宝石をあしらった中華風の耳飾りで、彼女が纏う和装とは不似合いのものだ。

 

 「儂の趣味じゃないぞ。通信用のマジックアイテムじゃ。着用タイプは西洋風かこの手のデザインしかないと言われてな……」

 

 そんな、どうでもいいような言い訳をマミゾウは述べる。なんとなく、彼女自身が言葉を探す時間を確保しているような気がして、私はじっと黙り込んで耳を傾けた。すると、彼女はやはり何処か痛ましげな顔を浮かべて口を開く。

 

 「……落ち着いて聞け。今しがた連絡が入った……お前さんの姉君にして首領――二代目隠神刑部が討たれたとな」

 

 放たれた言葉の意味を私は理解できなかった。全く意味が分からない。反射的に開いた口から音すら碌に零せない。

 

 「――――ッ……!?」

 

 正しく絶句する私の思考が目まぐるしく回る。といっても、それは思考がまともに働いているという意味ではない。空回りしていると、言い表したほうがより正確だろう。

 

 あまりに予想外だったのだ。増援が来ないという言を受けて、ある程度の警戒はしていた。しかし、それは何か策を打たれて、増援の上陸が困難になったことへの想定であって、増援そのものが潰された場合など、欠片として考えていなかった。

 

 (――いや、違う。違う! 冷静になれ――敵の言を真に受ける馬鹿がどこにいる!?)

 

 心の内で自分を叱咤し、冷静さを取り戻す。

 幾らマミゾウが見せた表情が、その言葉が真に迫っていて、まるで嘘をついていない様子であっても、それを鵜呑みにする必要などないのだ。

 相手は佐渡の化け狸たちの首領、癪に障るが、力だけを求め続けた自分のような若造を騙すことなど造作もないのかもしれない。

 

 「……っは、何を言うかと思えば……そんな根拠もない法螺話を、私が信じると本気で思っているのか? 大体、本隊に攻め込むだけの兵力がお前らの何処にあるというのだ?」

 

 佐渡の化け狸たちの規模は大まかに把握している。防衛をしながら、攻めに回せる伏兵など用意する余裕はなかったはずだ。

 しかし、私の指摘にマミゾウは顔色一つ変えず、もっともらしく頷いて見せた。

 

 「まぁ、当然そうなるのう。しかし、これはお主が既に言ったことだろう?」

 

 「? 一体何のことだ?」

 

 「儂らは人間と()()()()()()()()ということじゃ」

 

 「まさか……!? いや、だが、そんなはずは無い! どの組織も此度の戦いは静観することに決めたはず……! 大体、例え退魔の者たちが関わってきたところで……!!」

 

 姉は四国の狸たちを統べるに相応しい大妖怪だ。屋島の化け狸たちすらを下して見せた彼女相手に、徒党を組んだくらいでたかが人間達が勝てる道理は無い。彼女の周囲には、選りすぐりの軍勢だって居たのだ。

 

 「勘違いしてくれるな。儂は別にそこまで人間を信用しておらん。特に人間の組織はな……助力を請うならば、()()にだけじゃ」

 

 「個人だと!? 馬鹿な! 尚更有り得ない!! 一人の人間が妖の軍勢や大妖を討つなど――――!?」

 

 そんなもの、御伽噺にすら在りはしない。徒党を組み、策を講じ、か細い糸を手繰り寄せてようやく勝利を掴むのが、(いにしえ)から続く妖怪退治であるはずだ。圧倒的強者である妖怪が、それ以上の暴威によって下されることなど――あってはならない。

 

 「儂の言葉は到底信じられないだろう。別に、今はそれでも構わない」

 

 こちらを落ち着かせるような声音でマミゾウが言った。その真意が、私には掴みかねた。

 

 「どういうことだ?」

 

 「儂の言葉が真であることは直に分かる。だから、お主にはただ一つだけ決断して欲しい」

 

 マミゾウの瞳が、まっすぐにこちらを見据える。

 

 「仮にでいい。もし、仮に……お主らの長が討たれたことが事実だと判明したならば――すぐに降伏してくれ」

 

 「――っ…………」

 

 「勿論、思うところはあるじゃろうが……お互い様じゃ。多くの狸たちの命運を握っている者同士、どうか、感情を呑み込んで賢い選択をして欲しい」

 

 その真剣な眼差しに嘘があるとは、やはりどうしても思えなかった。一度落ち着きを取り戻したはずの心臓が、再び素早く鼓動を刻む。私は気つけとばかりに、爪が皮膚を破るほど拳を握りしめた。

 

 「…………分かった」

 

 逡巡を経て、私は頷いた。

 

 「だが、一つ聞かせろ。お前の言葉がすべて本当だとして、そうまでして我ら四国の狸を気にかける理由はなんだ?」

 

 私の質問にマミゾウは一瞬だけ唖然とした表情をとった。まるで、何故そんなことを聞かれているのかまるで分らないとでもいうように。

 

 「……ふむ、そうか……若い奴からしたらそういうものなのかのぅ」

 

 少し俯き、思案気に呟きだしたマミゾウは、何やら自己解決したのか、ゆっくりと顔を上げる。

 

 「昔、お主らの父君がまだ健在だった頃は、化け狸の数もずっと多くてな、夜は賑わっておった。じゃが、今はこの有様じゃ。化け狸の絶滅だって有り得る……これ以上、同族の死は許容したくはない、それが例え他の派閥だろうとな。年を経るほどに……そう思うのじゃよ」

 

 「……そうか」

 

 頑なまでに人との衝突を避けつつ、同時に自分ら他の派閥とことを荒立てることも良しとしなかった、彼女らの態度の一端が今になって理解できた。それを臆病者だと評すのは、あまりに浅慮だったのだろう。

 

 しかし、既に賽は投げられたのだ。

 私は右手を掲げると、そこに妖術による巨大な火球を作り出した。鉄すらを融解させる炎。戦いの余波で周囲に燃え移った小火とは比べものにならない熱量がそこには込められている。

 

 「二ツ岩マミゾウ、お前の言葉は聞き届けた。異論は無い――だが、今現時点でお前の言葉の審議を確かめられない以上……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 私の宣言に、マミゾウはさして驚く様子を見せず、自嘲気味に微笑んだ。

 

 「まぁ、そうじゃろうな。儂とて別に見逃してもらえると思っとらん。お主の力量を見誤ったツケじゃ。甘んじて受け入れよう。どのみち、そろそろ後継に譲ろうと考えとったところじゃしな…………さぁ、殺せ」

 

 長としてのその覚悟に応えるべく、私は掌上の業火を彼女へと振り下ろそうとして――

瞬間、空を震わす()()()()()()

 

 「ッ……何だ!?」

 

 私は慌てて上空を見上げる。橙の炎に照らされる夜空。そこからふわりと舞うように、銀の粒がいくつも降り注いだ。

 

 「これは……雪か?」

 

 そう口に出して、自分の吐く息が白くなっていることに気づく。周囲の気温が急激に低下していた。

 

 「――六花の仕業か」

 

 ぽつりと、マミゾウが誰かの名前を呟いた。だが、私には彼女に意識を向ける余裕は無かった。月を隠す黒雲を裂いて、飛翔する()()を目撃したからだ。

 

 全身を覆う寒色の鱗。獣のような四肢、青玉にように輝いてしなる尾。羽ばたく巨大な翼が銀色の粒を散布する。

 

 (アレは――龍? 何故ここに――――ッッ!?!)

 

 私の目は釘付けになった。美しい銀と寒色の龍に――ではない。妖獣の優れた視力が、捉えてしまったのだ。神秘の象徴たる龍の頭部に佇む、その()()を。

 ぎろりと、人影の瞳がこちらを見据えたような気がした。

 

 「――――!?」

 

 背筋に悪寒が走る。

 人影が龍の背中から落下した――衝撃音。影が地面に着陸して、土煙が舞った。

 

 「――霜柱 氷の梁に 雪の桁」

 

 土色のカーテンの向こうから、美しい旋律があふれ出した。

 凛とした声音が唄を紡ぐごとに、その場の温度が奪われていく。一つ、また一つと、周囲に燃え移った小火が消えていった。

 

 「――雨の垂木に」

 

 土煙の中から、人影がようやく姿を現した。

 所々斑に朱に染まった白装束、顔を覆う白い狐の面。その合間からは青い眼光が差している。

 

 「露の葺き草」

 

 最後の一節らしきものとともに、人影の足元を真っ白な霜が覆い、私の掌の上で燃え盛っていた炎が、蝋燭の如く消え去った。

 

 「火伏せの呪歌か……いかれた出力じゃな」

 

 感心と恐れを同時に滲ませた様子で、マミゾウが突如として現れた人影に声をかけた。

 

 「随分と早く、それも派手な登場じゃったな……神秘の秘匿とやらはどうした?」

 

 軽口めいたマミゾウの言葉に、少年は首だけを動かして反応する。その動作一つが、昆虫のように無機質めいていた。

 

 「いらない心配だ。それよりどうした? 随分な有様だな……油断……は状況的にしないだろうし……情でも沸いたのか?」

 

 「…………」

 

 人影の言葉にマミゾウは顔を顰めて口を紡ぐ。

 顔は見えないが、声を聞くに人影は男、それもまだ年若い少年らしい。小柄でか細い体躯は重圧とは無縁な筈だが、妙なプレッシャーを纏っていた。

 少年の青い視線がこちらへ向けられる。

 

 「それで、漂う妖気からしてお前が四国のNO.2か? だったら、話は早い。さっさと兵を退かせろ」

 

 少年はそう言って、片手に持っていた布の包みを私の方へと投げた。地に転がる途中で結びが解け、露わとなった内容物が私の足元で丁度止まる。

 

 「――ッッ!?」

 

 その内容物は生首であった。血は乾ききっておらず、断面から少量ながら雫が垂れている。かっと見開いた両目は驚愕と苦悶に染まっており、口腔からだらりと舌が覗いていた。私の思考が真っ白になる。

 目があってしまったその顔を、私はよく知っていたのだ。

 

 「あ……ね、うえ? なに、が…………いや……待て――――待ってくれ!!」

 

 気づけば私は叫んでいた。瀬戸際で、ぎりぎり己の正気を保とうとする努力だったのだろう。だが、私の細やかな抵抗を徒労だと嘲笑うように、少年は口を開いた。

 

 「幻術だと思われては敵わない。しっかり検分してくれよ。で、それが済んだたらさっさと去れ、皆殺しにされたくないだろう?」

 

 抑揚のない声で告げられる言葉に、私の中で()()()()()()

 

 「――――ッッ貴様ぁぁぁぁ!!!」

 

 全身から妖力を開放し、再び私は火球を作り出す。さっきよりも巨大で、高熱の――自分の身すら焼きかねないほどの火炎。

 

 「馬鹿者! 手を出すな!!」

 

 焦ったような声でマミゾウが制止する。だが、彼女の言葉は私の耳をすり抜けるばかりだった。停戦の約定も、そのときの私の思考の中からは消え失せていた。ただただ、目の前の男を排除するという殺意だけが私の全てを支配していた。

 

 「――焼け死ね!!」

 

 掲げた手を振り下ろし、火炎を投下する。

 真っ赤な火炎が少年の小さな体を一気に呑み込む、が――雷鳴のような音が響くとともに、黒い光が赤い海を割った。

 

 「がっ……」

 

 右肩に熱が灯る。空中で弧を描いて飛ぶのは己の片腕だ。血液が滝のように滴り落ちる。身を裂く鋭い痛みに、唇を噛み、私はぎりぎりで悲鳴を抑えつけた。

 私の視線の向こうには、変わらず少年が佇んでいる。いつの間にかその手には禍々しい気を放つ太刀が握られていた。

 

 「っぐ、おおおおおおお!!」

 

 雄たけびを上げて、私は地を蹴った。残った左腕の爪を武器に、少年の喉元を目掛けて飛び掛かる。しかし、

 

 「――――ぐふっ」

 

 血の塊がぼたりと口から零れ落ちる。全身が焼けるようような熱さだった。足が地面から離れ、浮遊感とも似つかない奇妙な感覚が襲う。

 

 ――どうして、これ以上進めないのだろうか? 敵は目の前に居るというのに。

 

 その答えは眼下にあった。地面から生える幾つもの刀剣や槍、その切っ先が自分の体を滅茶苦茶に貫いていたのだ。首より下は、無事な箇所を探すことのほうが難しいだろう。

 腕も足もまるで昆虫標本のようにぴたりと刺し止められ、身じろぎ一つできない。唯一無事な首だけを動かして、私は少年を睨んだ。最も、血を失い、痛みと熱に喘ぐ体では、気迫なんてものは出せていないだろうが。

 

 「……良い色だ。その状態でそこまで憎悪に専念できるやつは、早々いない」

 

 その時初めて、少年の青い瞳が関心をもったように私に向けられた。彼は刀を肩に背負い、軽い足取りで私の元へと接近する。

 

 「でも、その()()じゃあ俺は殺せない。残念だったな」

 

 言いながら、少年は太刀の柄を両手でつかんで振りかぶる。

 

 「まぁ、悲しむ必要はないさ。姉貴や仲間が向こうで待っていてくれるだろう」

 

 悪辣さもなく、ひどく無感情に少年は言葉を吐き、

 

 「待つのじゃ創一! 殺すな!」

 

 マミゾウの言葉に、私へと振り下ろされる寸前だった刃がぴたりと止まる。

 

 「……情云々は冗談だったんだけどな……あぁ、隠神刑部と盟友だったんだっけ? だからといって、敵の首領の一族かつ実行犯を生かす意味はないと思うが?」

 

 呆れたような物言いで、少年はひとまず刀を下した。だが、彼の視線は一向に私へと注がれていて、何か少しでもアクションを起こせば斬り捨てると言いたげだった。

 

 「耳に痛いわい。しかしな、創一よ。混乱を収めるためには、首脳部を全滅させるわけにはいくまい。お前とて、四国の狸全てを敵に回すのは避けたいじゃろう?」

 

 「何を言うかと思えば……ソレを避けたいのはお前だろ。相手が人に仇を成す怪異ならば――俺は一向に構わない」

 

 「ッッ――!? お主……」

 

 信じられないものを見るようなマミゾウの目に、創一と呼ばれた少年は肩を竦める。

 

 「分かった、分かった。意地悪言って悪かったよ……けど、お前の筋書きが危ういには変わりない。なんてったって、感情は理屈で片付けられないのだから……」

 

 「……承知の上じゃ。お主の助力はありがたいが、狸には狸なりの(まつりごと)がある。ここは儂に任せてはくれんか?」

 

 沈黙すること数秒、創一はため息を吐いて、私の目を覗き込んだ。

 

 「こいつはこう言っているが、お前にその意思はあるのか?」

 

 その問いかけに私は即答することができなかった。今すぐにでも、目の前の仇敵の喉元へと喰らいついてやりたい。しかし、その願望が遠い理想であることも、身をもって知った。

 

 例えマミゾウとの戦いで消耗していなくとも、冷静さを保っていたとしても、自分では目の前の怪物に届き得ないだろう。

 

 不可能だと知っている願望を追いかけ破滅するか、自らの血と役割が持つ責任を果たすか。どちらを選ぶべきかは、本来迷うべきものですらない。しかし、しかしだ。癪に障るが、少年の言葉通り――

 

 (――感情というものは、理屈では片づけられない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……悪かったのう」

 

 「何が?」

 

 「結局、アレの処遇はお前さんも責任を負ってくれたのじゃろう?」

 

 「それはまぁ……あの場に居て俺だけ知らず存ぜぬというわけにはいかないからな。上層部の連中も、嫌いな俺が爆弾を抱えてくれて、内心ほくそ笑んでるだろうよ」

 

 「爆弾か……あの誓いは嘘ではなかったのだろう?」

 

 「嘘ではない。けど、完全に納得というわけじゃない。自分の心を理性で抑えつけた上での決断だった。そもそも感情は移り変わるものだ……絶対はない」

 

 「……本当に、悪かった」

 

 「気にするな。それより、お前は自分の心配をした方が良い。アレがやらかせば、庇ったお前の無害認定が取り消されるだろう。そうなったら、今度はお前が終われる番だ。大妖怪相手となれば、坂田や加茂、土御門まで出てきかねないぞ」

 

 「はは、英傑の子孫たちか、恐ろしいな。もし、そうなったら、お主が儂を斬ればよい。儂の首をもっていけば、お主へのペナルティは軽くなるだろう?」

 

 「……そうだな。そのときは精々痛くないように斬ってやろう」

 

 「お前さんのそういう割り切り、嫌いじゃないぞ」

 

 「そりゃどうも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――()の同調が完了。小槌の魔力は安定中、付喪神製造は現在目標数の七割を達成、約一週間後に目標の二千体へと届くと予想される。

 

 『異端審問官』『帝国軍』『バートリー』全メンバーの幻想入りを確認。()()()()()両名による補強により、三団体すべての副リーダー格以上が、大妖怪クラスの妖力、身体能力の基準を達成したことを確認。

 

 計画の要、黒狐攻略戦の主兵器――()()の整備が完了。大妖クラスを封殺する退魔の力を確認。

 

 幻想郷の賢者、八雲紫、摩多羅隠岐奈の両名による警戒が厳しく、蘆屋道満の幻想入りが難航中、しかし、計画を変更する必要はないと思われる。

 

 

 

 「……人形遊びが好きな御仁だな」

 

 

 

 ノック一つせず、執務室へと無遠慮に足を踏み入れた侵入者に、女はその切れ長の瞳を胡乱げに向けた。

 

 「かかっ、流石に急ごしらえでは変化の専門家を騙せんか」

 

 喉を鳴らして侵入者――蘆屋道満は豪胆に笑う。口角を上げて歯を見せる姿は、彼の持つ独特な眼力と合わさって、獣が牙を剥いているようにすら見えた。

 

 「それほど精巧な式を侵入させたことには、素直に脱帽する思いだ。よく、賢者どもの監視をくいくぐったな」

 

 女は今しがた読み終えた報告書をとんとんと指で叩きながら言った。

 

 「うむ、流石に苦労したわい。じゃが、どうしても此度の戦を見届けたくてな……それに、こやつをお前に紹介せねばなるまい」

 

 「ん? 新たな式でもこさえたのか? 節操が無いな」

 

 「まさか! そんな簡単に欠員が埋められるほど、梓は半端な式では無かった。最も、()()の前では哀れな子羊だったのかもしれんがな……」

 

 肩を竦める道満の言葉に、女は眉間に皺を寄せた。

 道満の言葉に気分を害したわけではない。ただ、彼女も()()とは浅からぬ因縁があった。最も、()()からすれば、自分は取るに足らない存在であるという自覚が、彼女には強くある。

 

 「……それで、結局紹介したい奴とは誰のことだ?」

 

 頭に浮かび上がった光景を振り切るように、女は次の言葉を急かした。道満が顎で入口の扉を示す。

 

 「ほれ、大将様がお呼びじゃ。顔を見せんかい」

 

 閉じ切った木製に扉が、ゆっくりと押しのけられる。こつりと、革靴が床を踏みしめる音を響かせて、()()が新たに姿を現した。

 

 女は僅かに目を見開く。人影……比喩でもなんでもなく、人の姿をした影が彼女の目の前へと佇んでいた。

 目も鼻も無ければ、口すらない。

 空間そのものが、人の形に墨で色づけられたような異様な光景だった。

 

 光を通さない黒、表情はうかがい知れない。頭部の特徴的な輪郭から、シルクハットのようなものを被っていることだけが唯一情報として分かった。

 

 「初めまして、隠神様。一度直接お会いしたいと思っていたのです」

 

 落ち着いた男性の声が部屋に響く。口こそないが、それが人影の声であることは容易に察せられた。

 

 「まずは自己紹介を――怪談師と申します。道満殿を通してお知りになっているかもしれませんが、未熟な身ながら、怪異語りを少々……どうぞ、以後お見知りおきを」

 

 紳士然とした、丁寧な物腰で人影は一礼する。その様子に、女はすぐには応えられずにいた。

 

 「……そうか。お前が……アレを……よくも、厄介なモノを作ってくれたな」

 

 憤怒が滲んだ言葉だった。殺気すら籠っていたかもしれない。

 だが、人影は女の剣呑さをまるで気にも留めない様子で(もっとも表情が無いので確かなことは言えないが)、語り続けた。

 

 「いやはや、私が携わった作品、それも()()()が皆様にご迷惑をお掛けしました件については、真に汗顔の至りございます。ですから、アレを打破しようとする皆様方に、今回微力ながら力添えをさせていただこうと思い至った次第でして……」

 

 「失敗作……だと?」

 

 「そんな怖い顔をなさらないで下さい。ご気分を害したなら謝罪します。ですが、やはり我々の当初の目的としては……アレは満足がいく出来では無かったのです。結局、あの()()の一人勝ちでした」

 

 「女狐……白面金毛九尾か」

 

 女の言葉に、怪談師はしきりに頷く。

 

 「えぇ、えぇ、そうです。アレ、今は狐守創一と名乗っているのでしたか? 彼は逸材でしたが……我々が求める神にはあと一歩で成れませんでした。ですが、あの女狐の後継者に相応しい獣には成った。神仏すら喰らい殺す災厄の獣に……」

 

 「その獣のせいで、外界の気骨ある妖達がどれほどの被害を受けたか……貴様が元凶だと知ったら、奴らは血眼になって貴様を探し出すだろうな」

 

 「はは、恐ろしいですね。ですが、逃げ足だけには自信がありまして……それこそ、私だけはあの獣から逃げ切れたので」

 

 「道満と同じか……まぁいい、ならば朗報だ。安心するがいい、お前がアレに襲われることは金輪際ないのだろう」

 

 「力強いお言葉ですね。計画書は拝見させて頂きました。確かに、アレ相手でもかなりの勝率はあるでしょう。かの隠神刑部狸様を封殺した錫杖であれば、アレの異能を封じ込められる筈です」

 

 「製作者の一人から言質をとれたのは朗報だな。これで憂いもない」

 

 女は満足そうに目を細める。そして、右手を覆い隠す黒の皮手袋をはめ直した。

 

 「零れ落ちたものを取り返すことはできない。姉上も、この右手も……だが、それでも我らは進み続ける。失ったもののためにも、進み続けなければならない」

 

 ぐっと、拳を握りしめることで、手袋の擦れ合う音が鳴る。

 

 「――これは復讐では無い」

 

 女は言った。何処か、自分自身に語り聞かせるような言葉だった。しかし、確かに女の瞳は復讐の炎に焼かれた狂人のものではない。そこには確かに理性が宿っていて、同時に強い感情が灯っていた。

 道満が無言で口の端を上げ、怪談師が相も変わらず無表情を貫く。

 

 「前に進むため、障害を取り除く。ただそれだけの戦いだ」

 

 また一つ、幻想郷の歴史に新たな頁が刻まれようとしていた。その結末が喜劇か、英雄譚となるか、はたまた悲劇となるかをまだ誰も知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 




元ネタ紹介

シャドーピープル、シャドーマン

2006年頃から世界各地で目撃される怪奇現象の一つ。その名の通り、真っ黒な影の人形が目撃されている。UMAだとも、異なる次元の住人だとも噂される。
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