ウマ娘プリティダービー ~月毛のウマ娘~    作:蒙駄目猫

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♯2.選抜レースと出会い

 土曜日、日曜日は中央開催のレースや選抜レース(選抜レースに関しては、金曜日に出走できなかったウマ娘のための予備日がある)が朝から夕方まであるため、基本的に日本ウマ娘トレーニングセンター学園内は人影もまばらになる。トレセン学園に来るウマ娘も、大半は自身の所属するチームの練習であったり、自主トレーニングが目的となるので、トレーニングコースやジム、体育館、図書室にと集中する。つまり、ヴァイスシュトルムのように学園の屋上へと向かうウマ娘や人々は、かなり少ない方だと言える。人っ子一人いない廊下を速歩(そくほ)で走り抜け、目的地である屋上の前にたどり着いたヴァイスシュトルムは、屋上の鍵をキーホルダーから取り出すと、慣れたように扉を開けてしまう。そうして誰もいない屋上に足を踏み入れたヴァイスシュトルムは、屋上のど真ん中で寝転がった。

「……ぁふ」

 あくびを一つしてから、昨晩フジキセキに散々可愛がられ、ゴールドシチーに揶揄(からか)われる原因になった尻尾を()いて(悔しいことに、自分で手入れしたときよりも遥かに、手触(てざわ)りも毛艶(けづや)も良く、最高の抱き心地だった)、猫のように丸まっていると、春の陽気と相まって眠気が襲ってくる。始めの数分こそ睡魔に(あらが)おうとしたヴァイスシュトルムだったが、早々にそれを諦めると、穏やかな寝息を立てていた。

 

 

 トレセン学園に所属するトレーナーたちは、基本的には月に何度か行われる選抜レースを見学し、それに出走したウマ娘の中から将来有望なウマ娘をスカウトする(場合によっては、ウマ娘からの逆スカウトを受ける場合もあるし、選抜レース前から将来有望だと噂になるウマには、フライング気味にスカウト攻勢をかけることもある)。そうして、担当するウマ娘と無事に専属トレーナー契約を結ぶことができれば、晴れて専属トレーナーとしてウマ娘にトレーニングを行うことができる。勿論、トレーナーの付いていないウマ娘に軽く指導を行ったりもするが、その場合とは熱量が異なるのである。

 担当ウマ娘と共にメイクデビューから始まるトゥインクルシリーズでの輝かしい結果を目指し、彼女たちのトレーニングや体調管理などを行いながら、彼女たちに寄り添う。

 担当ウマ娘が、厳しくも華やかなトゥインクルシリーズで結果を出し、夢を掴み取る事がトレーナーの評価につながる。そのため、入学する事がすでに素質の証明となっているトレセン学園でありながらも、より良い素質を持つウマ娘をスカウトしようと、選抜レースはもちろん、ウマ娘同士が行う模擬レース、果てはファン感謝祭での余興レースに至るまで、トレーナーたちは『レース』と名が付くものには、血眼になってまでウマ娘の素質を見極める事に必死になる。それは、新人トレーナーであろうがベテラントレーナーであろうが変わりはない。新人トレーナーはこれからのために、ベテラントレーナーは過去よりも輝かしい結果のために。そんな様々な思惑が交差する世界に、新たなトレーナーが足を踏み入れた。

 この春からトレーナーとなった神谷(かみや)輝征(てるゆき)は、本日開催されている選抜レースを、第一レースが発走する昼からずっと観戦していた。選抜レースに出走するどのウマ娘も、高倍率で有名なトレセン学園の入学試験を突破して学園生となっているだけに、神谷にとっては誰も彼もが素晴らしい素質の持ち主にしか見えない。その中でも、一着・二着を取ったウマ娘には、新人トレーナーからベテラントレーナーまで入り交じった長い列があっという間にできあがり、三着以下でも末脚(すえあし)の鋭さやコーナリングの上手さ、直線でのノビの良さなど光るものがあったウマ娘はスカウトを受けていた。

 レースが終わる度に、ウマ娘の前にあっという間にできあがるスカウトの列に神谷も加わり、スカウトしようと声をかけてみるものの、実績のない新人トレーナーである神谷のスカウトを受けるウマ娘は残念ながら一人もいなかった。神谷と同じ新人トレーナーであっても、トレーナーとしての名家出身者や、ベテラントレーナーである師匠を持つ者には、ウマ娘側からのスカウトもあったことから、やはり、そういう要因も必要なのだろう。

 そうこうしているうちに、開催された六レースのうち、五レースが終了していた。最終レースこそは必ずと、神谷も気合いを入れ直す。しかしながら、神谷のスカウトを受けてくれたウマ娘はゼロ人だった。

 一人くらいはスカウトを受けて貰えるのでは、と思っていた神谷は、話すらも聞いて貰えない状況に、自分の認識が甘かった事を思い知らされた。肩をがっくりと落として、のろのろと帰り支度(じたく)を整える神谷に、彼の面倒を良く見てくれる先輩トレーナーが近づいてきた。

「よう。その調子だと、スカウトした子全員にフラれたか?」

「っ! 竜胆(りんどう)先輩……。はい、考えが甘かったです。竜胆先輩は、何人か保留して貰えたみたいですね?」

 気安く声を掛けてきた竜胆という先輩トレーナーに、神谷は肩をすくめて返事を返す。そして、スカウトできたウマ娘の名簿(めいぼ)とデータ表を持つ竜胆に、羨望(せんぼう)眼差(まなざ)しを向けた。

 その(うらや)ましそうな視線に気がついた竜胆は、ニヤリといやらしい笑みを浮かべ神谷の肩を強く引き寄せた。そのまま、内緒話(ないしょばなし)をするように声を落とした竜胆は、しかし楽しそうに口を開いた。

「そう落ち込むなって、俺だってここに来たばっかの頃は、全く相手にされなかったことだってざらにあったんだ」

「はぁ……」

 (なぐさ)めなら()めて欲しいと思う神谷だが、大人しく竜胆の話に付き合う。早くトレーナー寮に戻りたいと神谷が思い始めた頃、竜胆が思い出したように手をポンと(たた)いた。

「そうだ、どうせなら『月女神(つきめがみ)』でも見つけてみれば良いんじゃないか?」

「……はい? 月女神?」

 突然トレーナー業やトレセン学園に関係のなさそうな単語を出され、神谷は鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしてしまう。竜胆は神谷の様子がおかしかったのか、くつくつと(のど)を鳴らして笑っていた。

「ああ。満月の日、栗東(りっとう)美浦(みほ)各寮の門限も過ぎた(ころ)に学園の屋上を見ると、そこにとても美しいウマ娘がいるそうだ。でも、見つけてから屋上に向かっても誰もいなくてな。そのうち誰かが、トレセン学園の屋上には月女神が居るなんて言いだしたのさ。そして、ここからが面白いんだが……。その月女神を見た人間には、幸運が訪れるって評判なんだ」

「はぁ……竜胆先輩は信じてるんですか?」

 あまりのオカルトっぷりに、胡乱(うろん)げな顔をする神谷を見て、更に楽しそうに口角を上げた竜胆は、声を(ひそ)めて口を開いた。

「信じてるも何も、俺もこの目で見たのさ。それから割とラッキーが続いてる。お前も騙されたと思って見てみろ。うまい具合に、今日は満月だしな。そんじゃ」

 そう言い残して、スカウトしたウマ娘のデータ表を挟んだクリップボードとバインダーを持って、竜胆はトレーナー寮の方へと歩き去っていく。その背中を見送ってから、神谷は校舎へと足を進めた。本当に屋上に月女神がいるかどうかは兎も角、生徒ならば注意も必要だろうと思ったのだ。

「幸運をもたらす月女神ねぇ……いくら日本が迷信深いと言っても、本当にそんな女神が居るとは思えないけどなぁ……」

 

 

 肌寒さに身震(みぶる)いして、ヴァイスシュトルムは目を開く。昼間、彼女が眠ったときは暖かな春の陽気に(つつ)まれて、まるで楽園のようだった屋上は、夜の(とばり)が降り、気温を一気に下げて眠るには適さない場所へと様変わりしていた。

「……やっば。寝過ぎた。またフジキセキに折檻(せっかん)されるコースじゃない、これ? どうしよ、罰掃除三日とかで済まないかな? …………。尻尾の手入れ連続三日とかだけはいやだなぁ」

 そうぶつくさと独り言を(つぶや)いたヴァイスシュトルムは、しかし帰ろうとはせず、屋上の塀に上半身をもたれさせて遠く見える街並みの灯りをぼんやりと見ていた。

 ヴァイスシュトルムがそうしてから十分ほど()った頃、いい加減寮に戻ろうかと屋上の扉に向き直った彼女の耳に、誰かが階段を上ってくる音が聞こえた。足音から知り合いではないと判断したヴァイスシュトルムは、平静を装いながら警戒態勢に入る。教師や警備員だと面倒だなと思いながら、扉に意識を集中させるヴァイスシュトルムは、扉が開くのを固唾(かたず)()んで見守った。

 

 

 ――夜に学園の屋上を見ると、幸運の月女神を見ることができる――。そんな眉唾物(まゆつばもの)の噂を聞かされた神谷トレーナーは、灯りの落ちた真っ暗な学園内を歩いていた。

 流石(さすが)に月女神の存在には懐疑的(かいぎてき)な神谷だが、生徒が寮の門限を過ぎた後も校内に残っているのは問題だろうと、早めに寮に帰るように伝えなければと思った結果だった。

 神谷は階段を最上階まで上がり、屋上へ出る扉の前に立つと、一つ呼吸を整えてから意を決して扉を開ける。そこには肩ほどまである長く美しいホワイトブロンドの髪を風に遊ばせる、珍しい月毛を持つ美少女ウマ娘の姿があった。

 ぱっちりとしたアーモンド型の目には、ガラス玉のような空色に透き通った瞳が輝き、顔の中央部にはすっと鼻筋が通り、薄い小さな唇はしかし瑞々しさを湛えている。頰から顎先にかけては無駄な肉のないすっきりとしたシャープさを持っていた。月光に照らされ浮かび上がる透き通るような白い肌に、カモシカのような足、そして出るとこは出て引っ込むところは引っ込む、そんなモデルのような美しい体型でもって屋上に(たたず)む彼女は、たったそれだけで一枚の絵画になる美しさを現していた。

 容姿端麗(ようしたんれい)な者しかいないウマ娘の中でも、特に美しいと言われる、百年に一度の美少女ウマ娘と呼ばれるゴールドシチーに勝るとも劣らないほど美しく、まさに月女神と形容するにふさわしい姿をしているウマ娘に、神谷は思わず固まってしまう。そんな彼の様子を見て、目の前のウマ娘は、形の良い眉を(ひそ)め、目の前にいる神谷を(いぶか)しむように警戒をあらわにした。

「ねぇ、そこで固まられると邪魔なんだけど」

 鈴を転がすような()んだ綺麗(きれい)な声でそう言ったウマ娘は、しかし神谷を警戒してか決して近づこうとしない。耳をピンと立てて神谷に向けたまま、じっと集中している。彼女の視線が、神谷の上から下まで値踏みするように見回して、ある点を見るやいなや、警戒して張り詰めていた空気が少しばかり柔らかくなる。神谷が彼女の視線を追うと左(えり)に行き着く。そこには真新しいトレーナーバッジが満月の光を受けて輝いていた。

「なんだ、新人のトレーナーさんか……。いくらトレーナーさんでも、こんな時間に学園内をうろつくのはよろしくないんじゃない?」

 柔らかい雰囲気で、揶揄(からか)うようにそう言う彼女は、完全には警戒を()いてはいないようだった。返答次第(へんとうしだい)では、ただでは済まさないと言った様子で、膝を少し落とし、いつでも駆け出せる態勢を整えている。そんな彼女の様子に、神谷も緊張を持って口を開いた。

「いや、満月の日に屋上へ来ると、月女神に会えるって情報を貰ってね。確かめに来たんだ」

「……は?」

 神谷の嘘でも本当でもない言葉に、呆気(あっけ)に取られてポカンとした表情を浮かべたウマ娘は、次の瞬間、肩を大きく震わせた。

「あはっ、あはははははっ! 真面目な顔して何を言うのかと思ったら、そんな眉唾物な噂の真偽を確かめるためだけに夜の学園に侵入したんだ?」

「そんなに笑わなくても……」

 腹を抱えて大笑するウマ娘の姿に、神谷は頰を赤く染め、()ねたように呟いた。

「くふふっ……、ごめんごめん。まさか、そんなことのために、夜の学園に侵入して屋上にまで乗り込んでくる物好きがいるなんて思わなかったからさ」

 そういったウマ娘は、柔らかな雰囲気(ふんいき)のまま、神谷に近寄ってきた。どうやら、正解の返事をできたようだった。そして、近づいてきたウマ娘に気付いた神谷は、まじまじと彼女の顔を見つめる。

「私はヴァイスシュトルム。見ての通り、月毛(つきげ)のウマ娘で、トレーナーさんの間で噂になっている月女神? とやらだよ。よろしく、新人トレーナーさん」

 そう右手を差し出して、自己紹介をしてきたウマ娘、ヴァイスシュトルムの手を取り、自己紹介を返した神谷に、彼女はますます笑みを深めた。

 

 

「ふぅん、専属トレーナー契約のスカウトが全滅して悄気(しょげ)てたら月女神の話を聞かされた……ねぇ。本当に物好きだね、トレーナーさんは」

 そう言ってまだ肩を震わせるヴァイスシュトルムに、神谷トレーナーは拗ねたようにそっぽを向く。そんな彼の様子に、余計に楽しそうにするヴァイスシュトルムは、傍目(はため)に見てもかなりリラックスしているようだった。彼女の耳は左右を向いてリラックスを示しており、時折小刻みに()れている。そしてその端正な顔には、自然と笑顔が浮かんでいた。

 ヴァイスシュトルム自身も、自らがかなりリラックスしていることは認識していた。初対面であっても、珍しい月毛であることからすぐにヴァイスシュトルムの容姿を話題にする人が多い中で、目の前の神谷は決してその事に触れようとしない。そのなんてことのない事実が、ヴァイスシュトルムにとってはとても嬉しかった。

 この人となら、専属トレーナー契約を結んでも良いかもしれない。それに、都合良く担当ウマ娘もまだ居ないみたいだし。そう漠然と思ったヴァイスシュトルムの口は、自然と専属トレーナー契約を結ばないかと言葉にしていた。

「ねぇ、もし良ければさ。私のトレーナーになってくれない?」

「……え?」

 突然、ヴァイスシュトルムから持ちかけられた専属トレーナー契約の提案に神谷は困惑した。目の前の美しいウマ娘に専属トレーナーが居ないという事実にも驚いたが、まさか新人で、何の実績も持たない自分に、逆スカウトがあるとは考えもしなかったのだ。確かに担当ウマ娘が居ない神谷にとって、彼女からの提案はまさに渡りに船と言えた。しかし――。

「すまない、ヴァイスシュトルム。残念だが、まだ君と契約することはできない」

「え……。…………それは、私が『月毛』だから? 『月毛』のウマ娘は芦毛(あしげ)よりも走れなさそうだから……?」

 神谷から断られたことにショックを受けたのか、ヴァイスシュトルムは呆然(ぼうぜん)として、その喉から絞り出すように(つむ)がれた彼女の言葉は、か細く、そして震えていた。

「違うっ!」

 神谷の言葉を、違う意味に捉えているヴァイスシュトルムは、耳を前に伏せ、悲しそうに(うつむ)く。今にも涙を流しそうな雰囲気に慌てた神谷の言葉は、力強いものになっていた。そして、その否定を聞いたヴァイスシュトルムは、耳を後ろに伏せて怒りを(あら)わにすると、神谷に食ってかかった。

「じゃあ、どうしてっ!」

「君の走りを知らないからだっ!」

 神谷の言葉に、激昂(げっこう)して叫び声を上げたヴァイスシュトルムの瞳から、大粒の涙が(あふ)れる。それに返す神谷の大声を聞いて、ヴァイスシュトルムは尻尾をピンと逆立(さかだ)てて驚きをあらわにした。

「……!? え……?」

「君が『月毛』かどうかなんてどうでも良い! まだ俺は君の走りを見ていない! 君に相応(ふさわ)しいトレーニングを考えつかないのに、君の夢を実現するため、(とも)頑張(がんば)ろうなんて白々(しらじら)しいことを軽々(かるがる)しく言うつもりはないんだ!」

 神谷の話を聞いて、体から力を抜いたヴァイスシュトルムは、静かに涙を流す。

 ――ようやく……、ようやく『月毛の(・・・)ヴァイスシュトルム』ではなくて『本当の(・・・)ヴァイスシュトルム』を見てくれるトレーナーが現れた――。

 静かに頰を濡らすヴァイスシュトルムを見て、ハンカチを取り出した神谷は、優しく彼女の顔を(ぬぐ)う。しばらく神谷にされるがままだったヴァイスシュトルムは、粗方(あらかた)顔を()かれてからようやく口を開いた。

「来週金曜日の選抜レース予備日」

「え?」

「その第二レースに出走登録されてるから、絶対に見に来て。それまでは専属トレーナー契約の予約ってことにしてあげる」

 真剣な顔でそう告げるヴァイスシュトルムに、神谷は気圧(けお)される。しかし、彼女の手が震えているのを見て、気合いを入れなおした。

「わかった。必ず見させて貰う。その後に、専属トレーナー契約を正式に結ぼう」

「来週契約したときに、今日本契約すれば良かったって、絶対に言わせてあげるから」

 挑発的な笑みを浮かべ、そう言い放つヴァイスシュトルムの姿に、眩しいものを感じながら、神谷もまた楽しそうな笑みを浮かべる。

「ああ、楽しみにしている。ヴァイスシュトルム」

 それを聞き届けると、ヴァイスシュトルムはさっさと屋上を後にした。その後ろ姿を見送って、神谷は大きく息を吐いた。そして手帳を取り出し、翌週の金曜日に二重丸を付けると『ウマ娘専属トレーナー契約:ヴァイスシュトルム』と書き込んだのだった。

 

 

 神谷トレーナーと屋上で交わしたやり取りの後、こそこそと栗東寮の玄関を開けたヴァイスシュトルムを待ち受けていたのは、頭に二本の立派な角を生やした鬼と笑顔を絶やさない鬼――勿論、エアグルーヴとフジキセキのことだ――の二人立てだった。靴箱に靴を入れると同時に食堂に連行されてから早二十分。ヴァイスシュトルムはずっと食堂の床に正座で反省させられていた。

「それでヴァイスシュトルム、模擬レースサボりに次いで寮の門限破りを行った弁明はあるか?」

「……」

「ヴァイス?」

「にゃぁっ!?」

 エアグルーヴからの質問に対して、黙秘(もくひ)を選択したヴァイスシュトルムに電流のような衝撃が走る。長時間正座をさせられるという、拷問のあとに待っていたのは、(しび)れた足を優しくゆっくり揉まれるという拷問だったのだ。

「フジキセキ、やめ……ひゃんっ」

「全く、心配したんだからね? でもまぁ、何か良いこともあったみたいだけれど」

 苦笑しながら痺れているヴァイスシュトルムの足を揉み続けるフジキセキに、ヴァイスシュトルムは言葉を紡ぐことができない。

 フジキセキの手によって(もだ)え苦しむヴァイスシュトルムを視界の端に収めながら、エアグルーヴは眉間に(しわ)を寄せたまま、深くため息を()いた。

 たっぷり一時間ほど拷問めいたマッサージを受け、ようやく解放されたヴァイスシュトルムは、その場に突っ伏していた。

「フジキセキのバカぁ……」

「はいはい。これに()りたら門限破りしないこと。わかったかい? ポニーちゃん」

 苦笑しながら冷蔵庫から牛乳を取り出し、それを鍋に注いだフジキセキは、その鍋を焜炉(こんろ)にかけると温め始める。その間に復活したヴァイスシュトルムは、エアグルーヴの前に着席した。

「ねえエアグルーヴ。お願いがあるんだけど」

「何だ?」

「私と併走(へいそう)……は悪目立ちしそうだからあれだけど、その……、トレーニングに付き合ってくれない?」

 ヴァイスシュトルムの真剣な声色に、エアグルーヴは驚いたように顔を上げた。

「珍しいな。貴様の方からトレーニングに付き合って欲しいなんて……。本当に何かあったのか?」

 エアグルーヴからの問い()けに、ほんの少し目を泳がせたヴァイスシュトルムだったが、ぽつぽつと屋上であったことを話し始めた。

「なるほどな……すまないが、私も来週一杯は生徒会の方で忙しい。付き合ってやりたいところではあるんだが……」

「……そっか。ごめん、気にしないで」

 耳を前に倒して落ち込みを見せるヴァイスシュトルムに、エアグルーヴも申し訳なさそうな顔をする。そんな二人に声を掛けたのは、ホットミルクを作っていたフジキセキだった。

「私で良ければ相手になろうか?」

「えっ、でもフジキセキは寮のことで忙しいんじゃ……?」

 ヴァイスシュトルムとエアグルーヴの前にホットミルクの入ったマグカップを置き、ヴァイスシュトルムの隣に座ったフジキセキに、ヴァイスシュトルムは向き直る。フジキセキはそれを横目で見ながら、手に持ったマグカップの中身を少し飲んでからカップを机に置く。

「ヴァイスが真剣に併走を頼むことなんて滅多(めった)にないし、それに……」

「それに、何だ?」

 エアグルーヴがフジキセキに聞き返している間に、マグカップを手に取りホットミルクを口に含んだヴァイスシュトルムは、次の瞬間、盛大に気管にホットミルクを侵入させてしまった。

「ヴァイスのハートを射止めた大物新人トレーナーさんに興味があるんだ!」

「ゴフッゲホッ!! ちょ、フジキセキ!?」

 まるで悪戯(いたずら)が成功した子供のように、無邪気な笑顔を浮かべるフジキセキに食ってかかるヴァイスシュトルムの顔は、誤嚥(ごえん)したのも相まって赤く染まっている。二人のじゃれ合いのようなやり取りに、エアグルーヴは(あき)れたような視線を向けてから、ほんの少し口角を上げて微笑(ほほえ)んだのだった。

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