ウマ娘プリティダービー ~月毛のウマ娘~    作:蒙駄目猫

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♯15.皐月賞トライアル(1)

 春のトライアル戦に向けて、本格的にトレーニングを開始したヴァイスシュトルムは現在、シュプリュレーゲンと共にトレーニングコースでタイムを計っていた。

 トレーニング前の準備運動と一度目のタイム測定をシュプリュレーゲンに任せた神谷は、トレーニングコースに併設(へいせつ)されたスタンドの階段に腰掛けて、持ち込んだノートパソコンで様々な機会に撮っていたヴァイスシュトルムの「走り」と現在の「走り」を確認していた。

「映像を何度見ても、ヴァイスシュトルムの柔軟性(じゅうなんせい)が変わるわけでもない……とはわかってるんだがなぁ……」

 柔軟性。人や動物などに対しては、体の柔らかさを意味するその言葉は、事ウマ娘に関すると距離適正の幅広さを()し示す単語となる。

 柔軟性が高いウマ娘程、距離の融通(ゆうづう)()きやすいため、マイル戦から長距離戦までの幅広い距離を走っても苦にしない。逆に、柔軟性が低いウマ娘は、特に短距離戦やマイル戦などといった瞬発力(しゅんぱつりょく)や力強さがものを言うレースにおいて、驚異(きょうい)的なスピードを発揮(はっき)することがある(もちろん、長距離でも力は必要ではあるが)。

 ヴァイスシュトルムは、2000mを走るだけのスタミナはもう()ている。しかし、現状のままでは良いところ2300mまでが限界だと言わざるを得ない。

 彼女が目標にしているレースの一つ「日本ダービー」は、東京レース場芝2400m戦。後たった100m足りなかった。

「……二月中は水泳を多めにして、少しでも柔軟性を付けさせるべき、か?」

 重力の影響を浮力(ふりょく)で軽減できる水泳は、膝や腰などにかかる負担が少なく、リハビリにも最適な運動である。そのリハビリにも最適というのが重要で、水泳は無理なく全身の筋肉を鍛えることができ、その反対に筋肉全体を解す事も可能な運動なのである。

 重力の影響が(ほとん)どない水泳は、スタミナも柔軟性も、欲を言えば怪我(けが)()いにくくなるしなやかな筋肉も欲しいヴァイスシュトルムにとって、(まさ)にうってつけのトレーニングであった。

「と、いうわけで、今週からは水泳を増やしていくぞ。明日は坂路(はんろ)で水曜日は水泳、木曜日はポリトラック、金曜日は水泳と交互にやっていく予定だ」

 結局、トレーニングメニューの再考に熱が入った神谷は、今日のトレーニングの監督を全てシュプリュレーゲンに一任することにした(もちろん、トレーニングの内容を詳しく説明した上で、タイム測定や休憩時間の管理など、比較的簡単なタイムキーパー役であった。万が一の場合は、神谷もすぐに対応できるように準備だけはしていた)。シュプリュレーゲンとのトレーニングが終了し、神谷の元へと戻ってきたヴァイスシュトルムに対して、開口一番そう告げた。

「いや、『と、いうわけで』って言われても……どういう訳? 水泳が増えるのは別に良いけど……」

 玉のような汗が浮かぶ顔を(あき)れさせて神谷を見たヴァイスシュトルムは、隣のシュプリュレーゲンの顔を(うかが)うように見る。ヴァイスシュトルムにタオルを手渡したシュプリュレーゲンは、神谷の言いたいことが何となく理解できていた。しかし、自分がそれを答えて良いものか逡巡(しゅんじゅん)して返答に(きゅう)していた。

「ヴァイスシュトルム、君の弱点は身体が硬いことだ」

「え、あ、うん……?」

 戸惑(とまど)いを浮かべた表情で神谷を見つめ直したヴァイスシュトルムは、神谷の次の言葉を待つ。

「つまり、今のままでは幾らスタミナトレーニングをしても、大幅な距離延長は見込めない。そこで」

「水泳で柔軟性を鍛えようってこと?」

 ヴァイスシュトルムの返答に、我が意を得たりといった顔をした神谷は、満足げに大きく頷いた。

「ふうん……わかった」

 ヴァイスシュトルムはそれだけを言うと、タオルをシュプリュレーゲンが持つ(かご)に入れ、ジャージの上着を羽織(はお)り直した。

「今日はここまでにしておこうか。さっきも言ったように、明日は水泳だからな」

「はいはい、わかってるって。それじゃあ、また明日ね、トレーナーさん」

 手をひらひらと振ってコースを後にするヴァイスシュトルムを見送ってから、神谷はシュプリュレーゲンからトレーニングの所感レポートを受け取る。

 丁寧(ていねい)に書かれているレポートにざっと目を通し、トレーナーとしては最低限これくらいは見えて欲しいと設定していた合格ラインを大きく超えていることを確認した神谷は、宿題として一週間分のトレーニングメニュー作成を提案した。

「ただし、作成したトレーニングメニューには必ず、食事のバランス計算や分刻みの休憩時間も設定すること」

Ja(はい)! わかりまシタ!」

 嬉しそうにそう返事したシュプリュレーゲンは、足元に置いていた洗濯籠を手に持つ。

「シュプリュレーゲン? 今日のトレーナー研修は終わってるから、帰っても構わないぞ」

「神谷センセイはこのアト、ヴァイスが使ったタオルを洗濯したり、ワタシのレポートを良く……アー、細かク確認するのデショウ? 洗濯くらい手伝いマス!」

「む……いや、しかし……」

「シカシもカカシもアリマセーン!」

 絶対手伝うと洗濯籠を抱きしめて自分の後ろに隠すような仕草を取るシュプリュレーゲンに何も言えなくなった神谷は、とうとう根負けして洗濯を任せることにした。洗濯籠を楽しそうに抱えて歩くシュプリュレーゲンを横目に見た神谷は、洗濯の何が楽しいのだろうと首を(ひね)ったものの、その答えは出せそうになかった。

「ところでシュプリュレーゲン」

「何ですカ? 神谷センセイ♪」

「『センセイ』はやめてくれ……」

「ふふふ……いやデース♪」

 

 夕飯のハンバーグを口に放り込んだヴァイスシュトルムは、テレビから流れる音楽番組の内容を流し聞きながら、明日からのトレーニングメニューについて考えていた。

「柔軟性、かぁ……」

 柔軟性を鍛えるといっても、自分の身体が特別硬いと感じたことのないヴァイスシュトルムにとっては、いまいちしっくりと来ない。しかし、(はた)から見るとどうやら柔軟性に(とぼ)しいらしいことは、神谷の言葉に無言ながらも同意を示していたシュプリュレーゲンの様子からも明らかだった。

「うーん……」

 頰杖をついて考え込むヴァイスシュトルムは、考えに没頭するあまり、後ろから声を掛けてくるウマ娘に気づいていなかった。

「ヴァイス? ……こーらっ。肘を付いて食事するのは行儀(ぎょうぎ)が悪いよ?」

「ひゃぁっ!?」

 耳元で不意にやや低音の心地良い声で(ささや)かれたヴァイスシュトルムは、椅子から飛び上がるかのように身体を跳ねさせた。耳と尻尾をピンと立て、囁いてきた人物へ慌ててと向き直る。そこには、悪戯(いたずら)を成功させて満足げに笑みを浮かべるフジキセキが立っていた。

「びっくりしたぁ……。もー、耳元で囁くの止めてってば……」

 フジキセキに文句を言うヴァイスシュトルムは、拗ねたように頰を膨らませて抗議を示していた。それを軽く受け流したフジキセキは、ヴァイスシュトルムの隣に手に持っていた自分の料理を置いてから席に着いた。

「それで、一体何を考え込んでたのかな?」

「フジのそういうところズルいと思うな……。トレーナーさんからさ、明日からは柔軟性を鍛えるって言われてて……でも、そんなに柔軟性がないとは思えないんだけどなぁ」

「なるほどね……。でも、トレーナーさんの言いたいことも何となくわかるよ」

 フジキセキの言葉に目を大きくしたヴァイスシュトルムは、隣で行儀良く食事をする彼女に身を乗り出して詰め寄った。

「本当に!? 教えて、フジ!」

「近い近い近い……少し落ち着こう?」

 頰が触れ合うほどに勢い良く接近してくるヴァイスシュトルムに、流石(さすが)のフジキセキも体を引く。我に返ったようにヴァイスシュトルムは、元通りに椅子に座り直すと一つ咳払いをした。

「それで、トレーナーさんは何で柔軟性を鍛えるって言いだしたの?」

 至極(しごく)真面目(まじめ)な顔をして自分に相対(あいたい)するヴァイスシュトルムに、フジキセキは微笑ましい気持ちになる。自分も将来、トレーナーとこんな風に信頼できる関係を築く事ができるだろうか。そう思いを()せた、まだ見ぬ自分を担当するトレーナーの顔が、無意識のうちに神谷に変化していたことにフジキセキはまだ気づかない。それでも、彼女が神谷の元で走るようになるのは、きっと遠い話ではないのかもしれない。

「トレーナーさんはきっと、『もったいない』って思ってるんだよ」

「……もったいない?」

 不思議(ふしぎ)そうに首を横へと倒したヴァイスシュトルムは、次の言葉を催促(さいそく)するようにフジキセキの顔を見つめる。そんな彼女に苦笑してから、フジキセキは何がもったいないのか詳しく話すことにした。

「ヴァイスの強みの一つに、走りが器用なことがあると思うんだけど、その器用さを()かし切れていないんじゃないかって思うんだ。それが『もったいない』んじゃないかな? だから、その器用さを活かすために柔軟性の獲得が必要なんじゃないかな?」

 フジキセキの言葉に思うところがあったのか、ヴァイスシュトルムは再び難しい顔をして考え込む。

 ヴァイスシュトルムの姿を微笑みながら見守るフジキセキは、自分の内に芽生(めば)えた感情を決して外には出さなかった。順調に信頼関係を深めていくヴァイスシュトルムが羨ましくてしょうがない、なんて到底エンターテイナーフジキセキらしくないことをさらけ出したり、他のウマ娘たちに知られたりするわけにはいかなかった。

 

 

 フジキセキとの会話で、自分が納得できる落とし所を見付けたヴァイスシュトルムは、翌日から文句を言うこともなく粛々(しゅくしゅく)とトレーニングメニューをこなしていった。

 トレーニングを重ねる(ごと)に、少しずつ柔軟性を獲得していくヴァイスシュトルムに、神谷は確かな手応えを感じていた。これならば、日本ダービーに間に合うかも知れない。そう神谷に思わせるほど、トレーニングは順調だった。

 その矢先に、今年のクラシックを揺るがす大事件が発生するなど、誰も予想だにしなかった。

 

 

『さあ! 最終コーナー回って各ウマ娘が一斉にスパートを掛ける! 一番人気の7番アクアスフィアはまだ後方、ここから本領発揮か! 11番ノーブルライトはアクアスフィアから逃げ切れるのか!?』

 GⅡ弥生賞(やよいしょう)。三月一週(開催年によっては三月二週の時もある)の日曜日に開催されるこのレースは、皐月賞(さつきしょう)のトライアルレースの一つであり、本競走一着から三着までのウマ娘にはGⅠ皐月賞への優先出走権が与えられる。

 特にこのレースは、中山レース場芝2000Mでの開催であり、皐月賞と条件は同じ。このレースに勝利したウマ娘は、名実共にクラシック路線の本命となりうる扱いを受ける。過去には三冠ウマ娘となったミスターシービー、シンボリルドルフ。ダービーウマ娘のサクラチヨノオーなどが勝利しているステップ競走である。

『ノーブルライト先頭! ノーブルライト先頭だ! 中山の急坂をいの一番に駆け上がる! アクアスフィアはまだ三バ身後ろ! これはノーブルライトで決まりか!』

 ――中山の短い直線も、心臓破りの坂も十八人の中で一番にたどり着いた。後はこの坂を一番に登り切るだけ――。ノーブルライトは坂の半ばで気合いを入れ直す。

 脚も、心臓も、更に言えば肺までもが限界だと叫んでいる。それでも、幼い頃に大切な親友と「クラシックとティアラで並び立つ」と約束した夢を叶えるためにも、ここで(くじ)けるわけにはいかなかった。

「リリーちゃんに置いて行かれたくないから、ここで負けられない……ッ!?」

 ゴールまで後100M、坂を登り切る直前でノーブルライトの背筋に冷たいものが走る。悪寒(おかん)にも似たそれは(まぎ)れもなく、後ろを走るアクアスフィアから発せられた重圧(プレッシャー)だった。

『来た来た来た来た! ここでアクアスフィアが更に加速! ノーブルライトを追い詰める! ノーブルライトは厳しいか、脚色が鈍り始めているぞ!』

 アクアスフィアが力強く芝を踏みしめた瞬間(あふ)れ出したそれは、ノーブルライトを(ひる)ませるには十分だった。実際にノーブルライトには聞こえるはずのない芝を力強く蹴る音は、しかし確りとノーブルライトに届いていた。アクアスフィアが芝を踏みしめる音が凄まじい速度と勢いで自分に(せま)って来る。この事実に、ノーブルライトは恐怖を覚えた。

(は、早く逃げなきゃ……)

 焦りを覚えた身体は、自分の早く前へとの意思とは裏腹に、硬く、遅くなっていく。そして、アクアスフィアはその隙を見逃すような甘いウマ娘ではなかった。

「……お疲れ様、ノーブル」

「ひぁ……ひっ! ……かひゅっ!」

『アクアスフィア! アクアスフィアだ! ゴール前でノーブルライトを差し切った!』

 ゴール目前の(わず)か20Mで大きく息を()きだしたノーブルライトを、アクアスフィアは一瞬で交わした。その勢いを欠片も緩めることなくゴールへ飛び込むアクアスフィアに遅れることコンマ二秒、ノーブルライトがゴール板を駆け抜けた。中山レース場最後の坂を登り切り、ゴールまでのおよそ100Mでスタミナを全てアクアスフィアの重圧に持って行かれたノーブルライトは(うつむ)き、膝に手をついて荒い呼吸を繰り返すことしかできない。アクアスフィアの重圧に屈してしまった悔しさに、ノーブルライトの両眼(りょうがん)には涙が(にじ)んでいた。

『勝ったのはアクアスフィア! ジュニア級とは思えない走りで、見事トライアル戦に勝利しました! 本番への期待が高まります!』

 アクアスフィアは悠々と観客席に一礼をしてレース場を後にする。まだ息も整わないノーブルライトは、両眼から流れる涙もそのままに、レース場を後にするアクアスフィアを見送ることしかできなかった。

 それから五分後、俯きがちにとぼとぼと歩いて控え室へ戻ってきたノーブルライトは、アクアスフィアのトレーナーである弓削(ゆげ)が慌ただしく部屋を出て行くところと鉢合わせた。

 ノーブルライトを一顧(いっこ)だにせずに走り去る弓削の姿に、彼女は何か起こったのかと興味を引かれたものの、好奇心を抑えて自らの控え室へと入る。ノーブルライトが控え室に戻ってからしばらく()った後も、アクアスフィアの控え室は騒然としていた。

 

 ――悲劇……。アクアスフィア、右脚疲労骨折。皐月賞・日本ダービーは絶望的か――。

 昨日、中山レース場で行われたGⅡ弥生賞(皐月賞トライアル・芝2000M)において、素晴らしい末脚(上がり三ハロン三十三秒二)で勝利したアクアスフィアがレース後、右脚を骨折していたことが判明した。

 レース後、控え室に戻ったアクアスフィアは、弓削トレーナーに脚の違和感と痛みを訴え、すぐさま弓削トレーナーと共に病院へ。診察の結果、右脚の腓骨(ひこつ)を疲労骨折していた。

 完治には二カ月程度かかるとみられ、元のように走れるようになるには更に日数を必要とすることから、関係者の間では皐月賞・日本ダービーには出走できないとの見方が強い。

 アクアスフィア本人は、日本ダービーへの出走を目指して治療及びリハビリを行うとのこと。

 アクアスフィアの離脱により、今年のクラシック路線は「本命不在」となる公算が強まっている。




お 待 た せ(土下座)

いや、バレンタイン前迄には半分くらい書き上がってたんですよ。なんなら、バレンタイン特別でもやるか~とか油断してたら、仕事がですね、その、めちゃくちゃ忙しくなりましてハイ……。結局三月目前に投稿している状況です。
いやほんとすまんかった。

(2)はなるべく早く書き上げられるように頑張りますので、よろしければ声援オナシャス。

それではまた次回お会いできますように……。
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