表現自体はそこまで残酷なものにはなっていないと思いますが、充分お気を付けてお読み下さい。
春のファン大感謝祭も終わり、新たな桜花賞ウマ娘が誕生した翌日。久しぶりの練習となったヴァイスシュトルムは、
「ヴァイス、どうかしたノ?」
「レーゲン……いや、何でもない」
そう言ってヴァイスシュトルムは再び坂路コースのスタート位置に立つ。彼女の様子に首を
「……ううん、なんかしっくり来ないなぁ。レーゲンにもトレーナーさんにも、これ以上心配かけたくないんだけどな……」
身体の違和感からトレーニングに集中できないでいたヴァイスシュトルムのタイムは、競走ウマ娘の中では特別速くも遅くもない平均的なものだった。端的にいえば、とても休養明けのウマ娘が出すタイムとは言い
「ヴァイスシュトルムの様子がおかしい? そりゃあ、走るフォームが変わったんだから仕方ないんじゃないか?」
「えっ」
ヴァイスシュトルムの様子がどこかおかしいと、トレーニング後に神谷へ報告したシュプリュレーゲンは、さも当然の
「なんだ、気づいてなかったのか……。良い機会だから、どうフォームが変わったのか、詳しく見てみると良い」
ミーティング用の長机を顎で
「うーん? 言われてみれば……?」
シュプリュレーゲンは頭に疑問符を浮かべながらも、しっかりと動画を確認し続ける。何度も何度も繰り返し再生し続けてようやく、小さな差異を見付けたシュプリュレーゲンは、それでもなお首を傾げていた。
「何となくわかった、かも」
「お、それじゃあ答え合わせするか」
シュプリュレーゲンの隣から身を乗り出すような体勢を取る神谷は、再び流れ始めた映像を指さすようにシュプリュレーゲンに伝える。
彼の行動に驚いて身を硬くしていたシュプリュレーゲンだが、神谷に
「うん、よく見れてる……が、それではまだ不十分だ」
シュプリュレーゲンが指摘した、ヴァイスシュトルムが休養明けから見せるようになった腕の振り方や脚の上げ方、小さな肩のブレは確かにその通りなのだが、最も肝心な体幹のブレ――腰の揺れ方やトモ(
「つまり、ヴァイスが不調な原因は体幹を支えられていないから……ってことですカ?」
「それだけとは言えないが、体幹がブレる事で肩の振れ方だったり、腕が横に流れたりしている部分はあるだろう」
背もたれに身体を預け、頭の後ろで腕を組んだ神谷は、天井を見ながら独り言のように呟いた。
「体幹がブレてエネルギーをムダにしてるっていうのに、タイム自体は以前と
ぼそりと呟いた神谷の言葉通り、ヴァイスシュトルムがトレーニングで記録した時計自体は、彼女が体調を崩す前に記録したものと遜色ない。それどころか、その時よりも早い時計を叩き出している事実と
「とりあえず、シュプリュレーゲンはあれだな。担当ウマ娘の
「はぁい……」
柔らかく笑いながら告げる神谷に、シュプリュレーゲンは耳を前に折りながら笑顔を返す。
その顔を見ながら、神谷もまた自らに同じ言葉を言い聞かせる。シュプリュレーゲンにかけた言葉が、そっくりそのまま自分に返ってきているような気がしてならなかった。その証拠に、先日ゴールドシップから言われた『ヴァイスのことをもっとちゃんと見てやれ。そんくらいわかってんだろ?』という言葉が神谷の脳内で再生される。
自由奔放、傍若無人とトレーナー達の間では言われるゴールドシップだが、あれでいて子供好きでお節介、中々の世話焼きな性格であることを神谷は知っている。そんなゴールドシップが
「……お互い、勉強することはまだまだ多いな」
「……?」
神谷の言葉に首をコテンと倒したシュプリュレーゲンは、
皐月賞の枠順が発表され、それと同時に行われた出走ウマ娘による合同記者会見も
「一時はどうなることかと思ったが、これなら大丈夫そうだな」
まだブレ気味な体幹は
ヴァイスシュトルムのフォーム矯正については、皐月賞の後、日本ダービーまでに矯正できれば一番理想的ではある。しかし、ダービーが終われば菊花賞トライアルまで、
皐月賞開催の二日前、この日は身体に疲労を残さないために、今まで鍛えた身体を維持する程度の軽いトレーニングで終わらせ、トレーナー室のホワイトボードを使用してのレース対策がメインになっていた。
「トレーナーさん、ちょっと休ませて……」
疲れたようにそう言って、ヴァイスシュトルムはトレーナー室の長机に突っ伏した。
「……レース理論関連になると、途端に体力がなくなるな。ヴァイスシュトルムは」
机の天板にだらしなく頰を付けたヴァイスシュトルムは、恨めしそうな顔をして神谷を見る。それから耳を伏せて目を瞑るとまるで神谷の言葉が聞こえないかのような態度を取り始めた。
「全く……。十分後に再開するからな」
やれやれと言わんばかりに呆れた顔をした神谷は、そう告げて給湯スペースに足を向ける。そんな二人を後ろから見ていたアイネスフウジンとシュプリュレーゲンは、顔を見合わせて笑い合った。
「ホント、授業中は優等生なヴァイスしか知らないクラスメイトにも見せてあげたいの」
「……絶対イヤ」
アイネスフウジンの言葉に、イヤそうに顔を
「……ヴァイスは昔から外面は完璧だからね。変わってなくて懐かしい気分だよ」
微笑みながらヴァイスシュトルムを見つめるシュプリュレーゲンに、ヴァイスシュトルムは
「でもホント、昔に戻ったみたい」
目を
あの頃、ヴァイスシュトルムと共に並んで居たはずのシュプリュレーゲンの姿は、今はもうどこにもない。
親友の隣で切磋琢磨しているのが自分ではなく、自分が師事している人の担当ウマ娘であることを改めて認識した途端、胸の奥が痛んだ。
「……ホント、昔のようだったら良かったのに」
目の前で
「何か言った? レーゲン」
「何も言ってないよ。そんなことより、回復したなら再開しよっか?」
一瞬で表情を取り
「もう……
ヴァイスシュトルムの姿に苦笑したシュプリュレーゲンは、ドイツ語で何かを呟くと口許を
そんなシュプリュレーゲンに対して、ヴァイスシュトルムの隣で彼女を見ていたアイネスフウジンはもちろん、給湯スペースから戻ってきた神谷は、揃って複雑そうな思いを抱いていた。
羨ましそうな目でターフを駆けるウマ娘を見つめるシュプリュレーゲンに、走りへの未練を徐々に諦めさせることは簡単だろう。現実として、彼女の脚は
一昨年のドイチェスダービーの映像で、勝負服である大きめな真紅のパーカーを風に泳がせ、まるで舞い踊るかのような軽やかさで一番にゴールを駆け抜けたウマ娘の姿に、神谷は目を奪われた。
フラッシュを浴びて輝かんばかりのウマ娘は、イギリスダービーに続いてドイチェスダービーを勝利したことにより、母国の記者やアナウンサーから国の誇りだと誉めそやされ、画面の中で満面の笑みを浮かべていた。
インタビューの中で目標レースについて語る彼女は、本当に眩しく輝きを放っており、一流ウマ娘とはかくあるべしといった堂々たる貫禄を見せつけたそのウマ娘は、勢いそのままに連闘となったキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスに出走し、見事勝利を飾った。しかし、その無茶とも言えるローテーションが
KGⅥ世&QESでゴール後、左脚に炎症を起こしていた彼女は、一カ月程休養を取った。完全に回復した左脚は調子が良く、欧州三冠の最後の一冠、
『さぁ、最後の直線での攻防。シュプリュレーゲンがバ群を割って先頭に立とうとしているぞ!』
ギチギチに詰まったバ群に揉まれながらも、好位置をキープしていたシュプリュレーゲンは、パリロンシャンレース場特有であるフォルスストレート(第四コーナー終盤付近にある直線に近いコーナー部。最終直線と勘違いしやすく、ここで我慢できるかどうかも大きく勝敗に関わってくる)の
『これなら、勝てる!』
足の調子はとても良く、後ろからのクラシック級・シニア級の入り交じったウマ娘達も、シュプリュレーゲンの鋭い末脚に着いて来られそうもない。
ここまで来ると、ロンシャンに詰めかけた誰もが、シュプリュレーゲンによる欧州三冠の快挙達成を疑うことはなかった。
『残り後200M、後ろからシュプリュレーゲンに届くウマ娘はいないか! 欧州三冠ウマ娘の誕生だ!』
観客も、実況も興奮しきりで、歓声がシュプリュレーゲンを出迎える。興奮している観客達の姿が見え始め、シュプリュレーゲンはこみ上げる嬉しさから口角を上げた。
『みんな喜んでくれてる……。ヴァイスも見てるかな?』
日本に渡った親友を脳裏に思い描いて、シュプリュレーゲンは軽やかに欧州特有である深い芝の上を駆けていく。彼女の後ろとは三バ身程開いており、観客席の熱狂も最高潮に達していた。
『あっ……?』
右足を力強く踏み込んだ瞬間、シュプリュレーゲンを襲った一瞬の浮遊感。突然消えた、右足が地面を踏み締める感覚に、シュプリュレーゲンは階段を踏み外したかのような錯覚を覚えた。トップスピードで空中に投げ出されたシュプリュレーゲンはなすすべなくターフに転がり、全身で芝を
ゴールまで
好調な走りを見せていたシュプリュレーゲンが突然転倒したことに、後ろから彼女を追走していたウマ娘達も
『何と言うことでしょう! シュプリュレーゲンに故障発生! 一着でゴールしたのはブレイブダンサー! シュプリュレーゲンは大丈夫でしょうか……欧州三冠の歴史的快挙は達成されませんでした、なんてことだ……』
『あっ、ぐぅ……』
芝に投げ出されたシュプリュレーゲンは、右足からの激痛に声を出すこともできず
病院に搬送されたシュプリュレーゲンが目覚めたときには、既に窓の外は暗くなっていた。
担当医から骨折状態の説明を受けながらレントゲン写真とCT画像を見せられ、重い骨折であることと複数回の手術が必要になる可能性があることを告げられた。
完治には時間がかかることと、完治しても以前のようには走れない可能性が高いことを告げられたシュプリュレーゲンは、それでもなお諦めることはしなかった。日本に留学した
一年と半年を治療に
そして迎えた復帰初戦、地元であるミュンヘンレース場でリステッド競走、芝2000Mに挑んだシュプリュレーゲンは、大敗を
ゲートを出てからずっとシュプリュレーゲンを
レース終盤、頭ではスパートをかけようと思うものの、身体が骨折したことを覚えているのか、
それから改めてトレーニングを行ったものの、同年の十一月に行われたフランス・トゥールーズレース場で行われたグループⅢ(GⅢ)、フィユドレール賞で何とか入着する(五着になる)ことがやっとだった。
誰よりもこの結果を受け入れられなかったのは、シュプリュレーゲン自身だった。怪我から復帰してすぐの結果に、周囲の人々は悲観することはないと慰めや励ましを送ったが、それがなおのことシュプリュレーゲンを苦しめることになった。
それでも、懸命にトレーニングに励んでいたシュプリュレーゲンだったが、その時は突然訪れた。
帰省して実家で朝食を取っていたシュプリュレーゲンは、手に持っていたフォークを取り落としてしまった。フォークが落ちる音が聞こえた瞬間、シュプリュレーゲンの中でガラスが砕け散ったかのような音が聞こえた。
その瞬間、シュプリュレーゲンの両目からは止め
それから数日後、シュプリュレーゲンは競走ウマ娘の引退を表明し、来日することが決まったのだった。
ヴァイスシュトルムのトレーニング状況を
赤々と燃える夕日が、窓の外に広がる風景も部屋の中も真っ赤に染め上げる様子に、神谷はふと真紅のパーカーを
夕焼けの中で楽しそうに走るそのウマ娘は、ゴール板を駆け抜けると同時に、
たった今見た白昼夢に、神谷は天井を仰ぎ見る。そうして一息ついた神谷は、机の上に広げていたレポートや書類を纏めて鞄に
ヴァイスシュトルムの晴れ舞台となるべきレース、皐月賞の開催まで二十四時間を切っていた。
お待たせしました、お待たせしすぎたかもし(ry
今回のお話は閑話休題的な内容となりましたが、お楽しみ頂けたでしょうか?
……え? 話が更に重くなった? ……っすー。
このお話の中では実馬だと予後不良レベルのものはポンポン出てくるので注意して下さい。
一応前書きで注意書きはするようにします。
ウマ娘の良いところの一つに、骨折は治る病気(怪我)だということが言えるかなと思います。
アニメ第一期のサイレンススズカの骨折然り、今回私が書いたシュプリュレーゲンの骨折然り、実馬であれば予後不良の診断が降され、即座に安楽死とされるレベルのものです。
馬にとって骨折は死に直結しかねないものですが、ウマ娘であればよっぽど酷いものでない限りは命には関わらないはずです(むしろ、60km/h~70km/hで転倒する方が危険だとはアニメ内でも言及されてましたね)。
骨折などの怪我の描写を一体何処までやるか迷いました。しかし、競馬を元にした作品である以上、怪我問題は付き纏いますし、ウマ娘では骨折は完治するものであること(競走ウマ娘を続けられるかどうかは別ですが)、安楽死はないことで描くことにしました。
私の拙い文章で、一体何処まで伝えることができるのかわかりませんが、今後もレース中、或いは練習中に怪我の描写が出てくる可能性があることを、頭の片隅に置いておいて貰えるとありがたいです。
次回こそは皐月賞の話になると思いますので、よろしくお願いします(皐月賞終わってから何週間経ってるか数えてみろって? ひいふう……ミナカッタコトニシヨウ)。
それではまた次回、ご覧頂けることを楽しみにしております。