極彩色の光が世界を照らす。
足元が鳴動し、嵐のような暴風が吹き荒れていた。
高らかな魔女の声が響けば、編み込まれる魔力が神秘的な現象を成立させる。太陽を思わせる灼熱、あらゆるものを呑み込む大波に、質量で潰す土塊。
それらは全て、たった一人の少年へと向けられたものだった。
人一人を殺すにはおよそ過剰すぎる災害の数々。生物の痕跡すら残るか怪しい猛攻。しかし、予想し得る結末には決して辿りつかない。
――荒れ狂う緑風が赤い炎を押しとどめた。少年が紡ぐ唄が波を凍てつかせ――紫電一閃、霊力を纏った斬撃が土塊を切り裂いた。
少年が弓に矢を番え、魔女に向けて狙いを定める。
「春風 青嵐 地に巡る稲妻」
少年の言の葉に反応するように黒鉄の矢が青く眩い光を放つ。その正体は雷、帯電する矢が空気を震わせ――弦音が響くときには既に落雷の音が鳴っていた。
「――流石にヒヤッとしたわ」
光が止み、音が止み、衝撃によって巻き起こった煙がようやく晴れた頃、感嘆を滲ませた声で魔女が言った。
「私の魔法を防いだ時点で賞賛ものだけど……重ねた魔術障壁が一撃で殆ど破られるとは……フランが気に入るのも分かるわ」
「だったら、もうお開きにしていいんじゃないか? 正直、あんたがここまで好戦的なのが意外だったんだが……」
少年――狐守創一は気だるげな様子を隠さずに言う。
鍛錬を積むこと自体は好きでもないが、嫌いでもない。魔術戦の練習として、魔女と刃を交えることにメリットがまるでないとまでも思わないが、しかしどちらかと言えば、手のうちを晒さないことに創一の天秤は傾くのだった。
「あら、釣れないことを言わないで頂戴。私だって戦いが好きなわけじゃないけど、鍛えた魔法を試す機会は欲しいわ。それが年に数度もないほど絶好調なら猶更ね」
そう言って、魔女――パチュリー・ノーレッジは微笑んだ。
(知恵を貸して欲しいという話から……どうしてここまで拗れるのだろうか?)
少しここに至る経緯を思い出しながら、創一は考える。
フランドールに目を付けられながらも、パチュリーにあくまで客人として紹介されたとこまでは良かった。後々、問題が降りかかるのは判り切っているが、まぁひとまずは無視できる。
「見返りもなく知識を提供する気は無いわ」彼女はキッパリと言い放った。問題はない、そんなことは当たり前で、勿論創一だってそれなりの対価を用意する算段があった。
癖はあるが創一の保有する魔道具、呪具の類は折り紙付きの性能を誇るし、東洋の魔術書もそれなりの蔵書がある。相手に敵視されず、交渉の余地があるならどうとでもなる、創一はその時点ではかなり楽観的に考えていた。
「――けど、それ以上に弱者にモノを教えたいと思わない」
風向きが変わってきたなと創一は思った。経験上、次の言葉は大体予想できる。
「あのフランが気に入った人間の実力、是非試させて頂戴」
ビンゴだった。どいつもこいつも舐めやがってと、顔には一切出さず、内心で創一は毒づいた。
戦闘行為そのものに対して意義を見出していない創一にとって、この手のやり取りはそれなりに苦痛である。また、手のうちを晒すことを厭わない連中の思考が、創一には全く理解できないのだ。
阿求が編纂する幻想郷縁起に、人妖達の能力まで記載されていたときは二の句を告げず驚いたものである。
そういうわけで、創一は魔女を相手にするのを避けたかった。が、状況がそれを許してくれない。
頼みの綱であるフランドールは「まぁ、それくらいならいいか。負けたら殺すからね」と早々に高みの見物を決め込み、魔理沙は「おっ、そいつはいい! 私の敵をとってくれよな! 相棒!」などと調子の良いことを言う。テメェは黙ってろ。
見捨てたことなど既に記憶から消しているだろう、魔理沙へのリベンジはひとまず後回し。創一は魔女パチュリーを満足させるべく、刀を抜く羽目になったのだ。
「何処ぞの尼僧と同じ身体強化の魔法に、風と雷……主要属性は木ね。次点で水……二重属性の組み合わせとしては典型だけど……だったら、これはどう対処するかしら?」
手に持った魔導書を開き、パチュリーが再び詠唱を始める。強大な魔力が周囲の空間を歪ませ、銀色の光が彼女の周囲で渦を作りあげた。
「――【シルバードラゴン】、私の金属性の魔法の中では最強の一撃よ」
銀光の渦が龍を形作り、咢を創一へと向ける。
「さぁ、いきなさい」
声に合わせて、まるで生き物かのように銀光が創一へと襲い掛かった。
五行相克。金(刃物)は木を切り倒す。パチュリーの見立て通り、木を主属性とする創一にとってその魔法への対処は困難。だが、
「――当たらなければ意味はないだろ」
銀の龍が図書館の床を粉砕した。が、そこに既に創一の姿は無い。肉体を強化し、風によって加速する創一は正に韋駄天、龍をもってして追いつくこと能わず。
「まぁ、それだけ速いなら受ける必要なんてないものね。でも、私の魔法はこれで終わらない」
銀の龍はまだ消失しない。再び創一に狙いを定める。そして、
「――パチュリー・ノーレッジが
パチュリーの言葉を受け、創一の体を推し進める風の力が急激に減退した。
「ッッ……!?」
創一は瞠目する。
(精霊によるジャミング!? くそっ、速度が出ない!)
歯噛みする創一を嘲笑うように龍が咢を大きく開いた。次は避け切れない。
「――勝負ありかしらね」
遂に足を止めた創一の姿に、パチュリーは勝利を確信して微笑を湛えた。が、その期待は弾け飛ぶ龍の体とともに容易く消え去る。
「なっ!?」
パチュリーは眼前で起こった出来事に目を見開いた。
天に輝く五芒星、そこから突如として射出された巨大な剣が龍を刺し止め、魔力を霧散させたのだ。
「
創一が印を結び、真言を唱えれば、再び召喚された巨大な剣がパチュリーに向って放たれる。大気を裂き、星の如く輝き迫るは荼枳尼天の宝剣。その凄まじい威力を察知して、パチュリーは防御へと専念した。
局所的に転換されるのは、七重にも及ぶ魔術障壁である。ガラスが砕けるような高い音が響く。一瞬にして三枚の障壁が破られた。少しだけ勢いを弱めた剣は、それでも四枚目の壁を砕き、
(ッ――ここが踏ん張りどころ!)
【シルバードラゴン】に打ち勝った一撃以上に、その剣に込められた霊力は強大だった。何度も連発できるような技ではないことは明らか。耐えきれば勝ち目は十分。
魔力を総動員して、パチュリーは残る障壁の強度を引き上げる。
「くっ……!」
五枚目の障壁が破られた。剣の切っ先が六枚目を刺し貫き――崩壊の音とともに、剣の進撃が止まる。
(よし! 耐えきっ――――)
難所を乗り切ったと、パチュリーの瞳に輝きが戻ったその刹那。無機質な声が響いた。
「やれ、
「はっ――――?」
巨大で、奇怪で、真っ黒な影が魔女へと覆い被さった。
◇
「勝ったやつにケチつけるようでなんだけどさ……使い魔はズルくない? 二対一じゃん」
フランドールが口を尖らせて言う。
「いや、式神は術者とセットだからズルくはない。大体、彼女も使役してただろ」
「シルフのことを言ってるのか? 精霊は使い魔とはまた別だと思うが……」
魔理沙の言葉に創一は首を横に振り、図書館内の一角を指さした。
「違う、アレを忘れてやるなよ」
創一の視線の先にあるのは、戦いの余波で崩れた本棚。その下敷きになって、赤髪の少女が白目を剥いて昏倒していた。
魔理沙とフランドールが何とも言えない表情を浮かべる。
「あー、そういやこいつも参戦してたんだっけか? すっかり忘れてたぜ」
「まぁ、「パチュリー様が出る幕もありません!」って啖呵を切った次の瞬間には、創一に顔面殴り飛ばされてたし……」
「ここまで脆弱だとは思わなくてな……加減すべきだったか?」
「いや、気にしなくていいわよ。仮にも私の使い魔、弱くても打たれ強さは中々だから」
服の汚れをはたきながら、パチュリーが物陰から姿を現した。服はボロボロだが、彼女の白い肌に傷は無い。
「もう動けるのか?」
「えぇ、お陰様で、簡単な治癒魔術だけで事足りたわ」
「最低限の手加減はお互い様だろ」
「そうね」
「私としては、二人とももう少し殺意を込めて欲しかったんだけど……」
創一とパチュリーのやり取りに、少々不満げな顔をするのはフランドールだ。
どうにも、勢い余って殺さない程度の加減が彼女のお気に召さなかったらしい。
「勘違いしないで。何も本気で殺し合えとまでは言ってないわ、ただもう少しやりようがあったでしょ。パチュリーは属性混合の魔術を使わなかったし……あなたもまだ全然手の内明かしてないと思うんだけど?」
じとりと、フランドールが創一を睨んだ。
「そう言われてもな……手札は伏せておいてなんぼだ」
「あっそ。いいわ、楽しみはとっておくことにしましょう。私の時はそうはいかないから……首を洗って待ってなさい」
とんと、創一の胸元にフランドールは指を突き付ける。
前途多難という文字が創一の頭に浮かんだ。流石に創一も苦い顔をせずにはいられない。現実を逃避するように、創一は視線をパチュリーへと移した。
「ところで、ご自慢の図書館が酷い有様だが……良かったのか?」
創一が訪れた時点で既に所々破壊の跡があったが、今は尚酷い。天井のシャンデリアのほとんどが砕けており、整然と並んでいた本棚は見る影もない。言うまでもなく、中の書物は床に散乱していた。
「心配ないわ、ここは私の領域だもの」
そう言って、パチュリーは手に持った一冊の本を開く。紙面から紫に光る魔法陣が浮かび上がり、溢れた魔力の奔流が解き放たれるようにちりじりに弾け飛んだ。
数秒の間を置いて、周囲の空間が歪み、鼓動を始める。砕けた硝子片、本棚、書物がひとりでに動き出し、まるで時間を巻き戻しているかのようにそれらが元の位置へと戻る。
すっかり本来の姿を取り戻した図書館を眺め、パチュリーは満足げに頷いた。
「ま、ざっとこんなものよ。中々の仕掛けでしょ?」
「あぁ、確かにこれは凄いな。復旧の魔術自体は珍しくないが……この規模のものはそうそうお目にかかれない」
「そうでしょうとも。これは私の魔術空間に、うちのメイドの異能を取り入れて作ったものなのよ」
「……メイド?」
創一はなんだかとても嫌な予感がして、思わず聞き返した。
パチュリーは特に創一の変化に気づくことなく、話を続ける。
「咲夜っていう子が居てね。時間操作の異能を所持してるのだけど、彼女の力を応用して、短い時間なら館内で破損した本を修復できる術式を図書館に刻むことに成功したのよ。おかげで、鼠を撃退するときに気兼ねなく強力な魔法を放つことができるようになったわ」
「なるほどな、だから今日のパチュリーはやたら強かったのか……くそっ、これじゃあ今後の本の回収に支障が出てしまう」
機嫌のよいパチュリーの解説に、横で聞いていた魔理沙が悔し気に拳を握りしめた。
創一は冷たい視線を魔理沙へと向ける。
「いや、俺が言うのもなんだがお前はちょっとは懲りろ」
「まったくもってその通りね。被害が減ったといえど、あなたの相手をするのは相応の負担なのよ。本当に改めて欲しいわ……って…………えっ?」
困惑の声があがる。ある一点を見つめて、パチュリーが顔を強張らせた。
「待って……嘘でしょう!? なんで……術式に誤りはなかったはず……」
ふらふらと、夢遊病者めいた足取りでパチュリーは本棚の一つに近づいた。震える手で彼女が手にした本、それは黒い表紙のように見えたが、よくよく注目すれば、焦げ付いて黒くなっているに過ぎないことが判った。
破損している本はそれだけじゃない。焼け焦げる、濡れる、凍り付く、あるいは千切れる、様々な損壊をおった書物が、周囲を見渡せば目に映った。
「おいおい、失敗したのかよ」
「いや、そんなわけは……咲夜の異能の効果が解けてる?」
「咲夜の能力ってさ、常に途切れることが無いようなものだっけ?」
狼狽するパチュリーにフランドールが尋ねた。
既にオチがある程度読めた創一は、もう止めてくれとフランドールに内心懇願するが、創一のような読心能力を持たない彼女に判る筈がない。
「基本的に途切れることは無いわ。彼女は自分で止めた時間の中で睡眠だって済ましているんだもの……あぁ、でも……事前の操作なしで意識を失った場合は例外だったかしら?」
「それ割と欠陥じゃない?」
「確かに完全なセキュリティとはいかないけど……そもそもあの咲夜が簡単に遅れをとるなんてないし……」
「でも実際、咲夜は魔理沙に負けたらしいよ?」
「はァ!? ちょっと待ってくれよ! 私は今日、咲夜に会ってすらいないぞ!」
「魔理沙を迎撃に行く途中で咲夜とは顔を合わせたから、間違いはないわね」
フランドールの言葉に、疑われては敵わないと魔理沙は叫んだ。パチュリーもまた、自分の記憶を頼りに魔理沙の無実を後押しする。
「えっ……でもじゃあ…………」
眉を顰めて困り顔を浮かべたフランドール。彼女はふと何かに気づいたように、視線を創一へと向けた。後の二人もそれにつられる。
「そういえばお前、私と別れた後はどうしてたんだ? 門番を突破した後、誰にも見つからないなんてありえないよな?」
「人の身でありながらあの実力……まぁ、可能ではあるわよね」
「へぇ……私のこと堂々と騙すとか……度胸あるね?」
「…………」
三者三様に問い詰められる創一だったが、彼は相も変わらず能面じみた顔を浮かべたままだった。無表情のまま、口を噤み続ける。
「……おい? どうした、何とか言えよ……」
不審に思った魔理沙が尋ねた。まさか、このまま黙秘を貫いてやり過ごすつもりなのかと。しかし、その予想は大きく外れることとなる。
「……待って、おかしいわ。
フランドールが叫んだ。
「目の位置が違うって……つまり、どういうことだ?」
魔理沙の疑問に直接答えることなく、フランドールは自らの手を創一へと向け、何か見えざる物体を力一杯潰すように握った。瞬間、創一の肉体がはじけ飛ぶ。かに見えたが……。
「……ホント、やってくれるわね」
不機嫌さを一切取り繕わない声でフランドールが呟いた。
彼女の視線の先で無残に四散したはずの少年、しかしそのグロテスクな光景は蜃気楼の如く消え去り、その場に残されたのは千切れた人型の紙片だけだった。
ぴきりと、フランドールのこめかみに青筋が浮かんだ。
◇
(やってられない……)
図書館を後にした創一は、少々暗鬱な気分に浸りながら館の廊下を歩いていた。ポリポリと煙草のような形をしたラムネ菓子を咥えるが、甘味をもってしてもいまいち気分は晴れない。
それもそのはずだろう。骨折り損というしかない状況なのだから。
どう考えたって厄ネタである吸血鬼に目を付けられ、門番やらメイドやらも敵に回したのだ。比較的交渉できたであろう魔女の方も運が悪い。知識を重んじる彼女たちが、魔導書を破損させられて平気な筈が無い。
創一の方にも色々と言い分があるが、少なくとも最早協力を頼める状況じゃないことは明らかだった。
(まぁ、そもそも自分の身内がやられたと知られた時点で詰みだよな)
幻想郷にまでついてきてくれた少女二人や、育ての親でもある神社の白狐たち。彼女たちが何者かに傷つけられたと聞けば、創一とて穏やかではいられないだろう。
(幻想郷の主要勢力を無駄に敵に回してしまった……マジで俺は何をやっているんだか)
どうにも、ここ最近冷静さを欠いている節がある。原因は考えるまでもない。稗田家で見た、鏡に映った光景が全てだ。アレを見てから、ずっと心がざわめいている。おかげで異能を使用していないにも関わらず、奥底から湧き上がる誰かの声が煩くて仕方が無い。
(屋敷に戻って、大人しくヘカーティアと連絡がつくまで待とう。あいつの知恵を借りれれば、怪異の正体にあたりをつけられるようになるはずだ)
そんなことを考えつつも、創一は周囲への警戒を一切緩めない。隠形の術はもとより、肉体強化で聴覚を鋭敏に研ぎ澄まし、自分へ近づく者が居ないことを念入りに確かめながら屋敷からの脱出を図るのだった。
(…………妙だな?)
違和感が創一の中で芽吹いた。
(あまりに静かすぎる)
侵入して間もなくは、屋敷の中はそれなりの喧騒に包まれていた。メイド服を着た妖精や、下男と思わしきゴブリンたちが練り歩いていたからだ。だが、彼ら彼女らの姿が今は見えない。一応、かなり離れた位置からそれらしい音が拾えるのだが……。
「――っ…………なるほど」
創一の視界に突如、赤い壁が迫る。否、それは壁ではなく赤い絨毯が敷かれた床だった。何の障害物もないところで、創一は盛大に転んだのだ。
衝撃で咥えていたラムネ菓子が零れ、コロコロと絨毯の上を転がってゆく。勿体無い。
じゃらりと音が響くとともに、足元に束縛感を覚えた。どうやら、いつの間にか鎖で足を縛られたらしい。
微かながら靴の音が創一の背後で鳴った。創一は素早く刀の柄に手をやり、背面に立つ何者かへと居合抜きで切りかかる。が、煌めく銀線は空を裂くだけにとどまった。
「……随分と、お早いお目覚めで」
自分を取り巻く状況を正確に察知して、創一は再度振り返った。予想通り、そこに佇むのは銀の少女。彼女の手に輝くナイフの切っ先のように、鋭い視線が創一を見下ろしていた。
まぁあの咲夜さんがやられっぱなしで終わるわけは無いですよね。