終わりというのは結構、あっけないもの。

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とけてきえた

 

 暑い。非常に暑い。ファッキンホット(クソ暑い)と叫びそうになる。

 叶うことならば今すぐ全裸になりたい。汗で服がはりついて、気持ち悪いことこの上ない。

 『北風と太陽』でも太陽は旅人にコートを脱がせたという。これ程の暑さなのだから、自分がシャツを脱いだところで大した問題ではないだろう。

 寧ろ自分が脱ぐことによって、周りの人間たちも「脱いでいいんだ」と自分に感謝しながら服を投げ捨てられるのではないか。 それは幸せな光景ではないだろうか。視覚的な観点からすれば、そこには天国と地獄が入り交じっているように思われる。

 

 ――そんなことを考えたところで、行動に移すわけはない。

 バカ正直に行動に移してしまったら、白と黒の制服を着た人達にご同行願われてしまう。

 

 先程までは冷えた緑茶で満ちていた筈のペットボトルを見て、泣きたくなった。これ以上水分が体外に出るのは嫌なので我慢した。

 振っても音一つしないそれを睨みつけ、ゴミ箱へと投げ入れた。

 

「財布、あと何円入ってたかな」

 

 カバンから取り出そうとする、その行動さえも億劫だ。

 開いた財布には百円玉が一枚と、二枚の十円玉。

 この所持金だと、目の前の自動販売機から買えるものなど精々二百ミリリットルのお手軽サイズ。

 

「……」

 

 数瞬の思考の後、そっと財布をカバンにしまい込んだ。

 

 学校からの帰り道。バスのよく効いた冷房は既に過去のものとなっていた。家までの道のりが、いつもの数倍長いように感じられる。これで初夏なのだから、真夏の暑さなんて考えたくもない。

 進学先を少し遠いところにしたのが運の尽きだったか。ただでさえ、新しい人間関係を作るのにも苦労しているというのに。もう少し現実は甘くなってくれてもいいではないだろうか。

 楽しかった数年前に戻りたい。そう言っても、まるでさっぱり意味はない。

 胸の内で悪態を吐きながら、ふらふらと歩くこと数分。コンビニの看板が目の前に現れた。

 

 我が家と、我が家から最寄りのバス停の間に、一つだけコンビニがある。

 「帰りに皆で買い食い」というのは、いつの時代も学生達にとっての十八番である。夕暮れ時のコンビニにはいつも、制服を着た若者たちが集団を形成していた。かくいう自分にも、買い食いの経験があった。

 買い食いにも定番がある。夏はアイスで、冬は肉まんらしい。春と秋は何を買っているのだろうか。自分の場合は一年を通してアイスだったから何もわからない。

 

 そう、アイス。コンビニに行けばアイスが売ってる。それに店内は涼しいではないか。

 なんとなく買い食いということ自体が久しぶりのように思えた。進学してから、買い食いをすることもも少なくなった気がする。

 

「アイス……ガ○ガ○君……チョコ○リ……アイ○ボッ○ス……百二十円あれば何かは買えるはず……」

 

 頭の中が「氷菓」の文字で満たされた瞬間であった。

 先程までの泥酔したおっさんの方がマシともいえた足取りはどこへやら。コンビニまでの歩みは、やけに力強かった。

 

 

 店内は予想通り涼しかった。空調最高。現代の技術最高。

 あまり入口に立ち続けていると怪訝な目で見られるため、アイスコーナーへと足を運ぶ。本棚を超え、ドリンクコーナーを超え、お惣菜の置いてある棚を横目に、オアシスへとたどり着いた。

 マイナス二十五度からマイナス三十度。一般的なアイスコーナーにおける設定温度はそれくらいらしい。

 そこに漂う冷気は、店内の空調によるそれとは比べ物にならない。

 夏ということもあり、売り上げアップを目論んでいるのだろう。『店員イチオシ!』と書かれたポップが幾つか目についた。

 

(どれにしようかな)

 

 陳列された商品を目の当たりにすれば、ついどれを買おうか迷ってしまう。

 アイスキャンデーかアイスクリームか。ソーダかコーラか。バニラかチョコか。商品を手に取って、棚に戻す。この行為を何度か繰り返した。優柔不断ここに極まれり、と言った感じである。

 

「……どれにしようかな」

 

 悩むこと数分。未だアイスコーナーの前で立ち尽くす客の姿を不審に思ったのか、時折レジにいる店員が訝しげな表情でこちらを見ていることに気がついた。

 そう見られても、かえって焦るだけなのだが。できる限り善処はしようと、アイスの棚へと視線を戻す。

 

「これとか美味しいんじゃない?」

 

 指差されたのはチョコ味のアイスバーだった。昔よく食べていたことを思い出す。

 何も疑うことなく提案の声に頷いて、指差されたアイスを手に取ろうとして――

 

「――誰!?」

 

「おっと」

 

 思わず大きな声が出てしまった。手を引っ込めると同時に、声の主の方を見る。

 ごく自然な流れで、相手の提案を受け取っていたことに疑問を覚えた。まるで、自分がそのやりとりに慣れているような感覚。

 

 見てみれば、何やら見覚えのある顔立ちをした誰か。

 

「おひさ」

 

「……あ」

 

 気安げに片手を上げるその姿を見た瞬間、カチッと、パズルのピースがはまったような感覚。

 そして脳裏に、過去の記憶が溢れ出してきた。

 

 

****

 

 

 過去の思い出を振り返れば、そこにはいつもアイスと〝アイツ〟がいた。

 

「また悩んでるんだ」

 

「どれも美味しそうだから……」

 

 学校帰りのコンビニで、アイスを食べるのが定番だった。

 いつもアイツはさっさと買うものを決めていて、悩みがちな自分はよく待たせる側にいた。

 

「これとか美味しいんじゃない?」

 

 昔もアイツは、そんな提案をしていた気がする。

 

「じゃあそれで」

 

 そして自分も、そんな提案に乗っていたのだ。

 

 

 帰る方向が同じで、一年生の夏頃にたまたまコンビニで出くわしたのが交流の始まりだったはずだ。

 腐れ縁、に近いのだろうか? 特に共通点はなかったけれど、話していくうちに気づけばいつも一緒にいるような関係になっていた。

 

『最近この歌手が熱いんだ』

 

『数学教えてあげるから、英語教えてくれない?』

 

『今日の授業大変だったね』

 

『部活の大会明日だっけ? 頑張れ』

 

 そんな、ごくありふれた会話を交わすのが日常となっていた。

 

「あついねぇ」

 

「ほんとに」

 

 夕暮れ時。空は茜色に染まっていた。湿気混じりの暑さが鬱陶しい。

 アイスを頬張りながら、そんな会話を交わしていた。

 夏のある日。その頃にはもう、進学を考える時期に入っていた。大会で大した結果も残さないまま部活動を引退して、いつの間にか受験勉強に力を入れる期間になっていた。

 こうやって、学校の帰り道にアイスを食べる時間を過ごす。そんな日々の終わりも近いのだと、なんとなく感じていたのを覚えている。

 

「そろそろ、頑張らないと」

 

 そう言ってはいたものの、アイツはすでに頑張り始めていたのを知っていた。ここ最近の定期試験や模試の結果が、明らかによくなっている。部活動を終えた影響か、若干無気力気味な自分とは大違いだった。

 

「そうだな」

 

 だからこそ、今日で最後なのだと。言葉に出さずとも、お互いにわかっていたのだろう。

 茜色に、藍色が混ざり始めてきているのを眺めていた。その頃にはもう、お互いにアイスを食べ終わっていて。そこから離れるまで、少し時間がかかった。

 

 その日以来、アイツとコンビニに寄ることはなくなっていた。受験勉強を頑張ろうと、自分が塾へ通い出したからだった。

 半ば一方的に終わらせた感じではあったが、いずれはこうなっていたであろうことは容易に推測できた。寧ろ長引かせすぎていたような、そんな気さえするのだから。

 第一志望は同じ所だから、なんだかんだ進学してもこんな日が続くのだろう。きっとそうなのだと、この腐れ縁が切れることはないとまるで疑っていなかったのは。自分の優柔不断な癖に楽観的な思考の賜物だった。

 

「また、一緒にアイス食べられるかな」

 

 放課後のわずかな交流は、その言葉を最後にして幕を閉じた。

 

 

****

 

 

 そして結局、その言葉はただの希望的な観測に終わってしまったのがオチである。

 

「ほんとに、久しぶりだ」

 

 アイスコーナーでこうやって話していると、あの頃に戻ったような感覚に陥りそうだ。

 早々に買うアイスを決めたらしい。そんなところも相変わらずだった。

 

「優柔不断な様子は変わらないね」

 

「そっちも、即断即決なところは相変わらずだ」

 

 昔から、行動力に長けた人間だった。目的とかそれを達成するための努力とか、人としてのレベルが高かった。

 自分はどうだっただろうか。いつも迷いがちで、行動に起こすまでが長い人間だった気がする。

 

「最近どう? 学校遠いって聞いたけど」

 

「特に、これと言ったことはないけど……学校まで通うのが辛いな。暑いし、ほんとに」

 

「それもそうだ」

 

「そっちは? 何かないの?」

 

「んー、内緒」

 

「なんだそれ」

 

 そう言って笑った。

 未だ、アイスコーナーの前。先ほど指差されたアイスを買おうと、もうすでに決めているのに。それを掴めない。

 

「そうだ!」

 

「ん?」

 

 何かを思いついたかのように、手を叩いてみた。

 

「この後、一緒にアイス食べない? 昔みたいに」

 

 なんとなく、昔に戻りたい気持ち。誰でもそれを持つことはあるだろう。そんな提案をしたのは、この時間をあっけなく終わらせてしまうことが嫌だったからなのだろうか。

 

 一瞬の沈黙。店内にいても聞こえてくる、蝉の声を五月蝿く感じた。

 

 目の前で困った顔をしているその姿を見て、返ってくる言葉の予想がついてしまった。

 

「ごめん、この後予定あるんだ」

 

 手を合わせて謝る姿を見れば、こちらが申し訳ない気持ちになる。無理強いをする必要もないし、簡潔に言葉を返す。

 納得が強かった。でも、落胆する気持ちがないかと問われれば、嘘だと言えた。

 

「そっか」

 

 もとより期待はしていない。こんな突然の申し出に応えてくれる人間なんてそうそういないだろう。とはいえ、仲の良かった相手にこうやって誘いを断られるのは少し辛いものがある。

 

「……まだ、決まらない?」

 

 その言葉にハッとして、急いでアイスを手に取る。

 腕時計を確認しながら、少し急かすような言葉だった。

 チョコ味のアイスバー。百円弱のそれを買って、その日の会話は終わった。

 

 外に出た瞬間、日差しと熱気が出迎えてくれた。思わず顔を顰めてしまう。

 袋からアイスを取り出そうとした。取り出そうとして、既に溶けかけていることに気づいた。改めて顔を顰めてしまう。

 

 アイスは、家で食べることになった。

 

 

****

 

 

 なんとなく、次の日もコンビニを目指していた。

 昨日よりは涼しいと言っていたニュースキャスターは、おそらく詐欺師か何かなのだろう。茹だるような暑さに嫌気を覚えながら、コンビニへと向かっていた。

 

「アイス、何買おうかな」

 

 こんな暑さだから、アイスでも食べないとやってられない。

 コンクリート、走る車の排気ガス。日差し以外にも、熱を与えてくる存在は多かった。

 すっかり飲み物はなくなっていた。自動販売機の前のゴミ箱に、ペットボトルを投げ入れた。昨日と同じように。

 

 あくまで、目的はアイスだ。

 

 店内は変わらず涼しかった。アイスコーナーのラインナップも、昨日と同じままだった。

 並んだアイス達を見て、何を買おうかと考える。商品を手に取って、棚に戻す。この行為を何度か繰り返してみた。結局、指差す存在は現れなかったけれど。

 数分後、アイスを買って店を出た。昔、よく食べていたアイスだ。

 

 ――久しぶりに会ったから、今日も会えるだろうかとちょっとした期待があったらしい。

 かつての日々が楽しかったからだろうか。勝手に残念がっている自分がいて、少し驚いた。

 

「甘くないなぁ」

 

 帰り道を歩いていると、道路を挟んだ反対側にアイツの姿が見えた。

 ……驚いた。何よりも、喜んでる自分がいたことに。

 我ながら気持ち悪くはないか、と思ってしまった。目的はアイスだと言って保険をかけていたのが、余計に気持ち悪さを際立たせている気がした。

 少し歩いた先、信号は青に変わったばかりだった。

 間に合うと思った。走ろうとした。がさりと、ビニール袋の揺れる音。

 

(何に?)

 

 走ろうとした足が止まる。風が吹いた。思わず目を閉じる。

 迷惑をかけるだけではないか。いきなり話しかけて、困らせる必要はないのではないだろうか。

 車の走る音。目を開けてみれば、信号は赤に変わっていた。

 

 

 視線の先にはアイツと、アイツ以外の誰かが歩いていた。

 

 

 笑顔だった。楽しそうな姿で、並んで歩いていた。

 自分と入れ違いだったのだ。多分、アイスでも買いに行ったんだろう。片手にはビニール袋をぶら下げていた。

 

 少し立ち尽くしていれば、アイツの姿は見えなくなっていた。

 

(……まぁ、そんなものだよな)

 

 一年だ。人間関係だって、新しいものに変わっている。

 いつまでも同じままでいるわけがない。なにより、『久しぶり』と感じたのは、自分も相手も変化していたからなのだから。

 

 家に着いて、息を吐く。手洗いうがいだけさっさと済ませて、袋の中から包装されたアイスを取り出した。

 バニラアイスだった。昔、アイツがよく食べていたアイスだった。

 溶けかけているのか、少し柔らかくなったアイスは、それでもまだ冷たかった。だけど――

 

 

「……甘くないなぁ」

 

 バニラ味のアイスって、こんなに苦いものだったのか。

 気づけば溶けてしまった成れの果てを、結局食べきれずに捨ててしまった。

 


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