秋のファン大感謝祭から早二カ月。今年一年のレースも残り
今では一日に何度も、アクアスフィアとメイクンリリー、一体どちらが最優秀ジュニア級ウマ娘に選ばれるのかといった内容の薄いニュースが
「トレーナーさん、アイネスが自主練のトレーニングメニュー見て欲しいって」
ノートパソコンの画面を食い入るように見つめていた神谷の前に立ったヴァイスシュトルムは、一冊のノートを差し出した。表紙に「自主練習メニュー帳」とやや丸っこい字で書かれたそれを受け取った神谷は、ノートをぱらぱらと
「うーん、よく考えられてはいるけど、一日分の内容が本格化を迎える前のウマ娘には重いな。……これに赤ペン入れても良いか聞いてるか?」
「良いんじゃない? むしろ積極的に赤ペンを入れて欲しい
「よし、共犯者ができた。怒られる時はヴァイスシュトルムも一緒だからな」
満面の笑みを浮かべる神谷に、嫌そうな顔を向けたヴァイスシュトルムは、何も聞こえなかったようにテレビに向き直った。テレビの画面には、明日以降の天気予報が表示されていた。
「今週末の阪神は雨か……」
「雨だと身体がすぐ冷えるから嫌なんだよねぇ……ゲート待ちの時とか」
「ウォーミングアップを念入りにして、なるべく雨に当たらないようにするしかないな。こればっかりは仕方ない」
やる気が下がると共に、だらしなくソファに身体をもたれさせたヴァイスシュトルムは、それから何をするでもなくぼんやりとテレビを眺めるだけだった。そんなヴァイスシュトルムにやれやれと言わんばかりの視線を向けてから、神谷は彼女
「ああ、そうだ。ヴァイスシュトルム、君に手紙が届いていたぞ」
「手紙? 誰からだろ……」
不思議そうにしながらもソファから立ち上がったヴァイスシュトルムは、神谷の事務机までゆっくりと歩いてやって来た。神谷は机の上に置いてあるレターケース最上段の引き出しを開けると、中から真っ白な封筒を一通取り出して彼女に手渡す。
「エアメール、国際郵便みたいだな。送付元はドイツのミュンヘン……か?」
「あ……レーゲンからだ。どうしたんだろ……」
筆跡から
「……え」
翌日、朝一番でアイネスフウジンに『自主練習メニュー帳』を返したヴァイスシュトルムは、どんよりとした空に気分が下がっていた。
彼女は冷え込んだ空気に身震いして、息を大きく
「朝からヴァイスシュトルムさんが神々しいとか、デジたん今日一日一体どうすれば良いの? はっ! これはウマ娘ちゃん達に惜しみない愛を
「……朝からバカなことやってないで早く教室に行くよ」
寮の玄関口でぶつぶつと呟くアグネスデジタルに
アグネスデジタルを教室に送り届け、自分のクラスで授業の用意をしていたサザンエースは、同室のヴァイスシュトルムの様子が気になっていた。昨日部屋に帰ってきてからずっと何か考えているらしい彼女は、毎年この時期になると配り歩いているお手製シュトレンを珍しく配りにも行かず、エイシンフラッシュと一緒にモミの木を手入れすることも忘れていた様子だった。
ドイツではクリスマスを大切にするからと、この時期になるとエイシンフラッシュと一緒に張り切って居たはずのヴァイスシュトルムは、不気味なほど大人しかった。
「ヴァイスさん、どうしたんでしょうか……。ちょっと前まであんなに楽しそうにクリスマスの話をしていたのに……」
「うーん……何かが気になってるみたいなんだけどなぁ……」
サザンエースは話しかけてきたエイシンフラッシュに返事をしつつ、誰も座っていない席に目をやる。自分よりも早く部屋を出ていったはずのヴァイスシュトルムは、まだ教室に来ていなかった。
結局、ホームルームの開始時間ぎりぎりに教室へと滑り込んできたヴァイスシュトルムは、その後ずっと上の空だった。数学では簡単な計算を間違え、国語では音読するページを盛大に間違え、生物では
「……はぁ」
今日何度目かのため息を
「!?」
「一緒にお昼食べよう? ヴァイス」
にっこりと満面の笑みを浮かべるサザンエースに断りを入れようとして、彼女の目が笑っていないことに気が付いたヴァイスシュトルムは、大人しくその提案を受け入れた。
サザンエースにしっかりと腕を掴まれたヴァイスシュトルムが連れてこられたのは、神谷のトレーナー室だった。サザンエースがノックもそこそこに扉を開けると、フジキセキが出迎えてくれた。
「お待たせ、フジ」
「私もついさっき来たばかりだよ。トレーナーさんは少し席を外すって」
「あれ、ここ私のトレーナー室?」
「やけに大人しいと思ったら……まぁ良いけど」
ヴァイスシュトルムの呟きに思わず脱力してしまったサザンエースは、気を取り直して自分の弁当箱ともう一つ弁当を取り出す。
「? いくらサザンでも高カロリーなお弁当二つは太るんじゃない?」
「バカ、もう一つはアンタの分に決まっているでしょ」
「何言ってるの? 私の分ならここに…………あっ……」
「私の辞書を弁当袋に詰めた時はどうしようかと思ったわ……」
サザンエースの言葉に小さくなるヴァイスシュトルムは、顔だけではなく首まで真っ赤にして恥ずかしさに震えていた。ヴァイスシュトルムの様子に吹き出すことこそ耐えたフジキセキだったが、笑いを
ようやく笑いの治まったフジキセキとサザンエースに
「ねぇ、ヴァイス。君は一体、何に悲しんでるのかな?」
「え? 別に悲しんでなんて、ない……けど」
フジキセキの言葉に虚を突かれたヴァイスシュトルムは、平静を取り
「ヴァイスってたまに不器用になるよね……」
呆れたように言いながらも、サザンエースの目には優しさが満ち満ちており、その手はヴァイスシュトルムが握り込んだ拳にそっと添えられていた。
「無理に話して欲しいとは言わないけれど、たまには私たちも頼って欲しいな? 大切な友人がいつまでも悲しんでいるのは、私だって悲しいんだ」
片目を
「……実は――」
ぽつぽつと話し始めたヴァイスシュトルムは、少しばかり遠くを見るようにして、懐かしい記憶を語り始める。その言葉をフジキセキとサザンエースは静かに聞き入っていた。
ヴァイスシュトルムの口から語られた話は、彼女がトレセン学園に来る前、ドイツに居た頃の話だった。
「私がトレセン学園に来る前、一番の親友はレーゲン……シュプリュレーゲンだった。レーゲンと最初に出会ったのは、家の近くで開催された『ウマ娘かけっこ教室』だったかな」
懐かしそうに頰を緩めるヴァイスシュトルムは、楽しそうに尻尾を揺らしながら話を続ける。
「そのかけっこ教室で、最後まで私と走り続けたのがレーゲンだった。それから、かけっこ教室が開催される度に私とレーゲンは競い合ってて、気が付けば仲良くなってた。二人で将来はどこのレースを勝つとか、欧州三冠を取るとかよく話したっけ……。それで、実際にレーゲンはイギリスダービーとキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスを勝利して欧州二冠を達成したの。でも……」
そこまで話してから、ヴァイスシュトルムは一度言葉を切ると目を伏せた。そして顔を
「キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスで欧州二冠を達成したと同時に、レーゲンは左脚を痛めていたの」
「!」
はっと息を
「最後の一冠になる
ヴァイスシュトルムの言葉に、シンと静まり返ったトレーナー室に、エアコンが暖かい空気を吐き出すモーター音だけが響く。普段気にならない程の騒音であるはずのそれは、今に限ってはやけに大きく、耳
「痛めた左足をかばってしまったことで、右脚に疲労がたまっていたのだろうと、骨折の原因は推定されたみたい。それでも、この数ヶ月間、必死にリハビリして、必ず復帰すると手紙が届いていたし、私もずっと応援してた。でも、この間届いた手紙には、いくらリハビリしても以前のように走れないのが辛いとも書いてあった。それでも何とか復帰レースに出走はしたみたい」
ヴァイスシュトルムの話を聞いている二人は、何も言えなかった。親友を遠く離れた場所から励ます事しかできないのは、
痛みを耐えるような表情で話を続けるヴァイスシュトルムは、溢れる涙を拭うこともせず、ただひたすら話し続ける。
「結果は最下位。出走できただけすごい事ではあるけど、レーゲンは自分の走りができなくなった事が許せなかったみたい。もう一戦目では何とか入着したけれど、そのレースで引退を決意したって昨日届いた手紙には書いてあった」
そこまで話し終えて、ようやく涙を指で拭ったヴァイスシュトルムだが、拭った
「手紙の最後に、『約束を守れなくてごめん』って書いてあったんだけど、その文字が
そこまで言って、とうとう限界が来たらしいヴァイスシュトルムは、嗚咽を漏らして泣き始めた。
フジキセキとサザンエースは何度か口を開こうとするものの、かける言葉を見つけることができず、ヴァイスシュトルムが落ち着くまで、背中を丸くしてすすり泣く彼女の背中を優しく
ようやく落ち着いたヴァイスシュトルムは、鼻を鳴らしながらゆっくりと体を起こす。すっかり赤くなった目と鼻を擦ろうとする彼女を止めて、サザンエースはポケットから取り出したハンカチを水で濡らすと、彼女の目に優しく押し当てた。
「……Danke」
「少しは落ち着いた?」
フジキセキの問いかけに首を縦に振ることで応えたヴァイスシュトルムは、ハンカチを目に当てたまま大人しくしていた。そんなヴァイスシュトルムに
「どうぞ」
「あー、ヴァイスシュトルムはまだいるか?」
フジキセキの返事に扉を開けた神谷は、両手でダンボール箱を抱えて部屋に入ってきた。
「いるけど、その荷物は一体?」
「ヴァイスシュトルム宛の荷物が届いたらしくてな、受け取ってきた」
ヴァイスシュトルムの前にダンボール箱を置いた神谷は、ハンカチで目を押さえるヴァイスシュトルムをチラリと見て、そのことには触れずに荷物の送付元を読み上げる。
「送付元は、昨日の手紙と同じ所だな。ドイツのミュンヘンからだ」
ミュンヘンと聞いた瞬間、ヴァイスシュトルムのしな垂れた耳が勢い良く立ち上がった。その勢いのままに箱に飛びついたヴァイスシュトルムは、ダンボール箱を開封する。中から出てきたものは、フードが付いた真紅のパーカーだった。
「……これ、レーゲンの勝負服?」
「中に手紙が入ってるな、ほら」
神谷から手渡された手紙を勢い良く読み始めたヴァイスシュトルムは、目を
「
泣き笑いのような顔でドイツ語を呟いたヴァイスシュトルムは、抱きしめていた真紅のパーカーに袖を通す。
その真紅のパーカーは、ヴァイスシュトルムにとてもよく似合っていた。
「ねぇ、これどうかな?」
「よく似合っているよ」
神谷の言葉に、サザンエースとフジキセキも頷く。それに喜びを表したヴァイスシュトルムは、今日一番の笑顔を浮かべていた。
『ヴァイスさえ良ければ、私の勝負服だったこの真紅のパーカーを着てGⅠで勝って欲しい。走れなくなった私も、ヴァイスと一緒に走らせて!』
勝負服のデザイン変更申請も
ヴァイスシュトルムが申請した勝負服は、白いブラウスに
「まさにマ子にも衣装だな……真紅のパーカーと元々の勝負服の相性が良くてホッとしたよ。危うくたづなさんに一カ月お昼を
心底ホッとしたような神谷に、ヴァイスシュトルムは
「『美人なたづなさんとのランチデートがなくなって残念』の間違いじゃないの?」
「ばっかお前、たづなさんが超・超・超・超・超絶美人なのは認めるが、毎日ランチを奢るなんて
「……そこまでは言ってないし、甲斐性の件は自信満々に言うことじゃないんだけどなぁ。まぁいっか……」
身を乗り出して熱弁をふるう神谷に対して、呆れたように肩を落としたヴァイスシュトルムは、気を取り直して再び自分の姿を確認する。
ディアンドル風の勝負服に真紅のパーカー。革の編み上げショートブーツには、月をモチーフにした小さなアクセサリーが
何度見ても、鏡の向こうに映る姿が自分ではないような、不思議な感覚に襲われるヴァイスシュトルムだが、神谷はそんな彼女を微笑ましく眺めていた。ヴァイスシュトルムは時間が来るまで、いつまでも鏡の前から離れようとしなかったし、神谷もまた、それを
初めて勝負服に袖を通したウマ娘がやることと言えば、GⅠ出走前の記者会見だと言えるだろう。多くのウマ娘は初めて着る自分だけの特別な勝負服に、緊張と高揚で地に足が付かなくなる。その点、ヴァイスシュトルムは、係員に呼ばれてからは浮き足立った姿を見せることなく、平静を取り戻していた。
朝日杯フューチュリティステークスに出走する他のウマ娘に続いてステージに登壇したヴァイスシュトルムを、眩いばかりのフラッシュが包む。大量に
「ヴァイスシュトルムさん! 貴女はその
予定されていた質問数を終え、記者会見も終了しようかという時に放たれた
「……人の幸せには色々な形がありますが、私にとっての幸せとは、ターフの上で素晴らしいライバル達と競い合い、高め合いながら結果を示すことです。煌びやかなモデルの世界には、残念ながら私の幸せはありません。それでも、私がターフの上を駆ける事が幸せだという事に納得がいかない方は、是非とも私の走る姿を見て判断していただきたいと思います」
そう言って満面の笑みを浮かべたヴァイスシュトルムは、一礼してステージから降りると出口へと歩き去る。男は満面の笑みを浮かべたヴァイスシュトルムに一瞬面食らい、慌てて彼女から更に言葉を引き出そうと追い
「……よく週刊誌記者の挑発に乗らなかったな?」
控え室に戻ったヴァイスシュトルムは、
「……挑発に乗ったら負けだと思ったんだもん。それに、コレを着てるときに醜い姿は誰にも見せたくない」
そう言って真紅のパーカーに目を落としたヴァイスシュトルムは、一瞬だけ柔らかな笑みを浮かべた。
十二月第三週の土曜日、未勝利戦以来となる阪神レース場の練習場で、ヴァイスシュトルムは最後の追い込みを行っていた。
GⅠ朝日杯
それでもやはり、朝日杯FSに出走するウマ娘は、並のウマ娘とは言えなかった。重賞最高位のGⅠである以上、いくらジュニア級とは言え出走する条件はそれまでのオープン戦やGⅢ、GⅡとはわけが違う。これまで走ったレースの成績、ファン人数、そして出走枠確定時の人気順など、複合的に判断されてようやく、五人(レース成立最低人数)から十八人(レース最大人数)の中の一人に選ばれる。
そのような厳しい選定基準をくぐり抜けてGⅠへの出走が叶ったウマ娘が、弱いはずがない。
ヴァイスシュトルムが阪神レース場に到着したときからずっと、レース場内も宿舎内も肌がひりつくような緊張感が漂っていた。
「ヴァイスシュトルム、最終調整はそこまでだ」
「でも、まだ疲れてないし……」
「ダメだ。これ以上は明日の本番に響く」
硬質な神谷の声に顔を落としたヴァイスシュトルムは、何度か頰を
「……よし。ごめんなさい、トレーナーさん。ちょっと焦ってたみたい」
「気にしなくて良い。そのためのトレーナーだからな。この後の食事はタンパク質を比較的多めに摂ること。後、部屋に戻ったらすぐに寝ること」
神谷の言葉に対して素直に頷いたヴァイスシュトルムは、少しだけ笑顔を浮かべた。
「わかってるって。明日、万全の状態でレースしなきゃだもんね」
『この時期にしては珍しく、雪がちらつく阪神レース場。バ場の発表は
雪が舞い散る中、その寒さとは対象的に阪神レース場には熱気が渦巻いていた。メインレースであるGⅠ朝日杯FSの発走時刻が迫るに連れて、期待と興奮が高まっていく。
『本日のメインレース、クラシックへの登竜門「朝日杯FS」! 来年のクラシックを見据えた有力ウマ娘達の本バ場入場です!』
実況が観客の興奮を煽る中、本バ場に入場したウマ娘達は静かに、しかし闘志だけは熱く
『GⅢ札幌ジュニアステークス一着、GⅢサウジアラビアロイヤルカップ二着、実力は充分ある14番ノーブルライト! 今日は二番人気です。前回の
顔をしっかりと上げ、
『本日の一番人気! ここ阪神レース場での未勝利戦では圧勝の七バ身差での勝利、GⅢサウジアラビアRCでは一位同着! その実力を
コースに一歩足を踏み入れたヴァイスシュトルムは、観客席に手を振るとゲートへと歩く。観客席からの歓声と、他のウマ娘からの厳しい視線に、ヴァイスシュトルムは思わず獰猛な笑みを浮かべていた。
――これがGⅠ朝日杯FS、国内最高峰レースの一つか――。
軽く身体をほぐしてからスターティングゲートに入ったヴァイスシュトルムは、右手を握り込んで胸の中心に当てると、目を閉じて一つ深呼吸をした。それから目を開けた彼女の眼前には、閉じたままのゲート扉と雪が降るターフしか見えていなかった。
『全員がゲートに収まりました。グレードワン、朝日杯フューチュリティステークス、今スタートです!』
ゲートが開くと同時に勢い良く飛び出したヴァイスシュトルムは先行争いに参加する。ゲートを飛び出したウマ娘達は、少しでも良い位置に付こうとして内ラチ側へ雪崩れ込むように殺到する。
『ややばらついたスタートになりました。好スタートを切ったのは2番ヴァイスシュトルム、7番サイレントチェイサーも続いています。14番ノーブルライトと6番ラディカルキャットも前に行きそうか。13番スウィートメモリー、10番サザンエースが続いています。各ウマ娘が内ラチに殺到して団子状態になっています。抜け出すのは容易ではなさそうか』
内ラチに張り付こうとする集団に呑まれないよう、差を付けようとしたヴァイスシュトルムだが、彼女が速度を上げようとした瞬間、それを防ぐように6番ラディカルキャットがヴァイスシュトルムの前を塞いだ。それに追随するように、複数人がヴァイスシュトルムを取り囲む。
「なっ……Scheiße!!」
(ナイス! そのままヴァイスを抑え込んで!)
(いくらヴァイスが速いといっても、頭を抑えられて、囲まれてしまえばどうしようもないでしょ!)
目だけで会話をするようなラディカルキャット達の様子に、ヴァイスシュトルムは歯噛みする。
(くそっ、ここまで露骨にやってくるとは思ってなかった! 私の考えが甘かった!)
ヴァイスシュトルムがチラリとやや後方を見遣ると、ノーブルライトも似たような状況に追い立てられていた。
(ノーブルライトも同じように囲まれてるのか。このままってわけにもいかないし、どうしたら……ようし)
ヴァイスシュトルムは少しばかり速度を上げると、ラディカルキャットのすぐ後ろに張り付き、彼女を風よけとして活用しようと試みる。しかし、ラディカルキャットはすぐに速度を上げて、再び一定の距離を取った。彼女がすぐに対応したことに、ヴァイスシュトルムは顔を歪めて不満を
「させるか! 悪いけど、ヴァイスに楽させるつもりはないんだ」
「ちぇっ……」
口でそう言ったヴァイスシュトルムはしかし、不気味な笑みを顔に浮かべた。仕込みは上々、後は上手く芽吹いてくれるか、と。
『先頭は6番、ラディカルキャット。続いて2番ヴァイスシュトルム、その横並んで9番ナイトメアドリーム。団子状態のまま阪神レース場外回り、第三コーナーに入っていきます』
囲まれたまま第3コーナーを終え、第4コーナー半ばまで来たところで、ヴァイスシュトルムを囲んでいたナイトメアドリームとスウィートメモリーがやや体勢を崩した。それを確認して口元を歪めたヴァイスシュトルムは、更に速度を少し上げる。勿論、それに対応しようとしたラディカルキャットだが、彼女の加速も鈍ってきていた。
「苦しそうだね? 思ったよりも速く走ることになって、予定してたスタミナ配分ができなかったのかな?」
「ぐっ……ヴァイス……性格悪すぎ……っ!」
悔しそうにするラディカルキャットに迫りつつ、ヴァイスシュトルムはタイミングを計る。もうすぐ第四コーナーも終わり。残すは直線と坂のみだった。
ならば勝負所はここしかないと、ヴァイスシュトルムはラディカルキャットとナイトメアドリームの隙間から抜け出した。
「性格悪くてごめんね、ラディ」
「ああああっ!」
ラディカルキャットの悔しそうな声を背に、ぐんぐんと加速するヴァイスシュトルム。そのすぐ後ろにはノーブルライトが着いてきていた。
『ここで抜け出したヴァイスシュトルム! ノーブルライトもそのすぐ後ろについて行きます! ノーブルライトは間に合うか! 仁川の坂を駆け上がるヴァイスシュトルム! 脚色は変わらないぞ!』
第四コーナー終わりからピタリとヴァイスシュトルムの背を追うノーブルライトは、懸命に追いすがる。ここで勝たないとメイクンリリーに置いて行かれる。ノーブルライトは、それだけはなんとしても避けたかった。
「っ……うああああっ!」
「ノーブルっ! ……負けて、たまるかあぁっ!」
『並んだ並んだ! ノーブルライト、ゴール前でヴァイスシュトルムに並びました! ヴァイスシュトルムか! ノーブルライトか! 今二人並んでゴールイン!』
ほぼ同時にゴール板を駆け抜けた二人だったが、僅かにヴァイスシュトルムの方が速かった。
「やった……やった!」
嬉しそうに観客席に手を振ったヴァイスシュトルムは、ざわめく観客席の様子に首を傾げる。そして、観客の視線の先、掲示板に顔を向けると、そこに表示されている文字に茫然と立ち尽くした。
「……え?」
そこには、「審議」と点灯し、着順が真っ黒のままの掲示板があった。
『ヴァイスシュトルム、ヴァイスシュトルムだ! ヴァイスシュトルム初のGⅠの大舞台で見事一番にゴール板を駆け抜けた! しかし、このレースは審議です』
声を弾ませた実況者だったが、審議と点灯した瞬間、静かに様子を見守る。それは観客達も同様で、先程まで熱気に包まれていた阪神レース場は、不気味なほど静かになっていた。
『お知らせいたします。第一位に入線した2番ヴァイスシュトルムは、第四コーナー終りにて14番ノーブルライトの進路を妨害したため、二着に降着といたします。そのため、第二位に入線した14番ノーブルライトを一着とし、2番ヴァイスシュトルムを二着へと変更いたします。なお、三着以下のウマ娘の順位に変更はありません』
ヴァイスシュトルムのGⅠ初勝利はお預けとなってしまった。降着となった原因は、第四コーナーでヴァイスシュトルムが抜け出す際に、全く同じタイミング、同じコース取りで抜け出したノーブルライトの進路を塞ぐ形になってしまったことによる「ヴァイスシュトルムの斜行」だった。
全く同じタイミングで同進路に抜け出した結果、僅かに先行していたヴァイスシュトルムがノーブルライトの進路を遮って加速させなかった。つまり、斜行して後続ウマ娘の進路を妨害したという判断を下されたのだった。神谷はすぐにURAに対して不服申し立てを行ったが、結果が覆されることはなかった。
一番人気のヴァイスシュトルムが起こしたこの事件は、世間にも衝撃を与えることとなった。テレビでは何かと斜行事件が取り上げられ、それを引き起こしたヴァイスシュトルムを批判するもの、
「……はぁ」
「囲まれて、抜け出したタイミングとコース取りが偶然同じだった……。それだけの事なんだが……、ついてなかったとしか言えないな」
「下手な
弱々しく微笑んだヴァイスシュトルムは、神谷に心配をかけまいと
「ヴァイスシュトルム……その」
「あ、ごめんトレーナーさん。私、先生に呼ばれてたのすっかり忘れちゃってた。……また明日、ね?」
そう言い残すと、ヴァイスシュトルムは鞄の持ち手を肩にかけてさっと部屋から出て行ってしまう。後に残された神谷は、中途半端に出した手を静かに下げるしかなかった。
「トレーナーさん、駿川です。少しお時間よろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
ヴァイスシュトルムが退室してから何分か
「実はですね……」
たづなから聞かされた話に、神谷は目を見開き、それから詳しい話を聞かせて貰うことにしたのだった。
神谷のトレーナー室を出てから、とぼとぼと学園内を歩いていたヴァイスシュトルムは、中庭にあるぽっかりと穴を開けた切り株の所まで無意識に歩いて来てしまっていた。
「……っ! 絶対に勝ちたかったのに……! いつも応援してくれる家族にも、勝負服を託してくれたレーゲンにも勝利の報告をしたかったのに……!」
切り株の縁に手をついて叫ぶように心境を
「何よりも、私のトレーナーさんにGⅠのトロフィーをあげたかった……! っう……」
それから先は言葉にもならず、ヴァイスシュトルムは
――東京都大田区・東京国際空港(羽田)――
『ミュンヘンからのルフトカーニッヒドイツ航空714便は、ただ今到着いたしました。LuftKranich German Airlines 714 from Munich is now Arriving』
入国審査を終わらせ、ようやく到着ロビーにたどり着いたウマ娘の少女は、一つ大きく伸びをして凝り固まった体をほぐした。
「
到着ロビーをぐるりと見渡して、左手にバスのマークを見付けた少女は、バスの乗車券をスマホで確認してそちらの方へと歩き出した。
「
そう呟いた少女は、とても楽しそうにしていた。
大変お待たせ致しました。ジュニア級最終話になります。
次回以降からはクラシック級でのお話となるので、また気長に待っていただければなぁと思います。
ヴァイスシュトルムに朝日杯FSを取らせるかどうかは悩みどころでしたが、結果的にはこうなっていました。
今回、主人公泣きすぎじゃね? と思ったそこの貴方。ワシもそう思う()
最後に登場したウマ娘の正体なども次回以降で判明するかと思うので、お楽しみに。
……え? 正体も何もバレバレだろうって? ハハハソンナバカナ
それではまた次回、お目通し頂けることを願っています。
Q.今回こんなに長くなったのなら、ファン大感謝祭を前後編にして、今回も分割すれば良かったのでは?
A.そ れ な