描いたショートストーリーです。
ライスシャワーという競走馬の史実を元に、ゲーム・アニメ様々なメディアをミックスさせています。
一つのウマ娘パラレルワールドとして楽しんでいただけると幸いです。
緑風吹き抜ける淀の競バ場。
最終レース・天皇賞春の最後の直線に、一人のウマ娘が飛び込んできた。
彼女は1年近くもの間、勝ち星を上げていなかった。
大きな怪我も経験し、少し前まで休養していたということもある。
誰もが、もう彼女は【終わったウマ娘】だと思っていた。
そんなウマ娘が……ライスシャワーが、先頭に立った。
『さあ、最後の直線勝負。先頭はライスシャワー、ライスシャワーが先頭!いやあ、やっぱりこの娘は強いのか……』
実況席で、アナウンサーが声を張り上げる。
ミホノブルボンの三冠を阻んだあの菊花賞も。
メジロマックイーンの三連覇を阻んだあの天皇賞・春も。
実況したのは、彼女だった。
それこそあまり大きな声で言えたことではないが……3000Mを超えると小憎たらしいほどの強さを発揮し、ヒーローたちを完膚無きまで打ち倒すライスシャワーが、彼女はあまり好きではなかった。
それなのに、今彼女の中に去来するこの熱い気持ちは何なのだろう。
残り200M。
残り100M……!
そこに来て、なんとか先頭を守りきろうとするライスシャワーの脚色が急に悪くなった。
そして大外からライスより年下の、伸び盛りのウマ娘が彼女に襲いかかる。
ものすごい脚だ。
勢いは完全に外を走っていたウマ娘の方にある。
ほとんど同時に、二人がゴール板に飛び込んだ。
勝ちを確信しているのだろう、外側を走っていたウマ娘が大きな勝鬨を上げる。
しかし、実況席にいた彼女はそれを見逃さなかった。
『1着はライスシャワー、ライスシャワー1着!おそらくおそらく、ミホノブルボンもメジロマックイーンも喜んでいることでしょう。ライスシャワー、今日はやったー……』
担当しているウマ娘がターフに倒れ込んだのを見たトレーナーは、居ても立ってもいられなくなって観客席から柵を超えてバ場に進入すると、長年連れ添っているパートナーのもとに駆けつけた。
「と、とにかく酸素を!ライス、ライス!大丈夫!?」
目を閉じて荒い呼吸を繰り返すライスシャワーに、トレーナーは大きな声で呼びかける。
「お姉さま……」
うっすらと目を開けたライスシャワーが、弱々しい声でそれに答えた。
「ライス!よかった、すぐに酸素吸入を……」
「ライス、勝ってるよね……?」
自分の体のことよりも、レースの勝ち負けの心配が先に立つ。
普段は少し気弱で、優しすぎるところがあるライスシャワーもやはり一廉のウマ娘なのだ。
一流の、ウマ娘なのだ。
「ええ、春の盾はあなたのものよ。あなたは、最強のステイヤーだもの!」
涙ながらにライスの手を握り、トレーナーは最高の結果を残してくれた相棒に事実を伝える。
それを聞いたライスシャワーは安心したかのように瞳を閉じ、それでもとめどなく流れる涙をそのままにして意識を手放したのだった。
幸いライスシャワーは迅速な措置の甲斐もあり、競バ場内にある医務室ですぐに意識を取り戻した。
「ライス!よかったわ。大丈夫?」
「うん、ライスは大丈夫だよ。……お姉さま、ライブは……」
まったくこの娘は。
自分がぶっ倒れたというのに、こんなときにまで人と周りの心配だ。
「それどころじゃないでしょう?今回は残念だけど……」
「ライスはもう、なんともないよ。ほら」
そういってライスシャワーはベッドから身を起こし、よろよろと床に足をつけゆっくり立ってみせる。
「あ……」
しかしもう立っているだけの体力も残っていないのか、すぐにベッドの上にへたり込んでしまった。
「ほら見なさい。私の方でスタッフさんたちには伝えておくから……」
そういって立ち去ろうとするトレーナーの服の裾を、ライスはきゅっと掴む。
「ライス……」
「お姉さま、まだライブまでには時間あるよね?ライスは、少し休めば大丈夫だから……」
「……時間になっても大丈夫じゃなさそうなら、ムリにでも連れて帰るからね?」
呆れたようなトレーナーの答えを聞いたライスシャワーは、その視線から逃れるようにベッドに潜り込んでスースーとわかりやすい寝息を立ててしまった。
ああ。
どうして自分はこう、ライスには甘くなってしまうのだろう。
数ヶ月前に大怪我をして引退を勧めたときも、普段は素直すぎるぐらい素直なライスが頑なに首を縦に振らないことに折れて、復帰までの長い長い道程に付き合う羽目になったのに。
まあ、それが今日の復活劇につながったわけだが……彼女のレースの勝ち負け以上に、きっと自分は見届けたいものがあるのだろう。
本当は戦うことがあまり好きではないライスシャワーというウマ娘が、自らの意思で運命という強敵にどう立ち向かい、戦い抜き、どのような結末を迎えるのかを。
最後まで心配したトレーナーを優しく説得し、結局ライスシャワーはステージに立った。
重バ場だったターフに倒れ込んだせいもあって勝負服はドロドロだったし、歌も呼吸が整わず調子を狂わせっぱなし。
やはり脚に疲れが来ていたのだろう、簡単なステップでライスは2回転んでしまった。
それでもライスシャワーは、ステージを踊り切った。
そんな不格好で泥臭いステージに観客は精一杯ペンライトを振り回し、割れんばかりの拍手をライスシャワーに送る。
後にこの様子を動画で見たスマートファルコンはこう言った。
『私はこれほど人の胸を打ったLIVEは見たことがない』
感動の、復活の天皇賞から数日後。
ライスシャワーに朗報が届く。
宝塚記念の人気投票で、一位を獲得したというのだ。
もう終わったウマ娘だ、と思われていたライスシャワーが持てる全てを振り絞り、3200Mという長い距離を走り抜いた末に勝利を手にした姿が、多くの人達の心を打ったようだった。
ただ、トレーナーの心境は複雑だった。
だってもう、ライスの体は……
「終わりに、しましょう」
ライスシャワーをトレーナー室に呼びつけた彼女は、開口一番そういった。
「えっ……」
実の姉のように慕い、信頼しているトレーナーの一言に、ライスシャワーは驚きに目を見開いて硬直する。
「あなたは、菊花賞も獲った。天皇賞も2回獲った。もう充分でしょう」
「…………」
ライスシャワーはもちろん、こちらの言いたいことを分かってくれている。
でも彼女は悲しそうな目で、こちらをじっと見つめるだけだ。
ウマ娘がレースを走ることは、決してノーリスクではない。
トレーニング中やレース中に大怪我をして、一生残るような障害を負ってしまうウマ娘もいる。
そして数は少ないが……不運に不運が重なり、そういった事故で亡くなってしまうウマ娘すらいるのだ。
ウマ娘の身体能力についてはまだまだ謎に包まれている部分のほうが多いのだが……衝撃に対する耐性や病気への免疫などは、文字通り人間離れしたそのスピードを生み出す脚力を除くと、普通の人間の体とそれほど変わらないことが分かっている。
生身の人体ほどの強度で車と変わらないスピードで走り、レース中に転倒したり、ウマ娘同士の接触があったとしたら……そういった不幸を完全に避けることは難しいだろう。
そういう取り返しのつかないことになる前に、ライスシャワーには平穏な生活を与えてやりたい。
幸い、彼女はG1を3勝もした名バだ。
たとえレースから身を引いたとしても、特別報奨金でトレセン学園の高等部卒業まで通うことができるし、大学に進学するときもそれなりに有利な条件で進学できることだろう。
なにかやりたいことがあるなら、それに没頭するのもいい。
それに……ライスは、あれだけ愛らしい美少女だ。
素敵な男性と恋をして、結婚し、家庭を持つ。
そんな当たり前の未来が、あってもいい。
頑張ってきたライスには、そうした幸せな未来が与えられてしかるべきだ。
もう自分は、十分にライスに与えてもらった。
ライスシャワーにはこれから先、彼女の名前にふさわしい幸せな人生を絶対に歩んでほしい。
そうしたことを考えるといくらファンあっての競バで、人気投票が一位だったとはいえ……大怪我の経験もあるライスシャワーに、これ以上リスクを背負わせる気にはとてもなれなかった。
ファン人気投票一位のスターウマ娘が、トレーナーの独断でドリームレースの宝塚記念を回避、引退。
ファンやマスコミからはバッシングを受けるだろう。
でもそれは、甘んじて受けようではないか。
それでライスに幸せな生活を与えられるなら、いかほどのことでもない。
「でもお姉さま。その……せっかくたくさんのファンの人達がライスに投票してくれて……応援してくれるわけだし……ライス、宝塚記念に出たい。本当に、宝塚記念を最後にするから。お願い、お姉さま」
しばらく押し黙っていたライスシャワーが予想通りに現役続行、宝塚記念出走を希望する。
前回の大怪我のときは押し切られてしまったが……今回ばかりはたとえ口論になってしまったとしても、トレーナーはライスに引導を渡すつもりでいた。
少々厳しい論調になってしまったとしても、だ。
「あのね、ライス。はっきり言うけどあなたの体は、もうレースに耐えられないの。天皇賞は、なんとかあなたを戦える状態にまで持っていけた。でももうあなたはあの激戦で、消耗し尽くしてしまったのよ」
一気呵成にそう言うと、最後にトレーナーははっきり宣言する。
「あなたはもう、戦えない。……終わりに、しましょう」
これだけ厳しい言葉をライスシャワーにぶつけたのは、初めてだった。
レース中はともかくとして、普段のライスは精神的に少し脆いところがある。
だからその繊細なメンタルを傷付けないよう、トレーナーは慎重に言葉を選んで接してきたつもりだった。
「そう……だね」
普段は優しく、それこそ実の姉のように接してくれていたトレーナーのキツイ言い回しに、ライスシャワーは少し瞳を潤わせながら真っ直ぐに彼女を見据えた。
「ライスの体力だと、もうレースに勝つのは難しいだろうし……これ以上、お姉さまに迷惑かけられないよね……」
違う。
そうじゃないんだよ。
あなたがレースに勝つとか負けるとか、迷惑だとか、そんなことは二の次なんだ。
ただ、私はあなたに幸せになってほしい。
それだけなんだ。
トレーナーはそう言いたかった。
ライスシャワーを抱きしめて、大きな声でそう叫びたかった。
でも、彼女はそれをしなかった。
ライスに、余計な気苦労を背負い込んでほしくなかったから。
……ライスがこのままレースから身を引いて幸せになってくれるなら、それでいい。
「分かってくれたのなら、それでいいわ。じゃあ今日早速、理事長室に行って引退届を……」
「たしかに、勝てないかもしれない。でもライス……宝塚記念に、どうしても出たいの。みんなの応援してくれる気持ち……無駄にしたくないから」
ライスシャワーのその言葉に、トレーナーの思考が白熱する。
どうしてこの娘は、私の気持ちを理解してくれないのか!
「どうして分かってくれないの!もう、あなたの脚は限界なの!いつ壊れてもおかしくないのよ!確かに天皇賞は、なんとか持ちこたえてくれた。でも、本当に次のレースではどうなるかわからないのよ!」
「お姉さまこそなんで分かってくれないの!」
大粒の涙をこぼしながら、今まで聞いたことないような大声でライスは叫ぶ。
「走りたいって、ライスが走ることで応援してくれるたくさんの人達に少しでも勇気を……幸せを届けたいって気持ち……ライスにはそれしかないんだって、どうして分かってくれないの……!」
そういってライスシャワーは椅子に座り込むと、うわぁぁぁぁん……と大きな声で泣き出してしまう。
……もう、ここまでか。
今まである程度自分の能力と才能を信じてウマ娘のトレーナーなんて商売をやってきたが、こんな仕事、本当は自分に向いていなかったのかもしれない。
……担当ウマ娘に泣きつかれて、自分の決断が揺らいでいるようでは。
ライスシャワーに引退を納得してもらうために、ああは言ったものの……正味のところ、ライスの脚は今すぐぶっ壊れてもおかしくないほど悪いわけではない。
本当にそうであるならライスには一生恨まれるのも覚悟の上で、四の五の言わせず無断で引退届を理事長に届け出るところだ。
ただ、近い将来彼女の脚が本当の限界を迎えるであろうことは間違いないし……次のレースを走り切るスタミナももうあの細い体に残っているのか正直怪しいところもある。
それでも自分は、ほとんど勝てないと分かっているウマ娘をレースに出場させるつもりでいるのだ。
担当しているウマ娘の、ワガママと熱量に押し切られるようなカタチで。
いや、そういう考え方は卑怯だ。
自分はきっと、いつまでも、いついつまでも見ていたいのだろう。
ライスシャワーがターフを駆け抜ける、あの美しい姿を。
そんな空想を抱いてしまう自分は、きっとトレーナーに向いていなかったのだ。
それともプロの端くれの自分にそんな空想を抱かせてしまうほど、ライスシャワーというウマ娘は特別なのだろうか。
「……分かったわ。ライス」
誰に向けてのものなのか、トレーナーは呆れてため息をつきながらライスシャワーにハンカチを手渡す。
「これが本当に、最後のレース。出走を許可する条件として、今日中に宝塚記念翌日付の引退届を書いて理事長に提出すること。それでいい?」
「お姉さま……!」
そういうトレーナーに、ライスシャワーは手渡されたハンカチで涙を拭きながらではあったが、心底嬉しそうな笑みをこぼす。
そんなライスをトレーナーは優しくハグした。
「お姉さま……」
「さっきはキツイこと言ってごめんね。でも、本当にあなたのことが心配で……」
「うん、わかってる。ライスの方こそ、わがまま言ってごめんなさい」
「人気投票1位、か。すごいね、ライス」
『あなた、名バだね……』
トレーナーのその一言を聞いて、止まったはずのライスの涙が、また零れ落ちてくる。
ただその涙はついさっきハンカチで拭った冷たい涙ではなく、言葉にならないほど熱いなにかを自分の【姉】に伝えたいために、流れた涙だった。
出走を決めたライスシャワーは、それから宝塚記念の日まで変わらずトレーニングを重ねた。
ただやはりあの激闘の疲れが抜けきれないのか、タイムはそれほど伸びなかったし、闘志の方もメジロマックイーンを破ったあの鬼気迫るものを取り戻すまでには至らなかった。
「ごめんね、お姉さま……」
自分のタイムを聞いたライスが、上目遣いで申し訳なさそうに謝罪する。
「うーん、天皇賞の疲れが抜けていないのもあるでしょうし……担当ウマ娘が仕上がらないのは、トレーナーの責任でもあるからね」
「ううん、お姉さまは全然悪くないよ……」
そういってライスは小さく微笑んだ。
自分を励まそうとしてくれた、トレーナーの気遣いが嬉しかったのだろう。
「あのね、ライス」
少しの沈黙の後、トレーナーは優しく【妹】に語りかける。
「こんなこというとウマ娘のトレーナー失格かもしれないけど……今のあなたなりの全力でレースに臨めれば、それでいいじゃない。あまり勝ち負けなんか気にしないでさ」
「お姉さま……」
「もちろんファンのみんなも、あなたに勝ってほしいと願ってる。でもそれ以上にみんな、ライスが一生懸命、本気でターフを駆け抜ける姿を見ていたいんだよ。当然、私もね」
「うん……」
それ以上、お互いに言葉はいらなかった。
だからライスは「もう一周だけ、走ってくるね」といってトレーナーに背を向けると、夕暮れ時の練習バ場に向かって走り出したのだった。
宝塚記念当日。
京都競バ場の控室。
例年宝塚記念は阪神競バ場で行われるのだが、今年は大規模改修工事のため京都競バ場で開催されることになった。
宝塚記念が、ライスの得意な淀の競バ場で行われる。
それも、トレーナーがライスに出走を許可した一因でもあった。
「ライス、調子はどう?」
「うん。ライスは大丈夫だよ」
ライスシャワーはそう答えると、小さな笑顔をトレーナーに向けた。
こんな表情を浮かべるときのライスの調子は、良くもなく悪くもなくといった感じだ。
そういう繊細な感覚は、ライスが伝える空気感を感じ取ることで分かるのだ。
これも長い付き合いと、お互いの信頼感があってのものである。
実際トレーニング中のタイムはそれほど良くはならなかったし、仕上がりの方もまあこんなものかな、といったところだった。
そんなことより2日前に少し痛めた、ライスの右足の調子がトレーナーは気になっていた。
一応念の為に医者に見てもらったが、トレーニングにもレースにも特に影響はないだろうという診断だった。
「そろそろ時間だね」
ライスシャワーはそういって立ち上がり、勝負服の具合を確かめて――ライスは自分でその癖に気づいているだろうか――最後に儀礼短剣の柄にそっと触れると、彼女の持つ雰囲気が一変する。
普通の少女から、ウマ娘へ。
気弱な女の子から、戦う女へと。
「行ってくるね、お姉さま」
「……うん、気をつけて」
トレーナーは小さく手を振り、ライスシャワーを最後のレースに送り出した。
ライスをレースに送り出す時、彼女が思うことはいつも同じだ。
怪我なく無事に、レースを走り抜けてほしい。
普段は本当に、それだけを思う。
ただ今日は……最後ということもあるのだろう、様々な思いが彼女の脳裏を駆け巡る。
誰に祝福されずとも、ミホノブルボンを破って手にした菊花賞は本当に嬉しかった。
自分にとっても、ライスにとっても、初めてのG1制覇だったから。
大きなにんじんケーキを買って帰って、二人だけでお祝いしたね。
メジロマックイーンに勝った天皇賞のときは、本当に頑張ってくれた。
周りからは『あのトレーナーは大切な菊花賞ウマ娘を壊してしまうんじゃないのか』と陰口を叩かれるほどのハードなトレーニングを、あなたは弱音一つ吐かず私を信じてこなしてくれた。
私はそれを、畏敬の念を持って見つめていたんだよ。
数ヶ月前に大怪我をしたとき、私はもう諦めていた。
あれだけの怪我をして、復帰したウマ娘なんて知らなかったから。
でもあなたは諦めないで、地味で退屈なリハビリを長い長い期間やり抜いて……今年の春天でみごと、最強のステイヤーとして復活してくれた。
そして今日、堂々のファン投票一位のスターウマ娘として宝塚記念を走り、このレースを最後に自分のもとを去っていこうとしている。
ライスに出会ってから今日まで、長いようで本当に短かった。
ライスが引退しても同じトレセン学園にいるわけだから、会おうと思えばいつでも会えるわけだが……自分にはトレーナーとしての仕事があるし、彼女もこれからは学業中心の生活に邁進していくことになるのだろう。
今までのように毎日顔を合わせ、同じ目標に向かって二人三脚で駆け抜けていく、ということはもうないわけだ。
寂しい気持ちがないといえば、嘘になる。
あのね、ライス。
私最近よく空想することがあるの。
あなたが将来、素敵な男性と恋をして結婚して、家庭を持ったとするでしょう。
そうしたらね。
あなたが素敵なウマ娘を授かる、ということもあるかもしれないでしょう?
で、私はなんとか食っていけるぐらいの成績を上げて、細々とトレーナーを続ける。
それでね。
そのあなたの子供のウマ娘を、私が担当するのよ。
そして、そのライスの子供のウマ娘と、またターフを一緒に駆け抜ける。
その時あなたは私の隣にいて、一緒にその娘を応援するの。
そんな未来があるとしたら、どんなにすばらしいだろうって。
彼女の空想は、そこで終わった。
そして最後に思ったのは……やはり、無事に怪我なく自分のもとに帰ってきてほしい、ということだった。
ライスシャワーは、自分が栄光を刻み続けた淀の競バ場のターフに足を踏み入れた。
【ヒーロー】が淀のターフに姿を表すと、10万にも届こうかという観衆が大歓声を上げる。
(今日が、最後なんだ……)
湿っぽい気持ちでレースに臨まない、と決めてはいたが、やはり感慨深いものがライスの心に去来する。
それを無理に心から追い出して、ぐるりと広くバ場を見渡した。
ライスシャワーの視線の先には、最強姉妹として名高いビワハヤヒデとナリタブライアンがいた。
どちらも強いウマ娘であるが……特にナリタブライアンの方は別格である。
去年なんとか3着に食い込んだ有馬記念で初めて顔を合わせたとき、ナリタブライアンに対して肌で感じたのは【段違いの実力差】だった。
その有馬記念では周囲の前評判通り、レコードで圧勝して力の違いを見せつけている。
こう言っては何だが……メジロマックイーンやミホノブルボンなんてものじゃなかった。
おそらく彼女は日本競バ史の中でも、最強のウマ娘の一人に数えられるだろう。
自分は大きな怪我も経験し、戦うウマ娘としての最盛期をとっくに過ぎてしまっている。
ナリタブライアンはとても、今の自分に手に負える相手じゃない。
全盛期の力をもって得意の3200Mで勝負しても、勝てるかどうかわからない。
彼女はそれほどのウマ娘だ。
それなのに……強いウマ娘と戦えるということに喜びを覚えるのはどうしてなのだろう?
ライスは思う。
自分は、戦うことが好きじゃない。
負けた相手のことを思うと、心が痛むから。
それがともすれば相手への侮辱になると分かっていても、心から湧き出る気持ちは止めることができなかった。
それでも自分はレースを走る。
懸命に、文字通り命懸けで勝敗を競い合う。
その理由もよくわからないままに。
蹄鉄をターフになじませているうちに、出走の時刻が近づいてきた。
ライスシャワーは呼吸を整え、落ち着いてゲートインする。
他のウマ娘たちも次々とゲートインし、まもなくそれが完了した。
あとはスタートを待つだけだ。
世界から、音が消える。
そして、淀の英雄・ライスシャワーのラストランがスタートした。
スタートは良くもなく悪くもなく、といった感じだった。
ライスシャワーは程なくしてバ群の中団につける。
脚質的にはもう少し前につけたいところだったが……。
全ウマ娘が後方にいる最強ウマ娘・ナリタブライアンを意識してか、前に行こうとするウマ娘が少なかったため、バ群がひとかたまりになってしまって前に出ることが難しかったのだ。
先頭を進むのはナリタブライアンの姉、ビワハヤヒデ。
彼女の脚質はライスと変わらない先行のはずだが……緩やかな流れになるのを見越したのだろう、良いスタートを切れたのを利用して早々に先頭に立ち、このスローペースを楽に逃げ切る構えだ。
走力では確かにナリタブライアンに一歩譲るが……レース運びのうまさでは、ビワハヤヒデは現役随一である。
前方には軽やかに逃げる実力バ・ビワハヤヒデ。
後方には最強ウマ娘・ナリタブライアン。
各ウマ娘にとって、仕掛けどころが難しいレースになった。
特に大きな順位変動もないまま、レースは淡々と進んでいく。
そんな難解なレースでも、勝負どころは必ずやってくる。
第四コーナーを少し過ぎたあたりで、ついにナリタブライアンが動いた。
それに連動するように、各ウマ娘がスパートを掛ける。
しかし、ナリタブライアンの脚は圧倒的だった。
一人だけ動画の倍速のような動きで、あっという間にバ群を切り裂いて先頭のビワハヤヒデに迫る。
逃げるビワハヤヒデ。
それを追うナリタブライアン。
優勝争いは完全に前の二人に絞られた。
三番手は、はるか後方。
しかし、その三番手のウマ娘は、必死に前の二人を追いかけようとしている。
もう、絶対に届かない。
誰の目にも、それは明らかだった。
それでもそのウマ娘の瞳から、ライスシャワーの瞳からは、闘志が消えない。
なぜウマ娘は存在するのだろう。
世界で最初のウマ娘は、300年ほど前にイギリスで誕生した。
その子は耳と尻尾、それに不思議な雰囲気を纏って生まれた女の子だった。
それとほとんど時を同じくして、やはりイギリスで二人のウマ娘の誕生が確認されている(これが3女神の由来だ)。
それからは古今東西、たくさんのウマ娘の存在が確認されるようになり、今ではこうして大きなレースが世界各国で盛大に執り行われているわけだ。
なぜウマ娘は生まれてくるのか。
一説には異世界の英雄がウマ娘の姿で顕現しているのだとも言われるが、真偽の程は定かではない。
彼女たちは、物心がつく頃ぐらいからウマ娘同士で競い合うことを覚える。
誰が教えずとも彼女たちは競走し、幼い頃からその中で優勝劣敗を繰り返す。
その競争はウマ娘の生まれ落ちた環境にもよるが……だだっ広い草原の中で。あるいは、砂漠の真ん中で。アスファルトの上で、公園の砂利道で。もしくは、学校のグラウンドで。長距離で、短距離で。芝のコースで、ダートのコースで、果てることなく繰り返される。
世界中のあらゆる地表が、幼少時代の彼女たちの【競バ場】だ。
そして素質のあるものは周囲に認められ、より高いレベルを求めてトゥインクルシリーズのようなレースの世界に足を踏み入れるのだ。
ウマ娘は、競い合うために生まれてくる。
競い合うことが、戦うことが好きでなくとも。
それは本能的なものとも言えたし、宿命的なものとも言えた。
ライスシャワーはその本能に従って、はるか前方の二人を懸命に追う。
宿命に決着をつけるために、淀のターフを駆け抜ける。
そしてそのまま、3着でゴールイン。
ライスシャワーは、ラストランを勝利で飾ることはできなかった。
だが彼女は宿命に決着をつけ、様々な困難な運命を乗り越えて、無事競走生活にピリオドを打ったのだった。
つつがなくLIVEも行われ、全てが終わったあとのライスシャワーの控室。
「ライス。お疲れ様」
何事もなくいつもどおり、自分のもとに帰ってきてくれたライスシャワーを、トレーナーは笑顔で出迎えた。
「お姉さま……」
優しく出迎えてくれたトレーナーに笑顔を返そうとして……ライスは、それに失敗した。
「ごめんなさい。最後のレースだったのに、ライス、負けちゃった……」
大粒の涙が、ライスシャワーのつぶらな瞳からこぼれ落ちる。
相手がどれだけ強かろうと。
自分がどのような状態であろうとも。
レースに負けて悔しくないウマ娘は、この世に存在しないのだ。
「そうだね……」
トレーナーは彼女がレースに負けたときはいつもそうしてきたように、ライスの肩をそっと抱くと、自分の方に抱き寄せる。
「大丈夫。あなたは、頑張ってくれたから。精一杯、やってくれたから」
そういうトレーナーの肩にライスは額を乗せると、とめどなく流れる悔し涙が止まってくれるまで泣き続けた。
それはこれまで二人が行ってきた、敗戦の儀式だった。
「……ありがとう、お姉さま。もう、大丈夫」
少し落ち着いたライスシャワーはスンスンと鼻をすすり、袖口で涙を拭うとようやく弱々しい笑顔をみせてくれた。
「でも、本当に今日が最後のレースだったんだね。走り終わった今でもまだ、実感がないよ……」
「そうだねぇ。実を言うと私も全然、実感がないの。まだあとの日に、あなたの引退式が残ってるというのもあるかもしれないけど」
そういって二人は苦笑いを交換する。
お互いに自分が、ライスシャワーがレースから身を引いたことを実感するのは、これから新しく始まる日常に慣れてからのことかもしれない。
「あのね、お姉さま。ライス……」
なぜかライスは照れくさそうに、もじもじしながら言葉を区切る。
「なあに?」
「実はライス、前からやってみたいことがあったの」
そのライスの言葉に、トレーナーは少し驚いた。
引っ込み思案で、どちらかといえば人に流されやすいタイプのライスシャワーが、なにか自主的に始めてみたいことがあったなんて。
「そうだったんだ。一体、何をしてみたいの?」
「あのね、ライス。一度自分で絵本を作ってみたいの。お話も、絵も、自分で描いてみたいと思っているの」
ライスシャワーが、自分で紡ぐ物語。
それはぜひ、一度読んでみたい。
「いいわね。すごく、いいと思う。完成したら、私に最初に読ませてくれる?」
「……うん!」
【姉】から一番聞きたかったその返事に、ライスシャワーは力強くうなずいた。
そんなライスの瞳が、なぜか再び涙で潤んでくる。
ラストランを走り終えた緊張が解け、自分の夢を告白したことに安堵したからだろうか。
「……?どうしたの、ライス?」
「え……」
怪訝そうなトレーナーに、ライスシャワーは一瞬言いよどんだが……
「あのね……ライスたちウマ娘って、異世界の英雄さんが生まれ変わった姿だってお話があるでしょう?」
「まあ、どこまで本当かわからないけど。そういう話もあるわね」
「その英雄さんがね……ライスに『よかったね』って言ってくれてるのが聞こえた気がしたの。とっても、優しい声だった」
そういってライスは、その愛らしい顔に優しいほほ笑みを浮かべる。
「……そっか」
そんなことも、あるかもしれない。
ウマ娘という存在は、まだまだナゾと可能性に満ちた、ロマンあふれる存在なのだから。
長文読了、お疲れさまでした。
「その英雄さんがね……ライスに『よかったね』って言ってくれてるのが聞こえた気がしたの。とっても、優しい声だった」
この一文を書きたいがために、駄文をつらつらと書き綴ってしまいました。
拙く決して読みやすい文章ではなかったと思いますが、少しでもウマ娘プリティーダービーの、ライスシャワーのファンの方々に楽しんでいただけたのなら、幸いです。
それではまた、次回作でお会いしましょう。
主な参考文献
ライスシャワー物語:柴田哲孝 著
三冠へ向かって視界よし:杉本清 著