週明けの月曜日、『月毛のヴァイスシュトルム』が、金曜日の選抜レースに出走するという情報が流れると、興味本位でヴァイスシュトルムにスカウトをかけるトレーナーが続出した。
しかし、
『芦毛』は走らないと言う通説をひっくり返した、タマモクロスやオグリキャップのような力は、ヴァイスシュトルムにはない、しかしアクセサリーとしてはこの上なく優秀だと、直接は言わないまでも、言葉の端々からにじみ出るトレーナーたちからのラブコールに、ヴァイスシュトルムは
もし、神谷よりも先に桐生院トレーナーに出会っていたならば、彼女に担当して貰っていたかも知れないと、ヴァイスシュトルムは彼女の組んだトレーニングメニューをこなしながら漠然と考えていた。
最後の追い切りをかなり軽めに終わらし、上がり3ハロンを三十五秒後半に抑えたヴァイスシュトルムに、外から見ていたトレーナーたちは口々に「白毛のハッピーミークを
「桐生院トレーナー、この四日間ありがとうございました」
「そんな、頭を上げて下さい! 私は簡単なものしか提示してませんから! ミークのトレーニングの片手間でしたし……」
周りに人影がなくなったところで、足を止めたヴァイスシュトルムは、後ろを振り返って深く頭を下げる。それに、桐生院トレーナーは慌ててヴァイスシュトルムに頭を上げるように言う。それでも、ヴァイスシュトルムは心からの感謝を伝えた。
「でも」
「でも?」
下げていた頭を上げたヴァイスシュトルムは、不敵な笑みを浮かべて桐生院トレーナーに
「貴女が育てたハッピーミークと同じレースで当たったときは、絶対負けませんから!」
「! ……ミークが勝っても落ち込まないで下さいね?」
ヴァイスシュトルムから受けた宣戦布告に怒るでもなく、笑顔で受けて立った桐生院トレーナーは、やる気十分と言った様子で自分の担当ウマ娘である、ハッピーミークの元へと向かっていった。
その背中を見送ってから、ヴァイスシュトルムはカフェテリアへと足を向ける。夕食を摂りつつ明日の選抜レースの作戦を練ろうと、ぼんやり考えながら歩いていると、突然背後から大声で呼び止められた。
「待ってくれ! ヴァイスシュトルム!」
「……誰?」
ヴァイスシュトルムの前に回り込むようにして走り寄って来た男は、一つ咳をすると真面目な顔をして向き直った。
「この四日間、君の走りを見せて貰った。君には、素晴らしい素質がある。桐生院トレーナーには、君の素質を引き出せなかったようだけど、この僕、
「はぁ……。それは……、ありがとうございます……?」
舟越と名乗ったトレーナーは、ヴァイスシュトルムの話を聞こうともせずに一方的にまくし立てる。言葉に少しづつ熱が入っていく舟越に対して、ヴァイスシュトルムは内心、お世辞はいいから、早く呼び止めた理由を話して欲しいと思っていた。
それから五分、どうでも良い舟越の話を聞かされたヴァイスシュトルムは、自身の疲労も相まって、終わりの見えない舟越の話に
「……あぁ。長々とすまない。しかし、この話はここからが大切なところなんだけどね――」
「それで、舟越トレーナー? いい加減本題に入って欲しいのだけど?」
そう言って、まだ話し足りないとばかりに続けようとする舟越に、
「全く、君を指導することになるトレーナーの話は最後まで聞くべきだよ。まぁ、それはマナーとして必要なことだから、トレーニングの傍ら教えよう。さっきの続きだが、つまり何が言いたいかと言うと、君の素質に僕のトレーニング能力が合わされば、『月毛』の君でもGⅠを一勝するくらいには成長できると言うことだ。さぁ、明日の選抜レース後から早速トレーニングだ。忙しくなるぞ!」
大切な部分に入る前を遮られ、顔にありありと不満の色を浮かべた舟越は、気を取り直してヴァイスシュトルムに教え
「はぁ……。悪いけど、私のトレーナーはもう決まっているの。私は貴方と契約できないから他の娘を当たって」
ヴァイスシュトルムはそう言うと、これ以上話すことはないと舟越の横を通り抜けようとする。ヴァイスシュトルムに何を言われたのかよくわかっていない舟越は、
「待ってくれ!」
「……離して。私は貴方に用は無い」
ウマ娘の力は成人男性のそれを大きく上回る。ウマ娘にとっては少しの力であっても、人間を
「Halt die Klappe! Ich will kein Wort mehr von Ihnen hören!」
「は……? え?」
突然ドイツ語で「黙れ、お前の話はもう聞きたくない!」と言われた舟越は、言葉が理解できず口を開けて固まってしまう。その
「ここにもない……、あと探してないのはどこだ……!?」
ヴァイスシュトルムの選抜レースが明日に迫る中、先日、ヴァイスシュトルムと約束を交わした神谷トレーナーは、トレセン学園の廊下を隅から隅まで見て回っていた。必死の
「まだ見落としているところがあるはず――」
「――おっと!」
神谷が方向転換し、歩き出そうと一歩足を踏み出したところ、どん、と軽い衝撃を受けて神谷はバランスを崩し、たたらを踏んだ。
「ごめんね! 大丈夫? ケガはないかい?」
そう言ったウマ娘、フジキセキは
「こっちこそごめん。良く見ていなかったんだ」
「ううん、お互いなんともないならよかった! でも君、なんだか
神谷に怪我がないことを確認して、笑顔を見せたフジキセキは、すぐに思い悩むように眉を寄せると、右手を顎に当て、その肘を左手で支えるように持つ。そして、一度神谷の視線の先を見るように目を伏せると、再び彼に正対した。
「さっきも床をじーっと見つめていたし……。もしかして、なにか大切なものを探しているのかな?」
フジキセキの的を射た発言に、神谷は情けなさそうに後頭部を
「トレーナーバッジ! それは大変だ」
少し驚いたように声を上げたフジキセキは、顔を真面目なものに変える。
「トレセン学園の敷地内は、関係者以外立ち入り禁止だからね。バッジがないままだと、不審者だって誤解されちゃうかも……?」
話しながら、だんだん気の毒そうな顔になっていくフジキセキに、神谷もまた気落ちしていく。このまま見つからなければどうしよう、ヴァイスシュトルムとの約束を守れないばかりか、不審者として警備員に拘束されてしまうのだろうか。流石にバッジを落としたことで、たづなさんにまで迷惑をかけるわけには――。
「そういえば、こんな話を知っているかい?」
神谷が顔を青くするのを見ていたフジキセキは、彼に尋ねるように口を開いた。
「何をだ?」
「数日前に、深夜の学園内に許可なく立ち入った不届き者がいてね」
神谷はギクリとしてフジキセキを
「しめしめとほくそ笑んだ彼は、誰もいない、静まり返った真っ暗な廊下を一人で歩いていたんだけど……」
「その時、コツ、コツ、と自分のものじゃない足音が近づいてきて……。振り向くとそこには満面の笑みを浮かべたたづなさんが!」
「ご、ごめんなさい! ……いや、あの時はたづなさんに会ってな……あっ」
反射的に謝った神谷を、ポカンとした表情で見たフジキセキは、数秒後、肩を震わせて笑い始めた。
「ふふっ……あはははっ! まさか、数日前にこの話と同じようなことを君がしてただなんて! 偶然ってあるものなんだね!」
大笑いするフジキセキに、神谷は下を向き
「冗談のつもりだったけど、思わぬ収穫かな。ふふっ……トレーナーさん。服の右ポケットを見てごらんよ」
笑いすぎて目に浮かぶ涙を指で
「!? えっ、なんでポケットにバッジが!?」
驚きに目を白黒させながらも、嬉しそうな神谷を見て、フジキセキは頰笑みを浮かべる。
「ついさっきそこで拾ったんだ。落とし主さんにすぐ出会えるなんて、ラッキーだね!」
「ありがとう、フジキセキ!」
そう声を弾ませるフジキセキに、神谷はフジキセキに向き直る。そして深く頭を下げて感謝の言葉を伝えた。
「どういたしまして。慌てている君の様子とか、襟にバッジがないところから、多分そうじゃないかなって思ってたんだけど……当たりでよかった!」
「ところで、いつポケットに……?」
確かに何も入っていなかったはずだと、不思議そうな顔をする神谷に、フジキセキは
「さっきぶつかった時にちょっとね。手品は得意なんだ! びっくりしたかい?」
「ああ、びっくりしたよ……本当に」
悪意のないフジキセキの笑顔に、心底
「でも、少しおどかしすぎちゃったかな。普通に返すだけじゃなくて、楽しいサプライズにしたかったんだけど……ごめんね」
そう言った後、申し訳なさそうにするフジキセキに、どうフォローしようかと神谷が悩んでいると、タイミング良く腹の虫が空腹を知らせた。再び襲い来る羞恥心に、神谷は顔を真っ赤に染める。
「ふふっ……。ねぇ、トレーナーさん。お
そんな神谷の腹の虫に吹き出したフジキセキは、彼に手を差し伸べると一緒に食事をしようと誘う。
「むしろ、俺がフジキセキにお礼をしたいんだが……」
「それじゃあ、『私との食事に付き合う』のがお礼ということにしよう! さぁ、カフェテリアに行こうか、トレーナーさんっ」
舟越トレーナーの長話からようやく逃げ出したヴァイスシュトルムは、予定していた時間から大幅に遅れてカフェテリアに来ていた。トレーニング後の疲労に加えて、無駄話に付き合わされた心労が加わり、さっさと食事を済まして寮に帰ろうと思っていたのだが、生憎カフェテリアは多くの生徒や教職員、トレーナーでごった返していた。
「
舌打ちと共に小さく呟いたヴァイスシュトルムは、それもこれも舟越トレーナーのせいだと心の中で
「フジキセキ! 良かったら相席しても……なんでトレーナーさんがここに!?」
フジキセキの正面には、ヴァイスシュトルムが契約する予定の神谷トレーナーが座っており、フジキセキに手厚くもてなされていた。
「よう、ヴァイスシュトルム。こないだぶりだな」
ヴァイスシュトルムに気が付いた神谷は、呑気に左手を挙げて挨拶してくる。そんな彼に習って、ヴァイスシュトルムへ振り向いたフジキセキの顔には、にやにやとした意地の悪い笑みが浮かんでいた。
これはまずいと、ヴァイスシュトルムの第六感が
「トレーニングお疲れ様、ヴァイス。疲れているだろう? 食事取ってきてあげるよ、何がいい? にんじんパン
まさに早業だった。いつの間にかヴァイスシュトルムは着席させられており、フジキセキはヴァイスシュトルムの食事を取りに席を立っていた。
「……はぁ」
「ため息を吐いてると幸せが逃げるらしいぞ」
にんじんパンEXを頰張りながらそんなことを言う神谷に、ヴァイスシュトルムは誰のせいでため息を吐いてると思っているのかと恨みがましい視線を送る。その視線に気付いた神谷は、手元のにんじんパンEXをヴァイスシュトルムから遠ざけるようにして隠した。
「そんな物欲しそうな顔をしても、このにんじんパンEXはやらんぞ!」
「いらないよ! なんで人の食べかけを欲しがらないといけないのさ!」
思わず大きな声を上げて否定するヴァイスシュトルムに、カフェテリア中から視線が集まる。それに顔を赤くしたヴァイスシュトルムは、机に突っ伏すようにして顔を隠した。
「ただいま。ヴァイスが出会ったばかりのトレーナーさんともう打ち解けてるなんて、珍しいこともあるんだね」
手に料理の乗った盆を持って帰ってきたフジキセキは、柔らかく微笑みながらそう言うと、ヴァイスシュトルムの前に盆を置く。もちろん、にんじんパンEXも忘れずに取ってきてあった。
「……
「どういたしまして。ほら、冷めないうちにどうぞ」
フジキセキに
「ところでトレーナーさん、さっきまで話していたことの続きなんだけど……」
「えーっと、ヴァイスシュトルムから逆ナンされたところまでは話したっけ?」
「ゲホッ! ゴホッ!」
聞き捨てならない言葉を聞いて、盛大に
「ふんっ!」
「いってぇ!?」
突然右脛を襲った激痛に、たまらず大声を上げた神谷は足を押さえて
神谷が頭を掻きながらフジキセキを見ると、苦笑しつつもどこか楽しそうにヴァイスシュトルムを眺めており、その視線に気が付いたヴァイスシュトルムは、居心地が悪そうに椅子に座り直した。
やれやれと自分も座り直した神谷は、ヴァイスシュトルムのご機嫌を