ウマ娘プリティダービー ~月毛のウマ娘~    作:蒙駄目猫

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♯29.療養

 ――トレーナー見習いの実技みたいなものだと思えばいい。トレーナー資格取得前に経験できる機会なんて、めったにないぞ――。

 困惑するシュプリュレーゲンに対して、神谷は爽やかな笑顔でそう告げてくる。アロハシャツに白のハーフパンツ、頭にはかんかん帽といった、常夏のリゾート地に行くような格好をした神谷はそう言って(さわ)やかに笑って見せた。

 シュプリュレーゲンは困惑したまま何かを言おうとした瞬間、大きな揺れとともに大波が神谷の背後から迫ってくる。神谷はその波に()まれてなお爽やかに笑い続け、すぐにシュプリュレーゲンもその大波に呑み込まれる。そうして暗転した世界にシュプリュレーゲンはキツく眉を寄せた。

「……ううん」

 目を薄らと開けたシュプリュレーゲンは、規則正しく響くガタンゴトンという音と、窓の外を飛ぶように流れていく景色にますます顔を渋くする。寝起きの頭で今の状況を何とか思い出そうとしていると、隣に座っていたヴァイスシュトルムが心配そうに顔をのぞき込んできた。

「レーゲン?」

 気遣うように声を掛けられて、シュプリュレーゲンは自分が今いる場所をはっきりと思い出す。彼女たちを乗せた電車は、定刻通りに田園風景の中を駆け抜けている最中だった。

 まかり間違っても常夏のリゾートではないし、シュプリュレーゲンが神谷からトレーナー見習い云々(うんぬん)と言われたのは、すっかり通い慣れたトレーナー室でのことだった。

(……そもそも、トレーナーさんがふざけた格好であんなこと言うわけないでしょ……。ああ、でも。アロハシャツとかんかん帽は結構似合ってたな……)

 取り留めない思考でぼんやりとするシュプリュレーゲン。そんな彼女に、ヴァイスシュトルムは遠慮なく質問してきた。

「ねぇ、レーゲンって今も電車に弱いの?」

「……そんなことはないと思うけど。別に酔ったりはしてないし……」

「うーん、レーゲンは昔から乗り物に酔うというより、乗ったらすぐに目を(つむ)って、それからすぐに(うな)されてる記憶しかないからなあ。そんなに変わったように思えないんだよね」

 ヴァイスシュトルムの言葉に対して、眉を寄せて顔をしかめてみせるシュプリュレーゲン。しかし、そんな彼女を気にした様子もなく、ヴァイスシュトルムは鞄から(あめ)の入った袋を取り出す。中から個包装になっている飴を取り出すと、袋を破いて中身を()まみ上げる。そしてその指を、眉間に(しわ)を寄せたまま難しい顔をしているシュプリュレーゲンの口に突っ込んだ。

「むぐっ」

 突然口の中に飴を突っ込まれたシュプリュレーゲンは、眉を跳ね上げてヴァイスシュトルムを(にら)み付けようとする。しかし、口の中に広がる酸味と爽やかな香りに、すぐに顔は緩んでいた。

「レモン味の飴で顔がゆるゆるになるのも変わりなし、と」

 昔から変わっていない、親友の緩みきった表情に、ヴァイスシュトルムは懐かしさを覚える。現役のときは凜々(りり)しくしていたあのレーゲンが、実はレモン飴一つでだらしなく緩んだ顔を見せるなんて……。彼女の熱心なファンが知ったら驚くだろうな、などと考えながらヴァイスシュトルムも同じように飴を一つ口に放り込んだ。

 口の中でレモン飴を転がしながら、ゆっくりと後方へ流れていく遠くの山々をずっと眺めるヴァイスシュトルムは、シュプリュレーゲンが目を覚ますまで考え続けていたことに再び思考を巡らせた。

 

 

 福島県いわき市にある、URAが管理、運営する『競走ウマ娘リハビリテーションセンター』に、ようやくたどり着いたヴァイスシュトルムとシュプリュレーゲンは、受付で手続きを済ませるとすぐに部屋へと案内された。

「温泉施設って言うから、旅館みたいなものかと思ってたけど……。普通によくあるホテルとあんまり変わらないんだ」

 部屋に入るなりそう呟いたヴァイスシュトルムに続いて入室したシュプリュレーゲンも、ヴァイスシュトルムと似たような感想を抱いた。温泉も湧いているリハビリテーション施設ということで、内装や部屋は老舗(しにせ)温泉宿のような純和風なものだろう、とシュプリュレーゲンは勝手に思い込んでいた。しかし、布団に慣れている娘もいれば、ベッドに慣れている娘もいる中で、足を悪くしたなら慣れている寝具が選ばれるのは、ある意味当然のことだと思い直した。

「私たちが想像していた温泉旅館は、元気になってからのお楽しみ、ということかな。そのときはトレーナーさんに連れて行って貰わないとね」

 楽しそうに茶化して言うシュプリュレーゲンに、ヴァイスシュトルムはほんの一瞬だけ顔を(くも)らせる。

 ケガをしてからのヴァイスシュトルムは、神谷ときちんと向き合うことを意識的に避けていた。もちろん、神谷の話はちゃんと聞くし、自分のリハビリ方針についても納得している。しかし、どうしても神谷に対する後ろめたさが(ぬぐ)いきれず、話が終わるとそそくさと寮へ帰る日々がここ一週間の常だった。

「はぁ……」

 自らの腑甲斐(ふがい)なさに、ため息を()くヴァイスシュトルム。そんな彼女に対して、シュプリュレーゲンは何も言わなかった。神谷もシュプリュレーゲンも、ヴァイスシュトルムが意図的に避けていることに気が付いてはいた。しかし二人は、ヴァイスシュトルムが自分の中で気持ちに折り合いを付けるまで、そのことには触れずにおこうと決めていた。もちろん、ヴァイスシュトルムが思い詰めすぎたり、助けを求めてきたりした場合はその限りではないが、彼女の性格的にそうはならないだろうと二人は踏んでいた。

荷解(にほど)きしたらすぐ診察だって。それが終わればリハビリと今後の筋トレの方針を決めるってさ」

「あ、うん。……うん? 診察……?」

 シュプリュレーゲンの言葉に返事をしたヴァイスシュトルムは、決して聞き逃せない単語に反応して動きを止める。それに気が付いたシュプリュレーゲンは、きょとんとした顔でヴァイスシュトルムに向き直った。

「どうかした?」

「ええと……ねえレーゲン。私の聞き間違いだと思うんだけど……今、診察って言った?」

「え? うん」

 何を当たり前のことを聞き返しているんだろうと、不思議そうな顔をするシュプリュレーゲンとは対照的に、ヴァイスシュトルムは顔を見る見るうちに引きつらせていく。

「診察して(もら)ってから、リハビリの方針を決めるって。ヴァイスの場合はよりにもよって脱臼(だっきゅう)だからね。少なくとも二箇月はここの専門家さんの元でリハビリと筋力トレーニングの日々になるよ」

「二箇月も!? クリスマスもここで過ごすの!?」

 元気をなくしてだらんと尻尾を下げ、耳もへたれたヴァイスシュトルムの様子に、シュプリュレーゲンは荷物をベッドに出していきながら首を(かし)げる。こんな環境でしっかりとリハビリできるなんて、(うらや)ましいとさえ思っていた彼女は、ヴァイスシュトルムが元気をなくしている理由がよくわからなかった。

「ほら、診察の時間が(せま)ってきてるから行くよ?」

 そう言ってシュプリュレーゲンはヴァイスシュトルムの腕を取る。しかし、取った腕は微動だにしなかった。

「……」

 シュプリュレーゲンが顔を上げると、決して自分と視線を合わせようとしないヴァイスシュトルムの姿がそこにはあった。(かたく)なに視線どころか顔すらも合わせまいとして逃げるヴァイスシュトルムに、シュプリュレーゲンの耳はゆっくりと絞られていく。いつまでも動こうとしないヴァイスシュトルムに対して、シュプリュレーゲンが強硬策を選び取るまで時間はかからなかった。

「!?」

 ひょいっとヴァイスシュトルムを抱き上げたシュプリュレーゲンは、まるで米俵を担ぐかのようにヴァイスシュトルムを片腕で抱え直すと、部屋を後にしてそのまま歩き始める。

「ほら、時間もないんだからきびきび行くよ」

「待ってレーゲン! ちゃんと自分で歩くから、だから降ろして!!」

「ダメ。私の方が歩くの早いし、このまま連れて行くから。……あっ、こら、暴れないの! 落としたら余計なケガするでしょ!!」

「これはケガ人にするコトじゃないでしょ!! ちょ、やめ、降ろして!! レーゲンってば!!」

 じたばたと暴れるヴァイスシュトルムと、それを意に介さずしっかり抱えて歩くシュプリュレーゲン。その二人の珍妙な姿は、リハビリテーション施設にいた人々の耳目を集めるのに十分だった。遠巻きに自分たちを眺める人々が増えていく様子に、ヴァイスシュトルムの顔は真っ赤になっていた。

 ヴァイスシュトルムの情けなく恥ずかしい姿は、リハビリテーション施設の笑い話兼、教訓として長らく語り継がれることとなる。診察を過度に嫌がりすぎると、米俵のように担がれながら叫ぶことになるから気を付けるように、と。

「ちゃんとするからぁ!! お願いだから許してレーゲン!! 恥ずかしいからぁ!!」

 ヴァイスシュトルムの情けない声は、診察室にたどり着くまでの間ずっと施設中に響いていた。

 

 

 朝日杯フューチュリティステークスに向けてトレーニングを行うアイネスフウジンの調子は、絶好調と言っても差し支えなかった。未勝利戦からこっち、調子を落とすことなく絶好調を保っているアイネスフウジンに、神谷は言い知れない不安に(さいな)まれていた。ヴァイスシュトルムのように、急に大ケガをしたら等と常に頭の片隅に不安が付き(まと)う。その(たび)に神谷は、頭を振ってその不安を追い払うということを繰り返していた。

「アイネスフウジン、ラスト一本。思い切り行け!」

「! はいっ!!」

 神谷の声を聞くと、アイネスフウジンはぐんぐんと加速していく。ジュニア級の中でも屈指のスピードを誇るアイネスフウジンは、神谷の期待に応えるように走り、無事にタイムを更新して戻ってきた。

「この調子なら本番も問題ないだろう。朝日杯、取りに行くぞ!」

「うん! 任せて!」

 屈託のない笑顔を見せるアイネスフウジンに、神谷はほんの一瞬だけ不安になる。しかしそれを(おくび)にも出さず、決して目の前で笑う彼女に悟られないように振る舞った。

「ああ、期待してる」

 左手の腕時計を見て、今日はここまでだなと呟いた神谷は、アイネスフウジンを着替えさせるため、先にトレーナー室へ向かうように言う。それを聞いたアイネスフウジンがトレーナー室へと駆けていく後ろ姿を見送って、神谷はポツリと言葉を落とした。

「アイネスフウジンは無事に調整が済んだか」

 アイネスフウジンが何の問題もなくトレーニングを終えたことに、神谷は言いようのない不安を覚えていた。ヴァイスシュトルムのケガ以降、神谷は意識・無意識問わずトレーニングの詰めを甘くしてしまうようになっていた。

 先ほど終えたアイネスフウジンのトレーニングでも、以前の神谷ならば一本ではなく二本走らせていただろう。しかし、神谷はそれをさせずにトレーニングを切り上げさせていた。それは筋力トレーニングでも、スタミナトレーニングでも同様で、最低限必要なトレーニング量かそれ以下で切り上げることが増えていた。

 成長するタイミングで適切な負荷を与えないことによって、後々悪影響をもたらす可能性があることは神谷ももちろん理解している。それでも神谷は、軽めのトレーニングの指示しかできずにいた。

「……このままじゃダメなんだけどな」

 人気(ひとけ)がなくなったコースで一人そう呟いた神谷は、アイネスフウジンに遅れてゆっくりとトレーナー室へと歩き始める。夕陽(ゆうひ)に照らされたその後ろ姿は、今にも消えそうなほど頼りないものだった。

 

 

 トレーナー室に戻った神谷は、アイネスフウジンと軽く言葉を交わし、バイトへと向かう彼女を見送った。静かになったトレーナー室で自席に座った神谷は、机に出しっぱなしにしていたリハビリ書を手に取る。早くも草臥(くたび)れ出している本を惰性(だせい)で開いたものの、今の神谷には一文字も頭に入ってこなかった。目は文字を追いこそすれど、目に入ってきた文字が文字ではなく絵に見えてしまい、内容を欠片も理解できない。同じ文を読み返しては目が滑り、また同じ文を読む。それを何度も繰り返して、ようやく神谷は本を読むことを諦めた。

「……情けないな俺は」

 ぼんやりと空を見ながらため息混じりに呟いた神谷は、そのまま仕事用のノートパソコンの画面に目を向ける。スリープ状態になっていた画面を見てため息を吐いた神谷は、面倒臭そうにパソコンのスリープを解除する。ぱっと画面に表れた、ケガに関するレポートの続きを書こうとするも、どうにも続きを書く気分にならない。そんな自分に更に嫌気が差して、結局神谷は何もせずにノートパソコンをシャットダウンしてしまった。電源が落ちて真っ暗になった画面を前に、神谷は帰り支度(じたく)をするでもなく、ただぼんやりとそれを見つめていた。

「はぁ……」

 一際(ひときわ)大きなため息を吐いて、神谷は自席からのそりと立ち上がる。今日の仕事を切り上げた以上、神谷がここにいる理由もない。それにもかかわらず、神谷は一向に帰ろうとはしなかった。

 それどころか、ソファの背もたれに掛けてあった厚手のブランケットを手に取ると、そのままソファにごろりと寝転んだ。

「アイネスフウジンの朝日杯もあるって言うのに、どうしようもないな……」

 自嘲(じちょう)気味にそうぼやいてすぐ、神谷の意識は暗闇へと落ちていく。

 神谷がまともにトレーナー寮の自室に帰らなくなってから、早くも二週間が()とうとしていた。




新年明けまして……え? もう二月も終わる?
…………大変お待たせいたしましたことを深くお詫び申し上げます。

新年早々風邪を引き、一月中は高熱に魘され、二月もそんな感じでとても投稿できる状態ではなかったので、今になりました。

またぼちぼちと完結に向けて書いていきたいと思いますので、思い出した頃に読みに来て頂けると幸いです。

それではまた次回をお楽しみに。





……投稿通知用にSNSでも開設した方が良い可能性が?
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