東方狐神録   作:パック

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二ツ岩の憂鬱

 

 

 

 初めてあの子供に出会ったのは、もう7年も前になるだろうか。

 

 神秘の薄れる現代において尚、絶大な信仰を保つ女神――宇迦之御魂神。その巫覡(ふげき)に新たに就いた人間がまだ十に届かない童と聞いたときは驚いたものだ。

 それも、既に血統が途絶えた筈の狐守家の者だという。

 

 冷やかし気分で久方ぶりに京の町を訪れてみれば、出会うのはそう難しくはなかった。

 

 「――化け狸が何のようだ?」

 

 青く冷たい瞳がこちらを見つめる。直感で判った、これは人の枠組みに収まる存在ではないと。我ら妖にとって、将来これ以上にない脅威になると。

 

 いっそ、今ここで芽を摘むという選択もあるのではないか、本気でそう思った。最も、その時点で既に、儂の力を以てしてもそう容易くどうこうできるものでは無かったが。

 

 ――何故、あのとき交流をもってしまったのだろうか。

 

 「なんだ、またお前か……」

 

 「そう邪険にするでない、ほら土産をやろう。甘味は好きか?」

 

 「餓鬼扱いするな、狐狸から貰ったものに口なんかつけられるか」

 

 儂の目に狂いはなかった。あの少年は実際、すぐに頭角を現して退魔師や妖たちの間に名前を轟かせた。

 

 「また活躍したそうじゃないか。どれ、お主の活躍譚を是非聞かせてくれんか?」

 

 「守秘義務がある。とっとと帰れ」

 

 「まぁそう言うな。今日は佐渡で一番うまい饅頭を持ってきたぞ」

 

 「ローカルで一番と言われても別に……いや、貰わないとは言ってない」

 

 かと思えば、存外子供らしいところもある。

 

 「今日は笹団子か……もなかの気分だったな」

 

 「黙れ餓鬼、可愛げがないぞ」

 

 少なくとも、世間で噂される程非人間的では無かった。

 

 「……また餡子か、どうせなら変わり種が良かったな。カスタード入りのやつ」

 

 「土産にケチをつけるなクソガキめ。大体わしは、チョコやカスタードなる西洋の甘味を混ぜた和菓子を認めとらん。餡はこし餡か粒あんの二択じゃ」

 

 「お前チョコ八つ橋を馬鹿にする気か? 表に出ろ、存分に呪いあおうじゃないか」

 

 表情変化こそ乏しいが、あの子供はそれなりに感情豊かだった。笑うときは笑うし、馬鹿もやる、冗談も口にする。

 しかし、周りの人間たちはソレを知っていたのだろうか。あの子供に助けられた者は多いが……彼らはあの子供のことをちゃんと見ていたのだろうか。

 

 「生傷が増えたな。痛むか?」

 

 「大したものじゃない。俺の治癒力が高いのは知ってるだろう」

 

 「それでも最近は傷が多いだろう。怪異が増える時期ではないはずだが……」

 

 「別に傷が増えたわけじゃない。ただ単に隠すことを止めただけだ。今までは厚手の服や化粧で誤魔化していたからな」

 

 何でもない様子で子供は語る。

 今まで気づかなかった事実に、何故だがわしは酷く動揺した。

 この子供はあくまで警戒対象である筈なのに。それだけの筈なのに。

 

 「っ……何故そんなことを?」

 

 「主人の目に見苦しい姿を晒すわけにはいかないだろう? まぁ、結局バレてしまった上に、烈火の如く怒らせてしまったがな。また、あの方を悲しませてしまった」

 

 「……あの女神は、それだけお主を大切に思っているということじゃ」

 

 「言われずとも知ってるさ。傷つかず、あの方に心配をかけないで、人を助ける……理想は遠いよ」

 

 あの子供は僅か十の齢で大妖に数えられる存在を打ち滅ぼし、それを皮切りに無数の偉業を積み立て始めた。

 

 500年続く呪いの因果を経ち切った。

 大怨霊を鎮めた。

 天翔ける龍を射殺した。

 堕ちた神に引導を渡した。

 地獄の門より来る百鬼を鏖殺した。

 

 その中には我が故郷、佐渡を救ったことも含まれている。

 

 「黒狐か……また妙な通り名をつけられたな」

 

 儂の言葉に子供が振り向く。また少し、背が伸びたようだった。

 

 「その名前……お前ら妖怪の間にも広まってるんだな」

 

 「どういう意味じゃ? おぬしが妖たちに恐れられるようになった証拠じゃろ?」

 

 「その名前を付けたのは同じ人間だ。ただのつまらない陰口さ」

 

 「っ……それは……!」

 

 儂は絶句した。

 決して白になることはできない色、異端の色。

 狐守の血縁者では無い。来歴不明の養子、人かどうかも疑わしき存在。

 

 誰よりも人を守るために傷つき戦って、得られるものは賞賛ではない。懐疑の目だ。

 鬼子、狐の子、異端の当主、白狐に成れない黒狐。神の眷属として、相応しくない者。

 

 口さがないものたちは、囃し立てる。それがどんな恥知らずな所業かも自覚せずに。

 怒るでもなく、悲しむわけでもない、何処までも淡々とした少年の態度に、あの時儂は心底腹が立ったのを覚えている。

 

 

 ――何故、おぬしがそのような扱いを受けねばならない。

 

 

 儂はあのとき、あの子供にどんな言葉をかけてやれただろうか。

 

 

 

 

 

 

 「――いつか、あの子を自由にしてあげたいのです」

 

 神社の縁側で、白狐たちを統べる女神はそう呟いた。

 白金の長い髪が穏やかな風に揺られる。覗く翠玉の瞳がこちらを見た。

 

 「あの子はもう何処へだって羽ばたけるのに……私がそれを縛ってしまっている」

 

 「そうは言うがのう、おぬしに仕えることがあ奴の望みでもあるんじゃないのか?」

 

 「望みですか……私が思うに、あの子はまだ本当のソレを見つけられていないのです。そして、きっと私の元にいる限り、それは永遠に……」

 

 目を伏せて女神は言い淀んだ。

 

 「だから、創一を自由にしたいと? まぁ、言わんとすることは理解できるが……むしろ、酷いことになりそうな気がするぞ。あ奴は聡いが愚か者じゃ、自ら茨の道に進む未来が見える」

 

 「かもしれません。でも、意外とその辺は大丈夫だとも思うんですよ」

 

 「……根拠は?」

 

 儂の問いに女神は微笑を浮かべる。同性でも思わず見惚れるほどの可憐さだった。ゆっくりと口を開き、女神は鈴の音のような声で告げる。

 

 「――貴方のような方が居るからですよ」

 

 「っ!ふざけておるのか?」

 

 「大マジです。あの子のこと、これからも気にかけてやってくださいね」

 

 見据える瞳は何処までも真っすぐで、こちらの方が居心地が悪くなってしまうくらいだった。

 

 「はん、何を言うかと思えば……化け狸にそんなこと頼むものじゃないぞ」

 

 「そうですかね? 私は貴方は信頼に足る方だと思いますよ」

 

 「……まぁ、泥船に乗ったくらいの期待でいてくれ」

 

 我ながら、不出来な返しだったと思う。儂の心情は、あの女神にはきっとお見通しだったのだろう。

 主従揃って恐ろしい。簡単にこちらの真意を見通してくるのだから、たまったものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 温かい照明が店内を照らしている。

 客はたった二人だけ。しかし、そのうちの一人がとんだ大酒呑みのせいで、店を預かる看板娘は調理場であくせく動いている。

 

 「――魔王の小槌なら、打ち出の小槌と同様のことができる。でもって、今や小槌は幻想郷の中にある」

 

 「在処の検討はついておるのか?」

 

 「おいおい、流石に欲しがり過ぎだろう? お前さんから貰った美酒もこの通り、飲み切っちまった」

 

 空になった酒瓶を逆さにして、大酒呑みの少女は笑った。彼女の頭部に生えるのは立派な二本の角。

 大っぴらに妖怪が出歩くことを咎められる人里といえど、この時間帯、この場所だけは特別だった。

 

 「そうか、なら次のものを――」

 

 外で子分の狸を一匹待たせてある。先ほど彼女に渡したもの程上等なものは用意できないが、それなりのものだったら子分を走らせ、買わせてくればよい。

 だが、少女は意外にも首を横にふった。

 

 「いらん、酒は大好きだが、今日は別のものを所望したい」

 

 「? 何じゃ、珍しい。まぁ、いいじゃろう、言ってみろ」

 

 まさか鬼が酒以外を望むとは、少々訝しく思うが、頼みごとをしているのはこちら側だ。ある程度のわがままを受け入れる準備はあった。

 

 「――最近、人間の男とつるんでいるらしいな?」

 

 獲物を見つめるような目つきで、鬼が口角を上げた。

 どくりと、心臓が強く鼓動する。

 

 「はて、誰のことじゃ? 儂はおぬしと違って、人と良い関係を保てるからな。候補が多くて分からん」

 

 こちらも伊達に長生きをしていない。儂はあくまで平静を装う。しかし、相手は鬼神だ、嘘に滅ぼされかけた末に、嘘を憎み、嘘に敏感になった者たち。

 

 「とぼけるなよ、随分若くて見目麗しい男だそうじゃないか? 是非、紹介してくれよ」

 

 案の定、相手は追撃を止める気配がない。

 まずいことになった。

 

 「なんじゃおぬし、童のような成りをしておるくせして、相当飢えておるのか?」

 

 「ははっ、安い挑発だな。別にいいだろう、そう悪いようにはしない。ただ、興味があるんだ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 瞳が鋭く細められる。

 空気が冷え込み、幾分か重くなった。

 鬼の小さな体躯から、膨大な妖力が漲り始める。

 

 「……そう睨まれたところで、儂の答えは変わらんよ」

 

 そう言って、儂は盃に注がれた清酒に口をつけた。酒精が喉を焼くが、肝心の酔いはちっとも回らない。まぁ、この状況なら仕方ないだろう。後でまた呑みなおせば済むことだ。

 

 「ふーん、なんというか……本当に驚いたな」

 

 一転して、何処か感心したように鬼は言った。

 

 「何がじゃ?」

 

 「いやさ、お前がそこまで庇いだてするとは夢にも思わなかったから。ますます会ってみたくなってねぇ、その人間に……」

 

 鬼はにやにやとした表情を浮かべる。本当に面倒な手合いだ。

 仮に、儂の口からあ奴のことを話したところで、大した問題はないだろう。あ奴ならば上手く切り抜けて見せるはずだ。しかし、

 

 (……泥船くらいの働きはせねばなるまい)

 

 ため息を一つ吐き、儂は懐からソレを取り出した。手痛い出費であるが、この際仕方が無かった。

 

 「ん、何だいそれは?」

 

 興味深そうに、鬼は儂が広げたソレに注目する。

 

 「強い妖気……それに随分懐かしい感じがするな。さては古い妖物の類か?」

 

 「ご名答。これは儂の蒐集物の中でも国宝級の代物じゃ、名を『私家版百鬼夜行絵巻・最終補遺』」

 

 「へぇ、面白いな。しかもこれは……相当強力な鬼が宿っているじゃないか」

 

 貸本屋鈴奈庵をきっかけに、かつて起こった怪異騒動。その解決の末に手に入れた呪物だった。思えばこれも、付喪神に所縁あるものか。

 

 「残念ながら、おぬしの言う男とやらに心当たりが無くてな。期待には到底応えられそうにない。じゃから、どうだろうか? この呪物で一つ、手を打って貰えんかのう?」

 

 「これを手放してでもか……ますます気になるが、これ以上が無粋なことは流石に判ってる。いいだろう、教えてやるさ」

 

 妖気と圧を抑え、鬼はニヤリと笑う。

 

 「魔王の小槌は鬼道丸が所有してたんだ」

 

 「何!? あの異変の首謀がか!?」

 

 「あぁ、けど今は違う。ちと事情があってね……異変が解決した後、あいつを弔おうとしたんだが……」

 

 

 

 

 

 

 雲が流れ、露わとなった満月が夜を照らしていた。

 少し離れたところから聞こえてくる激しい音は、戦いがまだ続いていることを示している。頭目である鬼道丸の死に殉じ、最後まで戦う覚悟がある者は、そう少なくなかった。

 

 少し開けた場所。周囲の木々や岩が砕け、地面は焼け焦げていたり、陥没している箇所が多々ある。激しい戦いの痕跡だった。

 

 「そこに居るのは誰だ!?」

 

 鋭い声が呼び止める。目を向ければ、少し離れたところに見知った顔がいた。

 

 「……おや、これは失礼。萃香さんでしたか」

 

 主人と同じ金紗の髪、揺れる九つの尻尾。

 

 「なんだ、誰かと思えば藍か……一体ここで何を?」

 

 「事後処理ですよ。彼の遺体をそのままにしておくわけにも行かなかったので」

 

 そう言って藍は視線を移す。その先には、闇夜に目立つ白い布地に覆われた何かがあった。人型のソレの正体を、萃香は無言で察する。

 

 「萃香さんは彼を弔いに来たのですか? 少し意外ですね、てっきり夜行の残党を処理するのを優先すると思ったのですが……」

 

 「ん? あぁ、まぁ最初はそうしようと思ったんだけどさ。あっちでは霊夢や勇儀が頑張ってるみたいだし、私まで出張ると少しな……あまり多勢に無勢になるのも気が滅入る」

 

 「そうでしたか。同じ鬼として、さぞ複雑な心境なのでしょう。私も一妖怪として、抗おうとする彼らに思うところはあります」

 

 神妙な顔で藍は言う。

 

 「勿論、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……何かを斬り捨てなければ、秩序は保てませんから」 

 

 

 ――――嘘だ。今一瞬、嘘の匂いがした。

 

 

 全てが偽りであったわけではない。だが、確実に……

 

 「……一つ聞いていいかい?」

 

 静かな声で萃香は問いかける。

 

 「はい、何でしょうか?」

 

 「今回の異変、背景にあるものをお前も知っていると思う。これは今までのツケが回ってきた結果だ。それを踏まえて――お前はまだ紫に忠誠を誓えるのか?」

 

 八雲藍は優秀な式神だ。類まれなる能力を有している。しかし、それはあくまで術者である紫の想像を超え得ないものだ。以前、紫にそう愚痴られたことを覚えている。

 主人に逆らうどころか、まともに疑問すら抱かない。それ故に、あと一歩のところで至らない、主人の望みに届かないのが八雲藍という式神であった筈だ。

 

 「何をおっしゃるのかと思えば……萃香さんらしくもない。当然、私の紫様に対する忠誠に揺らぎは――――ッッ!?」

 

 狐の言葉は続かなかった。

 地を踏み蹴り、疾風となって肉薄した萃香が、拳を振り抜いたからだ。音を置き去りする拳は狐の腹を貫いた。

 

 「あぐッ…………‼?」

 

 腹部に風穴を開けて尚、小さな鬼神は容赦を見せなかった。重傷の狐を地に叩きつけ、今度は森の方角へと投げつける。

 木々を幾つもへし折って、ようやく止まった狐の前に、萃香は上空から舞い降りた。

 

 「ふむ、ちとやり過ぎたか……問い詰めようと思ったんだが……」

 

 狐は既に虫の息だった。手足があらぬ方向に折れて、短い小さな呼吸の間に、血塊を吐き出している。

 

 「思った以上に柔い、やっぱり藍じゃないな。紫の式なら、もう少し楽しめただろう」

 

 「……ぅ…………っっ」

 

 狐は口を動かすが、それは言葉にならない。

 

 「……仕方ない、今楽にして……なんだ?」

 

 萃香は目を疑った。ずたぼろの狐の姿が、陽炎の如く歪んだのだ。霧が晴れていくように、萃香の目に映る光景が変わってゆく。見知った顔は消え去り、知らぬ女の顔となった。九つの尻尾も無くなり、代わりの尻尾が一本、それも狐のものではなく……

 

 「……お前、化け狸か」

 

 狐狸の得意とする変化の術。瀕死になったことで術が解けたのだろう。何故化け狸が狐に化けていたのかは知らないが。

 

 「っ…………バレてしまうとは、不覚ですね」

 

 自嘲するように狸は笑った。

 

 「なんだ、まだしゃべる余力はあったのか。好都合だね、何を企んでいたか洗いざらい吐いてもらおうか?」

 

 「ふふ、それは無理な相談ですね、伊吹萃香殿」

 

 そう言って狸は立ち上がった。先ほどまで虫の息であったことが嘘だったように。折れていた筈の四肢は正常に機能し、貫かれた筈の腹部の穴は完全に塞がっていた。

 

 「どういうことだ? 確かに手ごたえはあった」

 

 不可解な出来事に、萃香は眉を顰める。

 

 「えぇ、そうですね。とても痛かったです。いきなり殺意を剥き出しにされるのは予想外でしたよ……おかげで()()のが遅れましたからね」

 

 「願う? お前は一体何を……?」

 

 「この素晴らしい秘宝のことですよ」

 

 言いながら、狸は腰の背嚢から小さな鎚を取り出した。

 

 「ッ――!? それは、魔王の小槌!? 追剥が目的だったのか!?」

 

 萃香の目に驚愕が浮かぶ。だが、それは直ぐに激情へと変わった。

 

 「奴に引導を渡した者なら兎も角、ソレはお前が持っていてよいものではない。骨も残ると思うなよ――木っ端狸めがッ!!」

 

 萃香の小さな体躯から、空間を揺るがす程の濃密な妖力が溢れ出す。対面する者の心臓すら止め得る重圧。だが、

 

 「恐ろしいですね。思わず震えてしまいそうです。最も、あの夜に比べれば、幾分マシですが……」

 

 圧倒的な実力差を前にしても、狸は何処か余裕そうに振舞った。その自信は彼女の手にある小槌への信頼からだろうか。それとも、鬼神以上の暴威を前にした経験があったからだろうか。

 

 「あの致命傷を一瞬で直した小槌の力。これをあの方に献上すれば、我らの宿願は必ず叶うでしょう。ですから、邪魔だてはしないでもらいたいですね、萃香殿」

 

 「黙れ、ふざけたことを抜かすな!」

 

 一筋の風となって、萃香は狸目掛けて突貫する。放たれる鬼の拳、しかし、それは狸へと届く直前に何かに阻まれた。

 

 「――ッ、何だ!? 結界か!?」

 

 瞠目する萃香。嘲笑うように狸は口を歪めて、

 

 「――退け」

 

 手にした小槌を振るった。

 

 「がッッ!?!」

 

 爆発的な衝撃が萃香の小さな体を襲う。彼女の体が、幾つもの生木をへし折りながら吹き飛ばされた。地を転がり、濃い土煙を立ち昇らせて、ようやく少女の体が止まる。

 頑強な鬼の肉体に、傷は一つとして無い。だが、

 

 (立てない……というより立ち上がる気が起きないな。ダメージは無いが……これが魔王の小槌の力か……)

 

 以前交わした鬼道丸との会話が萃香の脳裏に浮かんだ。 

 打ち出の小槌と同種の願望機。その力は、大妖怪と呼ばれる怪物たちであろうとも容易には抗えない。

 

 (私から逃げるという願望を叶えるために、私の気力を奪い、一種の封印状態にしたわけだ。渡辺何某が、華仙の腕とともに邪気を縛ったのと同じようなもんだな)

 

 しばらくその場で横になっていれば、不意に萃香の体に力が戻った。立ち上がって、萃香は狸が居た森の方向を睨む。

 

 「……糞ったれ、この借りは必ず返すからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……ってなわけだ。一応探したが、やっぱり既に狸には逃げられた後だった。まったく、鬼道丸も厄介な道具を残したもんだ」

 

 「…………そう、だったのか……」

 

 萃香は愚痴を零しながら、運ばれてきた肴に手を伸ばした。

 彼女の口から語られた事実はあまりに予想を超えていて、動揺を上手く隠し通すことができない。

 元よりほとんど酔っていなかったが、完全に酒が抜けてしまった気分だ。

 萃香の瞳がじろりとこちらを見つめる。

 

 「私はお前さんの関与を疑っていたんだが……その様子じゃ違うようだね」

 

 当てがすっかり外れたと、萃香は肩を竦めた。

 

 「この郷の狸たちは概ねわしの配下じゃが……そんな女は知らんな」

 

 「ふーん、狸の大将と言ってもそんなものか」

 

 「言うてくれるな。はぐれ者は何処の世界でも居るものじゃ。お主だって、その一人じゃろうが」

 

 「はっ、確かに違いないね」

 

 儂の指摘に萃香は笑って見せた。

 小槌を奪い去った狸、その正体には一応心あたりがあった。最も、的中して欲しくはないが。

 儂は勘定を机に置いて、席から立ち上がる。

 

 「何だ? もう帰っちまうのかい?」

 

 「あぁ、その所属不明の化け狸とやらを調べなければいかん。お主のように儂を疑う輩が増えても困るのでな」

 

 「そうかい。じゃあ、最後に一つ善意の忠告をしといてやろう」

 

 「何じゃ?」

 

 儂は眉を顰める。酔っ払い鬼の忠告などあまりあてに成りそうにはないが、ここで無視して機嫌を損ねる結果になるのもまた面倒なので、彼女の言葉を聞くしかない。

 

 「妖怪ってのはさ、結局のところ人間の天敵だ。何処までいってもその性質は変わらない。お前さんもそれくらいは判っているだろう?」

 

 「無論じゃ。しかし、何故今そんな話を――」

 

 「――人に絆された妖は脆い。致命的なほどにな」

 

 鬼の瞳が、見定めるように儂を射貫く。

 

 「諦めなよ。()()が……()()()()()になることはできない」

 

 確信を伴った、重い言葉だった。儂は思わず笑ってしまう。

 

 「……ふん、何を言うかと思えば……知っておるさ。儂をあまり舐めるでない」

 

 そう、言われずとも知っていることだ。全てを了承した上で、儂は……

 

 「そうかい、悪かったね。それじゃあ、良い夜を」

 

 「お主もな」

 

 ひらひらと手を振って、儂は店を後にした。

 

 

 

 

 

 考えなければならないことがあまりに多い。儂は店の近くで待機させていた子分を伴い、思案しながら帰路につく。

 見上げた夜空で、不完全に満ちた月が輝いていた。

 

 魔王の小槌が持つ圧倒的な力。それを欲しがる者は少なくないだろう。群れに属せないはぐれ者が力を求めて小槌を欲した、そんな筋書きだったら大した問題じゃない。しかし、

 

 (口ぶりからその狸は誰かに小槌を献上しようとしていた……つまり、組織ぐるみの犯行だったはず。しかし、儂以外に化け狸を使役するものなど……)

 

 誇り高い化け狸に命を下せる者となると、同じ化け狸である可能性が高いだろう。加えて、この狭い幻想郷で、特別力を持った化け狸をわしが知らぬことはあり得ない。

 

 (あの方と言うのは……おそらく、外からやってきた高位の化け狸の可能性が高い。佐渡を除いた勢力……屋島に淡路、そして――――四国の()()()())

 

 それはかつての因縁の相手だ。屋島を併合し、勢いをつけた奴らはその魔の手を佐渡へと伸ばした。傍観を決め込む淡路の勢力に助力は期待できず、戦況は圧倒的に不利。

 屋島のように彼らの軍門に下り、ともに人間達に反旗を翻すか。抗い、妖の裏切り者として彼らに滅ぼされるか、残された二つの道にはどれも救いようが無かった。だが――

 

 

 『――何故、お主は儂らに力を貸してくれる? まさか、儂に惚れたというわけもあるまい?』

 

 脳裏に、あのとき少年と交わした会話が鮮明に浮かびあがった。

 

 『冗談じゃない、年増は趣味じゃないんだ』

 

 『お主……そこはもう少し可愛げのある受け答えをだな……』

 

 『お前との付き合いもそれなりに長い。俺にそんなものを期待をするな」

 

 『確かに、お主はそういう奴じゃった』

 

 儂は苦笑する。此奴は初めて会ったときから何も変わらない。多くの悪意に晒され、傷つきながら戦いを続けて尚、あの時と同じように振る舞ってくれる。それが、妙に心地良かった。

 

 『お前らに力を貸すと決めた理由は二つ。一つは、お前らが佐渡の人々に必要とされてるからだ」

 

 高台から佐渡の街並みを見渡しながら、少年はそう口にした。

 

 『奴らと違ってお前らは鉾を捨て、共生の道を選んだ。だから、この島は随分居心地がいい。怪異を知らない人間も狸の存在を敬い、またお前ら狸も人を想っている』

 

 少年はこっちに振り向いた。宝石のような青い瞳が、こちらを真っ直ぐに見つめた。

 

 『お前は間違ってなどいないさ。この島を取り巻く感情がその証拠だ。だから、お前もいつも通り胸を張っていればいい。その感情()は、お前には似合わない』

 

 少年は穏やかに笑う。

 佐渡の朝日を受ける彼の姿は何処か絵画的で、その一面を切り取って、永遠に閉じ込めてしまいたい程に美しかった。

 

 『……二つ目は?』

 

 儂の問いに、少年は顎に手をあてて、考えるような素振りを見せてから答える。

 

 『……ここの土産が割と美味いからとか?』

 

 『おい、それはお主……色々と台無しじゃろうが……まさか、そっちの方が割合多いとかないよな?』

 

 『どうだと思う? なんて、流石に冗談だよ』

 

 イタズラっぽい顔を浮かべる少年。儂は眉を顰めた。

 

 『お主は感性がズレておる上に真顔で冗談吐くから本気かどうか分かりにくい』

 

 『そうか? 俺の行動は割と単純だと思うが……気に入った場所だから守りたい。そして――――』

  

 一転して神妙な顔を浮かべ、少年は儂の手を取った。それを自身の胸元へと運び、まるで祈るように、宣誓するように、彼は凛とした声を響かせる。

 

 『――――友人だから手を貸したい、これはただそれだけの話だ』

 

 再び少年は微笑を浮かべた。

 

 『……やはり、お主は恐ろしいやつじゃよ』

 

 儂は静かにつぶやく。

 少年が敵に回らなくて本当に良かったと思う。なにせ、こんなにいとも容易く此方の心を乱す手合いだ。逆立ちしたって勝てそうに無かった。

 

 

 『――人に絆された妖は脆い』

 

 

 ――あぁ、知っているとも。

 

 

 『妖は人の味方になることはできない』

 

 

 ――それも知っている。少し都合が変われば、儂はあ奴の敵になる。その程度の関係だ。化け狸である儂が人の味方などできるわけがない。

 

 

 ――けれど、今だけは……人の味方には成れなくとも……あの子供を余計な争いから遠ざけることくらいは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…………菊丸よ」

 

 「はい、何でございましょうマミゾウ様」

 

 儂は隣を歩く子分の名を呼んだ。

 彼は幻想郷出身ではない、儂と同じ佐渡の化け狸である。古株であり、創一のことをよく知っている人物でもあった。

 

 「此度の一件、四国の狸どもが絡んでおるやも知れん。警戒を怠るな」

 

 「御意。創一殿に頼まれていた調査の件はいかがしましょう?」

 

 「大まかには伝える。しかし、連中に関しては……儂らの問題だ。人を関わらせる問題ではない」

 

 「……左様で御座いますか」

 

 「何じゃ? 何か言いたいのか?」

 

 「いえ、滅相も御座いません。僭越ながら、心中お察しします。ただ……あの方をどうやって謀るので?」

 

 「儂を誰だと思っとる?」

 

 「偉大なる化け狸の大将にして、二ツ岩明神――二ツ岩マミゾウ様でございます」

 

 「そうじゃ、お主らの大将の力を侮るな。人間一人、騙して見せるさ」

 

 それができなければ、あのお節介な子供はまた渦中に飛び込むだろう。そして傷つき――()()()()()。外の世界の二の舞を演じさせるわけにはいかなかった。

 

 (創一よ、お主はどうしようもない愚かな者じゃ。放っておけば勝手に破滅する。救いようも救い甲斐も全く無い馬鹿じゃ。それでも……)

 

 あの子供は愚かで聡いから、周囲の期待に応えようと振舞うだろう。身近な人間が彼の幸福を望めば、その願いが叶うように努力し、却って無理をする。

 

 正に悲劇的で、致命的だ。結果として誰も幸せにならない。だから、儂は絶対にソレを言葉にすることは無いだろう。

 

 (それでも……儂もまたお主の幸福を望もう)

 

 いつか、彼の隣を歩けるような人物に出会えたら……あの馬鹿を無理やり引っ張れるような者が居てくれたら、きっと……

 

 (そのいつかのために、儂は力を貸そう。昔、お主がそうしてくれたように……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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