土曜日。待ちに待った二人っきりのキャンプの日。
わたしは、家の前で双葉が来るのを今かいまかと待っていた。
「早くこないかな……」
ちょっと前までならただ楽しみなだけだった。
だけど、もう違う。もうなにもかもが変わってしまった。
長野に行った時も浜松に行った時もなにも思わなかった。けど今は心臓がバクバクしてしかたがない。
キャンプ、しかも二人きり。まだまだこの時期は人がいない。いつもの場所でキャンプすればきっと貸切状態だ。
誰もいないキャンプ場で好きな人と二人きり。
「やばい……ちょう嬉しい……」
斉藤の言葉を信じるわけじゃないけど、ちょっとは前向きに考えられるようになってきた。
仮に双葉がそういうつもりで誘ったわけじゃなかったとしても、どっちにしろ二人きりでキャンプができる。
「どっちに転んでも、メリットしかないぞ!」
ちょっと前まで双葉のことでずっとネガティブだったのに、即物的な自分にほとほと呆れる。
でも、しょうがないだろ。好きな人とデートできるんだから。
まあ、向こうがデートと思ってるかはわからないけどな。
あいつ、ずっとぼっちだったせいでいろいろ距離感バグってるんだよなあ。
スキンシップは当たり前、口を開けば大好き大好き。こっちがどれだけ恥ずかしがってもお構いなし。
そのたびにこっちは気が気がじゃないってのに。ほんと、勘違いするぞ。
「はぁ、大丈夫かな。わたし」
深くため息をついたその時だった。遠くのほうから聞き慣れたエンジンの音が聞こえてきた。
来た!
はやる気持ちを抑えて音がするほうを見る。小さなヘッドライト、細いタイヤ、ビーノよりもずっと低いハンドル。
ヘルメットにゴーグル、白いネックウォーマー。間違いない、双葉だ。
「おまたせー」
双葉が手を振りながらわたしの前で停止。思い切り空ぶかししてからエンジンを止めた。
焦げた油の匂い。嗅ぎなれた双葉の匂い。わたしの好きな人はいつもオイルの匂いとともにやってくる。
「ごめんまった?」
バイクから降りてヘルメット脱ぐ双葉。たぶん適当に被ったんだろう。髪があちこち跳ねていた。
「ううん、大丈夫。てか髪ぼっさぼさじゃん」
両手を伸ばして跳ねていた髪を梳かしてあげる。
「あっ……ありがと、えへへ」
頬を赤く染めて嬉しそうに微笑む双葉。だから、そういう勘違いするような表情するなっての……
「ヘルメット雑に被るからこうなるんだよ」
やばい、めっちゃサラサラ。
ちょっと前まで雨に濡れた野良犬みたいにボサボサだったのに、なにしたらこうなるんだ?
「……はい、こんなんでいいでしょ」
「あ、うん、ありがと」
名残惜しいと思う気持ちに蓋をして手を離す。一歩下がって改めて双葉の格好を見る。
「双葉、服いつもと全然違うね」
「あ、わかった? えへへ、そうなんだー」
上はいつものワークマンのジャケットじゃなくて、赤いレザーのライダース。
ワインレッドが白い肌をより際立たせてすごい似合っていた。
下はダボっとしたズボン(下にジャージ履いてるらしい。信じらんねえ)からボアのついた焦茶のショートパンツへと大胆にイメチェン。
バイクでほどよく筋肉のついた足は、登山用らしい厚手のタイツで覆われていて、てかった布地がちょっとだけ艶かしかった。
って、なに考え込んでんだわたし。あやうく煩悩にやられるところだった。
「だんだんあったかくなってきたし、ちょっとは女の子らしいかっこしたほうがいいかなーって。どうかな?」
「ま、まあいいんじゃない? かわいいと思うよ」
「そっか〜 えへへ」
だから、顔を赤くてそんな顔で笑うなよ……
そんなに好きな奴にアピールしたいのかよ……わたしじゃだめなのかよ……
「でもなんでいきなり? お洒落とかあんまり興味なさそうだったのに」
「ほら、ボクの周りってみんなオシャレな人ばっかじゃん。いいかげん気になってきてさ」
「まあ、たしかに」
野クルの面々とかは、実際かなりお洒落だと思う。
なでしこやあおいは言うまでもなく、あのガサツな千明ですら私服はけっこう可愛らしいのを着ている。
その中で、双葉だけは毎度毎度プライドをかなぐり捨てた実用一点張りの服装をしていてちょっと安心してたのは内緒だ。
わたしも自転車から原付に乗り換えてから、服装がどんどん男っぽくなっちゃったから親近感が湧く。
でも、それは今までの話。今の双葉は、はっきり言ってめちゃめちゃ可愛かった。
「まあ、いいんじゃない? でも、寒くないの?」
2月になったとはいえ、まだまだ冬は終わらない。
1月に比べればかなりあったかくなったけど、それでもこんな格好でバイクに乗れるほど、暖かくはなかった。
かわいいけど、正直ちょっと心配だ。
「あ、こう見えてこれ裏がもこもこだからすごいあったかいんだよー ちゃんと下にダウンも着てるしね。ほら」
「おわっ!?」
ジャケットの裾をめくって腹を見せてくる。ジャケットの中に隠されたインナーに覆われた細いウエストがチラチラと思考にノイズを走らせる。
なんてことない動きのはずなのに妙にドキドキしてしまう。こいつ、わざとやってんのか?
撫でるぞ。撫でまわすぞ。ほんとに。
「わかったから、いちいち見せなくていいわ。けど、タイツはあんまよくないんじゃない?」
熱くなりかけた思考に蓋をして話題を切り替える。
そう、こいつあろうことかタイツでバイクに乗ってきたのだ。なに考えてんだ。転んだらどうするんだ。
かわいいけど、やっぱダメだろ。
「あはは、やっぱそうだよね〜 でも、ボクかわいいズボンとかあんま持ってなくてさ」
そもそも、キャンプに行くだけでそこまで気合入れてお洒落する理由がわからん。
「あ、あのさ双葉」
もしかして、わたしのためにそんな格好をしてきてくれたの?
なんてセリフが喉から出かかってすんでで止める。
勘違いすんなわたし。こいつには他に好きな奴がいるんだ……
「よかったら、今度一緒に買いに行く? わたしも新しい服ほしかったしさ」
当然そんなことはない。次から次へと服を買い足せるほど、お金もクローゼットにも余裕はない。
双葉はぼっちとか言ってるわりには友達が多い。油断しているとすぐにスケジュールが埋まる。
クラスも違う。同じ部活にも入ってない。ただの友達でしかない双葉を繋ぎ止めておくためには、これくらいしないといけなかった。
「うん! 今度一緒にいこ! 約束だよー!」
嬉しそうな双葉の笑顔。
服はいつも一人で買っていた。でも、双葉と一緒ならなんだって楽しいに違いない。
「それじゃ、そろそろ行こっか」
「んー」
いつものようにお互いに頷きヘッドセットとヘルメットと身につける。
双葉がキックペダルを蹴るとマフラーから白い煙りがもくもくと立ち込めた。
わたしもビーノのセルスイッチを押す。49ccのエンジンがトコトコと物静かに動き始める。
『じゃあ、先に行くね』
「うぃー」
いつもどおりのやりとり、いつもどおりの光景。
「ふふっ」
だけど、わたしはそれがすごく嬉しかった。
また、双葉の後ろを走れる。そう思うと思わず口から笑い声がこぼれた。
『なにか言った?』
「なんにもー」
赤いテールランプを追ってスロットルを捻る。ゆっくりと走り出すビーノ。
向かう先は本栖湖。わたしたちの思い出の場所。
「うーん! 本栖湖だぁー!」
湖畔の波打ち際で、双葉が両手をピンと伸ばしながら叫んだ。
水面で反射した太陽が双葉の顔をキラキラと照らす。
「恥ずかしいからあんましゃぐなよ」
「ふひひ、はーい」
ほんとにわかってるのか? まだ事務所に人いるんだぞ? こいつ、だんだんなでしこみたいになってきてないか?
最初はもっとオドオドして気弱そうな感じだったのに、今じゃ天真爛漫って言葉を絵に描いたみたいな性格だ。
まあ、たぶんこっちが素なんだろうな。あの時の暗い双葉と、今の明るい双葉、どっちがいいかなんて言うまでもない。
もっと、もっと笑っててほしい。その笑顔をわたしにみせてほしい。
「じゃ、わたしテント張るから。双葉薪集めてきてよ」
「え? ボクもテント出すよ」
「一つでよくない? 時間もったいないじゃん」
「そ、そっかなー? うん、わかった」
もっともらしいことを言って、言いくるめる。
もちろん本心じゃない。ただ一緒にいたいから、それだけの理由で嘘をつく。
そんな言い訳をしないと、近づけない自分が嫌になる。わたしだって、本当だったらなでしこや双葉みたいに素直になりたい。
大好きって、なんのためらいもなく言いたい。でも、わたしにはできない。
だからわたしは嘘をつく。それが本当に嫌になる。
でもそれでいい。双葉と一緒にいれるなら。
「じゃ、行ってくるね」
「うぃー……はぁ」
林のほうに消えていく双葉を眺め、ため息を吐く。さっきから調子が狂いっぱなしだ。
二人でキャンプなんて今まで何回もしてきた。風呂だって何回も一緒に入った。
なのに、ただ一緒にキャンプするのが、今まで何度もしてきたことが、こんなにも難しく感じる。
「全部双葉が悪いんだ……」
好きな奴がいるくせに、思わせぶりな態度をとって、ドキドキさせてくるあいつがいけないんだ。
だからわたしは悪くない。こんな気持ちにさせる、あいつがいけないんだ……
「さーて、テント張りますか」
晴れわたる本栖湖。空の真上で耀く太陽が、湖畔のキャンプ場を優しく暖める。
今日はきっと良いキャンプになるだろう。
ページを捲る。
パチンと、焚き火にくべられた薪がはぜる。肌を焦すような熱気が、冷えた身体を暖める。
やっぱりわたしは焚き火が好きだ。となりに双葉がいるならなおさら。
「あったかいね〜」
「……うん」
焚き火にあたりながら、二人でぼんやりと湖を眺める。
なにか話すわけでもなく、遊ぶわけでもなく、ただ二人でなにもしない時間を共有する。
「……いいよね、こういうの」
「……わかる」
でも、わたしはこのなにもしない時間が大好きだ。騒ぐのも楽しい、遊ぶのも楽しい。
けど、この静かな時間だって、同じくらい好きだ。それは、双葉もおんなじ気持ちなんだろう。
ソロキャンともグルキャンとも違う。二人だけの贅沢な時間。
こいつはわたしよりもずっといろんなところを旅してきている。
一人の時間の使い方は、きっとわたしなんかよりもよっぽど熟知してるんだろうな。
「そういえば、もう2月なんだよな」
「そうだね。なんか、すっごいあっという間だった気がする」
「それわかる」
去年は本当にいろんなことがあった。
本栖湖でなでしこと双葉と出会い、一緒にキャンプして、自分でも信じられないくらい仲良くなって、なにもかもが楽しかった。
そして、初めて恋をした。本気で好きって思える人に出会えた。
目に映る全てが色鮮やかに輝いた。
でも、その人は他に好きな人がいて、今わたしのとなりで楽しそうに焚き火を眺めている。
手を伸ばせば届く距離にいるのに、途方もなく遠くに感じる。
「えへへ、マシュマロ焼いちゃお〜」
この楽しそうな横顔も、いつかわたしのもとから離れていく。
「あち、あちち、おいひい〜」
おいしそうにマシュマロを食べる姿もあと少しで見れなくなる。
わたしじゃない、他の誰かのものになってしまう。
「……わたしもちょうだい。食べかけでいいからさ」
それが我慢できなくて、意味がないと知っていてもそう言わずにはいられなかった。
「いいお〜 ふぁーい」
横から差し出された食べかけのマシュマロを首を伸ばして頬張る。焦げたメレンゲと砂糖の甘さが口の中に広がる。
「……おいしい」
「やっぱ焚き火といったらマシュマロだよね〜」
「……うん、だね」
「あ、マシュマロで思い出したけどさ、もうすぐバレンタインデーだよね」
「そうだっけ? あ、そっかもうすぐ14日か」
バレンタインデーなんて、お母さんと斉藤からチョコ(十円)をもらうだけの日だったから、意識なんてしてなかったけど、もうそんな時期なんだな。
「……双葉も、誰かに渡すの?」
わたしが聞くと、双葉が恥ずかしそうに小さくうなずいた。小さな耳が真っ赤に染まっていた。
やっぱ、そうだよな。好きな奴がいるんだ。チョコくらい渡すよな……
いいな……
「リンもさ……誰かにわたすの?」
「わたしは、とくにわたさないかな。べつに、好きな奴とかいないし」
好きな奴なんていない。
好きな奴なんていない。
好きな奴なんていない。
心が引き裂かれる。痛くて苦しくて、思わず泣きそうになる。
好きな奴がいないなんて、嘘だ。好きな人ならいる。今目の前に、手を伸ばせば届く距離にいる。
だけど、それはできない。わたしのわがままで双葉を困らせるわけにはいかない。
「えへへ、そうなんだ〜 いないんだ〜」
だからなんでそんなに嬉しそうなんだよ……
そんな顔されたら、期待しちゃうだろが……
どうせ叶わないって、わかってるのに……期待、しちゃうだろ……
「……そろそろご飯にする?」
ごまかすために話題を変える。
いつの間にか太陽もずいぶんと西に傾いていた。もう1時間もすればここも真っ暗になる。
「だね。暗くなる前に作っちゃおうっか」
チェックインの時間は過ぎている。今夜はもう誰も来ない。わたしと双葉の二人きりの時間。
わたしが期待するようなことなんて起こるわけないのに、心のどこかで期待してしまう自分がいる。
なんて未練がましい女なんだろうな、わたしって。
でも、しょうがないだろ。好きになっちゃったんだから
だから……
「よーし! おいしいキャンプご飯作るぞー!」
「……おー」
せめて、友達のフリくらいはさせてよ。
「おいしかったね〜」
「……うん、めっちゃうまかった」
真っ暗になった本栖湖で、持ってきたシートの上に座ってブランケットにくるまる。
焚き火にあたりながらさっき食べたキャンプご飯の感想を言い合う。
適当にレシピ本からピックアップしてきただけのご飯だったけど、びっくりするくらいおいしかった。
たぶん、双葉と一緒に作ったからなんだろうな。
「コーヒーでも淹れる?」
「眠れなくなってもしらないぞ」
「たまには二人で夜更かししよーよ」
こいつ、またそうやって……でも、どうせ明日も休みだしいいか。
「……しょーがないなあ」
誘惑に負けて、コーヒーを頼む。こんな時間に飲んだらきっと夜中まで眠れないだろうな。
大丈夫かな、わたし。まあいいや。なにかあっても双葉のせいだ。
「じゃ、ちょっと待っててね〜」
はにかんだ双葉が慣れた動きでコーヒーの準備をしていく。静かな湖畔にガリガリと豆を挽く音がこだます。
あっという間に準備が終わって、コポコポとコーヒーを注ぐ音がしておいしそうな匂いが周囲に漂う。
「はい、どーぞ」
「ありがと……いただきます」
マグカップに注がれたコーヒーをゆっくりとすする。
「……おいしい」
わたしの知っているコーヒーと違って、双葉の淹れるコーヒーはブラックなのに全然苦くない。
かといって薄いわけじゃなくて、しっかりとコーヒーの香りと旨味も感じる。
贔屓目を抜きにしても、双葉の淹れるコーヒーは本当においしい。野クルの奴らが気にいるのもよくわかる。
「……うーん、ちょっとお湯の温度高かったかなあ」
「これで納得いかないのか……」
どんだけ凝り性なんだよ。もういっそのこと大人になったら喫茶店でも開けばいいのに。
「ま、いっか。おいしいし」
「いいのかよ」
二人でコーヒーを飲む。2月の本栖湖の空はよく晴れていて、月が富士山を綺麗に照らしていた。
「……もうすぐ春だね」
「まだまだ寒いけどね」
本当に暖かくなるのは4月に入ってからだ。それまではまだまだ冬のような寒さが続く。
でも、こうしてブランケットにくるまるのも、もうすぐ終わりだと思うとなんだか感慨深かった。
「3月になったらみんなで伊豆行って、そしたら2年生。ちょっと前まで秋だ冬だって騒いでたのに、もう春だよ。なんか、不思議」
「それだけ楽しかったってことでしょ」
いつもならキャンプは冬で終わりだけど、今年はもうちょっと長くやってもいいかもしれない。
あいつらがいるってのもあるし、なにより双葉がいる。こいつのことだから夏休みになったら北海道行くとか言い出しそうだ。
「春が来て、そしたらすぐ夏になって……今度の夏休みどこ行こーかな。北海道とか行っちゃおうかな」
って思ったらほんとに北海道でてきたし。ったく、こいつほんとに懲りないやつだな。人の気も知らないで。
「けど、みんなとキャンプも行きたいしなー」
「えー夏やだよ」
虫湧くし人多いしろくなことがない。やっぱりキャンプは冬が一番だ。
「じゃあキャンプじゃなくてツーリングにする? ゲストハウスとかならキャンプ場と同じくらいの値段で泊まれるよ」
「……まあ、それなら」
「やったー! リンと夏休みにツーリングだー!」
「ふふ、まだだいぶ先のことじゃん」
その時まで、わたしと双葉は友達でいられているのかな。もし、双葉が好きな奴とくっついたりしたら……
首を振って暗くなった思考をかき消す。
「どうしたの?」
「な、なんでもない」
灯がなくて助かった。もし明るかったら落ち込んだ顔を見られてしまうところだった。
「そっか……それでさ、来年になってもそのまた来年になっても、ずっとみんなで一緒にキャンプしたいなあ」
「みんなで……」
心が軋む。双葉はただ当たり前の望みを言っているだけ。それはわかってる。
わたしだってあいつらとはずっと付き合っていきたい。
なでしことも斉藤とも千明ともあおいとも、ずっと一緒にいたいと思っている。
でも、わたしが一番一緒にいたいのは、他でもない双葉なんだ。
双葉、そこは嘘でもわたしと一緒って言ってほしかったな……
心にどす黒いもやがかかっていく。行き場のない嫉妬心が心を覆い尽くしていく。
「そ、それでね、リンともずっと……ずっとずっと一緒にいたいなって……」
「ふた……ば?」
気のせいか? 今、わたしとずっと一緒にいたいって、言わなかったか?
恐る恐る双葉の顔を見る。
その顔は焚き火に照らされているだけじゃ説明できないくらい真っ赤になっていた。
緊張しているのか、琥珀色の綺麗な目が忙しなくキョロキョロと動く。
「え、えっとね……ボクね……」
もしかして……わたしは、胸が高鳴るのをはっきりと感じた。
もしかして、双葉もわたしのことを……
いや、そんなわけないか。そんな、都合のいいこと、起きるわけないよな。
「えっと、えっと……あ、そうだ!」
しどろもどろだった双葉がなにかを思い出したかのように立ち上がり、荷物を置いてあるところに歩いていく。
しばらくすると手になにか箱のようなものを持って戻ってきた。
そしてわたしの前に座り、まっすぐわたしを見据える。
やっぱりこいつの目綺麗だな……
「これあげる!」
勢いよく差し出された箱を受け取る。化粧箱だ。なにが入ってるんだろう。
「え、どうしたのこれ?」
「ちょっと早いけど、バレンタインのプレゼント!」
「プレゼント? え、くれるの?」
好きな人からの思わぬサプライズに、顔がいっきににやけそうになる。
プレゼントっていうくらいだから、多分チョコレートとかじゃないんだろうな。
「あったかい時用のバイクの手袋! 春になったらこれで一緒にツーリングしよ?」
やばい……すっごい嬉しい……
「そ、そっか……あ、ありがと」
「リン! 大好きだよ! これからも、ずっと友達でいようね!」
……
……………
…………………
ずっと友達でいようね。
ずっと、友達でいようね……
ずっと、友達で、いようね……
友達で、友達で、友達で……
「…………よ」
「り、リン? どうしたの?」
心配そうにわたしの顔を覗きこむ双葉。
その、混じり気のない善意にわたしの中にあるなにかが音を立てて切れた。
「いい加減にしてよっ!!」
「え!? ひゃ!?」
頭が真っ白になる。
気がつけば双葉の手首をつかんでシートに押し倒していた。
寒気のする本栖湖。焚き火がパチパチとまるでわたしの心のように燃え盛る。
「り、リン?」
両手の間に収まった双葉の顔を見つめる。突然こんなことされたのに、1ミリも怖がってない。
ただとまどっているだけ。わたしがなにもしないと信じきっている。
「どうしたの? なにかあったの?」
双葉がわたしの頬に手を伸ばす。こんな時でもあったかい手が頬をじんわり温める。
本当に、本当に、いつもいつもわたしのことをそうやって!
「そういうこと、誰にでもしてるの?」
「だ、誰にでもって……え、ど、どういうこと?」
「どうせ、みんなにも大好き大好きって、言いまくってるんだろ!」
こんなこと言いたくないのに、感情が抑えられない。
双葉はずっとひとりぼっちだった。
やっと友達ができて、すごく嬉しそうなのはずっと見てきたからよくわかる。
ただ人よりも素直なだけ、たぶらかそうとか、そんな酷いことは微塵も考えてない。
ひどいことを、言っている。最低なことを言っている。
でも、止められない。
「他に、好きな奴がいるくせに!!」
じわじわと視界が滲んでいく。目に映る双葉の顔がどんどんぼやけていく。
「わたしが、どれだけ好きかも知らないくせに!!」
人が人を好きなるには、もっと劇的ななにかがあると、ずっと思っていた。
だけど、それは違った。
他愛もない日常。他愛もない生活。延々と続く毎日。
そんな当たり前の中に双葉はいた。
いつものように図書室で会って、なんてことない話しをして、たまに一緒に帰る。
家に帰って電話したり、遊んだり、たまにはキャンプをしたり……
気がつけば、双葉がいるのが当たり前になっていて、それ以外の生活は考えられなくなっていた。
ずっと一緒にいたいと思った。ずっと隣で笑顔を見ていたいと思った。
誰かを好きなるってことの本当の意味を知った。
なのにこいつは……いつもいつも!
「好きでもないなら優しくすんな!! どうでもいいと思ってるなら大好きなんて言うなよ! そんな顔で笑うなよぉ!」
「リン……」
泣きながら双葉の胸に顔を埋める。胸の小さな鼓動を感じる。
「リン……ごめんね」
やっぱり、わたしは双葉が好きだ。こんなことで諦めたくない。
双葉が好きで、もうこいつのことしか考えられない。
双葉が好きなやつなんかよりも、わたしのほうがずっとずっと双葉のことを好きに決まってる。
ずっと笑顔にできる。
ずっと幸せにできる。
……
…………
………………
もう、逃さない。
「……双葉が、悪いんだからな」
悪魔の呪文を唱える。わたしの中のなにかが目を覚ます。
埋めていた顔を起こし、這うように耳元に近づける。
耳の付け根に息を吹きかけると、双葉の身体がびくりと震えた。
「ひゃっ!? り、リン、や、やめ」
セリフと声色が、まるで合ってない。
わたしには、双葉がもっとしてくれって言っているようにしか聞こえなかった。
やっぱり、こいつわたしのこと好きなんじゃないの?
「やだ」
逃げられないように双葉の足に自分の足を絡ませる。
ズボンとタイツが触れると、双葉の足がびくりと震えた。
「ねぇ、本当は誰が好きなの?」
耳元で囁く。
前からずっと疑問に思っていた。
好きって言うわりには誰もその相手のことを知らない。
そしてわたしが詰め寄った時の満更でもなさそうな表情。そして、今の反応。
「それとも、わたしには言えないの?」
ジャケットの隙間に手を入れて細いウエストを抱く。
ずっとバイクに乗っているからか、意外と引き締まっていて、絶妙に触り心地がいい。
やばい、これずっと抱いてたい。
「り、リン? あ、あの手が、お腹にあたって……んん!」
ちょっと強く撫でると腰がびくりと震えた。
「双葉、もしかして気持ちいいの?」
「そ、そんなっ、こと! ひゃぅっ!?」
耳たぶを甘噛みして追い討ちをかける。
抱きしめた小さな身体が強張って跳ねる。こんな小さな身体で無茶な遠出ばっかりしてるのか。
もしなにかあったらどうすんだよ……
お仕置き、しないとな……
双葉が他の誰かを好きなら、わたし以外を見れないようにすればいい。
わたしが双葉をどれだけ好きなのか、わからせてやればいい。
どうしてこんな簡単なことに気がつかなったんだろう。
わたし、ほんとバカだな。
「だから、答えてよ」
耳の付け根、たぶん双葉はここが一番弱い。
息を吹きかけるように囁くと、案の定双葉の肩がびくりと震えた。
ほんと、敏感すぎるだろ。そんなんだからわたしにいいようにされるんだぞ。
「ただの、友達なんでしょ?」
「え、えっと、えとえと」
顔を上げて双葉の瞳を見つめる。
潤んで涙目になった瞳。
首筋まで真っ赤になった顔。
汗ばんだ額。
荒い呼吸。
吸い付きたくなるような唇。
もう、答えは出てるようなもんだよね。
「ねぇ、答えてよ」
双葉の目がキョロキョロを逃げ場を探して泳ぐ。
「誰が、好きなの?」
でも、わたしの目がそれを逃さない。
「あ、あの、あ、あ、あの……」
やがて観念したのか、双葉の身体から力が抜けた。
「……きです」
「ごめん、聞こえなかった。もう一回言って?」
「……好きです」
崖があったら飛び降りるんじゃないかってくらい、恥ずかしそうな双葉がわたしの目を見ながらボソリとつぶやいた。
そっか……好きな人って、わたしのことだったんだ。
そっか……
これやばいな。気抜くとすぐ顔がにやける。
でも、まだ許さない。
わたしの心をさんざん弄んだ仕返しがすんでない。
あれだけ泣かせて悩ませたのに、双葉だけなぁなぁで告白なんてさせない。
「それで、誰が好きなの?」
「え!? い、言わなきゃダメ?」
「ダメ」
耳元で囁く。絡ませた足がびくりと震えた。
それが全てわたしに向けられていると知った今、嬉しさと興奮で頭がおかしくなりそうになる。
「教えてよ……誰が、好きなの?」
「…………リン」
双葉の口から、その名前を聞いた瞬間、心臓が飛び跳ねそうになるほどの喜びが全身を包んだ。
「もう一回」
「リンが好き」
「もう、一回」
「リンが好きですー!」
頭が真っ白になる。
双葉の言葉が頭の中で跳ね返って反響して際限なく大きくなっていく。
双葉はわたしが好き。
双葉は、わたしが好き。
双葉は、わたしが、大好き!
もう我慢なんてできない!
「双葉」
「え、な、なに──」
半開きになった双葉の唇にわたしの唇を重ねる。
初めてのキスはコーヒーの味がした。
「……ん、んぅ」
口を覆う柔らく温かい感触。
ビリビリとした電流が身体中を駆け巡って、自分がなにをしているかすら考えられなくなる。
「……ん」
やばい……これ、めっちゃ幸せ……
いつのまにかわたしの腰に手を回していた双葉と抱き合って、ひたすらお互いの唇を合わせる。
ずっと好きだった相手と初めてのキス。
涙が出るくらいに嬉しくて、ただそれしか考えられなくなる。
でも、いい加減息ができなくなってきた。
「……ふた、ば」
「り、りん……」
お互いに見つめ合って肩で息をする。頭の中はもう双葉のことでいっぱいだった。
だめだ。こんなんじゃ全然足りない。
「ん……」
今度はもっと深く、強く、お互いの舌を絡めてキスをする。
舌と唾液が混じり合う。嬉しい、ただ嬉しい。幸せ……
「ふたばぁ……んっ!」
息を吸ってからもう一度唇を求める。つかんでいた手首を離し、指を絡めて握りあう。
唇を吸うたびに握られた手に力がこもる。
やばい、こんなの知ったらもう戻れなくなる。
止まらない。止められない。たりない、こんなのじゃたりない。
もっと、もっと、もっとしたい……
もっと双葉がほしい……
「テント、行こ?」
「……うん」
耳まで真っ赤に染め、期待に満ちた眼差しでわたしを見つめる双葉。
唾液で濡れた唇が艶かしく光る。
ブツリ。頭の中でなにかが切れる音がした。
コーヒーを飲んで正解だった。今夜はきっと長い夜になるに違いない。
「……さむ」
肌寒いテントの中で目が覚める。いつの間にか寝てしまったみたいだ。
テントの向こうはすっかり明るくなっていた。
「あれ……昨日なにしてたんだっけ……」
たしか双葉とコーヒー飲んでそれから……
あ、思い出した。
「……うん」
不意に横でなにかがピクリと動いた。
恐る恐る首を向ける。あどけない顔で眠りこける双葉がそこにはいた。
「すぅ……すぅ……」
シュラフこそ被ってるけど、隙間から見える格好はほとんど裸同然だった。
あたりを見回す。よく見ると、ズボンやらシャツやらが散乱している。
その中には当然のようにわたしの服も混ざっていた。
「……や、やっちまった」
思わず手で顔を覆い隠す。寝ぼけていた頭が本栖湖の冷気で覚醒し、昨日の記憶をどんどん掘り起こしていく。
すごかったな双葉、あんな声出して……って違う!
「ど、どどどうしよ」
テントの中で、あ、あんなことして! だ、誰にも見られてないよな!
ていいうかわたしもよく見たらシャツしか着てないし!
「あ、でもいいのか? どっちにしろお互い好きなんだし……いや、でも」
ピコン!
「おわっ!?」
スマホがなってびくりと飛び跳ねる。誰だよこんな朝から。
斉藤:ゆうべはお楽しみでしたね
リン:やかましいわ
斉藤:ふっふっふ、その様子だとうまくいったみたいだね〜
リン:……まぁ、その、うん
斉藤:そっか〜 実はね、わたし前から双葉ちゃんから相談受けてたんだ。なんとかなってほんとよかったよ〜
リン:やっぱおまえ全部知ってたじゃねえか
斉藤:知らないなんてひと言も言ってないもーん
リン:もういいよ。なんか、いろいろありがと
斉藤:気にしなくていいよ〜 いっぱい楽しませてもらったからね〜
リン:やっぱ死ね
スマホをしまう。なんていうか、全部斉藤の掌の上だったんじゃないかって気がしてきた。
思い返してみれば、双葉が男子に告白された時からおかしなことだらけだった。
あの時はパニックになって頭が回らなかったけど、よくよく考えてみればいくらなんでもタイミングが良すぎる。
それも斉藤の差し金と考えれば納得がいく。あいつ、やっぱりろくでもねえやつだわ。
でも、おかげでここまでこれたんだからちょっとは感謝してやろうかな……
「おーい、おきろー」
顔を近づけて未だに気持ちよさそに寝ている双葉の頬をつつく。
前と違って罪悪感なんて一切ない。
だってもうそれ以上のことしたし……
でも、これはこれで好きなんだよなあ。
「キスするぞー」
顔をどんどん近づける。べつに起きてる時にすればいいんだけど、なんとなく寝ている双葉にしたくなった。
「それは起きてる時にしてほしいなぁ」
「おわっ!?」
こいつ、起きてたのか! もしかして、狸寝入りしてたのか?
「いつから起きてたの?」
「えっとね、き、キスするぞーってところから」
「なんだ、起きたばっかか」
双葉がもぞもぞとシュラフから起き上がる。案の定シャツしか着てなかった。
やっぱ、夢じゃないんだよな……
「えへへ、すごいことしちゃったね。ボクたち」
「あ、うん……」
昨日のことを思い出すと、それだけで嬉しさとか恥ずかしさとかが込み上げて叫びそうになる。
「わたしたち、付き合ってるってことでいいのかな?」
「……そうなんじゃないかな? よくわかんないけど」
「ふふ、なにそれ」
「だってしょーがないだろー! 人と付き合ったことなんてないんだからさー!」
「わ、わたしだってそうだし!」
付き合って初日であんなことまでして、冷静に考えてかなりやばい気がするけど、それはもう考えないようにしておこう。
でないと恥ずかしくて死ねる。
「な、ならさ……もう一回たしかめてみる?」
「た、たしかめるって、どうやって?」
わたしが聞くと、双葉はもじもじと恥ずかしそうに顔を俯かせた。
やっぱ、こいつかわいすぎだろ。
「そ、その……キス、とか」
「……する?」
「……おねがいします」
双葉の言葉に無言でうなずき、細い首筋に手を伸ばす。
顔をゆっくりと近づける。双葉の綺麗な顔がどんどん近づく。
「双葉、好きだよ」
「……ボクも大好き」
恋人とする初めての朝のキスは、やっぱりコーヒーの味がした。
一応リン編完結です。次からは別の話になります。
感想で抜き取ったページを寄越せと言われそうなので書いておきました。
例によってそういうシーンなので気になる方は自己責任で作者の作品一覧【https://syosetu.org/user/3567/】からどうぞ