ウマ娘プリティダービー ~月毛のウマ娘~    作:蒙駄目猫

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♯26.コーヒーブレイク~帰ってきた青汁(強化済み)~

 結論から言えば、ヴァイスシュトルムがセンターを務めたウイニングライブは無事に成功を収めた。

 神谷の不安は杞憂(きゆう)に終わり、無事に控室へと戻ってきたヴァイスシュトルムは、満足そうに頰を緩めてウイニングライブの余韻に浸る。

「んーっ、終わったぁ」

「そうだな。それじゃあ行くか」

「? 行くって、どこに?」

「神谷トレーナー。たづなさんがタクシーの手配してくれたって」

「ありがとう、シュプリュレーゲン」

 首を(かし)げるヴァイスシュトルムを余所(よそ)にして、神谷とシュプリュレーゲンの二人は手早くヴァイスシュトルムの荷物を仕分けていく。

「ヴァイスの勝負服は専門の業者さんに渡すから良いとして……(かばん)はどうしたらいい?」

「フジキセキに渡しておいてくれ。ついさっき正門に着いたってLANEに送られてきたから、すぐに来るだろう」

 ヴァイスシュトルムは自分についての話なのに、神谷とシュプリュレーゲンの会話が欠片(かけら)もわからないことに困惑を隠せずにいた。そんなヴァイスシュトルムを置き去りに、神谷とシュプリュレーゲンの手であっという間に移動する準備が整う。訳もわからないまま流されていたヴァイスシュトルムも、二人の流れるような早業に舌を巻くことしかできなかった。

Trainer, meine Schatzi, bitte(トレーナーさん、娘をお願いします)

Ja, ich kümmere mich darum(ええ、任せてください)

Bis später, Weiße(またね、ヴァイス)

 神谷に頭を下げるヴァイスシュトルムの両親に見送られながら、ヴァイスシュトルムは神谷に連れられて部屋を出る。神谷の後に着いて東京レース場を出ると、そこには予約と表示したタクシーが既に待機していた。

「ねぇ、トレーナーさん。どこに行くの?」

「どこって、ライブ前に話した通り病院に……」

「聞いてないよ!?」

「あれ? まぁ、そんな些細(ささい)なことはいいか。脚の状態によっては今後のプランに関わってくるから、しっかり見てもらうんだ」

 神谷の言葉に、思い切り顔を引きつらせたヴァイスシュトルムは、逃げ場のないタクシー内で項垂れるしかなかった。

 

 

 診察を受けた結果、酷使した脚の筋肉全体に炎症を起こしてこそいたものの、骨や(けん)、関節などに深刻な問題は見つからなかった。

 問題があるとすれば、病院に着いてすぐに逃げ出そうとしたヴァイスシュトルムを捕獲しなければならなかったこと(たづなが連絡していたのか、スタンバイしていた元競走ウマ娘の看護士にすぐ捕獲された)と、診察後に抗炎症剤の注射を嫌がってヴァイスシュトルムが大暴れしたこと(もちろん、すぐに元競走ウマ娘の看護士二人に取り押さえられていた)くらいだった。そう、脚には何の問題もなかった。

 診察結果を受けて、神谷はヴァイスシュトルムに二週間の完全休養を取らせた。神谷の目算では、この完全休養でダービー後、大幅に落ちてしまっていた体重もダービーの前と同じ水準にまで戻せると確信していた。

 しかし、その目論見は外れ、トレーニングを最低限にまで減らし、多めの食事をきちんと取らせても、ヴァイスシュトルムの体重はダービー後と変わることはなかった。

「結局、六月中にヴァイスシュトルムの体重が増えることはなかったな……」

「ううん、軽度なトレーニングをしているとはいえ、一日に摂取している総カロリー量から見ると、増えないとおかしいんだけどなぁ」

「実は食事を満足に取れていないのかと疑ってみたものの、フジキセキとアイネスフウジンからは『しっかり食べている』と言われたしな。一体全体どうしたら良いのか、さっぱりわからん」

 椅子の背もたれにだらしなく寄りかかった神谷は、両手を脱力して空中に投げ出したまま天を仰ぐ。天井の化粧石膏(せっこう)ボードを仰ぎ見る神谷に、シュプリュレーゲンも彼と同じような姿勢を取りたくなった。

 競走ウマ娘であれば、レース後に体重が大幅に落ちること自体は普通に起こり得ることであるし、神谷とシュプリュレーゲンもしっかりと理解している。シュプリュレーゲンに至っては、現役中に自分がそうなったことも珍しくない。

 大抵は一週間単位での休養を取ることで元に戻すことができるし、本人の食欲がある以上はそこまで深刻に捉える必要がない。

 しかし、ヴァイスシュトルムに関しては深刻と言って差し支えがなかった。普段の食事よりもカロリーを大幅に増やして食事メニューを組み、ヴァイスシュトルムの食欲も旺盛(おうせい)だ。にもかかわらず、彼女の体重は増える気配がまるでない。

 二週間の完全休養明けに、嫌がるヴァイスシュトルムを連れて病院で検査してもらったものの、彼女の身体に異状は見つからなかった。ヴァイスシュトルムの食事メニューと体重の推移をデータとして医師に渡したところ、そのデータを見た医師や看護師までもが首を(ひね)る始末だった。

「一体、どうすればいいんだか……」

 天井から背中側の窓へと逆さのまま目線を移した神谷の視界には、梅雨晴れの青空を切り裂くように二本の白線が細く棚引いていた。

 

 

 神谷から今日のトレーニングは休みだと連絡を受けたヴァイスシュトルムは、LANEのトーク画面を見ながらため息を吐いた。

 トレーニングが中止になった理由は、自分の体重が戻っていないことだと理解しているヴァイスシュトルムは、憂鬱そうに窓の外を見る。梅雨()只中(ただなか)にしては珍しく、雲一つない青く澄み渡った快晴の空は、今のヴァイスシュトルムにとっては気分を重くするだけだった。

「いい加減、何とかしないとダメなんだけどなぁ……トレーニングもままならないし……」

 (うつむ)いて愚痴をこぼしたヴァイスシュトルムは、再びため息を吐くと、とぼとぼと歩き出した。どこに行くでもなく、気落ちしたままに足を進めていたヴァイスシュトルムは、鼻腔(びこう)をくすぐるコーヒーの香りに顔を上げる。視線の先には、旧理科準備室――マンハッタンカフェとアグネスタキオンが共同使用している部屋――があった。

「カフェのコーヒーは魅力的だけど……」

 でも、今はなあと(つぶや)いて(きびす)を返したヴァイスシュトルムは、引き戸を開けて旧理科準備室へと入っていく。

「……? えっ、なんで!?」

 無意識の行動に目を白黒させたヴァイスシュトルムは、慌てて部屋を出ようとする。しかし、その意思とは反対に、丁寧に扉を閉めてから彼女の足は部屋の奥へと向かう。自分の体が勝手に行動する恐怖に、ヴァイスシュトルムは顔を引きつらせた。

 ふらふらとした覚束(おぼつか)ない足取りで、ソファへと向かってくるヴァイスシュトルムをじっと見つめていたマンハッタンカフェは、不思議そうな顔をしてヴァイスシュトルムのやや後ろを見る。彼女にだけ見える『お友だち』は、憤ったような衝動を覗かせながらも、どこか楽しそうな様子でヴァイスシュトルムに半分埋まりながらその身体を操っていた。

「……あまり……ヴァイスをからかっては……いけませんよ……」

 そう『お友だち』に向かって呟いたマンハッタンカフェは、ソファから立ち上がると自分のコレクションを保管している戸棚からマグを一つ取り出す。そうして再びソファへ座り直し、自らブレンドしたコーヒーをそのマグに注ぎ始めた。

「コーヒー注いでないで助けてカフェ! 体が言うことを聞かないの怖い!!」

「ええと……『お友だち』に……ヴァイスを傷つけるつもりは、ないので……大丈夫です。……多分」

「多分!? ねぇ、多分って言った!?」

 マンハッタンカフェの言葉に再び抵抗を始めたヴァイスシュトルムは、『お友だち』によってじりじりとソファへと追い込まれていく。そしてついに、抵抗も虚しくソファへと放り投げられた(正確には、自らソファへ飛び込んだと言うべきか)。

「……そんなに警戒しなくても……大丈夫ですよ。……あの人と違って……変なものは、入れていません……」

 必死に威嚇する子猫のような姿勢を取るヴァイスシュトルムにそう告げると、マンハッタンカフェはサイフォンを手に取り、中に残っていたコーヒーを自分のマグに注ぐとそのまま飲んで見せた。

 マンハッタンカフェは「……ほら……大丈夫でしょう?」と、ヴァイスシュトルムに顔を向けて優しく微笑んで見せる。それでもなお、ヴァイスシュトルムは警戒を解こうとはしなかった。しかし、そのやり取りに()れた『お友だち』は、再びヴァイスシュトルムの身体に半分ほど埋まる。そうしてヴァイスシュトルムから右腕の支配権を勝手に奪うと、彼女の意思に反して右腕を動かし始めた。

「ちょっ! また勝手に!」

「あ……マグカップは……自分の意思で傾けた方が、良いかと……。そうしないと……」

「そうしないと……、何?」

「……熱々のコーヒーが……ヴァイスの口に、大量に入ることに……」

「飲む! 自分で飲むから手を離してお願い!!」

 ヴァイスシュトルムの腕を楽しそうに操る『お友だち』を見ながら、マンハッタンカフェはそうヴァイスシュトルムに告げる。淡々と告げられた事実に、ヴァイスシュトルムは大慌てでマグを自らの意志で口元に近づけた。

「ふふっ……。お友だちも楽しそう……」

 ヴァイスシュトルムの様子を見ながらそう言ったマンハッタンカフェは、嬉しそうに顔をほころばせて、耳を軽く左右に倒していた。

「私は全然楽しくないからね……。あ、おいしい……」

 警戒しながらコーヒーを飲んでいたヴァイスシュトルムも、二口目のコーヒーを飲む頃にはすっかりリラックスしていた。対面に座るマンハッタンカフェと同じように、耳を左右に軽く倒れさせたヴァイスシュトルムは、静かにコーヒーを楽しむ。

 二人の間に流れる、穏やかでゆったりとした空気はしかし、一人のウマ娘が入ってきたことで簡単に霧散してしまった。

「おやおや、私の探し人はカフェと一緒にコーヒーブレイク中とは……。私を仲間はずれにしないでくれたまえよ」

「……タキオンさん……うるさいです……」

「辛辣だねぇ。でも、ヴァイスを独り占めするのは、良くないんじゃないかい? カフェ」

「……独り占めなんて……ただ……ヴァイスと一緒に、コーヒーを楽しんでいただけ……です」

「それを一人占めと言うんじゃないかい? ヴァイス、隣失礼するよ」

 無遠慮にヴァイスシュトルムの隣に座ったアグネスタキオンに対して、マンハッタンカフェは顔を渋くする。

「……勝手に……ヴァイスの隣に座らないでください……っ!」

「そういうカフェこそ、今までヴァイスを独り占めしていただろう? 少しくらい譲ってくれても良いじゃないか!」

「……そういう問題では……ありません……!」

 ヴァイスシュトルムと過ごす、穏やかな時間を邪魔されたせいか、マンハッタンカフェにしては珍しく語気を荒げてアグネスタキオンに言い返す。それに負けじとアグネスタキオンも言い返し、どんどん激しい言い争いへと変化していく。

 ぎゃんぎゃんとまくし立てる二人を横にしながら、言い争いの原因であるヴァイスシュトルムは、マンハッタンカフェの()れたコーヒーに没頭していた。

「……カフェのコーヒー本当においしいな。……トレーナー室とかに常備させてもらえないかな? ……あ、そっか。カフェがトレーナーさんの担当になれば解決するのか」

 トレーナーさん、カフェの担当にもなってくれないかなぁ……と呟くと、ヴァイスシュトルムはほうと息を吐いた。彼女の言葉は、(いま)だに言い合いを続ける二人の耳には入ることはなく、コーヒーから立ち上る湯気と同じように空中へ溶けていった。

 

 マンハッタンカフェとアグネスタキオンが息を切らし始め、投げ合う言葉に勢いがなくなってなお、ヴァイスシュトルムは二人を気に留めていなかった。

 スカートのポケットからスマホを取り出したヴァイスシュトルムは、ウマチューブを鼻歌交じりに視聴し始める。言い争いをしていた二人は、そんなヴァイスシュトルムの姿に、じっくりと顔を見合わせると、彼女の上から覆い被さるようにして覗き込む。手元に影が差し、その暗さを感じたヴァイスシュトルムは顔を上げ、自分に覆い被さる格好の二人へ視線を向けた。

「あ、終わった?」

 呑気(のんき)にスマートファルコンのダンス動画を見ていたヴァイスシュトルムに対して、二人の取った行動は素早かった。マンハッタンカフェがヴァイスシュトルムの前に立つと同時に、アグネスタキオンが毒々しい色をした三角フラスコを手に持った。三角フラスコの中の液体は、緑色と紫色に延々と混ざり続けるという不思議な挙動をしており、時折、禍々しく煙を噴出していた。

 ヴァイスシュトルムが三角フラスコに目を向けていることにむっとしたのか、マンハッタンカフェはヴァイスシュトルムの頰に優しく手を触れると、自分の方へと向き直らせる。

「……私を見てください……ヴァイス」

 マンハッタンカフェがヴァイスシュトルムに顔を近づけると、ヴァイスシュトルムは困ったように頰を赤く染めて目を逸らす。マンハッタンカフェは、ヴァイスシュトルムの仕草に満足そうに息を吐くと、隣に立つアグネスタキオンに目配せをした。それからヴァイスシュトルムに向き直ると、慈愛に満ちた微笑みを彼女へと向けた。

「か、カフェ……マンハッタン、カフェ……さん? その……近すぎない? いや、その、嫌とかじゃないんだけど、カフェの綺麗な顔が近いと落ち着かないというか、ドキドキするというか、その」

「……ヴァイスは、罪作りな自覚を……もっと持つべき……です。……この数日……私が、どれだけ貴女の心配をしたか……。だから……これは、おしおき……です」

「……へ?」

 マンハッタンカフェの(たお)やかでほっそりとした指を頰に添えられ、至近距離で彼女の整った顔を見せられたヴァイスシュトルムはどぎまぎする。しかし、そのときめきにも似た胸のざわめきは、マンハッタンカフェの不穏な言葉を最後まで聞くと同時に、別の意味で大きく、騒がしく変化した。

 ヴァイスシュトルムの頰へ添えた指に力を込め、奥歯と奥歯の間にするりと指を滑り込ませるマンハッタンカフェは、その指の力を強めると、ヴァイスシュトルムが簡単に口を閉じることができないように顎を固定した。突然顎を下方向へと押さえつけられたヴァイスシュトルムは、目を白黒させて慌てふためいた。

「!? むー!!」

 いやいやと首を振って拘束から抜け出そうと試みるヴァイスシュトルムだが、体はまるで金縛りにあったかのように微動だにせず、唯一動かせる首を精一杯振ることしかできない。

「ほうらヴァイス、お薬の時間だよ。何、心配しなくても大丈夫さ。前回、キミに渡した薬よりも、栄養の吸収補助機能は格段に強化されている。これを飲めば、君の体重が減り続けるストレス性の症状も改善するだろうさ! その代わりと言っては何だが、味の方は改善できなくてね。いくら砂糖を足しても、とても飲めた代物(しろもの)では……ゴホン。何、心配する必要はないとも。以前飲んでもらったものに比べて、ほんの少し。ほんの少しだけ、大地の味を強く感じるようになっただけだからねぇ! ……因みになんだが、味見をしてくれたモルモット君は、一口飲むなり吐き出して、地面と熱いキスを交わしていたよ」

 それは前回のものよりも(ひど)くなっているじゃないかと抗議したいヴァイスシュトルムだったが、口を抑えられていては発言することは叶わない。そうこうしているうちに近づいてきたアグネスタキオンは、容赦なくヴァイスシュトルムの口に三角フラスコの中身を注ぎ込んだ。流し込まれた毒々しい色をした液体は、土と青々とした草のとても酷い味をもってヴァイスシュトルムに襲いかかった。

「~~~~っ!!!?」

 アグネスタキオンの言葉に嘘はなかった。確かに謎の不調は消えたような気がする。しかし、しかしだ。それと引換えに、ヴァイスシュトルムの口の中では粘土と青々とした草と木、そして後からミントのような清涼感が渦巻いて混沌としていた。

 気絶しなかったのは、前回改良前のものを飲んでいたからだろうか。それでも、気絶できるなら気絶したかったと思いながらヴァイスシュトルムは力なくソファへともたれかかる。

「おや、すぐに元気百倍となるかと期待したが、そうでもないようだねぇ。味が酷くとも、効果には関係ないはずだが……ふぅン」

 もう少し改良が必要かな、と呟くアグネスタキオンを渋い顔で見ていたマンハッタンカフェは、ぐったりと目を瞑ったヴァイスシュトルムを心配そうに見る。

「何、そんなに心配そうにしなくても大丈夫さ。ヴァイスのあれは、ダービーで全力を超えた反動みたいなものだからね」

「……その心配は……していません……全く」

「それにしても、カフェがヴァイスにお熱だとは思いもしなかったね。いつからヴァイスのことをそんなに想っていたんだい?」

 角砂糖が山盛りになったティーカップ片手に、アグネスタキオンは先ほどまでのにやけ面を消してヴァイスシュトルムを見つめる。かと思えば、にやにやとした顔でマンハッタンカフェに質問をしてきた。そのにやけ顔に、ため息を一つ吐いて、マンハッタンカフェは静かに自分のマグを傾ける。瞬間、口の中に広がった粘土と土と青々とした草木、最後に不愉快な清涼感と化してしまったミントの味に、尻尾の毛を逆立てピンと思い切り跳ね上げた。

「おや、特製コーヒーの味はどうだい? 質問を無視するからバチでも当たったかな?」

 にやにやとした下卑た笑みを浮かべて、白々しく味を()いてくるアグネスタキオンを、マンハッタンカフェは口を抑えながら(にら)み付ける。それと同時に、内心でヴァイスシュトルムに深く謝罪した。まさかこんなに酷い味だとは思ってもいなかった。

「……タキオンさん……覚悟は、できていますね……?」

「なんだいカフェ、そんな怖い顔をして……。ほんの冗談に……決まって……」

 声を出せるようになったマンハッタンカフェは、地の底から響くような低い声で、アグネスタキオンにそう問いかける。尻すぼみに言葉から勢いをなくすアグネスタキオンは、顔を青くしながらマンハッタンカフェから距離を取ろうとして、パチパチと鳴る音と何かが燃えたときのツンとする焦げた臭いに気が付いた。

 鼻を刺激する臭いの元に心当たりがあるのか、はっとした様子で慌てて自分の研究スペースにある机を見たアグネスタキオンの目に入った光景は、青色の炎に包まれた紙の束が燃え尽きるその瞬間だった。

「なっ!? ちょっと待ってくれ、それは今朝ようやく書き上がった……あああぁぁーーーー!?」

 アグネスタキオンの悲痛な叫び声が部屋に響き渡るが、時既に遅く、最期の欠片が白い灰となり宙に舞い上がる。

 研究レポートらしき紙の束を燃やし尽くした青い炎が、静かに消えると、後には真っ白な灰の山と、宙に舞う燃え尽きたばかりの灰だけが残る。何日分かの成果が、奇麗さっぱり灰となったアグネスタキオンは、涙を流して最後の灰が机に落ちる様子を見つめることしかできなかった。

「……やりすぎじゃない……? ……え? ……中身は入れ替えてある……? ……じゃあ、あれは……ただの紙の束? ……そう……なんだ……」

 マンハッタンカフェとお友だちの会話は、残念ながらアグネスタキオンの耳に届くことはなく、彼女はただただ呆然(ぼうぜん)と涙を流してその場に立ち尽くしていた。

 

 

「ううん……まだ口の中が土臭い気がする……ってうわ。タキオンが灰を見ながら泣いてる。えぇー……」

 ようやく喋ることができるようになったヴァイスシュトルムは、白い灰の山を前にして涙を流すアグネスタキオンの姿に面食らう。そんな彼女の言葉が耳に入ったのか、マンハッタンカフェが顔を上げてヴァイスシュトルムを見てきた。

「……もう……口の中は、大丈夫ですか……?」

「え、うん……? カフェに聞かれるのも変な感じではあるけど」

「……それは……その。……すみません。……あんなに……酷い味だと、思ってもみませんでした……」

 ジトッとした目でヴァイスシュトルムに見つめられたマンハッタンカフェは、シュンと落ち込んだように耳と目を伏せた。そんな彼女の姿に溜飲(りゅういん)が下がったのか、ヴァイスシュトルムは口角を(わず)かに上げると、マンハッタンカフェの隣に座り、彼女の肩にもたれかかった。

「……あの……ヴァイス……?」

「……」

 頰を染めて突然もたれかかってきたヴァイスシュトルムに、今度はマンハッタンカフェがどぎまぎする番だった。千年に一度の美少女ウマ娘とも言われる、ヴァイスシュトルムの整った顔が近くにあることに、マンハッタンカフェは平静を装えなくなる。それと同時に、何故、彼女が自分の肩にもたれかかってきたのかわからずに困惑の表情を浮かべていた。そんなマンハッタンカフェの言葉を遮るようにして、ヴァイスシュトルムは口を開いた。

「カフェの美味しいコーヒーで、さっきの私への酷い仕打ちはなかったことにしてあげる。だから、コーヒーおかわり」

「! ……はい」

 困惑させていた顔をぱっと明るくさせて、マンハッタンカフェは嬉しそうに耳を動かした。ヴァイスシュトルムが肩に寄せる体重を受け止め、彼女の好きなようにさせる。それに甘えるようにして、ヴァイスシュトルムもまた、アグネスタキオンが入ってくる前と同じようにリラックスしてコーヒーを楽しむことにしたのだった。

 灰を前にして滂沱(ぼうだ)の涙を流すアグネスタキオンと、マンハッタンカフェに甘えながら穏やかにコーヒーを楽しむヴァイスシュトルム。それに対してまんざらでもない様子のマンハッタンカフェという、傍から見れば奇妙な室内の様子は、こうして完成したのだった。




お読みいただき、ありがとうございます。
お待たせしました26話です。

久し振りに登場したら研究資料(複写)を燃やされるタキオン……正直すまんかった。
マンハッタンカフェとヴァイスシュトルムのイチャイチャを書きたかっただけなのに、気が付いたらタキオンの研究資料が燃えてました。是非もないネ。

今回の話は息抜き回なので、今のうちに存分に息抜きして頂いて、今後の展開にご期待頂ければと思います。
それではまた次回、お会いできることを願って。
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