ウマ娘プリティダービー ~月毛のウマ娘~    作:蒙駄目猫

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♯25.潜む不調

『ヴァイスシュトルム、二冠達成!』

 大雨の中開催された今年の日本ダービーは、ドイツからやって来た月毛のウマ娘が制した。

 水を多く含んだ柔らかいターフと、激しさを増すばかりの大雨。大きく冷たい雨粒は、出走するウマ娘たちに襲いかかり、身体を暖めた傍から容赦なくその熱を奪っていく。近年まれに見る過酷な環境でありながら、ヴァイスシュトルムはそれをものともしない走りで見事に『ダービーウマ娘』の称号を勝ち取って見せた。

 またそれと同時に、皐月賞・NHKマイルカップと合わせて『変則三冠ウマ娘』も達成し、最高の成績で春競走を終えることができた。

 ヴァイスシュトルムはダービー後から二か月ほど休養に入ると陣営からは告知されており、春を締めくくる総決算のグランプリ、宝塚記念の出走は見送ることが既に発表されている。それにもかかわらず、ファン投票の中間発表では堂々の一位を獲得しており、ファンからの期待が多く寄せられる結果となっていた。

 日本ダービー後に倒れ込んだ様子から、体調面は不安視されているが、何事もなければ秋のオールカマーから始動するとされている。

 オールカマー以降のプランは何も示されていないが、距離の観点からクラシック級最終戦の菊花賞は回避するとみられている。

 何にしても、暑さ厳しい夏の間にしっかりと休養を取ってもらい、秋からまた、すばらしい走りを見せてもらえることを大きく期待している。

 ――月刊トゥインクル 藤城茜(ふじしろあかね)――。

 

『最終コーナーを一番に回ったのはやはりメイクンシャイン! その後ろから、このレース二連覇を狙うファイントパーズが迫ってくる!』

 阪神レース場で行われる、春を締めくくるグランプリ宝塚記念。今年シニア級に上がってきたウマ娘たちを差し置いて、激しい先頭争いを繰り広げているのは昨年と同じ顔ぶれだった。先頭の二人の激しい追い比べに、太刀打ちできずに離されていく新たなシニア級ウマ娘。その光景は暗に、シニア級の壁が分厚いことを示しているようでもあった。

『ファイントパーズが差し切るか! メイクンシャインが逃げ切ってみせるか! 意地と意地のぶつかり合い! 仁川の坂を駆け上がります!』

 昨年の雪辱を果たしたいメイクンシャインと、二連覇を成し遂げたいファイントパーズの熱戦に、観客も、トレーナー室でテレビ中継を見ていた神谷とシュプリュレーゲンも手に汗握って決着を見守る。

「良バ場だとメイクンシャインの方が力は上みたいだな」

「うーん……。まだわからないと言いたいけど、確かに厳しそうかな。坂で脚が完全に止まっちゃってるし」

『ファイントパーズ苦しいか、メイクンシャインを捉えられません!』

 神谷とシュプリュレーゲンの会話通り、坂で脚が止まってしまったファイントパーズは、じわりじわりとメイクンシャインに引き離されていく。その差は坂を登り切ってからも決して縮まることはなく、ファイントパーズはメイクンシャインに二バ身もの圧倒的な差を付けられて、宝塚記念連覇を逃すこととなった。

『メイクンシャイン、見事に雪辱を果たしました! 今年の春グランプリ王者はメイクンシャインです!』

 テレビの中では、(うれ)しそうにガッツポーズを取るメイクンシャインが大写しになる。しかしシュプリュレーゲンは、メイクンシャインの後ろで悔しそうにするファイントパーズの姿から目を離せなかった。

 テレビから視線を外した神谷は、膝の上に置いていた月刊トゥインクルのページを(めく)る。ドッグイアを付けた記事の中で、満足そうな笑みを浮かべたヴァイスシュトルムの写真に目を落とすと、彼女の現状にため息を吐いた。

 ――日本ダービーから一か月が経過しても、ヴァイスシュトルムの体調は回復の兆しを見せていなかった――。

 

 

 日本ダービーを勝利で飾り、神谷に横抱きにされて控室に戻ったヴァイスシュトルムは、浅い呼吸を繰り返して頰を紅潮させていた。

 限界を超えて酷使した脚は(ひど)く熱を持っており、その熱が冷えていたはずの身体にどんどん伝播(でんぱ)していく。この短時間の間に、ヴァイスシュトルムの身体は熱という形で悲鳴を上げ続けていた。

 控室のソファにヴァイスシュトルムを横たえた神谷は、まだ観客席にいるであろうシュプリュレーゲンにLANEで「控室にきて欲しい」と短くメッセージを送ると、特に酷い熱を持つヴァイスシュトルムの脚に手早くアイシングを施していく。

 太腿(ふともも)、膝、足首に氷嚢(ひょうのう)やアイスパックを固定し、額と頸動脈(けいどうみゃく)にも氷嚢を当てる。そうして応急的な手当を施しているうちに、シュプリュレーゲンが控室へと入ってきた。

 汗と雨と跳ねた泥水でずぶ()れになったままでいたヴァイスシュトルムの着替えを、シュプリュレーゲンとその後ろから着いてきていたヴァイスシュトルムの母親に任せ、神谷はスマホを手に控室を出る。一拍置いてから神谷の後を追って控室を出てきたヴァイスシュトルムの父親は、壁に背中を付けたまま通路にへたり込む神谷の姿に、驚いた様子で駆け寄った。

Geht es Ihnen gut(大丈夫ですか)!?」

「あー……。Ja, mir geht's gut(ええ、大丈夫です)

 ヴァイスシュトルムの父に心配されて、神谷は何とかドイツ語で返事をする。神谷の返答に安心したのか、ヴァイスシュトルムの父はホッと胸をなで下ろした。

 そんな彼の様子に、娘のことだけでなく、自分のことまで心配をかけてしまったことに対して負い目を感じながら、神谷は長く息を吐く。レースは無事に終わり、応急処置も施した。とはいえ、考えることは山ほどある。この後に控えているウイニングライブのことはもちろんだが、ヴァイスシュトルムが高熱を出したことが気掛かりだった。そして何よりも、明日以降無事に彼女の体力が回復するか、という懸念が神谷の頭には浮かんでいた。

 能力的に、あるいは適正的に無理だと目されたレースにおいて、自らの限界以上の力を振り絞って勝利したウマ娘の話は、しばしば感動的な話として引き合いに出されることが多い。しかし、その話は多くがこう続く。――自らの限界を(はる)かに超えて勝利をもぎ取ったウマ娘(ウマ娘に限らず、人や動物にも言えることかもしれないが)はその後、「競走能力を喪失し引退している例が非常に多い」と――。

 

 人間を含む生物の体には、防衛機構としてリミッターがかけられている。そのリミッターは生物の防衛本能の一つであり、通常は本人の意志で外すことは決してできない。しかし、そのリミッターが外れる状況が一つあることが知られている。

「火事場のバカ力」という言葉を聞いたことがあるだろう。この言葉が生まれた背景には、火事で燃え盛る家屋(建物)から逃げ出す際に、普段からは信じられないほどの力(この場合は主に筋力のことを指す)を発揮して、一人では到底持てない家財道具を持ち出せたり、到底持ち上げることが叶わない重量物を持ち上げることができたりすることで、その場から逃げ出すことができ、結果として命を守ることができたといった例によっている。

 つまり、命の危機に差し迫るほどの状況になると、普段制限をかけて筋肉の出力を調整している脳が、緊張状態による興奮などによって制限をかけられなくなり、結果としてフルパワーを発揮できるようになるのである。しかし、これにはもちろんリスクが伴う。

 普段使用することが可能な筋力に制限がかかっていると言うことは、裏を返せば、制限をかけなければ、「筋肉が自らの力に耐えきれず、破壊されてしまう」あるいは、「筋肉の強すぎる力に、骨や腱が耐えられない」ということでもある。

 火事場とは、それほどの力を発揮しなければ命が助からない切迫した状況と言い換えることができる。そんな状況に陥ることはそうそうない、だからこそ筋肉にかかっている制限は解除されないし、解除する必要もない。

 しかし、筋肉の制限を外さなければ危ない状況にあると脳が判断したならば、その制限は解除される。制限がなくなった筋肉は、本来の力を発揮し、競技においてはすばらしい記録を残すことに貢献するだろう。そうして、脳が興奮状態から落ち着き、再び筋肉に制限をかけたとき、発揮した力の反動が身体を襲うことになる。

 反動の強さが、筋肉痛程度で済むのか、骨折になるのか、はたまた死に至るほどの物になるのかは、その時にならなければわからない。しかし、今ヴァイスシュトルムを襲っている全身の高熱は、間違いなく何かしらの反動が起こった結果だと言えるだろう。

 また単純に、火事場のバカ力ではなく、競走ウマ娘としての全ての力を振り絞った可能性もある。競走寿命の全てを使い切って、限界以上の力を振り絞った結果としてああなっているのであれば、それも理由としては間違いだとは言えないだろう。

 どちらにしても、ヴァイスシュトルムにはしばらくの間、十分な食事と休養が必要なことに変わりはないし、これから神谷がやるべきことも変わらない。全レース終了後に行われるウイニングライブには、残念ながら今のままでは参加不可能だということは誰の目にも明らかだろう。そのことを関係各所に連絡しなければならないし、ヴァイスシュトルムを一度病院に連れて行かなければならない。彼女がレースに復帰できるのかどうかを考えるのはその後のことだ。

 それでも神谷の脳内では、全身全霊を賭して駆け抜けたヴァイスシュトルムが、競走生命の全てを使い切ってしまったのか、それを慎重に判断しなければという考えが残り続ける。それを振り払うように頭を振った神谷は、天井を見上げると再び大きく息を吐いた。

「取り敢えずは、ヴァイスシュトルムが無事で良かった」

 神谷はそう一言(つぶや)いてから立ち上がると、ヴァイスシュトルムの着替えが終わっているかを確認するために控室の扉をノックする。いつまでもヴァイスシュトルムの父親をこんなところに付き合わせる訳にもいかないし、彼自身ヴァイスシュトルムの異常発熱が、この十分ほどの短時間で落ち着きを見せ始めているかどうかが気になっていた。

 

 シュプリュレーゲンと母親によって着替えさせられたヴァイスシュトルムは、先ほどまでの荒い息が(うそ)だったかのように穏やかな寝息を立てていた。神谷はおもむろにヴァイスシュトルムの足元にしゃがむと、彼女の足を触って問題がないかを改めて確認していく。

 神谷がヴァイスシュトルムを控室に運び込んだ際に、彼女の足から発生していた異常な熱は、この数分間ですっかりと下がっていた。異常な発熱が感じられなくなり、見かけ上は平穏を取り戻したことに安堵(あんど)した神谷は、そのままぺたぺたと無遠慮にも思える触り方で足裏から脹脛(ふくらはぎ)、太腿へと当てた手の平を動かしていく。神谷が手を動かす(たび)に、ヴァイスシュトルムは体を身動(みじろ)がせた。しかし、それを気にする余裕もないほどに神谷は真剣だった。確りと神谷が足を確認した結果、骨や腱、筋肉にも素人目には大きな問題は見当たらなかった。詳しくは病院で検査をしないとわからないとはいえ、大きなケガがないことにその場にいた全員がホッと胸をなで下ろした。

「異様な熱さはなくなったな。これなら、意識が戻るのを待ってから病院に連れてい……ぐふっ!?」

 神谷の手の平が太腿から股関節付近へと移動した瞬間、彼の体は勢い良く後ろへと吹き飛ばされていた。

 幸いにも、シュプリュレーゲンが慌てて神谷を受け止めたので、壁に頭をぶつけて大ケガをすることこそなかったものの、神谷の鼻からは真っ赤な血が垂れていた。

「人が寝ている間にイヤらしいことしようとするなんて……、この変態トレーナー!! ……Papa(パパ)? Mama(ママ)? Warum sind Sie hier?(どうしてここに?)

 勢い良く跳ね起きて真っ赤な顔をしたヴァイスシュトルムは、神谷に対して柳眉を逆立て耳を絞る。そんなヴァイスシュトルムの姿に、彼女の両親は目を丸くして驚きを見せた。

 ヴァイスシュトルムもまた、視界に入った二人――今の時間ならば、ドイツの自宅兼店舗でお客相手に忙しくしているはずの両親――がいることに、困惑したような表情を浮かべて、先ほど蹴飛ばした相手、神谷へと顔を向ける。

「……それだけ元気があるなら、取り敢えず安心したよ」

 シュプリュレーゲンに支えられたまま、力なく呟く神谷に対して、彼を支えるシュプリュレーゲンは気の毒そうに見ることしかできなかった。

「トレーナーさん! レーゲン! どうしてパパとママがここにいるのかちゃんと説明して!!」

 

 

 口をへの字に曲げて、不満をありありと表明するヴァイスシュトルムから、事情を説明し終わった神谷とシュプリュレーゲンは気まずそうに顔を背ける。

「ふーん。私に何の説明もなくそう言うことしちゃうんだ。ふーん!」

「いや、そのだな……」

「えっとね、ヴァイス、その……」

「ふーーーーーーん!!」

 酷く()ねた様子のヴァイスシュトルムは、神谷とシュプリュレーゲンの弁明に対して、全く聞く耳を持とうとしなかった。そんな彼女に、一体どうしたものかと神谷とシュプリュレーゲンは頭を悩ませる。彼らの様子を遠巻きに見ていたヴァイスシュトルムの両親だったが、娘と娘のようにかわいがっているシュプリュレーゲン、そして娘のトレーナーである神谷のやり取りが面白かったのか、どちらともなく吹き出すと体を震わせて大きな笑い声を上げた。

「Papa? Mama?」

Entschuldigung(すまない). A. A. Aber(で、でも) ......Hahaha!」

 低い声を出して威嚇するヴァイスシュトルムは、肩を震わせる両親をじろりと(にら)む。愛娘(まなむすめ)の冷たい視線を受けて、必死に笑いを堪えようとする父親だったが、結局は堪えることはできなかった。体を折り曲げて大笑いする父親の隣で、そっくり同じような姿勢で笑う母親も、娘の視線を気にした様子は全くなかった。

 ただただ笑い続ける両親に、ますます口を尖らせたヴァイスシュトルムは、怒りの矛先を再び神谷とシュプリュレーゲンに向けて睨み付ける。射殺さんばかりの威圧的な視線から逃れるように、神谷とシュプリュレーゲンは取り繕うことを放棄して、完全に背中を向けて知らぬ存ぜぬを通そうとしていた。

 神谷とシュプリュレーゲンの背中に向けて、大きく(当てこするように)ため息を吐いたヴァイスシュトルムは、耳を絞ったまま(うつむ)いて考え込んでいた。

 ――面白くない。パパとママに時間的にも精神的にも負担をかけたくないから、諦めようとしていたのに。勝手に連絡して、日本ダービーを観戦させて……。私が諦めようとすること全部、諦めさせてくれないとか本当に面白くない。こんなことされたら、どうやって恩を返していけば良いのか、わからなくなるじゃない――。

「ねえ、トレーナーさん」

「そうだ、神谷トレーナー。ウイニングライブの件連絡しないと!」

「ああ、そうだな。ファンには悪いが、今回のライブにヴァイスシュトルムは不参加だと……」

 ヴァイスシュトルムの声を遮るように、シュプリュレーゲンが神谷にわざとらしく声を掛ける。それに益々(ますます)苛立(いらだ)ったヴァイスシュトルムだったが、神谷の言葉を聞いた瞬間、怒りも不満も全て忘れて、彼の手からスマホを奪い取っていた。

 手の中から消えたスマホの感触に驚いた神谷は、まるで空を掴むような手をそのままにして、スマホを奪った人物へと視線を向ける。

「ヴァイスシュトルム?」

 神谷のスマホを胸に抱いたヴァイスシュトルムは、顔に少しばかり戸惑いを浮かべていた。

「出るから」

「は……」

「ウイニングライブには絶対出るから」

 大切な物を取り上げられまいとする子どものように、震える声で宣言するヴァイスシュトルムに、神谷は二の句が継げなくなる。

 ウイニングライブ中に足を痛めたらどうするだとか、そもそも、今は痛みがないだけで、実は骨折していたらどうするだとか、言いたいことは山ほどある。しかし、ヴァイスシュトルムがこうと決めたときの頑固さを理解している神谷は、諦めたようにがっくりと肩を落とした。

「……わかった。ただし、少しでも足に違和感があれば無理をせずに振り付けを変えることが条件だ。それができないというのであれば、ライブへの参加は無しだ」

 そう言った神谷は、ヴァイスシュトルムにスマホを返すようにと手を差し出す。神谷がウイニングライブへの参加を許可したことに対して、あからさまに安堵の表情を浮かべたヴァイスシュトルムは、素直に神谷のスマホを彼の手の上に置いた。

「はぁ……全く、心配するこっちの身にもなってくれ……」

「わかるよトレーナーさん……。ヴァイスは昔からこんな感じだから……」

「……ありがとう」

 神谷に対して、心底同情的なシュプリュレーゲンに慰められても、神谷の心労が消えるわけではない。しかし、理解してくれる人物がいることの心強さに、神谷は多少なりとも心が軽くなったような気がした。

 そんなシュプリュレーゲンと神谷のやり取りに、ヴァイスシュトルムは再び拗ねたような顔を見せて呟いた。

「なーんか、二人に失礼な意気投合をされてる気がする」

 




新年明けましておめでとうございます。今年も当作品をよろし……え? 何? 半年以上過ぎてるって? 
………………。
投稿が遅くなり申し訳ありませんでした!!!!

遅くなった原因は、大体死にかけてたり、ハイラルを駆け巡ってたり、プラグインしたり、それゆけボウケンシャーしたり、また死にかけてたりしたせいです。はい。

これからまたぼちぼち投稿していくので、完結まで付き合って頂ければ幸いです。
それではまた、次回の後書きでお会いできることを願って。
2023/07/13
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