夢は夢、現実は現実。
2人を分けるのはただ、それだけ。

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地の彼女、宙の彼女

地面に落ちた枝を踏み鳴らす音が響く。決して速くは無いけれど、重く響くその音は徐々に近づき、私の眼にも姿の断片ーー重さを感じさせないような羽根が見え隠れする。隣の彼女が、何事かを叫んでいる。けれどそれも、すぐに聞こえなくなって。

眼前に迫った獣が、ゆっくりと腕を振り上げーー

 

 

 

 

 

 

 

▼▼▼

 

そんな体験をしたのが、つい先日の事だった。天鳥船と呼ばれる棄てられた宇宙ステーションに2人して忍び込み、そこで私達はこの世のどれとも違う獣に遭遇し、襲われた。私は無傷だったが彼女はそうはいかず、平気だという彼女を半ば無理やり病院に行かせた。そして今、私は彼女が出てくるのを待っている。

 

 

「お待たせ。別に待ってなくても良かったのに」

 

壁にもたれる私の横から、声。顔を向けると、いつもと何ら変わらぬ彼女が立っていた。その腕には、軽く包帯が巻かれている。

 

「何言ってるのよ、メリー。夢から持ち越した傷なんて、何があるか分からないでしょ?」

「ただのかすり傷だって言われたわよ。確かに目が覚めたらいつの間に傷があるんだから、少しは驚いたけど」

 

どうやら、傷自体に異常はないという。それなら一安心だとほっとする私に、メリーは怪訝な顔を向けている。

 

「…ねえ、蓮子。1つ聞きたいのだけど」

「ん?何?」

 

()()()()()()()()()()()()()?」

 

一瞬、聞かれた意味が分からなかった。

 

「なんでって、そりゃあトリフネで襲われたからでしょ?」

「……私は、そんな記憶無いの」

 

 

思わず、耳を疑った。

 

 

「蓮子と一緒に何かをしてた事は、ぼんやりだけど覚えてる。でもあの時、気がついたら私の腕に傷がついててーー私があの時どこで何をしてたのか、まるで思い出せないのよ」

 

 

 

 

私はあの日起きた事を事細かに説明したが、やはりメリーは覚えていないようで、怪訝な顔をするばかりだった。どうやらトリフネに入った時点から記憶が丸ごと抜けているようで、メリーからすれば寝て目覚めたら傷がついていた状態のようだ。

 

「そんな急に記憶が抜けるなんてあり得るの…?」

「世の中何が起きるか分からないのよ。起きたら記憶が全部吹き飛んでる人だっているかも知れないわよ?」

「メリーは平然としてるわね…自分の記憶の事なのに心配じゃ無いの?」

「話を聞く限りそんなに楽しい事ばかりじゃ無さそうだったし…でも記憶が無いのも不便だから…そうね」

 

メリーは私の腕を掴んで歩き始めた。

 

 

「ちょっと、メリー!?」

「もう一回トリフネに行ってみるわよ!行ってみれば何か分かるかも知れないわ」

 

 

そしてメリーに引きずられるまま、私達は再びトリフネに向かった。そしてーー

 

 

 

 

 

▼▼▼

 

目を覚ますと、眼前に広がる緑で視界が埋め尽くされる。身体を起こそうとすると、腕に鋭い痛みが走った。見れば、先ほど襲われた時の物であろう傷から(・・・・・・・・・・・・・・・・・)血が滴っている。

 

「蓮子…?」

 

私は共にトリフネに来たはずの彼女の名前を呼ぶが返事は無く、辺りは恐ろしい程に静かだった。

考えなど特に無く、ふらふらとトリフネ内部を歩き始める。蓮子と一緒にトリフネに来て、獣に襲われてーーその先は、思い出せない。

 

ともかく合流をしようと歩みを進める。すぐに視界の端に、見覚えのある帽子がちらついた。その方向に足を向けながら声をかけようとして、

 

 

 

 

足が、止まった。

 

蓮子のすぐ後ろから、音を立てて足音が近づいてくる。私もよく知る、しかしそれよりも断然速く響く足音。そして、それから逃げる様に遠ざかる2人の姿ーー

 

 

 

蓮子と共に走る私の姿が、そこにはあった。

 

 

呆然とする私の前で、獣が大きく沈み込んだ。そのまま、逃げる2人に飛びかかる。私なのか蓮子なのかも分からない、悲鳴の様な声が響いて。

 

 

 

 

その瞬間、私の視界は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▼▼

 

メリーは記憶を取り戻す為だと言って、毎日のようにトリフネに向かった。その度に、同じ獣に遭遇し、襲われていく。

 

獣に飛びかかられて肩に傷を負った。メリーはトリフネに行った覚えはないという。

 

足をもつれた所に襲われて足に傷を負った。メリーはここしばらく秘封倶楽部の活動はしていないと言った。

 

 

私を庇って背中に傷を負った。メリーは私と普通の大学生活をしているだけで、秘封倶楽部など作った覚えは無いという。

 

 

何度もトリフネに行き、襲われるたびにメリーから記憶が抜け落ちていくのは明らかだった。そして幾度も襲われた私は、ずっと無傷だった。

このままではいずれメリーは全てを忘れてしまうかも知れない。そんな思いを先に言葉にしたのは、メリーの方だった。

 

 

「…もう、トリフネに行くのは止めようと思うの」

 

壁にもたれるようにして座り込んだメリーが言う。傷を負う度に少しずつ身体も不調になっているのか、こうしてぐったりとしている時間が増えた。それでも、トリフネの中では通常と何ら変わらない様子だったのだがーー

 

「蓮子は、私と一緒に秘封倶楽部でオカルト活動をしてたって言うけど…どうやって、何をしてたのかもう、思い出せないの。それに、思い出したとしても、活動を続けるって事は…こんな危険な事を、またやるって事でしょう?」

 

 

項垂れるメリーの眼は、もう境界の隙間を写す事は無いという。私は何も変わらない一方で、彼女はどんどん変わって行く。いや、オカルトなどとは縁遠い普通の人間へと戻りつつあるかのようだ。

 

 

 

 

「私も蓮子も、危険な目にあうかも知れないっていうならーー

 

 

 

ーー特別な力なんて、要らないわよ」

 

 

 

そう話すメリーを前に、私は何も言えなかった。メリーの眼が無ければ、秘封倶楽部の活動は殆ど成り立たない。即ち、私も半ば強制的にオカルトから遠ざかるほか無くなってしまう。

けれど、それでもメリーが危険な目に合うかもしれないと思うと…またトリフネに行こうとは、言えなかった。

 

だから私は、メリーと共に普通の学生生活を送ることに決めたのだ。幸いにも、1人ではないから。秘封倶楽部という肩書きも、オカルトを追う気持ちも、全て埋没させてーー

 

 

 

 

 

 

 

 

▼▼▼

 

「………」

 

痛む体に鞭打って、ゆっくりと当てもなく歩き続ける。

何度も意識を失った。目が覚めるたびに、傷が増えた。

その度に、目に見える境界の綻びが増えた。意識をしなくとも、私の視界を埋め尽くすほどのそれは、しかし見えるだけだった。

 

 

「………」

 

適当な境界の綻びに手をかけ、力を込める。今までに何度か、こうした綻びを引き裂いて夢から覚めた事があったから。

けれど、綻びはびくともしない。手をかけても、それを引き裂く力を込める事が出来ない。まるで境界そのものが、私を帰すまいとしているかの様に。

 

 

いつの間にか、周りの緑はほとんど見えなくなっていた。代わりに視界に映るのは深い黒と、ときおり瞬く光。

 

星々と、それを内包しながらも無限に広がる漆黒の宇宙ーー衛星トリフネの果てまで歩いた私は、その場に座り込んだ。

 

どれくらい、この中を彷徨ったのだろう。途中で何度も獣に遭遇したけれど、どれも私を一瞥するだけだった。けれどその理由も、ぼんやりと頭の片隅に浮かんでいるのだ。

 

 

私と彼らは、もう同じ運命なのだ。夢かも分からないこの棄てられたトリフネから出られずに、ただ彷徨い続けるのみ。私は、この箱庭の様な空間で、孤独でーー

 

 

考えるのを辞めて、その場に大の字に倒れ込む。空中にまで広がる境界の綻びを、ただ眺めて。

 

 

 

 

その中に。綻びを横切る、蓮子の姿を見た。

 

身体を起こし、綻びへと手を伸ばす。蓮子は既に背を向けて、どんどん進んでいく。その隣には、私がいた。

 

 

普通、だった。2人はごく普通の学生生活をして、ごく普通の暮らしをしていた。秘封倶楽部の活動なんて、最初からしていなかったかの様に。

 

 

伸ばしていた手が、力を失って落ちてくる。もう一度伸ばそうとは、思わなかった。

蓮子は、幸せそうだったから。秘封倶楽部としてではなく、純粋に宇佐美蓮子として、幸せそうだったから。

私はもう、会えないのだろうけど。彼女が幸せに暮らしている姿を見てーー満足してしまったのだ。

 

満足、だけれど。

 

 

「ーーこんな眼が、無かったらなぁ…」

 

 

そうしたら、私もごく普通に蓮子と一緒にいられただろうか。少し特異なものを持ったばかりに夢に囚われた、ボロボロの私と違って。

 

目の前の2人は、笑っている。私は、笑う元気ももう、残っていなかった。

 

 

せめて、目の前の2人の笑顔が消えてしまわない様に。

 

 

 

そんな願いを口にして、私はーーそっとその目(気持ち悪い眼)を閉ざした。

 


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