ウマ娘プリティダービー ~月毛のウマ娘~    作:蒙駄目猫

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♯6.メイクデビューに向けて(後編)

 飛んできたテレビのリモコンを()けきれず、それで額を強打した神谷トレーナーは、痛む額を(さす)りながら狼藉(ろうぜき)を働いてきた張本人が座るソファの対面に腰を下ろした。

「それで、何に怒ってるんだ?」

「別に……何でもない」

「何でもないことはないだろう?」

「何でもないの!」

 ヴァイスシュトルムは何でもないと言うものの、耳を後ろに伏せてそっぽを向いている様子から、彼女が腹に据えかねる何かがあったことは間違いなかった。

 神谷が部屋を出るときに点けっぱなしだったはずのテレビが消えていることから、ヴァイスシュトルムにとって面白くない何かがテレビ番組内であったことは確かだが、それが一体何だったのかまでは神谷には知る(よし)もなかった。

 一体、テレビ番組内で何があったのか聞いても、簡単に打ち明けてくれそうにないヴァイスシュトルムの姿に、神谷は頭を()くことしかできなかった。

「あー、そのなんだ……。とりあえずこれが、ヴァイスシュトルムがレースウマ娘として登録するのに必要な書類になる」

 不機嫌を隠そうともしないヴァイスシュトルムをなるべく刺激しないよう、慎重に言葉を選んだ神谷は、手に持っていた紙の束をヴァイスシュトルムに差し出した。ヴァイスシュトルムが受け取った紙の束はそれなりの分厚さがあり、辞書と遜色(そんしょく)ない重さを誇っていた。

 読むだけでも結構な時間がかかりそうな紙の束に目を丸くしたヴァイスシュトルムは、何も言葉を紡げず、無言で神谷の顔と紙の束を見比べてしまう。

 しかし、至極真面目な顔をした神谷に、これが現実であることを思い知らされただけだった。この分厚い紙の束を見るだけで、今日一日トレーニングのない理由が窺い知れた。

「細かい規則や規定、レースの注意事項なんかも書かれているから、全てに目を通してからサインをしてくれ」

「……ん」

「それから、クラシック登録の用紙も書いておいてくれると助かる。締め切りは大分先だが、必要になる事に変わりはないからな」

「わかった……。ねえ、量多くない? これ」

 ヴァイスシュトルムはあまりにも膨大な紙の束に対して、嫌そうに顔を(しか)めていた。先程まで彼女が作り出していた不穏な空気は、あっという間に霧散し、平穏なものに戻っていた。

 彼女の雰囲気(ふんいき)が柔らかく変化したことを感じとった神谷は、彼女の気が(まぎ)れたことに心底安堵した。

「レースウマ娘の第一歩だ。表紙をいくら(にら)んでも減りはしないぞ」

「うぐぅ……」

 がっくりと項垂れるヴァイスシュトルムはしかし、資料の束を手に取ると嫌々ながらも読み始めた。静かに資料を読むヴァイスシュトルムの邪魔をしないように、神谷は静かに自分の事務机へ戻ると、机の上に置いてあるノートパソコンを使って自らの仕事に取りかかるのだった。

 

 

 ヴァイスシュトルムに書類を渡してから二時間が()った頃、ソファが革独特の(きし)み音を鳴らした。その音に反応してそちらを向いた神谷は、ソファの背もたれにヴァイスシュトルムの頭が見えなくなっていることを認めると、ソファへと歩み寄った。

「書き終わったか?」

「……うん。すごい疲れた」

「それじゃあ、書き漏らしがないかチェックさせて貰うぞ」

 だらしなくソファに身を投げ出すように寝そべっていたヴァイスシュトルムは、紙の束を見たくないと言わんばかりにソファの背もたれの方へと寝返りを打つ。神谷は、机の上にある紙の束を取ると自席に戻り、ヴァイスシュトルムが書き漏らしていないか検分を始めた。

 トレーナー室には神谷が紙を(めく)る音と、時折外から聞こえてくる足音やウマ娘の声しか聞こえてこなかった。その静かで穏やかな時間と暖かな室温が相まって、ヴァイスシュトルムの(まぶた)は重力に従って段々落ちてくる。さすがに今眠るわけにはいかないと、彼女は抵抗を試みたものの、その甲斐なく眠りの世界へと旅立っていた。

 ヴァイスシュトルムが眠りに落ちてからすぐ、書類に不備がなかったことを確認し終えた神谷は、彼女が静かすぎることを(いぶか)しんだ。

「ヴァイスシュトルム? ……なんだ、寝ちゃったのか」

 穏やかな寝息を立てて、安心したようにソファで背を丸めて眠るヴァイスシュトルムに微笑を(こぼ)した神谷は、テレビセットに並ぶように設置してあるクローゼットを開けると、中からタオルケットを取り出し、ヴァイスシュトルムに()ける。

「……ブランケットも買っておくべきか。寒さで体調を崩されても困るしなぁ」

 自分の机に戻り、「トレーナー室に必要なものリスト」にブランケットを追加した神谷は、大きく伸びをすると様々なトレーニングプランの検討に入った。ウマ娘工学(ウマ娘の身体的特徴に特化した人間工学の発展系)に基づいた最新のトレーニング理論や機器を調べていると、ふとネット記事の見出しが目についた。

『評論家、大河氏バッサリ。「ヴァイスシュトルムはレースウマ娘を辞めて、その美貌(びぼう)を活かせるモデルをするべき」』

『月毛の美しいウマ娘、ヴァイスシュトルムはモデルになった方が絶対に幸せになる!』

 その下世話な見出しに深くため息を()いた神谷は、同時にヴァイスシュトルムの機嫌が悪かった理由にも得心(とくしん)がいった。おそらく、テレビ番組中にこういった評価がなされていることを知ったのだろう。自分の容姿ではなく、走りを見て欲しいと願う彼女からすれば、こういった評価は到底受け入れ(がた)いことであり、腹に据えかねるものであることは想像に(かた)くない。しかし神谷は、だからこそやりがいがあるとも思う。世間のくだらない評価を変えるには、やはり実力を見せつけるしかない。そして、それをやり遂げるのに必要な力は、ヴァイスシュトルムに充分備わっているとの確信が神谷にはあった。

「……やるか」

 気合いを入れなおした神谷は、姿勢を正してノートパソコンに向き直ると、再びトレーニングプランの構築に取りかかったのだった。

 

 

「……ん。……んん?」

 ゆっくりと瞼を開いたヴァイスシュトルムは、見慣れない天井に目を(しばたた)かせる。頭を横に向けてようやく、自分がトレーナー室で眠ってしまったことに気がついた。体を起こしたところ、タオルケットが掛けられていることに気がついたヴァイスシュトルムは、不思議そうに首をかしげる。

「お、起きたか」

「トレーナーさん、あの」

 ヴァイスシュトルムが起きたことに気がついた神谷は、何枚かのプリントとノートパソコンをソファ前のテーブルに置くと、ヴァイスシュトルムの対面に腰掛けた。

「タオルケットで寒くはなかったか?」

「え? うん、そんなに寒くはなかったかな?」

 ヴァイスシュトルムの返事に、顎に手をやった神谷は、彼女がやせ我慢をしていないか見回した。けれども、彼女の言葉通り、我慢をしていたり震えたりする様子はないため、少しばかり安堵する。

「そうか。ブランケットもそのうち準備しておくから今日のところはタオルケットで我慢してくれ」

「うん……あのさ」

「どうした?」

 ヴァイスシュトルムの質問を待つ神谷の姿に、トレーナー室でヴァイスシュトルムが眠りこけたことに対して神谷が怒っている様子は見られない。それが彼女には不思議でしょうがなかった。

「その、私のこと怒らないの? トレーナー室で昼寝してたんだけど……。それについて注意も何もないし」

「ううん? 怒るようなことなのか、それ?」

 心底不思議だといった神谷の様子に、ヴァイスシュトルムは呆気に取られる。そして、もごもごと実際に彼女が見聞きしたことを話し出した。

「だって、トレーナーがついてる子たちが良く言ってたからさ。『トレーナー室でうたた寝したら怒られた』とか、『昼寝してたら頭を小突かれた』とか」

「ふうん……、そういうものなのか。まぁ、『よそはよそ、うちはうち』ってことで」

 少しばかり悩む仕草を見せた神谷だったが、あっけらかんとそう言いのける。その姿に、ヴァイスシュトルムは脱力感を覚えた。

「打ち合わせ中やトレーニング前に眠られると確かに困るが、そこは体調のこともあるからな。どうしても気分が乗らないだとか、体が(だる)いだとかがあったら気軽に言ってくれ。メニューの調節をするから」

「トレーナーさんってさ、甘いって言われない?」

「どうだろうな。こっちが無理矢理ああしろこうしろって言ったところで、本人の身にならなければ意味がないと考えているからな。トレーニングは身についてこそ、だ」

 そう言いながら、神谷はプリントをヴァイスシュトルムに手渡してくる。それを受け取ったヴァイスシュトルムは、書かれている内容に目を通した。

「さて、と。そこに書いてあるトレーニング内容が、一先ずメイクデビューまでのトレーニングプランとなる」

「今月いっぱいはプールトレーニングと坂路が多め?」

 練習内容はプールと坂路を交互に行いつつ、各バ場(芝・ダート・ニューポリトラック・ウッドチップ)が坂路の翌日などに組み込まれている形だった。

「ヴァイスシュトルムの脚を生かすには、兎にも角にもまずはスタミナが必要だと判断した。坂路の翌日に組み込んだトラック走は、スタミナの確認とフォームの修正確認用だな」

「ふぅん……」

 気のないような返事を返したヴァイスシュトルムだが、明確なトレーニングプランを見たことでメイクデビューが現実味を帯びて来たことに内心(たかぶ)りを覚えていた。ヴァイスシュトルム自身は昂りを表情に出さないように(つと)めていたが、耳と尻尾の動きまでは抑え切れていなかった。

「それと、メイクデビューの日も決まったぞ。二ヶ月後の東京レース場、芝1800mだ」

 神谷の言葉に、ヴァイスシュトルムの耳が勢いよく立つ。勢い込んで神谷に向けたヴァイスシュトルムの顔には獰猛(どうもう)な笑みが浮かんでいた。

「ねぇ、トレーナーさん。この後、トレーニングしたいんだけど」

「えっ。いや、トレーニングって言ってもプールの利用予約取ってないぞ……それに、スイムウェアも持ってきてないだろ」

 そう神谷が言うやいなや、ヴァイスシュトルムは鞄からスイムウェアを取り出した。

「こんなこともあろうかと思って、トレーニングに使うジャージとかその他諸々(もろもろ)は持ってきてたんだよね」

 得意気に胸を張るヴァイスシュトルムに、神谷は(あき)れたような顔をするが、口角は持ち上がっており、ヴァイスシュトルムのやる気が高いことに嬉しそうだった。

「そこまで言うならやるか! プールの予約を今から取るから先にプールに行って着替えておいてくれ」

「Danke!」

 そう言い置いてトレーナー室から出て行くヴァイスシュトルムは、とても楽しそうにしていた。その背中を見送って、神谷は事務机の受話器を取ると施設管理課に電話を掛けるのだった。

 

 

 ――二ヶ月後、東京都・府中 東京レース場――

『第五レース、芝1800mメイクデビュー、十六人のウマ娘を迎えていよいよスタートの時が近づいてまいりました!』

 東京レース場に詰めかけた観客の声援は、地下バ道にもうっすらと聞こえてくるほどだった。

「緊張はしてないか?」

「大丈夫。今は速く走りたくてしょうがないの」

 神谷トレーナーにそう返事をしたヴァイスシュトルムは、前だけを向いて集中していた。その様子に言葉通り大丈夫そうだと確信した神谷は、ヴァイスシュトルムを送り出す。

「よし、それじゃあ行ってこい! スタンドの一番いい位置で見守ってるよ」

「Ja! Warten Sie darauf, dass ich die Ziellinie als Erster überquere.(うん! 私が一番にゴールを駆け抜けるのを待ってて)」

「あー……うん。待っている」

 ヴァイスシュトルムのドイツ語での宣言に、苦笑いを浮かべてなんとなくニュアンスをつかんだ神谷は、なんとかそう返す。それを見たヴァイスシュトルムは、クスクスと笑いながら本バ場へと駆けて行ったのだった。

『四枠七番、一番人気のヴァイスシュトルムが姿を見せました!』

 ヴァイスシュトルムが姿を見せると同時に、今まで以上の歓声が沸き上がる。ヴァイスシュトルムはそれに軽く手を振ってゲートへと近づく。

「すごい人気ね、ヴァイス」

「スフィアだって今日の二番人気じゃない」

 ヴァイスシュトルムの隣のゲートに収まった青毛のウマ娘、アクアスフィアはチラリとヴァイスシュトルムに目をやるとすぐに正面に向き直った。

「ヴァイスとそのファンには悪いけど、勝たせてもらうわ」

「私だって、負けるわけにはいかないの!」

 ゲートが開く前から、二人の間ではすでに激しく火花が散っていた。その熱量に周りのウマ娘もだんだん触発されていく。伝播(でんぱ)した熱は、解き放たれる瞬間を今か今かと静かに待っていた。

『最後に十六番オイシイクレープがゲートに入ります。体勢整いました! 第五レース、芝1800mメイクデビュー、今スタートです!』

 ゲートが開くと同時に、十六人のウマ娘たちは一斉に1800m先のゴール目指して駆けだしていった。




一先ずここまでは完成している分なので一気に投稿しました。
7話以降はスローペースになるかもしれないので、気楽にお待ち頂ければと思います。
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