ウマ娘ッ!クレイジー・ダービィーッッ!! 作:ウマ娘(たぬき)
スペシャルウィーク。この名前は亡くなった実の母から贈られた、たった一つのプレゼント。そんな私には、母と同じくらい大好きだった、2歳上の姉がいた。
『もぉ〜はやいって!まってよぉ〜おねえちゃん!』
実の父は顔も知らない。ある日を境にぷっつりと消息を絶ったらしい。親権調査をしたけれど、例によって行方不明。両親は駆け落ち同然だったことから、母方の祖父母も頼れず仕舞い。父が娘2人に遺したのは、生前贈与した幾らかの蓄えのみ。
早逝した実母に代わり、私達を引き取ってくれた育ての親は、名をティナさん──お母ちゃんと呼んで久しい──という。ふたりは学生時代から、無二の親友であったらしい。お母ちゃんいわく、私は『交換留学で出会った時の、若い時のあの子そっくり』とのこと。
とまあ、そんなわけで。ただでさえ人口の少ない田舎町に、ウマ娘は私と姉のふたりだけ。
『ほーら、ここまでがんばりなさい?もうちょっとよ?』
人間の同級生には、私達の身体能力についてこられる子がいなかった。それゆえ私は、雨の日でも雪の日でも毎日、泥だらけになるまで姉と一緒に遊んでいた。
『……生きなさい。あなたは……「スペシャルウィーク」なんだから』
…………時が経ち、育てのお母ちゃんと
「……ペちゃん、スペちゃんっ!」
「ふぇ?」
軽く揺さぶられて、覚醒。寝起きでぼやけた視界に入るのは、ウマ耳に艶やかな栗毛。綺麗な流し目と、仄かにただよう儚げな雰囲気、そして楚々とした佇まいは、まるで。
「………………おねえ、ちゃん……?」
「えっ?」
言い終わったその時、我に帰った。目の前の女性はスズカさん……だし、ここトレセン学園の寮内だし、第一いま何時だっ!?
「あっ………………ご、ごめんなさいッ!」
しまった!慌てて布団を跳ね除け、傍らの時計を目端に入れる。時刻はすでに……朝食時間に突入していた。
「す、すみませんとんだ粗相を……」
同部屋の先輩たるスズカさんは、私の姉と雰囲気があまりにもよく似ている。先日レース場で初めて見た時、思わず彼女に釘付けになるくらいには。
無論、勝手に同一視するのは双方に失礼な事この上ない。しかし寝ぼけた頭でつい、ぽろっと溢れてしまった。今後は気をつけなければ。
「……近道、通っていきましょ?とっておきを案内するわ」
「3分で支度しますっ!」
洗面台に突撃し、慌ただしく身支度を始める。「慌てなくて大丈夫よ?」と、優しい声が扉の向こうから聞こえてきた。
もし、姉が「成長していたら」、今頃はスズカさんのようになっていただろうか。
(……声までほぼ同じだとは、流石に思わなかったな)
トレセン学園に編入して、早や数日。学内の模擬レースに出ることになった日の朝のこと。久しぶりに、懐かしい夢を見た。
★
「力が欲しいか……『力』が……?」
「はい!欲しいです!」
「よかろう、これが『力』じゃ……!」
「やったあ!ありがとうございますっ!」
「……ゴルシ、スペちゃん。ふたりして何してるの?」
朝食を摂りに来た寮生らでごった返す、朝のカフェテリアにて。私・サイレンススズカのルームメイトである──所属チームを教えたらスピカに即日加入した──少女・スペちゃんは、スピカ最古参たるゴールドシップと、何やら同席して駄弁っていた。
「や、スペのうどんに餅入れてた」
「なんと四つも貰っちゃいました!」
「……ああ、
うどんに焼き餅を叩き込んだ、糖質が限界突破している料理を眺める。今日スペちゃんが出る予定の、模擬レースでの願掛けもゴルシなりに込めたのだろう。
時刻は丁度、朝の7時半。同じ年頃の人間さんのそれと異なり、ウマ娘は大食漢が多い。レースの莫大な消費カロリーを、食事のみで賄う必要があるから……という事もあるのだけれど。
「スペちゃん、出走予定が午前中なのに、朝からそんなに食べて大丈夫?」
ゴルシの隣に同席したテイオーが指摘する。他の子と比べて、やけに量が多いスペちゃんのお盆の上。気付けばうら若きティーンエージャーだというのに、お腹がポッコリ出てしまっている。無論おめでたではない。
「全然平気ですよ?『トレセン入る』って決めた時期から、
同部屋のこの子は、ウマ娘の中でも一際よく食べる。朝から山盛りご飯にうどん、ベーコンエッグとサンマの塩焼き、千切りキャベツにお味噌汁と牛乳。ついでにバナナと梅干しも添えて栄養バランスも良い。オグリキャップ先輩に引けを取らない、豪快な
「私、通常のウマ娘の3倍食べる事にしてるんです」
「赤い彗星リスペクト?」
「アタシか?」
「ゴルシじゃない」
勝負服がちょっとクワトロ大尉っぽいデザインの芦毛ガールを脇に置き。健啖家な同寮生が言うには。
「いやぁほら、『剣道三倍段』って言葉あるじゃないですか?」
剣道三倍段。得物を持った敵に無手で伍するには、敵の三倍以上の段位……すなわち実力が必要、という説だ。「三倍」はどうもそこからあやかったらしい。
「だから三倍食べれば、レース初心者の私でもみんなに追い縋れるかなって」
「な、なるほど……?」
回答を聞いて宇宙猫みたいな顔になったテイオーの表情が、妙に印象的だった。
☆
晴れ渡るターフを、いささか緊張した面持ちの生徒たちが踏みしめる。学園指定のジャージの上からゼッケンを身に付けた生徒たちの数は、全部で12。いずれも、トレセン学園では初出走の子たちばかり。
「当たり前だけど、ほぼ全員が新顔ねえ」
この学園において、模擬レースは非常に大事なイベントだ。トゥインクル・シリーズは各トレーナーと契約を結んだウマ娘しか出走できないし、レース結果は今後のスカウトの是非を左右する。大敗すれば未勝利戦を繰り返し、デビューが遅延していく事態に陥るのだ。
「まあ、
「スペちゃん、出走前にチームに加入してるって時点で前代未聞だもんね」
「つっても初出走となりゃあ、普通はアガっちゃうもんだけどな」
上からマックイーン、テイオー、ゴルシ。チームスピカ高等部が勢揃いだ。でもって、私たちは今日の主役のひとりである、肝心のスペちゃんに視線を送る。彼女、パドックに居るには居るのだけれど。
「良お~~~~しよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよしよし!まだ小さいのにかしこいですね〜っ!えらい!」
間もなく出走予定だと言うのに、何処からやって来たのか分からぬウリ坊の頭を、笑顔でわしわしと撫で回していた。
地元では「近所の乳牛と取っ組み合いをしていた」などというエピソードを持つ彼女、動物の扱いはお手の物らしい。
「この上なくいつも通りだね」
「大物だなぁ、スペの奴」
「…………学園付近に、イノシシなんて居たかしら?」
「私、入校以来初めて見かけましたわ……」
一応ここ、東京の府中市よ?絵面が珍しかったのもあってか、授業中のウオッカとダスカに、ゴルシが様子を写メってグループライン経由で画像を送る。ウオッカから「パないっスね先輩」なる即レスが返ってきた。
「え、ご飯が欲しいんですか?あげません。餌目当てで人里に降りて来てたら、いずれ射殺されちゃいますよ?」
「急にシビアになりましたわね」
「野生動物に生き方を説いてる……」
「ていうか意思疎通できるんだ」
幾度かの言葉を投げかけると、スペちゃんに頭を擦り付けていたウリ坊は、名残惜しげに山間部へと姿を消していった。その頃合いを見計らって、私はひとり、彼女に向かって歩みを進める。
傍らまで近付いて……そっと、小さな声で語りかけた。
「…………気持ちの整理、ついた?」
「………………よく分かりますね、スズカさん」
私、結構ごまかすの上手なんですよ?……大きな眼を更に刮目した同寮生は、驚嘆とばかり呟いた。
「負けた子の泣いてる顔は見たくない。でも、勝負事である以上は仕方ない。……分かるわよ、私もそう思った経験あるもの」
生来素直な性分なのか、スペちゃんはチームの皆から率先してアドバイスをもらっている。中でも、私の言葉は特によく聞いてくれる印象がある。同部屋のよしみなのか、「多少は気の置けない仲」と思ってくれているのか、あるいは……もっと、
「ええ。ソレに加えて、『自分が今日
……ダービー制覇が、私の第一目標ですから。大きなビジョンを掲げた彼女は、靴紐を結び直して立ち上がり、一瞬瞑目。そして。
「……よし、行ってきます」
再び彼女が目を開けた、瞬間ッッ!!
「ッッ……!?」
思わず、私は息を呑んだッッ!!心のどこかで「純朴な少女」「田舎から来た元気娘」「ピュアな道産子」……そう思っていた彼女の眼に、ドス黒いまでの黒炎が立ち昇っていたからだッ!!目的を果たすためなら己の命すら捧げるとでも言わんばかりの、苛烈なまでの「意思」の力をッッ!!
「見ててくださいね。子連れのヒグマと長年デッドヒートして鍛えた、私の末脚」
「……へっ?」
ヒグマ?ってあの羆?北海道物産展とかで、木彫りのお土産になってよく売られてる、あの?……パワーワードに頭が茫然としているうちに、スペちゃんはスタスタとゲートに入ってしまった。
と、その時。
「すまん、遅れた!……いや、ギリギリ間に合ったか。スペのやつ、調子はどうだ?」
件の「アメリカ遠征計画」の打ち合わせで、到着が遅延したトレーナーさんが私たちに駆け寄って、問い掛けた。これにちょっと間隔を空けて、私とスペちゃんのやり取りを見守っていたメンバーが答える。
「心配いりませんわ。荒削りのようですが、鍛え方が凄まじい。テイオーを『
「マックイーン、ボクとスペちゃんは何に例えられたの……?」
「……ありゃあヤベーぞ、トレーナー。デビュー前の練習量にしちゃあ度を越してる。他の奴らが自信喪失しねーか心配になっちまう。例えるなら、『一般人の中に東方不敗が混じってる』ようなもんだ」
「すまん、分からん」
出走、開始。
★
「それじゃあ……スペちゃんの初出走一位を記念して、乾杯!」
『カンパーイ!!!』
その日の夜、夕食後の部室内にて。昼間に見学出来なかったダスカさんとウオッカさんも交えて、私……スペシャルウィークは祝勝会を開催してもらっていた。簡単……と言ったら、他の出走者の子たちに失礼か。結果としては、二着以下とは大差勝ちで幕を閉じたのだった。
「お母ちゃんが言ってました!こういう日は勝ち酒を飲むもんだって!」
「スペちゃん、未成年だから思いとどまって、ね!?」
「こんなこともあろーかと樽酒持ってきたぜェー!コイツを浴びて宴だオメーらァ!」
『イェーイ!!!』
「イェーイではないでしょう貴女達!停学になりますわよ!?」
スズカさんとマックイーンさんが収拾を図ろうとしてる横で、私はスカーレットさんと話し込んでいた。
「試合結果、親御さんに送られたんですね?」
「ええ。
キャンペンガール。私のひとり目のお母ちゃん。
余命幾ばくもないにも関わらず、命と引き換えに私を産んでくれた、大恩ある存在。彼女がいなければ、私は今ここに立ってすらいない。
「貴女の一生が健やかで、幸せなものでありますように」。……それは、後に育てのお母ちゃんから聞いた、彼女の最後の言葉。
「お姉さんか、いいなぁ……。アタシひとりっ子だから、姉妹がいるって話聞くと、単純に羨ましいなーって思います」
「うーん、良いことも、辛いことも両方でしたよ?昔はよくケンカもしてましたけどね?」
オースミキャンディ。「日本一のウマ娘になる」と言ってはばからなかった、大好き
──今はもう、この世に居ない。
「しっかし……シーザーサラダにフライドポテト、ピザにターキーにローストビーフ、舟盛りに締めのアイスクリームまであるとは!いやぁ〜良いチームメイトを持ちましたね私!」
ふたりの遺志は、私が受け継ぐ。日高の墓前で誓った日から、今日まで歩みを止めた日は無い。
「そりゃあどうも。しっかし健啖家っスね、先輩」
「はい!在学中は残食ゼロを目指してますから!」
ウオッカさんへの答えは、誓って嘘ではない。決めたのだ。天国に居るふたりの分まで、しっかり食べて、学んで、走ると。
だから私は、今日もご飯を3倍食べる。
「いただきます!」
そう。私達の夢は、ここから始まる。
★
「トウカイテイオーでエゴサかけるとね、予測変換で『怪文書』って出てくるんだよ?ナニコレ?」
スペシャルウィークが模擬レースを終えた翌日。
秋口の日も暮れかけた、放課後の保健室にふらりとやってきたテイオーは、PCに表示された意味不明な長文の数々に、辟易しながらひたすら眼を通していた。なお、テイオー自身はこんなもの一枚だって書いていない。
「あぁ〜〜わけわかんないよぉーもう!
有マ記念で見せた奇跡の復活を経て、近々己の進退を真剣に考え始めていた彼女は、形の良い頭をバリバリと掻いてボヤく。なんでもウマッターで『#しっとりテイオー』なるハッシュタグを見つけ、興味本位で覗いたことが発端らしい。
ところが彼女の脚を触診していた校医・東方仗助は、コメントにお構いなしとばかり診察を進めており。
「左足首、右にもう10度捻ってくれ」
「あ、うん……ってちゃんと聞いてよドクター!何さ、みんなしてボクのこと『卑しか女杯優勝候補』とか『在学中にデキ婚しそうなウマ娘ステークス筆頭』とか!営業妨害だよこんなの!訴訟!」
「はいはい、あとでサイバー対策チームに連絡しとくわ」
「いや、話題の中心には居たい」
「内容は選べよ……」
とどのつまり、話を聞いてほしかっただけのようだった。「医者の類いが苦手」とされる彼女であるが、どうにも苦手なのは注射であり、医者と会話をすることは苦でないとのこと。
「ところでドクター」
「うん?」
「今度スズカ達で組むっていう、特別遠征チームの話だけどね」
「お、もうそこまで話回ってたのか」
聞けば情報通のテイオーによると、スズカ達がカフェテラスでチーム名候補を話し合ってるところにお邪魔したらしい。で、出た候補が。
「『オールボディ・オールゴースト』『はちみー
「全部ボツ」
ライスが発案した『ブルームス』を正式採用したのは、この数日後の話である。
☆
「いやあ、ビックリってのが先立つねぇー。
ぴょこぴょこと、左足を捻ったり捩ったりしている彼女は答える。施術に関しては先に聞いた通り。骨を構成するカルシウムとコラーゲンなどを無菌室で培養(SPW財団謹製)し、これらを物理的に外部から叩き込んで
「人間含めた有機物の材料なんて安いモンだからな。値段つけらんねェーのは、それこそ命と魂くらいだ」
「おお、前半だけ聞くと悪の科学者みたいだねっ!」
「人聞き悪りィなオイ」
新学期に併せて無菌室や大型冷凍庫が併設されたのは、ひとえに手術のためらしい。
「ま、これで施術と診察は完了だ。なんか質問あるか?」
彼女好みの、ミルクとガムシロップを大量に入れてマッ缶並の甘さになったコーヒーを手渡した校医は、そう静かに先を促す。彼女は実に50分近くの診療予約を入れていたから、今日は最後の患者だった。
激甘コーヒーに目を丸くしながら、テイオーは思ったままを口に出す。
「なんだろ……?うーんと……まだ、実感は湧かない……かな」
「……気持ちが追いついてない、ってトコか」
「…………そだね。ここまで至れり尽くせりなのに……身勝手な話、だけどさ」
伏し目がちに、彼女は語る。それは入学当初の天真爛漫な彼女からは、欠片も見られなかった、憂いと…………陰鬱で、耽美な色香を帯びた表情だった。
「…………もしキミさえ、あの時居てくれたなら、って思ったりしたんだ」
☆
あの時。かつてトウカイテイオーが無敗の三冠を目指していた、クラシックに挑んだ時のことだ。菊花賞に挑めていたif。三冠を達成したif。あるいはグランドスラムを成し遂げたif。それら全ての夢想は、叶わなかったゆえに持ち得たもの。
「有マで勝ったあとに、さ。『また脚が折れてた』って診察が下ったんだけど……不思議とね、後悔は無かったんだ」
今の彼女は無敗でもない。三冠も持ち得ていない。幼少から持ち続けた志は砕け、かつて抱いた夢は霞の彼方に散っていった。度重なる疲労骨折で、いわゆる『折れ癖』がついた。全盛期の重力に囚われずに飛ぶような走りは、もう出来なくなっていた。
それでも、あの雨の日にマックイーンに誓った約束は、傷だらけのガラスの脚で果たしてみせた。ただし。
「微細なヒビが脚のそこかしこに入ってた。坂路どころか、プールで泳いでも身体が痛くて。……まるでおばあちゃんみたいだなって、自分で思ってさ」
捧げた代償は、タダではなかった。
僅か150センチの細身な体躯では、載せられる筋肉量も少ない。体格に恵まれないウマ娘は、本来はレースをスローペースに持ち込み、隙を見て差すのが定石。それをテイオーは類稀な柔軟性と身体操作能力、大きいストライドでもって、フィジカルの不利をかき消していた。
しかし同時に、その柔らかで派手な走法こそが……元々繊細な脚に、多大な負荷をかけ続けていた。
「牛乳飲んだり小魚摂ったり、苦し紛れに色々やってたんだけどね?」
骨密度が生来低く、骨折しやすいのも災いしていた。
脚をまた折るようなアクシデントが有れば、10代のうちから杖を手放せない生活になるだろうこと。慎重に暮らしてもやがて将来、閉経後に骨粗
「……今年限りで引退しようって、決めた矢先だったんだ。奇跡の代価は安くない。それは分かってたから」
挫折は確かに無駄ではなかった。世間知らずだった子供が、打ちひしがれてなお勝ち得た道のり。泣いて、もがいて、足掻いて得た、奇跡。でも……競走能力を失った先に続く道は、一体どこにあるのだろう。
「本当は今日、マックイーンと走って……それで最後にするつもりだった」
翻意するきっかけになったのは、紛れもなくクレイジー・ダイヤモンド。ヒトの形をしているというその幽体は、テイオーの眼には見えない。仗助の後ろに、「力強いナニカが存在する」ということくらいしか分からない。まるで。
「カンダタに垂らされた、蜘蛛の糸みたいだなって」
芥川龍之介の記したそれは、地獄の亡者に幸福をもたらす気まぐれ。もし、眼前のこの人が、もう数年だけ早くここに居てくれれば。そう思ってしまったのは、きっと彼女だけではないだろう。怪我に泣いたウマ娘など、世にごまんと居るのだから。
「だから、これからは目標探しの旅、ってとこかな?ちょっと、ゆっくりしてみることにするよ」
思えば入学から今までひた走ってきた。ここらでひと息入れて、自分史を振り返るのもありだろうか。
独白を静かに聞いていた担当医は、頃合いを見計らっていたのだろうか。瞬きを二、三おり混ぜたのち、落ち着いた語り口で切り出した。
「……テイオー。静養ついでに一つだけ、考えといて欲しいことがあってな」
アメリカ遠征の他に、学園から別件でもう一つだけ話を貰っている。続きをテイオーが促すと、いわく。
「別メンバーでの
「ヨーロッパ、行くってこと?」
「なんだ、腹案に有ったのか?」
「ううん。……凱旋門を諦めてからは、考えたこともなかったや」
時期は米国行きと同じく来年度だが、選抜メンバーはアメリカ組とは全員別。定員は希望制で、例によって5名。レコメンドにリストアップされた中には、テイオーの名前も挙がっているという。
「……っと、そうこうしてるうちにこんな時間か」
「え……わわ、遅れちゃうマズいマズいっ!ごめん、ボクもう行くねっ!」
「あーっと、ついでにコレ持ってきな」
慌ただしくスクバを抱えたテイオーに対しおもむろに、机上に置かれた銀貨を投げ渡す。その正体は。
「コイン……いや、25セント硬貨?」
「ホイッスル代わりだ。多分ご利益あんぞ?」
「なにそれ?……まあいいや、じゃあお言葉に甘えるよっ!」
また来るね!とだけ残し、ぱたぱたと彼女はターフへと駆けていく。
「……さーてと、んじゃ残業こなしたら、店仕舞いすっかな」
タブレットをスリープにして、凝った目元を手で抑える。
思えば数年前までは、世界各地でDIOの残党共と闘いの連続だった。仗助だけでなく、波紋の技術やジョルノのスタンドがなければ継戦能力を維持できなかっただろうし、SPW財団らの財力がなければ、経済的に壊滅していただろう。
自らの夢を希求できるようになったのは、本当にここ数年のこと。
前世というものが自分にあったのかは知らない。ただどうにもレースに魅せられてしまうと同時……どことなく、彼女達を放って置けない危なっかしさも感じるのだ。
ブラインドを下ろすと、すっかり秋の帷が落ちかけていた。
☆
「ただいま、ドクター」
約1時間後。すっかり日も落ちた保健室に再び現れたテイオーは、口調に反してどこか晴々とした顔立ちだった。残業を終えて帰り際だった仗助を、めざとく捕まえたのは僥倖。やはり己は「持っている」と、確信した顔立ちだった。
先刻渡された25セントを握ったまま、彼女は開口一番畳み掛ける。
「お代は払うからさ。
いうが早いが彼女、ポケットから何かを綺麗に投げて寄越した。持ち前の反射神経を活かしてキャッチした、仗助の手の中に収まったのは……ゲーセンで使う用だろうか、ピカピカ光る500円玉だった。
……交換しろ、ということか。
「いいけどよォ〜、
「ううん。コレが良い」
ピン、と指で弾いた硬貨が、再び彼女の掌に収まる。
「ちょい待ちな、釣り合うように小銭出すから」
おもむろに引き出しの中の小銭箱を弄り出す彼が、座ったまま後ろを向いたのを見計らって。……彼女は入り口のドアを静かに施錠し、差し足で彼の後ろに忍び寄る。
「ねえ、ドクター」
音も無く、気配を殺し。
「なん……ッッ……!?」
二の句が告げなかった。いつの間にやらゼロ距離まで近付かれていた彼女に……背中から両腕を回されて、そっと抱き締められていたのだから。
咄嗟に机上のスタンドミラーで彼女の顔色を伺うも……前髪に隠れて、表情は見えなかった。
「テイオー、だよな……?」
反射で出しかけたスタンドを、被りを振って霧散させ、短く問う。殺気が無かったからか、この位置まで気付かなかった。奇しくもそれは……舞踊の如き軽やかな「全盛期の彼女の足捌き」が完全復活した、傍証でもあった。
「……どうした?」
長年の戦闘勘も、危険は無いと告げている。『掛かって』はいないようだし、耳も絞られていない。むしろ上機嫌に分類されるだろう。
シャワーを浴びてからここへ来たのだろうか。衣擦れした華奢な体躯から、仄かにトリートメントの香りが漂い、そして。
「ふっふ〜ん、ドキッとした?」
してやったり、とばかりおもむろに顔をあげた悪戯っ子は、満面の笑みだった。何かの意趣返しだろうか。意図を掴むには、いかんせんまだ付き合いが浅過ぎた。
「ねぇねぇ、どうだッ……って痛ったーいっ!今スタンドでボクのアタマ叩いたでしょ!?なにすんのさぁ!」
「ハネてた髪の毛直しただけだ、文句言うな」
「え、嘘!?さっきちゃんとセットしたのに!?」
「嘘だ」
「……ぶー。いじわる」
「コレに懲りたらもう止めな。ウマ娘に背後奪られたら、フツーの人間は落ち着かねーッての」
「フツーの人間さんじゃないでしょ、ドクターは?大体こんなの、モテる男は慣れてるでしょーに」
「ご丁寧に鍵まで掛けて言うことか?」
「退路を絶っただけだもーん。むしろホメるとこじゃない?」
「いい根性してんなあオメー……」
通常、ヒトが一対一でウマ娘に組み敷かれたら逃げ場はない。しかしこの男は違う。肉体的スペックも侮れず、更にそのスタンドパワーとスピードは、並のウマ娘を凌駕するらしい。だからこそ、心拍に一切の乱れがないのだろう。
「……どーだったよ?走ってみて」
「脳内でうまぴょい伝説鳴りっぱなしだった。なんならトレセンの制服着た、キタサトコンビとも併走してたよ」
「耳鼻科と脳外科を要受診……と」
「待ってドクター比喩だよ比喩!メタファー!」
「わーかったから耳元でシャウトすんなって!」
イマジナリーフレンド染みた、成長していた後輩達の姿を幻視したのはさて置き。自壊の不安も明日への杞憂も、将来への悲観もなくなったのは、喜ばしいことこの上ない。だから。
「これはお礼……じゃないな、ランナーズハイってやつ?普段のボクなら、こんな柄にもない事しないんだからね?」
小声で「……それから、ね」と続ける。両腕の力を、意図してちょっと強めた。
「まだ、ちゃんと言ってなかったね。『ありがとう』。キミのおかげで日本も、この学園も、そして────」
音もなく、広い背中からするりと離れる。左の首筋に星形の痣があるのを、この時初めて知った。
「────ボクもまだまだ、強くなれる」
世界は広い。いずれまだ見ぬ地平線の、果てまでも駆けてみたい。
その為なら何度でも羽撃いてやる。目指すは海の向こう。待ち受けるはレース発祥の地での、新たな闘い。
「じゃ、今度の土曜は
ついでに「ちゃーんとエスコートしてよね?」なんて注文までつけて、彼女は嵐のように去っていった。
自由だなぁ、アイツ……と思いながら、白衣を脱いで帰り支度を済ませる。……そこで仗助、ようやっと気付いた。先程髪の毛に隠れて伺えなかった、彼女の視線の先にあったものは。
「もしかして、俺の
トウカイテイオー。のちにシンボリルドルフの跡を継ぎ、トレセン学園次期生徒会長となる才媛の、再出発の日。
────彼女の道は、ここに再び拓かれた。
【今更スピカの紹介】※ウオダスはまた今度
・スペ……「宿命を背負う」主人公。託された夢と願いを成就せんとする、漆黒の意思を備える。LUK値にバフが掛かっており、ゲートはほぼ内枠だったり、レースの日は殆ど晴れてたり、よく希少生物と遭遇したりする。怪我知らずは原作準拠。二郎は全マシマシチョモランマ派の中等部生。
・テイオー……「運命に抗う」主人公。幾多の栄光と挫折を経て、黄金の意思を持つに至った。いわゆる「ツキを持ってる」子。キャラとしてはアニメとアプリ版を足して2で割ったくらい。最近ちょっと大人びてきた、はちみー濃いめ固め多め派の高等部生。
・マックイーン……繋靭帯炎が完治した、名門メジロ家の御令嬢。教養家であり、オペラとバレエに精通。絵画やクラシックへの審美眼も併せ持つ。なお、ドカベンは彼女曰く「必修科目」。その他タッチ、MAJOR、ダイヤのAなどを愛読。
・ゴルシ……業界最古参のVTuber、兼学園一のハジケリスト。実は未来からやってきた説、そもそもウマ娘ではない説、しれっとスタンド使える説など、彼女をめぐる妙な噂は数多い。今でこそ傾奇者だが、幼い頃はむしろ栗毛に近い髪色で、深窓の令嬢然とした雰囲気を纏っていた……らしい。