ウマ娘プリティダービー ~月毛のウマ娘~    作:蒙駄目猫

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♯18.桜の女王

 旧理科準備室を後にしたヴァイスシュトルムは、寮に戻るべくトレセン学園内を歩いていた。

 ここ暫くの間、正門には駿川たづなが常に立って目を光らせているのだが、今日はその姿が見えない。そのことにヴァイスシュトルムは(かす)かな違和感を覚えていた。

「……まぁ、たづなさんにも他の仕事はあるもんね」

 そう呟いて、ヴァイスシュトルムが一人で正門を出た瞬間、眩いばかりの光がヴァイスシュトルムを包んだ。

「っ!!」

「ヴァイスシュトルムさん! 今からでもモデルに転身しませんか!」

「そんな風に()せてしまうほど過酷なレースを続けるよりも、貴女には相応(ふさわ)しい世界があると思いませんか!」

「貴女の美しい姿で、世間の人々を癒しませんか!」

 口々に好き勝手な事を言う記者に、混乱から回復したヴァイスシュトルムは怒りで目の前が真っ赤に染まった。一体、誰のせいでこんなに辛い思いをしていると思っているのか、勝手なことを言わないで! と一瞬で上がった熱は、ニヤニヤと下卑(げび)た笑みを浮かべる記者達の姿に、スッと一瞬で冷めていった。

 他人を(おとし)めることしかできない記者に、何を語ってもムダだと再確認したヴァイスシュトルムは、ただ一言だけ答えることにした。

「ええと……。学園の許可がない取材はお受けできないので、学園を通して取材の申し込みをお願いします。それでは」

 頭を下げたヴァイスシュトルムは、記者達の脇をすり抜けるようにして寮の正門へと向かう。

「ちょっと、待って下さいよヴァイスシュトルムさん……うわあっ!?」

 一人の記者がヴァイスシュトルムの腕を掴もうと手を伸ばしたが、その手は彼女の細腕を掴むことはなく、何故か、誰かに掴み上げられたかのように不自然で不格好な姿を(さら)していた。

 突然、何もない空中に掴み上げられ、一瞬とはいえ身体が浮いた記者は、腰を抜かしたように地面に座り込むと、何もない空中を見て泡を食っていた。

 周りの記者達も突然の超常現象に震え上がり、ヴァイスシュトルムの取材どころではなかった。今、目の前で起こった出来事を逃すわけには行かないと、編集部に電話してトレセン学園前で過去に事故がなかったか確認する者や、トレセン学園が開校する前の建物や土地が一体何だったのか調べさせる者、言い伝えや信仰等を確認し始める者と様々な反応を見せていた。

 そんな喧噪(けんそう)を後に、ヴァイスシュトルムは栗東寮の中へと姿を消したのだった。

 後日発売された週刊誌の多くには、『トレセン学園で怪奇現象! その謎の究明に挑む!』といったオカルト記事が掲載されており、ヴァイスシュトルムへの注目は一気に下がる格好になった。

 

「『トレセン学園で突如(とつじょ)沸き起こった怪奇現象。我々はこれからもこの謎の解明に挑み続ける!』ねぇ……」

 週刊誌をローテーブルの上に投げ出して、神谷は椅子代わりに腰掛けていたベッドへと体を投げ出した。降って湧いた怪奇現象騒動のおかげで、ヴァイスシュトルムへの突撃取材は激減し、以前のように落ち着いた日々がここ数日の間は続いていた。時折、この数ヶ月間の元凶となった男女三人組の週刊誌記者が相も変わらず押し掛けて来るものの、何故か彼らが来るときに限って怪奇現象が発生したり、たまたま通りがかったゴールドシップに追いかけ回されたり(その後、ずぶ濡れで帰る姿を神谷は何度も目撃している)と散々な目に遭うためか、現在はその頻度(ひんど)も低下していた。

「……ううん。怪奇現象は置いとくにしても、ゴールドシップには一度お礼をするべきか? でもなぁ……ゴルシだからなぁ……」

「何だぁ? この超絶美少女ウマ娘ゴルシちゃんに不満でもあんのかオメー!」

「いや、一度頭陀袋(ずだぶくろ)に放り込まれた時のことがだな……。……ええと、ゴールドシップ? 何時(いつ)からそこに?」

 神谷の独り言に対して憤慨(ふんがい)したように美しい銀色の長い髪を揺らしたゴールドシップは、当たり前のようにローテーブルの前で行儀良く正座をして、冷蔵庫から勝手に拝借(はいしゃく)したであろう緑茶を飲んでいた。

 (くつろ)いだ様子でお茶を飲むゴールドシップの姿は、お手本のような美しい所作であり絵になる光景であったが、神谷にとってはそれどころではない。

 なぜなら、神谷が寛いでいるここはトレーナー寮の自室であり、ウマ娘がそうそう立ち寄るような場所ではないのだから。

「鍵を閉め忘れたか? いやでも、昨日帰ってきてから今日は出かけてないし……」

「ふっ……鍵なんてなくても、このゴルシ様にはどうってことはなかったぜ。ああ、今思い出しても楽しかったなぁ、蝶番(ちょうつがい)のやろうとの一週間に(わた)る死闘……。最後はアイツ、突然乱入してきたエイリアンから繰り出された一本背負いからアタシを(かば)ってよ……粉々に砕け散ったんだったな……元気にしてっかな」

「いや、乱入してきたエイリアンから一本背負いを食らうって何だよ、いやそれよりも蝶番と一週間の死闘ってどういうこと? お前は何と戦っ……蝶番?」

 ゴールドシップの荒唐無稽(こうとうむけい)な話に、思わずツッコミを入れてから、神谷ははたと気づいた。

 ベッドから勢い良く起き上がると、そのまま玄関に急行した神谷の目に映ったのは、壁に立て掛けられた見覚えのありすぎる扉と、見るも無惨(むざん)に砕け散った蝶番の残骸らしき金属片――間違いなく、昨日確りと施錠をした玄関扉の変わり果てた姿――だった。

「はあああああああああ!? 何してくれてんだゴルシぃ!!」

「何ってオメー、見てわかんねーのか? 無料開錠サービスに決まってんじゃねーか」

「そういう話じゃねーよ! そもそも、そんなもん頼む必要がないだろうが!!」

 泡を食ったように部屋に戻って来た神谷に対して、何を言っているんだコイツは、と言わんばかりの真顔で答えるゴールドシップ。彼女は泰然自若とした態度を崩すことはなく、のんびりと手に持ったグラスを傾ける。その姿に神谷は、文字通り頭を抱えた。

「入居して一年位しか()ってないのに、扉を完全に破壊したとか……管理人さんになんて言えば」

 神谷の脳裏には、トレーナー寮ですれ違うといつもニコニコと柔和(にゅうわ)な笑みで挨拶(あいさつ)をしてくれる、気の良い管理人の姿が浮かんでいた。

「細けぇ事は気にすんなって。オメーはもっとどっしり構えとかねーと、ヴァイスの奴がまーた苦労すんだろうが」

 言葉こそ軽いが、ゴールドシップ自身は至極真面目な顔をしており、思わず神谷も黙り込んだ。しかし、神谷にも譲れないことはある。

「いや、細かくはないんだわ。それに、扉を破壊した本人が言うことじゃないよな?」

「ちっ、これだから頭カッチコッチステーションはよー。その内オメーはホームに置き去りにされっぞ!」

 つまらなさそうに頭の後ろで手を組むゴールドシップ相手に、神谷は最早大きな()め息を()くことしかできなかった。

 言いたいことを神谷に()き出しきったゴールドシップは、冷蔵庫で冷やしていた緑茶とめぼしい菓子(昨日仕事終わりに購入した、差入れ用の少しお高い羊羹(ようかん)も含まれていた)を容赦なく平らげ、最後に念を押すように「ヴァイスのことをもっとちゃんと見てやれ。そんくらいわかってんだろ?」と言い残すと壊れた玄関をそのままに、神谷の部屋から颯爽(さっそう)と出ていった。

「ちゃんと見てやれ……か」

 そう呟いた神谷だったが、春先の冷たい風が吹き込んで来る部屋の現状に身体を震わせる。また溜め息を一つ吐いてから、神谷は休日の朝から、玄関の惨状(さんじょう)を説明するために管理人室へと足を運ぶ羽目(はめ)になったのだった。

 

 

 おやつ時となった栗東寮の食堂では、外出しなかったウマ娘達が放映されているレース中継を見ながら出走している娘を応援したり、レースについて熱く話し込んだりと賑わいを見せていた。そんな中、サザンエースと一緒に彼女お手製のクッキーを摘まんでいたヴァイスシュトルムは、テレビ画面を見るでもなく時折ぼんやりと何もない空中を眺めていた。

「……本当に部屋で休まなくて大丈夫? 顔色はかなり悪いけど」

「……ううん、平気」

 顔に「とても心配」と大きく書いたサザンエースは、何度か部屋に帰ろうと促すが、ヴァイスシュトルムは一向に動こうとしなかった。

 アグネスタキオンに飲まされた、栄養吸収効率を高める薬――後日、グリーンティEX+と名付けたらしい――を、一日一本飲むようにと言い含めて二週間分渡して来た時のアグネスタキオンの顔は、心配七割、楽しみ三割と言った様子だった。しかし、薬の効果自体はやはり本物で、ここ(しばら)くの間大きく落ちる一方だった体重の減少に歯止めが掛かっていた。

 しかし相変わらず食事量の改善には遠く、少しずつ改善しているものの、その歩みは牛歩のようだった。

 食べたいのに食べられない事も無意識のストレスとなっているらしく、ストレスが溜まった結果としてぼんやりと虚空(こくう)を眺める事が増えたヴァイスシュトルムは、授業もトレーニングも身に入らないといった数日を過ごしていた。

 同室のサザンエースとしてはそんなヴァイスシュトルムを放っておく事ができず、授業でも食事でも……果ては風呂に(いた)るまで、ヴァイスシュトルムの手助け、もとい介助を行っている状況だった(サザンエースのトレーナーである今井(いまい)洋子(ようこ)は、そんな状況のサザンエースに対して、何とも言えない顔を良く見せている)。サザンエースが少し目を離した隙に、再び(ぼう)としていたヴァイスシュトルムは、手に持っていたクッキーを皿の上に落とした。その音にはっとしたように自分の手を見つめるヴァイスシュトルムの表情は、信じられないものを見たかのようだった。

 そんなヴァイスシュトルムに、一体何と声を掛けるべきか。サザンエースが言葉を選んでいると、不意に後ろから現れた綺麗(きれい)な銀髪を持つ長身のウマ娘が、ヴァイスシュトルムの目の前にあるクッキーを鷲掴みにしていた。

「おいおいヴァイス。あんまりぼーっとしてっと、こんな風にゴルシちゃんに色々と()(さら)われんぞ☆」

「……日曜日にゴルシが寮にいるって珍しいね?」

「今日は竜宮城にお呼ばれしてねーからな。こんなときは、雲を突き破れるように豆を育成しねーと」

 相変わらずどこまで本気かよくわからないゴールドシップの言動に、ヴァイスシュトルムは苦笑いを浮かべる。半眼でゴールドシップを見ていたサザンエースは、ゴールドシップが左手に持っているドアノブに気が付いた。

「ねぇ、ゴールドシップ。何でドアノブなんて持ってるの?」

「いっけね。ゴルシ様ともあろう者が、蝶番との格闘に夢中でドアノブ一等兵……いや、二階級特進で今は伍長だか曹長だったかの存在を忘れてたか。ヴァイス、これ返品しといてくれ」

 ゴールドシップは左手に持っていたドアノブをヴァイスシュトルムに投げ渡すと、クッキーの乗った皿を自分の方へと引き寄せる。ドアノブを受け取ったヴァイスシュトルムは、ドアノブを返品すると言うゴールドシップの言葉に首を傾げた。

「うわっ……と。ゴルシ、ドアノブを返品するって、誰に?」

「あん? 見てわかんねーのか? ヴァイスちゃんもまだまだだなー。オメーのトレーナーに決まってんじゃねーか」

 ゴールドシップの言葉に、益々(ますます)困惑したヴァイスシュトルムは、助けを求めるようにサザンエースに顔を向ける。しかし、サザンエースにも理解できるわけがなかった。

 二人が顔を見合わせ、揃って首を傾げる姿に、ゴールドシップは幼い子供を見守るような、しかし人を小バカにしたようにも見える生暖かい視線を送った。

「しゃーねーな。わかるようにしっかり説明してやっから、よーく聞くんだぞ」

 ゴールドシップに対して揃って耳を絞っていた二人は、話を聞くために耳は絞ったままゴールドシップを注視する。

 ゴールドシップは二人が話を聞く姿勢になったことを確認して、今朝のトレーナー寮であった話をし始めた。

 

「それでよー、ヴァイスのトレーナーの奴、中々良い菓子の趣味しててよ。ついつい食べ過ぎちまった」

「…………ちょっと待って、私のトレーナーさんの部屋に、ゴルシが行ったの? しかもトレーナーさんのお菓子まで強奪したの?」

 話を最後まで聞いたヴァイスシュトルムは、目を見開いて信じられないものを見るような目でゴールドシップを見つめる。彼女の隣で同じように話を聞いていたはずのサザンエースは、いつの間にか姿を消し、中等部の後輩達に囲まれていた。

「あん? そうだって言ってんじゃねーか」

「へぇ……その話、詳しく聞かせて欲しいな? ゴールドシップ?」

 突如聞こえてきたドスの効いた低い声に、ゴールドシップに更に詰め寄ろうとしていたヴァイスシュトルムは、尻尾をピンと跳ねさせてゴールドシップから目を逸らした。名前を呼ばれたゴールドシップは、泰然自若としていたものの、笑みを浮かべたその頰には、冷や汗が伝っていた。

 それから間を置かずにゴールドシップの後ろから現れたフジキセキは、いつものように温和な笑みを浮かべてはいたものの、その背後にどす黒い何かを背負っているような、場が凍り、背筋が寒くなるような迫力を(かも)し出していた。

「……担当されてるヴァイスよりも、担当されてないフジの方が本気でキレてね? 流石にこれはゴルシちゃんも予想外だわ」

 ゴールドシップの至極真っ当な呟きは、カフェテリアの(ざわ)めきに消えていったのだった。

 

 

 四月第二週の日曜日。トレセン学園では春のファン大感謝祭が開催される。秋のファン大感謝祭とは異なり、体育祭的な色の強いイベントである。しかし、同じ日にトレセン学園から遠く離れた阪神レース場では、桜花賞が開催されようとしていた。

『満開の美しい芝桜が咲き誇るここ、阪神レース場に十八人のウマ娘が(つど)いました。クラシック競走の始まりを告げるGⅠ桜花賞。発走時間が刻一刻と近づいています!』

 GⅠ桜花賞。皐月賞・日本ダービー・オークス・菊花賞と共にクラシック競走を構成し、クラシック五大競走の始まりを告げる第一走目である。

 ――ティアラ路線では、桜花賞・オークスを勝利した上で、クラシック級ウマ娘だけが挑戦できる秋華賞か、旧ビクトリアカップ(=エリザベス女王杯)を勝利したウマ娘を伝統的にトリプルティアラと呼称している(ビクトリアカップはエリザベス二世の来日を記念してエリザベス女王杯に改称後、シニア級にも解放された。そのため現在は、桜花賞・オークス・秋華賞の三競走を勝利したウマ娘だけがトリプルティアラウマ娘とされる)が、両競走はクラシック競走ではない。

 イギリスのクラシック競走をモデルとしたため、三冠路線もティアラ路線もクラシック三冠目の競走は、セントレジャーステークスをモデルとした菊花賞が最終戦となる。

 つまり、日本でクラシック三冠を名乗れるウマ娘は、皐月賞・日本ダービー・菊花賞、桜花賞・オークス・菊花賞、皐月賞・オークス・菊花賞、桜花賞・日本ダービー・菊花賞の四通りがあり、そのいずれかで勝利したウマ娘だけである(今現在は皐月賞・日本ダービー・菊花賞のクラシック三冠しか達成されていない)。

 超長距離GⅠである菊花賞ではなく、ティアラ路線用の三冠目を望む声に応える形でフランスのヴェルメイユ賞をモデルに創設されたのがビクトリアカップである。そのビクトリアカップは、エリザベス二世の来日記念としてエリザベス女王杯に改称され、シニア級ウマ娘にも解放された。

 再びなくなってしまったクラシック級限定のティアラ路線用に、改めて三冠目として創設されたのが秋華賞である。

 詰まる所、秋華賞とエリザベス女王杯はその創設過程から、優秀なクラシック級ウマ娘を決めると言った目的でイギリスのクラシック競走を手本に整備されたクラシック五大競走とは異なる意図を持って(優秀なクラシック級ウマ娘を決める為のレースである、という点では異なるとは言えないのだが、やはり微妙に創設の意図が異なっている)創設されたため、クラシック競走には含まないとされているのである。

 トリプルティアラを手にエリザベス女王杯で戴冠(たいかん)したウマ娘は、ティアラ四冠達成として名実共にクイーンウマ娘として歴史に名を残すことになる。更に言えば、阪神ジュベナイルフィリーズとヴィクトリアマイルを加えたティアラ六冠を達成したウマ娘は、現在に至るまで現れていない――。

 

 桜花賞の出走時刻が(せま)り、ゲートに続々と集まってきた出走ウマ娘達の中に、そのウマ娘の姿もあった。

『本日の一番人気! メイクンリリーがゲートに入ります! 無敗で迎えた大一番。果たして、汚れなき桜の女王は誕生するのか!』

「……ふぅ」

 レース発走時間が迫っていることを知らせるように関西GⅠファンファーレが高らかに鳴り響く中、ゲートに入って一つ息を()いたメイクンリリーは、右手を左胸に当てて目を(つむ)る。

 幼い頃、無邪気に思い描き夢見ていた舞台に、無敗で立つことが叶った今、彼女の胸に少しの緊張と高揚感が湧き起こる。ヴァイスシュトルムにも、親友のノーブルライトにも、トゥインクルシリーズでの栄冠だけは譲れない。

 桜花賞はメイクンリリーにとって、ヴァイスシュトルムもノーブルライトも、勿論、他のウマ娘も、誰にも並ばせない、並び立つ者のいない栄光の道を踏み出す為の大切な第一歩だった。

「……」

 静かに、ゆっくりと目を開いたメイクンリリーは、眼前のターフとそれを(さえぎ)るゲートだけを見つめる。まだ鳴り響いているはずのファンファーレも、観客の騒めきも、彼女の耳にはもう入ってこなかった。

 ――準備はできた。後は、ここにいる誰よりも早く、ゴールを駆け抜けるだけ。簡単よね? メイクンリリー(アタシ)――。

『最後に大外18番、オイシイプディングがゲートに収まります。体勢完了』

 全員がゲートに収まり、ゲート前からスタッフが退避したことを確認して、発走委員(スターター)が右手に持った旗を掲げ、左手のリバーサー(ゲートを遠隔で開くための装置)を操作する。

 ゲートが開くと同時に、18人のウマ娘が一斉に飛び出した。

『スタートしました。勢い良く飛び出したのは一番人気、8番メイクンリリー。3番のクイーンズホロー、12番イーグルアイが続きます』

 理想的なスタートを切れたメイクンリリーは、勢いそのままに(はな)へと立つ。十七人を引き連れて、阪神レース場外回りコースにある緩やかな坂を登って行く。1200Mを過ぎて第三コーナーに差し掛かろうかと言うところで、メイクンリリーは後続のウマ娘との先頭争いを行うことになった。

『7番メルティキスがここで先頭に立つか、メイクンリリーも負けてはいないようです。その後ろから1番ドコドコ、17番スイートメモリー。9番スタートレイル並び駆けてきた』

 メルティキスが激しめにメイクンリリーに()りかけ、何度か脚や腕、膝や肘をぶつけながら端に立つ。メイクンリリーはそれに顔を(しか)めながらも、負けじとメルティキスを抜き返す。そんな二人から二バ身程距離を開けて走っているスイートメモリーは、不気味にほくそ笑んだ。

「……っ! さっきから痛いのよっ!」

「っ! いい加減、端を譲りなさいよリリー!」

 ジリジリとメイクンリリーを内(らち)に追いやるメルティキスだが、彼女の予定ではとっくにメイクンリリーを抜き去っているはずだった。

 メイクンリリーには、後ろにピッタリとマークされるとレース運びに支障を来す悪癖がある。その悪癖は無意識と言っても過言ではなく、この短期間で克服できるものではない。それが多くのトレーナーの見解であったし、また、メイクンリリーと似たタイプのウマ娘が過去に示してきた結果だった。

「……なんで、この娘はまだブレていないの?」

 メルティキスの呟きの通り、メイクンリリーは逃げを潰されようとしてなお、レース運びに綻びを見せなかった。それどころか殊更(ことさら)レース運びが完璧に近付きつつあった。

 メイクンリリーにとって、半年前のサウジアラビアRCは屈辱的な結果だった。ヴァイスシュトルムを侮っていたわけではない、しかし、自分でも気づいていなかった悪癖に彼女は気付き、徹底的にメイクンリリーの後ろをマークし続けた。背後にピタリと張り付くヴァイスシュトルムの気配と、殺気にも似たプレッシャー。背筋には冷や汗が伝い、全身が粟立つ感覚を今も鮮明に覚えている。そして、第三コーナーで颯爽と抜き去るヴァイスシュトルムの格好いい姿に一瞬見蕩(みと)れて、すぐに情けなくなった。レース中にも関わらず、敵に見蕩れる余裕があった自分が情けなく、また(みじ)めだった。

 あの後、ヴァイスシュトルムに置いて行かれたくない一身でがむしゃらに走ったことは覚えているが、記憶は判然としない。しかし、東京レース場の坂を登る途中で一瞬、ほんの一瞬だけ視界がクリアになり、周囲の音が何も聞こえなくなった事だけは、はっきりと覚えている。

 あの感覚が何だったのかは、メイクンリリーにはわからない。あの感覚を掴みたいと、トレーニングに励んだこともあったが手応えはなく、訳知り顔のトレーナーからは、今回は忘れるようにと言い含められた。

 そして、仮想ヴァイスシュトルムを相手に、桜花賞のシミュレーションに明け暮れる日々が続き、今に至る。そんな彼女だからこそ、この甘いマークに関して断言できる事がある。

 ヴァイスシュトルムの方がずっと恐ろしいし、レース道中の運び方は美しかったと。

「……ヴァイス先輩に比べたら、あんた達は優し過ぎるのよ!」

「!? まっ……!」

 残り半分、800Mを切ってすぐに入った第四コーナー。メイクンリリーはメルティキスを交わすと、緩やかな下り坂で徐々に加速していく。早めに仕掛けたメイクンリリーに、場内には歓声が沸いた。

『メイクンリリー、ここで抜け出した! 後続とは四、五バ身程のリード! メルティキス苦しいか、スイートメモリーが二番手に上がってきた!』

「いけるっ!」

 前二人の削り合いにほくそ笑んでいたスイートメモリーが、待ってましたと言わんばかりにスパートをかけ始める。メルティキスは追い(すが)ろうとするものの、力を失ってずるずると後退していき、最終直線へと入った時には既に、後方集団に取り込まれていた。

『メイクンリリー独走! 二番手スイートメモリーとは六バ身空いて残り300Mといったところ、これは決まったか!』

 メイクンリリーが坂に辿り着いたとほぼ同時に、スイートメモリーが爆発的な加速で追い上げる。

『スイートメモリーが来た! 素晴らしい末脚でメイクンリリーに迫る! その差は三バ身! 更に差を詰めて来る!』

 爆発的な末脚でメイクンリリーに迫るスイートメモリー。その差は六バ身あったのが三バ身となり、二バ身、一バ身半と徐々に縮まっていた。しかし、追われるメイクンリリーに焦りはなく、後ろからスイートメモリーが放つ重圧も大したことではなかった。

「……やっぱり、ヴァイス先輩の方がもっと怖い」

 そう呟くやいなや、メイクンリリーは踏みしめる脚に力を込めた。彼女の小柄な体躯(たいく)からは想像のつかない力強い走りで坂を登り切ったメイクンリリーは、詰められた差を改めて広げていく。

「っ、どこに、そんな力が……」

 全力でメイクンリリーを追い上げたスイートメモリーも、最早これまでだった。自分の出せる全力でメイクンリリーに並び追い抜ける自信があった。しかし、蓋を開けてみれば、メイクンリリーにはまだまだ余力があり、自分は一杯一杯で息も絶え絶え。彼女と自分との間にある明確な実力差をまざまざと見せつけられ、スイートメモリーには最後の気力も残らなかった。

 自分の全力が通用せず、生涯一度の冠を手にすることができなくなった。そう知覚した瞬間、スイートメモリーの両眼からは涙が溢れていた。

 溢れる涙に(にじ)む視界には、メイクンリリーが桜の冠を手にする瞬間――ゴール板を駆け抜けた瞬間が映っていた。

『メイクンリリーここで更に加速! 一体どこにそんな力があるのでしょうか! スイートメモリーは苦しいか、脚が伸びない! メイクンリリーだ! メイクンリリーが今一番にゴール板を駆け抜けた!』

 メイクンリリーがゴール板を駆け抜けた瞬間、観客席からは割れんばかりの歓声が轟いた。それを聞いたメイクンリリーは、口許を綻ばせて観客席に手を振った。

『勝ったのはメイクンリリー! 汚れなき桜の女王が誕生しました! 二着はスイートメモリー、三着にはクイーンズホローが入っています』

 一生に一度しか挑戦できないクラシックレース。桜の女王という一冠を逃したウマ娘達は、目に涙を溜めてメイクンリリーを見つめていた。その視線には、様々な想いが籠もっている。そんな視線を背中に受けながら、メイクンリリーもまた気を引き締める。まだティアラの一冠を手にしたに過ぎず、取るべき冠はまだ二つ、最強女王として歴史に名を残すには、四つの冠が残っているのだから。

「……樫の女王(オークス)も秋華賞も絶対私が取るんだから。そうじゃないと……」

 決意を口にしたメイクンリリーは、頭を(よぎ)った記憶に身体を震わせる。それから周囲を見渡して一つ息を吐いた。背中に肉食獣を思わせる鋭い視線を感じたような気がしたが、気が張っているせいで勘違いしたに違いない。なぜなら、メイクンリリーにそんな視線を向けるウマ娘は今頃、トレセン学園で春のファン大感謝祭に参加しているはずなのだから。

 

「っくしゅん!」

「大丈夫?」

 大きなくしゃみをしたヴァイスシュトルムは、心配するサザンエースに大丈夫だと返してから、不思議そうに首を傾げた。

「花粉症は持ってないはずなんだけどなぁ……誰かが噂してたのかな」

 そう独り()ちたヴァイスシュトルムは、澄み渡る青空を仰ぎ見て自分の参加種目の呼集に向かうのだった。

 




なんとかかんとか5月中に投稿できました。
……え? 明日には6月ですって? ミナカッタコトニシヨウ

つ、次こそは早めに上げるしっ!
(なお、守れるとは言ってない)

しかしあれだね、ゴルシの言動難しすぎてもうアレだわ。メイクンリリーがとても素直に見える。メイクンリリーとかただのツンデレロリウマ娘だったわ(?)。

いつも楽しみにして下さる皆様には、大変感謝しております。今後ともよろしくお願いしますね。
コメントやら誤字脱字報告もお待ちしております(小声)

それではまた次回お会いしませう
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